映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年03月16日

「ラヴ トレイン 心動列車 Vol.3 エピソード2気づかぬ恋心」第一話(張孝全)

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「ラヴ トレイン 心動列車 Vol.3 エピソード2気づかぬ恋心」第一話を観ました。つまり張孝全くんが出演している部分ということです。すみません、こんな見方で。

もう随分前に台湾版を購入しようと何度も思ったのですが、値段と内容がつり合わないのではという恐れからとうとう買わずじまい。まさか、日本語字幕でレンタルできるようになろうとは。うれしー。

2003年製作ということですので「ニエズ」と同時期なのですね。いつもボーズのイメージの彼ですがここではちょっとばかり長めの茶髪です。しかも女性が相手役なので(ははは)凄く大柄に見える。かなりマッチョなかんじで素敵です。
「ニエズ」でも「盛夏光年」でも他のドラマでもあまり表情のない印象なのですが(ちょっと悲しげで)ここでは違う孝全くんが観れてお得でした。バーに行っては可愛い女の子をくどこうと頑張ってたり。でもよく観てたら純情で不器用なのは一緒だったです。乗り物もスクーターだし(笑)お金持ちの役じゃないですねー。そこが好きなんですけど。

しがないカメラマンなんだけどそれをネタに女の子を口説いたりする青年アチュイ。
台北のマンションに一人暮らしなんだけど、口やかましいお母さんがやって来ては掃除しろだの彼女を連れて来いだの大騒ぎ。しかも冷蔵庫に一週間分の油抜き野菜玄米弁当を仕込んでいく。
アチュイの隣室にはアニタという年上(29歳)の女性が住んでいて二人は仲良しなんだけど、アチュイは「年上は口説かないしアニタは美人のおばさんていうだけ」などと憎たらしい事を言っている。
アニタは歌手志望。歌はうまいし美人だが、「29歳じゃ誰もCDを買わないよ」などと音楽プロデューサーに言われ落ち込んでしまう。

アチュイとアニタの関係が面白いし楽しい。これなら買っててもよかったかな、と思ったが日本語で意味がよくわかるからかもしんない。
孝全くんの相手役が年上の女性というのは合っていてとてもいいな。

アチュイ=張孝全の魅力:
アチュイはウルトラマンフリークで日本にウルトラマンを買いに行くのが好きらしい。棚にはウルトラマンがずらり。そしてなぜか日本で買ってきたカップ麺を冷蔵庫に入れている。入れなくていいと思うけどー。いくら台湾が暑くても。

口うるさいおかあさんだとか隣のお姉さんだとか年上の女性に弱い?

女の子を口説こうと頑張るがどうもうまくいってない。

アニタがマンションのベランダからタバコをポイ捨てしたら怒った「下に人がいたら危ない」ほんとだよ。

アニタ姐さんが生理になったんでナプキンを買いに行かされる。(素直にいくところがかわいい)人に見られるのは恥ずかしいのだが、ナプキンに色んな種類があるので悩む。結局夜用を購入。おお偉い!しかもなぜかベビーパウダーも購入。ナプキンにつけたらお尻がさらさらだと力説。この時アニタさんが笑ってたのがちょっとおかしかった。こまめに人の世話を焼くのは孝全くんの真骨頂。可愛い。

思った以上にいい感じで続きを観るのが楽しみになりました。友情は愛情の一つなんだって。なんだか別の作品に置き換えて考えてしまう言葉だわん。



ラベル:張孝全
posted by フェイユイ at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キム・ギドク監督の『息』、4月に韓国公開へ

キム・ギドク監督の『息』、4月に韓国公開へ

ギドク監督思いなおされたようでよかったよかった。3万人もなかなかいいですよ。
早くDVDになんないかな。「時間」はまだ観ないでいるのだけど。これはチャン・チェンだから観ようっと。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月15日

「プルートで朝食を」ニール・ジョーダン

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キトゥン=パトリックが素敵だ。悪い子で。小さな頃から悪ふざけばかり、おまけに女装が好きで養母の怒りを買う。いつも笑ってばかりだがそれは寂しさを誤魔化すためだと父親は知っていた。

「シュガーベイビーラブ」を始めとする明るい70年代ミュージック(懐かしい)が流れ、一章一章が短くてテンポが早いし、キトゥンが何かと騒ぎを起こしてくれるし、楽しくてしょうがない映画だが、結構色んなものが盛り込まれていてしかもそれらにいちいち説明がないから知ってる人はわかるし知らないとナンだろうという感じ。特にアイルランド独立運動家たちの行動が映画全体に絡んでいるのでその辺は是非知っておきたいものである。一応「ブラッディサンデー」などに当たっていたほうがよりこの映画を堪能できることだろう。さらにキトゥンの初恋の相手(?)となるビリーみたいなアイルランドのミュージシャンに詳しければよりこの部分が楽しいのだろうが、私はさほどアイルランドの音楽を聞いてないのでちょっと残念だった。
私がとても面白かったのはキトゥンが赤ん坊の時自分を捨てていった母親を「Phantom lady」と呼んでいたこと。アイリッシュで「Phantom lady」といえばアメリカのミステリー作家ウィリアム・アイリッシュの「Phantom lady=幻の女」である。しかも主人公は都会の中で(向こうはニューヨークでこっちはロンドンだが)一度しかあったことのない女を探し続ける、というものだ。向こうは自分のアリバイ=現場不在証明のために。こっちは自分の存在を確かめる為に。「Phantom lady」は他の和訳もできようからあえて「幻の女」になったのはそういうことかな、と思った次第。つまりはこの映画の中には思いきりアイルランド風味が混ぜ込まれているのだな、と感じたのだった。

とにかくキトゥンが不思議な魅力を持っている。学校時代はふざけてばかりで怒られてばかり制服は着てるけどご丁寧に刺繍やビーズをたくさん装飾しているし。家でも女装癖の厄介者と罵られあっさり家出。お母さんを探す旅にでる。行く先々で色んな男性に出会うけどなぜかいつも気に入られてしまう。相手がうんと年上なのが多いのはお父さんも欲していたからなのかな。もちろん、綺麗だからでもあるだろうけど素直な心を持っているからなのだろう。
特におかしいのはキトゥンがIRA独立運動のためクラブに爆弾を仕掛けたという疑いを持たれ警察に詰問(拷問?)される場面。イギリス人はアイルランド人を吊るしたり尻に電気を流したりする、という前述の言葉を思い出すとかなり恐ろしい場面のはずなのだが、なぜかここでもキトゥンは警官二人から奇妙に愛されてしまう。キトゥンも「いい囚人になりますから置いてください」なんて言い出すし。ここは酷い目にあわされ続けてきたアイリッシュとしてはなんともいえない不思議な味わいなのではないか。ジョーク?

念願だった母親との再会はあっという間のもので事実を告げることもなかった。それでいいんだろう(それにまだチャンスはある)代わりに会えたのが本当の父親。神父(結婚してはいけない)である男性がキトゥンの父親だった。女装したキトゥンと朝食をともにする父親である神父、というのは奇妙な図ではあるがなぜだかとてもほっとする居心地のよい雰囲気があった。
そしてガールフレンドのチャーリーとの関係がいい。チャーリーがIRA独立運動で死んでしまった恋人との子供を堕ろすため病院へ行ったのに誤魔化して逃げ出したときはうれしかった。傷ついたチャーリーを気遣うやさしさもいい。それはキトゥンの本当の父親だと判った神父様もそうなんだけど。そんな3人を見てふしだらだと嫌い家に火をつけた嫌な連中がいた。だが3人はまた新しく生活を始める。チャーリーは息子を産んだ。
キトゥンとベビーカーを押すチャーリー、これからも彼らには様々な事件や障害があるんだろうけどなんだか大丈夫だよ、っていう気にさせてくれる。

ミッツィ・ゲイナーも知らなかったしな。有名なミュージカル女優なのだった。
最後にコマドリにオスカー・ワイルドの名前を言わせてアイリッシュ(とゲイの)決めをつけてくれた。

ところでこのタイトルのプルート(冥王星)は惑星でなくなってしまったよ。

監督:ニール・ジョーダン  出演:キリアン・マーフィ リーアム・ニーソン スティーヴン・レイ ブレンダン・グリーソン イアン・ハート エヴァ・バーシッスル スティーヴン・ウォーディントン ブライアン・フェリー
2005年アイルランド・イギリス
posted by フェイユイ at 22:16| Comment(6) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月13日

ジェイ、映画情報

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ジェイ・チョウ、「灌籃」でダサイ格好を披露?

高度なアクションシーンといい、14歳みたいな格好といい、楽しみというしかありませんね。
自作映画『不能説的祕密』もまた同じく。

こういうのもあったとは。
ラウ監督新作にジェイ・チョウとチョン・ジヒョンが主演へ
ですか。忙しいですねー。
posted by フェイユイ at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「屋根裏の散歩者」実相寺昭雄

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「盛夏光年」で清らかな気持ちになってるとこにこの映画を観て感想を書くなんて。レンタルなんで仕方ないのだが困ってしまった。本作に関係なく自分の気分ていうのもあるし。

とは言え、江戸川乱歩原作。「帝都物語」で好きになった実相寺昭雄監督作品。しかも明智小五郎を嶋田久作が演じているということで非常に興味深かったのだ。
昭和初期のレトロな雰囲気がいい感じで表現されていてそれだけでもなかなか楽しい。この世のあらゆることに退屈しきっている青年・郷田を三上博史が演じていてこれもぴたりとはまっていた。
この厭世観漂う青年が住む下宿屋の屋根裏を彷徨いながら各部屋を覗き込む。そこにはなんともアブノーマルな世界があった。
郷田は天井の節穴の下で口をあけて寝ている遠藤のその口にモルヒネを垂らしこむことを考え付くのだった。

うーむ、こんなにバラエティにとんだ下宿があるのだろうか。何と言っても1920年代だからこそ考えられるのかも。現在ではみんなパソコンかゲームかDVDなんか眺めているだけで、その内容は、ま、色々ありましょうが上から覗き込む分には微動だにしない人間の頭が見えるだけでつまらなそうである。多くがバーチャルの中で快感を得ている現在には難しい設定だ(自分も覗かれてもじーとパソコン観てるだけだもんな)
てことはこの散歩者は現在ならやはりネット上を覗き込んでいるということなのでしょうか。

取り立てて素晴らしいのは明智役の嶋田久作。「帝都」の時の加藤とは違う飄々としたイメージで最後に屋根裏散歩の郷田青年が犯人だと知っても「僕は警察の犬じゃないからね」とさらり。知的で味のあるいい明智小五郎であった。

監督・実相寺昭雄 出演:三上博史、嶋田久作、加賀恵子、宮崎ますみ
1992年日本
posted by フェイユイ at 22:48| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「盛夏光年(花蓮の夏)」もし君の言葉が聞こえていたら

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また昨日と同じような事を書く。

「僕と慧嘉とどっちが好き」正行の言葉が頭の中で何度も繰り返し聞こえてくる。
正確にはそう言ったわけじゃない。日本語でもないし。二者択一のゲームをしていて守恆に問題を早く言えとせかされて言ってしまった。
「ウォ ゲン フィジャ」だけ。その返事は「は?」だったけど。守恆の馬鹿。大事な言葉を聞き逃すなんて。でももしこの時聞こえていたら守恆はなんて答えてたんだろう。それを考えるとぞくぞくする。
もしかして聞こえてた、っていうことはないのかな。

年を重ねてしまうと感受性は鈍くなっていく。映画を観ていても胸がキュンと痛むなんてあまりない。
でも「盛夏光年」を初めて観た時、正行が熱に浮かされたような苦しげな表情で守恆に聞いた時、心臓をつかまれたようだった。

正行は苦しんでいるだけで守恆に問いかけようとしない。優しくしてくる守恆を邪険にすらする。
二人はずっと互いの事が好きで他に何も入ることができないくらいなのに、正行の苦悩は独りよがりで馬鹿馬鹿しいものだ。聞けばいいのに聞くことはできない。相手を傷つけて自分が苦しんでいる。真直ぐに行けば近いのに遠回りしてしまった。そして自分を閉ざしてドアを叩いている守恆を容れようとしないのだ。
そういえば守恆はいつも正行の家の前で呼び続けていたっけ。正行、正行、正行。うるさいくらい。それは君を好きだよ好きだよと言っていることなんだけど、その声を正行は理解していない。
慧嘉が二人の間に加わり、二人は幼い頃のままではいられなくなる。成長というのは苦い経験を繰り返していくものだ。
互いが好きなのに互いに傷つけあい心臓から血が流れ出す。正行が好きという言葉を言えなかったように守恆も自分が隠していたことを話せないでいた。
最後についに二人はつかみ合って喧嘩してしまう。慧嘉は怒ったけどそうやって体がぶつかるのが男の子には必要なんだ、昔から。最後に二人が言葉もぶつけ合えてよかった。二人の人生はこれからなんだけど。

追記:阿信が歌う主題歌「盛夏光年」の歌詞とフェイユイ独自の訳ですが信じてはいけません。

「盛夏光年」

作詞:阿信 作曲:阿信 演唱:阿信(五月天)

我驕傲的破壞 我痛恨的平凡 才想起那些是我最愛
讓盛夏去貪玩 把殘酷的未來 狂放到光年外 而現在
放棄規則 放縱去愛 放肆自己 放空未來
我不轉彎 我不轉彎 我不轉彎 我不轉彎
讓定律更簡單 讓秩序更混亂 這樣的青春我才喜歡
讓盛夏去貪玩 把殘酷的未來 狂放到光年外 而現在
放棄規則 放縱去愛 放肆自己 放空未來
我不轉彎 我不轉彎 我不轉彎 我不轉彎
我要 我瘋 我要 我愛 就是 我要 我瘋 我要 我愛 現在
一萬首的mp3 一萬次瘋狂的愛 滅不了一個渺小的孤單
我要 我瘋 我要 我愛 就是 我要 我瘋 我要 我愛 現在
盛夏的一場狂歡 來到了光年之外 長大難道是人必經的潰爛
放棄規則 放縱去愛 放肆自己 放空未來
我不轉彎 我不轉彎 我不轉彎 我不轉彎

僕は勝手に革命を起こした 平凡でありたくなかったんだ
やっと思い出したんだ
それらが自分の一番大切なものだったということを

真夏に僕らは遊びまわった
残酷な未来は宇宙の果てまで続く そして今

ルールを投げ捨てるんだ 思うがままに愛すればいい
自分を解き放て
何もないままに未来へと走ろう
もう戻らない 戻らない 戻らない 戻らない

法律がもっと簡単になり秩序がもっと混乱したら
そんな青春を僕はやっと好きになるだろう
真夏に僕らは遊びまわった 
残酷な未来は宇宙の果てまで続く そして今

ルールを投げ捨てるんだ 思うがままに愛すればいい
自分を解き放て
何もないままに未来へと走ろう
もう変わらない変わらない変わらない変わらない

僕は狂いたい 僕は愛したい 絶対に
僕は狂うだろう 僕は愛するだろう 今

一万曲のMP3 一万回の狂った愛
なくならなかったほんの小さな孤独さえも

僕は狂いたい 僕は愛したい 絶対に
僕は狂うだろう 僕は愛するだろう 今

真夏の大はしゃぎしたあの場面
宇宙の果てまでたどり着いてしまった

成長すれば人は必ず腐ってしまうわけじゃないだろう

ルールを投げ捨てるんだ 思うがままに愛すればいい
自分を解き放て
何もないままに未来へと走ろう
もう戻らない 戻らない 戻らない 戻らない
ラベル:同性愛 友情 青春
posted by フェイユイ at 18:51| Comment(25) | TrackBack(1) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月12日

「盛夏光年(花蓮の夏)」正行と守恆

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正行と守恆。中国語読みだとジョンシンとショウヘンですが日本人的にはマサユキとモリツネ。親しみやすい。
「まさゆきぃ、泣くなー」なんて。英語名では正行がジョナサン。守恆がシェーンですね。私としては是非まさゆき、もりつねで呼んでいきたいのだ。

DVDを手に入れた時は興奮でなんと書いていいかわからなかったのだが、心落ち着けて観るほどにそして思い出すたびにますますこの映画が好きになっていく。

自慢できるほどゲイ・ムービーをたくさん観てるわけではないが、それでも幾つか心に残る作品がある。
「盛夏光年」を観て「王の男」を思い出した。ストーリーは全く違う二つの作品だが、幼い頃から寄り添い成長してきた二人がいつしか相手にそれ以上の想いを抱く、という物語。
その中でも二人が頼る者と頼られる者という関係で、相手を守っているつもりだったのに本当は自分が相手を必要としていたんだ、という設定に物凄く弱くて、これをやられるところっと参ってしまうのだった。
昔では「バーディ」というアラン・パーカー監督作品があり、好きで好きで何度も観た。女の子と付き合うことなど全く興味がなく鳥だけを追いかけている青年バーディを見守るアル。ゲイではないんだけど、それ以上に深い繋がりをもつ二人の青年の関係が好きだった。

「盛夏光年」でやはりすぐに目を惹かれるのは正行を演じた睿家だろう。幼い時から守恆をずっと保護し続けそれがいつの間にか恋に変わっていた。男同士である以上、その想いを打ち明けるわけにはいかない。女の子と付き合っても抱きしめる事ができないことに気づいた正行は思い悩む。
友人として仲良くしようとする守恆に却って辛くあたったり「お前が見てないとうまくいかないから」とバスケの試合観戦を頼まれるのに見に行かなかったり神経が高ぶって受験に失敗したりする。最後に守恆に「お前が一番の友達なんだ」と言われて涙をためて見つめる目が印象的なのだ。
守恆を演じた張孝全びいきの私としては睿家に見惚れながらもちょっと悔しい気もしたのだが。台湾金馬賞新人賞もブライアンのものとなったし。
だが映画を観るうちに本当にせつないのは孝全の守恆のほうなんだとわかったのだ。
彼は正行が秘密にしていた「本当は二人の友達関係は学校の先生からの依頼から作られたものだった」という事実を最初から知っていた。知っていながらそれを口にしてしまえば正行が自分から離れていってしまうようで怖かったのだ。
成長してからも守恆はいつも正行に見守ってもらいたいという気持ちから逃れる事ができない。それで彼の姿が見えないといつも落ち着かず探しまわっている。それは恋心なのか別の感情なのか。ただ守恆は正行がいないと駄目なのだ。
正行は自分が守恆を好きで守恆がそれに気づいていないと思い苦しんでいるが守恆はいつも正行のことばかり考えていて彼を助けようとしている。
相手を思いやり守っているのは守恆のほうなんだ。正行はそれに気づいていない。
この感じは彼・張孝全が以前演じた「ニエズ」の小敏と同じである。
(この思い、先にコメントでまもうさんに言われちゃったんだけど、同じように感じていたのでここで書かせてもらいます(笑))
「盛夏光年」では悪ふざけばかりしているバスケ少年という役なので「ニエズ」とは全く違うと思っていたら好きな人への思いは同じような純真で一途なものだったので凄くうれしくなってしまったのだ。
昨日と同じような事を繰り返して言っているだけだけど。

二人の間に現れた女の子・慧嘉は二人が成長し変化するのを促す重要な役割を果たしている。
この後、この3人がどんな風に関わりあっていくかは人によって受け止め方が違うだろう。
ただ昨日も書いたように名前にその意味が込められているなら慧星はしばらく去ってしまうのかな、と考えられなくはない。

張睿家の顔いいですね。甘すぎない程度に可愛くて劇中では大人しい役ですがスポーツマンらしい引き締まった体つきで素敵です。目がきょろんとしてまだ子供みたいな魅力があると思います。どことなくリウ・イエに似てる気がする時もあるし、髪型のせいでジェイ・チョウに似て見える時もある。またそれかって言われそうですが私にとってジェイに似て見えるっていうのは重大なんで。似てるって言っても時折で大変印象的な青年だと感じます。こういう男の子らしい雰囲気の人を使ったのはうれしいですね。
張孝全。魅力を再確認しました。ゲイを題材にした映画・ドラマに何度も出るというのはかなりリスクのあることなのではないかと心配もしますし、そうそうこればかりというわけにも行かないだろうから次の作品は違ったものになってしまうと思われるのが残念でもありますが。でもずっと彼を観ていきたいというのが願いです。

posted by フェイユイ at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月11日

「盛夏光年(花蓮の夏)」陳正道

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昨日はやっと「盛夏光年」を観て恍惚としたあまりなんと書いていいかもよくわからない状態でした。今日も状況は変わらないのですが、いつものようにだらだらと思うままに書いていこうかと思います。

とにかく「盛夏光年」というより張孝全くんの映画を観たいと思ったのは前のブログ「藍空」を始めるより前だったのですからもうかなりの年月がたっています。
私がブログを始めるとっかかりは「ニエズ」のレビュー(とジェイ・チョウ)でしたし、特に小敏を演じた張孝全に強く惹かれるものがありました。いわば張孝全(とジェイ・チョウ)を書くためにブログをはじめたといってもいいのです。
が、他のドラマはあるもののなかなか彼の出演映画、というものを観る事は出来ず(武田真治主演の台湾映画「給我一支猫」に出てるんですけどねー、観れなかった)途中兵役に入って2年でしたかブランクがあり、寂しい思いをしていました。さて出てきてどうなるのか、と思っていたら突然の映画主演、しかも同志片ではありませんか。
長い間待たされた甲斐があったというのでしょうか。うれしいような不安なような複雑な気持ちでした。でも映画を観る前からちょこちょこ見ることができた映像・写真で相手の青年(ブライアン)の様子や映画の雰囲気を知るごとにこれは半端なものではないな、という期待はたかまりました。
そしてついに観る事ができて・・・好きです!って何かのコマーシャルのようになってしまいました。
確かに甘い甘ーい映画ですけど、センチメンタルで純愛でもうたまんないですね、これは。
名前からして守恆(張孝全)=恆星(恒星)、正行(ブライアン)=行星(惑星)、慧嘉(ケイト・ヨン)です。それで光年なわけですね。すてきです。

冒頭の場面、というのは後でわかることですが最後の場面なのです。海辺の建物の中でぼんやりと寄り添い座ったままの守恆・正行・慧嘉。どこからか少年の声が聞こえ、守恆が幼い頃を思い出すといういい導入部です。(ただしここちょっと勘違いしそう。名前を呼ばれたらその人に聞こえて行く方がいい。つまり正行のほうが。しかもその直後「余守恆、覚えてるかい?」とナレーションが続くのでますます混乱しないか?)
映像の綺麗さというのがまたくせものでいつも薄い色のフィルムを透かしてみているような幻想的な色調なのです。舞台も台北でなく田舎の町ですし(田んぼがある)建物なども特に斬新なわけではなくどこか古い懐かしい感じがするもので統一されていて特に正行の家は(ジェイも言ってた)台湾にある日本家屋を使ったのでしょうか、こういう建築もあるのでしょうか、よくはわかりませんけど畳や襖や土間があって塀がブロックという懐かしい日本風の家です。赤い紙(春聯)が貼ってあるのが中国的で面白い。でも土間の感じは思い切り日本の家っぽいです。この場面、よく見る光景なので日本人だとうっかり見過ごしそう。
守恆が何度も名前を呼ぶので急いで出てくる正行の後ろにもぼんぼりとお雛様(?)が飾られているみたい。
しかし守恆うるさいですよね。自転車二人乗り、アツアツだー。
守恆はバスケット選手。「ニエズ」でもアチン達はバスケットだったし、ジェイもバスケ好きですが台湾はバスケットが盛んなのか、単にかっこいいイメージなのか。
練習中にも試合中でもいつも正行がいないか確かめてる守恆。姿が見えないと追いかけてきて「お前がいないとうまくいかないって知ってるだろ!」と言って責めてるのがかわいい!っていうか頼りすぎだろー。その後じゃれます。じゃれるのは台湾モノで不可欠ですね。

一応、正行が守恆に対して恋心を抱いた、という設定ですが実際観てると守恆の方がいなくなる正行を追いかけたり、慧嘉と話しているからと言って嫉妬したり彼女を睨みつけたりしていてなんだかどっちが思いが強いのかわかりませんね。その辺がこの物語のうれしい所なんですが、なんだか氷を入れたとろりと甘い清涼飲料水みたいな感じでいつまでも味わっていたい気分になります。
慧嘉って可哀想。だって彗星だもの。惑星(正行)は恒星(守恆)の周りをぐるぐる同じ周期で回っていれるけど彗星だったらこの話の後、飛んで行っちゃうってことですか?んで当分帰ってこないわけですよねー。

昨日も言ったクラブの騒音の中で正行が初めて守恆に自分の思いを少しだけ口にする。「どっちが好き?僕と慧嘉は」そこへ慧嘉が来る。正行はたまらなくなってその場を去り、吐いてしまう。正行にとっては物凄いプレッシャーだったんですよね、この告白は。
そして正行は守恆に自分たちが友達になったのは幼い時に先生の言いつけでなっただけなんだ、と話す。
もう正行ってなあ。正行は守恆に恋して苦しんではいるんだけどこの物語の中ではずーっと守恆をいじめてばかりなんだよね。むしろ守恆の方がいつも正行を追いかけ機嫌をとったり守ろうとしてる。変ですね。そしてこの真逆の告白。好きなのに嫌いと言ってしまう奇妙な心理です。
そしてこの後、泣きながらバイクで走った守恆は車とぶつかって倒れてしまう。もうどきりとしましたねー。あの映画もこの映画も恋人が事故で死んだのだし。
が、守恆は無傷でした。そこでやっとここからですよ。大きくなってから正行が(まあ少なくともこの映画の中で)初めて守恆のために動いたのでした。何しろ守恆は小さい頃正行にいつも世話をしてもらってたわけで、寂しかったんでしょう。急に相手にしてくんないんだものね。それが電話一つで飛んできてくれた。バイクを運転して自分を乗っけてくれたわけで守恆としちゃ昔を思い出してとろーんとしちゃいますよ。
そして守恆はついに正行を抱いてしまうのですが。キスをする二人が綺麗で見惚れてしまいます。ところでどうして守恆ってやり方知ってんですか?勉強してました?

そしてまた守恆と慧嘉から離れようとする正行に守恆が告白します。
幼い頃君が先生の言いつけで友達になったのは前から知っていた。君が自分から友達になろうとしたんじゃない事は知っていた。でも僕はどうしようもなかった。寂しかったんだ。君は一番の僕の友達なんだ。

守恆はずーっと正行だけが好きだったわけなんで。正行が守恆を思うよりずっとずっと思っていたわけですよ。
それを馬鹿だな正行って。よかったよかった。幸せになれよ。

監督:陳正道 出演:張孝全(ジョセフ・チャン) | 楊淇(ケイト・ヨン) | 張睿家(ブライアン・チャン)
2006年台湾

ところでこの映画が監督の思い出なら正行なわけなんでしょうね。

特典映像の最後ので正行が晶晶書庫に行ってます。有名なゲイショップですねー。私も「藍宇」加長版が欲しくてここに注文をしてもらったことがあります(自分ではできない)台湾に行ったら寄ってみたいものです。

『花蓮の夏』オフィシャルサイト
posted by フェイユイ at 21:28| Comment(4) | TrackBack(1) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月10日

「盛夏光年」

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なんて言ったらいいのか・・・いい映画だったなあ。物凄く好きになると言葉をなくしてしまう。
子供時代を一緒に過ごしてきた同性の友達・守恆に恋をしてしまう正行。その守恆が自分のガールフレンドだった女の子・慧嘉と仲良くなってしまったのだ。正行の思いが苦しくてしょうがなかった。
仲間からクラブに誘われても心はどこかへ行ったままなのだ。そんな正行相手に守恆が遊び始める。「AとBどっちが好き」という他愛もない遊び。まず守恆が問いかけ上の空で正行が答える。次は正行が守恆に問いかける。「黒と白は?」「黒」「果物とケーキ?」「果物」「猫と犬?」「犬」口ごもる正行を守恆はせかす「わかったよ、考えさせて」そして聞いたのが「僕と慧嘉は?」クラブの喧騒で正行の声は守恆に届かない。
これはどきりとしました。

同性の恋を描いた物語でありながら彼らにとっては友情が凄く大切なことであるという私にとってはこんなに心に響くものはありません。

今日は少しだけしか書けないのですが、また何回かこの映画に触れていこうと思います。
posted by フェイユイ at 23:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月09日

「ハードキャンディ」デイヴィッド・スレイド

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この映画に騙されてはいけない。一見美少女がロリコン男を手厳しく罰していく復讐劇のように見えるのだが(事実苛めているのだが)それはあくまで一般大衆を安心させる偽装にすぎないのだ。

男にとって怖い映画だの男の敵などと言っている男性批評家がいるけどきっとそういう人はロリコンじゃない真っ当なお方なんだろう(じゃ私はロリコンか?)ロリコン男特にロリコンマゾならこの映画はたまらない作品に違いないのだ。ああ、俺もいたぶられたい、美少女に!ということだ。
大体、美少女が大人の男を最初から最後まで散々に酷い目にあわせる、というような映画をなぜ男が作るのか。監督はか弱い少女をロリコン男から守る正義の味方か。ロリコン男に制裁を加え反省を促したのか。違う。
それはこの映画がまさにロリコン男しかもロリコンマゾの為に作られたからなのだ。

主人公のロリコン男はよくある美少女を襲い、いたぶり強姦殺害願望のタイプではないのだ。彼の願望は美少女にいたぶられる事。だからこそ単なる美少女では駄目でネットでもサディスティックな傾向の持ち主を探していたに違いない。
美少女に縛り上げ散々にいたぶり言葉攻めやられ放題、メインは去勢プレイを心ゆくまで堪能できる。しかもちゃーんとタマタマは残されていて最後まで欲望を持っていられる。

表向き復讐サスペンスもの的と思えるように大変巧妙に作り込まれていてつい騙されてしまうのだがだからと言って真面目にロリコン男の心理を描いただとか、ロリコン男への復讐をどうすればいいかというような社会派映画では金輪際ない。
ロリコンマゾを満足させるべく映画を撮りたくてもそれでは公にできない。一応、ロリコン男を制裁しているかのように巧妙に取り繕い判るやつだけにわかるロリコンマゾの天国、それがこの美少女去勢の部屋ではないか。そういえばこの男、少女に去勢されると知って妙に恍惚としてはいないか。

実をいえば私はロリコンマゾだとか去勢プレイだとかいう発想と言葉があるとは思わず「そうとしか思えないけどそんな奴いるのかな?」と首をひねったのだった。こういう時は便利なネット検索。そしたらちゃーんといるのだねーそういう方たちが。
去勢プレイなんて自分で考えて「まさかそんなことして喜ぶ男がいるか?」と思ったけど、いた。うーん、いつも男はミステリアスだ。たった一つ(ふたつ?)しかないタマタマを美少女に切り取って欲しいという不可思議な願望。それがなくなれば美少女を犯すこともできなくなるのに何故???さすがにわからない。

その暗示は冒頭のチャット画面ですでに示されていることにお気づき願いたい。
美少女のハンドルネームは「鞭少女」まさに女王様ではないか。しかも男は少女の脚にひれ伏し「女王様」と呼ぶ。この時から彼らのプレイは始まった。

この主人公、なんという幸せな男だろう!たっぷりと時間をかけて美少女の手でいたぶられ去勢される甘美な恐怖を味わい、心ゆくまで言葉でいじめられた。
最後は天国に行くというオチまでついた。
だから、この映画に対しどちらが真実か、だとかこの少女は何者だとか考える必要はないよ。
彼らはプレイしただけなのさ。

世界中からオファーが殺到したらしいけど勿論注文した人は意味がわかっているはずだね。

監督:デイヴィッド・スレイド  出演:パトリック・ウィルソン 、 エレン・ペイジ
2005年アメリカ

主人公のロリコン男は「エンジェルス・イン・アメリカ」にモルモン教徒のジョー役で出演していた。
しっかしこのロリコン男、ハンサムすぎない?やっぱ肩入れしてるよね。嫌いだと絶対ブサイク使うもん。
posted by フェイユイ at 22:10| Comment(2) | TrackBack(2) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月08日

「ゆれる」勝手な改変

「ゆれる」とはもうおさらば、と断言しておきながらまだ引きずって登場。この記事は蛇足にすぎないので特に「一般の方」はあまりお勧めいたしません。

昨日大変評判の高い映画「ゆれる」に対し憤懣をぶちまけたのですが、なぜこのように憤慨したのか自分でも少し疑問に思い、考えてみました。
昨日も書いたことですがそれはまったく自分の好みに由来しており、この作品自体の出来栄えがどうの、ということではありません。というか私にはいいのか悪いのかわからないのです。
というのは(昨日も書いたように)この物語と登場人物があまりにも当たり前すぎて私が求めているような不可思議さ、予想の裏切り、といった面白みに全く欠けていたからです。
まず何と言ってもつまらないのが、兄弟のキャラ設定です。私ならオダギリと香川氏に逆のキャラになってもらいます。
東京に行ったナウいカメラマンが長男の香川氏で田舎でお父さんの面倒を見ている可愛い弟がオダギリです。
無論性格が逆です。長男香川は女を抱いては捨てるような不埒な奴でオダギリは女性と口も利けないようなやや引きこもり傾向がある青年になってもらいます。
香川はそんな弟を可愛がってはいるのですが半分馬鹿にしてもいるし可哀想にも思っています。そして汚くなった自分と違いいつまでも純真な心を持っていることに反感と怖れも感じているのです。
オダギリは都会に住む兄を尊敬し慕っています。だが心の中で兄への嫉妬があるのもまた事実でした。

で勿論女を殺してしまうのはオダギリの方。あのねー、美形が罪の意識で苦しんでなきゃ萌えないでしょ。香川氏が縛られてても色っぽくないではないか。絵を考えてよー。
兄は晩生な弟と女性をくっつけようと考えますがいつもの悪い癖でつい手をだしてしまう。
女は可愛い顔をしているのですが実は弟に近づいてうまくいけば結婚できるかなと考える。だが女に臆病な弟は全くなびかずいらだっている。親父でもいいかなと思っていた。そこへ都会からカメラマンの兄が帰郷しこっちでもいいかな、一緒に東京へ出て行くかと考えている。
兄は身勝手にもそのことを黙ったまま弟と女をくっつけようとつり橋のある場所へ遊びに連れ出す。弟にプロポーズしろとたきつけて一人先につり橋を渡る。女が後を追いかける。弟は兄の言いつけどおりどうにか口が利ける女性であるその女につり橋の上でプロポーズする。女はもう弟にうんざりしていて兄の方に気が向いている。そこで弟の気の弱さ、意気地のないことを手酷く罵る。弟はつい女を。

で、警察に捕まった(自首した?)可愛い弟を助ける為に兄貴ががんばると。牢屋で酷い目に会ってる美形の弟と(アレされたりコレされたりね)その弟を救おうと苦悩する(結局苦悩はするけど)兄の愛は深いのだがしかし心のどこかで兄は弟を疎んじていて純真過ぎるがゆえに目障りな弟がこのまま出てこないで欲しいと思ってたりという葛藤でまた苦悩する、とまあこんなふうでしょうか。
だからといってこれが面白いかどうかは別問題だが。しかし映画って撮り方次第でどっちにもなるものではあるしな。

つまり私は「異常にそそる兄弟愛」であって欲しかったのだ。それなのに全然真逆だったのでじれにじれたのだねー。(あの弟のやり口っていいのか、あれで。人間として許されるのか??)

それとあーゆー女だけはごめんです。あんないじけ女今時いるのか?先に書いた話とは別の話になるかもしんないけど、弟と寝てたと思ったら兄貴ともやってるし実は親父ともできていて、さらには伯父さんともやってたらおかしいのに。あと従業員とも。そのくらいのごーまんさは欲しいですね!その上、死んでなくて金だけ取って逃げていた、なんていうのがいいです。意地でも死ぬなよ、兄貴を落とせよ。
以上のような異常な愛に萌える兄弟と意地でも死なず金だけ着服するようなタフな女が出てくる、そんな映画が私は好きです。
ラベル:女性 兄弟
posted by フェイユイ at 18:46| Comment(6) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイ・チョウ版「スラムダンク」はカンフー風味!

ジェイ・チョウ版「スラムダンク」はカンフー風味!

おかしー。早く観たい!!エリック・ツァンがかんでます。なぜあのキャプテンがチェン・ボーリン?
見逃せませんね!!!!
posted by フェイユイ at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月07日

「ゆれる」西川美和

観終わってすぐ正直な感想は「嫌いでした」ということです。というか始まってすぐ嫌いだと感じたのですが、評判になった映画なのでもしかしたらこれから感動するのかもと自分自身を説得し途中で終えたらいけないかと思い辛抱しました。いえ、正直言ってDVDの特典で1.5倍早送りにさせていただきました。
思うに私は他の方が退屈だと言われる映画をわりと面白いと感じるので退屈しない体質なのかと思っていましたが、この映画は非常に退屈でした。言わんとしていることが大体つかめてしまうようでしかもそのままだったので結末が来る事が苦痛でした。
観る前は、この映画に対し大変いい評価を聞いていたしキャストにも興味があったのでおおいに期待して観始めたのですが。
が、この映画に登場する都会=憧れ、田舎=惨め、人生・運命=どうしようもない、過去=懐かしさ・愛情、再生=希望、男と女=しがらみ、父=厳格、兄と弟=ケンカして仲直りといった事柄と図式があまりにも当然過ぎて、いやその当然が面白いのだ、と言われたらそれまでですが、つまらなく感じた時の情けない感想として「自分には合わない映画だった」と表現するしかないようです。ここまで紋切り型の造形というのを観続けるのは苦痛です。しかも皆醜悪な性癖の持ち主ばかりでそれが凄いという評判のようです。私もこのブログを見てもらうとかなり変てこな映画や変な人が出てくる映画を観ていてそれらが好きなのですが、この映画の登場人物・ストーリーはことごとく自分と相容れない方向に向いているようでした。
思えばオダギリジョーという人を私は結構好きでかっこいいとも思っていて気になる映画に出る人だ、というイメージもあるのですが、気になっているだけで実際観た映画はどれも私には得点が低いという変な状況の方であります。
私はこの映画について、ここが悪いここが下手だなどという論理は展開できません。
むしろ生理的に受け付けないというのが正しいようです。いわば世界観自体が嫌なのです。
私が嫌いだと思う世界がじっくり煮込まれて大盛りで出されさあ食えといわれたかのようです。
親父も兄も弟も女も従業員も嫌いなのです。
がみがみ怒鳴る親父は大嫌いです。
兄や女、田舎がいやなら出て行けばいい。何もしないくせにグチばかり言ってる人ほど嫌いなものはありません。そういうキャラクターを等身大の人間だの、共感できるだのリアルだのとはまったく思わないのです。世の中にはもっと田舎もあるし、恐ろしいほど縛られた生活もあるよ。自由に動く手足も目玉もついてるじゃん、動けよ。二人とも独身で何を悩むのか勝手に悩んでるだけ。もっと地獄に堕ちてみろよ。その生活くらい自由気ままな天国みたいにしか私には見えないんですけどね。もっとどす黒い心を抱えて焦土を歩まねばならない人もいるよ。病気でもなく借金もなく障害もなくまともな顔と体を持ちぐだぐだ言ってんじゃねえよ。
それともこの監督は田舎ものというのはこのくらい馬鹿な頭脳しか持ってない、と言いたいのかな。偉いもんだね。
器用に考える事のできない矮小な田舎者が嫉妬に狂って堕ちていく過程と再生を描こうとしてるのかもしれませんが説得されませんでした。弟が昔の映像を見て泣いてしまうのは却って心が冷めてしまいます。
冒頭の弟の態度も嫌でしたがこの映画のセックスシーンは最低におぞましい種類です。これもリアルなのでしょうかね。エロ親父に強姦されるシーンでもある方がなんぼかましです。この女、どうして兄と弟両方利用しないのか。つまんねえ女だな。セックスしたって絶対気持ちよくないよな、こいつ。
とにかく一番嫌いなのがこの死んだ女です。いじいじ考えて愛想笑いして兄貴にも弟にも思わせぶりでまったく殺してやりたいくらいでしたが死んだんでほっとしました。男について都会に出ていこうなんていまどき馬鹿じゃねえの。もっかい死ねよ。
したり顔で弟に苦言を告げる従業員もむかつく。自分で迎えに行けよな。
最後の場面は特にムカつきますね。車に轢かれてどっちか死ぬかな、と期待したのにがっかりです。どうせ笑うだろうなと思ったら本当ににやりとしたんで憎悪に燃えたほどです。
終わった時にはもうこの家族とも付き合わなくていいかと思うだけで幸せでした。さようならもうきみらとは会わないよ。
オダギリはもうこんりんざい観るのやめます。香川氏の上手だといわれる演技もうんざりです。やはりいい映画だとか言われても自分で見るまでは自分の好みかどうかはわからないものでした。
この映画のファンの人がこれを読んだら癇癪ばかり起こして何この感想、って言われそうですが、いやー、とんでもない。思ってる百分の一も言ってないけどさすがにそこまで言えないかなと思ってこれくらいに抑えております。
悪口をあまり書かないほうなのですがこればかりはムカつきましたね。これでこの映画とおさらばできる事だけが本当に幸いです。

監督:西川美和 出演:オダギリジョー/香川照之/伊武雅刀/新井浩文/真木よう子/木村祐一/ピエール瀧/田口トモロヲ/蟹江敬三
2006年日本
ラベル:家族 犯罪
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2007年03月06日

今夜も「後悔しない」

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また今日も「No Regret〜悔いなき恋〜後悔しない」観てたんですけどね。観なおしてもやはりこれはよいですねー。主人公の二人ますますよく見えてきましたよ。
二人が仲良くなってからのショット。シルエットでビルの中の二人の寄り添い踊っているのを遠目に引いて映してるのが好きです。車が行きかうのが見えていて綺麗な光景でいた。
それから今度二人が別れを予感するシークエンスなどで使われる音楽の雰囲気が「藍宇」っぽいですね。これも好きです。
英語字幕なので2度目観て少しずつ判ってきたかのように思えます((笑)しょーがねーなー)
悲劇という前説だったので、また死んだり、空しくなったりかなーと思っていたらとんでもなくいい感じだったので驚きです。また勘違いしてるわけではないですよね?(笑)
先にイ=ソン・ヒイル監督がカミングアウトされたという記事もアップしましたが、これからもまた楽しみですねー。
低予算映画も結構好きなんですがどなたか出資してくださってまたいい作品を作って欲しいものです。

イ・ヨンフン
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イ・ビョンホン、『バンジージャンプをする』再上映会に松葉杖姿で出席

イ・ビョンホン、『バンジージャンプをする』再上映会に松葉杖姿で出席

素敵ですねーこの写真。なぜか傷ついてる姿ってむらむらします(笑)「バンジージャンプをする」がこんな風に愛されているっていうの嬉しいですねー。

posted by フェイユイ at 19:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カメリア・プロジェクト ボギル島の三つのクィア・ストーリー イ=ソン・ヒイル

カメリア・プロジェクト ボギル島の三つのクィア・ストーリー

監督 イ=ソン・ヒイルは韓国で初めて自分がゲイだとカミング・アウトした映画監督 ということです。
「No Regret〜悔いなき恋〜後悔しない」の監督作品です。これは観てみたいものですね。
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 10:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「No Regret〜悔いなき恋〜後悔しない」を観る

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「No Regret〜悔いなき恋〜後悔しない」観ました。これはちょっとよかったですねー。しかも・・・まだこの段階でラストを言うわけにはいきませんね。

主人公の二人がなかなかに素敵で好みでうれしかった。特にボーイッシュ君のほうは可愛いなあ。

英語字幕で観たわけでとてもストーリーを言えるものではないですが、感想を改めて書けたら、とは思っています。

同性愛を描いた韓国映画といえば今までに「ロードムービー」「清風明月」「王の男」とあるわけですが、本作はその中で一番明るく希望のある作品になっています。

私の勝手な思い込みでしょうが観ていてなんとなく以前の映画を思い出させる場面があって例えばスミンとジェミンが海を見に行くのは「ニエズ」みたい。
スミンがドアを開けると手を怪我したジェミンが立っているのは「ブエノスアイレス」屋上で裸でいるのも「ブエノス」っぽい。他にもちらちら「ブエノス」的な場面があったり、やっぱりあの映画はアジア映画のゲイムービーの最も優れたものである証ですね。全体の雰囲気もそれっぽいかも。
でもだからといって真似をしているといった感じの映画ではなく新しい作品を作ろうという気持ちが受け取れます。メイキングを観てもその情熱が伝わりますね。

監督:イソンヒイル
これはびっくり。こういうのもあったんですね。知らなかったー。

出演:
イ・ハン
これもイ・ハン

イ・ヨンフン
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月04日

「サンダカン八番娼館 望郷」熊井啓

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昨日記事にした「女衒」と同じく「からゆきさん」を描いた作品。山崎朋子の「サンダカン八番娼館 底辺女性史序章」が原作。大体の構成は似通ったものになっている。という言い方をするのは大事な部分で違和感を感じるからなのだ。

まず先にこの映画の仕上がりというのはどういうものなのだろう。時代的なことなのか(1974年作品)単に監督の持ち味なのか、過度に大げさな効果音や作り物臭い演出に驚いてしまった。しかも全体の展開はごく平凡に進んでいく。
《現在こういう大仰さとそっけなさはお目にかからない代物なのではないだろうか。熊井監督作品というものを他に観ていない(と思う)のだが改めて確かめたい気もする。余談が長くなった》

特におさきの兄が身売りされる妹を悲しんで自分の足をカマで突き刺すという不思議な演出があるのだが、悲しみを表すのにこのような奇妙なことをしなくてもいいだろう。原作ではその兄貴が田畑と家を買いたいために妹さきに「どうか外国に行ってくれ」と頭を下げた、とある。おさきさんもそんなお兄さんに家と田畑を買ってあげたくて外国行きを決めたという。おさきさんが最後に「本当のことを書くなら本にしてもよか」と言ってるのにしかも映画にもその台詞があるのに重要な外国行きのきっかけを嘘にしていいのだろうか。

また原作では売春をしている場面(ベッドシーンというのか)はないのにやはりそういう場面が描かれている。それがないと売春の苦しみが伝わらない、と思う人もいるかもしれないが、山崎氏が別の本で「中央公論社の出版部長によって「サンダカン娼館」のベッドシーンを加筆したら出版しますよ」と言われて衝撃を受けた様子を書かれている。
映画のベッドシーンはそれでも押さえたものだったのかもしれないがやはり「そういうシーン」を入れないと「受けない」ということになったんだろう、としか思えない。多分結局はそのシーンが売り物になったんだろう。

また山崎氏が著書で語られていた「からゆきさんは近代日本国家の採ったアジア侵略政策の痛ましい犠牲者なのだ」という思いはこの映画でははっきりとは語られていない。この山崎氏の思いはむしろ村岡伊平治自伝映画の「女衒」の方で明確に表現されているのは皮肉な感じである。

それならこの映画を観る価値はないのかというとそんなことはない。それはほぼ老いたさきを演じた田中絹代が素晴らしいためである。
彼女の演じた老からゆきさんを観る為だけでもこの映画を鑑賞する意義はあると思う。
受け入れにくかった暑苦しい演出をよそに田中絹代だけはさらりと悲しい過去を持つ年老いた孤独な女性を表現していた。
栗原小巻はまた演技過剰な感があったけどモデルである山崎氏がその著書の文章からも感情豊かな女性であるのが見れるのでこういう風になってしまうのかもしれない。でも原作でのイメージがなければやはりちょっと鼻につく。
若きさきを演じた高橋洋子はその子供っぽい顔立ちが可憐さを感じさせていた。身を犠牲にして金を送った彼女が帰国した時の兄夫婦の冷たさに風呂の湯の中で泣く彼女を観る者は「むぞげ」に思っただろう。この映画ではこの家族のあり方の方に焦点が当たっていたようだ。
さきさんはつくした兄からも子供からも見捨てられてしまうのだが、老いて突然であった女性から「お母さん」と呼ばれつながりを持つことになる。それは原作でも描かれていた大事な思いであった。
またサンダカンのおきく(原作ではおクニ)と呼ばれからゆきさん達から慕われた女親方を水の江滝子が貫禄で演じている。
若いさきと恋仲になる青年を田中健が演じていて若くかわいい。

田中絹代さんを観た事だけが救いだった本作だったが、私と同じようにがっかりした方でも原作は是非読んで欲しい。
映画では味わえない深い感動が書かれている。

監督:熊井啓 出演:田中絹代、高橋洋子、栗原小巻、水の江滝子、田中健
1974年日本
ラベル:女性 売春 家族
posted by フェイユイ at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月03日

「女衒」今村昌平

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丁度今山崎朋子氏の「サンダカン八番娼館」を読んでいたのだが、毎度のことながらうっかり者の私はこの著書となんとなくレンタルしたこの映画が同じ舞台で行われていた事柄であることに気づいてなかった。

全く粗筋も知らず観始めてから村岡伊平治という名前を「サンダカン」で見たことに気づいた。
著書の冒頭で語られた「村岡伊平治自伝」という書物は山崎氏に面白いとは認められながらも記述の信憑性を疑われ、自ら語る「東南アジアで知らぬものはいない」という主張に対して、からゆきさんたちだけでなくそれ以外の在留者にもその名前を知っている者はいなかったということらしい。
尚且つ数少ない伊平治を知っていた人物は「あんな嘘つきの男」と評していたというのだから空しいものではないか。
偶然観る前に知ってしまったこの男の「噂」(何が本当かは結局わからないのだから)で、映画を観ながら今までにない高揚感を覚えたのだった。

それにしても今村昌平版村岡伊平治なる男の面白い事、この上ない。
彼の話す九州弁(長崎・島原)は同じ九州に住む私には生でリアルに響いてくるし、直情型で生真面目さが滑稽である男性像というのはいかにも九州男らしく観ていて赤面ものだがこれも頷かないわけにはいかない。

仲間と赤フンドシ一丁で中国船(こき使われていたらしい)から脱走して(ていうのか)香港へと上陸。貿易商になるため日本から香港へ渡って来たという冒頭からしてバイタリティを表している。
なんとか理髪店で腰を落ち着けたのに突如、上原大尉というこれも九州男の軍人により天皇陛下の御為に満洲密偵の命をあたえられ大尉とともに吹雪のシベリア大平原を走ることになる。
ここで伊平治は上原大尉によって「御国の為、天皇陛下の赤子として働く」そして「売春婦たちは日本国のための尖兵だ捨石だ」ということでありあっぱれであるという思想を植えつけられていく。勿論、伊平治がその思想を単に利用したにすぎないのかもしれない。だが「日本国のため」「陛下のため」という大義名分があれば何事でもやっていけるという理論が伊平治の生き方を決定していく。
ロシア人と結婚しているというだけの平凡な一女性にスパイをやらせ、それがばれて殺害されても「よくやった」というだけの軍人の脳みそというのは恐ろしい。女を見殺しにしながら「大義に生きる、これぞ日本男児の本懐ぞ」と叫び日の丸を掲げながら吹雪のシベリア大平原を橇で駆け抜ける大尉の姿は恐ろしくもあり滑稽であり悲しい。

以後、伊平治は香港に戻り、日本人の娘達が監禁され売春させられていたのを救い出し、しかしながら娘達の身の振り方に困窮し娘らの申し出で売春宿を開く事になるのだ。
この辺までの伊平治は悪い男というよりは運命によって仕方なく翻弄されているかのように見える。むしろ純朴だからこそ売春宿をやらざるを得なかったように思えるのである。
そして一途に思っていた女性しほの出現・口添えによって女衒の道を歩んでいく事になる。

女衒・伊平治に売りさばかれていく女たちの様子はあっけらかんと明るい。「サンダカン八番娼館」で山崎氏が嘆き悲しんだからゆきさん達が自分たちから売春を求めて伊平治を口説き落とすという成り行きは一体どちらが本当の姿なのか、自分には掴めないがこの映画ではそうするしか生きていけない弱者の悲しみ憐れさを滑稽化して描いているのだからこの映画の中ではこれでいいのである。これより伊平治の挙動は次第に狂ったものとなっていく。

ここでもう一度映画の冒頭で私は「あっ」と叫んだ事を告げておく。それは出演者の名前、緒方拳、倍賞美津子に続いて「柯俊雄」の名前があったからなのだ。台湾ドラマ「ニエズ」で主人公アチンの父親を演じたその人である。
設定上、登場人物には中国人が多い。柯俊雄はクアラルンプールで絶大な権力と財力を持つ王(ワン)を演じている。1987年の映画なので随分若く名前がなければそれとは判らなかっただろう。大柄な体格はそのままである。
このワンは伊平治の恋女房である(と言っていいと思うが)しほの昔のなじみで今も深く愛していた。
一時期は繁盛していた伊平治の娼館だったが、時世の折、反日感情が高まり、大正8年に廃娼制度ができてからは立ち行きができなくなってしまう。
「しほが欲しい」というワンの申し出に伊平治は二十万ドルでしほと娼館を渡す事になってしまう。
しほは多分伊平治が好きだったからこそワンの元へ行ったのだろう。無論しほはワンのあっさりした男らしさに惹かれていたには違いないだろうが。ワンの船に乗り覚悟を決めたように髪をほどくしほは潔い。
一方残された伊平治はちっとも「しゃきっと」してはいず「私のどこが間違っていたとでありましょうか」と天皇の写真に向かってつぶやきごろごろと転げまわるのである。

シンガポールの領事館で「国立娼館」の必要性を訴える伊平治の論理。御国のためアジア中に国立娼館を構え利益を国のものにするという発想。女たちも喜んで行っているという考えを心底信じている伊平治。
伊平治の理論は異国で女性たちが売春することで外貨が手に入りそれを国に送り国が潤う。
そして売春宿の周りには商店が作られる。そうすることで日本人街は発展しさらに外貨を儲け富国強兵につながるのだという。
この映画では伊平治のみがその狂った論理で突っ走り、領事館の人物はそんな伊平治に嫌悪を示すのだが、上原大尉の思想が元であったことからもこの考えは日本国そのものの構想だったに違いないのである。

異国の地に日本人を増やそうと子作りに励む伊平治。太平洋戦争が始まろうとした頃、住居としていたマレー東海岸コタバルに上陸してきた日本軍の兵隊達に伊平治は再び国立娼館の必要を訴えようと立ち上がる。
老境に入るまでの長い間外国語と九州弁をごっちゃにして話してきた伊平治の言葉はもはや日本兵には通じにくいものとなっていた。胡散臭い爺と撥ね退けられても伊平治は立ち上がり日の丸と日本刀を背負い自転車に乗って駆けていく「日本、来た。おなごのことは俺にまかせんしゃい。兵隊しゃーん」

本作は単に昔話の面白おかしさだけでなく大義名分と発展のためにはつい力みすぎになってしまう日本人の姿を現在でもどうかなと皮肉っているのではあろう。

近代のアジア各地における日本人の在り方を描いていてこれ以上ないほど面白い。
主役の緒方拳、倍賞美津子の揺るぎない存在感・魅力は圧倒的だが、柯俊雄ほか石井光三、三木のり平、寺田農、小西博之、熊谷真実といった出演陣がまた皆素晴らしく飽きさせない。
ここで何故私がこの映画を観たのか、と言う話になるのだが、もともとはテレビで中尾彬氏を何度となくよく見るうちに「奥さんの池波志乃さん綺麗なんだけどどんな映画にでてるんだっけ」と探したらその時なぜかこれしか出てこなくて(実際はそんなわけありません)何気なく借りようとしたら最初は別の今村作品になってしまってやっと観たわけです。今は今村昌平監督自身に大いに興味がわき今大絶賛中なのですから一体何がきっかけで映画をみる羽目になるか判らないものです。
肝腎の池波志乃さんは伊平治が上原大尉に命令されてスパイを頼む事になるロシア人の妻を演じています。彼女もお国のためという大義で死ぬ事になる悲劇の女性でした。

また九州弁と中国語が飛び交う映画ということで私的には凄く楽しい作品だったことは確かです。中国語は大体において聞き取れるような簡単なものばかりですし、緒方拳さんの中国語は(英語もですが)男らしくてはっきりしてとてもよいですね。言葉だけでなくこの時代のこういった設定の物語というのに物凄く興味があるのです。そういった意味でもこの映画ほど興奮して観たものもありません。今村監督の持つ滑稽さの表現、長期間の複雑な物語を明確に描いていく力量はもう感激するしかありません。
何と言っても面白くできているのが凄いことです。ラブストーリー部分はロマンチックでもありますし。
山崎朋子氏の「サンダカン八番娼館」を読んでからゆきさんの苦しみを訴えられた直後この映画を観るのは刺激的なことでした。
次は映画「サンダカン八番娼館」も観ようと思っています。

それにしても「今年は最近の日本映画をどしどし観よう」と誓ったのにどうしてもかつての日本映画の面白さに負けてしまいます。こういった骨太さ、したたかさというのを今の映画に求めるのは無理なのでしょう。
今は軽くあっさりしてないと駄目なのでしょうし。と言いつつ、そんな言葉を覆していれるスゲエ映画の登場を期待しているわけなのですが。

監督:今村昌平 出演:緒方拳、倍賞美津子、柯俊雄、杉本哲太、石井光三、三木のり平、寺田農、小西博之、池波志乃、熊谷真実
1987年日本
posted by フェイユイ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

「イーオン・フラックス」カリン・クサマ

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予告編でシャ−リーズ・セロンの美貌に参ってしまいこれは観てみたいと思っていた。
実際、予想通りというかそれ以上に彼女は美しくてかっこよく満足できるものであった。
作品は日系である監督の持ち味を生かしたものらしく日本的テイストがそこここに混じりこみ面白いものだった。
だがストーリーとしてはなんとなく本当はもっと言いたいことがたくさんあるのだけど、ありすぎて表現の選択をやや間違えてしまった感がある。
提示された問題・テーマなど興味深いが絞り込めなかったようである。日本的なものだけでなく奇妙な味わいがあっておもしろいのだが、もう少しカルト的に突っ込んでくれると楽しかったのでは。
原作であるアメリカンコミックスはちょっと読めないかもしれないが、アニメを観てみたくなった。

なんだか今回はすっごく当たり前の感想になってしまった。逆に「結構楽しめた」っていう感想でも構わない。
それなりに面白くそれなりに考えさせられ、それなりに不満をもった感じである。

監督:カリン・クサマ 出演:シャーリーズ・セロン マートン・ソーカス ジョニー・リー・ミラー アメリア・ワーナー ソフィー・オコネド フランシス・マクドーマンド
2005年アメリカ
ラベル:アクション SF
posted by フェイユイ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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