映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年07月14日

「キャバレー」ボブ・フォッシー

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ついに観た「キャバレー」思った以上に素晴らしい、そして苦味がある楽しいミュージカルだった。

アメリカ映画だが、舞台はベルリン、ナチスの威力が次第に強まってきている頃。昨日の「魔王」はナチス後期なので時代は少し前。
ドイツ語はあまり得意でないアメリカ娘とケンブリッジの学生であるイギリス男が出会う。
アメリカ娘=サリーは底抜けに明るくてキャバレー(歌やダンスやコントなどのショーを見せるお店である)の花形スター。いつか映画女優になりたいという夢を持っている。
イギリス男=ブライアンは英語を教えるバイトをしている。ケンブリッジに戻って教師になる予定。実は今まで女性との経験が成功したことがない。

とにかくライザ・ミネリのサリーが魅力的で可愛いことといったら。同じように大人しくて真面目な雰囲気のブライアンも素敵なのだ。私はマイケル・ヨークのような感じにも弱い。可愛らしいのだよね。
彼らのキャラクターはアメリカ的とイギリス的をそのままいっているのだがそれが効果的に作用していると思う。
二人の間に入り込んでくるハンサムなドイツ人男爵はバイ・セクシュアルでこともあろうにサリーとブライアン両方に手を出してくるのだった。暫し裕福な生活を送った二人は馬鹿だったと気づかされる。
その間にサリーは妊娠し、それを知ったブライアンは結婚を申し込む。二人は幸せになった、と思った矢先、サリーは堕胎手術を受けてしまう。このままケンブリッジに行って平凡な生活はできない。私はいつまでも夢を見ていたいの。愛し合いながらもブライアンはイギリスに戻り、サリーは今夜もキャバレーで歌い続けるのだった。

なんとも言えず人生の苦味を味わいながら、笑ったりしんみりしたり。
もう一組二人の前にあらわれた富豪のユダヤ人の令嬢とジゴロ的な男のラブ・ストーリーもある。
ナチスの台頭するこの時期にこの二人の存在もまた苦い。この後、ふたりの運命はどうなったのだろうか。

物語のラスト、ブライアンと別れたサリーがいつものようにキャバレーで歌うのだが、その店にはナチスの軍人達が幾人も姿を見せていてぼんやりと映しだされている。これは不吉な予感なのだろうか。サリーもその後、幸せになり得たのだろうか。

キャバレーの司会的ダンサーが常に物語を皮肉に歌って狂言回しの役をしていく。彼の名演技も忘れられない。

監督:ボブ・フォッシー 出演:ライザ・ミネリ, マイケル・ヨーク, ヘルムート・グリーム, ジョエル・グレイ
1971年アメリカ


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「魔王」フォルカー・シュレンドルフ

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大変に想像力、妄想力をかき立てられる映画で楽しんだ。

まずは邦題の「魔王」だが、他の批評を見ると「内容にそぐわない」というようなものが見受けられる。原題では「THE ORGE 」で直訳すれば「鬼」ということらしい。これはそのままでも勿論意味があっていいのだが、私には「魔王」といえばシューベルトの「魔王」である。
その魔王は父親が必死で手放すまいとする幼い少年をおびやかしさらっていこうとする者である。
一見この「魔王」はナチスを意味しているのかと思えそうだが、ここでは主人公アベル自身が魔王なのである。

最近ウラジミール・ナボコフの「ロリータ」を読み返していたら主人公ハンバート・ハンバートが「私は少女が好きな魔王なのだ」という箇所があり目を開かされた。なんと小学生時期に学校の音楽室で聞かされたシューベルト名曲「魔王」は少年愛好者の歌であったのだ。

「魔王」の主人公アベルは不思議な印象を与える男である。その生き様は物語のモチーフとなっている「聖クリストフォロス=クリストファー」をなぞっている。彼は学校においても戦場においても強い方になびいて生きていく。どこでもなぜかそこにすんなり受け入れられてしまう妙な特技を持つ。
学校では学校中の鍵を持つ太った少年に、戦場ではフランス人のアベルはナチスドイツの捕虜となるのだが、ヘラジカがきっかけでナチスの将校に気に入られナチス軍隊で少年兵を養育する施設で働くことになる。そこでもアベルはその特技を認められる。緊張感のない彼は少年に話しかけては或いは捕まえては施設に連れてくる才能に優れていたのだ。

彼が学んだ学校の名も「聖クリストファー」なのだが、聖クリストファーが少年を肩に乗せて川を渡ろうとした時、少年が酷く重く感じられる。少年は姿を変えたキリストでその重さは人類の罪の重さである、ということらしい。
アベルは物語のラストで聖クリストファーのように少年を肩に乗せ川を渡り罪を贖う。
その罪とは少年を無理矢理さらっては兵士として育て死に至らしめた罪である。その罪を一人の少年を救う事で贖おうというのだから身勝手といえばそうだが。

だが私が気になっているのはその宗教的贖いの行為ではなく「魔王」行為のほうである。
この映画は酷く少年愛嗜好に満ちていてしかも特定の誰かという事でなく嗜好趣味の視線で見ている気がするのだ。
純真でいつまでも子供のような精神を持つアベルは大人になっても子供達を守りたいと言いながら男女問わず子供の写真を撮るのを趣味にしている。この言葉はいかにも小児嗜好者が使いそうな言い訳である。アベルは可愛らしい少女と接点を持ち、彼女の写真を撮ったり車で送ったりしていたのだがある日その少女は突然アベルが彼女に性的虐待をしたかのような言動をする。アベルは警察に捕まってしまう。
これでアベルと少女との話は終わる。観ている者にもその少女は嫌な印象として残る。作り手はアベルに少女を与えたくないのである。
 
ナチスの中で働くことになったアベルは太った元帥を見て学校時代の友人を思い出す。
その相似性により元帥を恐怖でなく卑小な者として見ることになる。

そしてついにアベルが魔王となる少年狩りの始まりになる。ナチス将校の口利きでアベルは伯爵の城を施設にした少年兵養育の仕事に就くのだ。
純真な容貌のアベルがある少年たちグループにに警戒心を持たせずに近づき連れ帰って来たのがきっかけだった。だが、それ以後のアベルはマントを翻して馬に乗り、逃げ回る少年たちをまさしく魔王の如く追いかけて捕まえだすのだ。

この時連れ帰った少年たちの体を眺めまわし人種・血液型・能力を判断していく博士の言葉がいかにもナチス的で怖ろしい。ドイツ人は賢くなくていいんだ、というのには参ったが。

この少年兵養育城の様子部分だけ観るとまるで「エコール」の少年版である。
少女達が生理を見、生殖へ向かう成長過程を城で過ごしたのに比べ、少年の成長が兵士となるためというのは両方とも「やはりそういうものなのか」という気にさせられる。
突然連れてこられた美しい幼い少年たちが強い男になるため、訓練を重ねて体を鍛えるのもバレエをしていた「エコール」の少女達と重なる。
水辺で裸で馬に乗る少年たちの場面なども美しくやはり少年を愛でる目で撮られているのが伝わってくる。

こうして少年を運んできた純真な心の「魔王」アベルは少年たちを戦争へと追いやってしまう。城に残った少年たちもヒットラーに命を捧げてしまうよう洗脳されてしまった。
アベルは逃げ延びてきたユダヤ人の少年を救い、肩にのせ凍りつく川の中を溺れそうになりながらも進んでいく。
少年の純真さで救われるのだと信じて。

もう一つ気になるのは主人公の名前アベル。作中でも変わった名前といわれる。
アベルといえば「カインとアベル」神はカインが捧げた農作物は斥け、子羊を殺したアベルの捧げ物を受け取ったのである。
この話は、色々な見方ができて他宗教の者には飲み込みにくいのだがここでもしこのアベルが子羊の血を流してを捧げたアベルから取られたのだとするとますます神がそれを望んでいるというのが奇妙なことに思えてくる。
作者はキリスト教に懐疑的なのだろうか。

主題は聖クリストファーの贖いなのかもしれない。が、作者が最も美しく描きだしたのは城にさらってきた少年たちと「鬼=魔王」アベルとの交流である。
そこにフォルカー・シュレンドルフの「魔」を感じてしまうのである。これもまた表向きの主題と隠された主題を持つ映画なのではないだろうか。

主人公アベルを演じたジョン・マルコビッチについて触れなければいけなかった。
そんなにたくさん作品を観てないので言い難いのだがマルコビッチの顔が大好きなのである。
なんだか焦点の合わないイッチャってる顔で好みである。トレードマークであるヘアスタイルも好きなのだが本作ではなぜか結構ふさふさしていた。
私にとってマルコビッチといえばスピルバーグ作品でも唯一好きな「太陽の帝国」なのだが、考えればアレも戦時中の少年との交流を描いた作品である。
彼が特にそういう人であるという噂は聞いたことがないからたまたまであろうが。(関係ないが「ラウンダーズ」でマット・デイモンを苛める役も素敵であった)
近々また別作品を観る予定なのだが、本作鑑賞でますます他の作品も観たくなってきた。

監督:フォルカー・シュレンドルフ 出演:ジョン・マルコビッチ アーミン・ミューラー=スタール ゴットフリード・ジョン ディーター・ラーザー マリアンネ・ゼーゲブレヒト ハイノ・フェルヒ
1996年 ドイツ/フランス/イギリス

後で気づいたのだがフォルカー・シュレンドルフは「ブリキの太鼓」の監督だった。
私は他の作品を観ていないのだが(「イデアの森」以外は)タイトルを見てると興味を惹くものが多い。是非観てみたいがDVDでないと観ることができないので困る。観たい作品に限ってDVDになってない気がする。「侍女の物語」だけでも観てみたいのだが。
posted by フェイユイ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

「レボリューション6」グレゴール・シュニッツラー

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いい年こいてんのにいつまでたっても大人になれないし、なりたくない。そんな奴の話。
かつては帝国主義に対し過激な抵抗運動をやっていた6人の男女仲間が時の流れと共に離れていってしまった。
占拠したマッハナウ通りの廃墟ビルに残ったのはティムとホッテの二人きり。ティムはいつまでも昔の夢と情熱を忘れきれないでいる。ホッテは活動中に両足を失ってしまい車椅子生活を余儀なくされている。ティムはそんなホッテから離れず面倒をみているのだった。

他の4人は全く違う社会生活を営んでいる。マイクは最先端の広告業界の一人者で羽振りがいい。テラーは弁護士になり特に過去の行動を後悔している。ネレはシングルマザーとなり二人の子供の世話に追われているが満足している。ティムの恋人だったフローも華やかな生活を送りまた新たな幸せを手に入れようとしていた。

「資本主義を倒せ」と、爆弾作りのアナーキストという社会に認められない連中の青春が一旦終わりを告げたのに、どうしても過去の夢を捨てきれずにいるティムの意地っ張りぶりが切ない。
昔の仲間に再会しまた以前の状態に戻れると喜ぶ姿も悲しい。
物語の展開はちょっと甘めではあるのだがそれもまた青春の苦さとよく調和しているのではないだろうか。
主人公ティムは無表情で無口なのだが友達思いで特に車椅子のホッテへの友情にはほろりとさせられてしまう。
演じているティル・シュヴァイガーがクールで素敵だった。

若い時に観るより年をとってから観た方がきっと胸が痛くなるそんな映画である。

監督:グレゴール・シュニッツラー 出演:ティル・シュヴァイガー マーティン・ファイフェル セバスチャン・ブロムベルグ ナディヤ・ウール マティアス・マシュケ
2002年ドイツ

ドイツ放浪の旅第一弾として幸先いい作品に出会えた。よかった。
ラベル:青春 ドイツ映画
posted by フェイユイ at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安藤政信『梅蘭芳』で海外デビュー、章子怡も出演

安藤政信『梅蘭芳』で海外デビュー、章子怡も出演

チェン・カイコー監督が梅蘭芳(へー、メイランファンてこう変換されるんだ)の映画を撮るっていうので期待してたんですが、梅蘭芳にレオン・ライ、その友人となる日本人将校を安藤政信が演じるなんて絶対観たいではないですか。

ここにはとっくに出てたのね→ここ

中田さんかー。
posted by フェイユイ at 00:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日

神G侠侶・第41集 完結

やっと出会えた楊過と小龍女はいつもでもこの谷の底で暮らそうと約束する。
だがその時、楊過は郭襄の涙を額に感じたのだ。

宋の襄陽城は蒙古軍に攻められ窮地に陥っていた。郭靖を先頭に必死の攻防が続いた。
疲れ果て皆が眠り込んでいる時、郭靖は愕然とする。なんということか、城の前で愛娘・郭襄が金輪国師によって柱に縊りつけられまさに火をつけられようとしているのだ。
郭靖を始め皆が郭襄を助けようとするが果せない。母親・黄蓉は嘆き苦しんだ。郭靖は今は宋を守る事が先決と城へ戻ろうとした時、大鷲と共に楊過・小龍女が現れたのだ。

小龍女は美しい舞いのような戦い方で敵をなぎ倒していく。楊過は金輪国師と対決しあわやという危機に陥りながらもついに金輪を倒し得た。
そして楊過は蒙古の大ハーンをも倒し、宋に勝利をもたらしたのだ。

歓喜の行進の中で楊過は30年前、郭靖が重陽宮に自分を入れてくれたことで今の自分があると感謝した。

そしてやっと楊過と小龍女は二人だけの世界へと旅立った。見送る郭芙は二人がいつまでも幸せに暮らせるよう祈るのだった。

かなり端折った書き方ですが、この最後の一話はこれまでの物語をかなりぶっ壊してくれるような破壊力があってなんとも言い難いものがあるのだ。

楊過は宋のために蒙古と戦っていて郭靖からも「民の為に戦う者こそ本当の大侠だ」と讃えられるのだが、蒙古への反撃の凄さ、大ハーンを串刺しにしてしまう酷さ。郭芙までにんまり笑ってるのが戦争というのはこういうものだなと思わせられるのであるが結局宋が蒙古に破られる運命にある。つまり漢民族が征服されるというのをここで鬱憤を晴らしているわけなんだろう。
というかここらで鬱憤を晴らしておかねばならないほど蒙古軍は怖ろしいものだったのであろう。
それにしてもその戦いを演出する特殊効果がかなりミジメなもので無理に入れなくてもよかったのではと思わせる。

全編に渡ってひねくれ者であった郭芙も夫・耶律斉を楊過が助けてくれ、一旦は叩頭しろと言った楊過に覚悟を決めた郭芙を「冗談だ」と言って止めてくれたことでやっと心を改めたようである。

原作のイメージと違い一躍人気者になった金輪は弟子にしようとした郭襄を柱に縛り付けて人質にするなど人気も失墜かと思いきや最後に襄を庇って倒れてきたものの下敷きになり「最後に一言師匠と呼んでくれ」と言って泣かせる。うーん、いいけど先程まで殺そうとしてたくせに師匠と呼べっていうのは。呼んであげる襄って本当にいい子だ。

そしてやっとやっと結ばれた楊過と小龍女。最後はやはり谷底に戻ったのだろうか。
郭襄の言葉通り二人がいつまでも幸せに暮らせるよう願いたいものである。
ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「エム・バタフライ」その2

文化大革命の頃の北京のフランス大使館に勤めるルネ・ガリマールはそこで中国人女優ソン・リリンが演じた「蝶々夫人(マダム・バタフライ)」を観て心を奪われる。
ルネは妻帯者だったが、慎ましく美しいソン・リリンの魅力に溺れていってしまう。
実はソンは紅衛兵のスパイだったのだ。

この作品はDVD化されてないのだが私はヤフーオンライン配信で鑑賞。確か15日からシネマナウでも観れるのでは。
ビデオ化はされている。

ジョン・ローンのソン・リリンが男の理想の女を演じているのだとはいえ、あまりにも頼りなげで色っぽく初めて「蝶々夫人」を知ったルネ・ガリマールはどんどん心酔していくのだ。蝶々夫人は日本人なのだが、それをごちゃ混ぜにしてしまっていること自体がルネが理想の女のイメージだけを追い求めているのが判る。
「東洋の女性は愛に命を捧げるんだ。男に従順に仕えてくれるんだ」と惚れまくってるのだが、同時代を扱ったチェン・カイコー「覇王別姫」のコン・リーの気の強さを思い出すとそうでもないようである。確かに情熱的ではあった。むしろやはりというかレスリーの演じた蝶衣の方がイメージは似ている(どこかでこの役をレスリーがやる話もあったとか。私としてはジョン・ローンでよかった、と安堵。レスリーにこの役はさせたくない)
しかし中国男性(女性でもいいけど)はこの映画にどんな感想持つのだろうか?ちょっと知りたい。

この映画は実話を元にした舞台劇(トニー賞受賞)をさらにクローネンバーグが映画化したわけなのだが、そういうことは知らずに「こういうことがあったんだって」という話だけ聞いた(読んだ?)記憶があった。
その時は粗筋だけだから、数年同棲して勿論メイクラブもありながらまったく同性だと気づかなかったらしい、という話で一体どうやったらそういうことが可能なのか随分考えてしまった(考えなくともいいのに)映画を観てその辺がうまく描かれていたのでやっと納得したのだが(でもやはり不思議よねー)メイクラブしてても相手の体の作りはよく判ってないのだ、というのは本当に謎である。幻想というのは無い胸もあるようにあるものもないように思い込ませることができるのだ。

ルネ・ガリマールが愛したのは美しく儚げで、男に忠実に仕え、しかも性的には大胆・巧妙であるという男の作り上げた幻の女。
だから現実の妻や浮気相手の女の飾らない剥きだした肉体に嫌悪感を覚えたのだろう。
子供を産んだ方が効果的だというのもソンの策略なのだろうが、ルネは見事にこれに騙されソンをフランスに連れて行く、と誓う。ソンが京劇で男が女を演じるのは、男にしか本当の女らしさはわからないからよ、というのを聞いて女は頷きながらもむっとしてしまうのではないだろうか。それは彼のいう女らしさというのは男の求める女らしさ、ということだからだ。

一番悲しくておかしいのはラストの展開なのだが、ラブストーリーだったら「男でもいい」とまではいかなくても何となく希望を感じさせてくれてもいいのだけど、きっぱり男は駄目!女が好きなんだ!って。
この辺が(別映画のネタバレになる)ニール・ジョーダンの「クライング・ゲーム」と全然違うのだが、こちらのルネ氏は愛する最高の女が男だったと知らされ狂気の世界へ入ってしまうのだ。そして自分が理想の女になればいい、てんで刑務所内の囚人達の前で一人芝居をする。
京劇風化粧となぜかパーマネントウェーブの黒髪かつらをつけ女になり「知りたい人は尋ねに来て。きっと知りたくなるはず」などと言いながら。
それを観た囚人の男達はどっと拍手をするんでまた驚いたのだが(凄まじい顔なのだ)これも男というのは誰しも幻想を見てるものだとクローネンバーグは言っているのだろうか。
posted by フェイユイ at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「エム・バタフライ」デヴィッド・クローネンバーグ

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凄く面白いものを観てしまった気がする。今慌てて書いてるので調べたりしてないのだが、こういう西洋人の目から見た中国の文化大革命と人々というのを描いたものというのはあまりないと思うので非常に興味深かった。

最初、ルネがソンに惚れこんでいくとこなんておかしくて「やれやれ」と応援していた。
クローネンバーグの作品をそれほど観てはいないのだが、不思議な世界に入って行く話が好きなのでは、という印象がある。
ジョン・ローン演じるソン=バタフライが妖しく神秘的でしかもか弱いという理想の女性そのものになっていてこちらもすっかり魅せられてしまった。

ルネは二人で作り上げてしまった幻の女に恋をしていたわけで、結局ソンはマダム・バタフライになってしまったのだが、この映画ではバタフライを捨てた男自身もバタフライになろうとするというのがなんとも、またグロテスクにおかしいのだ。
さっきからおかしい、とばかり言ってるが決して馬鹿にしてるわけではなく人間の作り出す幻想というのはなんと不思議なものだろうと思っているわけなのだ。
西洋・東洋、男・女、それらが作り上げる幻想が恋になるわけで幻想なしには恋というのはあり得ないのかもしれない。
例えば真っ裸で座っていた西洋女のようにさらけ出してしまっては。

監督:デヴィッド・クローネンバーグ 出演:ジェレミー・アイアンズ、ジョン・ローン
1993年アメリカ
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2007年07月09日

「不都合な真実」デイビス・グッゲンハイム

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これはアメリカ人によるアメリカ人のためのドキュメンタリーであったのか。
これを観た他国の人間がこの作品が「真実」かどうか疑問を投げかけているのだが、アメリカ人がアメリカ人のために作った作品としか思えないのでそう怒ることもないだろう。このくらい言わないと考えない国民なのである。実際、問題は山積しているわけだし。

無論これを観て別の国の人間が我が身を振り返るのは結構なことだろうが、アル・ゴア氏がこの講演の中でも何回となく「地球温暖化懐疑派」なる人々との軋轢を引き出して嘆いているが、アメリカ中を説得し行動させるのは大変そうである。頑張ってもらいたい。結局はゴア氏が正しいのか懐疑派が正しいのかは将来わかるわけだが、どちらが正しいにしても悲惨な未来であって欲しくはない。
ゴア氏が提示しているアメリカの現状を信じればあまりにもアメリカは酷すぎる。京都議定書に批准して欲しいし、全ての面でもっと節制していただきたい。

作品としては非常に内容は判りやすく、綺麗な画面で観やすい仕上がりとなって昨日の「ダーウィンの悪夢」とは両極端というほど違うものであった。
くらべなくてもいいが、「悪夢」ではインタビュアーの顔が見えないのに対しこちらはずーっとゴア氏の顔を観続ける事になる。映画でこんなに一人をじーっと見つめ続けることは殆どない。
「悪夢」は問題提議も答えもよく判らないのだが、こちらは明確そのもの。単なる答えだけでなく最後にどうすればいいかの提案がずらりと表示される。問題が難しくてもスライドによって写真・アニメ・実写・グラフなどが次々と現れ鈍らな頭でも理解できるよう細やかな配慮がなされる。
まあ、その作品自体はどちらが好きかといえば「悪夢」の方が私は好きだが、訴えている事自体が違うのだからこれはそれぞれよく出来ていると言っていいのだろう。

折りしも地球温暖化防止を訴える世界規模の音楽イベント「LIVE EARTH(ライブ・アース)」が7・8日(日本時間8・9日)、 アル・ゴア前米副大統領らの提唱で、8か国10都市で同時開催されたということである。私は観てないが盛況であったようだ。
若者は映画も観ないだろうから音楽で理解を広げようというゴア氏の活動は実に細やかである。

自分自身としては色々な情報を入れながら出来るだけのことはしようと思う。自転車に乗るのは健康の為にもいいし、とか。

しかしゴア氏の子供の頃の生活というのは凄く楽しそうだ。都会生活を離れて田舎で過ごす時間というのが自由で幸せそうである。
こんな子供時代があったら地球をなくしたくないはずだ。まあ私も田舎でのんびり遊んでいたから充分幸せな子供時代ではあったけど。

監督:デイビス・グッゲンハイム 出演:アル・ゴア
2006年アメリカ
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2007年07月08日

「ダーウィンの悪夢」フーベルト・ザウパー

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かなりの話題作でこの写真もインパクトが強く観たい気持ちにさせられる。
だが、なにしろフィクション映画と違ってドキュメンタリー映画にはその後ろに真実というものがある。
逃げ腰でしょうがないが、正直今のところ自分にははっきりとこの作品のよしあしが言えない。
ただ単に作品としての作りという点で言えば、淡々とした描き方で大げさにすぎる表現もなく、こうだと答えを出してしまわないところが却って共感できる。
映像は時に生々しく臭うようで、時に美しく心地よく感じさせてくれる。
まばらに建つ貧しげな平屋の建物の影から飛行機が見える情景が印象的である。
だがその淡々と映し出される光景・言葉が信頼できるものなのかどうかよく判らない。
現にナイルパーチが繁殖し、ヨーロッパや日本に輸出され、ビクトリア湖周辺は貧しいのだから本当だろう、というようには言い切れない。監督自身も「これは魚の話ではなく人間を映しているのです」と言っているのだから、ナイルパーチだけを論じてもしょうがないのだろうし。

映画を観終わっても気持ちがまとめ切れず、他の批評を見ても賛否両論の甚だしさ。
素直にこの映画だけを鵜呑みにしようとは思わないが、あまりに怒っている人をみるとそんなに怒らねばならないのかとまた驚いたり(怒るべきなのだろうか?それとも感心するべき?)
だが、一つの映画でこうも違った意見があり情報があると知ったことが一番よかったことかもしれない。

このドキュメンタリーがどのくらいの真実性を持ち、また事実と違うのかはこれからじっと見て行きたいと思う。

映画の主旨に関係することではないのかもしれないが、作品中キリスト教の人々が何度も出てきた。タンザニアにはキリスト教も普及しているようだが、イスラム教もやはり多いと思う。キリスト教徒を出したのはやはり意図的なものなのか。
もう一つは女性器切除。タンザニアではもう完全に廃止されているのだろうか。まだ密かに行われているのなら売春という仕事は激痛を覚悟してのことなのか(それともそんな痛みはないのか)キリスト教徒だとそういうことはしないのか。だがイスラム教徒の売春婦もいるだろうし。
何もかも混沌として判らない。

監督・脚本・撮影:フーベルト・ザウパー
2004年オーストリア/ベルギー/フランス
ラベル:フランス映画
posted by フェイユイ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

神G侠侶・第40集

谷底に飛び込んだ楊過の後を追った郭襄。だが谷底には池があり二人の命は助かったのだった。
郭襄は以前楊過がくれた願い事をかなえる金の針を取り出して絶対に自害はしないでと願った。楊過はこれに頷いた。

崖の上では金輪が郭襄を落としたのではないかと周伯通が疑って襲い掛かった。たちまち腕の見せ合いとなる。そこに瑛姑が助太刀し、さらに一灯大師、白鷲のつがいが金輪を襲う。だが片方の鷲が金輪の技で谷底へ落ちてしまった。もう片方が後を追って救い出す。が、落ちた白鷲は動かなくなってしまった。片方は再び谷底へ向かった。

金輪相手に打つ手がなくなったその時、黄薬師が現れた。さすがの金輪も覚悟を決めたか「わしには後継者はおらんのか」と叫び金輪を我が身に向かって投げた。
がその金輪は国師に届く前に阻まれた。
その時、白鷲が郭襄を連れて舞い上がってきた。襄は助かったのだ。だが白鷲はもう一方の鷲の後を追うかのように崖に身を叩き付け、底へと落ちていった。
襄が楊過は谷底で生きていると言うと皆は助けだすため蔓を降りることにした。

楊過は一人谷底を見渡していた。谷底にはミツバチが飛んでいて小さな木に巣がかかっている。
楊過は小龍女がいると思い。名前を叫んだ。
だが姿はない。楊過は池に飛び込み、深く潜っていった。
奥深く潜っていくと洞穴に出ることができた。美しい樹花が咲きミツバチが飛んでいる。
楊過が震える思い目をやるとその向こうに小龍女の姿があったのだ。

小龍女は全く変わらない美しさであった。あの時小龍女はもう死ぬ覚悟だったのだが、楊過が後を追って死なないように16年後に会おうと書き残したのだった。16年たてば後を追うこともないだろうと思って。

その頃黄蓉達は、点穴をついて動けなくした金輪と疲れている郭襄を残して楊過を救うため皆で谷底へ降りていた。
だが二人きりになった時、金輪は体の辛さを訴え、郭襄に点穴してくれるよう頼む。優しい襄はつい金輪の言うとおりにしてしまい、金輪は自由になってしまった。動けるようになった金輪は郭襄を弟子にするため蒙古の兵営に連れ去ってしまった。
(あ〜あ、何も皆で降りてしまわなくてもいいのにねー)
谷底に楊過の姿はないがもしや池の底に何かあるのでは、と掴んだ黄蓉達は崖上に戻ったがその時はすでに遅し。
金輪と郭襄の姿はなかった。
茫然とする黄蓉に皆は金輪は襄を弟子にしようとしてるだけ。追いかけましょうと励ました。

楊過は小龍女にどうやって傷を治したのかを聞く。古墓にあった寒玉床のような氷がここにもあったのでそこに寝て気を逆流させ内傷を治したのだという。そして周伯通のミツバチが飛んできたので巣を作って蜂蜜を取り、魚を食しているうち治ったというのだ。
ミツバチの羽に字を書きいつか誰かが気づいてくれる事を待っていたのだった。
小龍女は楊過が来てくれたことを喜んだ。だが楊過の髪が白髪になっているのを見て苦労をさせたと悲しんだ。
楊過は天が小龍女を連れ去らなかったことに感謝している、と言った。

その頃、蒙古は再び宋の城を攻めていた。
ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月06日

神G侠侶・第39集

金輪は強情な郭襄に手を焼き、柯鎮悪は程英たちに郭襄が金輪に浚われたことを郭靖に伝えるよう言伝た。
程英と陸無双がまだ二人で暮らしながら楊過のことを思っていたことに感動。しかもここで話に絡んでくるとは。

嘉興の鉄槍廟に着いた楊過はそこで柯鎮悪を待ち伏せる男たちと律儀に約束を守ってやってきた柯鎮悪を見る。この場所はかつて楊過の父・楊康が死んだ場所なのだ。
父・楊康を冒涜する柯鎮悪に堪らず楊過はくってかかる。何故父を悪く言うのか。柯鎮悪は楊康が祖国を裏切り、楊康の父と郭靖の父を殺した仇・完顔洪列を討たず、金の王子の座に居座り続けたこと。そして黄蓉を手にかけようとした時、黄蓉が着ていた鎧に楊康の師匠である欧陽鋒の毒がついておりそのために楊康は死んだのだった。死体はカラスがついばんでしまったのだ。
父の生き様を聞いた楊過はそうとも知らず仇を討とうとして善人(郭靖たち)を殺そうとした、と嘆いた。
柯鎮悪から郭襄が金輪に浚われた話を聞き、楊過はすぐさま助け出しに行くと言った。そして柯鎮悪に父のための新しい墓を建ててくれるよう頼んだ。

だが金輪と共にいる郭襄の姿は見つからない。楊過は彼に仕えている者達に捜索を頼んだ。小龍女との約束の日が近づいていたのだ。

郭襄は金輪が約束した絶情谷へ行こうとしないので拗ねまくり絶食していた。
強情な郭襄にさすがの金輪も太刀打ちできずついに絶情谷へと向かった。

郭襄が金輪に浚われたという知らせを程英・陸無双から聞いた襄陽の城では黄蓉が二人を連れて探しに行くと言い出した。郭靖は城を離れるわけにはいかないのだ。
だがすぐには見つからず黄蓉たちはさらに北へ向かった。
黄蓉たち一行は以前小龍女が操っていたミツバチの群れを見る。そしてその近くにその技を伝授された老頑童、瑛姑、一灯大師が共に住んでいたのだった(自然の中でなかなか居心地よさそうな住処である)いつもながら子供のような老頑童は黄蓉にミツバチを自慢する。その羽に不思議な文字が書かれているというのだ。その文字は「私は谷の底にいる」というものだった。その字をつけたミツバチは数年前からあらわれたのだと老顔童は説明した。黄蓉はあまりの不思議さに首をかしげた。
久し振りに旧知に出会った黄蓉すっかりはしゃいで嬉しそうで昔の利発さを発揮してます。苦しい事ばかり続く黄蓉ですが、もともとはこういう茶目っ気のある少女だったんですよね。

ついに約束の16年目の日が訪れた。楊過は日が沈むまで待ったが、小龍女は現れない。楊過は沈み行く夕日が見えるところまで追いかけたが、とうとう日は沈んでしまった。嘆き悲しむ楊過は絶望し崖の上から身を投げた。
あと少しで間に合わなかった郭襄は楊過を呼びながら自らも谷底に身を投げる。驚いた金輪が手を伸ばすが届かない。
そこへ駆けつけた黄蓉たち。茫然と崖っぷちに座り込む金輪は郭襄が残した靴を見せる。娘の穿いていた靴を見て悲痛な声を上げる黄蓉。
老頑童は金輪に「幼い娘を殺すとは」と罵った。
ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神G侠侶・第38集

郭襄は母から楊過のこれまでの経緯を聞き、姉・郭芙が楊過の右腕を切り落とし、郭芙が放った毒針で小龍女が命を落としそうになったことを話した(しかし自分たち夫妻が楊過の父親を殺したかどうかで楊過に疑惑をもたれていることはさすがに言えないでいるね)
そしてその小龍女が南海神尼のもとで養生をしているというのは黄蓉が楊過を自殺させない為の嘘だったのだ、と黄蓉は娘・郭襄に打ち明けたのだった。

一方、楊過は気の合う黄薬師と共に酒を酌み交わしていた。楊過は黄薬師から南海神尼のことを聞きたかったのだ。
だが、南海神尼は黄蓉のでまかせ。黄薬師が知るはずもなく、聡い楊過は全て黄蓉の嘘だった事に気づく。

真実を知り、楊過と郭襄は傷ついた。楊過は泣き叫び、郭襄は楊過を探すため城を抜け出した。
当てもなく楊過を探し続ける郭襄が出会ったのは楊過に恨みを持ちこちらも楊過を探している金輪国師であった。
郭靖や楊過の友人を装って郭襄に近づいた金輪だったが、偶然やってきた大頭鬼たちに正体を明かされた為殺してしまう。
そして怒る郭襄を連れ去ってしまったのだ。
そしてなぜだか嫌がる郭襄に弟子になれとしつこく迫るのだった。
金輪突然どうしたのか。可愛い郭襄を好きになっちまったのであろうか。

傷心で酒びたりの楊過は川べりで自分を嘉興の鉄槍廟へ連れていってくれと運搬用の船に乗り込んだ。

賭博場で柯鎮悪は郭襄が金輪国師にさらわれた事を聞く。江南七怪・柯鎮悪は道を急ぐが途中で郭靖が原因で傷を負い盲目になった男達に出会ってしまう。彼らと戦う羽目になった柯鎮悪は危なくなり「今はどうしてもしなければいけないことがある。傷を治す薬をやるから命を取るのは明日までまってくれ」と説得した。
合う場所は嘉興の鉄槍廟とした。

郭襄と金輪は一ヵ月後、楊過が小龍女と会う約束をしている絶情谷の断腸崖に行くことにした。

ラベル:金庸
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東京国際レズビアン&ゲイ映画祭 2007「花連の夏」

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* 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭 2007 *

もう皆様ご存知でしょうが、張孝全応援隊として貼っておきます。(いつも遅くてしょうがないな^^;)

愛する「盛夏光年」は「花連の夏」と言う邦題になって登場。名前もシェーン、ジョナサン、キャリーとなっております。
 
私は(勿論)行けませんがこれで張孝全くんの人気がいっそう高まるとよいなあ。
孝全くん来日もするようで見れる方うらやましい!!行かれる方どうそこの映画で暫し苦くて甘い青春を味わってきてきださいな〜。
ラベル:張孝全
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2007年07月05日

神G侠侶・第37集

新幇主を決めるための武芸試合が始まった。

郭襄は試合そっちのけで神G侠が誕生日の祝いに来てくれるのを待っていた。母・黄蓉はそんな娘を心配して試合の途中で様子を見に来る。
しょんぼりと待つ郭襄の前にやって来たのは大頭鬼。神G侠が郭襄への贈り物を3つ用意する為に遅れているという。
早く来てくれた方が嬉しいのに、と言いながら郭襄はすっかり元気を取り戻し試合会場へ向かった。

試合場では郭襄の義兄になる耶率斉が勝ち進み、新幇主に選ばれそうになっていたが、そこへ吉報がはいった。
蒙古軍の先鋒隊が宋の町へ攻め入ってきたが、町は無事で蒙古軍は全滅したというのだ。蒙古軍は皆耳を切り落とされたのだ。
場内は新幇主の誕生をそっちのけにこのニュースに大喜び。そこへ何者かが地響きと大音響と共にやって来た。
大頭鬼が叫ぶ「一つ目の贈り物だ」攻撃をかけようとする父郭靖に襄は「友達がお祝いに来てくれたの」と言う。
それは史兄弟が神G侠からの贈り物を持って来たのであった。手に手に袋を持っている。
「何の贈り物なの」「耳だよ」蒙古軍を全滅させ耳を切り落としたのは神G侠だったのだ。
郭襄の誕生日に攻め込もうとしていた蒙古軍の先鋒隊を神G侠が倒してしまったのだ。
喜びに沸く大勢の中で郭芙はすねていた。せっかくの夫の新幇主の祝いの席を楊過が台無しにしたのだ。昔の恨みの仕返しだと苛立つ。

それに気づいた黄蓉は郭靖に耳打ちし新幇主も祝う事にする。
郭芙の夫である耶律斉が新幇主になることに反対するものはいない、と思われたその時、口を挟んだ男がいた。
その男は何師我といい傷だらけの顔の見慣れぬ者であった。耶律斉はもともと蒙古の者なのに幇主になれるのか、そして試合に勝っただけで新幇主になるのではなく前幇主の仇・クドゥを倒し、失った打狗棒を奪い返してこそその資格があると言うのだ。
しかも耶律斉はその男と戦い敗れてしまった。
何師我はこのまま新幇主になっては申し訳ない。クドゥを倒し打狗棒を取り戻してから認めてもらおう、という。
その時、神G侠の第二の贈り物が届いた。
箱の中に入っていたのは金輪の弟子ダルパであった。
ダルパは何師我に襲い掛かる。その隙に何師我の鉄の杖を割ると中から打狗棒が出てくるではないか。何師我こそがクドゥだったのだ。
ダルパがクドゥを倒すと郭芙は傷だらけの男の素顔を見てやるといって近づくとクドゥははっと起き上がり郭芙を捕らえようとした。その時、郭芙を救った人影があった。
なんと黄蓉の父・東邪=黄薬師その人であった。お爺様を見た襄は大喜び黄薬師も襄は亡き妻にそっくりと喜ぶ。黄蓉が東邪と小邪は気が合うわねというと黄薬師は愚鈍な父親に似るより邪の方がましじゃ、と大笑い(ウウ。黄薬師ってまだ郭靖に冷たいのね、っていうかそれが東邪なんだけど。一緒に笑う郭靖偉い。きっと引きつってるんだろうけど。この場面色々なことを一編に表現してるわ)

そしてまた神G侠からの3つ目の贈り物が届いた。
今度の箱からは打ち上げ花火が飛び出し夜空を彩った。集まった皆も襄も大喜び。
そして花火の向こうで南陽の空が赤く燃え盛っているのが見えた。神G侠が蒙古軍の兵糧に火をつけたのだった。

その花火の中から現れるように神G侠=楊過が空を飛んできた。
宋を救い、打狗棒を取り戻す算段をしてくれた楊過こそ新幇主にふさわしいという声に楊過は耶律斉こそ皆が求める新幇主だと言う。それを聞いて黄蓉は厳かに儀式をおこなった。耶律斉は丐幇達から唾をかけられ新幇主となった。

この間に楊過と東邪はこっそりと抜け出し空を駆けた。そして酒を酌み交わそうと笑った。

残された郭襄は悲しみにくれていた。そんな娘を見て黄蓉は楊過の生い立ちを話して聞かせた。楊過がここで育ったのだと。





ラベル:金庸
posted by フェイユイ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 神[周隹]侠侶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

台湾ドラマ「ニエズ」日本語版の仕上がりは

ドラゴンCDさんの電子雑誌からこんな便りが届きました。

「台湾ドラマ「ニエズ」の字幕翻訳が次々に上がってき
ていますが、正直なところ監修が全く追いついていま
せん(^^;

初稿は台湾サイドで仕上げてくるのですが、納品され
る字幕の品質がいまひとつです(大汗)

一般的に字幕は1秒間に3、4字読むスピードで、概
ね1場面で12字前後に収まるよう工夫します。

現地サイドでも、この基準に基づいて字幕入れをして
くるのですが、短くすることに主眼が置かれ、前後の
流れを加味していない翻訳が多々あります(苦笑)

このペースでいくと何時お披露目できるのかと、些か
焦ってきましたが、急いては事を仕損ずるの言葉にも
あるように、ゆっくり良い作品を作っていきたいと考
えております。」

大変そうです。でもやはりいい作品にしてもらいたい、と思いますし、納得のいくまで頑張って欲しいですね。
ラベル:ニエズ
posted by フェイユイ at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

「オリエント急行殺人事件」シドニー・ルメット

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こういうのを観ると「これこそ映画の楽しみ、ミステリーの醍醐味」とつい言いたくなってしまうのだ。

今は殺人現場がやたらと生々しいのが売りで演出も設定もやりすぎの感があるが、淡々とした抑えた演出でしかも舞台劇を観ているかのような緊張感がある。
その理由の一つは豪華な出演陣で、ポワロ演じるアルバート・フィニーの他のポワロを考えられないほどのはまりぶり、やや行き過ぎるほどの宗教家を演じるイングリッド・バーグマン(美女の代名詞だった人がこの地味な女性役)なぜかここでもマザコン的設定のアンソニー・パーキンス。男らしく素敵なショーン・コネリー、コネリーが愛する女性にバネッサ・レッドグレイブ、迫力ある美女ローレン・バコール、ポワロも見惚れる若妻伯爵夫人にジャクリーン・ビセット、その夫はマイケル・ヨーク、実直な執事にジョン・ギールグッドとくらくらしそうな配役である。バーグマンとパーキンスは笑わせようというキャスティングなのかと考えてしまうがホントにおかしい。

無論私は原作も含め何回も観てるのだが、やはり面白い。ある韓国映画(大変におもしろかった)がこれをベースにしてるのだが、クリスティも実際に起きたリンドバーグ事件とシェークスピアのジュリアス・シーザー暗殺事件を元にしているというのも興味深い。

今更言う事もないがアガサ・クリスティのミステリーの面白さというのは他に類を見ないものである。純粋に謎解きを楽しむという醍醐味。
今後もクリスティをヒントに数多くの作品が生まれてくる事は必至だろう。
本作は単にトリックの珍しさだけでなくラストのポワロの英断というものも忘れられない。が、これはクリスティが大好きなシャーロック・ホームズから継承されたものだろうと思う。素晴らしいラストである。

監督:シドニー・ルメット 出演:アルバート・フィニー ジャクリーン・ビセット アンソニー・パーキンス マイケル・ヨーク ローレン・バコール イングリッド・バーグマン ショーン・コネリー ジョン・ギールグッド
1974年イギリス

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2007年07月03日

「危険な関係」スティーヴン・フリアーズ

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どんなに頭がよくても人生は思ったとおりにはいかないのである。
18世紀末のパリを舞台に男と女の恋の駆け引きを描いた作品。

グレン・クロースとジョン・マルコビッチの丁々発止のやり取りが見ごたえあり。役そのままに演技としてのバトルも加熱していたことだろう。妖艶な美貌のミシェル・ファイファーが貞淑な人妻でありながらバルモン子爵を次第に恋していく様を演じている。これに若きユマ・サーマンと初々しいキアヌ・リーヴスが絡んできて恋模様はますます複雑になっていく。
人の評判ばかり気にしていた子爵が恋におちてしまい、ずっと男を意のままに操っているというメルトイユ夫人が失敗しひとの謗りを受けてしまうという空しい最後である。
物語の冒頭でメルトイユ夫人が完全武装(つまり衣装を身につけ、完璧に化粧)する場面から始まり、化粧を拭い取る場面で幕が閉じる。化けの皮が剥がれたよ、という皮肉であろうか。

フランス革命前夜の頃の貴族のファンションそのものがどうにもグロテスクであるのだが、そのこと自体もテーマと重なっていると思える。

監督:スティーヴン・フリアーズ 出演:グレン・クローズ ジョン・マルコビッチ ミシェル・ファイファー キアヌ・リーブス ユマ・サーマン
1988年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダニエル・クレイグ、ボンド役を離れる可能性示唆

ボンドは次で終わり? ダニエル・クレイグ、ボンド役を離れる可能性示唆

マット・デイモンも「同じ役ばかりやるのは同じ客とばかり寝る売春婦のようなものだ」(みたいな感じ)てなこと言ってましたしね。
好きなようにやってもらっていいんです(笑)

クレイグ、以前「スタートレック」のカーク船長やりたいって話読んだような。あれやるともっと長くなるぞー。
posted by フェイユイ at 22:54| Comment(8) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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