映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年01月18日

周杰倫、生日快楽!

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こんな夜遅くなってしまったがジェイ、生日快楽!
28歳ですね!
この一年もまた大活躍しそうなジェイであります。


posted by フェイユイ at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「エンジェルス・イン・アメリカ」3(第五章)マイク・ニコルズ

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第五章 現実と妄想の果てに

ルイス。悩むふりをしながらこんなに嫌な奴もいないやね。あっちもこっちも不幸にして自分が一番傷ついているみたいでさ。プライヤーに謝りに行くんでももっと素直にひれ伏して謝ればいいのに「自分も悪いけど君も悪い」とか。御託の多い奴ってやだやだ。ちと我が身を振り返りそうになるけど傍で見ていてこうも腹立たしい奴って。
プライヤーを傷つけたのも酷いが、新しく肉体関係を持った相手・ジョーがモルモン教徒で共和党支持者だとわかるとごねるはごねるは。こうぽんぽん悪口が出てくるのが頭のいいユダヤ人らしいんだろうけどね。
でも共和党にろくなのはいない、のくだりは笑えるけど。
一方、ジョーは長い間閉じ込めていた欲望を解禁し、女房と別れ男の恋人を持ったために怖ろしく開放的に変身。元・恋人に会いたいと泣く彼を見て「君のためなら第二の肌も脱ぐよ」とモルモン教徒のパンツ(そういうのがあるらしい)を海辺で脱ぎ捨てる。つまり素っ裸になったわけ。今までジョーはあまり好きじゃなかったけどこの率直さに好感度アップ。「優しさだけが親切じゃない」と訴える。それなのにルイスみたいなのを好きになってしまってさ(なんでこうもてるんだアイツ)

そして、そんなルイスが恋人だったプライヤー。エイズに罹りふらふらで可哀想なのだ。その上、ルイスがあっという間に見つけた新しい恋人ジョーを見に行って「いい男だった。カウボーイだ。自分がデイジーを耳にさしたフェアリーに思えるよ」なんて言ってしょげてしまう。可愛いではありませんか。
それにつき合うプライヤーの元恋人・ブリーズも健気だよね。
プライヤーはルイスの恋人を見てやろうと(そして何か文句言ってやろうとしてハンサムさに驚いて何も言えなかったわけなんだが。その後、喚いてはいたが)弁護士である彼の事務所に押しかけ、その後、ジョーがモルモン・センターに入るのを見てまたびっくり。そこにはジョーのお母さんがソルトレイクシティーからはるばるやって来て働くっていうかボランティアしてた。息子がゲイになったと聞いて心配して飛んできたのだ。そのお母さんの前でエイズのプライヤーは倒れこんでしまう。お母さん(メリル・ストリープなんだけど)はそんなプライヤーを抱きかかえ雨の中、タクシーを拾って病院に連れて行こうとする(気持ちはわかるけど、プライヤーをそうびしょぬれにさせちゃいけないんじゃ)

ロイ・コーンのエイズ症状はますます酷くなり激しい痛みを頻繁に受けるようになる。
そんなロイにジョーは自分が妻と別れ、男の恋人と暮らしている、と告げる。
隠れゲイであるロイ・コーンはそれを聞いて動揺しジョーに「そんな話をするな」と言って点滴の針をはずしてしまいあたりとジョーのシャツを血で汚してしまう。

プライヤーの所へ行くと言ったルイスを見送り(必ず戻ると信じて)ジョーは再び妻・ハーパーを迎えに行く。
そしてセックスをするが二人とも無言。目をつぶっているジョーを見てハーパーは「男を想像しているのね」と言う。
また出て行こうとするジョーにハーパーは素裸を見せる(今回は素裸を見せるということなのか)「私を見て。何が見える」「何も」
ジョーは出て行く。

女が男に素裸を見せて「何も見えない」と言われちゃ立つ瀬がない。こうしてジョーとハーパーは再び別れたのだった。

「エンジェルス イン アメリカ」WOWOWサイト
posted by フェイユイ at 22:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「殺人の追憶」ポン・ジュノ

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「殺人の追憶」について書くのは「藍空」の記事を含めて3回目だと思う。だけどあまりにも好きすぎていつも多く語れないでいるようだ。
今回見直したきっかけは先日、映画の舞台である華城(ファソン)で再び連続殺人事件が起きているというニュースを聞いたためだ。
1986年から1991年の5年間に9名の女性が残忍な手口で殺されたこの事件は未解決のままである。時効も過ぎてしまった。
今起きている事件とこの時の犯人が同じなのかは解らないが怖ろしいことである。

今回、初めて手にしたのはその時の事件を担当したハ・スンギュン刑事の手記「華城事件は終わっていない」である。
これを読むと実際の事件・捜査と映画は違う事が判る。がしかし、書かれた刑事さん自身が「映画が事実と同じでなければいけないという主張は、常識的に納得がいかない」と言われていることが本当だろう。
ただハ・スンギュン氏が疑問に思ったというタイトルの意味(韓国語でもそのままの意なのだろうか)というのは確かにひやりとするものがあった。
つまり
“「殺人の追憶」という言葉は、華城事件を追憶している、という意味なのか、あるいは単純に犯人が殺人を追憶している、という意味なのかが曖昧なのだ”
前者を考えても後者のことは考えなかった。だが映画の終わり、事件から12年たった(2003年)ある日、刑事を辞めたトゥマン(ソン・ガンホ)が事件現場に行き、そこに数日前別の男が来た事を知る。その時、その男は当時を懐かしむようなことを言ったのだ。怖ろしい最後だった。

再び同じ犯人が行動を起こしているのか知る由もないが、今度こそ犯人が捕まればいいと願う。
手記を読めば未解決のままになった刑事たちの無念が伝わってくる。特にいたいけな少女に対する殺害への怒りは悲しみに満ちている。

映画と大きく違うと思ったのは殺された女性の年齢の幅である。映画では少女から20代の女性を狙った感があるが実際の事件ではこの年代に加えて50代から70代の女性まで(3人)強姦殺害しているのだ。ある意味それも惨たらしいことではないか。(そして今、起きている殺人事件も同じような年齢差がある)性的犯罪というのは行う者の嗜好としての年齢と言うものがあると思うのだが(幼女趣味とか熟女好みとか)10代から70代までを強姦するというのはどういうことなのだろう。勿論そういうこだわりがない人物なのかもしれない。
ここで“人物”といったのは犯人が男であるとは限らないからだ。というのもこの著作の訳者である宮本氏が書かれていたのだが、確かにこれだけの時間と労力をかけて何万人という「男」を調べて犯人がいないのなら女性ではないか、というのは一理ある。
あらゆる人物を怪しんでも見つからなかったというなら捜索しなかった人物に疑いを持ってみるしかない。
もしくは・・・捜索している側の人間ということもある(これは宮本氏の考えではなく私の意見)映画では監督は一切そういう疑念はなかったのだろうか。
著作は刑事そのものなのだから自らを怪しむ記述はない。
まあこれはどちらも単なる想像でしかない。

後、ハ・スンギュン氏は「映画では事件と雨が深いつながりを持つように語られていたが、実際は雨の日の方が少なかった」と書く。
これは映画的演出であるとしかいえないだろう。とにかく韓国映画は劇的な場面に雨をよく使う。
土砂降りであるほど感情は激し、強いインパクトを残す。そして季節は秋から冬にかけてである。撮影での俳優達は雨に濡れて頭が割れるように凍えたという。電柱や線路も凍ってしまったらしい。そういった過激さが韓国映画らしい部分だと思う。

また著書にパク・ヒョンギュ(パク・ヘイル)らしい人物はいない。彼は映画での創作なのだろうか。
この映画のキャスティングはまったく素晴らしいものだ。監督自身、その苦心を語られているが、その時、私には主役のソン・ガンホとピョン・ヒボンくらいしか知ってる顔がなかった。
知らない人ばかりなのでリアルだししかも一人ひとりが実にぴったりとくる。特にパク・ヘイルの怪しい男はそれまで観た韓国映画に珍しい繊細な様子で本当に犯人なのか、無実なのか掴みどころがない。眼差しがなんともいえない美しさ・妖しさがあった(別作品でまったくイメージが違うので驚いた)
曇りの時ばかりに撮影をしたという重く暗い画面やどことなく恐怖を抱かせるセメント工場のそびえたつ建物。
事件の日に必ずかかるというラジオのリクエスト曲そして雨が降るという事実が背中に戦慄を走らせる。

そしてこの映画にソン・ガンホが出ていなかったらこれほど面白くはなかったはずだ。
勿論、ポン・ジュノ監督。韓流という枠を越えてここまで優れたミステリーを見せてくれたことにも衝撃を受けた。
音楽に日本人の岩代太郎が関わっていることも嬉しいことである。

監督:ポン・ジュノ 出演:ソン・ガンホ、キム・サンギョン、パク・ヘイル、キム・ルェハ、ソン・ジェホ、ピョン・ヒボン 
2003年韓国
ラベル:犯罪
posted by フェイユイ at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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