映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年03月31日

神G侠侶・第32集

緑萼は父・公孫止に母と自分に冷酷なことを嘆き、せめて楊過に毒消しを渡して欲しいと訴えた。

情花の毒で気を失っていた天竺僧が目覚めたが李莫愁の暗器をこめかみに受けて倒れ死んでしまった。

公孫止は娘・緑萼に刀をあて裘千尺の攻撃から身を守ろうとする。
緑萼は楊過を見つめた後、父親の刀を自らの体に貫いた。死の間際にも楊過が毒消しを飲むことだけを願って。
緑萼、なんだか小さい時からいいことなかったんじゃないのかなー、いわばお姫様なのに、気の毒。

公孫止が崖の岩場に逃げ込んだために楊過・黄蓉たちはその様子を見つめるばかり。
そこで程が岩場に飛ぼうと試みるが公孫止に阻まれてしまう。
それを見た小龍女は公孫止の岩場へ飛び移った。
公孫止は妻にと望んだ小龍女の美しい姿に見惚れる。小龍女は楊過を夫と呼び、毒消しを渡たしてくれるよう頼むが公孫止がはいと渡すわけがない。小龍女はついに戦いを挑む。小龍女の武芸は美しく皆見惚れてしまう。
だが弱っている小龍女を心配した黄蓉は楊過に言葉で公孫止を動揺するようにと声をかける。黄蓉と楊過はかわるがわる公孫止の気持ちをかき乱すような言葉をかけるのだった。
二人の言葉は公孫止を惑わし小龍女を助けた。ついに小龍女は公孫止を崖から突き落としてしまう。だがあわやというところで体をつなぎとめ、命と毒消しを交換条件にした。
仕方なく公孫止は毒消しを投げる。
小龍女はそれを手にすると楊過の元へ戻った。楊過は小龍女が青ざめたのを心配し「半分の薬では二人の命は救えない。自分だけが生き残っても生きてはいけない」と言って毒消しを谷底へ落としてしまう。小龍女は気を失った。
ひえええ。なんと可哀想なことを。必死で手に入れたのに。せめて取っとくぐらいにしてはいけなかったのか?

公孫止は命からがら逃げ出し毒消しを渡すはずだった李莫愁に事の次第を伝えて去った。

李莫愁が大師の命を奪ったために毒消しを作れる望みも断たれてしまった。
絶情谷の屋敷が燃えた。武・父は李莫愁が暴いた陸展元夫婦の遺体の在りかを問う。李莫愁はとっくに焼いて捨てたと答える。
が、陸展元を思った時、李莫愁は気を失って倒れた。情花の毒が効いたのだ。
火事の中に愛した陸展元の姿を見た李莫愁は炎に身を投じてしまった。

楊過・黄蓉達が行く山の岩陰になぜか裘千尺が座っていた。そこへ公孫止がやってきて裘千尺への恨みを吐き出した。
裘千尺はからかうように公孫止をおびき寄せた。
公孫止は裘千尺へ飛びかかろうとしたが突如あった穴に落ちてしまう。それを見た裘千尺は喜んで近づくがその途端公孫止の袖が首に絡まり共に落ちてしまった。

黄蓉は小龍女に楊過を助ける方法を教える。亡くなった天竺僧の側に断腸草が生えていたのだ。それは劇薬なのだが、もしかしたら楊過を救えるかもしれない、というのだ。
だが小龍女が治らなければまた楊過は飲まないかもしれない。黄蓉は小龍女に楊過が飲むよう勧めて欲しいと頼んだ。
小龍女は引き受け、自分が死んだ後の楊過をよろしくと頼む。
小龍女は自分の死期が近いのを感じていた。
ラベル:金庸
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マット・デイモンとマーク・ウォールバーグ、ボクシング映画で再共演

マット・デイモンとマーク・ウォールバーグ、ボクシング映画で再共演

ですって!
まだ「ディパーテッド」も観てないんで再共演と言われても。
ボクサーですか?マット、また痩せちゃうのかな〜?
posted by フェイユイ at 00:04| Comment(2) | TrackBack(1) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月30日

神G侠侶・第31集

情花の棘から自分を守る為にただ一人の味方である弟子・洪凌波を殺してしまう李莫愁。あまりの酷さに黄蓉もその行為を非難してしまう。

黄蓉一行と楊過たちは谷主である裘千尺の前に出た。一行の中には裘千尺の兄である裘千仞もいる。
それに気づいた裘千尺は長兄の仇を討たず仏門に入った次兄を咎めた。
相変わらず棗吹き攻撃をするんだけど、これって気持ち悪いんだよね。吹く前に口の中でごにょごにょするでしょ。あれが胃の中に溜め込んだ棗の種を戻してるのかな、って感じでイヤーなかんじなの。それをぷってされたら汚なーい。特に千尺さんにされるのはやだ、やだ。

裘千尺は楊過に絶対に毒消しを渡そうとしない。これは娘・公孫緑萼の婿のためのものだと言い張る。
楊過は自分の妻は小龍女だと言う。
緑萼は楊過に文句をつけて母親のように棗を楊過に向かって吹き付けた。
だがそれは弱々しく楊過に取られてしまった。

楊過は以前優しかった緑萼の変化と吹き付けられた棗に疑問を持つ。受け止めた棗の種に触るとそれは割れて中から地図が出てきた。それは捉えられた大師たちの居場所を教えるものだった。

楊過が助けに行った時、大師は毒消しを調合するために自ら情花の棘を刺し、昏睡状態にあった。

裘千仞は苦しんでいた。妹からは兄の敵を討てといわれ一灯大師からは諌められた。
裘千仞は黄蓉の赤ん坊を取り上げ殺そうとする。皆に緊張が走った時、黄蓉は大笑いし、瑛姑を演じて裘千仞が赤ん坊を殺したことを思い出させその時と同じように殺せと言うのだった。
裘千仞はかつての罪を思い出し、郭襄を取り落とす。咄嗟に黄蓉は赤ん坊を足で掬い上げた。
裘千仞は落ち着きを取り戻した。
これを見た裘千尺は黄蓉たちの周りを刃物のついた網で囲ってしまった。

楊過と小龍女は二人話し合っていた。
楊過は助かる時はふたり一緒でなければいけないし、自分だけが助かるなどは考えられないと言う。
そしてまだ情花の毒で苦しむ楊過を見て小龍女は心配する。楊過は時には痛みも幸せの一部なのだという。
情花って意味深な名前。その毒は好きな人の事を思う時に作用する、なんて酷いのだろう。誰も好きにならなければ苦しみもないが、どうしても好きになってしまうものなのである。誰かを好きになるとそれだけでも胸が苦しくなるわけだし、また色んな困ったこともおきる、ということをこの情花で表してるのだろう。困った情花である。

公孫緑萼は楊過と小龍女が仲良く話し合うのを聞いて涙し、父親と李莫愁が自分を殺して情花の毒消しを手に入れようと算段しているのを盗み聞きしてしまう。
実の父親にこんな話をされてしまうなんて。緑萼ほど可哀想な娘もいませんね。母親も嫌いですが、この父親は一体ナンなのでしょうか。
悲しむ緑萼は自分で情花の中に身を投げ出し、母親に泣いて訴える。始めは緑萼の声に嘘を見破った裘千尺だったが、父上は私が母上のことばかり思っているのが気に入らないのです、という訴えにやっと頷き復讐を誓うのだった。

裘千尺は黄蓉たちを捕らえていた網を解き、黄蓉に棗をぶつけ、黄蓉はこれを受ける、という勝負をした。出来れば毒消しを渡すという約束で。
黄蓉は口で持って千尺の棗を受けた。
裘千尺は約束だから仕方ない、と言って緑萼に毒消しの在りかを伝えた。その声は小さく周囲のものにはわからなかった。
ただ一灯大師にはその内容が知られていた。クスリは床下に隠され偽物と一緒に保管されていた。勿論千尺は偽物を渡せといったのだった。緑萼が悩んだ末に取った毒消しの壜を黄蓉に渡そうとした時、父・公孫止が横からクスリ壜を横取りしてしまった。
ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月29日

神G侠侶・第30集

耶律兄妹は全真教に蒙古軍が攻めてくることを伝えた。耶律斉の師匠は周伯通なのだった。老頑童は蜂を操るのが巧くなりご満悦である。

郭襄を連れた楊過と小龍女は古墓にいるのだが、そこへ行くには潜水をしなければいけない。出産後の黄蓉は潜水するわけにはいかないので残る事になり道を知っている李莫愁について郭芙、耶律斉、武兄弟が行く事になった。

ところが途中で気が変わった李莫愁は4人を岩室に閉じ込めてしまう。
郭芙はまた武兄弟にあたるが耶律は岩の間から赤ん坊の泣き声を聞き、郭襄ではないかと察した。耶律は岩を砕き赤ん坊を助ける。
古墓の中では楊過が小龍女の治療の手助けをしている最中である。そこへ李莫愁が乗り込んでいったので治療は中断してしまう。李莫愁の攻めで一旦穴道が開いたのだが彼女の内力に毒が含まれていたために小龍女は再び血を吐いてしまう。
楊過は李莫愁を棺に閉じ込め自分たちも棺に入って治療を再開するが今度は郭芙がそこに李莫愁が潜んでいると思い違いし、李莫愁の毒針を打ち込んでしまう。楊過たちは棺を飛び出す。楊過は郭芙を憎しみに満ちた目で睨みつけた。だが小龍女はこれは運命なのだからしょうがない、という。
こういう時にも郭芙は自分のいいわけばかり言ってますます楊過を怒らせる。楊過は郭芙から赤ん坊を取り上げて小龍女と共に閉じこもった。

小龍女は傷ついた体で横たわりながら楊過に赤ん坊を黄蓉に返し自分が死ぬ前に旅をしたいと言う。楊過は肯いた。

郭襄を取り戻せないまま古墓の外へ出た郭芙たち。そこには黄蓉の姿はなく山火事が起こっていた。母親を探して火の中へ入る郭芙。だがそこには黄蓉ではなく李莫愁がいた。郭芙は李莫愁に捕らえられてしまう。黄蓉は娘を助けようとして火に阻まれていた。

小龍女は自分たちは不幸になる運命だが誰かを幸せにしたい、といって楊過に郭芙を助けるよう頼む。小龍女の願いに楊過は郭襄を黄蓉に返し火の中へ入り郭芙を救ったのだった。

楊過と小龍女は旅に出た。山に登りたいという小龍女に楊過は傷ついた体を心配するが願いをかなえることにする。
山で二人は一灯大師と苦悩する慈恩に出会う。
一灯大師は小龍女の体をすぐに察し丸薬を渡し師弟なら毒を消せるかもしれないと伝える。
それは楊過のために絶情谷へ行った大師であった。
苦悩している慈恩は裘千尺の兄・裘千仞であった。大師はともに絶情谷へ向おうと勧めた。

李莫愁は弟子の凌波と共に陸と程を追いかけていた。そこへ楊過たちが到着し、絶情谷の中で戦う彼女達に花の毒の事を告げた。陸無双は楊過の右腕が無い事に驚く。
そこへ登場するのが郭芙たち。郭芙はまた自分が悪者になっていることに憤慨し騒ぎ立てた。黄蓉が郭芙を咎める。

そんな時、李莫愁は情花の上で弟子の凌波を蹴り飛ばしていた。

ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月28日

神G侠侶・第29集

全真教の者たちは毒消しを残していった楊過と小龍女に感謝する。だが毒消しを持っているはずの老頑童はそれを落としてしまい、鐘の中にいる趙志敬がちゃっかり手を伸ばして取ってしまった。
趙志敬は毒消しを渡す代わりに逃してもらいたいと条件を出す。老頑童は本物かどうか匂いを知りたいといって趙志敬に毒消しの蜜の蓋を開けさせる。蓋を開けると蜂が集まって来て鐘の中に入り趙志敬を刺したのだった。

楊過と小龍女は古墓に戻り傷ついて起き上がれない小龍女を休ませていた。
二人は結婚を誓い、名前を呼び合った。
小龍女は楊過に頼んで開祖様が残した婚礼衣装を身につけた。楊過は赤い蝋燭を灯した。
だが小龍女は自分の命が残り僅かなことを感じ死を怖れた。

武親子と高僧たちは楊過の毒消しを探すためにぜ絶情谷へきていた。が、情花を摘むのを谷の者たちに見咎められてしまった。

楊過は死を怖れて悲しむ小龍女を救う方法を思いつく。経脈を逆行させ寒玉床で治すことができるはずなのだ。
玉女心経の気を逆行させ陽の気にすれば寒玉床と合うのだ。
二人はすぐに寒玉床へ向かった。

絶情谷では武・父や高僧たちがが裘千尺の攻撃を受けて捕まってしまうのだった。かろうじて武兄弟は逃げ延びた。
武兄弟は途中で情花の棘を刺してしまい、痛みはなかったのに郭芙を思い出した途端に痛み出した。

武・父たちは捕らえられかまどの中で火にあぶられていた(いくらなんだってコレ死ぬよね)
そこへ公孫止の娘・緑萼が来てかまどの中を覗き込み楊過の安否を尋ねた。高僧は娘の目の清らかさを見て楊過の様子を話した。
緑萼は火浣室の火を弱めたと伝える。高僧は緑萼に情花を持って来てくれるよう頼んだ。毒消しが作れるか調べたいと言って。

逃げた武兄弟は耶律斉兄妹と出会う。蒙古軍に追われていた。武兄弟は助けに入った。耶律兄妹は蒙古の終南山への攻撃を教えようとして追われていたのだった。
そこへ郭芙の赤馬が誰も乗せず走ってきた。武兄弟は驚き急ぎ赤馬に乗った。耶律兄妹はこれを見送った。
走る武兄弟の逆方向から公孫止が完顔萍を馬に乗せて駆けてきた。それに気づいた武兄弟は馬を返して後を追う。公孫止を止めようとするが公孫止は武兄弟の敵ではない。
再び走り出した公孫止の前に耶律兄妹がやって来た。武兄弟は止めてくれと叫ぶ。耶律斉の攻撃に公孫止と完顔萍は吹っ飛んでしまった。武弟が完顔萍を抱きとめる。
耶律斉が公孫止と戦っている間に武弟は完顔萍を赤馬に乗せて走らせた。
走ってくる完顔萍を郭芙・黄蓉・李莫愁が見つける。

黄蓉と李莫愁はまだ耶律たちと戦っていた公孫止に立ち向かった。「また美女か」と言う公孫止の言葉に満更でもない李莫愁かっこいいなー。
だが公孫止は二人から逃げ、再び完顔萍と郭芙を捕まえた。そこへ耶律斉が追いつき郭芙を助ける。武弟は完顔萍を。
そしてなお逃げる公孫止を黄蓉は追いかけた。
ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月27日

「やさしくキスをして」ケン・ローチ

LX.jpg     
カソリックでアイルランド人のロシーンとイスラム教パキスタン人(と言っても生まれ育ったのはスコットランド)のカシム、二人が愛し合うのがどんなに困難なことか最初からわかってはいることなのだが、それによって家族や周囲との関係がどんどん壊れていく様が丹念に描かれていて胸が痛くなるものであった。

問題は次々と投げかけられ結局はどれ一つとして解決はせず多分この後も増え続けるばかりなのだ。

それでなくても結婚ないし他人である二人が共同生活していくことには互いや家族の考え・価値観の違いで困惑することばかりでそれは減ることはなく増加していくのも確かだ。
はっきりとわかる宗教の違いというものではなく家族間のすれ違いで苦しむことは誰しも経験するのではないか。

カシムは何度もロシーンに対し不信感を持たせるような台詞を投げつけその度に反省しているが今後も何度も同じことを繰り返すに違いない(苦しみの発端となったのはカシムが自分の婚約や宗教による決まりごとを教えなかったからで好きな女を目の前にした男としては当然のことだろうが最悪だった)
ロシーンもまたカソリックであるために何度も苦しむ事だろうし、それだけでなく仕事も不安定な彼らは経済的にも苦労が絶えないはずなのだ。

「日本ではないことだから」「自分は無宗教だから」という考えもあるだろう。でも決して違う世界の事ではない(イスラム教とカソリックではないにしても)はずだ。
事柄が違え自分がいつも迷い恐れ苦悩することが違う形であるだけだと思う。皆思いついていないだけなのではないか。

結局二人が幸せになれるのか、なれないのか。宗教のせいなのか、同じ宗教なら幸せになれるのか。ずっと愛し合えるのか、憎しみあうのか、誰も判りはしないのだ。
ただ二人で歩いていこう、と決めるしかない。
それは自分自身も同じだ。
伴侶とはいつも絶えず争いごとがある。考えの違いに茫然とすることもある。
困ったね。
ぶつかりあいながら道を進むしかないんだよ。

「やさしくキスをして」日本人夫婦ではあまり言わない台詞じゃない?私は言えません!!

ケン・ローチ監督、初めてだがこのような問題を凄く面白く観せてもらった。
主人公の二人が魅力的なのも確か。カシムが言い過ぎて留守電で「君は僕を苦しめるのに成功したよ」というのでロシーンがひひひと笑ってるのが可愛くて好きだった。ほんといい気味。

監督・ケン・ローチ 出演:アッタ・ヤクブ 、エヴァ・バーシッスル 、アーマッド・リアス 、シャムシャド・アクタール 、シャバナ・バクーシ
2004年 英=伊=独=西
posted by フェイユイ at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やっぱり好きな人をいつも見ていたいから!

ブログ画面の写真を変えてみた。
といっても一番上の写真はジェイに決めてるので。

マット・デイモンが張孝全に。
全体的になんとなく裸っぽい。こっちにガン飛ばしてるし。アジア系のみになった。台湾勢が多くて後は韓国。
偏ってしまったなー。
好きなものだけだからこうなるのは当たり前か。
しばらくこれでいこう。

ジェイのヌードは永久保存です。
posted by フェイユイ at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月26日

「豚と軍艦」今村昌平

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なんだか変な夢を見てるような映画だった。

勿論当時に生きていた人にとってはリアルなのだろうけど、今となってはこのような情景の日本というのは嘘のような気がする。冒頭「これはすべて架空の物語である」と出るのもそれを裏付けているように思える。全てがシュールな夢のようなのだ。

また同時にとてももどかしい気持ちにさせる映画であった。どこかへ行こうとすると引き止められたり、お金を盗もうとするタイミングが遅くて捕まったり、たくさん出てくるアメリカ人・中国人の言葉がわからないし(外国語の時は字幕がないし、日本人もなまりが強くて何を話しているのかよくわからない)親は真面目に働こうとする娘に売春婦になれと強要する、何もかもうまく行かない、こうしようと思っても出来ない、心は通じ合わないし、考えも行動もばらばらなのだ。こうしたもどかしくうまくいかない感じもまた夢を見ている時に似ている。
というのは無論作り手の計算なのだろう。
戦後、何もかも町も生活も思想も価値観も全てが壊れてしまい、人々は混乱の中にいる。真っ当なことをしようとするほどうまくいかない奇妙な世界で生きていかねばならないのだ。
主人公・欣太はチンピラとして生きていこうとするが恋人・春子はそれを嫌い堅気になろうと説得する。欣太は耳を貸さず悪どい仕事を続けるがついに足を洗う決意をする。だがその途端欣太は命を落とす事になるのだ。
筋書きだけだとよくある話なのだが、なんとも語り口がうまいのでつい惹きこまれてしまう。
今村昌平の演出はおかし味があって飽きないし、からりと乾いているところがうれしい。映像的には日本映画というよりヨーロッパのものを観ているようでそういうところも不思議な雰囲気を余計感じさせるのかもしれない。

主人公・欣太の長門裕之は何の拠りどころもない若者をかっこ悪く演じていてよかった。昨日観た勝新みたいなパワフルさもなくむしろ今っぽい感じだった。
恋人・春子の吉村実子。真面目に生きようとするのに母・姉からアメリカ人の愛人にされそうになるという気の毒(?)な環境にいる。うっかり間違った道にそれそうになりながらも力強く歩き出す。女が不幸になるのが好きな人には受けないだろうが、この時代に希望を抱かせてくれてよかった。
丹波哲郎氏演じる早とちりのヤクザの兄貴がおかしい。すらりとして凄くかっこいいのに。兄貴がかっこいいというのはいいね。

米軍基地の町は軍艦が寄港するたびに活気付く。米兵相手の売春婦達が沸き立つ。
ヤクザの一家が基地から出る残飯で養豚業を始める。だが一家が分裂し豚を巡って争いとなる。
運搬中のトラックから豚が町へと走り出し、町には豚が溢れる。
皮肉な状況が滑稽に展開していく。

先日テレビ番組でマーティン・スコセッシ監督が敬愛するという今村昌平監督の作品の中で特に感化された作品としてこの「豚と軍艦」を取り上げて話されていたようだった(テレビはつけていたんだけどあまりちゃんと見てなかったのだ)今度スコセッシ作品を観るときはちょっと気にして観よう、と思った次第。

監督:今村昌平 出演:長門裕之、吉村実子、南田洋子, 丹波哲郎, 加藤武
1961年日本
ラベル:戦争
posted by フェイユイ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月25日

「兵隊やくざ」増村保造

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昨日観た「陸軍中野学校」と同じ監督と知らず観てしまったのだが、こちらはうって変わって目茶目茶面白いものだった。

「中野学校」の方はやたらと規律だの面子だのが重要視され人の命が軽んじられて嫌悪感がつのったものだがもっと以前に作られたこちらの方が人情味溢れて生命を大切にしているのは不思議だ。天皇陛下のため、国のためという言葉もここでは皮肉に使われている。(というか後になる方が妙に懐古趣味になるものか)

日本の戦争映画というのをそれほど観ているわけではないが、こういう爽快感があるものというのは珍しいのでは、と感じた。戦闘シーンは全くなく、関東軍兵舎における内部での人間関係のみに焦点が置かれているのもシンプルで面白い。

ソ連(ロシア)国境近くの満洲・孫呉のその兵営はまさに巨大な刑務所だという。そこでは連日新兵が上官に殴られ続けていた。
(ちょうど読売新聞で亡き城山三郎氏が志願して入った海軍で朝から晩まで殴られずくめの絶望を味わった話を読んでいた)
そこへ新しく入ってきたのが浪曲師になりそこねヤクザをやっていた大宮貴三郎だった。殴られてもちっともこたえず、滅法荒っぽいこの男の面倒見を上官は三年兵・有田に押し付けてしまう。
大学卒のインテリで戦争を嫌い、幹候試験をわざとすべった上等兵・有田はこの常識はずれの荒くれ男をすっかり気に入ってしまうのだった。

現在の感覚では全く理解しがたい、何の根拠も秩序もなく拳を受け続けなければならない新兵たち。
人並みはずれた頑健さを持ち(スタミナはなかったけど)嬉しくなるほどの腕力を持つこの大宮という男は当時暴力を受け続けていた人にとってはヒーローなのではないかと思ってしまう。こんな男がいたらさぞやすかっとするだろう。なにしろ元ボクサー相手でも最も手強いという炊事兵(炊事兵ってそんなに強いのか)が束になってかかっていってもぼかんぼかんやっつけてしまう。だがそこは規律のある軍隊、暴れた後は制裁が待っているが大宮を可愛がる有田は持ち前の頭脳で彼を守り続ける。荒くれ大宮もそんな有田を上等兵殿と呼んで慕うのである。

有田がなぜそこまで大宮を好きになりいちいち構うのか、ちょっと奇妙ですらあるのだが、自由を求めるインテリ有田が奔放な大宮に何かを感じるものがあったのだろう。
シリーズで続く為もあるが(ははは)大宮が南方戦線に送られそうになっても「ずっと一緒だ」「離れない」などと言い合って深い絆を結んでいくのである。

大宮を演じる勝新太郎は他に考えられないほどはまり役で確かに可愛い(と有田さん曰く)が、田村高廣のインテリ有田のメガネ顔が素敵なのである。ヤクザな大宮を気にかけ可愛い奴というその思いもステキなのである。それにインテリで腕力なしと言っても度胸はあるし口がうまいし不思議な調合の男らしさを持っていて凄くかっこいいのであった。

戦闘シーンはなくとも戦争によって生み出されていく理不尽さ、冷酷さはこのような形の映画のほうがより伝わるような気がする。戦争しないで内部でこうも潰しあっていてはしょうがないと思うのだが、事実このようなものだったのだろう。
必ず上等兵殿を救う時が来る、という大宮は戦況が悪化して日本に戻れなくなった有田を脱走させると誓う。
強奪した機関車の先頭部に大宮と有田が乗り大陸を走っていく。最後もかっこいい。

監督:増村保造 出演:勝新太郎、田村高廣、淡路恵子、成田三樹夫
1965年日本

成田三樹夫がここでも嫌ーな役で登場してたのがうれしかった。

ところでこの話、ちょっと「盛夏光年」思い出させます。だって荒くれとインテリでインテリが荒くれの面倒をみろと上官におしつけられるんですからね。正行と守恆みたいでしょ。
でも有田さんは大宮が気に入っちゃうし、大宮も有田さんと離れたくなくて、南方戦線に送られそうになると二人とも悲しくなってどうにかしようと画策するし、こんな深い友情というのか結合というのか他にはありませんね。なんとかして二人一緒にいられるよう滅茶苦茶頑張って成功するんですから凄い。
そういえばちゃーんと慧嘉役の娼婦(いや慧嘉は娼婦じゃないですけど)も出ています!そういえば二人と仲良くなってるし。
不思議だなあ。こういう話って結局そういう風になるのかな、それとも私がそういう話が好きっていうだけかも?

「軍隊は階級じゃねえ、襟の星の数よりメンコの数のほうがものをいうんだ」
メンコってナンなのかわかんないんですけど、とにかく階級より長く兵隊やってる方が偉いらしい。つまり伍長で2年兵より上等兵の3年兵の方が格上らしい。ははあ。

追記:メンコというのは「めし・食器」のことらしい。つまり軍隊生活が長いというなのだ。なるほど。
posted by フェイユイ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 増村保造 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

「陸軍中野学校」増村保造

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日本で初めての諜報機関員養成学校を題材とした作品で昭和十三年、緊迫した世界情勢の中での物語であるが私にはそうした政治的歴史的背景とこの映画をつなげて論じるような事はできないので単純にこの作品についてのみ考えてみる。

実在する諜報部員養成施設の成り立ちを描いているわけで物語は極端にシリアスである。
その誕生は草薙中佐という一人の男の夢・英国諜報部に負けないものを日本にも作りたいという熱意のみで成されたものなのだった(映画の中では)
陸軍からは認められていない個人の寺子屋的施設ということでまるで学校内で無認可で部活をしているかのような侘しさがある。
集められた青年達はいずれも将来有望な才能溢れる者ばかりということでますます少年漫画でよくある才能ある奴を集めて野球部を作る的な雰囲気である。
主人公は次郎演じる市川雷蔵だが多くは青年達の青春群像劇として物語られていく。
草薙中佐は青年達にスパイがいかに過酷であるか、だが自国のために必要であるかを説くのだが、ここではすべて口頭のみの説明に過ぎないのでスパイに関する数少ない自分の知識を思い浮かべるしかない。
スパイというとすぐに思い起こすのはそれこそ英国諜報部員007だがあの華やかなる世界と違い、本作の学校は貧乏でしんみりしてしまう。私はまだ観てないが「カジノロワイヤル」と見比べてみてもいいのかもしれない(そんな人いないか)
最初は乗り気でなかった青年達が草薙中佐という先生の熱意にほだされ次第に愛着を持っていく様も運動部のノリを感じさせる。それにしても登場人物たちの考え、行動に対して強い反感を持ってしまうのは同時代を生きていないからなのだろうか。
スパイにとって大切なのは誠の精神だとか盗みを働いた仲間に「先生に迷惑がかかるから」と腹切りを強要したり恋人を思ううちにいつしかスパイ活動をする羽目になってしまった婚約者を憲兵に突き出そうとしたり(先生に止められ、殺してしまう。どっちもどっちだ。好きな人の手にかかって死ぬ方が幸せですと)そういったエピソードが当たり前のように出てきて「やはりこの時代の日本は怖い」と暗澹たる気持ちになったりする。

主人公・次郎を演じる市川雷蔵があくまでもクールで二枚目であるためにますますこの狂った状況が恐ろしい。
それでも雷蔵はやはりかっこよくて話の云々より彼の美貌を観る為にのみ鑑賞したほうがよいのかもしれない。

だがこの映画はとても観たかったものでやはり観てよかったと思う。この不条理な世界は今作ろうと思っても作れそうにない。
ストーリー自体は諜報部員になる為、親も恋人も切り捨て訓練に没頭する次郎と音沙汰なくなった恋人・次郎を探す雪子がいつしか英国のスパイになるという皮肉を絡ませ面白いものであった。
一流のスパイになるためにダンスを習得したり女性の性感帯を勉強したりなどという箇所もある。この辺ばかり興味をもつ人もいそうだけど。

この作品はシリーズで5作品あるようだ。2作以降は全く違う娯楽作品になるらしい。一応007シリーズを意識して製作されたということでこれらも観ていきたいものである。

監督:増村保造 出演:市川雷蔵、小川真由美、加東大介、村瀬幸子、早川雄三、待田京介、仁木多鶴子、三夏伸、仲村隆、ピーター・ウイリアムス、E.H.エリック
1966年日本

小野田 寛郎さんが陸軍中野学校卒業生だったと今頃気づく。
ラベル:戦争 増村保造
posted by フェイユイ at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 増村保造 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月23日

「ラヴ トレイン 心動列車 Vol.4 エピソード2気づかぬ恋心」第五話(張孝全)

アチュイがいい写真が撮れないと悩むシーンで荒木経惟みたいにがんがん撮りまくったら一枚くらいいいのが撮れるのか、と言う。しかもバーの小姐までアラーキーが亡くなった奥さんについて「彼女が写真の撮り方を教えてくれた」と言ったとか語ったりしてアラーキーさすがです。私はアラーキーが奥さんを亡くしてしょんぼりしてると猫のちろちゃんが「しっかりしろ」とばかりにしっぽをぴんと立てたという話が好きでした。それを見て元気が出たという。余談でした。

アニタはマイクに紹介されたプロデューサーに認められ念願の歌手デビュー。アチュイは個展をひらくほどにがんばり会場を訪れたアニタに想いを打ち明けキスをしてめでたしめでたし。

あ、ブライアンとシンディも仲を修復して結婚へ。ハッピーハッピーです。

登場人物がみんないい感じだったので凄く楽しく観れました。特にアニタさんがよかったな。
ブライアンのダンカンもすてきでした。
あとマイク。ハンサム〜。

お目当ての張孝全はとにかく可愛くてたまんないですねー。体の大きな子供って感じで愛おしい。
ぼーっとした純真さが売りの彼なのでデンジャラスなムードなどは無理ですがいつも困ったような純朴な感じがたまらなく色っぽいのでした。
アニタさんが小柄なのでぼーっと大きな感じが余計に強調されて素敵でした。
張孝全くんの役はこういう素朴系なのでうまさが伝わりにくいと思うのですが、こうして観てるとホントーにいい感じなんですよ。改めていい役者なんだと感じました。

「盛夏光年」の守恆はまさしく張孝全にぴったりの役どころだったわけですが、これからどんな映画に出てくれるのか、どんな役を演ってくれるのか、これまで以上に楽しみになってます。
ラベル:張孝全
posted by フェイユイ at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ゲルマニウムの夜」が観れるねー地方でも

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「藍空」でちょっと騒いだ「ゲルマニウムの夜」とある場所でしか上映されないということで地方の者は永久に観れないのかと思っていたら4月11日wowow水曜深夜0:05シネジャパンというので放送されるようだ。テレビでは一地域でしか映さないってわけじゃないのね、と皮肉を言いつつ、まあ喜ばしいことであります。
とはいえ深夜0:05から2時近くまであるようで結局私は観れないと思う・・・。遅く起きていられないし、ビデオもないしDVDレコーダーもない。そんな根性なしか、と怒られそうですが。

ま、テレビでやったなら見る機会はいつかあることでしょう。私としてはレンタルDVDになってくれるのが一番なんですけどね。

と言ってたら、DVDになってたのね。レンタルもされてたし。知らなかったー。ナンなんだよもう。
posted by フェイユイ at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月22日

「ラヴ トレイン 心動列車 Vol.4 エピソード2気づかぬ恋心」第四話(張孝全)

アチュイの嘘もばれて失恋。一方アニタとは成り行きとは言えキスしたりして急接近。
だがアニタはカメラマン・マイクの撮影でプロデューサーを紹介すると言われアチュイとの食事の約束を忘れてしまう。
7時の約束なのに11時まで待ってるアチュイって。それなのにしょうがないなと許すなんて出来ない。こんな人いるのかな。
アニタは忘れてた、ごめーん。てな感じでしたが。

アニタがマイクの事を褒めるほどアチュイの機嫌は悪くなる。どうしてもマイクに追いつけないというあせりがあるアチュイ。そんなアチュイをガキだと罵りながらもつい弾みで叩き落としたウルトラマンネオスを買ってやろうと台北中を探しまわるアニタ。

アニタは無事プロデューサーのお眼鏡にかなって歌手になれるのか。アチュイはカメラマンになれるのか。二人は結ばれるのか、ネオスはどうなるのか。
アチュイがネオスが好きでも話ができないなあ。初代ウルトラマンとセブンならかなり知ってるんだけどー。
ラベル:張孝全
posted by フェイユイ at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「カポーティ」ベネット・ミラー

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トルーマン・カポーティ。私としては少女期に興味を持った作家の一人なのだが、正直それほど作品自体を愛読したわけではない。むしろ作家自身に好奇心が向いていた。

カポーティのデビュー作品(多分)に使われた彼の写真が横たわって誘うような目をした少年の姿だったために当時のアメリカでは非常にセンセーショナルだったという話(実際はもう少年ではなかったのだが小柄なせいもあって若く見えたのだった)は充分心を惹かれた。映画のなかでも一瞬その写真が映っている。
またマリリン・モンローを「美しい子供」と形容した話、後年には奇怪な格好の目立ちたがり屋で酒びたりというこの作家の最も有名な作品についての映画化ということで興味と期待は高まった。

映画「カポーティ」フィリップ・シーモア・ホフマンの演技が凄い、と評判であり彼自身もカポーティになりきるために研究を重ねたということなのだが、どういうものか、これがカポーティなのかなと思ってしまったのだった。
といってもこれには何の根拠もない。私は幾枚かの写真でしかカポーティを見てないしまして声や動作は全く知らないのだから。
ただなんとなく昔から思っていた自分の思うカポーティと違ってたというだけ。古い記憶の裸で踊るカポーティと違う感じがしたからだけなのだ。
もしかしたらホフマンの演技というより映画で表現されたカポーティという人物が自分が思う彼と違っていたという方が正しいのかもしれない。

本題から離れた所の話ばかり続くがカポーティ同性愛者であり、声や外見からもすぐにそれとわかるのに恋人ジャックとの関係がまるで昔の映画のように匂わすだけになってるのが不思議だった。この映画の主旨は別の所にあるのでホモセクシャルな場面を用意して観客が逃げるのを怖れたのだろうか。しかしそれなら最初からゲイであるカポーティを撮る必要はないだろうし。
アメリカ映画で夫婦もしくは男女の恋人なら当たり前に挨拶のキスや同衾している場面は出てくるはずなのに恋人同士のジャックとカポーティはなぜ一度もキスをしないのか?実際のジャックとカポーティは他にないほど深い絆で結ばれていたようなのに。

もう一つ「冷血」の主人公となるペリー・スミスに対しカポーティは自分との共通点を見出し共感しもしかしたら愛情を感じていたのかもしれないという話なのにこの映画ではその辺りがあまりにもあっさりと客観的に描かれていてカポーティがどう思っていたのか、なんとも思っていなかったのかうまく伝わってこなかった。「愛する人を利用する事はできない」というカポーティの台詞が全てだったのか。それとも。

この映画では「冷血」という作品タイトルが人殺しであるペリー・スミスとリチャード・ヒコックに対してではなく金儲けのために死刑囚を利用して人々の好奇心をかきたてる小説を書こうとするカポーティに対して与えられているのだが、映画の中ですでに言葉にして言ってるのでまあ、ご丁寧に、と思ったりもした。
それでなくとも刑務所の中の囚人達の運命と社交界でのカポーティの華やかさが極端に描かれていてカポーティの軽薄ぶりに充分嫌悪感を抱けるとは思うのだが。

なんだかちっとも言いたいことがはっきりしないようだがつまりは、言いたいことはわかるけど、どれもこれも薄もやに包まれているようではっきりしない、ということなのだ。

時間の限られた映画のことゆえ仕方ないとは言え、カポーティの素晴らしい小説を感じさせる要素が少なかったのでは、とも思う。私はそれほどファンではないのでまだいいが、彼の美しい文章を愛する人々にとってはそういっ説明も欲しかったかもしれない。
作中にちょこちょこ出てくる名前も註なしなので判る人にだけわかればよいということなのだろうか。ジェームズ・ボールドウィンだとかテネシー・ウィリアムズだとか。
カポーティがアメリカの名作映画「アラバマ物語」を「そんなに大騒ぎするほどの出来じゃない」などとつぶやくのも彼の意地悪さを演出してるんだろうけど。

「カポーティ」というタイトルだが実際は「『冷血』のカポーティ」である。
この部分もまた彼らしく興味深いが私はこの部分以外のカポーティにより惹かれる。
何と言ってもアメリカ南部の話が凄く好きなのである。じっとりと重く苦しい感じがある。カポーティという外見や行動は常識はずれなのにこれ以上ないほどの美しい文章を生み出す天才がなぜアメリカ南部の土地で生まれ育ったのか。
彼の孤独な魂がどのように作られまた朽ちていったのか、興味は尽きないがこの映画では感じさせてもらえなかった。

監督:ベネット・ミラー  出演:フィリップ・シーモア・ホフマン 、キャサリン・キーナー 、クリフトン・コリンズ・Jr 、クリス・クーパー 、ブルース・グリーンウッド 、ボブ・バラバン
2005年アメリカ

文句ばかりかいてしまったが面白かったのではあるのだ。
同時代の作家(と言っても戯曲家だが)のテネシー・ウィリアムズの作品の方が好きなのではある。
彼もまた南部の人。「テネシー」っていう映画も作って欲しい。

死刑の場面はやはり怖い。特に絞首刑って恐ろしい。他のなんでも怖いけど。
ラベル:犯罪 死刑
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(2) | TrackBack(2) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「盛夏光年」小説

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「盛夏光年」の原作小説が届く。文字だけだと思ってたらモノクロではあるがかなり写真がついていてこれはいいですねー。
残念なのは正行と守恆の絡み写真がないことだけど、とても綺麗なのでうれしいのだった。
勿論さっさと読めるわけではないけど時々眺めていやいや読んでみよう。
posted by フェイユイ at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月20日

「ロスト・ハイウェイ」デヴィッド・リンチ

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デヴィッド・リンチの映画はいつもどこかで「コオオオオオオオ」という音がしている。

デヴィッド・リンチを自分のブログに書いたのは初めてなのかな。とはいえその出会いは「エレファントマン」の時からで、若かった私は(今観てもそうだろうがしかし)物凄い衝撃を受けたものだ。かの映画が上陸した時はヒューマンドラマとして評判だったのだが、実はこれは「こういう世界」が好きな「フリーク」な人々がいるのだと初めて知ったことで二重の衝撃を受けたのだった。この映画で評判になった為にその後「イレイザーヘッド」を観る事ができた。それゆえに「エレファントマン」がヒューマニズムを隠れ蓑としたフリークの為の映画だと言うことが確信できたのだった。なんといっても「エレファントマン」の魅力の一つはその映像の美しさであり創作者の愛情が込められているのである。それは一般にいう愛情とは大きく違うものなのだが。

初っ端からリンチは私に「隠したいが隠せないもの」という人間の心理を教えてくれたのだった。
見てはいけないものを見たくなりそれを好きになってしまうこともある。差別や禁止といった歯止めが余計に人の欲望をかき立ててしまうのだ。

冒頭に音について書いたが遠い昔のことだが「イレイザーヘッド」でもコオオオオという音がしてたような気がする。

またリンチの映画には(一般的に言って)非常に醜いものと非常に美しいものが登場する。差別的発言を危惧するためになかなか触れにくい部分ではあるが(しかしまたそのタブーがまたリンチなのでそれなしには語れないのだが)飛び切りの美男美女が登場するかと思えば体に障害を持つ人々もまた多く登場してくるのだ。
「ツイン・ピークス」を思い出すとリンチ監督の趣味が実にわかりやすくなるだろう。
映画版には「この世で一番美しい死体」というキャッチコピーがついていたのではなかったろうか。この言葉がまさに見てはいけないが見たいもの。欲望を持ってはいけないが持ってしまうもの、という心理を表している。
ドラマには美男美女が様々な趣向で登場しまた奇妙な人々が勢ぞろいしていた。田舎町というのは濃厚な世界である。
ドラマとは思えないほど摩訶不思議な出来栄えだったが凄い人気だったのはうなづける。私も大変にのめりこんで観ていたフリークの一人である。

なかなか「ロストハイウェイ」にたどり着かない。この辺で切りかえよう。

とは言えだからといってここからこの映画の謎解きをするわけでもない。
ただこの悪夢の物語に酔わせてもらったのは確かだ。

観初めてすぐあの「コオオオオオオ」という音にとり憑かれた。前に進めば進むほどわからなくなってしまう迷路からもう逃れられないように物語の中に引きずり込まれてしまう。
心の奥底に暗黒を見る恐怖がある。
主人公フレッドが闇の中に入り込んで出てきた時には何者かに変わっていた。
妻を殺害した後、フレッドの精神が崩壊しピートという若い男になるという妄想を始めるが無論その以前、物語が始まる前から彼の意識は変化していたのだろう。
しかしまあ時系列の組み換えの云々も楽しいが他では滅多に味わえる事のないこの奇妙な快感にゆっくりと浸りたいではないか。

あおる奴が大嫌いなエディー氏の爆走には参った。おかしい。

監督:デビッド・リンチ 出演:ビル・プルマン、パトリシア・アークエット、バルサザール・ゲティ、ロバート・ブレイク、 ロバート・ロジア、ゲイリー・ビューシイ、リチャード・プライアー、ジャック・ナンス、ジョヴァンニ・リビシ、マイケル・マッシー
1997年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月18日

五月天・阿信の「盛夏光年」

五月天の「盛夏光年」ばかり聞いている。いつもジェイの歌ばかり聞いてる私だけどちょっと浮気。

五月天・阿信の歌声ってちゃんと聞いたのは初めてで。のびやかで気持ちよい。映画のイメージとも相まって凄く溺れそう。

CDを買ったんだけど一緒についていたMVもすてき。ここでも観れる。

ここでも
横にいるのはブライアン?
ラベル:音楽
posted by フェイユイ at 21:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

「ラヴ トレイン 心動列車 Vol.3 エピソード2気づかぬ恋心」第二・三話(張孝全)

アチュイ・・・可愛い。なーんてかあいいんだ、きみってば。

今回はダンカン・チョウ登場。雰囲気のあるハンサムです。しかもアチュイ=孝全と違ってセレブです。そのダンカン=ブライアンが恋人シンディと不仲になったことからアチュイ・アニタにそれぞれが絡んでくるのでした。

アニタさんとは相変わらずつかず離れずの関係なアチュイですがウルトラマンネオスを購入する為にひとり日本へ旅立つ。って言ってもすぐ帰ってきてアニタとじゃれ合い、お土産を渡したりしてます。そしてアニタを通じてシンディと知り合うのですが、シンディはブライアンとこじれているためにめそめそ。アチュイにキスしてしまうのです。アチュイは結構喜びますが、実際にはシンディがブライアンを忘れきれないでいることを察しています(エライ)但し困ったことにアチュイはいつもどおり女の子には自分がカメラマンであると言って自慢してしまうのでシンディもアチュイがカメラマンだと信じて好きになってるのだ。金城武も撮ったなんて嘘をついてしまうのだよね。名前もアチュイが働いているスタジオの主・マイクを名乗ってしまう。このマイク、外見もかっこいいのだ。おまけにアチュイの撮った写真を見てアニタのだけがいい、なんて見透かしているし。

孝全くんのキスシーン、なかなかすてきでした。キスするんじゃなくてキスされたんですけどね。
アニタ姐さんとはくっつくようでくっつかなくて邪魔者がいつもはいって、あははって感じです。次も楽しみ。

次です。
アチュイはすっかりシンディといい仲に。ただまだカメラマン助手である事を打ち明けていません。あくまでも実力派カメラマン・マイクと偽っています。しかし貧乏な助手と人気カメラマンじゃ金銭感覚も全然違うだろうに騙されるのかなー。
アニタは自殺した昔の恋人ジエの命日にビルの屋上へ立ってシンディとアチュイを心配させます。デモテープを郵送したレコード会社からの返事は来ず、田舎の父親が入院と言う知らせを聞きさすがにアニタ落ち込み実家へ戻ろうかと考え始めています。
買い始めた捨て猫にやる餌も買わずカップ麺しか食べていないアニタをアチュイはまた面倒見てます。やさしい。しかもカップ麺食べさせられてたにゃんこが突然キャットフード食べて胃炎になりアニタの電話で撮影の仕事中に抜け出すアチュイ。これにはマイクも怒りました。
アチュイとシンディとはうまくいっていたのですがデート中にブライアン(ダンカン・チョウ)から電話が入り食事に誘われるシンディ。その帰り道シンディは駅で撮影中のアチュイの姿を見かけるのでした。アチュイは仕事でミスをしてまたマイクから叱られているところだったのです。

しょうもない嘘をついてしまうアチュイ。やはりメンツは大事なんだよね。
アニタも苦しい状況です。さてどうなっていくのでしょうか。
ラベル:張孝全
posted by フェイユイ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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