映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年07月06日

ついにベン・ウィショーに遭遇する!そして生写真!!!

と言ってもそれは私ではなくはーやさんなのですが。

ロンドン在住のはーやさんから羨ましくも妬ましいベン情報をいただきました。これはロンドン在住でないと実現できません!!!(泣)
でははーやさんのメールです。
 
「夢って叶う…今日、本当に思いました。
Brick Laneというロンドン東部のストリートマーケットで人気の場所へ行ったのですが、
あっと前を見たらベンが…。もう、なんだかわからず戸惑ったのですが、とにかく話がしたいと
思い、先を行くベンを追いました。後ろから見た感じは、なんと細い!ズボン(カンヌの耳花の
写真の時のものと思われるベージュっぽいの)も、ゆるゆる。とにか後ろからツンツンとついて、
『ベン…ですよね?』『あなたのお仕事、いつも楽しませてもらってます。l』『絶対遭えると信じてました』
などまくし立て、舞い上がりながらも一緒に写真を快く撮ってもらいました。
本当は、『きゃー、愛してる、昨日もブライズヘッド観てたし、一昨日はChriminal Jusiticeを…』とか、
出てきそうだったけど、ぐっと抑えて…。ずっと、ニコニコ顔で応対してくれました。
まだこの現実をどう受け止めていいかわからない状態です。
『今は次の仕事を探しているよ』って言ってました。
リラックスした夏の日々と過ごしていそうな麗しいベンでした。

ふぅ〜☆」

どうです?羨ましくて死んじゃいそうですねー。
でも私としましてはベンに会える可能性のあるはーやさんにこれからも活躍していただき、いつかベンが誰かとデートしてるとこを激写していただきたい!!!
私はどーせ話しかけきれないのでここははーやさんにすべてを託しますm(__)m
よくぞつんつんしてくれました!!

ではその貴重なベン写真です!
BENatBrickLane040709_S生写真.jpgBENatBrickLane040709_2_Snamasyasin2.JPG

うう、なんてお茶目な表情かわいい。
あ、目はグリーンですね。

はーやさん、ほんとにほんとにありがとうございます!!!!!
posted by フェイユイ at 09:36| Comment(1) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

『インベージョン』オリヴァー・ヒルシュビーゲル

89487-large.jpgthe-invasion-film-HOT-0807-de.jpg
THE INVASION


久しぶりにダニエル・クレイグの顔を見れると思って観たのだが、こな大昔の映画だとは思いもしなかった。

いつもながら予備知識なしに観たんだが、意味の判らない英語タイトルなのであまり期待はしなかったのがせめてもの救い。あまりにもスタンダードな地球人侵略SFでこういうタイプは子供の時から五万と見てきたのにまた今更、と思ったらこれはジャック・フィニィ『盗まれた街』の映画化なのだった(『ボディ・スナッチャー』というタイトルですでに映画化されたことあり)とはいえ私はフィニィ原作を読んでないのでこれですぐに思い出したのはレイ・ブラッドベリの『少年よ、大茸をつくれ』(「よろこびの機械」収録)なのであった。と言ってもこちらの設定はちと違う(当たり前だが)フィニィの小説がどうなのかは知らないが映画のような大掛かりな世界規模みたいな(と言っても騒いでいるだけで実質は何ヵ所かの街中だけの物語になってるのだが)話ではなくある家庭に宅配された食用キノコ栽培キットが実は地球侵略の為のもので「キノコ」は人間を媒体として行動し増殖していく、という物語をブラッドベリ独特のファンタジックな語り口で表現されていく。
こういうのは舞台を大きく広げればいいんじゃなく身近な近所の話から「これが世界に広まったら」という想像でぞっとしていく、と言う方が面白いんではないかと思うのだが(多分フィニィ原作は面白いんだろうが)何故ハリウッド映画と言うのは大風呂敷を広げたがるのかよく判らない。
特に発想が面白いのならいいがこういう古臭く、出しつくされた話を金をかけただけのワンパターンカーチェイスや追いかけっこをして見せても誰も何の刺激も受けないし、はらはらどきどきなんて微塵もしないだろう。
説明が物凄く判りやすいのがまた何やら馬鹿にされている気がしなくもないがはっきりと言葉に出している物語のメッセージ「人間は必ず犯罪や戦争をおこす。そうでなくなったら人間はもう人間ではない」という言葉はむしろ首を傾げたくなるものである。というか宇宙生命体に体を乗っ取られて平和なのといつまでも戦争し続けるとどちらを選ぶ?なんていう2者択一を迫るなんて馬鹿げているではないか。それに体を乗っ取った「宇宙ウィルス」なる者が本当に平和主義ならなんであんなに攻撃的なのか、そこでもう話が破綻してる。
平和主義だからこのウィルスを飲もう、という設定なら襲って来たりせず穏やかににこにことしていつの間にか飲まされていた、という筋書きにしないと意味が判らない。
大体この物語は宇宙人への恐怖じゃなく当時フィニィが共産主義に対して感じた恐怖を描いたものらしいのだが先に書いた台詞がロシア人の言ったものというのも皮肉である。
共産主義と言えばこんな「薬」をイメージさせられるような「ウィルス」というものを飲ませるとかではなく、この前TVで観た戦争当時に中国軍が日本人捕虜に行った自己批判というものが恐ろしかった。繰り返し繰り返し自己批判をすることで精神を変えていくのである。まあ、映画でこういうのをやったんではとても娯楽映画にはならんから「ウィルス」をおえっと吐き出し飲ませる、と言う方が判りやすいということなんだろう。それにしてもアメリカ人は特におえっていうのを嫌うはずなのにそれを飲まされるなんて観客の拒否反応は酷かったんじゃなかろうか。

映画自体はもうどうでもいい。とにかくブラッドベリは短編なのに物凄く面白いってことだ。

さてお目当てのダニエル・クレイグ。本作はあくまでニコール・キッドマン主演映画なので彼は添え物的存在にしかすぎなかったし、『007』的イメージでこれを観た人はあれれだったかもしれないが、ダニエルの他の出演作って意外とこういう感じなのだよね。わりと話がどれも微妙で^^;彼も頭はいいんだけどあんまり強くない人って感じなのだ(あの肉体美を誇る人なのに不思議だが)
ここではもう控え目控え目。珍しく裸にならなかった?!し。でもチャーミングであることは確かだなあ。ハンサムだわ。
おまけに彼の役名が「ベン」だったのでそれが嬉しくて最後まで観続けた気も。何度もニコールが「ベン」と呼んでたんで。

監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル 出演:ニコール・キッドマン
ダニエル・クレイグ ジェレミー・ノーサム
2007年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』ギレルモ・デル・トロ

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HELLBOY II: THE GOLDEN ARMY

ヒューマニズム溢れる、と言いたかったのだが、この物語ではヒューマニズム(人間性)というものが間違っていて(つまり言葉の意味あいではなく人間の精神と言う意味で)モンスターニズム(という英語があるのかどうか知らないが。フェアリーイズムでもゴブリズムでもよいが)こそが世界にとって正しいのであるが、ここでは一応いい意味でヒューマニズム溢れるギレルモ・デル・トロ作品には参ってしまう。
先日もぶーたれたバットマン『ダークナイト』世界には何の魅力も感じないがこちらのヒーロー・ヘルボーイには本気で惚れてしまう私なのである。
勿論彼のファンはたくさんいるのだが、どうしてこう人間はモンスター・妖怪・異形のものに心惹かれるのだろうか。人間が持ち得ない彼らのパワーに、普通の人間から見れば「醜い」と言われる姿に何故憧れてしまうのか。
そしてもう一つは自分たちが正しい、自分たちが一番優秀だと思い込んでいる人間という生物への疑問でもあるのだろう。
人間社会で生活する羽目になったヘルボーイ、エイブ、リズたちは利用される時は利用されてもその異形さや尋常でないパワーを結局は忌み嫌われてしまう。
それでも人間に好かれたいと思ってしまうヘルボーイに「私だけがあなたを好きでもいいじゃないの」と問いかけるリズの気持ちが切ない。
悪役であるヌアダ王子は決して間違ったことを言っているわけではなく、彼の手先となる植物モンスターを倒す羽目になるヘルボーイは躊躇する。そして人間を救ったヘルボーイに対する人間の態度は彼を侮蔑するだけなのだ。
戦いが終わった後、ヘルボーイたちは人間社会から離れる決意をする。ハッピーエンドのはずなのに、どこか物悲しく苦い味がするラストなのだ。

これは無論そのまま人間界とモンスターたちの物語として観ていいのだが私にはなんとなくヘルボーイたちが俗にいう「おたく」たちのように思えてしまう。
世間から疎ましがられ気持ち悪がられる彼らの様子がどうしても「おたく」たちのように見えてしまうのだ。
彼らの破壊的なパワーや優れた頭脳は「おたく」たちが「普通の人」たちに見せつけてやりたいという願望のように思えてしまう。
彼らは彼らの世界においてその異形な存在のままのびのびと自由に振る舞えるのだ。
私が彼らの世界に強く惹かれてしまうのはやはり自分もそこの住人であるからなのだろう。

ニューヨークの街角でそうしたモンスター世界への入り口がある、というのもわくわくする設定ではないか。
日本なら『げげげの鬼太郎』世界への入り口があるような感じ。怖いけどちょっと入り込んでみたくなる。

ヘルボーイのキャラクターが大好きなのだ。男らしくて優しくてちょっとだらしないけどかっこいい。リズが羨ましくてしょうがない。リズにも憧れる。怒ると火となって燃え上がってしまう。ヘルボーイのことをとても愛していてチャーミング。
相棒のエイブも魅力的。今回は彼のラブストーリーが泣けるのだが、二人とも愛する女性に優しくてロマンチックなところがとてもいい。この辺はメキシコ人であるデル・トロ監督の持ち味でもあるのだろうな。

リズがヘルボーイとの間にできたお腹の中の子供が双子だということを告げてエンド。第3話はファミリーでの活躍になるんだろうか。

寂しかったのはTに登場したマイヤーズ役のルパート・エヴァンズが出てなかったこと。南極に左遷ってそりゃないでしょ。あんまり残念がっている人もいなさそうだし。でも少しでいいから出て欲しかったなあ。

監督:ギレルモ・デル・トロ 出演: ロン・パールマン セルマ・ブレア ダグ・ジョーンズ ルーク・ゴス ジェフリー・タンバー ジョン・ハート ジェフリー・タンバー
2008年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベン・ウィショーとPJハーヴェイ

さてこのブログ創始当時から決めごとのようのしていたことをとうとう変えてしまいました。
そう大げさに言うこともないですがそれは右端のプロフィール写真。
例えその時どきでお気に入りの役者などができてもいつもそこはジェイ・チョウだったんですがついにベン・ウィショーになってしまいました。松ケンの時ですら変えなかったのにー。
まあ、そのくらい今のめり込んでしまっているんですねえ、ごめんジェイ。
ということで何故かこの季節に暑苦しい冬支度(秋くらいかな?)のベン・ウィショーです。脚の組み方もキュートで少年のように可愛らしいではないですか(^_^;)
ずーっと下って下の写真もヌードあり、いじけありのベンであります。

ところでいつもベン情報をくださるはーやさんからメールをいただきまして(またまたこのブログのコメント欄に不具合があったようで^^;)
その文章をここにアップさせていただきます。

「こんにちは、フェイユイさま。

数日まえ&今日、書き込みをさせていただこうかと思いましたが、
どうもエラーになってしまって、こちらにメールさせていだだきました。

写真がベンに替わってましたね〜☆見たことない写真でドキドキしてます。
ほんとーに、冬のロンドンっ子ってカッコしてますねー。

Chriminal Jusiticeですが、これはベンという素材で遊んでやろうと仕組まれたドラマだったのですね…。
シャワーは、一人で浴びてたという記憶がしますが、どうしてなんだろう。
もしかして、シャワールームでレイプされた…されてないわけないっ(笑)…っていう前置きが密かにあって、
ベン君のみ特別措置なんでしょうか?(後半部分はレンタルCDの配達を待ってる状態で確認できてないんです)

ちょっとご意見を伺いたいのですが…ベンはPJ Harveyという女性シンガーが大好きとのことで、
以前のインタビューで彼女になれるものならなってみたい… というような発言してるのですが、
それってどういう心理だと思われますか?彼女は細くって、クリーチャーと呼んでもいいような個性的な顔立ちで気がつけば
ベンの女性版か?って思うくらいなんですよねー。好きになった相手になってしまいたいという願望は
同性愛にはよくあるパターンってことらしいんですけど、異性になってしまいたいって…。
まあ、私もベンになってみたいですけどね。うぷぷ。

それでは、また〜!

はーや」
「PJ Harveyですが、ベンは彼女の時には赤裸々でダークな世界観が大好きのようです。特に彼女の『White Chalk』(3-4年位前にリリース)というアルバムは当時毎日聞いていて『このアルバムは僕の友達』っていう発言まであります(これは、どこで読んだか覚えてないんですが)。Philip Ridleyの舞台だかにも彼女の音楽が使われていたようですし、色々と繋がりがありそう。男子が女子になりたい…っていうのが、私には新鮮で、まあよく洋服のデザイナー(ゲイに多し)とかがある一定のモデルをミューズとして、広告などに起用するパターンとか多いことを考えると、まあ納得できるんですけどね。ベンは『彼女のような人生を送れたら面白いだろうなー』とか言ってて、単なる憧れとも違うような…。まあ、文章を読むと軽い調子で言ってて、シリアスにはあんまり取れない感じもしますが、女子になってみたいと言うベンがあまりにもかわいいですよねー。

そのインタビューは↓こちらです!ちょっと古いです。
http://www.whatsonstage.com/index.php?pg=207&story=E8821152280487

『Chriminal Jusitice』ベンのシャワーシーンの理由!そういうことだったのでしょうか!!!
気になりますねー。これはもう一度観てみないと!
それにしてもこのドラマは絶対ベンの為に企画されたとしか思えませんねー。こういう映画も期待したい。
そして私は初めて聞いたPJ Harvey。気になって検索したらなんだかベンによく似た女性(笑)だし、歌はなるほどベンが夢中になるだけあって凄く素敵だ。私も好きになりそう。
で、彼女の歌『Dry』の歌詞
「体液のない私のアソコ
私は上手に舐めているわ
真っ白になるまで
でも、あなたは私を濡れさせないまま」

Sheela-Na-Gig
「淫らな女
股を拡げてみせる
お前は露出狂だ」
ですと。
うーむ、こういう歌が大好きなベンなのですねー。すてき。
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なんとなくベンに似てる?かっこいい。


これかっこええ〜。

ベンが好きだと言うPJ HARVEY "WHITE CHALK"


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これどー見てもベンみたいなんですけど(笑)
しかもこれも
pj_3.jpg
女装ベン?^^;

PJハーヴェイ、『White Chalk』に込められた清らかさとシンプルさ
そうかあ。今日初めて知ったので偉そうなことは言えないけど、初めはなんだか過激なセクシャル系だったのにこんな綺麗な歌を歌っているという、これもベンを思わせるような気がしますねー。

ベンのことは知れば知るほど好きになっていく気がします。しかもまだまだ彼のことはほんの少ししか知らないのです。
もっと色んな才能や感性を持っているんだろうな。うーん、そういうことを感じさせてくれるベン。どんどん深みにはまってしまいそう。

おまけ:ベン主演の『My Brother Tom』 [DVD] [2001]
もう購入済みですがUKから出るのですねー。
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posted by フェイユイ at 00:37| Comment(4) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

『ファニーゲーム U.S.A.』ミヒャエル・ハネケ

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FUNNY GAMES US

というわけで『ファニーゲームU.S.A.』である。
もしかしたらオリジナルまんまかな、と思っていたが本当にまんまであった。作品自体が「ふざけ」気分を持っておりのだからリメイクもしっかりふざけているのだ。

冒頭のセリフ一連から昨日観た直後なのでまんまなのであるが、やはり少し気になった部分を修正しているが何故的な修正もある。
記憶力が乏しいのでもうすでに忘れかけてはいるが例えば、白い門だとか、キッチンの感じだとかそこでのカメラの位置は同じみたいだ。
だが殺した愛犬をアンが探す場面で車の位置が何故か違ってカメラから縦方向で横のドアじゃなく遠い横向きになっていて死体が後部ドアから落ちることになる。どういうこだわりなのか、気まぐれなのか。
オーストリア映画の時はシェパードだったがこちらでは違う犬種になっているのは御愛嬌だが。
またパパがティム・ロスになって若干弱そうになりママはナオミ・ワッツなので観る者としては少し綺麗どころで嬉しいかも。昨日はヌードなどの見どころシーンはない、と書いてこちらもないのだが、ママが服を脱いだ後あちらバージョンではデブくんがすぐ何かを着せてくれたのにナオミは下着のまま、これが一番の違いかもしれん。
またティム・ロスパパは見た目は弱そうだけど昨日のパパが痛さでかなり悲鳴を上げていたのにこちらはかなり我慢。二人組が途中去った時泣く声もあちらパパは大声で慟哭と言う感じだったのにティムは耐えている感じ。
ママ役としてはあちらママはデブくんの失敗に最初からかなり苛立っていたがナオミママのほうはかなり我慢していて好感度がある。
全体的にはパパはオーストリアバージョンがママはアメリカバージョンのほうがいいかな。
息子君はどちらも同じくらい。気のせいかアメリカバージョンのほうが途中逃げる場面が短かったような。袋をかぶせられた時、顔が浮かび上がるのはあちらはなかった気がする。
さて犯人。実は私はマイケル・ピットが嫌いなんである。あの顔がどうしても駄目で。美形とか書いてあるけどほんとに嫌な顔なのね。ということはかなりそれだけでアメリカバージョンはイライラしたの。相棒もアメリカバージョンの「デブ」は嫌な感じ。オーストリア版のほうが一見よさそうに見えるところが怖いのだから映画としてはあちらの二人組のほうがいいのだが、単に嫌悪感を持つ二人組、ということなら断然マイケル・ピット組。あの真ん丸な目と口がたまらなく嫌だ。オーストリア版の彼のほうが私的にはハンサムに見えるんだが。デブくんも可愛かったし。

後、細かいとこで昨日は「どうしてこの夫婦は携帯を一つしか持ってないの?」と思ってたらUS版ではダンナが「僕のは車の中だ」というシーンがあった。
また御祈りが「お願いですから天国に行かせてください」というのが「朝までお守りください」になってた。
そんなこんなでハネケ監督も少しだけ修正なさったようだが全体的には全く変化なし、と言っていい。とにかく大きな違いはママが服を着せてもらったか、下着姿を暫く見せることになったか、だけだ。

一体なら何故わざわざハリウッド版リメイクをしたのか。
もともとオリジナルがこれ以上ないほど上手くできているのに、「ハリウッドでリメイクを作らないか」と持ちかけられたハネケ監督が「前のどこを変えろと言うんだ。いや変える必要はない」とふざけてそのまんま作ったとしか思えない。
出演俳優たちは多分オリジナルを観ただろうが、まんま同じ台詞演技をどういう気持ちでやったんだろう。舞台なんかだったら同じ芝居でももう少し演出の違いなんていうのもありそうなものなのに。
このオリジナル作品自体がハリウッド映画のパロディというがまさにハリウッドをからかったとしか思えないではないか。
他にもハリウッドはしつこいほど各国のリメイク映画を作ってるわけだが単にオリジナルを観ればよいのに。そんなにアメリカで製作したものでないと観れないのかねえ、と首を傾げるしかないのである。まったく同じものでもアメリカ製がいいのかい、とハネケさんは言いたかったのかも。いいやお金は出してくれるんだし。自分も儲かるし、とかさ。

まったく同じなので今日の作品自体の感想は昨日と同じだ。
ただ同じものを莫大な金額を使ってリメイクする、というふざけた意味は伝わってくる。

監督:ミヒャエル・ハネケ 出演:ナオミ・ワッツ ティム・ロス マイケル・ピット ブラディ・コーベット デヴォン・ギアハート
2007年 / アメリカ/イギリス/フランス/オーストリア/ドイツ
posted by フェイユイ at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月02日

『ファニーゲーム』ミヒャエル・ハネケ

funny-games.jpg
FUNNY GAMES

かなりのキワモノという評判のようだったのでどんなブチ切れ映画かと恐る恐る観始めたのだが以前観た『隠された記憶』でもそうだったように巷にある単なるスプラッタやゲテモノ趣味のホラーなのではなく静謐な中に突然不協和音が響くような、やり過ぎない(と言うと語弊があるかもしれんがもっと残酷なことやることのみに興味があるならできるのだがここまでで抑えているのが奇妙な品格さえ漂わせて気持ちが悪い)でいるのも恐怖をさらに増しているのではないだろうか。

幸せそうな家族の楽しげな休暇に出会った二人の青年の言動に主婦が感じたちょっとした違和感と苛立ちが始まりで家族はとんでもない異常な事態に陥っていく。
ハリウッド製スリラー映画のパロディらしいが自分としてはこういったごく普通の人々が突然関係もない人間によって殺傷されるという事件が次々と起きる昨今においては映画とパロディというより現実を写し撮ったという風にしか見えない。
若干、作中の人物がカメラ目線で観客に語りかけたり最後にはこの映画こそが虚構であり虚構こそが現実だ、などということで「これは映画だ」と現実に引き戻されはするがもしかしたら今のこういった犯罪者はどこかで映されていることを感じ、カメラ目線でこういう台詞を現に言っているかもしれない。

虚構のような犯人たちに比して家族たちの恐怖と怒りと悲しみは極めてリアルに表現され、悪ふざけのような男たちの残酷ないたぶりを観る者はイライラしながら眺めているしかない。ハリウッド映画なら男たちの悪行は途中までで最後は彼らが完膚なきまでに叩きのめされ撃ち殺されることですっきりするわけだが、そういうカタルシスは微塵も与えてはもらえない(そういうカタルシスっていうのも酷いもんだが)
映画とはこうあるべきだ、という欲求は全く無視され最初から最後まで観終わっても何一つ救いのない作品にむかっ腹が立ち怒りの置きどころもないわけなのだが、よくもここまで嫌悪感だけの映画をしかも品位を落とさずに作れるものだと感心してしまう。
何しろ暴力をふるう場面、レイプシーン、裸をさらす、殺害場面など普通こういったホラー映画の見どころになる場面はまったく映されないのだ。そういう場面はなしにほぼ会話のみで観る者にこれ以上ない嫌悪感・不快感を与えてしまうのだから。
映画に癒しだの教訓だの愛だのを求める方は鑑賞後憤死してしまいそうだ。

ラストに次の家庭のドアを開け意味ありげな男の表情で終わるなどいかにも「次はあなたの番かも」みたいな(そんな楽しげに言われても)んで非常に上手くまとめられたサイコホラーの秀作の一つだと思うのである。

次は同監督の『ファニーゲーム U.S.A.』を観る予定。ハネケ監督もよくやるが私ももの好きかな。

監督:ミヒャエル・ハネケ 出演:スザンネ・ローター ウルリッヒ・ミューエ フランク・ギーリング アルノ・フリッシュ
1997年オーストリア
posted by フェイユイ at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

『悪夢探偵2』塚本晋也

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前作がとても面白くまた松田龍平の味がとても活かされた作品だったのでかなりの期待で観たのだがそれを上回る面白さだった。

前作もそうだったが松田龍平=悪夢探偵が活躍する前に依頼者である少女の葛藤が描かれていく。それで思ったのは昨日観た少女が迷路に入りこみゴブリンとともに或いは戦いながら大切な弟を探すのが一時代前のラビリンスなら現代のラビリンスはオカルティズムなのかもしれない。
しかしここでも少女が両親から見放された状況だという設定になっているのもそうした不安定な精神の少女がゴブリンもしくはオカルトの世界に入り込んでしまう、ということなのだろうか。

悪夢探偵の前に現れる少女雪絵の依頼がやや強引で自分勝手なことに苛立ちを覚えてしまうがそれは彼女の心がやはり歪んでいることの前説だったと後で知る。
雪絵は気に入らない同級生の少女菊川夕子を仲間を使って酷いイジメを行う。恨みを持ったその子が夢に出てきて雪絵たちは苦しみ仲間二人は死んでしまう。残った雪絵は菊川に殺されてしまうのだろうか。
というような物語は他にもよくある筋書きなのであるが、悪夢探偵である影沼京一は最初から雪絵を快く思ってはおらず、むしろ彼女たちが忌み嫌って苛めた上に復讐されると恐れている菊川に心を惹かれているのである。
それは京一の母親が菊川によく似た精神を持った女性でその為に自分は殺されかけもしたのだが、それでも京一は母親に思慕を抱いているのだ。
普通なら気持ちの悪い悪霊というか生き霊として退治されてしまう存在の菊川を京一が優しく抱きしめ慰める場面は今までのオカルトものにはない癒しを感じさせられるのだ。(先日観た『永遠の子供たち』に似たものがあるが)
京一が初めから雪絵に対し「菊川に心から謝らなければ夢から逃れられない」と言っているのに雪絵は菊川に恐怖しか感じられず「謝っているのに」と苛立ってしまう。
京一は菊川には怒りはない。ただ怖がっているだけだ、と悟る。
それは彼の母親がいつも世の中のすべてのものを怖がりついに子供である京一にも恐怖を感じて殺そうとしてしまったことを知っていたからなのだろう。
「世の中が怖い」そういう思いは皆の心に大なり小なりあるものだろうが異常に感じてしまう人々にはそれが心を閉ざすことになり場合によっては歪んだ間違った行動へと発展してしまうこともある。
この作品で菊川が再び登校し彼女を見た同級生たちが微笑むことで希望を与えてくれた。
また雪絵は菊川のから恨まれているという恐怖から逃れることはできたのだろうが人の心が読めてしまう、という重荷を科せられることになる。
母親から殺される夢を何度も見続けていた京一はまるでそのことが夢だったかのように優しくハンバーグを作ってくれる母の夢を見る。
だがそれは夢であった。
母がハンバーグを作っていた台所は夢の中のことで現実には錆びた流しがあるだけ。
いつもしかめ面をしていただけの京一がわあわあと泣きだす最後には耐えきれない悲しさがある。

ほんとに松田龍平は観る度に好きになってしまうのだが、以前好きでなかったということが信じられないくらいいい顔だと思う。
今までの色んな役がいいものだったが、この悪夢探偵はダークなかっこよさが彼にぴったりである。
年をとってもいいタイプの役者のようの思えるからますますいい役者になっていけるのではないだろうか。
ところで彼のお父さんである松田優作は私の世代の特に男性にはカリスマと言っていいほどの人気を持っていたが私はそれほどファンと言うのでもなかった。というか彼の人気というのはやはりアクションもののイメージで自分的には男性ファンのように憧れるというものではなかったのだった(もちろん女性ファンも多かったのだが)
最近になって彼の話を聞いたりするとアクション俳優のイメージがありすぎて彼自身はもっと違う演技もしたかったらしい。それでまだ観てなかった『それから』を観たのだがそれまで思い込んでいた松田優作とは違うとてもいい味を持っていてこれを早く観ていたら好きになっていたかもしれない、と思ったものだ。
彼の息子である龍平くんはアクションというのはあまりないと思うし実に様々な役を演じている。パパの優作さんが息子龍平くんの仕事ぶりを見たら随分羨ましく思うのではないだろうか。しかし時代がそうさせなかったのもあるし無論彼の出生も時代背景が原因がしていないとは言えないが。
そういえば優作氏は一重の目を気にして二重手術をしたのらしいが、龍平くんはくっきり一重だけどメチャハンサムであるのは皆が認めるところだろう。この辺も時代の違いなんだろうか。
無論アクションものに出なかったら優作があんなに男性の憧れのスターになることはなかったんだろうけど。
龍平は父親のような激しい人気者ではならないだろうけど、私はやっぱり優作氏は息子が羨ましいだろうな、と思う。

この最後辺りの文章は優作氏をさほど知らない私が勝手にイメージして思ったことではあるのだが。もし全然違うのならお許し願いたい。

監督:塚本晋也 出演:松田龍平 三浦由衣 韓英恵 松嶋初音 安藤輪子
2008年日本
posted by フェイユイ at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月30日

『ラビリンス/魔王の迷宮』ジム・ヘンソン

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Labyrinth

ジム・ヘンソン監督であのデヴィッド・ボウイがゴブリンの王を演じているという物凄く豪華な作品なのだが、こちらは記憶なく初見なのだろう。
いつもながらマペット達が気持ち悪く不気味で物語も面白く丹念に作られている素晴らしいファンタジー映画であった。

主人公を演じるジェニファー・コネリーが美しくてとても愛らしい。少女期にこういう優れたファンタジー作品の主役ができるというのは恵まれているのじゃなかろうか。
一人でゴブリン世界に浸っているような今ならオタク少女なのだが、変に媚びた設定にせずとても少女らしい魅力にあふれている。
ゴブリンの王がデヴィッド・ボウイのような美貌であるというのは少女の夢を表しているのだろう。金色の長髪にいかにも彼らしい艶やかな衣装を着た魔王は彼の特別なファンならずとも見惚れてしまうかっこよさだ。
映画の冒頭に(ここではサラ自身が)語られる言葉が物語を意味しているというのは昨日観た『神に選ばれし無敵の男』同様ファンタジーの鍵となる。
またサラが自分で言った言葉が弟を魔王のところへ追いやってしまったというのも面白い設定で彼女は我がままだった自分の失敗を自分で償うことになる、という戒めも含んでいるのが子供向けらしく意味深い。

ところで大好きなデル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』も少女が主人公だったわけでやはり迷路には少女が似合うのだろうか。そして醜悪なゴブリンやクリーチャーと美少女という組み合わせはマニアックなエロスも感じられるわけである。
サラが不可解な迷路を探っていく様子は『不思議の国のアリス』のようでもあり色んな謎ときや奇妙な敵と戦いながら可愛いサラが懸命に頑張る姿を楽しめるのである。
ゴブリンから渡された果物を食べて「弟を探している」という記憶を失ったサラがその記憶を取り戻す場面は一番緊迫感のある名場面ではないだろうか。
彼女がそれまでこだわっていたぬいぐるみなどを「がらくた」だと言い、弟を取り戻すことが自分の願いだったと思いだす。

やっと辿り着いた魔王の城の内部も面白く、エッシャーのだまし絵が再現されそこを魔王とサラと弟トビーが歩き回る。
魔王の言葉でこれまでの魔王の仕業は実はサラ自身の誤った願いだったということがわかる。
だがサラが成長し本当に大切なものは何なのかを知ることで偽りの魔王は無力となる。
さてここまでだとそれは正しいことではあるがまるでなんだか少女の夢を全部失ってしまったかのようで寂しいではないか。
最後の最後でサラがゴブリン達をいつまでも必要としている、と言うことでゴブリン達との別れはないのだと示される。これはもうゴブリン達を愛する作者側の願望でもあるわけで決して夢の国を忘れ去ってはいけないよ、と言っているようだ。夢の国を思うことはとても素晴らしいことなのだから。

監督:ジム・ヘンソン 出演:デヴィッド・ボウイ ジェニファー・コネリー シェリー・トンプソン
1986年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『神に選ばれし無敵の男』ヴェルナー・ヘルツォーク

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Herzog

この映画はタイトル的にとても気になっていたのに何故先延ばしにしてしまったのか、本当に悔やまれる。
と言ってもこんないい作品がまだ未観であったというのも嬉しいことではある。他にもまだまだ早く観とけばよかったというのがある、と期待できるからだ。

とにかく面白い、いい作品だった。映画というのはこういう風にリアリティのある落ち着いた物語でありながら謎と不思議を含んでいるものであって欲しい。そういう欲求を満たしてくれる上質な映画なのである。実話でありながら童話のように感じられる味わいがとても素晴らしいのだ。
実在の人物を題材にしているわけなのだがナチスドイツが台頭してくる前夜という時代背景も興味深いし、何といっても主人公ジシェとハヌッセンの対照的な位置づけに惹きつけられる。

ベルリンで「オカルトの館」を経営するハヌッセンと言う男は実はユダヤ人でありながらドイツ人であると装いしかもナチスの「オカルト相」に任ぜられることを望んでヒットラーらの占いをし勝利を収めると予言するのだ。細身の男でありながらナチス軍人たちを牛耳っているかのような堂々とした立ち居振る舞いをしいつも華麗であることに誇りをもっているが、同じチェコ出身のピアニスト女性にはサディステッィクなまでの暴力をふるう謎の男であり狡猾な男である。
一方のジシェはポーランドの田舎町で父親と鍛冶屋をしているユダヤ人である。彼はユダヤ人であることをナチスの前ですら隠そうとはしない。人前で話すことが苦手な純朴な青年であり誰にも負けない怪力と見事な肉体を持つ。
ユダヤ、と言えばイメージするのはハヌッセン的な人物かもしれない。利口で金儲けに長けていてきちんとした服装の男である。ジシェのような怪力男がユダヤ人だというのはピンとこなかったのだがなるほど「サムソンとデリラ」のサムソンを思い起こさす男だったのだ。

冒頭でジシェが自慢にしている利口な弟が兄に聞かせる話がある。海辺の岩礁にびっしりとうごめく蟹の中をジシェが弟ベンジャミンを抱えて歩いていく。そしてベンジャミンは兄の手を離れて空へと舞い上がる。
ジシェが現代のサムソンであるということ、彼が己の脚にくぎを打ちつけて死んでしまうこと。様々な暗示が込められているのだ。

狡猾な悪の男ハヌッセンは俳優ティム・ロスが素晴らしい演技を見せているが善良な大男ジシェを演じるのは素人であるヨウコ・アホラである。その筋肉にも見惚れるが印象的な純朴さは彼でなければ表現できないものだったのだろう。小さな弟ベンジャミンとの兄弟愛にも打たれるのだが、いつも神を信じて行動するジシェの純粋さに心惹かれるのである。

ヘルツォーク作品は短編を除けば今回が初めてだった。この作品は申し分なく大好きな作品になった。


俳優としては素人のヨウコ・アホラの魅力は掛け替えのないものだ。
DVDの表紙絵が彼だったらもっと早く観たかもしれないのだが(笑)
と言っても今回みるきっかけになったのはウド・キアーが出演していたからなのだが。粋にこだわるドイツ貴族を演じていたが独特のハンサムぶりは健在だった。

監督:ヴェルナー・ヘルツォーク 出演ティム・ロス ヨウコ・アホラ ウド・キアー
2002年ドイツ/イギリス
タグ:歴史
posted by フェイユイ at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月28日

ベン・ウィショー『Criminal Justice』再び 3・4・5

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criminal justice

さてこの前の続きで第3話から観始める。相変わらずベンの表情を眺めるのみ。

前にも書いたがとにかくTVは顔のアップがうれしい。目の色がはっきりゆっくり見れるのは映画よりTVドラマのほうだろう。
ただでさえ怯えっぱなしのベンくん。裁判中にママが出て行ってしまったのに動揺してしまう。なんとか刑務所内から家にいるママに電話したいあまりにいつもベンをいじめるおっかないスキンヘッド男から煙草と交換で携帯電話を借りるのだ。
ママと心が通わず泣きながらくの字の格好で寝てしまうベンは心細い小さな子供みたいでかわいらしいのだ。
そして目が覚めると枕元に置いたはずの携帯電話がなくなっている。ベンはスキンヘッドを見つけてたちまち肝を冷やして逃げ出してしまう。走り出した囚人を見て慌てて鉄柵が閉じられたためにベンは鉄柵に顔面衝突して鼻血を出してしまう。
この演出って一見間抜けなんだけどベンがやると何故か妙に色っぽくなってしまうんだよね。柵にぶつかって崩れるように倒れ込むのが痛々しく。
鼻血で顔を真っ赤に染めて鼻にコットンを詰めてもらって痛がっているってシーンなんだが。
その上叫んでいる裸の男が無理やりシャワーを浴びせられるのを見てまたまた怯え怯え。
男たちにおさえつけられ注射されてしまう場面もいいですねえ(こんなこと言っていいのか)

第4話はベンのシャワーシーンがあり。
その後はいくら正直に話そうと試みても自分を弁護できるどころかどんどん窮地に追い込まれていく可哀そうなベンを見続ける。
次第に憔悴して青ざめか細くなっていく様子に己のサディステッィクな感情が高まっていくのである^^;
目にいっぱい涙がたまってうつろに左右を見回し、小刻みに体をふるわせることでなんとか恐怖を紛らわせているのだ。
検察の鋭い追及に涙と鼻水がとめどなく溢れてぐちゃぐちゃになってしまい尚やまない問いかけに顔を伏して掌で疑いを押しとどめようとする姿が切ないではないか。数ある裁判ものでもここまで泣きっぱなしなのはあまりないかもしれない。
責め苦の法廷から逃れ弁護士のフランシスにキスを求めるがそれも拒否されてしまい再び檻の中に戻されるベンの顔にはあきらめのようなものが漂い始めている。
ただ一人の保護者と思えたフーチに対し疑惑を抱かされますますベンは孤立しすべてが信じられなくなっていく。

第5話。ついにベンに有罪の判決が下り、刑務所内で働きだす。これまでのどうなるか判らず怯えきったベンではなくなり自暴自棄と言うような表情。うつむく横顔が綺麗なのだが。
もう誰が何を話しかけても感動を失ってしまったかのように無表情のベン・コールターのその顔がとても魅力的に思えてしまうのはどういうものか。
ベッドの上に膝を抱えて座るベンの遠くを見るまなざしの透き通った瞳と細い脚に見惚れてしまう。
そしてフーチの命がけの行為でベンは放免されることになるのだが、今まで体験したことのない恐ろしい経験が彼の心を暗くしている。
以前は無邪気にフットボールを楽しんだ彼が柵の中で競技に興じる若者たちを眺め寂しげに見ているのがそれまでのベンと違ってとてもかっこいいのだ。

本当に残念なのはとても面白そうな法廷内のやりとりが理解できない自分なのだが、変化していくベンをじっくり見れるだけでもこのドラマはとても観る価値のある作品だと思う。
posted by フェイユイ at 22:03| Comment(3) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする