映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2006年09月30日

「ターネーション」ジョナサン・カウエット

ターネーション2.jpgターネーション.jpg

不思議に幸せな気持ちになるそんな映画だった。
と思うのはおかしいのだろうか。

虐待を受け続け(と少なくとも思っている)精神に歪みが生じた母親とそんな母親から切り離されたジョナサン・カウエットが幼い日からの自分の姿の実録をつなぎ合わせまた様々な映像をコラージュして作り上げた作品。
と言ってしまえばすぐ終わってしまうが、一人の母親である女性と一人の少年ジョナサンの苦痛・恐怖・愛する事への欲求は一言ですむわけがない。

激しい色使い、悪夢を見ているような映像、神経を苛立たせるような細かいぶち切れのショット。
父親は息子がいることすら知らないらしい。母親を虐待した祖父母に育てられた。
少年ジョナサンは切り離された会えない母親に思いを寄せている。母親を愛しているのだ。
薬物を使用したことで脳に異常を覚えながらもジョナサンは成長する。ゲイであることを自覚してもそれに対しては罪悪感はないようだ。
「普通の人々」の目から見ればその人生は「異常な」とか「可哀想な」とかあるいは「唾棄すべき」という形容詞がつくのかもしれない(薬物使用という点において)
だがそれでもジョナサンは人生を歩んでいく。大人になり俳優という職業に就き映画を撮るのだ。
そして母親との交流を持ち、父親とも30年たって出会う事になる。30年たって初めての父母子のひと時。若かった両親は互いをどう見ているのだろう。それまで親子としての繋がりのなかった父親と息子は。

どうしても父親(ジョナサンの祖父)とよりを戻せなかった母親をジョナサンは引き取り共に住む事になる。
かつてはモデルでもあった美しい母は年をとり眠っている。ジョナサンはその傍らでそっと身を寄せて目を閉じる。
「世界は美しい」という声が聞こえる。

彼らの人生を羨む者はいないだろう。凄まじく悲しく辛い日々だったのだから。
だけどこうして長い時を経て寄り添うことができたのだ。それだけでもいいのではないだろうか。

監督・脚本:ジョナサン・カウエット 製作総指揮: ガス・ヴァン・サント ジョン・キャメロン・ミッチェル ヴァネッサ・アルテアーガ ライアン・ワーナー 出演:ジョナサン・カウエット レニー・ルブラン デヴィッド・サニン・パス ローズマリー・デイヴィス
2004年アメリカ

追記:この感想の最後の一言を「藍空」の「ブエノスアイレスの夜」の記事でも書いたような。
「ブエノスアイレスの夜」結末の行方
記事タイトルどおりそのままネタバレですのでご注意を。
若い頃はすべてが上手くいく幸せ、すぐ手に入れられる幸せでないと納得いかなかったような気がするが年を取るにつれ人生ってのは綺麗におさまることばかりじゃなくてもいい。かっこ悪いこと、無駄なような事、他人から見たら不幸に見える事でもいいのじゃないか、生きていると言う事が凄いことなのだから、という気になってくる。
願わずとも死は誰にでも近づいてくるからなのであろうか?
辛い時があってもまた幸せを感じる時もあるのだから。
ラベル:家族
posted by フェイユイ at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「バーディ」アラン・パーカー

バーディ.jpg

自分にとっての青春時代(の終わり頃?)の映画と言えばこれがその一つ。一番映画館に行っていた頃でもあるが、一人で小さな映画館に何度も通ったのだった。

アラン・パーカー監督と言えば社会派というレッテルが貼られているようだけど私の中ではあまりそういうイメージではなく、わけのわからない(と自分には思える)世間に混じることのできない若者が自由を求めてもがいている映画という印象が強い。それは先日観返した「ミッドナイト・エクスプレス」とこの「バーディ」においての印象なのかもしれないが。

「ミッドナイトエクスプレス」では麻薬密売によって言葉の通じない外国(トルコ)の刑務所にぶち込まれる、「バーディ」ではベトナム戦争にいったことで精神に異常をきたしたといった問題提議がなされているがそれは主人公の青年をそういった状況に置く為の「装置」なのであって本当に語りたいのは「そういった状況・そのような社会」の中の人間特に若者の「心の揺れ」を描きたいだけなのだ、と受け止めている。

特にこの「バーディ」では戦争の場面はその恐怖を伝える僅かな時間に限られており多くは鳥になることにしか興味のないバーディとその彼を見守る友人アルとの話で占められている。

とは言え、もし平和な時間の中で生きていけたならバーディはもっと緩やかに自分だけの世界に落ち込んでいったかもしれない。
彼が戦地で死の恐怖を味わう事で急激な精神破壊を受けてしまったことで友人アルは混乱してしまう。
常識的なアルは(つまり普通に女の子に興味があり、未来にも確信を持っていたはずの)常にバーディを見守っているつもりだった。
そのアルこそがバーディが自分の一部であり、なくてはならない存在だと気づいたのだ。
そこへ到る過程は胸に迫るものがある。

アルを演じるニコラス・ケイジ、まだ髪がふさふさのタレ目系ハンサムで魅力的だ。
鳥好き青年・バーディを演じるのはマシュー・モディン。筋骨隆々のケイジよりさらに大きな体だがその心は繊細だ。小さな美しい雌のカナリアに恋人にするかのようにキスをする。
彼は最初アル役でオーディションに来ていたのだが引っ込み思案な性格がバーディに向いているというので決定されたという。
セリフを言わせることもなくその表情を見るだけで充分と監督に思わせたのだ。
性格はまったく違うのに深い友情で結ばれているアルとバーディの物語を何度見直したことか。
20年たった今見返しても次に何を話すのか判るほどだった。
アルがバーディに思いを打ち明ける場面は素晴らしい。突然話出したバーディが医師には何も話さないので何故だと聞くアルに「奴に話すことはないよ」というのがいかにも内向的バーディらしい。

涙がこみ上げてくるような情感がありながらも全体の雰囲気は明るく愉快なのも好きだった。
最後の驚きはアルとバーディがこれからも親友として共に歩いて行く未来を感じさせるものであった。

監督:アラン・パーカー 出演:マシュー・モディン、ニコラス・ケイジ
1984年アメリカ
ラベル:友情
posted by フェイユイ at 00:06| Comment(4) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月27日

「ウィンターソング」(如果・愛)陳可辛

ウィンター.jpg

「如果・愛」が「パーハップスラブ」じゃなく「ウィンターソング」として11月日本公開されることになったのですねー。
確かに寒い冬のイメージの映画です。

で、見直してみましたが、やっぱりいい映画でした。幻想的で美しいロマンチックラブストーリーとして心に残る作品です。

特に北京でのスン(周迅)とリン(金城武)(名前がどう訳されるかわかんないけど(笑))の生活が貧しいがゆえに甘くてよいのですよ。
ラブストーリーで若い時のふたりは絶対貧しくなくちゃいけないね。
その貧しい感じが凄くいいんだよな(繰り返しただけだな)勿論クリストファー・ドイルが抜群に綺麗にとってるってのはあるけど雪の降る日、狭い部屋で恋人同士寄り添っているという世界ほど羨ましいものはないでしょ。

物語はチ・ジニを水先案内人として語られていく。過去を忘れてしまった女と彼女を愛する二人の男。
男と女の恋情はミュージカル映画と現実の間を交錯する。

「ふたりの人魚」でもそうでしたが周迅はこういういくつかの人格を表現するミステリアスな役が素晴らしいですね。
大柄な金城武の横にいるとよりか細さが強調されて可憐というよりないです。歯軋りも彼女だと妙に可愛らしく感じるから不思議。
迫力あるんですがいつまでも少女のような雰囲気の人です。
金城くんはまあほんとに可愛らしい男性ですねー。スンをずっと思い続ける役がまたいじらしい。帽子姿がキュートでした。
張学友さん、歌の上手さを見せ付けてます。周杰倫も言ってましたが、中華世界で好きな歌手って必ず張学友ってみんな言うような気がします。そのくらい人気の方なんですね。私はどうしても役者のイメージが強いですが。
チ・ジニ。やっぱ笑顔がいいですね。男性的魅力溢れております。

日本のオフィシャルサイトは「愛」と言うのを強調してるイメージですがあちらのは妖しい雰囲気があってそこが好きなんですけどね。
ちょっと見比べてください。


以前の記事「如果・愛(PERHAPS LOVE)」ピーター・チャン
posted by フェイユイ at 23:12| Comment(4) | TrackBack(3) | 香港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月26日

「ロッキー・ホラー・ショー」ジム・シャーマン

ロッキーホラーショー.jpgロッキー4.jpgロッキー2.jpgロッキー3.jpg

最初知ったのはアラン・パーカーの「フェーム」だったかもしれない。映画を観ながら大騒ぎしてるのが驚きだった。
とにかくチープな仕上がりでこれで映画なんだからこれまた驚きなんだけど低予算映画が好きな(笑)私としてはそれもまた魅力の一つなのだが。

そのチープさも含めて楽しく愉快ったらありゃしないのである。でも確かに実際これを大勢で映画館で観ながらわいわいがやがや、コスプレで参加、米を投げたり、水鉄砲したり歌ったり踊ったりしちゃうんだからもうその興奮たるや。
舞台は雨の中の古城。妖しげな召使に導かれるとそこではとんでもないパーティが繰り広げられていた。という具合である。
ティム・カリーのフランクリン・フルター博士(?)の過激なスタイルは今見ても迫力。すべての性倒錯ものの原典と(いや詳しいわけじゃないので適当に言ってますが)言えましょうか。

監督:ジム・シャーマン 出演:ティム・カリー、スーザン・サランドン、バリー・ポストウィック、リチャード・オブライエン 
1975年 イギリス
posted by フェイユイ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

めざましで「王の男」

今朝、めざましテレビ見てましたら「王の男」メンバーが!
運悪く(というか見てただけよかったが)洗面所にいて声が聞こえたので慌てて目を向ける(すぐ側)
イ・ジュンギきれいー。カム・ウソン「イ・ジュンギの側にいて唇を見てたらよだれが出ました」てなこと言ってませんでしたかっ?いいんですか。そんなこと言ってっ。日本にいるからつい本音をもらしたのか?慌ててみたのでイマイチ確信がないが(笑)
それだけなんですがちょいと「王の男」報告でした。
posted by フェイユイ at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月25日

「英雄」張芸謀

英雄.jpg

この面白さをどう表現したらよいのか。国を奪った為に命を狙われる秦の王と復讐者無名との会話は絶妙のものである。

この秦の王とは誰なのか。王は言う「わかったぞ。この剣という文字の極意が。剣の最高の境地とはついには手にも心にも剣を持たないことなのだ。つまり平和を求めよ」復讐者・無名は奪われた趙のために王の暗殺を志していたが残剣の「命を奪うな」と言う言葉に修行に費やした10年をフイにしてしまう決意をする「王よ、その境地を忘れないでください」
無名は王を必ず殺せるはずの剣を捨て背中を向けて去る。
その背中を見送る王に家来達が叫ぶ「王の命を狙った者には死あるのみ、と王自身が言われたはず。ご決断を」
王は迷うが無名に死の宣告を下す。
平和の境地を知ったはずの王のこの行動は一体どうしたことなのか。

金庸武侠においても大昔の時代に物語を置きながら実は毛沢東と文化革命を批判するものというのがある。(例えば「笑傲江湖」)
おおっぴらに批判のできない世界での実に芸術において戦うという表現である。

秦の王の姿を借りながら彼は毛沢東を意味している。秦に滅ぼされた趙国は文化(ここでは字を書くこと)を重んじている。
(不勉強の為、実際の趙がどんな国だったかは知らない。この映画においてその役割を果たしている)
趙の人々は習字を学ぶ間に膨大な矢の攻撃を受ける。が、老師匠は「私達の文化・芸術を守る為逃げてはいけない」と自ら矢の嵐の中に座り字を書き続ける。一旦逃げ出した弟子達も師の姿に続き矢を背中に受けながら字を(芸術を)続ける。
それは監督・張芸謀をはじめ多くの傷つけられ殺された芸術家達の姿なのだ。
残剣・飛雪・長空ら優れた才能を持つ者たちも弾圧され隠れていなければいけなかったのだ。

王は自ら「平和を求めるのが最高の境地」と悟りながらもそれを教えてくれた無名を殺す。なんという無駄な死!だがこの時殺されたことで秦の王はその死を忘れることはできなかったろう。

無名という名前はなんだろう。
つまりは特定の誰かではないのだ。あるいは言いたくても言えないのかもしれない。
文化革命のために弾劾された多くの芸術家たちの魂の名前なのかもしれない。張芸謀もその一人であるだろう。

残念なことにこの映画はその仕上がりがあまりに美しく華麗なためにまた中国武侠と言う形式をとったためにそれに目を奪われその肝腎の主張が隠されてしまった。
しかし監督自身が映画製作において主張を隠した形で表現するのが目的なのだから観る者はその真実を掘り返して観るしかないのである。
(だがしかし「綺麗だけど内容がないね」という批評は耐え難いものがある。せめて「そう見せてるのさ」とほくそ笑むしかあるまい)
決して張芸謀の作りが判りにくいわけではないのだ。
むしろこれ以上ない簡潔さでその感慨を表現し得ている。この映画で驚く事の一つはその短さである。このような華麗な大作ものというのは大概うんざりするほど長い映画になりがちだが、詩の世界といっていいほどそぎ落とされた美しい作品になっている。

とは言え、私自身はこの張芸謀美学の世界を心底堪能した。
冒頭からしての形式美、また色彩による心理の変化、膨大な兵達の脅威(この表現は米映画「アレキサンダー」にも影響を及ぼしてるよな)雨の中の戦いの繊細さ、水の上の愛の表現、 など陶酔しつつ見つめていた。
また出演者の魅力。秦の王・陳道明の素晴らしさ。声にも聞き惚れる。マギー・チャンの美しき横顔、魅惑の眼差し。
華麗な剣の舞に見惚れながら隠された真実を見る、という武侠ものの醍醐味をたっぷり味わったのである。

監督:張芸謀 出演者:李連杰 トニー・レオン マギー・チャン 陳道明 チャン・ツィイー ドニー・イェン
2002年・中国
ラベル:武侠 張芸謀
posted by フェイユイ at 07:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月23日

依然范特西・再び

依然范特西が届いて最初にCDについての記事を書いたのが12日だから10日たちました。あれから毎日「依然范特西」の日々なのですが、やはり聞き込むほどジェイの歌はよくなってきますねー。
そしてこの10日の間にじぶんなりに訳詩もしてみました(笑)最初の記事はいきなりの印象、というものでしたからやはり訳してみない事にはなかなか判らないものです。
で、ここで改めて感想を(笑)

1.夜的第七章の印象はあまり変わらず。霧深い倫敦での殺人事件という私好みです。
2.聽媽媽的話 詞:周杰倫 曲:周杰倫ということでジェイが敬愛するお母さんへの思いが溢れた歌。聞いているほどにジェイの気持ちが伝わってきてこれは心に残るいい歌ですねー。凄く記憶に残りやすいフレーズだし一番一般に普及しそうな感じ。
3.千里之外(周杰倫+費玉清) 今更ナンですが、どの歌でもそうなんですが方文山の歌詞って素晴らしい(笑)中国語を理解できたらもっとその凄さが判るのでしょうけど、なんとか訳をしてわかるくらいでも方文山の歌詞の美しさ、巧みさというのはうならずにはいられませんね。それがジェイの曲と共鳴した時の感動というのは筆舌に尽くしがたいものがあります。
この歌詞はかなり美文調なのですが新鮮な美というのも感じられますね。薄い蝉の翅のような未来という表現にも感じられます。
4.本草綱目 曲調はがらりと変わるが方文山の歌詞の濃厚さ。漢方薬にかけながら中国の文化(歌)を賛美する。その上他人の模倣をすることの批判も。苦味の効いた歌です。
5.退後 一方このような何気ない感じの(失礼)歌詞もあり。ただ歌詞を見ながらジェイの歌をじっと聞いてるとその旋律の上手さに聞き惚れる。
6.紅模[イ方]これも本草綱目のように模倣に対しての批判が歌われてますが、もっと直接的ですね。悲しい曲調がジェイの気持ちを表してます。でもってちょっとおちょくってもいますね。
7.心雨 またもや方文山マジック。普通の詩のようで深みのある感じ。情景が浮かんでくるような美しい描写です、
一番最後の1小節が綺麗です。
8.白色風車 これって前も感想書いてないんですが、今回も何言っていいのか(笑)何も言わなくていいのかな。ちょっと私には表現しにくい歌であります(笑)
9.迷迭香 必殺コンビ。悩殺コンビか。今回一番気になるこの歌。ジェイにこの歌を歌わせるか(って本人が曲作ってんですがね)
こんなにセクシーなムードのある曲って今までなかったし、ジェイもこんなに思わせぶりなしっとりした歌い方ってしてないですよね。
ささやくような女性的な歌い方でジェイの新しい魅力ではないでしょうか。
といってもまだまだ可愛らしい感じがしますけどねー。
以前はアルバムの中に元気のいい楽しい歌があったのが最近なくなっていますが、代わりにこういうアダルトな雰囲気のものが出てきてうれしいです。
日本に来て杉本彩さんにあった時のどぎまぎしたジェイが可愛かったものですが。なんとなく思い出してしまいました。
10.菊花台(滿城盡帶黄金甲主題曲)
方文山あんたは凄い。この格調高い歌詞、そしてこの打ち寄せる悲しみ溢れる曲を作ったジェイの素晴らしさ。
Mintさんのコメントにもあったのですがこの曲を聴くと自然に涙がこぼれます。初めて聞いた時は歌詞はわからず曲を聴いて泣けたのですからそれはジェイの力ですねー。映画のテーマ曲になってるわけですがこんな悲しい物語なのでしょうか。夢在遠方という言葉が胸をうちます。悲しい表現ですが遠い所にあるのですから夢がないということではないのですよね。この歌と映画がどんな風に関わっているのか、気になりますね。早く観たいものです。

以上、また脈絡なく書いてしまいました。と言っても知識乏しい素人の書いた感想なのであまり信用しないように(笑)
いつものことながら絶対勘違いありますので。
10月中旬には日本語歌詞のついたCDも発売されることですので、その時を楽しみに待ちましょう(笑)
と言ってもジェイ・方文山のコンビの凄さは確かだと思われます。
posted by フェイユイ at 23:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「シリアル・キラー アイリーン」ニック・ブルームフィールド

少し前に記事にした「モンスター」のモデル、というかその人アイリーン・ウォーノスのドキュメンタリー映画である。
この記事はこの映画及び「モンスター」両方のネタバレになります。


「モンスター」で美しいシャーリーズ・セロンが白熱の演技と肉体改造を見せた連続殺人事件の本人とは実際に見たらどうなのだろう、映画は本当なのか、ドキュメンタリーを観れば真実が見えるのでは、と思ったのだが実際は逆でドキュメンタリーの方が謎だらけで一体何が真実なのか、ますます判らなくなってしまったのだ。

映画というのは、特にハリウッド映画というのは明確な論理展開をもって映像に仕上げてくるのが世界一なわけで映画「モンスター」を観ていてアイリーンが何故このようになったのか、という悲しい疑問はわいてきても彼女の行動が最初は正当防衛であり次からはそうでなくなっていく、という事がはっきりと描かれていた。
ドキュメンタリーで一番問題になっていたのは(と思うんだが)その彼女の殺人が正当防衛かどうかなのだが、これがさっぱりわからないのだ。
アイリーンは口を開くたびに違う証言をするので撮影者であるニック・ブルームフィールドも観客も混乱に陥ってしまう。
同情すべきか否か見当すらつかない状況に陥る。「羅生門」では違う人がそれぞれに違う証言をするが、彼女は一人で違う人間になってしまう。
ただそれだからこそ現実は映画と違ってすべてが明確ではなく何が真実かそうでないか判断するのは難しいのだと知る。
やはり映画というのは計算されて作り上げられたものであって(だからおもしろいのだが)現実と言うのは空しい繰り返しや無駄、無意味なもの、思ったように行かないもの、唐突に起きることが組み合わされているものなのだ。
すべてがなんとも劇的でなくだらだらと続いていく。
裁判の場面も現実のものは芝居ではない空虚な感じが付きまとう。

これを観ると主演のシャーリーズ・セロンがまったくもって本物のアイリーンを研究しなりきっていると感心する。
だけど勿論映画は観るものが納得しやすく作り上げられているもので、本物のアイリーンの方がもっと女性的な感じがする。

辛いのは本物のアイリーンが受けた幼児・少女期の虐待だ。特に赤ん坊の彼女を見捨てていった母親を絶対に許さない、という語気を強めた言葉には彼女の心の傷の深さを思い知らされる。実際の肉体的虐待を与えたのは他の祖父や男達だが彼女にとって見捨てていった母親というのが元凶という思いが強いのだろうか。
話す内容を聞いて(読んで)いても知性は感じるのだが、もうすでに精神は崩壊してしまっていると思われる破綻した会話が続く。
映画にも登場する女性の恋人の話の時はうれしそうな顔をするのが悲しい。映画以上に本当の恋人は彼女に対して冷酷で彼女を金儲けの対象にしたのだが、映画と同じかそれ以上にアイリーンの恋人への想いは強いようだった。
激昂する時もあれば楽しそうに笑う時もあるアイリーンの表情。
真実というのはますます判らなくなってしまうことであった。

ある女性がアイリーンが同性愛者というので「昔は同性愛者なんていなかった。ゲイなんて言葉もなかったしね。あなたは知ってるの?」と映画監督であるニック・ブルームフィールドに聞くと「僕はイギリス人だからね」というのがちょっとおかしかった。そういうのだけ感心してるのであった。なるほど。
ラベル:犯罪
posted by フェイユイ at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

『王の男』、アカデミー外国語映画賞に出品

昨日の記事に一緒にアップすればよかったんだけど、ちょいと忘れてました。

『王の男』、アカデミー外国語映画賞に出品

これまで韓国映画が一度も米アカデミー賞外国語映画賞の候補に一度も上がってないということで期待高まりますね。
『グエムル−漢江の怪物−』、『時間』も応募された、ということでこのブログに貼り付けてる3作品ですな(笑)
この二つはまだ観てないのではっきりとは言えませんがどれかノミネートされるかどうか楽しみです!
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(9) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月21日

「王の男」ロングバージョン

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恋敵のふたり

もう一つのDVD・ロングバージョンを観てみます。

とにかくネタバレですのでこれから楽しみにしてる方はご注意ください。読んでしまって泣かないように。



宮殿に入り込んで巷の芸人達を呼び集めたチャンセンとコンギル。彼らの芸を見た(ココまでは同じ)後で二人きりで部屋でお裁縫しています。
意地悪を言うチャンセンをコンギルが打つとチャンセンは倒れたふり。覗き込むコンギルをチャンセンがわーっと脅かして床の上で抱きしめ「お前の夫が叩いてやる」などと言いながらお尻をふざけて叩きコンギルが笑っている、という場面です。本編では二人がそれらしい触れ合いをするところは殆どなかったのでこの場面はなかなか色っぽいのですがそれだけにカットされてしまったんですねー。
チャンセンがコンギルに対して恋情を持っていることと肉体関係があることは想像するしかないのですが現在の映画でここまで同性愛を示す場面を使わないというのは貴重ですらありますね。
露骨にそういう場面があるのを嫌う方には最高の映画といえましょう。とにかく想像力を働かせてあーだこーだと思いながら観る映画でありますよ。
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

今夜も「王の男」

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話す順番が逆なのですが、韓国版「王の男」を購入してましてこれが物凄い豪華版!箱も凄くきれいですし、DVDが3枚とCDが1枚入っていてポストカード数枚と冊子も入っています。値段はなかなかのものですが。
DVDも一枚一枚綺麗で感心しますねー。さすが王という感じ。映画の中の人形の販売もされてるみたいでこれも欲しくなりますよね。

今日は特典映像を観ました。なにせ韓国語が判らないので端折って観たのですがかなりのボリュームで見ごたえたっぷりですね。

今日のもネタバレなのでよろしく。



字もわからないので自分が何を見ようとしてるのかがわからないのですが(笑)とりあえず観てるとコンギルと王の熱いキスシーンの撮影現場が。
王がコンギルに狂おしいキスをした後「カット」の声。一瞬間をおいて王が唇を離してにやり。笑い声が起きます。王のチョン・ジニョンは意味深に笑いながら立ち上がりますが、コンギル=イ・ジュンギは王のキスにうっとり(ぐったり?)したのかしばらく横たわったままで何とか起き上がる様子がまた可愛らしかったですねー。ファンならこれは観たい場面ですね(笑)
その後のスタッフの「フレンチキス、フレンチキス」という言葉がおかしかった。昔よく言ってたけど日本では最近あまりフレンチキスって言わない気がしますがどうですか?
映画はどれもそうだとは思いますが、スタッフ・関係者の熱い気持ちが伝わってくる映像の数々でした。
大道芸の練習風景なんかもよかった。
撮影の合間にカム・ウソンが恋敵の王の肩をマッサージしてるのがおかしい。まあ、王様だからいいか。

どなたか判らなくて申し訳ないが学者さんみたいな方が出てきて王について熱心にお話されていたみたいなのだが後ろの本棚にかなり日本の本が置いてあって気になった。

今頃言うのもナンだが、コンギルとチャンセンがつけるお面は可愛いですね。特に女性のはなんともコケティッシュな表情で惹かれます。これは韓国では普通の男女の面なのでしょうか?日本のひょっとことおたふくみたいなもんでしょうかね?ちょっと比較すると日本のかっこ悪いですが(ごめーん、ひょっとことおたふくファンのかた)

またこういう記事もあり。イ・ジュンイク監督が手掛けた映画『王の男』が、10月21日に開幕する第19回東京国際映画祭に特別招待された。
posted by フェイユイ at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月19日

「王の男」近づく!

王の男k.jpg

映画『王の男』の主演カム・ウソン、チョン・ジニョン、イ・ジュンギが日本で同作品のプロモーション活動を行う、ということですね。今月24日から27日までの4日間、イ・ジュンギファンが集まりそうですねー。私はすっかり王様ファンなのでチョン・ジニョンを観てみたいです(そんな機会はないですが)(と言ってもカム・ウソンもイ・ジュンギも好きです)
まだ未定ではあるようですが、12月9日に日本で公開される予定だということで楽しみですね。ですので以下書いていくのはネタバレですのでどうぞご注意の上。



さて韓国版DVDの豪華な奴を購入していたのですがなかなか観れなくてここに来てやっと目を通していこうとしております。
でも今日観たのは前に観たのと同じ本編ですけどね。

まあ何度か観てるのにまだ涙腺が弛んでしまうのはどうしたものか。特に王様がお母さんを慕う影絵をするとこと最期のシーンには弱いです。

感想はもう何回か書いてるので「王の男」 「王の男」コンギルとチャンセンそして王 「王の男」に血迷う
そちらを参照していただくとして再三観てきて王様がいいなあと(笑)改めて思うのでありました。
チョン・ジニョンの風貌と演技のなせる業でしょうがこのたががどこか外れてしまった感のある寂しい心をもつ王様を実に魅力的に演じています。
コンギル役のイ・ジュンギはその端麗な顔かたちに反して体つきは韓国男子らしく逞しく思えるし、地の時のコンギルは特に媚びるわけでも女性的なわけでもなくて普通の男の子みたいに演じているのがなんとも爽やかでかわいらしくていいですね。
カム・ウソンのチャンセンは嫉妬のためにずっとすねすねしてますが、コンギルが窮地になると飛んでいくのがたまりません。韓国のモラル上肝腎なシーン(?)がまったくないのですが、むしろそのために裏読み(っていうかもろだけど)して楽しいのです(なんなんだ)

ところでコンギルたちが頼まれてお芝居をする場面。チェン・カイコーの「覇王別姫」を思い出すような印象がありますが、やはり韓国では中国からこういった文化が流れて演じていたのでしょうね。映画自体の予算もあると思いますが「覇王別姫」のそれと違ってこちらは随分軽い仕上がりです。
コンギル以外の女形たちが髭を伸ばしたままの情けない姿なのは大道芸なので笑いをとってるのでしょうが、王様の様子は妃の姿に比べてもかなり軽い感じがしたのですがどうでしょうか。

大道芸の二人が主役ということで映画の中でこのように芝居や人形芝居・影絵などで物語の説明をしていくわけですがこれは凄くいい手法ですね。
変に昔に映像が飛んだりするのではなく、芝居というもので過去を現在に表現する、というのはいいですね。
特に王が母を失った悲しみを影絵の僅かな場面で表現していたのは秀逸でした。
また明日も「王の男」で書いてみます。
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「本草綱目」MVエピソード

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「本草綱目」MVエピソード

です!どぞ。

観れない方、一度であきらめず、2回目で観れるかも(私がそうでした)
posted by フェイユイ at 20:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月18日

「リプリー」アンソニー・ミンゲラ

リプリーj.jpg
リプリーk.jpg

「藍空放浪記」では初めての『マット・デイモン』記事です。なにせ「藍空」では短期間(5ヶ月)ほどの間に68もマット記事を書いてるのです。アキレタ。もう一度出演作順に見直そうと「藍空」で観て来たのですが『ラウンダーズ」の次の「プライベート・ライアン」はどうしても見る気になれずパス!「ドグマ」は大好きですが、もう何回も観てしまった気がするので(笑)「リプリー」とさせていただきます。
マット・デイモンの作品で何が一番好きかというような話を前もしたのですがやはりこの作品が映画として一番魅力的ですね。イタリアが舞台なのでアメリカ人にとっての異国の街という雰囲気。貧しい青年となに不自由のない裕福な憧れの青年。いつ破綻してしまうのかと言う綱渡りの嘘の塗り重ね。最初から最期まで飽きることなくはらはらムズムズしてしまいます。

この映画の中のマットは何となく老けた感じがするのですがかなりダイエットしているからなのでしょうか。最初辺りのダサい感じから次第にこなれていく様子。マット特有の卑屈な笑い方がトム・リプリーという貧しい若者を上手く演出しています。時々急にハンサムに見えたりしてどきりとする表情もあってマットの上手さが一番よく出ている作品なのではないでしょうか。
この映画をジュード・ロウ目的で観る人は多いのでしょうね。まったくこのジュード演じるディッキーは素敵です。裕福な青年らしいわがままぶり、ほっそりした顔かたちと体つきもトムが憧れの存在として納得のキャラクターです。笑顔がなんとも可愛い印象です。
グゥイネス・パルトロウのマージ。彼女が一番好きだ(笑)トムを怪しみ憎む様子のマージはいいですねー。他の女優ではこの優美な軽やかさは出ないでしょう。
フレディ=フィリップ・シーモア・ホフマン。最高にやな奴(笑)よくもこんなむかつく態度が取れるものだ(笑)うーん、「カポーティ」を早く観たい。

どうもがいても幸せにはなれないトムの葛藤。ピアノの蓋に映し出されたトムの姿が二つに分かれていく場面、大切な人を殺し部屋の中に座り込むトムが鏡でいくつもの部屋にいるかのように見える場面などトムの心が分裂され複雑に入り組んでいってしまうのが表現されています。
イタリアの街の美しさ、ジャズという音楽を取り入れた巧みさ、同性愛的なニュアンスが感じられながらもその実自分だけしか信頼できない悲しみがあり、トリッキーな要素も織り込みながら犯罪とその心理を描いた作品でどうしても惹き込まれてしまいます。

監督: アンソニー・ミンゲラ
出演: マット・デイモン /グウィネス・パルトロウ /ジュード・ロウ /ケイト・ブランシェット /フィリップ・シーモア・ホフマン /ジャック・ダベンポート
1999年・アメリカ

以前書いた「リプリー」マット・デイモン
ラベル:犯罪
posted by フェイユイ at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

神G侠侶・第8集

郭芙.jpg
わがまま郭芙です

とにかく大変な展開ですよ。原作を読んでるか、「射[周鳥]英雄伝」を観てないと物凄く色んな人が出てきて色んな事を言うんで初めて観る人はちんぷんかんぷんではないでしょうか。(ちんぷんかんぷんって使わないな)

いきなり耶律楚材に斬りかかった完顔萍だがその息子耶律斉に押さえ込まれてしまう。しかも自分の首に当てた剣を取られてしまった。
耶律斉は3度も襲い掛かってきた完顔萍に好意を持っているのですねー。だもんでもっと腕を磨いて再度挑戦しなさい、私に左手を使わせたら自害しましょう、などと言ってしまう。
これを聞いた楊過はその言葉を逆手にとって完顔萍に耶律斉を倒す秘策を伝えるのだが。楊過も完顔萍を好きになってしまうのだ。それは自分と同じ境遇親を殺され仇を討とうとしている身だからなのだが、その淋しげな表情に小龍女を重ね合わせているのですね。陸無双には覚えなかった恋心のようなものです。それを感じて楊過は初めて小龍女が自分にどんな感情を持っていたかを知ってますます落ち込んでしまう。恋を知る、ということは苦しい事なのでした。

とにかく楊過から聞いた秘策を完顔萍は早速試みると思ったとおり耶律斉は完顔萍を助ける為に左手を使ってしまう。
だが結局完顔萍は耶律斉の命を奪えなかったのだ(いいけど部屋はめちゃめちゃだ)
不甲斐なさに泣く完顔萍を楊過は慰める。
その時、背後に不思議な顔の女が立っていた(これはびっくりしたよー)彼女は宿屋で楊過と無双を助けてくれたのだ(いつも姿を隠していた人だと思うがその時は顔が見えてたっけ?)
実はその顔は皮のような物でできているお面なのだが、ぴたりと顔に張り付いているのでかなり怖い。でも本人は人にそう思われているのが辛いわけでかわいそうなのだった。その彼女は無双が李莫愁に捕まってどこかへ連れ去られたと伝えてくれたのだ。
完顔萍は楊過に助け出さねば、と問いかけた。

とある飯屋に李莫愁と弟子・洪凌波は陸無双を連れて現れた。李莫愁は洪凌波に無双の指を毎日一本ずつ切り落とすよう命じる。どうも洪凌波は無双を気にかけていてそんな命令は聞けない。
そこへちょうど来ていた耶律兄妹がその酷い言葉に割りいった。それを見ていた楊過も耶律斉に加勢する。
楊過を見た李莫愁は小龍女が古墓を出る時は嫁ぐ時だと決まっているのに関係だけ持って祝言を挙げないのはあの女は情婦なのかと侮辱する。
これを聞いた楊過は怒り心頭。李莫愁に立ち向かう。耶律斉もこれに加勢するが李莫愁は二人がかりでも倒せない。
お面の女性は腕も立つらしく陸無双を救い耶律燕・完顔萍と逃げ出した。それを見た李莫愁たちも後を追い、二人の男もその後を追いかける。

舞台は野原へ移る。空に大きな鷲が二羽羽ばたいていた。それは楊過を育てた郭夫婦の鷲なのだ。楊過は慌ててお面の女性からもらった面を顔につける。
そこへ馬で駆けつけたのは郭夫婦の一人娘・郭芙と武敦儒・武修文であった。郭夫婦の娘・郭芙は可愛らしい顔なのだが、わがままで幼い頃、楊過を酷くいじめたのだ。
武敦儒・武修文は両親を李莫愁に殺されたという恨みを持っていた。李莫愁は四方から攻め立てられたが一行意に介せず涼しい顔で逃げ去った。
復讐を誓いながら後に残ったものたちは紹介しあった。郭芙はどことなく前・黄蓉役の周迅に似ているな。だが酷く意地悪らしくお面の女性に向かって不気味な顔だと言った(私も言ったが)だがいつの間にか楊過が姿をくらましているのだった。

楊過は姑姑を失ってしまった悲しみにくれていた。そしていつしか冬山へ上っていた(原作では崋山というとこ)そこで楊過は雪玉の中に隠れていた不思議な老人に出会う。
老人は楊過になぜ泣いていた、と訊ねた。楊過は自分の悲運を嘆く。
そこへ突然現れたのはなんと楊過の義父・欧陽鋒であった。いきなり蝦蟇の姿勢である。義父に会えた楊過は先程の涙はどこへやら、「父さん、父さん」と大喜びである。結局楊過は寂しいんだなあ。郭夫妻にも捨てられたと思い込んでいるのだし。可哀想なのだ。
大喜びの楊過は老人に義父を紹介しようとするが、老人は先に「わしは欧陽鋒だ。お前は誰だ」と言う(おいおい)欧陽鋒は頭がおかしくなっているので自分が誰なのか判らない「自分の名前もわからんのか」といわれ二人の老人雪の中で戦いだす(一体どういう展開なのだ)
只者ではない二人。老人とはいえその気は物凄いものであった。戦いは3日3晩続いた。楊過はさすがに間に入った(なんなんだー)

さてこの老人は一体何者でしょう?欧陽鋒という名前を知っていたということと互角に戦える力を持つ、というのがヒントです。
ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 22:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月14日

神G侠侶・第7集

楊過v.jpg

楊過は男達の反撃をくらった陸無双を助け出し、安全な場所まで移してやった。
無双は胸の骨が折れているらしく楊過は骨接ぎをしてやろうとする。胸をはだけられ(ていっても裸じゃないが)無双は痛さと恥ずかしさでキャーキャー騒ぐ(女はおとなしい小龍女と凄みのある李莫愁ばかり見てたので新鮮である)いつ覚えたのか楊過はうまく無双の骨接ぎをして添え木をあててやった。
手際のよさに無双はすっかり感心する。無双は李莫愁の弟子だと言い、今師匠に追われているのだと話した。
無双が江南まで帰ると聞いて楊過は送ってやろうと言う。よい事をすれば天が姑姑に会わせてくれるだろう。

小龍女は悲しみを抱えたまま彷徨っていた。町に出ると人々が集まり食べ物の前で騒いでいる。
さすがに小龍女も空腹を覚え、万頭に手を伸ばした。店の主人が金を要求するが小龍女にはわからない。彼女に手を伸ばした男達を撥ね退けると弾みで万頭が全部転がってしまった。騒ぐ人々を尻目に小龍女が飛ぶ。皆「仙女様だ」と拝むのだった。
とは言え万頭は口に入らずじまい。気の毒です。

楊過と無双が馬を走らせていると目前に結婚祝いの一行が通りかかった。楊過は新郎新婦に化ければ李莫愁の目をごまかせると考えた。
一行の中に入り込んで楊過はすっかり花婿気取り。
そこへ李莫愁と弟子が早速やってきた。一行を怪しみ籠を覗くがそこにいたのは本物の花嫁だった。
もう少しでばれそうになった時、李莫愁に仲間を殺された丐幇の一行が駆けてつけたちまち戦いが始まる。
楊過たちはその隙に逃げ出した。

ある宿屋に逃げ込んだ楊過たちだがすぐに李莫愁に追いつかれる。なんとか隠れようと無双ともつれ合っているうちに楊過は小龍女を思い出しやっと彼女の想いが理解できたのだった(遅すぎ)後悔する楊過であった。

どうにか李莫愁から逃れた二人はどうするかと思案するうち、モンゴルの大人を見込んで泣きつき従者にしてもらうのだった。

小龍女はどうしても楊過を忘れられず苦しんでいた。李莫愁に出会い、戦いを挑まれる。が、師姐だといえ、玉女心経を持つ小龍女にはかなわない。

小龍女は再び町へ出る。おかしな金持ちの息子に気に入られ屋敷に誘い込まれてしまうが小龍女の技にかなうわけがなかった。

楊過と陸無双を陣営に留まらせた大人・耶律楚材は娘・息子と話し合っていた。
そこへいきなり耶律楚材に切りかかってきた女がいた。完顔萍である。娘・耶律燕がこれと戦う。楊過は感心した。
途中で兄がこれに代わって完顔萍の剣を奪った。無双はあんたより強いと褒め、楊過は全真教の技だと見た。だが何故蒙古の王子が全真教なのか。
耶律斉は完顔萍に剣をかえした。とたん、完顔萍は自分の首に剣を当てた。

一気に賑やかになってきました。登場人物も急に増えて大変です。女性が多くなってきましたね。
いきなりモンゴルの耶律楚材が出てきて話が大きくなってきましたよ。
楊過はそれなりに楽しそうですが、小龍女は可哀想です。
ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月13日

神G侠侶もブロークバックマウンテン?確かに山だよな

ブローク?.jpg

あはははっ!なるほど!そういうことだったのね。
っていうか妖しい関係かなとは思ったよ、趙志敬っていつも伊志平(甄志丙)の後を追いかけてんだもん。甄志丙美形だしね。しっかりジェイク・ギレンホールの方に程皓楓を置いてるのがうまいね。

終南マウンテン、知らんと笑えねー
ラベル:金庸 同性愛
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神G侠侶・第6集

伊志平.jpg
程皓楓k.jpg
小龍女をレイプした伊志平=ここでは甄志丙=程皓楓(←別にこの人はレイプしたわけじゃないよ)


外へ出た小龍女と楊過は九陰真経の修行をする。上達することに楊過は喜ぶが小龍女の表情は暗い。もし九陰真経を会得すれば二人で山を下りると約束したからだ。
察した楊過はここでいつもでも暮らそう、と言う。微笑んだ小龍女だがそれも楊過が無理をしていると思い気が重くなるのだった。
小龍女は気分がすぐれないと言って一人離れた場所で眠った。

そんな小龍女に「息子を返せ」と突然喚く者がいる。それは欧陽鋒であった。気づいた楊過は義父との再会に喜んだ。

欧陽鋒は実の息子を失ったことでおかしくなっていくのですよね。かつて弟子だった楊康の息子楊過を気に入って義息子にして技を伝授しようとしているのですが、蝦蟇功って効き目あるのかなー。確か欧陽鋒って毒の達人でしたが。

欧陽鋒は秘伝を小娘には見せられんと小龍女を楊過の目の届かない場所に追いやって身体が動かないように点穴してしまった。

それをじっと見ている者がいた。伊志平こと甄志丙である(ハハ、ごめん、子孫さんたち)動けなくなり横たわった小龍女に近寄る。小龍女は動けないために「陽過なの」と聞いた。甄志丙は服を裂いて小龍女に目隠しをし彼女の服に手をかけた。
その様子をまた見ている者がいた。趙志敬である。

その頃楊過は欧陽鋒に九陰真経の奥義を教えられていた。それは小龍女から習ったものとは違っていた。
実はかつて欧陽鋒は偽の九陰真経を教えられたことでますます狂気の世界に入ってしまったのでした。楊過に違うと言われてもどちらが本当なのか理解できず混乱したまま、また楊過の前から逃げ出してしまうのだった。

再会できた義父がまた突然姿を消して茫然とする楊過の前に取り乱した甄志丙が走ってきた。怪しむ楊過の問いかけにもしどろもどろになって逃げ出した。

横たわった小龍女を見つけた楊過は目隠しを取り点穴をといた。初めての相手が楊過だったと信じている小龍女は喜びを感じていた。
何も知らない楊過はいつもどおり「姑姑」と呼びかけると小龍女は「まだそう呼ぶの」と恥らい楊過の胸に寄り添う。楊過は小龍女の様子にときめきながらもますますわからなくなり「姑姑を姑姑と呼べないならどうすればいい」などと混乱する。小龍女が「妻にはしてくれないの」と問うと「妻になんてとんでもない」と答える。
これを聞いた小龍女はさっと身を引き楊過を動けなくすると悲しみながら去っていった。
楊過は「悪い所があったらしかってくれ」と泣き叫んだ。
こういう勘違いからくる別れ、というのはラブストーリーでは定番ですが、動けなくなった小龍女を強姦してしまう甄志丙は許せませんね。その原因を作ったのは欧陽鋒だし。なんだっけ実の息子が強姦騒ぎってしてませんでしたっけ。「射[周鳥]英雄伝」読み直さなきゃ、自分の記事の。

楊過は立ち去った小龍女の後を追った。が、その姿はもうどこにも見当たらなかった。
楊過は町の酒場の給仕にも尋ねた。すると白装束のケンカの強い女がいたという。店にはその女に耳をそがれた全真教の男達がいてその女と果し合いをするという。楊過は小龍女に違いない、と喜んだ。
その頃、李莫愁は自分の元から逃げ出した女を捜しまわっていた。あの弟子も一緒だ。「足の悪い白い服の女をみなかったか」
楊過が果し合いの場所で小龍女を待っていたが現れたのは白装束の別の女だった。足が悪いらしくそれを見られたのが原因で男達にかかっていったらしい。女は古墓派のようだった。だが多勢に無勢。次第に追い詰められ、男達に川に叩き落とされた。

いままで師弟の関係とは言え、信頼し合い仲よしだった二人がいきなりの別れ。小龍女は処女ではなくなりもう古墓派の後継者ではないのだと言う。
楊過が早く成長してくれないと困りますねー。
ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月12日

「依然范特西」を聞いて

依然ファンタジーg.jpg

1.夜的第七章
詞:黄俊郎 曲:周杰倫 女聲:潘兒(Room19)
MVでも表現されていた霧の倫敦で起きた殺人事件を歌ってます。なぜ突然sシャーロック・ホームズ的なものを?と思ったのですがそう言えば前回「名探偵コナン」の事を歌ってましたが、もしやそれから発展したとか?
物悲しい調べとラップがジェイらしく組み合わされた傑作です。

2.聽媽媽的話 
詞:周杰倫 曲:周杰倫
ジェイが優しく語り掛ける。ジェイがお母さん思いなのはみんな知ってることだけどこんなに心を込めてお母さんの事を歌うなんていいですね。

3.千里之外(周杰倫+費玉清)
詞:方文山 曲:周杰倫
ジェイと費玉清のハーモニーが不思議と合う驚きの歌。歌詞も費玉清の声を引き立てるような格調高い美しさですね。

4.本草綱目
詞:方文山 曲:周杰倫
方文山らしいというのか不思議な歌詞だなあ(笑)漢方薬の歌ですか?名医華陀なんて出て来るし(三国志の手術シーンを思い出しました)これを歌にしてしまうジェイも凄い。かっこいい曲調で面白い。
勿論これはその漢方薬を自分たちの音楽に例えていて、中国の歌と文化を讃えているのですね。これが方文山・ジェイコンビの真骨頂でしょうか。

5.退後
詞:宋健彰 曲:周杰倫
がらりと変わって失った恋の歌。ジェイの恋の歌って悲しいものが多い気がする。

6.紅模[イ方]
詞:周杰倫 曲:周杰倫
またまた曲調は寂しげだったりするんですが、ジェイが自分の口癖を取り入れて作り上げた歌。この淋しさはなんだ(笑)前回のパパラッチに追われる「四面楚歌」のようです。やめてくれーという時ジェイはこの曲風になるのでしょうか。

7.心雨
詞:方文山 曲:周杰倫
方文山は難解な歌を作るのにこういう詩も書くのですよね。綺麗なイメージです。

8.白色風車
詞:周杰倫 曲:周杰倫

9.迷迭香
詞:方文山 曲:周杰倫
この歌がとても気になるのですよねー。どことなく昭和歌謡で(笑)ムード歌謡っていうのか。
ダンスミュージックですよね。薄暗いダンスホールで歌う歌手のジェイと妖しい雰囲気の恋人同士という感じですね。
歌詞もジェイじゃないみたいに色っぽいです。いやこれも好きです。この路線もやって欲しいです。古いムードが好きなジェイにはぴったりです。

10.菊花台(滿城盡帶黄金甲主題曲)
詞:方文山 曲:周杰倫
滿城盡帶黄金甲主題曲ということで中国的な薫り高い一曲です。

と聞き入ってしまいましたが、まだまだ聞き足りません。
ジェイの歌はずっと聞き込むことでますますよさが判るので(無論中国語だからすぐわかんないのはあるけど)今から毎日聞いてしまいますのでまた感想が変わってくるかもしれませんね。
今のところは本草綱目が一番好きかな。一番気になるのが迷迭香で(笑)
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月11日

「依然范特西」届く!

ファンタジーf.jpg

今日やっと「依然范特西」届きました!
どきどきして手が震えましたよ。
古めかしいスタイルが好きなジェイですが今回は特に念がいってるようですね。なんとMVもジェイが監督しているのです(みんな知ってますね、私だけだ今気づいたの)DVDから観たんですが物凄く好みな世界で改めてジェイに対して深く共鳴した思いです。映画監督としてもこんなに才能があるとは、信じられません(ため息)
「千里之外」の中華な雰囲気と方文山のしっとりとした歌詞をジェイがこれまでにないほどロマンティックに歌っていますね。共演のフェイ・ユイチンの声はさすがに素晴らしい!深みがあってまろやかで、ジェイも彼の声に合わせるようにいつもとは一味違う歌唱法ではじめはちょっと驚きました。
歌と映像の併せ持つ薄暗く物悲しい調子が好きです。
ジェイはこういう寂しそうな青年が似合っていて素敵なのです。

「夜的第七章」こちらはイギリス、霧の倫敦。シャーロック・ホームズですか(涙)えー私一応かなりシャーロキアンでこの世界には弱い(最初の方にも弱かったしもうホントに腰砕けですわ)
こちらも非常に丁寧に製作された映像で見ごたえありますね。
ジェイ=ホームズさん、可愛いです(褒めてる?)

しかしなんというかジェイって自分だけの世界の人だなあ。なんだか巷で見るMVと全然違うもの。
古いものにこだわっていてセンチメンタルでまたこれまで以上に好きになってしまいました。
こんなに私が好きな世界を描いてくれる人っていないかもしれない(多分、迷はみんなそう思っている?)

そして中に入っていた歌詞つきの冊子(なんて言ったらいいの?(笑))これがよだれもので!
かっこいい!!ステキ!泣いたよ。
以前からよく使ってるけどオートバイにも私弱くて(笑)こればっかですが。車種はなんだろう。めちゃかっこいいですね。

右サイド下に貼っている上半身裸も写真で見るとより魅力的です。

とDVDと写真だけでへろへろになってしまった私ですが、CDも引き続き聞きましてまた明日報告させていただきますぞ。
posted by フェイユイ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする