映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年06月10日

「ディパーテッド」デイモンとディカプリオ

というわけで二つの「同じ企画」の映画を観て非常に面白かったわけであるが、もう一つの重要な問題、キャスト、と言うものがある。
「ディパーテッド」を観ていてずっと思っていたのが「トニーレオンってステキだな」ってことだった。無論本作にトニー・レオンは出ていない。
私は正直、レオナルド・ディカプリオはどうしてもどうしても駄目なんである。他の感想を見ると映画はどうでも「レオはかっこよかった、うまかった」と言う意見が多くてこちらの方が自分的には大いに疑問である。彼の出番だけ切り抜いて捨ててしまいたいくらいだったがどうしても顔を見ないと先に進めないので苦渋を飲んで耐えた(これが「無間道」である)
しかも主人公らしい(当たり前だって?)トニーが演じていた悲劇をレオナルドが演技してるのだがトニー・レオンのあの甘い魅力、寂しげな雰囲気を思い出してしまう。あーあ、レオの部分だけトニーに変えてくれればよかったのに。なんて無理を言ってどうする。
トニーが演じていた時は「彼の方が主役にふさわしい苦しみを背負っている」と確かどっかで書いた気がするがレオナルドにそれをやって欲しくなかった。以前はマット・デイモンと似ていて区別がつかないんでは、と思っていたが実際観ると大違いであった。二人が似てるなどともう思うことはないだろう、と思いほっとした。

実際の主人公コリンを演じたマット・デイモン。こちらはどういうわけか多くの方々は不満のようでまた疑問だ。
アンディ・ラウは(好みじゃないのだがそれを撥ね退けて)確かに素晴らしかったがマット・デイモンのコリンもこの世界の住人として立派な演じ方だったと思う。
マットは「いい人」のイメージが強いのだが「悪い奴」の側面も持っていて顔もどちらとも取れるようなつまり優しそうな感じと意地の悪そうな表情をしているからなかなかにハマりだったんじゃないか、と思っている。
頭を働かせ狡賢く立ち回るのも彼が今までにやってきたキャリアを生かしている。コリンの出番も思った以上に多かったのはうれしい。なぜかドジばかりふんでいてかっこ悪いビリーより賢いコリンのほうが私は好きだったしね、めずらしく。普通はドジやってる方に肩入れしちゃうものなんだけど。
私としては元作のままコリンが主人公でよかったんでは、と言う気もするがとにかく「無間道」でなく「すぐ死ぬ」のがテーマだったんでしょうがないのだ。
それにしても何故マット・デイモンよりディカプリオがいいのか、全然わからない。ドジばかりのぶざまな主人公、というのもありだとは思うが、この中のレオ=ビリーってカッコ悪すぎないか。トニーみたいに素敵だから死んだ時悲しいんだけどね。ああ、もうどんどん酷いこと言いそうだからやめよう。
とにかくディカプリオは人気あるのが不思議でしょうがない。まあ、皆さんは私がどうしてそんなにマット・デイモンが好きなのか不思議なんだろうからお互い様だけど。


posted by フェイユイ at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ディパーテッド」マーティン・スコセッシ

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最も驚いたのはリメイクということなのに描かれていることが全く違う事であった。

これは同じストーリーと言う事では勿論なく同じ設定と言うより同じ企画を立ててみたが人種と宗教が違えば結果はこうも変わる、というようなものだろうか。
「インファナル・アフェア」=「無間道」はタイトルが仏教思想で永劫に続く苦しみを表している。主人公の結末もそのいつまでも続く苦悩の恐ろしさを描いていて秀逸である。
「ディパーテッド」のタイトルは「死者」ということで中味もそのままである。バン!と撃たれたらそれでおしまい。何もなし。永劫に続く苦しみはない代わり何もなし、である。実に明快。
永劫に続く苦悩は怖ろしいが死ぬとそれで終わり、というボストンマフィアの運命も悲しい。どちらがお好みかはそれぞれである。
コステロは富を築いたかもしれないが跡継ぎもいないようだし、ビリーもコリンも必死で頑張ったのに何も残っていない。
いや彼らには子供はいるのかもしれない。二人の共通の女性が彼らのどちらかの子供を宿している。一応、コリンの子供ということになってるがビリーの種かもしれない。子供を堕ろしたかどうかマドリンがはっきりと答えてないのだが、続編が作られるということらしいから多分その子が次の主人公、しかもコリンの子かビリーの子か、ということでまた悩まねばならない(ここ、私の創作ですから)

香港マフィアのサムは冒頭から仏を拝み、仏教思想に彩られた「インファナル」に比べ、ボストンマフィアのコステロはカソリック教会への冒涜も甚だしく、その態度は偽悪的すぎるほどだ。
多分に儀式的な重厚さがあり人間関係も濃厚だった「インファナル」に比べ「ディパーテッド」は宗教を侮蔑し人間関係も殺伐としている。ビリーとコリンが同じ女性と繋がりがあると言うのもロマンチックな要素を壊してしまう。
「ディパーテッド」的世界というのはマフィア(ヤクザ)に対してアジア人(日本人)がイメージする儀式・友情・男女の繋がりというものを破棄しているために同調しにくいにではないだろうか。ましてや「インファナルアフェア」を賛辞する者にとって「ディパーテッド」が同じように面白いということはないだろう。
私自身、これを観ていかにアジア人として感じているか再認識したという所である。チャップマン・トゥがいないのが寂しくてしょうがないし警視とマフィアボスとの友情も必要だったりするのである。

「ディパーテッド」を観て多くの「インファ」ファンが主人公たちのあっけない最期に憤慨してしまうのだが、それが「ディパーテッド」が「死者」というだけで「無間道」に苦しむ「インファナルアフェア」と違うのだからしょうがないのだ。死もファーストフードなのである。

というわけで非常に面白く鑑賞したのであった。
主人公・ビリーとコリンは元作と主・副が入れ替わっているわけだが、登場時間としてもそう元と違わぬ気もした。
何より私はディカプリオよりデイモン贔屓なのである。

ジャック・ニコルソンについては何の問題もなし。この何の風味もない殺伐たるボストンマフィア社会を牛耳るにはあのくらいの凶悪さが必要なんだろうし、老いてなお凄まじいあの形相は他の追随を許さぬものである。私は勿論エリック・ツァンの可愛いく怖い(カワコワ?)ボスぶりが大好きだが、舞台がアメリカなら顔もあーなるのである。性格も破綻するのである。

任侠ものって昔はさ、結構義理人情、愛情友情を謳ってたのに殺伐となってしまったね。
これがアカデミー賞作品賞/監督賞など取ったのもみんなえーだったけど、あれはあそこでコリンが死んだのがよかったんだね。正義の鉄槌です。やっぱ悪を殺したのが受けたんでしょう。
苦しませるなんていうんじゃなく「殺す」これが信条であります。

監督:マーティン・スコセッシ 
出演:レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソン、マーク・ウォルバーグ、マーティン・シーン、レイ・ウィンストン、ヴェラ・ファーミガ、アレック・ボールドウィン
2006年アメリカ

最期に窓の外の手すりを走っていくネズミの演出って何?
「アメリカはネズミの国だ」って台詞、ディズニーランドのことかな、と思いました。
ラベル:黒社会 警察
posted by フェイユイ at 22:42| Comment(10) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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