映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2006年11月11日

「アナザー・カントリー」マレク・カニエフスカ

アナザー・カントリー.bmpアナカン.jpg

もはやゲイ・ムービーの古典ともいうべき作品です。
これを観た当時、小説や少女マンガで知ったパブリックスクールでの若者達の愛の物語をこんなに美しく映像化できるなんて、と驚きました。
ガイ・ベネットを演じたルパート・エベレットは後に自らゲイであることをカミングアウトしました。
が、この時はまだ知る由もなく規律の厳しい学校内の権力争いに苦しみながらも男性を愛し続けるガイを演じる姿に感心したものです。
とはいえ私が好きだったのはガイの友人役を演じたコリン・ファースでした。上流階級のためのパブリックスクールで学びながらも共産主義に傾倒しているトミー・ジャドを演じる彼は今観直してもその端正で知的な横顔に見惚れてしまいます。
共産主義を表した破れた服。マルクスの「資本論」を読み、レーニン像を常に携える彼。クラスメートへの辛辣な物言いも若者らしくとんがっていて素敵なのでした。
(そしてコリンのしぐさ。本を読んだりメガネをはずしたり腕を組んだりといったさりげないしぐさがなんとも言えず綺麗なのです。シーツを畳む時ヘリをちょっとくわえるのも可愛かったですね。そして親友ガイの突飛な行動や言葉に苦笑するのがまたよいのでした)

この作品はもともと舞台なのを映画化したものなので登場人物が対立して討論するという形が多いのですがそれも閉じられた学校の雰囲気が出ています。
ガイは包容力のある親友のジャドでさえ同性愛には結局理解がないのだから世の中には認めてもらえないのだ、と苦悩します。現在のイギリスは随分オープンになっているようでまた驚きますがこの映画の頃はまだまだ圧力が大きかったことが伺えます。
オープンになってきたのはごく最近の事なのでしょうか、よく判りませんが。と言ってもこの映画の中でも主人公ガイと肉体関係を持った学生は結構いたように言ってるし、父親なら何をしてるかわかるだろう、と言うセリフでそういう行為が伝統的に隠れながら行われていた事を匂わせています。

エリートの道を捨てスパイとなりロシアに亡命した実在の人物ベネットに女性インタビュアーがその理由を聞く、という形式でこの物語は進みます。
スパイ活動の話はなくパブリックスクールでの彼の苦悩する若き日に焦点を絞ったこの作品は青春の物語として優れた作品の一つでしょう。

監督:マレク・カニエフスカ 製作:アラン・マーシャル 出演:ルパート・エベレット、コリン・ファース、ケーリー・エルウィズ
1984年イギリス

これを観る前は私にとって「アナザー・カントリー」といえばアメリカ小説ジェームズ・ボールドウィンの「アナザー・カントリー」でしたね。こちらもゲイの小説で私の好みの世界といえばむしろこちらの「アナザー・カントリー」なのですが(黒人・白人・アメリカ北部南部・フランス人などの男女が交錯するゲイ小説ですが今、読むことはできるのだろうか?)当時は二つの「アナザー・カントリー」に挟まれ幸せでした(笑)(中身はどちらも苦悩してんのに)
余談でした。

追記:余談の余談。
ジェームズ・ボールドウィンの「アナザーカントリー」で検索しても何も出てこないんだけど(困)こんな記事が→ジェイクの愛読書!
ジェイク・ギレンホールはJ・ボールドウィンの「アナザー・カントリー」を愛読してたのか!急にジェイクのファンに(笑)いやあ、同志がいてうれしい。素晴らしい小説ですよね(ジェイクに話しかけた)あの中ではあなたは誰をやりますか?
(全然違う話題になってしまった)


posted by フェイユイ at 23:56| Comment(10) | TrackBack(3) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

玲玲(リンリン)の電影日記

rinrin.jpg

はっきり言ってこの映画はこれにノスタルジーを感じるかどうかだけなのかもしれないけど。

大変細やかに母と娘、男の子と女の子の友情を描いているのですが、大変可愛らしく優しい少年と小犬が死んでしまうのが惨たらしくて茫然としてしまいます。人生に突然の死はあることだけど、物語は「本当の人生」というわけではなく「何かを訴える為に作られたもの」なのでこういうやり方で人生の悲哀を出すのはどうなのでしょうか。
監督は若い女性で本人が子供を持っておられるのかどうかはわからないけど子どもを使ってこんな展開とあの映像を撮るのなら映画を撮って欲しくない。
以前にも「藍空」の時だけど韓国の女性監督で子供を酷い目に合わせる話を撮っていて私は嫌だったんだけど、そういうのを撮るのがリアルな目をした女性なのだと思っているのでしょうか。
せめて映像としては映し出さないで欲しかった。ていうかどんな虐殺映画よりこういうほうが嫌です。

玲玲の弟が死ぬ所以外はなかなか興味を持ってみていたんだけど。
シア・ユイくんも久し振りに観れてうれしかったし。昔、姜文の子供役で観てそっくりでうまいと思い、今そのシア・ユイの子供役がそっくりでうまい。歴史は流れる。
幼女時代・少女時代の玲玲がどちらもすんごく可愛い。彼女達を観る為に観る人もいそう。私もすっかりファンです。また観たい。
お母さんも凄く綺麗な方。映画スターになろうとしていたという雰囲気がありました。
シャオビン少年時代の男の子が秀逸。この子も可愛い。子供達が可愛い映画だったのだね、なのに。

中国版「ニュー・シネマ・パラダイス」という触れ込みのようだけどどちらかといえば「禁じられた遊び」みたい。でもあんないい映画と比べたくもなし。

観てる間は結構自分なりにノスタルジックに浸ってもいたんだけど、書き出したらこんな散々な言い方に。
いいなと感じた部分も多かったんだけど、後半になって急に悲劇をつくりあげてしまったように感じる。


監督・脚本:シャオ・チアン 出演:シア・ユイ チアン・イーホン リー・ハイビン クアン・シャオトン チャン・イージン チー・チョンヤン
2004年 中国

追記:昨日は可愛い弟を殺された恨みで感情が爆発してしまいました。昨日も一応書いていたけどいい部分もたくさんあって前半部分の子供時代はノスタルジックな雰囲気に満ちてとてもよかったと思っています。それだけに後半になってからが残念だったのです。玲玲があの部屋に住んであれだけの物を集めるには時間が短すぎる気もするし(耳が聞こえないというハンデもありながら大変だと思うのですが)
弟と小犬を死なせてしまったのが(その場面を映してしまうのが)受け入れきれないのです。小犬はその弟の生まれ変わりのようなモノだったわけですから2度も殺してるわけですね。なんでそこまで。
前半結構いいと思って観ていただけに悲しさが余計つのりました。



ラベル:家族 友情
posted by フェイユイ at 23:45| Comment(3) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月08日

「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」

メルキアデス.jpg

これを観た日の昼、同じくメキシコからアメリカへの不法入国者を取り締まるニュースの映像を観ていた。
映画でもほぼ同じ人数と格好で歩いていて奇妙なデジャ・ビュに襲われてしまった。

この物語は老カウボーイピートとメキシコからアメリカへ不法入国してきた青年メルキアデスとの友情物語を描いたものだ。
だがここで私なりの仮説を立ててみた。以下はいつもどおりだが自分勝手な想像である。

映画全体に感じられるのは多分トミー・リー・ジョーンズ監督のメキシコへの愛情だ。愛すべき純朴な青年メルキアデスはその象徴的な存在なのだと思う。
そして過激な国境警備隊員のマイクは端的とは言えアメリカそのものを表現している。彼は逃げ惑う不法入国者を徹底的に追い詰め、女の鼻でも叩き折ってしまう。(別の隊員が「やりすぎだ」と注意するほど)そしてメルキアデスを「勘違い」で撃ち殺す。勘違いなら何をしても言い訳ではない。
ただマイクは撃ち殺した後に後悔してもいる。メルキアデスの遺言どおり彼の遺体をメキシコへ運ぶ旅の中でピートはマイクがどう変わるのかを見届けようとしているようだ。

メキシコ人の脚本家ギジェルモ・アリアガはこの若くて非情な警備隊員に手厳しい報復を与えている。そのやり方は痛烈でしかも滑稽さに思わず笑ってしまう。
メキシコ側のアリアガのこの復讐劇をアメリカ人のジョーンズ監督は許容した上、ユーモラスなタッチで仕上げている。 

マイクは手錠をかけられ墓を掘らされ死体を担がされ死体の横で眠らねばならない。裸足で走りガラガラ蛇にかまれて足は毒で腫上がる。川を渡る時は溺れ、頭に銃口を突きつけられる。
それらは皆不法入国者がアメリカ人から受けたものをマイクにつき返すことでは鬱憤をぶちまけているようだ。
特に鼻を折られた女性が毒蛇から咬まれたマイクを治療するが煮えたコーヒーをぶちまけポットで鼻を折って返す場面にはっきり現れている。おまけに痛快である。

不法入国者は取り締まらねばならない。その通りだろう。ただどうしようもなくアメリカへ逃げて来た人の気持ちをアリアガは書き、ジョーンズ監督は愛情を持って映画にした。
映画に出て来るメキシコ人は皆、善人として登場する。見知らぬ旅人にコーヒーや酒や肉を気軽にくれたり、ガラガラ蛇にかまれてるのを見ればすぐ助けようとする。道案内もする(見返りはもらうがかなり妥協してくれる)
それに比べアメリカ人は浮気ばかりして不道徳だし人情がない。
と描かれている。ちょっと極端で笑ってしまうくらいのメキシコびいきだがジョーンズ氏は大甘でこれを映像化している。
しかも本人が主人公ピートを演じ、不法入国者メルキアデスへの友情を貫き通し彼の遺体を彼が望んだ故郷「ヒメネス」へと運ぶのだ。

メルキアデスを撃ち殺してしまったマイクをこき使いながらピートはメルキアデスの遺体を大切に運んでいく。アメリカを代表するマイク役のバリー・ペッパーは大変だったと思うが彼のいじめられながらの珍道中は爆笑モノで、特に死体が臭くて眠れない場面。すっかりミイラ化した顔はとぼけていておかしいし蟻が食ってるというマイクの叫びにピートが火をつけて燃やしたり、アルコールを飲ませて「これで蟻に食われないぞ」なんて、マーク・トウェインの小説みたいで大笑い。さぞ映画館では受けてたんじゃないかと思うけど違うのかな?

この映画は「老カウボーイとメキシコ人青年との友情物語」そして「アメリカ人マイクの理解と反省」を描いたものなのであろう、が、旅をする男はまあいいさ。死体とキャンプしたりガラガラ蛇と遊んだり楽しいことでしょう。
悲しいのはダンナの帰りを待つだけの若妻である。そしてその何十年後の見本もいる(もしかしたら何年後くらいかも)
美しいメキシコはいいとしてだだっ広いだけのテキサスの田舎町には寂しさだけが存在するようで「楽しみもあるわよ」というのが浮気とはあまりにも空しい。
その町でたくましく生きるレイチェルに感心するが、耐え切れず町を後にするルー・アンにも同調する。

友の遺言の「美しいヒメネスという村」はなく、愛する妻子も存在しなかった。ヒメネス、というのはメキシコでは多い名前だと思う。
心が張り裂けるほど美しい故郷ヒメネス、というのはメキシコの国そのものなのではないだろうか。

監督:トミー・リー・ジョーンズ 脚本:ギジェルモ・アリアガ 出演:トミー・リー・ジョーンズ, バリー・ペッパー, ドワイト・ヨーカム, ジャニュアリー・ジョーンズ, メリッサ・レオ, フリオ・セサール・セディージョ, バネッサ・バウチェ, レヴォン・ヘルム, ギジェルモ・アリアガ

タイトルからしてももっとハードなモノを想像していたら結構おかしくてその上じんわり来る映画だった。
特になんとなくシチュエーションの似てる「ガルシアの首」と比べたら!ペキンパーのは容赦ないんで。
ここでは人を撃とうとしても「撃てない」と言ってやめてしまう。マイクも冷酷な役のようで人を撃った苦しみは最初から持っているわけで全体に心優しい映画である。
ただしこうと決めたらとことん突き進む男のロマンティシズムの悲しさというのは共通したものであった。
ラベル:友情
posted by フェイユイ at 22:13| Comment(4) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

「砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード」サム・ペキンパー

ケーブル・ホーグ.jpgケーブル・ホーグa.jpgケーブル・ホーグb.jpg

アメリカの神話とも言えるような味わいのあるそれでいて痛快な物語であった。正直、こんなに面白い映画だとは想像もしていなかった。アメリカ映画の傑作と言ってよいと思う。
二人組の男達に水を奪われ砂漠に取り残されたケーブル・ホーグは4日間も水なしで彷徨い歩き神に悪態をつく。もうこれまでと倒れこんだ時、ホーグは水の存在を感じて掘り当てる。命を取り留めたホーグは砂漠の真ん中に水飲み場を作ろうと決心。そして自分を置き去りにした二人組みの男達が来る事を信じ復讐を狙うのだった。

小汚い初老の男と言っていいケーブル・ホーグの底なしの生存能力に見惚れる。字も読めないし、金も2ドルほどしか持っていないのに買えるだけの僅かの土地を手に入れて手作りで水飲み場を作り上げ邪魔をする奴には弾をお見舞いする。けちでデリカシーがなく(愛するヒンディーに「ただでやらせてくれるから」などと言ったのは失敗だったね。でもちゃんと気にしてたからそう悪くはないのか?)執念深い。
だが、僅かな金で買った土地で本人の人柄や根性でかなりの休憩所を作り上げてしまい儲けていく様からアメリカの開拓魂というものを見せ付けられたようだった。
恋人のヒンディーは町で売春婦をやっているのだが汚いホーグを洗い上げ金さえ出せばちゃんと相手をしてくれる。
ホーグがヒンディーに「お前はレディーだよ」というとこで思わず涙腺が弛んでしまった。
憎たらしいのは偽物牧師。でもおかしくてしょうがなく最後にホーグのために祈りを捧げるシーンはまたこれも涙モノだったのだ。

ショッキングなバイオレンス映画作家というイメージのサム・ペキンパーが作ったとは思えないほどおかしくてホロリとして暖かいきもちになるといういい映画なのである。
といってもやはりペキンパーらしい男臭さとアクションシーンの面白さはここでも充分に発揮されているのだった。

似非牧師が言うように突然砂漠に現れ水のない場所に水を湧き出させたホーグはやはり神話の中の奇跡なのだろう。
そのホーグが突如登場した自動車に轢かれあっさり死んでしまう最後は古きよきアメリカそのものを表しているのだろうな。

ケーブル・ホーグが砂漠の真ん中に水飲み場を作ったという事で「これを掲げなければいけない」といわれて渡されたのがアメリカ国旗だった。アメリカ国旗が掲揚されてこんなにじんわり胸にきてしまうとは。いい場面だ。

監督:サム・ペキンパー 出演:
ジェイソン・ロバーズ 、ステラ・スティーヴンス 、デヴィッド・ワーナー 、ストローザー・マーティン 、スリム・ピケンズ 、L・Q・ジョーンズ
1970年アメリカ
posted by フェイユイ at 18:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイの歌が教材に

チンママダファ.jpg

ジェイの「聽媽媽的話」が台湾小学1年生の教材に使われるということで
これはもう聞いた時からそんな感じしましたよね(笑)
でも凄くメロディがよくて思わず口ずさんでしまうような歌なのでとてもいいことですねー!

私が教師だったらやたら生徒に歌わせてしまいそうです(笑)
お母さんから絶対支持されますよね、これは。

しかし他にも4曲もジェイの曲は学校で色々と使われていて素晴らしいです。
posted by フェイユイ at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

キム・ギドク監督、新作映画の主人公に台湾のチャン・チェン

チャン・チェンb.jpg

キム・ギドク監督、新作映画の主人公に台湾のチャン・チェン
ですって!
韓国で自作を公開しないと決めたキム・ギドク監督。いきなりかっこいい系を使いますねー(笑)
チャン・チェンが出演するならより観たいものです!相手役の女優は誰なんだろ?わくわく。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 21:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月05日

「ミスティック・リバー」クリント・イーストウッド

ミスティック・リバーa.jpgmysticriver2.jpg

スタッフ・キャストに有名人が勢ぞろいし、アカデミー賞。主演助演男優賞も取ったということもありこの映画への関心はかなり高いようだが、日本での評価となると思い切り分かれていて絶賛しているのもあれば「暗くて救いがない」と観た人を落ち込ませているようで面白い。総じて「なんでこんなムカつく映画を作ったのか」という評が多かったようなのだが私としては随分楽しんで観てしまって、こういう姿勢ではいけなかったのかな?と自分の道徳観を懸念してしまった。
少年時代遊び仲間だった3人のうち一人だけが小児愛好家に連れ去られ強姦されてしまう。なんとか逃げ延びはしたものの3人はそれぞれのに心の傷を負っていくことになり運命は再び巡ってくる。
という興味津々の話なのだがこの力関係を国と国との関係に置き換えて考えて見たりもできるという非常に面白みのある作品なのだ。または謎解き、心理分析、と様々な楽しみ方ができる。
とにかく物凄く大勢の人から評価をされているのであえてまた書く必要もないみたいだが大変楽しませてもらったし、余計なことをちょいと書いてみたい。

私にとってのクリントというのはマカロニ・ウェスタンやダーティ・ハリーの彼であってその削いだような容貌と長い手足のファンではあったが最近の監督としての作品はまったく観てなかったのだった。
まさしくダーティ・ハリー的に問答無用で進んでいく展開は爽快ですらあるし、実際監督としての手際は猛スピードらしく殆ど1テイクで撮ってしまうらしい。些細な失敗や事故はお構いなしで突き進むという男らしさである。例えばジミー(ショーン・ペン)が娘を殺されて遺体安置所を出てからショーン(紛らわしいな、ケビン・ベーコン)と話す場面があるがここでジミーは怒って話しながらコーヒーカップを叩いてこぼしてしまう。これは事故だったらしいのだがクリントは気にせず先へ進みそのまま採用になっている。凄くうまくこぼしたんで「名演技」と思ってたら単なる偶然だった。どおりで自然なわけである。

コメンタリーでケビン・ベーコンとティム・ロビンスが話してるのだが「70年代は大人の映画があったが最近はない」てなことを言っててまさしく「ガルシアの首」で私が感じたことではないか、と。
でもそうなのか、最近は大人の映画がないのか。ふむ。

この映画を観たくなった理由はそのままこのケビンとティムが出ていたからなんだけどケビン・ベーコンは「フットルース」から顔が大好きで(顔のことばかりだな)まったく印象が変わらないのが不思議である。その体型も。そしてここで好きになってしまったのは彼の相棒(ケビンによれば夫婦のような関係)であるローレンス・フィッシュバーン。「マトリックス」のモーフィアス役で有名だがこの方も顔と体型が素敵(笑)このコンビは凄くよくてずっと観たかった。できるならこのコンビの別映画やってください。

二人はクリント監督の手腕をおおいに褒めていたが特に力を込めていたのがそのスピードの事であった。昔は短時間で撮影を終えていたのに最近の撮影は15・6時間がざらだという。ところがクリント監督は仕事が的確ですばやいので終了後にジムへ行きディナーを楽しめるというわけだ。
ケビンとティムは役者はいい映画のためなら十何時間でも働くがいい生活の為・家族の為には町の人々と同じ時間で働きたい、と力説。あら。ハリウッドの役者は時間通りにしか働かない、と聞いていたのに。最近はアメリカを離れて費用が安く済む東欧などでの撮影が多いからこのような長時間労働になるらしい(組合が厳しくないから)ナンだか一番切ない訴えであった。

私がみた批評では触れられていなかったのが何故犯人(ブレンダンの弟・レイ)はケイティを殺したのか、ということで、原作は読んでないからそこには答えがあるのかも知れないが映画を観てる限りではブレンダンが恋人ケイティを何故殺した?と弟を責める。「俺が好きだからか。好きだからケイティを殺したのか?」そして弟を締め上げる。レイの友達が拳銃を取り上げ撃とうとする。ショーンたちが駆けつけ、彼らを取り押さえる。そしてデイブを勘違いで殺した後のジミーに犯人を捕まえたと伝える。「何故殺した?」「拳銃で遊んでたらケイティが偶然通りかかったので脅かすつもりが間違って発砲。逃げ出したので追いかけて口をふさごうとした」とショーンは説明する。
大人しい印象の弟とその友達の殺人の原因としては奇妙なものだ。むしろ兄・ブレンダンが言っているとおり嫉妬で(というかケイティが兄を連れ去ったら愛情の乏しい母親と二人きりになる生活を怖れて、と言う気持ち)といった方が納得がいく。なぜそういう無意味な原因になってしまったんだろう。ショーンが説明しているだけにそれが殺人の原因だったと思われてしまう。弟自身の説明と言うのはされていない。「どちらが」本当だったんだろう。
派手なアクションのイメージがあるクリント・イーストウッドが監督としてこのように抑えた演出で暴力というものを描いている事が興味深かった。
デイブがジミーの子分的兄弟の車に乗った時の既視感は怖かった。ミスティック・リバーというタイトルもまた色々なイメージを起こさせるが運命や嘘や暴力というものが川の流れのように続いていくようにも思われた。

監督:クリント・イーストウッド 脚本:ブライアン・ヘルゲランド 出演:ショーン・ペン 、ティム・ロビンス 、ケヴィン・ベーコン 、ローレンス・フィッシュバーン 、マーシャ・ゲイ・ハーデン 、ローラ・リニー
2003年アメリカ

脚本はブライアン・ヘルゲランドであった。ヒース・レジャーの「ロック・ユー!」と「悪霊喰」の監督・脚本、そしてマット・デイモンの「ボーン・スプレマシー」の脚本を書いている。そうか。
posted by フェイユイ at 23:18| Comment(2) | TrackBack(0) | ティム・ロビンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月04日

「ガルシアの首」サム・ペキンパー

ガルシアの首.bmp

男には過去がある。そして女にも。
ベニーとエリータはすでに死んでしまったガルシアの首を手に入れるために墓場へと車を走らせる。
その道行きは「俺たちに明日はない」を思い出させるがあちらは絶世の美男美女だったのにここでの二人は中年にさしかかりすでに人生にくたびれた感じが漂う。
ベニーとエリータは特定の恋人だったわけではない。多分腐れ縁といった風にずるずると或いは時折肉体関係を持っていただけのようだ。

二人組みの男から「ガルシアという男を探している」と話しかけられた時からベニーの人生は狂いだす。が、今は場末の酒場でピアノ弾きをしているベニーがただ平凡な男だったとは言い難い。それは彼が自分から危険な扉に入って行ったこと、その口ぶりやすでに死んでいたガルシアの首を切り落とす為に大型の刃物を購入したことなどから簡単に推察できる。多分何かしらの過去があり、酒場のピアノ弾きをやっていたに過ぎないのだろう。

ガルシアが最後に一緒にいたのがベニーと懇ろにしていたエリータだったと聞きベニーは心穏やかではない。ここでベニーと探し出さねばならないガルシアがエリータによって繋がる。
ベニーとエリータは恋人同士ではなかった。ベニーがエリータを連れて旅に出たのも最初は都合よくガルシアの墓への案内をさせるためだけだったのかもしれない。
だが旅をするうちに二人は次第に打ち解けていく。エリータはベニーの心を推し量るように「言葉にして言って」と言い「結婚してくれ」とベニーが口にした時、エリータは泣いてしまう。ベニーはエリータを抱きしめる。色々な思い出が二人にはあるのだろう。長い年月を経た男女の愛し方であり子供には判らない愛なのだ。

結局「金などいらない」というエリータの言葉を無視してガルシアの首を手に入れようとしたベニーはひきかえに愛するエリータを殺されてしまう。

それからのベニーは狂気に満ちたものとなる。その演出は凄まじく鳥肌がたつようだ。ガルシアの首を取り返したベニーはその首を車の助手席に乗せ走り出す。今は何でもCGで露骨にそれを作り上げ映し出すが、「ガルシアの首」は常に布や袋で隠され顔自体が見えることはない。隙間から黒髪や顎の先がはみ出しているだけだ。その事が首をより意識させ恐怖感を増す。次第に蝿が殖え車の中をとびかう。ベニーはその袋に氷をいれ冷やそうとするがそのことで中の顔に蛆がわき腐れ堕ちていっていることを想像してしまう。
このガルシアの首の表現がまったく見ものである。

そして次々と行われる殺人には何の救いもない。無辜の人々までもが巻き込まれあっけなく撃ち殺されてしまう。

そのすべてが娘を傷物にしたという富豪の男のエゴイズムからくる復讐のためなのだ(しかもその男は怒りで娘の腕をへし折る)
愛する女が殺されもう何もかも失ったベニーの最後の戦いは死へと走りぬけるものでしかなかった。

監督: サム・ペキンパー  出演: ウォレン・オーツ 、イセラ・ベガ
ギグ・ヤング 、ロバート・ウェバー 、クリス・クリストファーソン
1974年 アメリカ

ところで殺し屋の二人組は絶対恋人同士だと思うけど。言い寄ってきた女を思い切りぶっ飛ばしていたしね。彼らのラブストーリーでもあったり。
ラベル:暴力
posted by フェイユイ at 21:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

「菊花台」MV撮影の様子

モノクロw.jpg
写真は関係ありません〜

今度は「菊花台」撮影MVの様子

お母さん「こんな事なら小さい時、古筝も習わせておくべきだった」なんて相変わらず、お母さん子ですねー。
他の人だと嫌なんだけど、なぜかジェイだとお母さん子でもいいんだよ(笑)
お母さんのビーフン、美味しそうです〜。食べた〜い。
posted by フェイユイ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ブラディ・サンデー」ポール・グリーングラス

ブラディ・サンデー.jpg

1972年、北アイルランド・デリーで起きた「血の日曜日」事件をまさに再現した映画である。
殆どドキュメンタリーかと思えるような緊迫した映像である。これが72年に起きた事件であり、その30年後にイギリス人の監督によって映画として撮影されたのだとは信じ難い。(この映画を作ろうと考えた二人はイギリス人・グリーングラス監督と製作者の一人マーク・レッドヘッドなのだ)

それはポール・グリーングラス監督の並外れた技量なのだと言うしかないが、ハンディカメラによってぶれる画面、音楽がない為に撮影したばかりの映像を観ているかのような錯覚に陥ってしまうのであろう。

「血の日曜日」はアイルランド人にとっては忘れられない記憶なのに対しイギリス人には(その事件の当事者であるにも関わらず)あまり語られてないと言う。英国人である監督はその歴史を互いの国民にとって認められる映画として作りたかったのだと言う。

下院議員のアイバン・クーパーを筆頭にしてカソリック系住民は「裁判なしの拘禁(インターンメント/その頃アイルランドでは警察が裁判なしに容疑者を捕らえ何年でも拘禁できたのだ)」に抗議し人権と差別を訴える為にデモ行進を行う。それはあくまでも平和的に行うべきだとクーパー議員はやっきになって人々に訴え、デモを阻止しようとする英国側にも伝えていた。
が、行進する一部の若者達が起こした行動が英国側の抑えきれないでいた攻撃性を触発してしまう。
催涙ガスがゴム弾にそしていつしか実弾が次々と丸腰の人々に襲い掛かるのだ。その映像は凄まじい恐怖に満ちている。
まるで自分がその場にいて逃げ場もなく銃口に狙われているかのようだ。
抵抗する術もなく的にされどくどくと血を流して死んでいく人々。なんということだろう。

映像はアイルランド側だけではなく英国軍の内部の状況も伝えている。この映画によって互いの国が理解し合い互いの伝統を守っていければと製作者達は語っている。
このような事件は多くの場所で今も起きているのではないか。ここで語られている思いを皆が持つことができればと願う。

最後にU2ボノが「Sunday Bloody Sunday」をバラードとして歌っている。これも屋外で歌っている音であり心に強く響いてくる。

監督、脚本:ポール・グリーングラス 出演:ジェームズ ネスビット ニコラス・ファレル ティム・ピゴット=スミス ジェラルド・マクソーリー キャシー・キエラ・クラーク
2002年 アイルランド/イギリス

グリーングラス監督は「ユナイテッド93」の監督でもあるが、是非観てみたいと思う。

さらに「ボーン・スプレマシー」も作っているが、作品に関しての私の評は「前作より(「ボーン・アイデンティティ」(別監督)のことです)かなりハードタッチになったアクション見ごたえありました」である。なんだかな。もう一度観よう(観るけど)

さらに関係ないが私の乏しい北アイルランド知識は昔読んだベルファストのカソリック系の少年とプロテスタントの少女のラブストーリー(タイトルは忘れた)からだった(それしかないっていう気もするが)
子沢山の貧しい少年と裕福な少女が多くの障害を乗り越えていく話で可愛らしくもあり面白く読んだ記憶がある。ここでも主人公クーパー議員はプロテスタント、恋人がカソリックということでやはり衝突している。数多くの問題があるものだ。
posted by フェイユイ at 22:25| Comment(0) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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