映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年03月22日

「ラヴ トレイン 心動列車 Vol.4 エピソード2気づかぬ恋心」第四話(張孝全)

アチュイの嘘もばれて失恋。一方アニタとは成り行きとは言えキスしたりして急接近。
だがアニタはカメラマン・マイクの撮影でプロデューサーを紹介すると言われアチュイとの食事の約束を忘れてしまう。
7時の約束なのに11時まで待ってるアチュイって。それなのにしょうがないなと許すなんて出来ない。こんな人いるのかな。
アニタは忘れてた、ごめーん。てな感じでしたが。

アニタがマイクの事を褒めるほどアチュイの機嫌は悪くなる。どうしてもマイクに追いつけないというあせりがあるアチュイ。そんなアチュイをガキだと罵りながらもつい弾みで叩き落としたウルトラマンネオスを買ってやろうと台北中を探しまわるアニタ。

アニタは無事プロデューサーのお眼鏡にかなって歌手になれるのか。アチュイはカメラマンになれるのか。二人は結ばれるのか、ネオスはどうなるのか。
アチュイがネオスが好きでも話ができないなあ。初代ウルトラマンとセブンならかなり知ってるんだけどー。


ラベル:張孝全
posted by フェイユイ at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「カポーティ」ベネット・ミラー

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トルーマン・カポーティ。私としては少女期に興味を持った作家の一人なのだが、正直それほど作品自体を愛読したわけではない。むしろ作家自身に好奇心が向いていた。

カポーティのデビュー作品(多分)に使われた彼の写真が横たわって誘うような目をした少年の姿だったために当時のアメリカでは非常にセンセーショナルだったという話(実際はもう少年ではなかったのだが小柄なせいもあって若く見えたのだった)は充分心を惹かれた。映画のなかでも一瞬その写真が映っている。
またマリリン・モンローを「美しい子供」と形容した話、後年には奇怪な格好の目立ちたがり屋で酒びたりというこの作家の最も有名な作品についての映画化ということで興味と期待は高まった。

映画「カポーティ」フィリップ・シーモア・ホフマンの演技が凄い、と評判であり彼自身もカポーティになりきるために研究を重ねたということなのだが、どういうものか、これがカポーティなのかなと思ってしまったのだった。
といってもこれには何の根拠もない。私は幾枚かの写真でしかカポーティを見てないしまして声や動作は全く知らないのだから。
ただなんとなく昔から思っていた自分の思うカポーティと違ってたというだけ。古い記憶の裸で踊るカポーティと違う感じがしたからだけなのだ。
もしかしたらホフマンの演技というより映画で表現されたカポーティという人物が自分が思う彼と違っていたという方が正しいのかもしれない。

本題から離れた所の話ばかり続くがカポーティ同性愛者であり、声や外見からもすぐにそれとわかるのに恋人ジャックとの関係がまるで昔の映画のように匂わすだけになってるのが不思議だった。この映画の主旨は別の所にあるのでホモセクシャルな場面を用意して観客が逃げるのを怖れたのだろうか。しかしそれなら最初からゲイであるカポーティを撮る必要はないだろうし。
アメリカ映画で夫婦もしくは男女の恋人なら当たり前に挨拶のキスや同衾している場面は出てくるはずなのに恋人同士のジャックとカポーティはなぜ一度もキスをしないのか?実際のジャックとカポーティは他にないほど深い絆で結ばれていたようなのに。

もう一つ「冷血」の主人公となるペリー・スミスに対しカポーティは自分との共通点を見出し共感しもしかしたら愛情を感じていたのかもしれないという話なのにこの映画ではその辺りがあまりにもあっさりと客観的に描かれていてカポーティがどう思っていたのか、なんとも思っていなかったのかうまく伝わってこなかった。「愛する人を利用する事はできない」というカポーティの台詞が全てだったのか。それとも。

この映画では「冷血」という作品タイトルが人殺しであるペリー・スミスとリチャード・ヒコックに対してではなく金儲けのために死刑囚を利用して人々の好奇心をかきたてる小説を書こうとするカポーティに対して与えられているのだが、映画の中ですでに言葉にして言ってるのでまあ、ご丁寧に、と思ったりもした。
それでなくとも刑務所の中の囚人達の運命と社交界でのカポーティの華やかさが極端に描かれていてカポーティの軽薄ぶりに充分嫌悪感を抱けるとは思うのだが。

なんだかちっとも言いたいことがはっきりしないようだがつまりは、言いたいことはわかるけど、どれもこれも薄もやに包まれているようではっきりしない、ということなのだ。

時間の限られた映画のことゆえ仕方ないとは言え、カポーティの素晴らしい小説を感じさせる要素が少なかったのでは、とも思う。私はそれほどファンではないのでまだいいが、彼の美しい文章を愛する人々にとってはそういっ説明も欲しかったかもしれない。
作中にちょこちょこ出てくる名前も註なしなので判る人にだけわかればよいということなのだろうか。ジェームズ・ボールドウィンだとかテネシー・ウィリアムズだとか。
カポーティがアメリカの名作映画「アラバマ物語」を「そんなに大騒ぎするほどの出来じゃない」などとつぶやくのも彼の意地悪さを演出してるんだろうけど。

「カポーティ」というタイトルだが実際は「『冷血』のカポーティ」である。
この部分もまた彼らしく興味深いが私はこの部分以外のカポーティにより惹かれる。
何と言ってもアメリカ南部の話が凄く好きなのである。じっとりと重く苦しい感じがある。カポーティという外見や行動は常識はずれなのにこれ以上ないほどの美しい文章を生み出す天才がなぜアメリカ南部の土地で生まれ育ったのか。
彼の孤独な魂がどのように作られまた朽ちていったのか、興味は尽きないがこの映画では感じさせてもらえなかった。

監督:ベネット・ミラー  出演:フィリップ・シーモア・ホフマン 、キャサリン・キーナー 、クリフトン・コリンズ・Jr 、クリス・クーパー 、ブルース・グリーンウッド 、ボブ・バラバン
2005年アメリカ

文句ばかりかいてしまったが面白かったのではあるのだ。
同時代の作家(と言っても戯曲家だが)のテネシー・ウィリアムズの作品の方が好きなのではある。
彼もまた南部の人。「テネシー」っていう映画も作って欲しい。

死刑の場面はやはり怖い。特に絞首刑って恐ろしい。他のなんでも怖いけど。
ラベル:犯罪 死刑
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(2) | TrackBack(2) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「盛夏光年」小説

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「盛夏光年」の原作小説が届く。文字だけだと思ってたらモノクロではあるがかなり写真がついていてこれはいいですねー。
残念なのは正行と守恆の絡み写真がないことだけど、とても綺麗なのでうれしいのだった。
勿論さっさと読めるわけではないけど時々眺めていやいや読んでみよう。
posted by フェイユイ at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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