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2007年03月03日

「女衒」今村昌平

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丁度今山崎朋子氏の「サンダカン八番娼館」を読んでいたのだが、毎度のことながらうっかり者の私はこの著書となんとなくレンタルしたこの映画が同じ舞台で行われていた事柄であることに気づいてなかった。

全く粗筋も知らず観始めてから村岡伊平治という名前を「サンダカン」で見たことに気づいた。
著書の冒頭で語られた「村岡伊平治自伝」という書物は山崎氏に面白いとは認められながらも記述の信憑性を疑われ、自ら語る「東南アジアで知らぬものはいない」という主張に対して、からゆきさんたちだけでなくそれ以外の在留者にもその名前を知っている者はいなかったということらしい。
尚且つ数少ない伊平治を知っていた人物は「あんな嘘つきの男」と評していたというのだから空しいものではないか。
偶然観る前に知ってしまったこの男の「噂」(何が本当かは結局わからないのだから)で、映画を観ながら今までにない高揚感を覚えたのだった。

それにしても今村昌平版村岡伊平治なる男の面白い事、この上ない。
彼の話す九州弁(長崎・島原)は同じ九州に住む私には生でリアルに響いてくるし、直情型で生真面目さが滑稽である男性像というのはいかにも九州男らしく観ていて赤面ものだがこれも頷かないわけにはいかない。

仲間と赤フンドシ一丁で中国船(こき使われていたらしい)から脱走して(ていうのか)香港へと上陸。貿易商になるため日本から香港へ渡って来たという冒頭からしてバイタリティを表している。
なんとか理髪店で腰を落ち着けたのに突如、上原大尉というこれも九州男の軍人により天皇陛下の御為に満洲密偵の命をあたえられ大尉とともに吹雪のシベリア大平原を走ることになる。
ここで伊平治は上原大尉によって「御国の為、天皇陛下の赤子として働く」そして「売春婦たちは日本国のための尖兵だ捨石だ」ということでありあっぱれであるという思想を植えつけられていく。勿論、伊平治がその思想を単に利用したにすぎないのかもしれない。だが「日本国のため」「陛下のため」という大義名分があれば何事でもやっていけるという理論が伊平治の生き方を決定していく。
ロシア人と結婚しているというだけの平凡な一女性にスパイをやらせ、それがばれて殺害されても「よくやった」というだけの軍人の脳みそというのは恐ろしい。女を見殺しにしながら「大義に生きる、これぞ日本男児の本懐ぞ」と叫び日の丸を掲げながら吹雪のシベリア大平原を橇で駆け抜ける大尉の姿は恐ろしくもあり滑稽であり悲しい。

以後、伊平治は香港に戻り、日本人の娘達が監禁され売春させられていたのを救い出し、しかしながら娘達の身の振り方に困窮し娘らの申し出で売春宿を開く事になるのだ。
この辺までの伊平治は悪い男というよりは運命によって仕方なく翻弄されているかのように見える。むしろ純朴だからこそ売春宿をやらざるを得なかったように思えるのである。
そして一途に思っていた女性しほの出現・口添えによって女衒の道を歩んでいく事になる。

女衒・伊平治に売りさばかれていく女たちの様子はあっけらかんと明るい。「サンダカン八番娼館」で山崎氏が嘆き悲しんだからゆきさん達が自分たちから売春を求めて伊平治を口説き落とすという成り行きは一体どちらが本当の姿なのか、自分には掴めないがこの映画ではそうするしか生きていけない弱者の悲しみ憐れさを滑稽化して描いているのだからこの映画の中ではこれでいいのである。これより伊平治の挙動は次第に狂ったものとなっていく。

ここでもう一度映画の冒頭で私は「あっ」と叫んだ事を告げておく。それは出演者の名前、緒方拳、倍賞美津子に続いて「柯俊雄」の名前があったからなのだ。台湾ドラマ「ニエズ」で主人公アチンの父親を演じたその人である。
設定上、登場人物には中国人が多い。柯俊雄はクアラルンプールで絶大な権力と財力を持つ王(ワン)を演じている。1987年の映画なので随分若く名前がなければそれとは判らなかっただろう。大柄な体格はそのままである。
このワンは伊平治の恋女房である(と言っていいと思うが)しほの昔のなじみで今も深く愛していた。
一時期は繁盛していた伊平治の娼館だったが、時世の折、反日感情が高まり、大正8年に廃娼制度ができてからは立ち行きができなくなってしまう。
「しほが欲しい」というワンの申し出に伊平治は二十万ドルでしほと娼館を渡す事になってしまう。
しほは多分伊平治が好きだったからこそワンの元へ行ったのだろう。無論しほはワンのあっさりした男らしさに惹かれていたには違いないだろうが。ワンの船に乗り覚悟を決めたように髪をほどくしほは潔い。
一方残された伊平治はちっとも「しゃきっと」してはいず「私のどこが間違っていたとでありましょうか」と天皇の写真に向かってつぶやきごろごろと転げまわるのである。

シンガポールの領事館で「国立娼館」の必要性を訴える伊平治の論理。御国のためアジア中に国立娼館を構え利益を国のものにするという発想。女たちも喜んで行っているという考えを心底信じている伊平治。
伊平治の理論は異国で女性たちが売春することで外貨が手に入りそれを国に送り国が潤う。
そして売春宿の周りには商店が作られる。そうすることで日本人街は発展しさらに外貨を儲け富国強兵につながるのだという。
この映画では伊平治のみがその狂った論理で突っ走り、領事館の人物はそんな伊平治に嫌悪を示すのだが、上原大尉の思想が元であったことからもこの考えは日本国そのものの構想だったに違いないのである。

異国の地に日本人を増やそうと子作りに励む伊平治。太平洋戦争が始まろうとした頃、住居としていたマレー東海岸コタバルに上陸してきた日本軍の兵隊達に伊平治は再び国立娼館の必要を訴えようと立ち上がる。
老境に入るまでの長い間外国語と九州弁をごっちゃにして話してきた伊平治の言葉はもはや日本兵には通じにくいものとなっていた。胡散臭い爺と撥ね退けられても伊平治は立ち上がり日の丸と日本刀を背負い自転車に乗って駆けていく「日本、来た。おなごのことは俺にまかせんしゃい。兵隊しゃーん」

本作は単に昔話の面白おかしさだけでなく大義名分と発展のためにはつい力みすぎになってしまう日本人の姿を現在でもどうかなと皮肉っているのではあろう。

近代のアジア各地における日本人の在り方を描いていてこれ以上ないほど面白い。
主役の緒方拳、倍賞美津子の揺るぎない存在感・魅力は圧倒的だが、柯俊雄ほか石井光三、三木のり平、寺田農、小西博之、熊谷真実といった出演陣がまた皆素晴らしく飽きさせない。
ここで何故私がこの映画を観たのか、と言う話になるのだが、もともとはテレビで中尾彬氏を何度となくよく見るうちに「奥さんの池波志乃さん綺麗なんだけどどんな映画にでてるんだっけ」と探したらその時なぜかこれしか出てこなくて(実際はそんなわけありません)何気なく借りようとしたら最初は別の今村作品になってしまってやっと観たわけです。今は今村昌平監督自身に大いに興味がわき今大絶賛中なのですから一体何がきっかけで映画をみる羽目になるか判らないものです。
肝腎の池波志乃さんは伊平治が上原大尉に命令されてスパイを頼む事になるロシア人の妻を演じています。彼女もお国のためという大義で死ぬ事になる悲劇の女性でした。

また九州弁と中国語が飛び交う映画ということで私的には凄く楽しい作品だったことは確かです。中国語は大体において聞き取れるような簡単なものばかりですし、緒方拳さんの中国語は(英語もですが)男らしくてはっきりしてとてもよいですね。言葉だけでなくこの時代のこういった設定の物語というのに物凄く興味があるのです。そういった意味でもこの映画ほど興奮して観たものもありません。今村監督の持つ滑稽さの表現、長期間の複雑な物語を明確に描いていく力量はもう感激するしかありません。
何と言っても面白くできているのが凄いことです。ラブストーリー部分はロマンチックでもありますし。
山崎朋子氏の「サンダカン八番娼館」を読んでからゆきさんの苦しみを訴えられた直後この映画を観るのは刺激的なことでした。
次は映画「サンダカン八番娼館」も観ようと思っています。

それにしても「今年は最近の日本映画をどしどし観よう」と誓ったのにどうしてもかつての日本映画の面白さに負けてしまいます。こういった骨太さ、したたかさというのを今の映画に求めるのは無理なのでしょう。
今は軽くあっさりしてないと駄目なのでしょうし。と言いつつ、そんな言葉を覆していれるスゲエ映画の登場を期待しているわけなのですが。

監督:今村昌平 出演:緒方拳、倍賞美津子、柯俊雄、杉本哲太、石井光三、三木のり平、寺田農、小西博之、池波志乃、熊谷真実
1987年日本


posted by フェイユイ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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