映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年06月13日

「シルヴィア」クリスティン・ジェフス

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今までのダニエル・クレイグとは全然違うイメージを持った。詩人、という知性的な役は今までも教授などあったのだが、今まで観たどこか頼りないようなちょっと抜けた役ではなく女性にモテて自我をしっかり持っているタイプなのだ。髪型も黒いやや長めの髪でした(「愛の悪魔」のパンフであの長め(って普通なんだけど短髪のイメージの人だから)の黒髪が自分で凄く嫌らしい、てことだったんでこの髪型も嫌いなんだろうな。しかもこちらの特典・インタビューでは坊主頭だった(笑)よほど嫌だったのか)
ヒロイン・シルヴィアの夫で何度も浮気をするという役でいわば悪役だがシルヴィアを見てる分には同情の余地あり。

詩人の才能を持ち、夫・テッドもその才能ある彼女を愛したのだが、結婚すれば結局家事育児は女の仕事となってしまう。その上やはり才能ある詩人で色男のテッドに異常と思えるほどの嫉妬心を抱くのだが、事実その猜疑心が当たっているという笑えない的確さなのであった。
とはいえ子供がいない時もスランプを感じて詩が書けずケーキを焼く妻を見て「ケーキよりもっと創作をするんだ」と言われてた時もそれがプレッシャーになっていたのだから、シルヴィアという女性は夫が誰であってもどんな家庭になっていたとしても不幸になってしまう人だったのではないだろうか。
シルヴィアがテッドと暮らすようになったとたん詩が書けなくなり、テッドが家を出て行くと素晴らしい詩が書けるようになる、というかなり露骨な性格だが、一人きりの方が詩が書けるというのはそうであろうとも思う。孤独な中にいた方が創作できるタイプの女性だったのだろう。

結婚し仕事をする女性なら詩という芸術ではなくとも多少は彼女の苦しみに共感できる部分もあるだろう。できるならこのような結末は迎えたくはないものだが。こういう気持ちになった事がないとは言えない。実はしょっちゅうある。
だもんで暗くて情けない内容ながら身につまされてしょうがない映画ではあった。
心優しい下階の老人に郵便切手がないか聞きに行き、そのまま暫く廊下の電灯を見つめ夢を見ていた、というシルヴィアはすでにこの世に生きていないようだ。
その切手は親へ宛てたものだと言うのがその後を物語っている。

グウィネス・パルトロウは「リプリー」でも作家志望の役だったがカーディガンできゅっと体を締め付けるようにする演技がか細く頼りない雰囲気を出す。涙が溜まっているような大きな目も美しい。金色の髪が古風な感じを持つ綺麗な女性である。

風の音が耳に残る悲しい映画であった。

監督:クリスティン・ジェフズ 出演:グウィネス・パルトロウ ダニエル・クレイグ ブライス・ダナー マイケル・ガンボン
2003年イギリス

グウィネスの母親役ブライス・ダナー、グウィネスにそっくりなんでよくもまあこんなに似た母親役を見つけたな、と思ってたら本当の母娘だった。凄い美人母娘。

死後ピュリッツアー賞を取った詩人・作家である、ということなのに初めて知った名前だった。夫のテッド・ヒューズと共に有名な人だったらしい。
調べてみると彼女の死後の夫と愛人もどろどろと大変だったようだ。愛人が子供と心中という最後は悲しいものがある。


posted by フェイユイ at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「永遠のアフリカ」ヒュー・ハドソン

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原語ではどうなっていたか判らなかったが物凄く広大な土地をアフリカの一言で片付けるとは。舞台はケニアなのだが、アフリカに憧れてと言っても範囲が広すぎるとは思うんだけど。

監督はヒュー・ハドソンで「炎のランナー」はよかったし「グレイストーク」も昔面白く観たが、こういう欧米人のアフリカに対する憧憬と生活というのをストレート過ぎるほどに描いたモノというのは何かむず痒かったり、或いはどこか醒めた目で観てしまうのはどうしてなのか。
もしかしたら自分には到底実現できないための嫉妬からくるものなのかもしれない。

母親が無理だというのを押し切って子供連れの身ながら新しい夫と共にアフリカ(ケニア)に渡った一人の女性の奮闘記、実話である。
だが彼女の悩みと言うのはアフリカそのものではなく家庭を顧みない夫に対するものなのでこれならどこでもある話である。
キム・ベイシンガー演じるクーキーはてんでで頼りない夫に歯噛みしつつもライオンやら象やらを追い返したり、畑仕事に家の改装、と物凄い大仕事である。映画だとその辺は端折られるが実際なら毎日毎日大変である。よく離婚しないものだと思うけど、こういうふらふらした男に女は弱いものなのかもしれない。やだやだ。
だもんでダンナが死んだときはなんとも思わなかったが息子のエマの死はさすがにこたえた。小さい時のエマも可愛いのだが17歳の時の彼は凄い美少年(ギャレット・ストローメン )なのである。私はあんまり美少年はいいんだけど綺麗な子だなーと思ってしまった。毒蛇をペットにしてるのも美少年らしい。しかもそれに咬まれたエマを助けようとする母親クーキーの姿はどうしてもぐっときてしまう。
叩いてでも毒蛇を捨てておくべきだったなどと言う後悔は結局先にたたないものである。
最愛の夫と息子に先立たれまだクーキーは娘と共にケニアに残り自然保護のために活動を続けているそうだ。

美しい大自然を眺め、現地の人と交流し、白人らしい生活を守りながら生活していくクーキーがやはりどこか羨ましく思ってしまっているのだろう。
息子を死なせてしまった時ですらどこか仕方ないというあきらめのようなものが感じられる。エマの飼っていた蛇を殺すのではなく放していく場面でクーキーのアフリカへの思いを感じさせる。

肝腎のダニエル・クレイグは土地の管理人といった役で登場。チョイ役なのだが一箇所だけじゃなくちょこちょこ出てくるのでしっかり観てる必要がある。
自由人という雰囲気でちょいむさくるしさがあってこれもなかなかすてき。
息子を助けて、という場面で颯爽と飛び出してくるが結局駄目だったという悲しい役。その辺もダニエルらしいのかも。

キム・ベイシンガーは硬質な美貌でケニアで息子を守りながら猛獣を蹴散らすパワー充分である。さすがに大自然にこの美しさは映えるのだ。
原題の「I DREAMED OF AFRICA」というのがまさしくぴったりの映画であった。

監督:ヒュー・ハドソン 出演:キム・ベイシンガー ヴァンサン・ペレーズ エヴァ・マリー・セイント ダニエル・クレイグ リーアム・エイケン ギャレット・ストローメン ランス・レディック エヴァ・マリー・セイント ギャレット・ストローメン
2000年アメリカ
posted by フェイユイ at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

マット・デイモン、イラクに関する新作映画へ出演

マット・デイモン、イラクに関する新作映画へ出演

監督はポール・グリーングラス(「ブラディサンデー」「ボーン・スプレマシー」「ユナイテッド93」)ということでこれはおもしろくなりそうです。でもどうしてもイラク問題=難しい内容、と身構えてしまいますけどねー。
出演、と書かれてますが主演ではないのでしょうか。その辺も気になる。
posted by フェイユイ at 00:03| Comment(3) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

「ホテル・スプレンディッド」テレンス・グロス

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「魔の山」ならぬ「魔の島」という設定で単なるホテルじゃなく病人達を治療するためのホテルなのにますます重態になっていくようで怖ろしい。こんなに隔離された土地でなく案外自分たちの家でも同じような事が起きているのでは?という問いかけもあったりしないだろうか。

イギリス風ゴシックの味わいとおぞましい笑いに満ちた一作である。長男の狂気はいかにもサイコですよと口紅まで塗っていたりするから判りやすい。妹コーラは本当はどうだったんだろう、と気になったりもする。嘘だとは思うが意外とイギリスものってわかんないんだよね。ロシア人セルゲイとの愛が崇高と表現したくなる格調があってなのにどれもくすっと笑いながら作っているのが意地悪な仕掛けになっている。

とにかく奇妙で汚いとしか言いようのない映画なので頭を空っぽにして楽しんでしまうしかない。
なのに時々登場する暗い空の下の海辺の場面なんかが凄く印象的だったりするのだ。

しかし健康の為の煮物、と言っていかにも不味そうに作られていたが、日本の豆腐と野菜の煮付けなんかは凄く美味しくてご飯をたくさん食べてしまう、と思うがどうだろう。それだとこの映画が成り立たなくなるが。毎日同じじゃイタリア料理も食べたくなるだろうけど。

すでに亡くなった母親がホテルを支配してる様子は「シャイニング」のようでもある。その母親の影響を最も受けているのが長男。次第に狂気度が激しくなっていく。
母親に愛されていなかったという思いを抱き続けていた次男ロナルドをダニエル・クレイグが演じている。
ホテル唯一のシェフで母親の言いつけどおりの不味そうな健康食を
作り続けている。クレイグは自身も料理が得意ということだが、作る料理がこれでは可哀想であった。
かつてこのホテルで働いていたのに飛び出していった女性・キャスを一途に愛している。といっても他に女性もいないが。
肉体は逞しいが繊細な雰囲気のある男性であり、この映画にしてダニエル演じるロナルドはキュートで魅惑的でありました。

とダニエルファンとしてはいいんだけど、この映画の鍵を握るのはやはり妹コーラとセルゲイなんですねー。
コーラの存在はなんとなく「キャリー」を思い出させたりもするし、自分的にはコーラが主役だともっとおもしろかったんだけど。ロナルドとキャスよりセルゲイとコーラの愛の方が気になるし。
物語を明るい未来へ誘うキャスは素敵ではあるが、ゴシックロマンの主人公としてのコーラも見たかったのである。

監督:テレンス・グロス 出演:トニ・コレット ダニエル・クレイグ カトリン・カートリッジ スティーヴン・トンプキンソン ヒュー・オコナー ヘレン マックロリー
2000年イギリス
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2007年06月10日

「ディパーテッド」デイモンとディカプリオ

というわけで二つの「同じ企画」の映画を観て非常に面白かったわけであるが、もう一つの重要な問題、キャスト、と言うものがある。
「ディパーテッド」を観ていてずっと思っていたのが「トニーレオンってステキだな」ってことだった。無論本作にトニー・レオンは出ていない。
私は正直、レオナルド・ディカプリオはどうしてもどうしても駄目なんである。他の感想を見ると映画はどうでも「レオはかっこよかった、うまかった」と言う意見が多くてこちらの方が自分的には大いに疑問である。彼の出番だけ切り抜いて捨ててしまいたいくらいだったがどうしても顔を見ないと先に進めないので苦渋を飲んで耐えた(これが「無間道」である)
しかも主人公らしい(当たり前だって?)トニーが演じていた悲劇をレオナルドが演技してるのだがトニー・レオンのあの甘い魅力、寂しげな雰囲気を思い出してしまう。あーあ、レオの部分だけトニーに変えてくれればよかったのに。なんて無理を言ってどうする。
トニーが演じていた時は「彼の方が主役にふさわしい苦しみを背負っている」と確かどっかで書いた気がするがレオナルドにそれをやって欲しくなかった。以前はマット・デイモンと似ていて区別がつかないんでは、と思っていたが実際観ると大違いであった。二人が似てるなどともう思うことはないだろう、と思いほっとした。

実際の主人公コリンを演じたマット・デイモン。こちらはどういうわけか多くの方々は不満のようでまた疑問だ。
アンディ・ラウは(好みじゃないのだがそれを撥ね退けて)確かに素晴らしかったがマット・デイモンのコリンもこの世界の住人として立派な演じ方だったと思う。
マットは「いい人」のイメージが強いのだが「悪い奴」の側面も持っていて顔もどちらとも取れるようなつまり優しそうな感じと意地の悪そうな表情をしているからなかなかにハマりだったんじゃないか、と思っている。
頭を働かせ狡賢く立ち回るのも彼が今までにやってきたキャリアを生かしている。コリンの出番も思った以上に多かったのはうれしい。なぜかドジばかりふんでいてかっこ悪いビリーより賢いコリンのほうが私は好きだったしね、めずらしく。普通はドジやってる方に肩入れしちゃうものなんだけど。
私としては元作のままコリンが主人公でよかったんでは、と言う気もするがとにかく「無間道」でなく「すぐ死ぬ」のがテーマだったんでしょうがないのだ。
それにしても何故マット・デイモンよりディカプリオがいいのか、全然わからない。ドジばかりのぶざまな主人公、というのもありだとは思うが、この中のレオ=ビリーってカッコ悪すぎないか。トニーみたいに素敵だから死んだ時悲しいんだけどね。ああ、もうどんどん酷いこと言いそうだからやめよう。
とにかくディカプリオは人気あるのが不思議でしょうがない。まあ、皆さんは私がどうしてそんなにマット・デイモンが好きなのか不思議なんだろうからお互い様だけど。
posted by フェイユイ at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ディパーテッド」マーティン・スコセッシ

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最も驚いたのはリメイクということなのに描かれていることが全く違う事であった。

これは同じストーリーと言う事では勿論なく同じ設定と言うより同じ企画を立ててみたが人種と宗教が違えば結果はこうも変わる、というようなものだろうか。
「インファナル・アフェア」=「無間道」はタイトルが仏教思想で永劫に続く苦しみを表している。主人公の結末もそのいつまでも続く苦悩の恐ろしさを描いていて秀逸である。
「ディパーテッド」のタイトルは「死者」ということで中味もそのままである。バン!と撃たれたらそれでおしまい。何もなし。永劫に続く苦しみはない代わり何もなし、である。実に明快。
永劫に続く苦悩は怖ろしいが死ぬとそれで終わり、というボストンマフィアの運命も悲しい。どちらがお好みかはそれぞれである。
コステロは富を築いたかもしれないが跡継ぎもいないようだし、ビリーもコリンも必死で頑張ったのに何も残っていない。
いや彼らには子供はいるのかもしれない。二人の共通の女性が彼らのどちらかの子供を宿している。一応、コリンの子供ということになってるがビリーの種かもしれない。子供を堕ろしたかどうかマドリンがはっきりと答えてないのだが、続編が作られるということらしいから多分その子が次の主人公、しかもコリンの子かビリーの子か、ということでまた悩まねばならない(ここ、私の創作ですから)

香港マフィアのサムは冒頭から仏を拝み、仏教思想に彩られた「インファナル」に比べ、ボストンマフィアのコステロはカソリック教会への冒涜も甚だしく、その態度は偽悪的すぎるほどだ。
多分に儀式的な重厚さがあり人間関係も濃厚だった「インファナル」に比べ「ディパーテッド」は宗教を侮蔑し人間関係も殺伐としている。ビリーとコリンが同じ女性と繋がりがあると言うのもロマンチックな要素を壊してしまう。
「ディパーテッド」的世界というのはマフィア(ヤクザ)に対してアジア人(日本人)がイメージする儀式・友情・男女の繋がりというものを破棄しているために同調しにくいにではないだろうか。ましてや「インファナルアフェア」を賛辞する者にとって「ディパーテッド」が同じように面白いということはないだろう。
私自身、これを観ていかにアジア人として感じているか再認識したという所である。チャップマン・トゥがいないのが寂しくてしょうがないし警視とマフィアボスとの友情も必要だったりするのである。

「ディパーテッド」を観て多くの「インファ」ファンが主人公たちのあっけない最期に憤慨してしまうのだが、それが「ディパーテッド」が「死者」というだけで「無間道」に苦しむ「インファナルアフェア」と違うのだからしょうがないのだ。死もファーストフードなのである。

というわけで非常に面白く鑑賞したのであった。
主人公・ビリーとコリンは元作と主・副が入れ替わっているわけだが、登場時間としてもそう元と違わぬ気もした。
何より私はディカプリオよりデイモン贔屓なのである。

ジャック・ニコルソンについては何の問題もなし。この何の風味もない殺伐たるボストンマフィア社会を牛耳るにはあのくらいの凶悪さが必要なんだろうし、老いてなお凄まじいあの形相は他の追随を許さぬものである。私は勿論エリック・ツァンの可愛いく怖い(カワコワ?)ボスぶりが大好きだが、舞台がアメリカなら顔もあーなるのである。性格も破綻するのである。

任侠ものって昔はさ、結構義理人情、愛情友情を謳ってたのに殺伐となってしまったね。
これがアカデミー賞作品賞/監督賞など取ったのもみんなえーだったけど、あれはあそこでコリンが死んだのがよかったんだね。正義の鉄槌です。やっぱ悪を殺したのが受けたんでしょう。
苦しませるなんていうんじゃなく「殺す」これが信条であります。

監督:マーティン・スコセッシ 
出演:レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソン、マーク・ウォルバーグ、マーティン・シーン、レイ・ウィンストン、ヴェラ・ファーミガ、アレック・ボールドウィン
2006年アメリカ

最期に窓の外の手すりを走っていくネズミの演出って何?
「アメリカはネズミの国だ」って台詞、ディズニーランドのことかな、と思いました。
ラベル:黒社会 警察
posted by フェイユイ at 22:42| Comment(10) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月08日

「愛の悪魔 フランシス・ベイコンの歪んだ肖像」ジョン・メイバリー

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さて困った。
というのは大変面白く観たのだが、ストーリーは他にないものであろうけど映像がまるでデヴィッド・リンチなのである。
リンチといえばそのおぞましくさえ感じる醜悪な映像を鮮烈な印象で作り上げる鬼才だが、その造形はフランシス・ベイコンの絵画からの影響が強く現れているといわれる。
なので本作はフランシス・ベイコンの物語であるし、リンチ映画と似通っていても不思議はないかもしれない。その映像はベイコンの絵画をそのまま映像化したようなものであるから。
ただ困ったことに私はベイコンの絵画は少ししか知らないので、この映画が純粋にベイコンの絵画から生み出されたものであるか、比較して論じる事はできない。
しかし私はリンチ映画は大好きな上、最近まとめて観ていたので強く記憶に残っているのである。
例えば変形した顔、独特のスローモーション、暗闇の中で煙草の火が見えている場面、襞の多い赤いカーテン、赤い部屋などがほぼ同じイメージで表現されている。そして背景にリンチ得意のあの闇から響いてくるようなコオオオという音や奇怪な音、はっきりしない時系列。死体への奇妙な愛着などは本作がリンチから影響を受けたのかベイコンとしてのイメージなのか判断しかねてしまう。特に「ロストハイウェイ」のイメージが強い。だがこの映画は「ロストハイウェイ」の翌年に作られているようでそんなに近くていいのかという疑問もある。
リンチ好きとしてはここまで似てるならリンチに作って欲しかったくらいだが、問題はこの映画のテーマはベイコンの伝記ということではなくベイコンの一時期を共にした愛人・ジョージ・ダイアーとの愛と死の記録なのであって、リンチにはホモ・セクシュアルなイメージがないので(あるのかな?)本作をそのまま作ってはくれないだろう。
この映画をいいと思ったのは実にその点であってよくある映画ではベイコンの人生をもっと描いていくものだが、ジョージ・ダイアーという一人の男との生活の部分だけを切り取って描いたという所こそがこの映画の美味い特性なのだ。

ベイコンを演出しているというのはいくつかあってエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」を鑑賞しているところと絵を描く時その映画のスティール写真で有名な口を大きく開けた目から血を流す「叫ぶ女」を側に貼っているところなど。ベイコンを演じたデレク・ジャコビが本人と驚くほど似ている上に素晴らしい演じ方をしていること(これをつい「カポーティ」のフィリップ・シーモア・ホフマンとつい比べてしまう。といっても演出法もあるが、ジャコビ=ベイコンは辛辣だが、女性的であるだけで性的欲求がどこへ向いてるのかさっぱり判らなかったあちらと違いゲイの雰囲気がはっきりと示されていた(特に強烈な行為があるわけではないが(ん、あるのか))

ダニエル・クレイグが演じたベイコンの10年近くの恋人であるジョージ・ダイアーは記録が残されているわけではないので多分に創作であったようだ。
なんとなく、ジャン・ジュネ風恋人というイメージで登場し、あっという間にベイコン氏とベッドを共にしてしまうがあっという間に飽きられているみたいである。なのにその後別れそうで別れきれないまま10年近くがたつのだが、映画的にはそんな時間がたったようには思えない(ように描いている)
完全なヒモ状態でベイコン氏について行動するだけの男。美しい肉体と顔立ちだけを売り物にしている男なのである。
ベイコンがあまりにも冷たいので(なんだかここだけ読むと不味そうな文章だな)観る者はジョージに同情してしまうだろうがとにかく何もない男なのだ。よくある小悪魔的な美男でもない。むしろベイコン氏に一途な愛情を持っていてけなげでさえある。
なんとなく映画で観たディアギレフに対してのニジンスキーのように思えたがどうだろう(ただしダイアーにはニジンスキーのような才能は欠如している、どころか何もない男として描かれている)
画家の寵愛を受ける男としての役柄でダニエルの演じ方も極めて挑発的に色っぽい。咥え煙草で服を脱ぐシーンは見惚れた。

映像的にはデヴィッド・リンチ的過ぎて少々とまどうが映画の主題であるベイコンとダイアーの道行きには心惹かれるものがあった。

監督:ジョン・メイバリー 音楽:坂本龍一 出演:デレク・ジャコビ ダニエル・クレイグ ティルダ・スウィントン アン ラムトン カール・ジョンソン ダニエル・クレイグ アン・ラントン エイドリアン・スカーポロー
1998年イギリス

フランシス・ベイコンの絵というと小説「ゲルマニウムの夜」の表紙が強烈な印象だった。
ベイコンのテーマである大きく口を開けた何の生き物かわからない怖ろしい何かである。どこに立ってるのかもよく判らない非常に動揺させるその絵を小説と同じように何度も眺めた。背景のオレンジ色も不安にさせる。気持ち悪いと思うほどその絵を見ずにはいられなかった。
ベイコンが宗教に対し強い反発心を持っていたことを知ればよりこの表紙に意味を感じることができる。
posted by フェイユイ at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

張孝全「ファイアー・ミッション(原題:火線任務)」配信開始!

gooブロードバンドナビ・ライブ台湾 on goo にて張孝全の「ファイアー・ミッション(原題:火線任務)」が配信開始だそうです。(有料)

先刻知ったばかりでびっくり。第1話は無料ということです。

ラベル:張孝全
posted by フェイユイ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダニエル・クレイグの罠

あ〜あ、駄目だ。とうとうダニエルに捕まってしまいましたね。
ここんとこあまり誰かに深く入り込まずに冷静にやってたんですが。
誰かを好きになるのは幸せだけど辛い。特に今貧乏なのにあれもこれもと買いたくなってしまうのは。

レンタルだけで満足できてる間はいいんだけど、手に入らないものまで欲しくなってしまうともう駄目。

「愛の悪魔 フランシス・ベイコンの歪んだ肖像 」はついに購入して鑑賞。明日感想記事を書くけど。
この中のダニエルは昨日の知性ある教授とは真逆で、体だけが全てのような男。美しい。

追記:しかし今見たら私は最初にダニエルの「Jの悲劇」去年12月に観てるのね。それで今頃好きになったって・・・反応鈍すぎだー。
posted by フェイユイ at 23:30| Comment(2) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月06日

「アークエンジェル」ジョン・ジョーンズ

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面白くてぐいぐい引き込まれていった。アメリカ人のケルソー教授(ダニエル・クレイグ)がロシアを舞台にしてスターリンの謎を追っていくという物語だ。
さすがミステリーの国イギリス、そしてBBCドラマ。こんな一見小難しいような素材でよくこんなに面白楽しく作れるものである。
実はこれもミステリーでこれを観た人の多くがこの罠にかかってしまってるようだが、ぐんぐん夢中で観ていって物語も佳境に入った、という40分ほどでなんとクレジットが出てくるではないか。びっくり画面を眺めて「130分映画っていうのに後90分何があるんだ?答えは3部作のドラマであった。
ダニエル・クレイグがアメリカ人なのだが全然アメリカ風を演じていないのがおかしい。あんな発音するアメリカ人っているのかな。おまけに観るだに凍てつく寒さではないかと思うのにスーツだけでいるし。ロシア人ですらもう少し着込んでいた。どんな強靭な体かと思っていたら途中から一応コートを着用したので安心した。

表紙はダニエルが銃を構えていたりしてアクション物を想像させるが実態は徹底した謎解きの面白さである。且つ舞台がロシアのためか独特の悲哀があってミステリーを彩っている。
歴史学者でスターリン研究に没頭しているケルソー教授はロシアで謎の老人から「本当のスターリンをお前は知らない」などといわれる。
スターリン専門家の学者としては聞き捨てならぬ台詞である。これですっかりケルソーは危ない道に引きずりこまれてしまうのだ。
老人は若かりし時、スターリンの死亡現場に居合わせ、側近であったベリヤ氏の命令でスターリンの秘密のノートを地中に埋めたのだった(ぞくぞくするでしょ)
その後、老人は何者かに殺され、帰国を余儀なくされたケルソーだったが、老人の娘ジニーダに引き止められ再びスターリンの秘密に近づくことになる。
秘密のノートを読むためにも現地人と駆け引きするにもロシア人の仲間がいたほうが手っ取り早いし、男ばかりより女性が参加した方が華やぐということでジニーダが登場してくるのはなかなかうまい。学生なのだが金儲けの方法として売春をしているというのはロシアの現状なのかどうかわからないがこの金が後で役に立ってくるのだからこの設定にせざるを得ないんだろう。とはいえBBCなのでアメリカものみたいな扇情的場面はなし。ケルソーとジニーダの関係もしかり。しかもジニーダなかなか強面で観てて面白い。
そのジニーダと対照的なのが、そのスターリンの秘密のノートの記述者の少女・アンナである。タイトルのアークエンジェルとはアンナの故郷の村の名前であった。
そして謎はそのアークエンジェルに潜んでいるのである。

金色の髪で無垢な少女という印象のアンナは揺るぎない共産主義者の一員として片田舎からスターリンのいるモスクワへと召喚される。
表向きは党のパレードに関連する任務。だがその実態はスターリンの子供を産むための母体を必要としたからなのだった。

共産主義を証明するためスターリンの前で踊らされるアンナ。ノートの記述がそこで終わっている為によりその後の彼女が体験した事の恐ろしさが迫ってくる。求められたのは母体だけであって彼女は出産後すぐに殺されているのだ。

そしてスターリン亡き現在彼の血を受け継ぐ息子が再びスターリン時代を再現せんとしてアークエンジェルの森の中に潜んでいるのだった。

一体この物語がどうして生まれたのか、なんの根拠があるのかないのか判らないがロシアの現実を知らず遠くから眺めている分にはこういうことはあるのかもしれない、とぞわぞわするのである。
しかしスターリンの子孫が出てこなくても何かと恐怖を感じさせるプーチン政権自体も怪しげである。
ドラマ中ダニエル=ケルソーが「寿司」と言う言葉を何度か口にするのだが、その度にイギリスに亡命したロシア人で放射性物質を食事に混入され死亡した事件が寿司バーだったというのが思い出されてしまう。多数のジャーナリスト死亡・行方不明というのもよく判らないし、ソ連崩壊で自由な社会になるのかと思いきやますます混迷している状況からこのドラマが単なる想像ではないのかと感じてしまうではないか。
まあ全く無知蒙昧の身でロシアの政治情勢を語ることはできまいし、ここでは単純にこのドラマの歴史ミステリーが非常に面白くて見ごたえがあったことと教授役のダニエル・クレイグが今まで観た中でも特に似合っていると思えたことを記しておこう。

監督:ジョン・ジョーンズ 出演:ダニエル・クレイグ、エカテリーナ・レドニコワ、ガブリエル・マクト、レフ・プリグノフ、コンスタンチン・ラヴロネンコ、クローディア・ハリソン
2005年イギリス・ドラマ

劇中、スターリン息子に脅されアメリカ人記者とダニエルがダンスする場面がある。つまりスターリンが側近の忠誠を量るためダンスをさせた前振りがあるからだが、ここでダニエルさりげなく女役であった。手の位置がね。うにゃうにゃ。
posted by フェイユイ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「オーシャンズ13」3人組

今朝「めざまし」で「オーシャンズ13」関連ニュースがあった。
クルーニー、ピット、デイモン3人が手形を押したり、ファンサービスしたり大騒ぎっていう映像。
大勢の前でひれ伏すようにして両手の手形を押した3人の図。そして大勢のファンに積極的にサインしまくる3人の図。ブラッドはジョージの胸とマットの肩にまでサイン。おいおい。
マットは男の子とツーショットで自らカメラのシャッターを押すなど相変わらずやさしー。
でもジョージとブラッドがコメントを言うシーンはしっかりあったのに(訳が間に合わずなんと言ったか不明)マットの分は途中でカット。そりゃないでしょー(涙)
posted by フェイユイ at 07:49| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月05日

最近の傾向を見てみると

索引を見てみると随分記事もたまってきた。
どうでもいい話だが、ここを見ると映画タイトルのサ行から始まるのとハ行から始まるのが多い。ほんとにどうでもいいことだけど(笑)いくつか重複して書いてはいるが。
逆に少ないのはナ行とワ行。ワ行はワしかないからしょうがないけどね。ナ行が少ないのは何故?どうでもいいか。

カテゴリ・地域別では圧倒的に北米。こういう結果には自分としては不満だが当たり前ってことになるのかなー。好きなのに南米物を見る機会がないのは寂しい。製作数も少ないのだろうか。
以前と比べて驚くのが韓国映画鑑賞数の減少の著しさ。正直言って観たいと思うことが最近全くないのだ。
現地でのニュースを見ても食指が動かない。
反対に結構期待してるのは香港映画。でももう最近輸入版で観る元気がなくて日本語訳が出るのを待っている状態。早く観れるといいなあ。あれもこれもあって困るほどなんだけどな。
ラベル:映画 近況
posted by フェイユイ at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「リトル・ミス・サンシャイン 」ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス ジョナサン・デイトン ヴァレリー・ファリス

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凄く判りやすく人生を描いた映画のようで本当にその意味が解るのは難しいのかもしれない。

実はあまり書くことがない。あーそうだなって思うし、負け犬っていうのは挑戦しないことだっていってとにかくやってしまえっていうのもわかるしね。
問題はこの映画の外にあってじゃあ自分は?って考えてしまうことなんだけど。

上の写真が全てを描いてるっていうのもあって、この映画は人生について語る以上に家族と言うものを描いている。
殆どの家族はこの旧型の黄色いワーゲンバスそのものでクラッチも効かなければいきなりクラクションが鳴り続けたりする。修理はいつまでかかるか判らない状態。仕方なき成り行きまかせで走っていくしかない。
やや常軌を逸したと思われる家族の中で母親だけがまともっぽいがこの辺がこの製作者の母へのイメージなのであろうか。だがこの母親は毎日フライドチキンというのが失格だよ、ということを言いたいのだろうか。そういえばその家庭を表すワーゲンバスを運転するのは父親で母親が運転しようとすると動かない。
いい母親だけど家庭を動かすのは父親だと言ってるというのは考えすぎか。自分がその立場のせいか、母親も皆と同じような意味で何かの異常性を持っていて欲しかったが料理をしないこととマニュアル車運転ができないっていうのが異常というのはちと寂しかった。
やはり母親と言うのは「まとも」じゃないといけないということなのかなあ。
負け犬の母親というのは料理ができない、ってことなんだよね、この映画によると。
して彼女は挑戦してるのか?何を?料理の挑戦?

どうしても母親のことで長くなる。

まあ、情けない家族ではあるがそれほど酷くないから観れるわけで、アメリカでももっと観ていられない様な家族はもっと溢れるほどいると思うが。
「ブッチャーボーイ」を観た後でこれを観たら「幸せだよ、あんたたち」ってしか言えない。そんな比較ばかりしてちゃ何も言えなくなるけどね。

明るいアメリカ映画で観てる間はなかなか楽しめるんだけど書き出すとなぜかこんな風な文章に。
ロードムービーの部分が短かったからちょっと不満かも。
死んだおじいちゃんを連れ出すとこは好きだった。

グレッグ・キニアが父親役で出てたので観てしまった。マットの双子の兄貴だから観ようと思って。
オリーブちゃんは可愛かった。
ヘロイン中毒の昔気質の爺様可愛くないとこがよかった。

よく出来た映画である。こういうの観るとやはりもっとわけのわからない映画の方がいいな、と思ってしまうのだった。

監督:ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス ジョナサン・デイトン ヴァレリー・ファリス
出演:グレッグ・キニア トニ・コレット スティーヴ・カレル アラン・アーキン アビゲイル・ブレスリン ポール・ダノ アビゲイル・ブレスリン
ラベル:家族
posted by フェイユイ at 23:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

「バトルライン Vol.2」ビル・アンダーソン

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vol.1に比べ緊張感が増したvol.2である。だが依然として内容は戦争そのものをシニカルに笑っている、といった見方に徹している。
ダニエル・クレイグ=ガイ・クラウチバックが年齢は結構いってるとはいえ多くを知り変わっていく過程が興味深い。

軍に忠実であり人を殺すことで英雄となるのが軍人である。だが忠実であることで死を選ぶのは馬鹿げているとアイヴァーは一人脱出を図る。結果、捕虜となりクレタ島に残った奇襲隊たちはドイツ軍の攻撃を受けて全滅。
クラウチバックとルードヴィク他数名は攻撃直前に舟で島を離れるが水も食料もなく漂い、クラウチバックは意識も朦朧としてしまう。そんな中ルードヴィクは仲間を(多分殺して)舟から捨ててしまう。が、クラウチバックの命は取らず上陸した後、病院へと運ぶのであった。
回復したクラウチバックはアイヴァーが逃れたのを喜ぶと同時に一人逃亡した事を言い逃れしていることに愕然とする。
隊を離れるな、という命令が降りたことをクラウチバックはノートに書き記していたが、それを燃やしてしまった。
よくある戦争ヒーローものならもっと善悪がはっきりとし、主人公は命がけで仲間を助けたり、助けられなくても仕方がなかったという説明がされたりして盛り上げるものだが、クラウチバックは悪い事はしなくても何だか凄い功績をあげていく、というわけではない。
真直ぐな心を持っているのだが、それだけでは何もできない、という感じである。
アイヴァーがしたことは軍にそむく事だがそうしなければ結局死んでしまっていたのである。
脱走したわけではないが自分たちだけ島を離れたクラウチバックはアイヴァーの不利になる証拠を焼き捨てたのだ。
そしてルードヴィクも様々な手を使って生きながらえた。しかしその代償としてその後彼は怯えながら生活する事になる。だが、自分の体験を小説にしてしっかり稼ぐこともやった。凄いしぶとい人間である。

ガイの元妻ヴァージニアはトリマーとの間の子供を身ごもっていた。だが彼女はしつこいトリマーに嫌気がさしてしまう。
だが妊娠し生活もままならないヴァージニアはガイの父親が亡くなり財産を受け継ぎ金持ちになったと知り、復縁を迫る。
さすがにヴァージニアの身勝手さに憐れを感じてしまうガイだったが、彼女がトリマーの子を妊娠してると知り、却って結婚を決意するのだった。
どこまでいい人なのか、ガイ・クラウチバック。「今まで人の役にたったことがなかった。子供に罪はない。子供を助けられるのは自分だけだ」という言い分。
それにしてもやっぱりガイはヴァージニアが好きだったわけで。トリマーもそうだがヴァージニアと言う女性は男にとってどうしようもない魅力をもっているのだろう、としか言いようがない。

最後の戦記はユーゴスラビアにて。クラウチバックの任務は内務大臣の要求を聞き、英軍が検討するということだった。
制圧を広げていたパルチザンと手を組む為必要物資を供給するのだがその取り次ぎ役としてクラウチバックは向かったのだった。
通訳はパルチザンの男。内務大臣は語気を荒くして様々の要求を突きつけてくる。特に照明がつかないために電気技師を要求した。
そこへイタリアから大勢のユダヤ人らが列車で送られてきた。イタリアの強制収容所に入れられていた彼らがパルチザンによって解放されユーゴスラビアに連れてこられたのだった。
だが英語の話せる一人の女性がイタリアに戻して欲しい、とクラウチバックに願い出た。クラウチバックは引き受けたのだった。
女性はカニーイ夫人と言い、夫は腕のいい電気技師だった。彼は発電所の修理を任された。
クラウチバックは早速英軍にユダヤ人のイタリア送還を要求した。

やがてここにアメリカ軍がくることになる。豊富な物資を持つアメリカ軍がパルチザンに協力すれば情勢が動く、というわけだ。
アメリカ軍が共産主義に協力しないだろうというガイに新しい上官は「ファシズム打倒の為には何でもありだ」と言うのだった。

アメリカ軍の航空機が到着したかと思うや墜落。中からでてきたのは懐かしい准将であった。
ドイツの小要塞を前に准将は「アメリカ軍を喜ばすデモンストレーションだろ。あの時と同じだ。これが前線に出る最後のチャンスだ」と単独、小要塞に突っ込んでいく。
英軍、アメリカ軍、パルチザンが見守る中、アイパッチの准将は銃を片手に岩地を駆け上り小要塞に近づいた。だが無念、准将はその身に敵の銃弾を受け倒れながらも手榴弾を要塞に投げ込み爆破した。
一部始終を見ていたアメリカ軍は感動。しかも英軍の説明で准将はパルチザンということになりアメリカ兵はパルチザンの手を取って感激を示した。ガイは黙っていた。
このドラマのただ一人の勇者、とも言える准将の英雄的活躍のなんと無残で滑稽に見えてしまうことか。
この場面などは絶対に主人公が行う行為であり、クライマックスとなっていいはずなのだ。なのにガイは見てるだけ。
准将の英雄的行為の空しさがブラックな表現で示される。笑ってしまうのだ。

ほぼ任務は完了した。ガイは手紙を受け取った。ヴァージニアが投下された爆弾で亡くなったのだ。
ガイは空しい気持ちでカニーイ夫人と語り合う。カニーイ夫人は「世界中に戦争を望み、必要として戦っている人がいる。人を殺せば勇敢だと考えている」と言う。ガイは自分もそうだった、と告白する。

夫人が望みガイが軍に要求し続けたことでユダヤ人のイタリア帰還が叶う事になった。だがカニーイ夫妻はガイが好意で渡した雑誌などがアメリカのプロパガンダだという理由で反逆罪とみなされ投獄されたのだ。

ガイ・クラウチバックに残されたのはヴァージニアとトリマーの間の子供だけになった。
何も知らず遊んでいる小さな男の子にガイは「お父さんだよ」と話しかける。小さなその子をガイは抱き上げるのだった。

静かに悲しみと怒りと幸せを感じるドラマだった。常に戦う軍人であろうと願い、正しい道を歩んできたガイだが結局彼は何事も達成し得なかったのだ。
仲間を失い、約束を果せず、愛する人も亡くしてしまった。
彼の手元には愛するヴァージニアの子供(自分の子ではないが)だけがいる。彼は生来の生真面目さでその子供を育てていくのだろう。

クレタ島で英軍であるガイがドイツ兵に遭遇してしまう。ガイとっさに撃つことができない。
それでよかったんだと思う。

監督:ビル・アンダーソン 原作:イーブリン・ウォー 出演:ダニエル・クレイグ、ミーガン・ドッズ、リチャード・コイル、ロバート・パフ、アダム・ゴドリー
2001年イギリス


posted by フェイユイ at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ブッチャー・ボーイ」と偏愛

ニール・ジョーダン「ブッチャー・ボーイ」観る事ができて本当によかった。ジョーダン監督作品はまだ未見のものが結構あるのだけど、今まで観た中で一番感動してしまった。他の作品も好きなのだけど、割りと「よくできている」的な落ち着いた感想での好きになり方である。
それに比べ「ブッチャー・ボーイ」は理屈抜きで揺さぶられ、記事にする時どうしても涙がこみ上げてきて困った。

他の記事の場合も好きであっても冷静に解析して好みだ、と書く時と思い切り感情移入してしまって興奮状態で書いてしまう時とある。
興奮状態で書くと何を書いてるやら自分でもとりとめがつかなくなってしまう。但しそういう時はたまらなく幸せなのである。

それにしても最近のそういう興奮状態に陥った映画というとケン・ローチの「Sweet sixteen」だとか豊田利晃の「青い春」だとか大森立嗣の「ゲルマニウムの夜」なんか思い切り偏っているのが露骨に判って恥ずかしい。いかに私が10代の少年ものに弱いのが判る。コレさえ与えれば絶対褒めるって感じだ。

というか自分的にはこんなつもりではなかった。ここに来てあー、自分って子供に弱いんだなと自覚してちょっと赤くなっている。

とはいえ、今、役者として好きなのはダニエル・クレイグなのである。まだ作品的にぞっこんというのはないが、彼自身の魅力には次第に次第に侵されていってる感じなのだ。彼の作品鑑賞はまだ半ばだし、もう少しこのときめきを感じていられると思うと嬉しい。

作品としてはガキ好み、役者としては大人好き。欲張りな自分である。(それが全てではない!と言いたいが)
posted by フェイユイ at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月02日

「ブッチャー・ボーイ」ニール・ジョーダン

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自分はフランシーそのものだと思いながら観てはいけないだろうか。大好きなジョーが取られてしまった、愛する人を全部失ってしまいもうどこにも行く所がない、寄り添う人がいないフランシーと自分はそう似た境遇であるわけではない。でも彼の悲しい叫び声が心に突き刺さってしまうのだ。

一体何がいけなかったんだろう。貧しい家庭、頼りなく心弱い両親、フランシーは両親の血を確実に受けて作られている。その感受性の強さ、心の脆さ。
些か攻撃的であるとはいえ、フランシーは普通の少年であったはずだ。むしろ利口で親思いで働き者でさえある。だが取り澄ましたニュージェント夫人とその息子フィリップの登場でフランシーは全てを失ったと思い込んでいく。

フランシーにとって最大の心の支えは親友ジョーだった。彼が乱暴なフランシーをなだめ、彼の手と己の手に傷をつけて握り合い「血の兄弟だ」という場面は感動する。フランシーにとってはその言葉だけがずっと拠りどころとなっていたのだ。
だが母が自殺し、父は飲んだくれて死んでしまい、まだ子供であるフランシーは酷く精神のバランスを崩していく。
家出をしたことで母を死に追いやったと言われ思いつめる。度重なる悪行で厚生施設へ送られ、その間にジョーは敵であるフィリップと仲良くなっている。フィリップが贈ったと言う金魚をジョーが受け取ったということがフランシーには耐え難い苦しみだった。
なぜならジョーは無二の親友であり血の兄弟なのだから。ジョーを取り戻したいと願うほどフランシーは歪んだ世界へと入り込んでしまう。「修理工場」と名づけられている精神病院へ送られ飛び出したフランシーはとうとうニュージェント夫人を手にかけてしまう。

本作を観ていて思い出したのは同監督の「プルートで朝食を」だが全体に明るいトーンで作られていた「プルート」に比べ本作のなんと言う苦痛に満ちていることだろう。
主人公フランシーがいつも明るく強く立ち向かっていこうとするだけによりその苦しさが重くのしかかってくる。
彼が求めていたのがジョーとの友情だけだったのが余計に悲しく悔しいのだ。とはいえジョーがフランシーに背を向けたのは仕方ないことだったのだ。彼は何度も狂ったようにフランシーが駆け出してしまうのを止めようとしていたのだし、彼自身まだ小さな子供で異常な力を持つフランシーを止めきれる術はなかったのだから。
ジョーが「仕方なく付き合ったんだ」というのを聞いたフランシーがニュージェント夫人の兄弟を石で殴っていく場面はぞっとするようなものがある。まだ小さな体なのに二人の大人を石で殴って倒してしまう凶暴さ。ジョーがこの時、フランシーから離れてしまったのはしょうがないのだ。だがそれでもまだフランシーはジョーとのつながりを信じている。それが彼にとって全てなのだから。
夜店のゲームで景品の金魚を何匹も取ってジョーに持っていくフランシーの姿が悲しくてたまらなかった。
最後まであり得ない、と思いながらもジョーとまた友達になれたなら、とフランシーのために願わずにはいられなかった。

12歳の少年ながら殺人を犯してしまったフランシーは犯罪者の「修理工場」へと送られる。一体何年の月日がたったのか、外へ出たフランシーはもう大人だ。ある時からフランシーの前に現れては慰めてくれたマリア様の幻影が久し振りに現れる。そしてフランシーにスノードロップを渡す。スノードロップの花言葉は「希望」という。フランシーのこれからに希望がありますように。

重く苦しい受け入れ難いストーリーである。ニール・ジョーダン監督はそのグロテスクをブラックジョークと思わせる演出にしている。それがまた余計に鋭く胸を突き刺してくるのだ。
フランシーの母親は情緒不安定で「修理工場」を行ったり来たりしてるようなのだが、帰宅してすっかり躁状態になりケーキとパンを溢れんばかりに作ってしまう。同じようにフランシーもやりすぎるのだ。ただ彼はそれが外に向けられ人を傷つけてしまうのだが。そして同じように躁状態になりやすくいつも冗談を言い続けている。
それが明るくもあるのだが同時に酷く脆い精神であるのを露呈している。映画自体も決して落ち込んでいないハイテンションなのだがそれが奇妙な歪みを生み出しているのだ。

怖ろしい行動を起こしてしまったフランシーだが、やはり私はこの映画を単に異常な物語だとは思えない。フランシーを自分とは違う異常な人間だとは思えないのだ。

「プルートで朝食を」ではIRAが絡んでいたが、本作では宇宙人、共産主義そして核戦争がモチーフとして使われていた。それらもフランシーの噴出す怒りと悲しみと恐怖を表現するのに使われている。
核で吹き飛んだ町の中をジョーとフランシーだけが残る、という空想はそこまで行かないとどうしようもないフランシーの気持ちを表現している。その怖ろしい状況でフランシーは幸せを見つけているのだ。

飲んだくれの父親をスティーヴン・レイがここでもしっかりだらしなく情けなく演じている。蝿がたかっているのが悲しいのだ。

壁にケネディの写真が飾ってあって何故と思ったがケネディはアイリッシュであった。

監督:ニール・ジョーダン 出演:イーモン・オーウェンズ、ステーヴン・レイ
1997年アイルランド

ベルリン国際映画祭:銀熊賞(監督賞)受賞ということなのに当時日本で少年による殺害事件が多発していたということで上映されなかった、という曰くつきの作品らしい。しかもVHSのみでDVDにはなっていない。つまり私は本来観れなのだが(ビデオデッキ不所持)今回初めて映画ダウンロードサイト -シネマナウ(CinemaNow)を体験。本作を鑑賞できた。よかった。


posted by フェイユイ at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「バトルライン Vol.1」ビル・アンダーソン

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「プライベート・ライアン」とは全然違う上陸だった。それにしても全体にユルイというのか、戦争というのにこんなにのんびりでいいのか?という雰囲気。ダニエル・クレイグはここでもシリアスな外貌のままどこか抜けたでもやっぱり実直なというキャラクターで「Jの悲劇」「レイヤー・ケーキ」とそういうイメージだからこれがダニエルの個性なのだろう。顔は年齢より上に見えるくらいの重厚で冷静な印象を持っていてそれがなんだか頼れるようないまいち安心できないような微妙な立ち位置のキャラクターなんである。
そしてやはり女性にはちょっとついてない感じ。ここでは凄い美人の元妻がいてその美人元妻が男性遍歴が色々とありしかも今でもその元妻を愛しているのだが再会してもなかなかうまく行かない、という情けない状態である。その元妻と別れてからは全く女性関係がない、というカソリックの男を演じたダニエルであった。

時は第二次世界大戦。ガイ・クラウチバックは旧家の子息でありながら軍隊に入って国の為に戦いたいという強い希望を持っていた。
だが志願するには35歳という年齢が邪魔をしてしまう。が、ひょんなことからハルバディアズ連隊への入隊がかなったのである。
だがそこは真面目なガイ以外はなんとも気の抜けた連中の集まりだった。
たまたまその隊がゆるかったのか、イギリス軍というのが皆こういう感じなのか判らないがなんだか立派な軍服を着て格好だけはそれなりだがふざけた軍隊だ。35歳のガイだけが妙に力入ってて見本となってたりして笑える。訓練中も後ろでクリケットなんかしてるし、いいのかこれで。
タイトルと表紙からしてもっと好戦的な内容で撃ちまくるダニエルを見ることになるのかと思ってたら、随分変てこなドラマだったのでほっとするやらおかしいやら。先にも言ったがダニエルは志は御国の為に戦うぞという高邁なのであるが、出陣の際にも元妻のことが気になって電話してるし、襲われてる人を助けようとしては転んで膝を痛めてしまうし、どうにもかっこ悪いのである。だが他がもっとやる気がないせいもあって上から一目置かれたりしている。
同隊で同室のアプソープはやたら荷物の多い男なのだが、その中に携帯便器まであっていよいよ西アフリカへ出陣という時、喜び勇んで隠し置いていた倉庫へ取りに行ったらドカーンと大爆発。犯人は准将であった。
この准将、ガイがやっと出てきた本物のソルジャーコマンドだというだけあってかなりクレイジー。単身敵地へ乗り込んで敵の首を掻いて来ちまう。黒いアイパッチなぞしていていかにも凄腕軍人らしい風貌である。この准将がガイを見込んで次に送り込んだのがX特別奇襲隊。スコットランドのマグ島であった。
X特別奇襲隊隊長がこともあろうに元妻の別夫(今の夫ではない)トミー・ブラックハウスであった。だがガイとこの元妻を同じくするトミーが喧嘩するわけでもないっていうのがまたおかしな話なわけで。この辺やはりイギリス風味なのだな。
X特別奇襲隊でガイは若い貴族出身のアイヴァーや元同じ隊にいたトレバー改めマクタビッシュと出会う。マクタビッシュはキルトを穿いていて勇ましい。「庶民の英雄が欲しい」という軍の要望に当てはまりマクタビッシュは英雄になってしまう。それを見たガイはマクタビッシュに嫉妬してしまうのだった。

次にガイはハウンド少佐と共にドイツ空挺部隊の強襲にさらされたクレタ島へ上陸した。そこで見たのは傷つき支えあっているイギリス軍兵士が群をなして歩いてくる様子であった。

最後に来て突然戦争の生々しさが表現されガイの表情も固いものになっている。
認められてはいるものの大したことはない、と思っていた仲間が英雄視されやや苛立ち気味のガイだが、この後、どうなっていくのだろうか。
元妻はそのマクタビッシュともできてしまい、とんでもない混乱状態であるし。
若い兵士アイヴァーがこの後どう展開していくかも気になるところ。

たとえかっこ悪い兵士役でも(全然悪いわけじゃなくいまいち決まらないのだね)ダニエル・クレイグステキです。
こういう役柄なんだーと確認しているところです。背が高い、と思ってたんですがこの中にいると割りと小柄にすら見える。でも軍服姿は似合いますねー。

監督: ビル・アンダーソン  出演: ダニエル・クレイグ ミーガン ドッズ リチャード・コイル ロバート・パフ アダム・ゴドリー
2001年イギリス
posted by フェイユイ at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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