

不思議に幸せな気持ちになるそんな映画だった。
と思うのはおかしいのだろうか。
虐待を受け続け(と少なくとも思っている)精神に歪みが生じた母親とそんな母親から切り離されたジョナサン・カウエットが幼い日からの自分の姿の実録をつなぎ合わせまた様々な映像をコラージュして作り上げた作品。
と言ってしまえばすぐ終わってしまうが、一人の母親である女性と一人の少年ジョナサンの苦痛・恐怖・愛する事への欲求は一言ですむわけがない。
激しい色使い、悪夢を見ているような映像、神経を苛立たせるような細かいぶち切れのショット。
父親は息子がいることすら知らないらしい。母親を虐待した祖父母に育てられた。
少年ジョナサンは切り離された会えない母親に思いを寄せている。母親を愛しているのだ。
薬物を使用したことで脳に異常を覚えながらもジョナサンは成長する。ゲイであることを自覚してもそれに対しては罪悪感はないようだ。
「普通の人々」の目から見ればその人生は「異常な」とか「可哀想な」とかあるいは「唾棄すべき」という形容詞がつくのかもしれない(薬物使用という点において)
だがそれでもジョナサンは人生を歩んでいく。大人になり俳優という職業に就き映画を撮るのだ。
そして母親との交流を持ち、父親とも30年たって出会う事になる。30年たって初めての父母子のひと時。若かった両親は互いをどう見ているのだろう。それまで親子としての繋がりのなかった父親と息子は。
どうしても父親(ジョナサンの祖父)とよりを戻せなかった母親をジョナサンは引き取り共に住む事になる。
かつてはモデルでもあった美しい母は年をとり眠っている。ジョナサンはその傍らでそっと身を寄せて目を閉じる。
「世界は美しい」という声が聞こえる。
彼らの人生を羨む者はいないだろう。凄まじく悲しく辛い日々だったのだから。
だけどこうして長い時を経て寄り添うことができたのだ。それだけでもいいのではないだろうか。
監督・脚本:ジョナサン・カウエット 製作総指揮: ガス・ヴァン・サント ジョン・キャメロン・ミッチェル ヴァネッサ・アルテアーガ ライアン・ワーナー 出演:ジョナサン・カウエット レニー・ルブラン デヴィッド・サニン・パス ローズマリー・デイヴィス
2004年アメリカ
追記:この感想の最後の一言を「藍空」の「ブエノスアイレスの夜」の記事でも書いたような。
「ブエノスアイレスの夜」結末の行方
記事タイトルどおりそのままネタバレですのでご注意を。
若い頃はすべてが上手くいく幸せ、すぐ手に入れられる幸せでないと納得いかなかったような気がするが年を取るにつれ人生ってのは綺麗におさまることばかりじゃなくてもいい。かっこ悪いこと、無駄なような事、他人から見たら不幸に見える事でもいいのじゃないか、生きていると言う事が凄いことなのだから、という気になってくる。
願わずとも死は誰にでも近づいてくるからなのであろうか?
辛い時があってもまた幸せを感じる時もあるのだから。
ラベル:家族