映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年05月11日

「ブルー・ベルベット」デヴィッド・リンチ

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仕事に追われた一日の夜にこの映画の感想など書くのは無理(そうでなくとも無理)なのだが、出来るだけ書いてみよう。途中で寝るかも。

デヴィッド・リンチが好きなどと思ってた割には最近までこの「ブルー・ベルベット」から「ストレイトストーリー」までを観ていなかった(ツインピークスシリーズは除くとして)のだからトンでもないファンである。つまり「砂の惑星」で離れてしまい「マルホランドドライブ」でやっぱり好きだわ、と思いなおしたわけである。というか90年代、映画から遠ざかっていたのでしょうがないとも言えるのだが。
「砂の惑星」に関しては当時原作小説に惚れこんでいたのでがっくりしたのだ。スティングだけはちょっと惹かれたが。

それにしてもこの「ブルー・ベルベット」をたとえどう思ったにしても観てればよかった。
リンチ作品はいつでも賛否が激しいのだが、本作もその例外ではないだろうな。どれを観ても変わった奴ばかり、行動も性的嗜好も見かけ自体もまともに見えない連中がうようよしているのだから。
主人公のカイル・マクラクランにしてもその端正な顔立ちと几帳面に思える眼差しが逆に奇妙な感じで彼が真面目にしてるほどおかしな雰囲気が出てきてしまうのだ。大体リンチ監督が自分の分身のように思って使っている事自体が変な奴の証明である。
(リンチ監督って一見二枚目風で相当に行っちゃてる感じで本人が一番面白そうである)

ガールフレンド(になりそうな)の女の子も謎のマゾ歌手もその他の登場人物もみなどこか変な人ばかりなのだ。
なかでも一番凄いのはデニス・ホッパー演じるフランクである。やおら酸素吸入器を自分にあてがい(何を吸ってんのかよくわかんないが)「ファック、ファック」を連発しながら罵り暴力を振るい、好きな女を強姦するのだ。この時、デニス・ホッパーはやっと麻薬や酒から更生したばかりだったそうでどこからどこまでが演技なのか、と危ぶんで観てしまう。

刑事の娘であるサンディ(ローラ・ダーン)とマゾ歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)はいわば女性の光と影を」表しているのだが、DVDの表紙もカイル演じるジェフリーがドロシー抱いている場面なのだから、これまた不思議である。
ドロシーと言うのは「オズの魔法使い」のヒロインの名前だし、リンチ監督、さすが自分だけの世界を持っている人なのである。
こうやって作品を観ていくと、手を変え品を変えでやっているようでその実同じ好きな世界の繰り返しのようなのだが、この不気味さ、音楽、歌声、空気、そろいも揃った変てこな人物を見ずにはおられなくなるのだ。

「落ちていた耳」が奇妙な物語の扉になり、好奇心旺盛なジェフリーはサンディを案内役にして怖ろしい洞窟に入り込むことになる。
景色も部屋も普通の見慣れたものであるはずなのに、リンチ監督にかかると何故こんなに違う感覚になってしまうものなのか。

リンチ監督は画家志望でヨーロッパ・ザルツブルグへ絵を描きに行ったら清潔で綺麗な風景ばかりで何の絵も描けなかった。それですぐアメリカ・フィラデルフィアに戻ったらそこに自分の描きたいものがすべてあった、最悪だけど刺激的なのだ、という話。ふむ。
「エレファントマン」がイギリス舞台だったのでなんとなくヨーロッパ的な雰囲気の人なのかと思っていたら酷くアメリカ的な感覚のひとだったのか、アレはアメリカの恐怖なんだと今更気づいたのであった。

驚くべきシーンは色々あるのだが、ドロシーが全裸で外に立っていたのはびっくり。この場面もかなり反感をかったようで。
これもリンチ監督が幼い時、実際観た光景だったらしい。裸で外に立ってる人を見たら忘れられないことだろう。


監督:デヴィッド・リンチ 出演:カイル・マクラクラン、イザベラ・ロッセリーニ、デニス・ホッパー、ローラ・ダーン
1986年アメリカ



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2007年05月10日

2007年05月09日

「タクシー・ドライバー」マーティン・スコセッシ

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ロバート・デ・ニーロではなくジョディ・フォスターを見たいと思っての鑑賞だったが。

普通のタクシー・ドライバーが突然サイコ野郎に変身し、とんでもない事をしでかす。
という映画だと思っていた。というのは昔観たと思うのに、記憶がもうなくて他から得たイメージだけで考えていたから。
まさかこんなに真面目な男の物語だとは思っていなかった。

お目当てのジョディ・フォスターも12歳の売春婦ということで当時衝撃的であったというが設定だけであって特に驚くようなシーンがあるわけではない。
トラヴィスはそんな彼女・アイリスを正しい道に戻そうとして懸命に説教する。
その後、トラヴィスは少女売春の斡旋者たちを射殺するのだ。こんな奴らは射殺されて当然である。
アイリスは親元に帰され通学を始め、トラヴィスは彼女の両親からは感謝される。

それまでの彼は勤勉なタクシードライバーではあったが、好きな女性にはふられ、大統領候補暗殺を企てては失敗し、仕事にも街にも住人にも不満を持っていたのだが、アイリスを救った後は表情も変わり仕事に復帰し、ふられた女性にも落ち着いて話せるようになる。

ベトナム戦争帰還者の苦しみ(鬱症状・不眠症になる)を抱えた若者の行き場のない怒りをむしろ静かに描いている。
何と言っても体を鍛え、銃を購入し、細工して体に装着させていく様が印象的なのでその部分だけが取り上げられるために怖ろしい物語であるようなイメージがあるのだろう。
暗殺計画は確かに常軌を逸したものではあるが、モヒカン頭にすることでむしろ目立ちすぎ、自ら失敗を促しているのだ。普通に考えれば普通の姿、普通の行動をすればよかったはずなので。

ニュー・ヨークの夜景とバーナード・ハーマンの音楽もまたこの映画を印象付けるのに大きく関わっている。
全体に沈鬱な雰囲気が重くたちこめ、ますますトラヴィスを異常者のように思わせるがむしろ愚直な若者なのではないだろうか。

ジョディ・フォスター演じるアイリスが急にではなく少しずつトラヴィスの前に現れてくるのが面白かった。
12歳の売春婦、とはいっても作品中にヌードだの行為だのが出てくるわけではない。当時の映画には出せないものだったのか。スコセッシ監督が大変モラリストであったのか。

トラヴィスが憧れの女性をポルノ映画に誘ってしまうというとんでもないポカをやってしまったのも愚直さゆえの失敗だろう。

監督:マーティン・スコセッシ 出演:ロバート・デ・ニーロ , シビル・シェパード , ピーター・ボイル , ジョディ・フォスター , アルバート・ブルックス , ハーヴェイ・カイテル
1976年アメリカ
ラベル:暴力
posted by フェイユイ at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月08日

2007年05月07日

「満城尽帯黄金甲」の杰王子と「SWEET SIXTEEN」のリアム

じえるなさんから「満城尽帯黄金甲」の杰王子と「SWEET SIXTEEN」のリアムの相似点の指摘を受け、なるほど!というわけで早速「満城尽帯黄金甲」を見直してみた。

であるからして、この記事はその二つの映画のネタバレになりますので、ご注意を。
そして「満城尽帯黄金甲」はまだ中文字幕でしか観てないのであまり多くは語れない上、勘違いもあるかもしれないのでご容赦を。

そう思って観て行くと他にも色々似ている点が多くて不思議な感じ。
最も似ているのはやはりジエとリアムの母親に対する愛情なのだけど。
そして二人の母親が薬づけなのも同じだとか。暫く離れて暮らしていた息子が母親を慕い、頼りない母を助けよう、薬を服用させまいと頑張っている(薬の意味がちと違うが)
なにしろジエのほうは黄金尽くめの城に住む王子で片方は職もない貧乏人なのだが悩みと愛情は変わらない、というのがミソ。
リアムはなんとか母親を助けたくて義父に反抗しながら暴力団の間に入り込み戦っていく。
ジエの方はなんというか中国的というのか張芸謀的というのか何万と言う敵を相手に槍を振り回したりするのだが、その姿が世間を敵にして戦うリアムの姿と重なる。
リアムが兄弟のように思っているピンボールとジエの兄弟である元祥が自らに刃物を向ける場面がある。
父と義父が高圧的である、などなどイメージが重なる事が多いのだ。
ともかくジエとリアムの母親に対する愛情のこもった微笑みとなんとか助けたいと思う気持ちが痛いほどで時と場所がこれほど違うのに不思議な事だと思ったりする。
ただラストは違う、というか違うと信じたい。リアムがジエのようにならないように。

まあ、以上はじえるなさんのコメントから自分が勝手に思い込みを深めたものではある。
この比較は凄く面白かったし、大好きな二つのキャラクターがこんな風に似てるとは、とちょっと震える思いだった。じえるなさんに感謝するばかりだ。

「満城尽帯黄金甲」を再観すること自体、楽しかった。ますますこの映画日本語字幕でしっかり観ないことには納まりがつかない。
ラベル:家族 愛情
posted by フェイユイ at 22:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

「SWEET SIXTEEN」(スイート・シックスティーン)ケン・ローチ

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スイート・シックスティーン

えと、今「SWEET SIXTEEN 」を観終わったとこで、普通なら考えまとめて次の日に書いたりするんだけど、ちょっとこれに限っては一日置きたくなくてまとまらないまま書き飛ばしている。
ていうのは、この作品の主人公リアムが可愛くて泣きたくてしょうがなくなってしまったからで一日気持ちをほったらかしに出来なかったからなんだけど。
一応これは社会派映画ということで貧しく環境も整わない家庭で成長する少年の姿を描き、恵まれない少年にも学習と就業の機会を与えてと社会に告発する目的があるらしく勿論その役目は充分に果たしているんだけど、私が感じたのは別にリアムが貧しい家庭の少年という枠だけでなく多くの少年少女の心にある反発心、孤独感といったものを体現しているということなのだ。
この感覚は同じく社会派と言われるアラン・パーカーの「ミッドナイトエクスプレス」や「バーディ」を観た時に感じたものと同じだと思う。社会的問題を訴えた映画といわれて観ていても自分が見ていたのは孤独な心で強い抑圧と戦い傷つく若者の姿で、それは「そこでの問題」ということでなく普遍的な少年期の成長の為の戦いなんだと思えた。
本作でのリアム少年のなんて魅力的なことか。大人になろうと無理に背伸びし悪ぶって見せる。
家族を愛し、うまく行くようにと取り計らう。でも本当はまだ幼くてお母さんに甘えたくてしょうがない子供なんだ。
まだ子供で母や姉の本当の姿に気づかず勘違い、無理強いをしてしまい逆に人を傷つけてしまう。まだ取り繕う事の出来ない魂はむき出しで怖ろしい世間の刃に当たって血を流しひりひりと痛む。
思わず抱きしめて、いいんだよ、君が悪いんじゃないんだ、と慰めてやりたくなる(無論この状況でこの言葉が正しいかどうかはわからないが)
それはリアムを演じた殆ど素人と言っていいマーチン・コムストンの魅力そのものなんだろうけど。本当にリアムはそこで動き話しているのであってマーチンと言う少年が演じているのか彼がリアムその人なのか自分にはわからなくなってくるほどなのだ。
それほど私にはリアムが可愛くてしょうがなくなってしまった。

リアムが愛する母と姉の姿のリアルさはどうだろう。いくらリアムが求めても母親が欲しているのはリアムではないという事実。
そして姉はすべてを知っていた。子供のリアムにはまだ判らないのだ。それが愛おしく切ない。

リアムが親友ピンボールをどうしたか、はっきりとは描かれていない。勿論リアムがピンボールを殺すわけはない。
絶対に私は信じる。

この後、リアムが強く生きていけるように。ピンボールとまた仲良くやっていけるように。
お姉さんとは仲直りして。お母さんとは距離を置いて仲良くして。
そう願うし、そうなると信じている。

涙愚者愚者(ぐしゃぐしゃって変換したらこうなった。まさに私のこと!)で書いちまってしょうがないなあ。

監督:ケン・ローチ(この一作で愛してしまった)
出演:マーチン・コムストン(この一作で愛してしまった)
ウィリアム・ルアン、アンマリー・フルトン
2002年イギリス・ドイツ・スペイン

posted by フェイユイ at 23:38| Comment(12) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「陸軍中野学校 竜三号指令」田中徳三

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物足りなかった2作目と大きく変わって3作目は椎名が上海へ飛ぶ。

日中戦争を終結させるための平和交渉へ向かった使節団がテロで殺害されたのだ。
次いで2度目の使節が向かうことになるという。中野学校・草薙中佐は平和交渉を阻む組織の調査・竜三号指令を椎名に命じる。
椎名はすぐ上海へ向かい調査を開始する。が、2度めの使節は飛行機の故障で不時着してしまい、反対派のテロリスト集団に捕らえられてしまう。調査半ばにして椎名は使節救助へと送り出される。

椎名次郎(市川雷蔵)が怪しい中国人に変装したり中国語を駆使したりして実に楽しい。
一体どこで撮影されたのかは判らないが大陸を移動しての大活躍である。草薙中佐がアジアの平和のために中野学校がある、という意識があり、椎名が戦争強硬派の日本軍人と対立する場面があったり、親日派の中国人や放送局に勤める秋子と姉妹のような中国娘もいたりして違和感を感じず観れてよかった。謎の中国女性スパイに松尾嘉代。
昔の日本映画は作品中でばんばん中国語を話したりするのが感動的なのである。かえって最近のものは外国語を話したりしないのではないか、と思うんだがどうだろう。

二人の使節を救助に行く箇所は特に緊張感があって面白い。「日本人は顔を洗う時手の方を動かす(中国人は顔を動かす)」という説が元で正体を見破られたり、逃げる時車のイグニッションキーがないのでコードをつないで発車するのも懐かしいような場面だ(自分がやってたわけではない)
ここで相棒的存在だった杉本が地雷で自ら命を落とす。悲しい最期だった。

いつもながら市川雷蔵と加東大介の存在感で見せてしまうな。大規模な正月映画ということらしいのですが、充分面白いんだからこれでいいのでは、と思えてしまう。金さえ使えばいいということではないのだ。

「成仏」って言葉、中国語の「死」として成り立つのかな?

監督:田中徳三 出演:市川雷蔵、加東大介、松尾嘉代
1967年日本
ラベル:スパイ
posted by フェイユイ at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

「ファイトクラブ」デヴィッド・フィンチャー

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こんな風な映像に処理を加え凝った手法を観ると、同じ話でもぐっと地味な画面でラストのお祭り騒ぎもなしというのを観てみたくなる。
そうすればずっと奇妙な味わいのある不思議な作品になるのに、と残念に思うのだ。

というのはまったく自分の趣味であって本作のような技法は人目を惹きつけるのだろうし、地味にしてしまえば観る人も限られてしまう。商業的には難しいだろう。

タイラーがブラッド・ピットなのは頷ける。彼は主人公の夢の男なのだから、これでぴったりなのだ。
不眠症でいつ眠ったのか眠ってないのか、夢と現が入り混じった世界に生きている主人公を演じたのがエドワード・ノートンなのも実にいい。ふらふらと身勝手な男が似合っている。

男達は隠れ家的クラブを作るのが好きだ。秘密基地。他言無用の組織活動。自分たちだけの法則。それらが他愛ない趣味の域を越え悪の匂いが漂ってくるうち、次第に逃れられなくなる。それがないと生きていけなくなってしまうのだ。そしてますます強く結束していく。
溜まりに溜まった日頃の鬱憤を互いを殴りあうことで発散させていた当初のうちは愛嬌ですんだ。後半、その矛先が外側の人間にむき出すとそれまで笑っていた観客たちも眉間にしわがよることになる。
なぜ人間の行動は次第に変化し、悪い方向へと膨らみやすいものなのか。
まあ、そのまんまでは物語として決着しにくい。生み出されたクラブの規律、統率力というのはまさに軍隊そのものでイメージするアメリカ人ではない。こういったものへの憧れというのは常に皆(特に男性)の心の中にあるものか。
タイラー軍隊の中で彼らは忠実に規則を厳守し行動する。誰からも強制されることなく。

やがて主人公は覚醒しすべてを知る。
タイラー・バーデンが自分の理想の虚像であること。それは語られるようにジキルとハイドをイメージした関係なのだろうが、本作のハイドのかっこいいこと。理想像なのだから当然とはいえ。

それにしてもどうしてこうホモセクシュアルなイメージなのか。男ばかりで揉み合っているのは楽しいことなのだろうな。
それに引き換え、たった一人の主要な女性・マーラの扱いは酷すぎる。タイラーに対してカッコワルすぎじゃないのか。これではますますタイラーとクラブに浸ってしまうし。
マーラって仏教的には悪魔ってことだが、関係ないか。

最後はタイラーと決別し立ち並ぶビル(自分の価値観)が派手に崩壊して今からよくなるよと、説得し手を取り合って終わり。
でもまたいつタイラーが出てこないとも限らないしね。ファイトクラブが終わったとは言ってないし。

監督:デヴィッド・フィンチャー出演:エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレナ・ボナム=カーター
1999年アメリカ

タイラーがフィルムの編集作業をしている場面。“煙草の焦げ後”というマークが出てくるけどアレを見るといつも刑事コロンボを思い出すのだ。
ラベル:犯罪 サイコ
posted by フェイユイ at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月03日

「白い家の少女」ニコラス・ジェスネール

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ウラディーミル・ナボコフの「ロリータ」をここ最近バイブルの如く読み返し、先日、キューブリック映画「ロリータ」と趣は違うが「ハード・キャンディ」など観たりして最近ちょっとロリコンなフェイユイなのである(只今、「エコール」を狙ってるんだが人気で借りれない)

だがしかし私にロリータを想い描かせる少女はなんと言ってもジョディ・フォスターなのである。
「タクシー・ドライバー」「ダウンタウン物語」で鮮烈な印象を与えたジョディは大人と少女の狭間の不思議なセクシュアリティを持っていた。ハンバート・ハンバートのお好みかどうかはわからないが、少女の目から観ても凛としたクールな美しさであった。
後から思えばそれは彼女がレズビアンでありどこか男を拒絶するような波長を帯びていることがジョディのミステリアスな美貌に作用していたような気がする。

そんな風にジョディ・フォスターが大好きなのであるがその割には彼女出演の映画は何故だか好みじゃない気がして「タクシードライバー」「ダウンタウン物語」「ホテル・ニューハンプシャー」「告発の行方」「羊たちの沈黙 」「マーヴェリック 」「コンタクト」「パニック・ルーム」くらいしか観ていない(充分か?)とにかく特に少女時代のジョディが観たくなってまず未見の本作を観る事にした。

観てみて色々な意味で興味深い映画だった。
なんだかとても奇妙な映画で時代のせいなのか解らないのだが、ジョディ演じる13歳の少女リンが住む一軒家に入れ替わり立ち代り訪問者があってこれが何のためらいもなく家に入り込んでくる。昔のアメリカってこうだったのか。戸口にはチェーンもつけてなくてさっと客を入れてしまうのがあまりにも無警戒で怖い。ハロウィーンと言う口実で簡単にドアを開けてしまうこと自体が危ない。70年代の田舎だからこういうものなのか。子山羊ですら狼が訪ねて来た時はドアを少ししか開けてないのにな。
しかもこの最初の訪問者、村でも少女を追い掛け回してる事で有名な男なのだがそれをマーチン・シーンが演じていた!物凄くねちねちと嫌味でムカつくのだ。ロリコン物にはこういうイヤらしい男が必需品なのであるがマーチン・シーンとは驚いた。
そのロリコン男のママがまた嫌な女。こちらもずかずかとリンの家に入り込んで、契約を取り決めているのに出て行けなどと言い出し、リンが13歳だと言うことで思い切り馬鹿にした態度。契約して金を払った相手に対してこの態度のでかさは不可解だがこれも70年代アメリカの田舎、ということで納得すべきなのか。こともあろうにこのオバサマ、リンの頬を引っ叩いたりするんだが(その意味もよく解らない)うーん、美少女物にはこういう意地悪なオバサンが必需品ということで納得するべきか。
次に登場。地元のおまわりさん。お父さんはいるはずなんだが一人ぼっちのリンを気にかけてくれる優しい男。とはいえやはり一人きりのリンの家に入り込んだりするんで「もしや」と気をもんだりしてしまう。その効果も狙っているのかいないのか。
リンが心許す少し年上の少年マリオ。片足が不自由なマジシャン。気が弱いのか、と思いきやリンを庇ってロリコン男に剣を向けたりする勇気を持つ。13歳のリンが相手だから精神的な愛情かな、と思いきやリンの方からメイクラブを誘う。代役(?)なのかどうか知らないが13歳のリンの裸の後ろ姿があり、露骨なシーンはないがベッドインするわけなのだ。13歳の少女のベッドインというのは結構驚きなんではないかと思うのだが、どうだろう。

一軒家に美しい少女が住んでいる。詩人の父親と同居なのだがその姿を見たものはいない。少女は父親が言い残した言葉を信じ、大人たちを敵視して一人で生きていこうとする。
海風がふく寒々とした光景は少女リンの心のように冷たく張りつめているようだ。
大人を敵視する13歳の少女ならリンと自分の姿を重ね合わせて見る事だろう。
そんなリンが心許したのは風変わりな少年なのだがリンのためにマリオは肺炎になってしまい、危険な状態にあるようだ。
リンはまた一人ぼっちで生きていかねばならないのだろうか。そのために彼女に害を及ぼす者たちを殺さねばならないのだろうか。
最後の美しいジョディのアップを観ながらこれは少女の物語だというだけでなく孤独な心を持つ女たちに共通する気持ちなのではないかと思ったのだった。
入れ替わり戸口を叩く男達、そして敵意のある女を相手になんとか智恵を絞り戦うリンの姿は痛々しい。

それにしてもお目当てのジョディ・フォスターの少女の色香というのはどうだろう。肩に広がる金色の髪。冷たい青い目と整った顔立ちなのにまだ幼いふっくらとした頬。小柄な未発達の肢体が少女らしい魅力を発している。あっさりしたセーターとスラックス姿。そしてダッフルコートの愛らしいこと。うんやはり惹かれずにはいられないではないか。
幼い美貌で観客を魅了していたジョディが今も変わらぬクールビューティであり続けているのは脅威としか言いようがない。
自分の出産や性指向をオープンにしないためミステリアスなイメージのままの彼女だがずっとそうであって欲しいとファンとしては思ってしまうのである。

監督:ニコラス・ジェスネール 出演:ジョディ・フォスター 、マーティン・シーン 、アレクシス・スミス 、モルト・シューマン
1976年アメリカ・カナダ・フランス
ラベル:犯罪 ロリコン
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2007年05月02日

「麦の穂をゆらす風」ケン・ローチ

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悲しい。世界中で起きた、そして起きている様々な紛争を思ってもこれと同じような事があるのだ。
自分の国、日本を思えばここに描かれるイギリスのような立場でアジア諸国の人々を苦しめていた歴史があるのだから。特に朝鮮(韓国)に対しては非常にこの関係に似ている。

この映画を作ったケン・ローチ監督がイギリス人であることに驚きを感じてしまう。これと同じように日本人が自分たちを見つめ作品を作り発表する事ができるだろうか。

だが悲しいのは他国であるイギリスに惨たらしい攻撃を受けたいた間だけではなくそれ以上にイギリス兵が撤退してからの同胞達の争いである。
映画ではイギリス軍との戦いが終わったと同時に仲間達の間に亀裂が生じ同じような惨たらしい争いが繰り返されてしまう。

ローチ監督の映画作りは丹念である。美しいタペストリーを織り込むように物語の糸を選び組み立てていく。冒頭のどかな緑色の風景の中でハーリングという球技で遊ぶテディ・デミアン兄弟と仲間達。皆に期待され果敢に挑んでいく兄テディの姿は後の戦う姿を予感させる。
のんびりと帰宅する彼らに突如銃を向けるイギリス兵たち。仲間の一人は名前をどうしても英語発音しなかったために撲殺される。「名前を言いさえすればよかったんだ」というデミアンは後には心を誤魔化すことが出来ないように変化していく。

それにしてもアイルランドを弾圧するイギリス兵のなんという理不尽な恐怖に満ちているのか。
いつでも他を支配しようとする者はこのような意味の解らない暴力を(肉体的にも精神的にも)振るっているものなのだ。
そして暴力による報復と仲間の裏切り。どうしようもないとは言え、幾度となく繰り返される空しい戦い、報復。
争いを避けようとしていたデミアンは友達の裏切りを知り自ら彼を殺害する(処刑という言葉を使う必要はないだろう)それは人間として間違ったことではないのか。心がなくなったような気がする、とデミアンは泣く。友人の母親、かつてよく食事を作ってくれたその人に友人の死を知らせる。友人の母の言葉「もう二度と来ないで」

命がけのゲリラ戦の末、イギリス軍は撤退することになる。アイルランドとイギリスの講和条約。だがそれはデミアンたちの意にかなうものではなかった。仲間はその条約に賛成反対で分かれてしまう。そして仲のよかった兄弟、テディとダミアンもここで袂を分かってしまうのだ。
兄の意見を受け入れないダミアンを銃殺する兄。一体何が大切なのか、何を守ろうとしていたのか、争いというのは人を狂気に走らせてしまう。友達を殺めたダミアンは最愛の兄に殺されてしまう。兄は弟の恋人にその死を知らせ「もう二度と来ないで」という言葉を聞く。

なぜ最も愛する大事な人を殺し殺されなければいけなかったのか。
緑溢れる自然、柔らかな光線が心地よい国で、高い志を持った若者達が共に戦いやがて互いに刃を向けることになるこの悲しい出来事に目を背けてはいけないのだ。

タペストリーというものはよく戦争を題材とした叙事詩を織ってあるもののようだ。
ローチ監督は美しいタペストリーを織るようにこの物語を作り上げた。
それを見る時、私は涙を流すだろう。またそれを折々に思い出すことだろう。

監督:ケン・ローチ 出演:キリアン・マーフィー、ポードリック・ディレーニー、リーアム・カニンガム、オーラ・フィッツジェラルド、メアリー・リオドン
2006年アイルランド=イギリス=ドイツ=イタリア=スペイン
posted by フェイユイ at 22:09| Comment(3) | TrackBack(2) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Men's Biore 汗水篇〜張孝全(ジョセフ・チャン)〜

Men's Biore 汗水篇〜張孝全(ジョセフ・チャン)〜



どばしさんから情報いただいて早速観てみましたよ!

わーい、相変わらず脱いでるし(笑)Men's Bioreだから当たり前か。
うん、嬉しい。可愛い。
何度でも観よう!

こちらもどうぞ
呉彦祖biore foe men
ラベル:張孝全
posted by フェイユイ at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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