映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年01月30日

「グエムル 漢江の怪物」ポン・ジュノ

グエムルr.jpgグエムルp.jpgグエムルm.jpgグエムルe.jpg

「殺人の追憶」の中でソン・ガンホ演じるトゥマン刑事の台詞に「アメリカの刑事は頭を使うが韓国の刑事は足で走るしかない」(適当)というのがあったがまさしくこの映画の中でカンドゥ=ソン・ガンホは頭を使う事もできないまま走り続けるのだった。

ポン・ジュノ監督の新作が怪物映画だと聞いた時、実はとまどってしまったのだった。失望したと言ってもいい。
だが観始めてそして物語が進んでいくうちにそんなとまどいや失望は消し飛んでしまった。怪物映画、という軽く見られてしまうジャンルにおいてでもポン・ジュノは独自のスタイルを持ち続けていた。
作品は自分の疑念とは全然違っていた。不安を持った心は逆に裏切られたのだった。

始まってすぐ漢江沿いでくつろいでいる人々の前に突如怪物が現れる。高い位置を走っていく電車の窓からその様子を見下ろす人が状況をよくつかめないでいるのがおかしい。何かのアトラクションのように思えたのだろうか。
あっという間に人々を襲いカンドゥの娘・ヒョンソを奪ってしまう冒頭は思い出してはぞっとするのじゃないだろうか。それは「ゴジラ」で白昼いきなり山の向こうに現れるゴジラを観た後に感じたような既視感に襲われないだろうか。

怪獣映画というとそれに立ち向かうのは国家組織であり、科学者や特別な警察・軍隊(自衛隊)であるのが通常だと思うが、本作で怪獣と戦うのは社会の中で底辺と言われるような裕福ではない一家族である。はっきり言って彼らは他の怪獣映画ならあっという間に殺されてしまうような存在に過ぎないのかもしれない。
店番をしていても居眠りばかりしているカンドゥは娘の危機で目を覚ます。そして父親が捨て身で孫娘を救う為に怪物に立ち向かって死んだ時立ち去る事ができないのが悲しい。そしてこの時のピョン・ヒボンの手を振る演技は忘れ難い。
ヒョンソを救う為に一家は命がけでしかし空しい戦いを続けねばならない。ナムル(パク・ヘイル)とナムジュ(ペ・ドゥナ)がそれぞれの特技を生かして怪獣に挑むのが面白い。
一方、父親であるカンドゥは何もできないでいる。怪獣に触れた保菌者と言われて政府によって隔離されて挙句に拷問のような検査を受ける。一体、頭に穴を開けられてしまったんだろうか。
この映画に関する批評などを見ていたら「親たちが馬鹿すぎ。何もできないでいるだけだった。ヒョンソは家族が殺したようなものだ」と書いている人がいた。まさしくこの映画で描かれているのは怪物に対しての人間の無力さなのではないか。このような怪物が出現して娘を奪われても一体何ができるというのだろう。ただ泣きながら追いかけるしかできないのではないか。政府はむしろ彼らの行動を妨げているだけなのだから。
怪物をしとめたのもアメリカ政府が噴出した黄色い煙ではなくナムルとナムジュ(と浮浪者)が力を合わせて怪物を焼いたことでだった。カンドゥがとどめを刺したことで彼らの怒りが表現されている。自分たちの手を使ってそうするしかなかったのだ。

ヒョソンの死には正直、がっくりきてしまった。それは作品としてということではなく力のない少女がより小さな少年を救う為に懸命に戦った末に命を失ったことに対して自然と感じた悲しさだ。そのくらいヒョンソに肩入れしてしまったのだろう。
なんの力も持たないカンドゥはついに娘を救うことはできなかったが娘が命がけで守った幼い少年と暮らし始めるラストは素晴らしい。雪の中、凍えるような寒さの中にぽつんと存在する小さな売店の中は暖かいに違いない。

ポン・ジュノ監督の力量はどの作品でも観る者を惹きつける。緊張感・やりとりのおかしさ・スピード感はこの作品でも存分に発揮されている。
濃い陰影のある青味がかった映像も美しい。

また「殺人の追憶」で登場した面々が出演していたのも嬉しいことだった。華奢で陰湿なイメージの怪しい男が短気だが行動的な次男役で活躍しているのが一番驚きではあるが。

そして日本アニメのパクリと言われた怪物・グエムルについて。
観始めてもうそんなことはどうでもよくなったが。
結局、日本アニメ「パトレイバー」のその場面を観てないし(観る気はない。ネットでその絵は何度も見たが)観ても順番が違うので感想も言いにくいかもしれない。それに私自身はポン・ジュノ監督の大ファンで且つ「パトレイバー」が大嫌いなのでそういった主観がはいってしまうのは避けられないし。
私としてはそういった造形の真似とかじゃなく思い出したのは「ヘドラ」である。私にとって怪獣は「ゴジラ」ではなく(世代が少しずれる。でも勿論ゴジラは好き)少女時代の恐怖であった「ヘドラ」なのだ。廃棄物から生まれたヘドラとグエムルはまさに兄弟と言っていい。冒頭、釣り人たちが川の中で見つけた何かを見て「気持ち悪い」と言うのを観ていてすぐ連想した。造形はまったく似ていないが。ヘドラは当時の少年達の間で必ず絵に描かれるある意味アイドル(?)だったがグエムルはどうなんだろう。

監督:ポン・ジュノ 出演:ソン・ガンホ、ピョン・ヒボン、パク・ヘイル、ペ・ドゥナ、コ・アソン
ラベル:怪物 家族
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2007年01月28日

「鉄男」塚本晋也

鉄男.jpg

昨日に引き続きウィィィィンと動き出す男性性器が出てくる映画なのであるが、断じてそれが目的でレンタルしたわけではないのだよ。

ネットレンタルでDVDを注文していて2枚ずつ送られてくるのであるが、そういうつもりではないのになぜか似ている箇所があったりする不思議が多い。今回、アメリカ映画「2999年異性への旅」と日本映画「鉄男」でまさか似た部分があるとは思いもしなかった。
一つはこの唸る男性性器ともう一つが「征服」向こうは全宇宙征服でこちらは(多分)地球征服だが。

1989年公開から話題になっていたのは覚えているが、何となく観ずじまいでやっと(遅すぎ)観たのだが、前回観た「六月の蛇」同様凄く面白かった。
「蛇」が2002年作品だから13年の歳月が流れている。「鉄男」はまさに若い監督が低予算だが情熱を注ぎ込んで作り上げたというエネルギーに溢れていて観ていて楽しくてたまらない。こういう映画作りなら是非参加してみたいものである。体の鉄部分がどんどん増殖していくのを作っていくのは本当に楽しそうである。若い田口トモロヲの鉄男ぶりを見ているのも面白そうだ。
「蛇」の方はぐっと成長しそしてエロさも大人っぽくなってるわけだが、人間が変化する、という意味では同じものを扱っているのだと感じる。「鉄男」が男版で「蛇」は女版ということ「鉄男」が肉体なのに「蛇」は精神ということだろうか。そしてその変化する男女それぞれに働きかけるのは(連絡経路が電話であるし)どちらも塚本監督本人の役だったりする。しかもこちらの塚本氏はヴィジュアル系の美少年でなんとなくホモセクシュアルな匂いも無きにしも非ず。且つ最後に「やつ」(塚本晋也」は「男」(田口トモロヲ)と合体し「気持ちいいなあ」と言いながら世界を鉄に変えてしまおうという野望を持つというやはりホモセクシュアルなイメージが漂ったりもする。
か、諸星大二郎的ユートピア=肉体合体の感じもある。色んなのくっついてたし。

「鉄男」と全然話は違うのだが、小松左京の「日本アパッチ族」という小説では屑鉄を食って「純度の高い鉄」を排泄し、国家と戦う羽目になるという大阪を舞台にした物凄い発想のSFをちょっと思い出す。

冒頭から足に鉄棒をねじ込んだり、例の唸ってドリル状になる鉄の男性性器で恋人を殺してしまうとか恐ろしい場面も忘れられないだろうし、ある日ほっぺにぷつんとでたニキビのような鉄片に触ると血がビュッと出て、とかいうのも何かと思い出してしまいそうなイメージである。

若くて突っ走っていく映像であるが暗くて重い雰囲気と恋人の女性がなにか不思議で狂気のある感じがやはり江戸川乱歩な幻想性も漂っている。「大概のことには驚かないわ」と言いながら男が隠れている部屋の戸を開けようとするのが怖い。
これを観てたら絶対気になる監督になってしまうはずだった。

作品中に流れるサックスの調べも不思議な感じなのだが、車にぶつかった時と男とやつが合体する時に流れるのが気になる。あのイメージカットはなんなんだろう。
そして突如現れる謎の浮浪者(石橋蓮司 )は何を表す?

監督:塚本晋也 出演:田口トモロヲ、藤原京 、叶岡伸、塚本晋也、石橋蓮司
1989年日本
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2007年01月27日

「2999年異性への旅」マイク・ニコルズ

2999年異性への旅.jpg

「大人のコメディ」なんていうとエッチなものか人生哲学めいたものになるわけだが、立派にその二つを兼ねている大人のコメディなのだった。

地球から遠く離れた彼方に男性しかいない惑星があった。といってもその星の男性にはすでに生殖能力が失われているのだ。彼らはクローン繁殖をしてその種を存続していたのだが、さらに全宇宙を支配する為に地球の女性に子供を産ませてより繁栄しようという計画を打ち出した。
かくして一人の宇宙人(て言い方もおかしいが)が、地球女性を妊娠させよ、の使命を受けた。生殖の為の男性器を装填された彼はハロルド・アンダーソン(ギャリー・シャンドリング)と名づけられ、地球へと飛んだ。

彼の頭には地球に関する情報は充分に入っているはずなのだが、その会話はどうにもとんちんかんでおかしい。果たして彼は無事任務を遂行できるのだろうか?

女を口説いて妊娠させるのくらい簡単、と思っていたハロルドだが実際の女は教材どおりには反応してはくれない。まったく厄介な動物だよ、とハロルド(男)は思っておるわけですな。
つまりは宇宙人と地球の女になぞらえることで風刺しながら男女の愛のあり方を描いたものなのであった。しかもおかしく。

使命が使命なので女性を「そんな目」で見回したり、従ってエロチックであったりシモネタな展開になってしまうのでどうしても「ゲスな評価」を受けがちだと思うが、少なくともある年齢以上ならこうしたやりとりには意味があることはわかるだろう。単に筋書きだけの問題ではないのだ。

子供が出来なかったらどうなっただろう?という疑問もわくにはわくが、宇宙人ハロルドと地球女スーザンの愛の物語が楽しくおかしくせつない。
全宇宙支配の使命に反抗して誘拐された我が子を取り戻すハロルドに思わず拍手。
息子を生ませた後、宇宙の彼方に去ってしまった夫に怒りをぶつけながらも「愛がどういうものなのか、私にもわかっていない」とハロルドを受け入れるスーザンにも同感。
彼が連れ戻してきたベイビーをママが抱きとった時はうれしかった。

キャラクターが秀逸で宇宙人ハロルドのギャリー・シャンドリングが言葉は通じるが意思が通じ難いおかしさを表現していて面白い。あの笑顔が気になる。
彼と結婚して子供を産む事になるスーザン(アネット・ベニング)が凄く可愛い。彼女は断酒会でハロルドと出会う(こともあろうにペリーはハロルドを連れてナンパ目的でそこに行くわけ)今までの無軌道な人生をやり直そうと思っているのだ。だからこそ結婚して子供を作りたいと最初から願っているハロルドに好感を持ってしまうわけだね。彼とのやりとりに戸惑ったり、怒ったり、妊娠した時に喜びのダンスを踊ったり、感情表現が豊かで可愛い女性とはこういうんだろうな。
ハロルドに地球の女を紹介する役となるのが会社の同僚・ペリー・ゴードン。「ふたりにクギづけ」のお兄ちゃんのグレッグ・キニアだ。この時は女ったらしな役なせいか(ん、あれもそうだったっけ)ハンサムである。その妻役がリンダ・フィオレンティーノ。
宇宙人の指導者にベン・キングズレー。私はいまだにガンジーのイメージが。ここでもスキンヘッドであるし。

それにしても「感じる」と(つまり勃起すると)ウィィィィンと鳴り出す男性器が笑える。改善するはずだったのにハロルドの2度目の結婚式(相手は同じ)に参列した仲間もみんなウィィィィンしてた。物凄く科学が進んでるはずなのに。
彼女を妊娠させてしまったら(任務遂行したら)トタンにぐーたらしてテレビの前に寝転んでスナックかじってばかりの夫。宇宙人も地球人も一緒と大笑いなわけなのだった。

監督:マイク・ニコルズ 出演:ギャリー・シャンドリング、アネット・ベニング、ベン・キングズレー、グレッグ・キニア、リンダ・フィオレンティーノ、ジョン・グッドマン
2000年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:40| Comment(2) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

「インファナル・アフェアU無間序曲」アンドリュー・ラウ アラン・マック

インファナルアフェアU.jpg無間序曲.jpg

眼鏡をかけたインテリ・ヤクザなハウ(呉鎮宇)の物語であったなと。
UはTより時間を遡ったもの。香港の中国返還という時代性も織り交ぜながら若きヤンとラウ、そしてウォンとサムがどういう経緯であったかが描かれる。
香港マフィアの大ボスであった父・クワンが亡くなり、後を継いだハウは造反を目論んでいた4つの組織のボスたちの弱みを握って結局配下におさめてしまう。もう一つの組織のボスであるサムはそんなハウの動向を見ながら巻き返しを図っている。
誰が敵か味方かいつ誰がどうなるか気を抜く事のできない恐ろしさ(観てる方としては面白さ)しかしマフィアに潜入させられている警察がヤンの他にもたくさんいるみたいだし、7年もハウの傍にいた男が警察だと見破られ撃ち殺されたりしてるし(顔が印象的だっただけに余計びっくり)マフィアのサムはサムで何人も警察に送り込んでいたから、現状、警察とマフィアには互いのスパイが入り乱れていることになり、じゃあ目の前の警察が警察かマフィアかわかんねえじゃねえか。マフィアにも警察いっぱいいるしね。困ったものだよ。

そして善人になる事だけを夢見ていたヤンがマフィアの家系だったとはまた面白い。抜かりないハウも信じていた家族に裏切り者がいたとは。なんと怖ろしい(面白い)展開であろうか。
若きラウ(エディソン・チャン)がボスの妻に恋をしている、という設定も可愛くてよかった。以前これを観てた時は確かヤン役のショーン・ユーがいいと思ってたんだけど、その後、急遽私はエディソンファンになっちまったので、うん、やっぱりエディソンはいいね。こうして見返してみると非常に彼のよさが判ってくるものである。

私は本筋よりちょっと渋めのサイドストーリーなんかが凄く好きになったりするものなのだが、これもTよりUの方がなにやら面白く感じるのだった。

監督:アンドリュー・ラウ アラン・マック 出演: エディソン・チャン、ショーン・ユー、アンソニー・ウォン、エリック・ツァン、カリーナ・ラウ、フランシス・ン、チャップマン・トー、フー・ジュン、ロイ・チョン、リウ・カイチー
2003年香港

ラベル:警察 黒社会
posted by フェイユイ at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 香港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フランさんへ コメントの返事です

フランさんへ

何回やってもどうしても「ディパーテッド」レオナルド・ディカプリオ&マット・デイモン インタビュー映像」のコメントに書き込めないのでここに書きます。

『レオは「ギルバート・グレイプ」の時、好きでした(笑)凄い昔だー。
やっぱりレオ様のインタビューも見ます。違いが知りたいわ。
ずっと前に、マットが雑誌で「ディカプリオみたいなスターとのつきあいはないよ」みたいなことを言ってた記事があったのでなんだかおかしいです。
芸能ニュースでレオとニコルソンがゴルフをやった話があったけどマットはいなかったようなのでやはりお付き合いはないんでしょうねー(笑)

スクリーンのマット!楽しんできてくださいねー。』

失礼しましたー(^_^;)
posted by フェイユイ at 17:59| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月24日

2007年01月23日

「インファナル・アフェア」アンドリュー・ラウ 、 アラン・マック

インファナルアフェア.jpg

世の皆さんが「ディパーテッド」を楽しんでおられる今、「インファナル・アフェア」を再観しましたよ。

中文字幕も含め3度目か、この分野が苦手なせいか今回やっと内容がわかった気がする。
この作品はラウ(アンディ・ラウ)が主人公で元マフィアの若造が警察に侵入するわけだが、実際、辛いのは警察なのにマフィアに送り込まれ10年間悪事を働かなければいけなかったヤン(トニー・レオン)の方なんだ。結局、彼の一生というのはなんだったんだろう。名誉を戻して欲しいと言うことが彼の唯一の望みだったのだから。彼の方が悲劇的に思えるのにここではラウが主人公で永遠に続く地獄を味わうという事になっている。

スコセッシ・リメイクでは主人公のディカプリオがヤンの役。マット・デイモンがラウである。これはイメージ的には逆のような気がするのだが、それはそれでどうなるのか興味深い。
それからマフィアのボス対決。私としてはエリック・ツァンの応援をしたいところなんだけど。ニコルソンも好きなんだけどね。

監督:アンドリュー・ラウ アラン・マック 出演:アンディ・ラウ、トニー・レオン、 エディソン・チャン、ショーン・ユー、アンソニー・ウォン、エリック・ツァン、チャップマン・トー
2002年香港
ラベル:犯罪 黒社会 警察
posted by フェイユイ at 23:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 香港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月22日

「六月の蛇」塚本晋也

六月の蛇z.jpg

懐かしい江戸川乱歩の小説を現代に置き換えて映画に撮ったかのようだった。
塚本晋也監督は「鉄男」の時、気になってはいたんだけどなぜか観てなくて(どういうこと)「ヒルコ/妖怪ハンター」「双生児-GEMINI-」を観ている。その他のタイトルも思い切り江戸川乱歩的嗜好が表れていて私としては興味を抱かずにはおられない。

「六月の蛇」は日常の社会が舞台であるのにも関わらずより乱歩的な匂いがする。美しい人妻の秘密、醜悪な外見の夫(あくまで乱歩的表現です)覗き見、手を触れずに快楽を得るマゾヒスト、丁寧な物言い。
「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「陰獣」などという物語を思い出す。溺れる美女を見て喜んでいたのは「パノラマ島奇談」だったろうか。
江戸川乱歩の世界を描くなら人妻はこの上なく上品で且つ滲み出るような色気を持つ美人でなくてはならない。黒沢あすかはまさしくそんな匂いのある女性であった。短く切られた髪と黒縁の眼鏡が却ってその美しさを危ういまでに感じさせている。身をくねらせて快感を覚えるその姿に「陰獣」の美しい女性を思い起こさせる。
夫も乱歩の国の住人である。美しい妻を際立たせる為に彼は醜い体を持て余していなければいけない。美しい妻が醜悪な夫を愛しているという歪んだ構図がまた興味をそそる。(それにしても雨の中、自分の妻の全裸を見て自慰をする彼の禿頭に雨が怒涛のように落ちて弾かれるのを見て思わず笑う)
そして観察者である男は不治の病に侵されている。彼は人妻に思いを寄せながら、そして彼女を操る手段を得てさえも彼女を手に入れることはできない。
青に染まったモノクロームの画面が奇妙な感覚を呼び覚ます。現代が舞台なのに古い映画を観ているかのようだ。ブルー・フィルムと言う言葉を連想させもする。そしてなにか箱を覗き込んで観る安っぽい子供だましの映像のようでもある。

監督:塚本晋也 出演:塚本晋也, 黒沢あすか, 神足裕司, 寺島進, 田口トモロヲ

posted by フェイユイ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「地球で最後のふたり」ペンエーグ・ラッタナルアーン

ふたり.jpgふたりa.jpg二人.jpg

時間がゆっくりと流れているようなどこからどこに繋がっているのか判らなくなるような物語で好きです。
もしかしたら全部が最後のシーンでケンジ(浅野忠信)が思い描いた妄想だったのでは、とも思える。

潔癖症の自殺志願者とかいう設定って大概嫌いなんだけどここではとてもよかった。それは見知らぬ関係でありながら突然一緒に暮らし始めるノイ(シニター・ブンヤサック)の部屋が怖ろしいごみため状態でケンジがそこを片付け始めるのが結構気持ちよい。
舞台はタイ。ふたりはそれぞれの兄と妹を失ったばかり、という共通点はあるが日本人とタイ人で互いの言葉はカタコト。どうにか英語で意思を通じ合う。従って台詞はかんたんな言葉にならざるを得ない。
そういう感覚もいいなと思ってしまう。
静かな時間。なぜかふたりは映画のお決まりどおりにキスしたりベッドインしたりすることもない。それはケンジのせいではあるのだけど。ノイは結構その気になってるのだけどね。
タイで流行っているのか、ノイの妹が勤める性風俗の店のセーラー服をノイが着ているのがおかしい。
ケンジがなぜここにいるのか判らないがケンジの兄は大阪の暴力団に属していて組長の怒りをかって逃げてきている。ケンジの背中にもびっしりと刺青が施されているのだ。なにかワケがあるのかもしれない。
その組の者に竹内力や三池崇史監督が出演しているのがちょっとした楽しみ。
ノイのしつこい恋人(?)的な男。ノイに男がいると聞いて飛び込んでくるかと思ったら、なかなか来ないし、やっと来てもケンジに軽く殴られて即退散。ヤクザの弟だからもともと強いのか、やはり夢想なのか。

タイの気だるく暑い雰囲気をクリストファー・ドイルが美しい映像で魅せてくれる。(汚い部屋が美しいのだ)
浅野のクールな表情はとても好きだ。

監督:ペンエーグ・ラッタナルアーン  出演:浅野忠信、シニター・ブンヤサック 、ライラ・プンヤサック 、松重豊 、竹内力 、三池崇史
2003年タイ

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2007年01月21日

「エンジェルス・イン・アメリカ」のマイク・ニコルズについて

といっても、マイク・ニコルズについて何も知ってるわけではないので以下の文、さほど情報源にはなりません。

このドラマ「エンジェルス・イン・アメリカ」の監督マイク・ニコルズ。ちょくちょく聞く名前のようでまったく認識していなかった。
一応ダスティン・ホフマンの「卒業」の監督さんかあ、というくらい。
だがちょいとプロフィールなど見ると舞台監督の巨匠と呼ばれ、映画でも「バージニア・ウルフなんかこわくない」から「キャッチ22」「シルクウッド」「日の名残り」(これも一度観たくなった)有名作品を書き写してたら大変てな具合。社会派的なものコメディもの恋愛ものと幅広い。
「Mr.レディMr.マダム」のハリウッド版リメイク「バードケージ」も監督してるし少し前に観た「クローサー」(クライブ・オーウェンが出てた)もじゃないか。まったく私ときたら監督の名前を全然覚えていないのだからしょうがない。
まあそんな大変に面白い映画(舞台の方がより有名なのかもしれないがこちらは残念ながら見れないなあ)監督の方なのだった。
メリル・ストリープと組んだものがまた多い。なるほどなあ。

そんなことでちょっと驚いてたわけです。
ラベル:映画監督
posted by フェイユイ at 20:10| Comment(5) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月20日

「エンジェルス・イン・アメリカ」3(第六章)マイク・ニコルズ

天国への階段.jpg

とてもいいエンディングだった。第六章・6時間つき合って登場人物たちにも親近感が出てきたとこで終わりなので寂しくなるよ。

前回では罵倒したルイスがお決まりとはいえジョーに別れを告げ(しかしここでも激しく口論するね、この人は)素直な態度でプライアーに許しを乞う。
ジョーはしょげているところに帰ってきたハーパーに「僕を愛してくれるのは君だけだ」と復縁を願うがハーパーは平手打ちをくらわしてクレジットカードを要求した。
この結末はすきっとした。これでハーパーが情にほだされたらがっかりくるとこだけどあれだけ傷つけられたんだものね。
自分のことだけしか考えてなかったジョーもこれで少し判っただろうし、クスリばっかやってて家に閉じこもっていたハーパーも稼がなきゃいけなくなるから社会に出れるしこれでよかったんだなあ、と納得。
みんなの幸せを願っているようなブリーズは最後までみんなの為に働いてる。悪の権化の如き(らしい)ロイ・コーンの最後を看取り、彼が権力で手に入れたエイズの特効薬を冷蔵庫から取り出してルイスに運ばせる。偉い。
それにしてもこのドラマでロイ・コーンなる人物を初めて知った。プロフィールなどみても物凄い人生を送っているのだ。その悪役をアル・パチーノが大変に興味をそそる面白い人間に演じている。
ルイスは口が達者で憎たらしいけど感情と理論をボンボンぶつけてくるから面白い。ロイ・コーンに関してもしかり。世界の政治や宗教について彼が機関銃のように連射する問題提議がまたこのドラマを見ごたえあるものにしている。

プライアーが預言者と呼ばれ天使たちと話し合う。プライアーは立ち止まる事を断るが祝福はして欲しい、という。生きたいと。
結果、プライアーはエイズを体に抱えながらも4年の時を生きてラストシーンとなる。プライアー自身がこの地球の姿そのものなのだろうか。
皆がけっして完全に癒される事はない悩みや苦しみを持ち行き続けねばならないのだ。
天国には世界各地の担当の天使がいたっけ。「エンジェルス イン アメリカ」というタイトルではあるが(宗教的に反感を持たないなら)勿論エンジェルは世界中のどこにでもいることだろう、タブン。

監督:マイク・ニコルズ 出演:アル・パチーノ、メリル・ストリープ、エマ・トンプソン、ルイーズ・パーカー、ジェフリー・ライト、ジャスティン・カーク、パトリック・ウィルソン、ベン・シェンクマン
ラベル:エイズ 同性愛
posted by フェイユイ at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月18日

周杰倫、生日快楽!

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こんな夜遅くなってしまったがジェイ、生日快楽!
28歳ですね!
この一年もまた大活躍しそうなジェイであります。
posted by フェイユイ at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「エンジェルス・イン・アメリカ」3(第五章)マイク・ニコルズ

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第五章 現実と妄想の果てに

ルイス。悩むふりをしながらこんなに嫌な奴もいないやね。あっちもこっちも不幸にして自分が一番傷ついているみたいでさ。プライヤーに謝りに行くんでももっと素直にひれ伏して謝ればいいのに「自分も悪いけど君も悪い」とか。御託の多い奴ってやだやだ。ちと我が身を振り返りそうになるけど傍で見ていてこうも腹立たしい奴って。
プライヤーを傷つけたのも酷いが、新しく肉体関係を持った相手・ジョーがモルモン教徒で共和党支持者だとわかるとごねるはごねるは。こうぽんぽん悪口が出てくるのが頭のいいユダヤ人らしいんだろうけどね。
でも共和党にろくなのはいない、のくだりは笑えるけど。
一方、ジョーは長い間閉じ込めていた欲望を解禁し、女房と別れ男の恋人を持ったために怖ろしく開放的に変身。元・恋人に会いたいと泣く彼を見て「君のためなら第二の肌も脱ぐよ」とモルモン教徒のパンツ(そういうのがあるらしい)を海辺で脱ぎ捨てる。つまり素っ裸になったわけ。今までジョーはあまり好きじゃなかったけどこの率直さに好感度アップ。「優しさだけが親切じゃない」と訴える。それなのにルイスみたいなのを好きになってしまってさ(なんでこうもてるんだアイツ)

そして、そんなルイスが恋人だったプライヤー。エイズに罹りふらふらで可哀想なのだ。その上、ルイスがあっという間に見つけた新しい恋人ジョーを見に行って「いい男だった。カウボーイだ。自分がデイジーを耳にさしたフェアリーに思えるよ」なんて言ってしょげてしまう。可愛いではありませんか。
それにつき合うプライヤーの元恋人・ブリーズも健気だよね。
プライヤーはルイスの恋人を見てやろうと(そして何か文句言ってやろうとしてハンサムさに驚いて何も言えなかったわけなんだが。その後、喚いてはいたが)弁護士である彼の事務所に押しかけ、その後、ジョーがモルモン・センターに入るのを見てまたびっくり。そこにはジョーのお母さんがソルトレイクシティーからはるばるやって来て働くっていうかボランティアしてた。息子がゲイになったと聞いて心配して飛んできたのだ。そのお母さんの前でエイズのプライヤーは倒れこんでしまう。お母さん(メリル・ストリープなんだけど)はそんなプライヤーを抱きかかえ雨の中、タクシーを拾って病院に連れて行こうとする(気持ちはわかるけど、プライヤーをそうびしょぬれにさせちゃいけないんじゃ)

ロイ・コーンのエイズ症状はますます酷くなり激しい痛みを頻繁に受けるようになる。
そんなロイにジョーは自分が妻と別れ、男の恋人と暮らしている、と告げる。
隠れゲイであるロイ・コーンはそれを聞いて動揺しジョーに「そんな話をするな」と言って点滴の針をはずしてしまいあたりとジョーのシャツを血で汚してしまう。

プライヤーの所へ行くと言ったルイスを見送り(必ず戻ると信じて)ジョーは再び妻・ハーパーを迎えに行く。
そしてセックスをするが二人とも無言。目をつぶっているジョーを見てハーパーは「男を想像しているのね」と言う。
また出て行こうとするジョーにハーパーは素裸を見せる(今回は素裸を見せるということなのか)「私を見て。何が見える」「何も」
ジョーは出て行く。

女が男に素裸を見せて「何も見えない」と言われちゃ立つ瀬がない。こうしてジョーとハーパーは再び別れたのだった。

「エンジェルス イン アメリカ」WOWOWサイト
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「殺人の追憶」ポン・ジュノ

殺人の追憶.jpg

「殺人の追憶」について書くのは「藍空」の記事を含めて3回目だと思う。だけどあまりにも好きすぎていつも多く語れないでいるようだ。
今回見直したきっかけは先日、映画の舞台である華城(ファソン)で再び連続殺人事件が起きているというニュースを聞いたためだ。
1986年から1991年の5年間に9名の女性が残忍な手口で殺されたこの事件は未解決のままである。時効も過ぎてしまった。
今起きている事件とこの時の犯人が同じなのかは解らないが怖ろしいことである。

今回、初めて手にしたのはその時の事件を担当したハ・スンギュン刑事の手記「華城事件は終わっていない」である。
これを読むと実際の事件・捜査と映画は違う事が判る。がしかし、書かれた刑事さん自身が「映画が事実と同じでなければいけないという主張は、常識的に納得がいかない」と言われていることが本当だろう。
ただハ・スンギュン氏が疑問に思ったというタイトルの意味(韓国語でもそのままの意なのだろうか)というのは確かにひやりとするものがあった。
つまり
“「殺人の追憶」という言葉は、華城事件を追憶している、という意味なのか、あるいは単純に犯人が殺人を追憶している、という意味なのかが曖昧なのだ”
前者を考えても後者のことは考えなかった。だが映画の終わり、事件から12年たった(2003年)ある日、刑事を辞めたトゥマン(ソン・ガンホ)が事件現場に行き、そこに数日前別の男が来た事を知る。その時、その男は当時を懐かしむようなことを言ったのだ。怖ろしい最後だった。

再び同じ犯人が行動を起こしているのか知る由もないが、今度こそ犯人が捕まればいいと願う。
手記を読めば未解決のままになった刑事たちの無念が伝わってくる。特にいたいけな少女に対する殺害への怒りは悲しみに満ちている。

映画と大きく違うと思ったのは殺された女性の年齢の幅である。映画では少女から20代の女性を狙った感があるが実際の事件ではこの年代に加えて50代から70代の女性まで(3人)強姦殺害しているのだ。ある意味それも惨たらしいことではないか。(そして今、起きている殺人事件も同じような年齢差がある)性的犯罪というのは行う者の嗜好としての年齢と言うものがあると思うのだが(幼女趣味とか熟女好みとか)10代から70代までを強姦するというのはどういうことなのだろう。勿論そういうこだわりがない人物なのかもしれない。
ここで“人物”といったのは犯人が男であるとは限らないからだ。というのもこの著作の訳者である宮本氏が書かれていたのだが、確かにこれだけの時間と労力をかけて何万人という「男」を調べて犯人がいないのなら女性ではないか、というのは一理ある。
あらゆる人物を怪しんでも見つからなかったというなら捜索しなかった人物に疑いを持ってみるしかない。
もしくは・・・捜索している側の人間ということもある(これは宮本氏の考えではなく私の意見)映画では監督は一切そういう疑念はなかったのだろうか。
著作は刑事そのものなのだから自らを怪しむ記述はない。
まあこれはどちらも単なる想像でしかない。

後、ハ・スンギュン氏は「映画では事件と雨が深いつながりを持つように語られていたが、実際は雨の日の方が少なかった」と書く。
これは映画的演出であるとしかいえないだろう。とにかく韓国映画は劇的な場面に雨をよく使う。
土砂降りであるほど感情は激し、強いインパクトを残す。そして季節は秋から冬にかけてである。撮影での俳優達は雨に濡れて頭が割れるように凍えたという。電柱や線路も凍ってしまったらしい。そういった過激さが韓国映画らしい部分だと思う。

また著書にパク・ヒョンギュ(パク・ヘイル)らしい人物はいない。彼は映画での創作なのだろうか。
この映画のキャスティングはまったく素晴らしいものだ。監督自身、その苦心を語られているが、その時、私には主役のソン・ガンホとピョン・ヒボンくらいしか知ってる顔がなかった。
知らない人ばかりなのでリアルだししかも一人ひとりが実にぴったりとくる。特にパク・ヘイルの怪しい男はそれまで観た韓国映画に珍しい繊細な様子で本当に犯人なのか、無実なのか掴みどころがない。眼差しがなんともいえない美しさ・妖しさがあった(別作品でまったくイメージが違うので驚いた)
曇りの時ばかりに撮影をしたという重く暗い画面やどことなく恐怖を抱かせるセメント工場のそびえたつ建物。
事件の日に必ずかかるというラジオのリクエスト曲そして雨が降るという事実が背中に戦慄を走らせる。

そしてこの映画にソン・ガンホが出ていなかったらこれほど面白くはなかったはずだ。
勿論、ポン・ジュノ監督。韓流という枠を越えてここまで優れたミステリーを見せてくれたことにも衝撃を受けた。
音楽に日本人の岩代太郎が関わっていることも嬉しいことである。

監督:ポン・ジュノ 出演:ソン・ガンホ、キム・サンギョン、パク・ヘイル、キム・ルェハ、ソン・ジェホ、ピョン・ヒボン 
2003年韓国
ラベル:犯罪
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2007年01月17日

「殺人の追憶」と雨の夜

今夜は「殺人の追憶」を観ていた。折りしも雨が降っている。
映画の中と現実が奇妙にシンクロするのは不思議なことだ(大した事ではないけどね)
最近映画の舞台である韓国華城ではまた連続殺人事件が起こっていると聞いた。なんということだろう。
フィクションである映画を楽しんでいるのはよいが、実際にそういう事件が連続して起こるのは考えるだけでも怖ろしいことだ。

また改めて書きたいが、何度観ても凄く面白い映画である。
ラベル:犯罪
posted by フェイユイ at 00:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月15日

「スクラップ・へブン」李相日

とにかく日本映画を観ていない。「妖しの小部屋」でも書いたんだけどどうにも受け付けない気がして従って好きな役者さんなんかもいないんだよね。
しかしこの言葉はある程度観ているから言えるのであって観もしないのに文句言うわけにもいかんだろう、ということで今年は積極的に日本映画を観ていく事にした。今までも昔の映画は非常に好きなわけで現在に近いものを観ていく。とは言え、日本映画というと物凄くタルイ展開と意味不明の言動で観客を煙に巻きその二つで深遠さを出そうとしている、あるいは新しさを演出する、と思い込んでいる、という気がしてやはりそうだとすっかり嫌気がさしてしまうのだ。あの中途半端なカメラワークも閉口だし。いやいや、最初からこんな事ばかり言っていてもしょうがない。大体、最近は随分日本映画が盛り上がっているではないか。このブログで最初に書いた日本映画「メゾン・ド・ヒミコ」は巧くできてはいるけど好み的にはアウトだったんだが。いつかきっと大好きな人にめぐり合えるかもしれない。希望を持って進んでいこう。

スクラップ・ヘブン.bmp

んで、この李 相日(リ・サンイル)監督の「スクラップ・へブン」である。またオダギリである。ちょっと観てみたいと思う映画には必ず出てる気がする。同じ李相日監督に「69」があるが私は 妻夫木聡が駄目なのでどうしても観る気がしなかった。安藤政信はいいんだけど。

んで「スクラップ・へブン」である。前半、予想通りたるい展開と(私のこの文章も相当たるいが)奇天烈な言動で煙に巻かれる。
ケーキを子供が踏みつけた時やめようかと思ったがその後バス内でシンゴ(加瀬亮)がそのケーキを食べてるのを観て気を取り直す。食べ物を粗末にしてはいけません。
オダギリは相変わらず(っていうのはテレビとか出てる時とかもさ)髪形と服装がケッタイであるが人並みはずれて体が美しいので似合っているからあきれてしまう。且つ言動が常軌を逸しているのだがこれもしっくりいってるから不思議。体を激しくぐにゃぐにゃ動かして叫ぶのがチャーミング。

但しこれと言ってぱっとしない平凡な若者が世間に失望し不満をぶちまける、とかいうのを説明してみせるとか言うのが嫌いだし、それに対しての復讐のやり方がさほど面白くない。
医療ミスとか母親の児童虐待とかいかにもの社会風刺なのはまあいいとしても、ここでこそ突拍子もないやり方で笑わせて欲しかったが。
特に児童虐待の母親に対して子供の体を切断して見せても効果はないのでは?「私がやりたい!」とはいうかもしれないが。李相日監督って物凄く母親の愛を信じておられるのでは?最後、わが子が無事でいるのを見て泣いて抱きしめはしないだろうよ。他人がいたら演技するだろうけど。まあ、またいじめてやろうと喜ぶか?でも大体子供が邪魔だったからせいせいした、と言いそうだけどね。私は「生きて帰るな」と思い切り殴るのかと思ったのだった。それにあんなで反省しないよ。すぐ元通りだよ。

とここまではかなりへこんだのだが、交番を襲う場面から面白くなってきた。(つまり前半部分ってやりたくなかったんじゃ?)
警察官であるシンゴはすっかりテツ(オダギリジョー)の「想像力が足りねえんだよ」という言葉に乗せられ悪党の道を走っていく。
だが先輩刑事(柄本明)に二人がやったことがどんなに他人に対し悲惨な結果を生んだかを聞かされぼこぼこにやられてしまう。
結局は何も守れない自分を思い知るシンゴなのだ。

警察官のシンゴに対しテツが公衆便所の掃除人という設定。あらゆる人が排泄する公衆便所が彼らの事務所であるのは興味深い。

そしてバスジャックで同乗していたもう一人の女性・サキ(栗山千明)の言葉「一瞬にして世界を消してしまう方法」を依頼される。
その問いを最後テツはシンゴに解ったというんだけど映画では言ってなかった。でもこれは簡単。自分が死ねばいいってことだよね。

ラストも決着をつけないまま終わるのだがこれは別にいやじゃない。ただあのトラックいつか爆発するよね(誰か見つけて投げ捨てたりとかさ)とことん人を傷つけて生きる男シンゴなのだ。

この映画アメリカ映画の「ファイトクラブ」だよね。あれなんか想像力ばかりだ。
オダギリはそのまんまブラピだし。クレイジーでかっこいい感じは殆どそっくり。加瀬亮はエドワード・ノートン。
でも解りやすさや面白さは「ファイトクラブ」かなあ。
これはこれでまたそれなりにいいけど。

エンディングのフジファブリックの歌がよかった。

加瀬亮、情けない感じがいいですね。横顔がきれい。

結構文句言ってるがかなりいいと思った次第。

監督:李相日 出演:加瀬亮、オダギリジョー、栗山千明、柄本明
ラベル:犯罪
posted by フェイユイ at 22:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月14日

「ワイルド・バンチ」サム・ペキンパー

ワイルド・バンチw.jpg

西部劇の分野そしてバイオレンス・アクションにおいても不滅の金字塔の一つがこの「ワイルドバンチ」なのである。
アメリカの壮大な自然、簡潔な物語、男達の生き様、すべてが骨太で荒々しく真っ当な常識など通用しない。
英語は全く解らない私だがそれでも主人公パイク(ウィリアム・ホールデン)が強盗仲間に発する言葉「Why not?」そして「Let’s go」というこれもまた簡単で且つ明快な言葉が繰り返し使われそれがパイクと言う男を表現しているのが解る。

「俺ももう年だ。最後に大きなヤマをあてて足を洗いたい」というパイク。それが強盗だというわけでとんでもない悪党物語なわけである。但しそのパイクも今は年老いて馬に乗りそこね、仲間からも失笑を浴びたりする。
ダッチ(アーネスト・ボーグナイン)はパイクの片腕として最後の大仕事につき合う覚悟を決めている。
またパイクにはかつての仲間ソーントン(ロバート・ライアン)がいて今はその男が自分を追う存在になっている。ソーントンはパイクたちを捕まえる事でそれまでの罪が帳消しになるのだ。

それにしても男達は荒っぽい言葉を投げ出すように発するだけである。男臭い映画なのだ。一本の酒瓶を回し飲みするのが心意気なのだ。
そして冒頭から始まり作品中幾つかの目を見張るような激しい銃撃戦があり今観てもその凄まじさに圧倒される。
機関車強奪の箇所のスピード感、緊迫感はまさに特筆すべきであり、背景の自然と共に豪快である。
あの給水タンクが妙に印象的。

ラスト。マシンガンの乱射のおかしさ。
4人の男達がメキシコ人の仲間のためにマパッチ将軍率いるメキシコ人の軍隊へと乗り込む。
ダッチ=アーネスト・ボーグナインがにやりと笑う。「死の舞踏」と称される壮絶な銃撃戦が始まる。

ペキンパー監督は幾つもの作品でメキシコへの愛着を示しているがこれにもそれが現れていた。アメリカからメキシコへ馬で川を渡る場面がいい。

ペキンパー作品は冒頭に動物を用いてその内容を示すという演出があるがここでは蠍が大量の蟻に襲われているというおぞましいものだった。これを子供達が笑いながら見物し最後には火をつけて燃やしてしまうのだ。これはそのままパイクたちとマパッチ軍の死闘をイメージさせる。

監督:サム・ペキンパー 出演:ウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、ロバート・ライアン、ウォーレン・オーツ
1969年アメリカ
posted by フェイユイ at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイ・チョウ監督・脚本・主演映画、クランクイン間近

ジェイ・ユンファ.jpg

先日じえるなさんに教えてもらったジェイ監督情報。ここにこんな記事が。

ジェイ・チョウ監督・脚本・主演映画、クランクイン間近

監督、脚本、主演ですか。うひゃあ。脚本も書いたというのがジェイらしいというか凄いですね。
黄秋生が教師役ということでまた二人の共演が観られるわけですねー。

去年の記事ですが写真が可愛い。

ジェイ・チョウ、生まれて初めての野球を満喫
これは以前にもちょっと紹介しましたね。

ジェイ・チョウ、チョウ・ユンファを食事に招待

さらにさかのぼってこれも。

ジェイ・チョウ主演「灌籃」、撮影前に放映権争奪戦

いやもう楽しいですね!!

ちょっと気になる
コン・リー、ハリウッド映画で再び日本人役
ハンニバル・レクターシリーズですかー。しかし紫式部の子孫がなぜ悪の道に誘うのか(笑)でも紫式部が知られているっていうのはちょっといいですね。違う?

「黄金甲」プレミア試写会でコン・リーの足がチラリ?
ジェイ、やるじゃん。かっこいいぞ。
posted by フェイユイ at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

「エンジェルス・イン・アメリカ」2(第三章・第四章) マイク・ニコルズ

天からの使者.jpg聖なる予言.jpg

第三章・天からの使者 第四章・聖なる予言

「クリスマスキャロル」的に亡霊が次々と現れる。ここで初めて知ったんだけど、一人の役者さんが幾つかの役を兼ねていた。
天使と医者と浮浪者が同一人物とは。プライアーも公園で彼氏のルイスに言い寄るハードゲイ男であったとは。メリル・ストリープがお髭のラビもやっていたとは。それぞれ意味があるのだろうな、多分。
もと舞台だったと言うだけあって各場面で登場人物が語る、という展開である。ジェフリー・ライト演じるベリーズがここでも効いている。

大体会話が抽象的で何話してるかわかりゃしないんだが、なんだかこういう難しげな討論てのを聞いてるのも悪くない。

ユダヤ人のルイスがモルモン教徒のジョーとついに肉体関係を持つ。冷静なルイスに比べ初めてのゲイ体験であるジョーはルイスに夢中になる。
だがジョーがモルモン教徒であることを知ってルイスは驚く。モルモン教はカルト集団だと言うのだ。だがそう言われてもジョーは愛してると繰り返す。ルイスはジョーに何かを打ち明けようとする。

黒人、ユダヤ人、モルモン教徒そして亡霊と天使。
人種・宗教・同性愛・モラル・政治、声高に限りなく言葉を並べまくし立てるが議論は終わりそうにない。

ハーパーが南極だと思い込んだ場所が近くの公園であった。火をつけたことのみが現実。夫は男の所で幸せを感じている。空しい。

ロイ・コーンは実在の人物で共産主義と同性愛者を攻撃した同性愛者ということらしい。ここではアル・パチーノが物凄いエネルギーで演じている。
全く憎らしい人間像だが、観ていて面白いのも確か。ん?最初につい「クリスマス・キャロル」みたい、と言ったが彼と亡霊の組み合わせはまさしくそんな感じ。でも多分スクルージみたいにいい人にはならないような。
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月10日

「 ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」ガイ・リッチー

ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ.jpg

「スナッチ」の感想に「評判の作品でそのまま面白かった」と書いたがこちらも同じくそのまま面白かった。
特に子連れ狼みたいな息子連れの取り立て屋のヴィニー・ジョーンズが楽しい。躾にも厳しいのだ。
後パパ=スティング。ステキなのだった。
お隣さんがヤクの売人だとか運がいいんだか悪いんだかよっくわかんないしおかしいし何もかもを全部ひっくり返してがっちゃがちゃになってしまったような展開が愉快。
間抜けな4人組の情けなさもまたよろしい。
正直大好きでたまらない、とまではいかないけど小汚さは好きです。

監督:ガイ・リッチー 出演者:ジェイソン・フレミング 、 デクスター・フレッチャー 、ニック・モーラン、ジェイソン・ステイサム 、 スティーヴン・マッキントッシュ、 ヴィニー・ジョーンズ、スティング
1998年イギリス
posted by フェイユイ at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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