映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年11月15日

『今宵、フィッツジェラルド劇場で』ロバート・アルトマン

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A PRAIRIE HOME COMPANION

最近になってロバート・アルトマン作品をぼちぼちと観続けたのだが、晩年になるほど面白くなっていくような凄さがあるな。
これなんか、年寄りの為の年寄りによる映画という風情で思い切り渋いのだが作り方はエネルギッシュで情熱溢れると思うのだがどうだろう。

『ゴスフォードパーク』では素晴らしいオールドイングリッシュな世界を楽しませてくれたアルトマン監督がここでは戻ってじっくりアメリカの演歌的世界を堪能させてくれる。
実を言うとカントリーって凄く苦手で聞きたくはないのだが、もしこの映画をそのまま日本に置き換えて演歌というか昭和の歌謡番組の年取った歌手たちの話にしたなら(昭和歌謡曲も一部を除いてかなり苦手)どちらも歌もだがあの雰囲気というかあの人間関係というかあの感じがたまらなく鳥肌ものなのだ。
というとこの映画なんてまったく観れなくなってしまいそうだが、そういうゾゾゾ感も含めて極めて演歌調のこのムードを楽しませてもらったのだった。アルトマン監督でなければ、さすがに受け入れがたかったかもしれない。
最後のダイナーで出演者たちが今後の話をしている光景なんかも思い切り日本的演歌的に見えてくるのは何故なんだろう。あの雰囲気。

打ち切りになるラジオ番組の公開生放送の模様の舞台上と舞台裏をなんとも上手く取り混ぜながら出演者たちの人生を物語っていく。
歌手たちは誰もかれも年取った男女で打ち切りにならずとももう引退してもいいような年齢。だが、歌を愛し歌い続けたいと願っている。
長年続けてきた番組だから出演するのもなんだか余裕ありである。それぞれがそれぞれの持ち味を生かして歌っていく。
そこへ一人登場する若い娘。出演者の一人(メリル・ストリープ)の愛娘なのだが生き生きとした老人たちと違い自殺だとか殺人だとか死のことばかり興味を持っているのがおかしい。そういうものなのかもしれない。
だが突然の演出で娘が歌い始めるとこれが凄く愛らしくやはり瑞々しいのである。年老いた者から若い者へやはり歌は受け継がれていくんだろう。

アルトマン作品は前回でも唸ったが勢いがある半面実に細かい部分にも色んな細工をしているというさすが熟練工の腕前なのである。
登場する人の名前や台詞にも抜かりなく面白さを加えている。
美人の天使役も特別な意味があるのだろうなあ。無論彼女は天使で死へと誘うのであるから、彼女の姿を見た最後の彼らは。

これがアルトマン監督の遺作となったのだが、最期に我が身と重ねながらも彼らしい皮肉めいた面白い作品を作るとは。
まったく持ち味の変わらない技量にも感心するしかない。

監督:ロバート・アルトマン 出演:ウディ・ハレルソン メリル・ストリープ トミー・リー・ジョーンズ ケビン・クライン リンジー・ローハン バージニア・マドセン リリー・トムリン ギャリソン・キーラー
タグ:人生 音楽
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2009年11月14日

『ニジンスキー』ハーバート・ロス

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Nijinsky

昔からバレエというものに憧れの目を向けてきてそのくせあまり知識もない私である。
ニジンスキーという名前は多分山岸凉子『アラベスク』で知っただろうか。この映画を観た時は写真でしか見ることのできないニジンスキーの素晴らしさを少しでも知ることができたような感動があった。
彼と彼の保護者で才能の理解者であったディアギレフとの関係や伝説として聞くことしかできない彼の並はずれたバレエを観ることができたような気がした。無論本当のニジンスキーの跳躍を再現することは不可能だろうし、物語の真実というのは判るはずもないが、そう言ったことを抜きにしてとても優れた作品だと思う。
当時は監督がアメリカ人だというのが奇妙に思えたのだが、ロス監督自信ダンサーで振付家で他にも多くのダンス映画を作っているのだから至極頷けることである。
とはいえ当時、アメリカ人映画監督の作品でここまで主人公とその庇護者が同性愛関係にあることをはっきりと描いているのはまだ珍しかったのではないだろうか。そこら辺は昔の外国人だからというエクスキューズがつくのだろう。

ディアギレフを演じたのはアラン・ベイツで、無論私が知るわけもないがまさにディアギレフという人はこういう人だったのではないかなあ、と思わせてくれる。多分実物よりハンサムになっているのではないかとも思えるし、はっきり言って嫌な感じの男なのだが、ハンサムさでほっさせてくれるかも。
驚きだったのはニジンスキーである。一体彼を演じきれる人がいるんだろうか、イメージ的にかけ離れていては嫌だと思ったものだが、昔観た時も今もとても可愛らしくて魅力的なダンサーを選んでくれたものだと感心してしまう。
確かに写真で見ることのできるあの超人的な太腿の太さではないし、全体的にほっそりとしている男性ではあるが、小柄でまっすぐな黒髪であまり彫りの深すぎないやや東洋人ぽいワスラフを感じさせてくれる(私としてはニジンスキー本人の体つきが凄く好きなのだが)次第に心が離れていくディアギレフを一途に思う表情が痛々しい。昔観た時はそうまで思わなかったのに捨てられて狂気の世界に入っていく彼が酷く悲しかった。彼の場合、捨てられなくてもいつかはそうなる運命だったのかもしれないが。
ニジンスキーの伝説の跳躍を観ることは叶わないが幾つかの写真で彼の放つオーラを感じとることはできる。
全体にずんぐりとした体つきで顔も繊細な面立ちでもないのだが(都会的というより確かにロシアの大地を耕す農民なのであろう)酷く愛くるしい笑顔に惹かれてしまう。本当に純粋な薔薇の精のような存在だったのではないかと思ってしまうのである。
映画でのジョルジュ・デ・ラ・ペーニャはそんなニジンスキーを魅惑的に再現してくれているのではないだろうか。
ディアギレフとの場面でもそうだがやはり舞台に立つニジンスキーの演じるものに憑依されたかのような踊り。
薔薇の精の愛らしさ、牧神のあの眼差しはエロチックでゾクゾクしてくる。舞台では観ることはできない映画ならではの視線で彼の魔性を映しだしていく場面は恐ろしいほどの緊張感がある。
ニジンスキーがのめりこみ過ぎて狂気を垣間見せる『春の祭典』の震える踊りの凄まじさ。
逆に愛らしいテニスをバレエにした『遊戯』にも見惚れてしまう。
そして『ペトリューシュカ』の踊りはまるで彼自身とディアギレフを表現しているようでおどけた悲しさが込められているではないか。

他で知った彼らの物語とは違う部分も多々あるが、ニジンスキーの素晴らしさを想像させてくれる素晴らしい映画だと思う。

惜しむらくは今この映画を観る方法が殆どないのではないかということだ。
有名な映画監督作品であるし、題材も有名なのにどうしてDVD化されないのだろうか。
変な映画は溢れているのに優れた映画が埋もれ過ぎている。
(と嘆くことの何と多いことか。いい映画をどんどん観れる時代はいつ来るんだろうか)

監督:ハーバート・ロス 出演:アラン・ベイツ ジョルジュ・デ・ラ・ペーニャ  ジェレミー・アイアンズ 
1979年イギリス
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『美しすぎる母』トム・ケイリン

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Savage Grace

すっごく見せたがらない作品、というのか説明をしようとしかけてこちらが身を乗り出すと止めてしまう、というのを繰り返されていくので消化不良のまま進まざるを得ないのだが、物語が非常に刺激的で映像的にも美味しいものを目の前に出されるので最後まで食いついて観てしまうのだが、結局なにを食べさせられたのか、よく判らないのである。

つまり何を食したのか判らない者、この味が理解できない者は仕方ない、という作者の思惑なのであろう。
それはそれで気になる料理法であってもう一度食べてみたい気にもなるのだから個性的な調理人として評価すればいいのではないだろうか。
私の好みとしてはもう少しメインディッシュに食らいつきたい不満があるが。
とはいえ、こういう出し惜しみにヒントが見え隠れし、謎解きをさせてくれる映画というのは決して嫌いではない。

さてこの作品は最初から息子の母親殺し、というのが題材であると言われているようなので最後の場面があっと驚く落ちなのではなく、どうしてそのような結末になったのかということを観客は始めから考えながら観るのであろう(と言っても私は実はこういう話だと知らずに観てしまったのだが)
つまりこれは「息子の母親殺し」というより母親によってそうなるようになってしまった息子の話ということなのである。無論父親も関係はするが。
ここで思い出したのは山岸凉子の『スピンクス』というマンガである。と言っても内容は全く違うのだが、この主人公の少年は何もすることができないように部屋の中で女のスフィンクスに見張られている。ところが一人の男性が少年を心から心配しスープを飲ませることによって彼をスフィンクスの呪縛から解き放つことができる、という精神医療の物語なのだ。
本作の主人公トニーは一見自由のようでいて母親から離れてしまうことができないでいる。中で「彼女の面倒を見る、という遺産を受け継いだ」という台詞があるように母親に付き添うことが彼の仕事になっている。それは普通の少年なら面倒くさがってしなような母親に対する朝食の世話や怪我の手当てなどを優しくしてあげることに見てとれる。無論それは少年の優しさ、親孝行と言ってよいのだが、少年が親に持つべき反抗期という部分が欠落しているように思える。それは少年の成長過程で必要なことなのだが。

父親が不在になってしまうことで少年と母親の関係はさらに強いものになっていっただろう。
母親はある程度確信犯だろうが子供である少年にそれは間違ったことで子供は成長すれば親元から飛びださねばならないのだと気づくことができないのは仕方のないことかもしれない。彼にとっては母親の面倒を見てあげる、というのは課せられたことだったのだから。
母親と息子の関係と言えばルイ・マル監督の『好奇心』があるがいかにもフランス的な明るい個人主義に徹したあの映画の関係と違い本作の二人は一見自由そうで実はがんじがらめに緊縛された関係の息苦しさから逃れられることができない。
母親を殺した後、ほっとして空腹を感じてしまうほど彼にとって母親の存在は早く済ませてしまいたい気になる仕事だったのだ。
だが、それでも愛する母親を殺した、ということが彼の精神を歪ませてしまう。というよりもっと前から少しずつ狂い始めていたのだ。母親と交わった時から、母親のセックスの相手と自分も関係した時から、さかのぼっていくと彼の歪み方が次第に酷くなっていったのがわかる。
母と父親ではない別の男が寝ているのを見て彼が「母の為に自分は変わろう」と言って自分も傍に横たわる。それが異常なことであることは確かなのに彼は母親の為にそうするべきだと思ってしまった。母親の為にそう思わなければならなかったのだ。

少し前に観た『ヘンリー ある連続殺人鬼の記録』でも主人公が母親から異常な虐待(母親の性行為を強制的に見せられるなど)を受け続けたことが語られていた。本作の場合は富裕層であることですべてが優雅で母親の容姿も美しく上品に思えるが行為自体は同じなのだ。
また母親の言動は悲しいかな、やはり上流階級の奔放さとは違いやはり貧しい出自の浅ましさが露見している。彼女は上流階級に憧れただけでその中で自由に振舞えるような女性ではなかったのだ。

富裕さだけが目的で結婚した彼女の精神が歪み亀裂がはいっていく結末を息子によって終止符を打たせるなんて惨いことだ。そして彼自身も親殺しという最大の罪を自殺と言う罰で購わなければいけなかったのだ。

息子トニーを演じたエディ・レッドメインがこれ以上望めないほど滅茶苦茶に可愛い。白い肌にそばかすというのが母親役のジュリアン・ムーアとそっくりである。酷く細身でかりっとした硬そうな顔立ちが魅力的である。母親と肉体関係を持ち、最後には殺害して狂っていくという異常な行動も彼が演じていると儚げで愛おしく思えてしまうのは困ったものだ。
また何度となく出てくる同性愛の場面も自然で美しい。ここら辺の場面だけ切り取って保存しておきたい。
私としては母親なんぞ置き去りにしてジェイクと駆け落ちでもして欲しかったのだが、そうなると生活ができない人間なのだからどうしようもないか。やはり人間額に汗して働くのが一番貴いことなのだという教訓も感じてしまう作品であるな。

監督:トム・ケイリン 出演:ジュリアン・ムーア スティーヴン・ディレイン エディ・レッドメイン エレナ・アナヤ ウナクス・ウガルデ ヒュー・ダンシー
2007年 / スペイン/フランス/アメリカ
posted by フェイユイ at 00:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

必要もないのに脱ぐベン

はーやさんから、これもまた垂涎のベン画像いただきました。いつもありがとうございます!!
以下、メールからのコピペ。

「あまり鮮明ではないのですが、
数日前に買った『Wonderland』という雑誌からの写真をお送りします。
BRITISH TALENT SPECIALというタイトルがついてる号で
ベンもそのひとりとして紹介されてます。
記事の写真はトロント映画祭での滞在中に撮影されたものらしいです。
黒いペイントを両頬にべたべた塗りつけてるのはテンペスト・アリエルを
モチーフにしてるんでしょうか?基本的にファションブランドがからんだ
フォトシュートらしいのですがが、必要もないのに、また脱いでるベンです☆」

とのこと。ではどうぞ〜。


Wonderland1.JPGWonderland2.JPGWonderland3.JPGWonderland4.jpgWonderland5.JPGWonderland6.jpg

一番最後の覗きこむように何かを見ている横顔が小さな男の子のようで
たまんないんですけど。。
ベッドに横たわっているのもエロチックでよいです。

いつもですが、はーやさんから送っていただかなかったら目にすることはできなかったであろう貴重な写真の数々!本当にありがとうございます!!
posted by フェイユイ at 09:38| Comment(4) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月12日

『それぞれの空に』ニール・バーガー

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THE LUCKY ONES

これはちょいとなかなかいい作品だった。ティム・ロビンス作品を観続けてさすがに後になってくると彼の元々の持ち味だったコメディ性が薄くなってくるか、主役でなくなってくるか、と思っていたのだが、本作は驚くような物語ではないとしても人生や戦争や運命などに色々な含みがあることを感じさせるよく考えられた佳作ではないだろうか。

ベトナム戦争後に過酷なシェルショックに苦しみ周囲の人々からは冷ややかな態度を取られるという兵士の映画が数多く作られた。その訴え方は劇的なものであったがこのイラク戦争中の退役軍人及び休暇中の若者二人の語り口はやや軽めなものになっている。
とは言え、彼らがやはり仲間と死に別れ、次は自分かもしれない、という恐怖や離れていたことからくる周囲とのすれ違い、そして批判を受けるのは同じことなのだが、この軽さはやはり時代のせい、ということなのだろうか。

物語は偶然帰国が重なった中年退役軍人と休暇中の若者男女がアメリカ国内線飛行機の不具合でレンタルカーを相乗りする羽目になったことから始まる。

イラク戦争従軍中に腰に怪我をして退役することになったチーバーを演じるティムの役は相変わらずでおかしい。
愛妻家である彼が2年ぶりに帰国すると妻の生活がすっかり変わっていて恋人はいないが一人で生きていたいと通告されてしまう。あなたはもう必要ないと。しかも一人息子がスタンフォード大学に合格したという嬉しい知らせが彼に2万ドルの入学金の用意しなければならない。
さらに彼が勤めていた会社は倒産。八方ふさがりの状態に泣き出してしまうありさま。

そんな彼に同情する二人にも運命は甘くはなく、TKは怪我の為に不能になったのが治ったのはいいものの結局婚約者とは別れ、突然軍に戻ることが嫌になり、強盗だったという虚偽の自首をするがすぐにばれてしまう。それまで自意識が高かったかれが「自分は何も知らないのだ」という認識をすることになる。
コーリーは戦死した恋人の両親の家を訪れ彼らと住むことを願っている。彼の両親とは会ったこともないという彼女の願望が叶うわけはないと考えるチーバーとTKは心配する。
嫌な人たちだったらと懸念された両親は非常にいい人たちで、しかし実はコーリーの恋人ランディには一度関係した女性と二人の間にできた赤ん坊がいたのだ。両親は息子の行動に責任を感じ彼女を引き取って暮らしていた。コーリーの居場所はなかったのだ。

チーバーは息子の入学金を軍に再入隊することでもらえる金で支払うことにした。
3人は再び別々の場所へ従軍することになる、という幕である。彼らの命がどうなるのかは誰も判らない。

という軽さが却って恐ろしい物語でもある。
彼らが帰国して味わう様々の体験は苦いものが多いがこうして慰め合える仲間に出会えたということだけは救いである。彼らが国の為に戦ってきた、と言っても彼らを迎える態度は冷ややかな批判的なものばかりである。彼らを受け入れてくれたのは戦場だけであった。

ティムが久しぶりに彼の持ち味を生かしてしかもチャーミングに演じていたのが嬉しかった。妻に愛想を尽かされた後、別の女性に好かれると言うのも彼らしいが、何故か浮気現場を押さえた亭主からも襲われそうになるという落ちがついてて、これもティムらしい展開。何故かいつも男に襲われる男なのである。
主演3人が3人ともあまり冴えないキャラクターであるのも共感しやすいし、運命の皮肉さにも同情してしまう。
何のために彼らは戦っているのだろう。

TKという青年が酷く自分に対し自信を持っていたのに自分の無力さを思い知ってしまうのは痛烈だった。
普通こういう映画って意味もなく3人が(もしくは2人が)肉体関係を持ち場面が出てくるものだけど、そういうわざとらしいものがないのもほっとさせてくれる作品だった。

ティムが可愛かったのが一番よかったかなあ。

監督:ニール・バーガー 出演:ティム・ロビンス レイチェル・マクアダムズ マイケル・ペーニャ モリー・ヘイガン ハワード・プラット
2008年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ティム・ロビンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今更なのだが『ウホッ!!いい男たち』に夢中

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今頃この漫画に夢中になっているというのは恥ずかしいことなのかどうか。と言っても決してこの漫画自体が恥ずかしいわけではなく、そういうものに物凄く興味があるのに今までその存在を全く知らず、ホントはちょっとタイトルだけ見ていたにも関わらず反応してなかったことに対して恥じているのだが。

というわけでかなり前にネット上で盛り上がったという山川純一の名作『ウホッ!!いい男たち~ヤマジュン・パーフェクト』なのである。

私もしっかり動画で興味を持ったクチなのだが、今ではマンガ本もしっかり購入し阿部さんと小早川大尉に毎晩見惚れているしょうもない奴なのだが。

告白すると実は流行りのBLだとかゲイマンガとかを全く読んだことがない。もしかしたら自分が物凄く好きな世界があるかもしれないと思いながらなんだかつまり縁がなかったわけなのだが、とうとう繋がりができてしまった、ということなのか。
好きなのはやはり最も有名な阿部さんが登場する『くそみそテクニック』(なんつータイトル^^;)大感動号泣ものの小早川大尉出演『地獄の使者たち』そして『男たちの夏』はあの『ブロークバックマウンテン』から影響を受けた?と思ったのだが小説自体がこの漫画より随分後で書かれて(あちらで)いるのだからそうではないのだが、ひと夏を山でやりまくるってのはやはり夢なのかしらん。『男の約束』もいいなあなどと読みふけってしまうのだ。
ヤマジュンさんがこの漫画を描かれていた当時は出版社の意向とそぐわず、つまり男らしくないとか女っぽいとかいうことだったらしいのだが、自分的には充分男らしく且つタイトル通りいい男たちで阿部さんを筆頭に凄く好みだったりする。相手役の道下くんも可愛いしね。

というわけで今没頭中の『ウホッ!!いい男たち』なのである。

更にこちらも『ウホッ!!いい男たち2 ヤマジュン・未発表作品集』
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えと、動画は恥ずかしいんでここへ行ってください。
くそみそテクニック フルボイス

あと山川純一さん関係
posted by フェイユイ at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月11日

『DEAN/ディーン』マーク・ライデル

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JAMES DEAN

実在の人物を演じる中でも有名な映画俳優を演じるというのははっきりとその姿が記録されているだけにやりにくいだろうし、特にジェームズ・ディーンは個性的でもあり熱烈なファンも多いのだから大変なことだろうなと思いながら観始めた。
なるほど確かにやや真似し過ぎというのか演技過剰のような気がしなくもないが同じジェームズであるフランコもディーンと同じようなのめりこみ型の俳優じゃないかと思えるせいもあってちょっとぞくぞくするような作品であった。

本当のディーンもこのような感じだったんじゃないかと思わせるような笑い方である。人懐こくてなんだかかまってやりたい気にさせる。
物凄く感情的でドキリとする行動をするのだが、それが酷く印象的で頭から離れない。
この作品のフランコにはまるでディーンが入り込んでしまったのじゃないかと思わせてくれる。
それにしても本当に細くて可愛らしい若者なのである。

ジェームズ・ディーンの映画『エデンの東』と『ジャイアンツ』(それと端役のも)は少し前に観たのでまだ強烈な記憶が残っている。
『エデンの東』の物語は優れた原作とはかなり違ったものなのだが、そんなことはどうでもいいと思えるほど心を揺さぶられる作品となって生まれ変わっている。それは本作でも演じられたキャルが父親にすがりつくシーンなどに現れている。父親役の俳優が戸惑うほどこの場面はディーンが作ってしまったキャルなのだ。
私は映画は観ていたがディーン本人がこのように父親との深い確執があるとは知らなかった。
『エデンの東』は彼そのものだったのだ。あの悲しみが溢れるような演技は大げさなものではなかったのだ。
ディーンはピア・アンジェリを愛していたことからも絶対的なゲイなのではないのだろうが、映画人に多いゲイの男性相手にもあまり反感を持つこともなく甘えていたのを見ているとやはりそこに父親の愛情を見ていたのかなとも思わせる。映画のスタッフたちを家族だと言って泣き出す場面は彼の辛い少年期を見ているとぐっときてしまう。

ついついフランコが演じているのだということを忘れてディーンのことを思い出してしまう。
走る列車の上に座ったキャルが寒さのあまり自分を抱きしめるようにする場面は彼の心をそのままあらわしているようだった。誰もが彼の姿に自分を重ねてしまうに違いない。

ジェームズ・フランコは後ではかなり体を鍛え上げているが、ここではまだ華奢と言う言葉が合っている。細いズボンのウエストがだばだぼとして見えるほどに細く、首や胸もまだ少年ぽい。悲しそうな表情とはっとするほどの笑顔を持っていて絶えず観ていたい気持ちにさせられる。
ほんとにこの間、ディーンが舞い降りて着てたんだろうな。
短いTV映画だがディーンとフランコの両方を愛してしまう、そんな作品だった。

監督:マーク・ライデル 出演:ジェームズ・フランコ マイケル・モリアーティ ヴァレンティナ・チェルヴィ エンリコ・コラントーニ エドワード・ハーマン
2001年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

今夜も魅せます。ベン・ウィショー画像

ふぇでり子さんからベン・ウィショー画像いただきました。今夜はもう眠れない?もしくはベンの夢をみましょうか。

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なお
「髭なしのドレスアップした画像はmail onlineのHamlet keith Richards poet john keats ... ben wishaw on why
it's tough to take the leadという記事にありました。」
だそうです。
→Hamlet, Keith Richards, now poet John Keats... Ben Whishaw on why it's tough to take the lead

Read more: http://www.dailymail.co.uk/home/moslive/article-1222770/Hamlet-Keith-Richards-poet-John-Keats--Ben-Whishaw-tough-lead.html#ixzz0WT80fdAV


posted by フェイユイ at 23:59| Comment(4) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ピーターラビットとなかまたち こねこのトムとこぶたのピグリン編』ダイアン・ジャクソン

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The World of Peter Rabbit and Friends

少し前にレネー・ゼルウィガーが演じたビアトリクス・ポターの映画を観て思った以上のいい作品で可愛いアニメも共に非常に楽しめた。
それは私もピーターが好きだからなのだろう。ビアトリクスはまさに絵本書きの理想のような生活を送った方のように思えてしまう。(勿論私は絵本書きではないが。もしそうだったらやはり憧れてしまうと思う)

ピーター・ラビットのアニメはTVで放送されていたのをぼちぼちと観る機会が何度かあったのだがどうしてもピーターとベンジャミンの話を観ることが多く、確かにあれは物凄く可愛いし、何と言ってもピーターが主人公なのだから文句はないが一度きりしか見ていないこぶたの話をもう一度観たくてこのDiscを借りてみた。

『ピーターラビットと仲間たち』のDisc2に収録されていて他2話を観ることができた。
またTVで観たのとは違いそれぞれの話の前後にビアトリクス・ポターが緑あふれる風景をスケッチ中に雨が降り出し慌てて家に戻り、留守番をしていたぴーたーと一緒にお茶を飲みながら子供たちに出す手紙の内容を考えるという実写が付いている。なかなか楽しい導入と終わり方である。

まず
「こねこのトムとあひるのジマイマのおはなし」
この物語は何度もTVで観ているが物凄くブラックな怖い話である。
仔猫のトムたち兄妹がいたずらでお母さん猫を困らせる話と着ていた服をアヒルにあげてしまう話は他愛もないのだが、家畜であるあひるのジマイマが自分で産んだ卵を自分で温めて孵したいと思う話が恐怖なのだ。
アヒルは卵を孵すのが下手らしくて鶏が卵を孵すのを自慢げにしているのが気にくわないジマイマは自分でやると決心する。だが飼われている農場の中では自分の思うようには何もできない。
ジマイマは農場の外で一人だけで卵を産み温めようと場所を探す。そこへ現れたのが紳士面した狐で、彼はジマイマとその卵を食べてしまおうと甘い言葉で彼女を騙し自分の家を提供すると言いだしたのだ。
お人よしのジマイマは何も気づかずそこに9個の卵を産み落とす。その途端狐は豹変しジマイマを襲おうとするのだが、勘の鋭い農場の番犬がジマイマを救う。
だが番犬が補佐を頼んだ猟犬たちがうっかりジマイマの産んだ卵を食べてしまうのだ。
ううう。
番犬さんが「これが自然の掟なんだよ」と慰めるのだがなんとも生々しい話で、自分の子供を助けに来てくれた人達が何と自分の子供を食べてしまうというのは狐に食べられるより気持ち悪く感じられるのだが。
ポターの話はこんな風で半端じゃない恐ろしい部分を描いているのである。やらなくてもいいのだが、どうしてもこの辺人間に当てはめて考えてしまいそうな気がする。
「あなたのように親切な紳士はしません」と感謝した相手がこんな恐ろしい計略を持っていて、なんとか逃げだせたかと思えば現実はもっと厳しい、という、苦い話である。
結局ジマイマは農場内で卵を自分で孵すのだが4羽しか孵りませんでした、というまたしてもきつい現実があるのだった。

「ひげのサムエルのおはなし」
またも悪戯仔猫たちの話。一時もじっとしておらず全く言うことを聞かない子供たちにへとへとになる母親だが、そのうちの男の仔猫がとんでもない悪戯心で煙突の中に入り込み、自分よりでかいネズミの夫婦に捕まってプディングにされそうになる、というこれまた怖い話。
仔猫より大きいネズミって考えたくもないのだが、いるんだろうなあ。これもまた擬人化でお母さんの言うことを聞かないとこんな怖い目にあいますよ、というよくある童話なのだが、物凄く太ったネズミと痩せたおかみさんネズミにグルグル巻きにされてプディングにされてしまう、というちょっとユーモラスな光景が怖いやらおかしいやらでやっぱりうまい。
お母さんというのはどこでもがみがみうるさくてでもすぐ子供を心配してメソメソしてしまう。子供たちも言うこと聞かないくせに危なくなるとお母さんに助けを求める。そんなもんですね。

「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」
さてさてお目当てのこぶたの話。
うーん、豚たちがあまりにお馬鹿で心痛い。この話が一番印象的だったのはやはり物凄く怖かったからで、なんだかピーターラビットの話ってみんな怖いんだねえ。この物語は特にもう物凄く怖かった。
農場にいるお母さん豚が子豚達を世話しているんだけどある日、もう面倒みきれないと言って子供たちを他の農場や市場にいかせるの。これってどういう運命なの。だって豚の運命ってもう決まっているよね。ある程度大きくなってよそに行くっていうのはさ。
泣きながら荷車に乗っている子豚たちが憐れな(いや私だってちゃんと食べてますからね。別に偽善的になるつもりはない。ないが)
そして主人公ピグリン・ブランド(なんつー名前)とアレキサンダーは二人で市場へ行きなさいとお母さんに言われる。
ピグリンは結構賢い子なんだけどアレキサンダーは食いしん坊でそそっかしく落ち着きがないの。大王の名が泣くよ。
お母さんは二人にポターさんからもらったという通行許可証を渡すのだが、これがないと豚が勝手に出歩いて市場へ行くことは許されていないのである。
アレキサンダーは何も考えてないがピグリンは市場へ行くと皆にじろじろ見られるのが嫌だ、自分だけの家を持ってその庭にジャガイモを植えて暮らしたい、と願うのである(ここんとこスタインベックの『二十日鼠と人間』みたい)
彼らが市場へ行くってことはすぐではなくてもいつかは食料となるわけでそれが未来だとしながらそこへ向かって行く、というこれもまたブラックで人間たち、特に私らのような豚的人間たちにとっては恐ろしい表現ではないか。
だがピグリンたちはその未来の虚しさを知りながらもそこを目指すしかない運命を背負うしかない。彼らはそれを把握しながらも打破できないでいる。彼らには結局食べること、寝ることなどの目の前の問題が重要で流されてしまうのである。
しかしここでピグリンは自分よりもっと運命に翻弄されているような少女豚に出会うことで力強く生きること、逃げ出すことを決心する。
いまいち状況がよくつかめていない少女豚を励ましながらピグリンは人間の家を脱出する。
あの橋を越えれば自由になれる。
だがそこに辿り着く前に別の人間に出会ってしまった。彼は挙動不審な豚たちを尋問し調べるからそこで待ってろと脅して行く。
多分それまでのピグリン達はそう言われると動けなかったのかもしれない。
だが今のピグリンは勇気と知恵を絞り、人間が戻ってこれない距離を見計らって自由への橋へと走り去る。
少女豚と共にピグリンは願いだった自由をつかんだのだ。

ああ怖かった。
どの場面もなんだか怖いのだ。ピグリンたちの運命は食べられる為に生きている、ということだから。
市場へ行くことは一人前になって食されるという仕事につくことだ。
それを感じながらピグリンはそこへ向かっている。食べれば太るのだが、勧められるままに食べてしまう。
出会った少女豚は彼よりもっと楽天的で逃げなきゃと言いながらよく判っていない。
なんだかもう現実をここまで違う世界に変化させて表現できるってどういうんだろうと思いながらぞくぞくと恐怖を感じながら観てしまう。
人間たちは「よく太ってきたわい」とにたついている。
ピグリンが少女の手を取って自由への橋へ走りだした時はどんな映画よりどきどきしてしまった。
二人がジャガイモと花でいっぱいの一軒家に住めただろうと信じたい。
子供たちも市場へ行かなくていいのだと。

監督:ダイアン・ジャクソン
1992年イギリス
タグ:アニメ
posted by フェイユイ at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする