映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年07月17日

ジェイ・チョウが初監督作品のプロモーション

ジェイ・チョウが初監督作品のプロモーション

ははっ!気がきいてます!ジェイ。もういつもいつも聞いていてみーんな知ってるはずなのにねえ。


posted by フェイユイ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「エデンの東」エリア・カザン

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一昨日の「二十日鼠と人間」に引き続きこれを選んだのは勿論原作スタインベック続きである。そのくらい「ハツカネズミ」に参ってしまったんである。
監督はエリア・カザン。主人公はジェームズ・ディーン。この映画をまったく観ていなくとも走る列車の屋根の上で寒さに震えながらセーターの袖を体に巻きつける超有名シーンは誰もが一度は観てるであろう。孤独な若者の心を表現した名場面である。

本作は、原作者が同じということで「二十日鼠と人間」と幾つか似ている部分がある。カリフォルニアが舞台であり、まず気づくのはどちらも農場を営む主人に束縛され反発する妻が問題の原因となっていることである。
この設定は女性としては共感もできるが、苛立ちも覚える。どちらの女性にも同情しつつ、事件の要因となる悪女として描かれているからなのだが。
とはいえ「エデンの東」を観ていてまず思い出したのは「ハツカネズミ」ではなく台湾ドラマ「ニエズ」である。
「ニエズ」でも主人公は男兄弟の兄で弟の方が可愛がられている(この場合は主に母親からだが)束縛する夫に嫌気がさした母親は家出し聞こえの悪い職業につく(出世振りは随分違うが)主人公はその母親と自分が似ていると感じている。厳格な父親と仲違いをする。
というような設定である。無論そういった部分以外は全く違うし描こうとしている事も違っている。ただイメージが重なっていったのである。キリスト教的な部分はないが「ニエズ」はまた別の意味でも「エデンの東」なのかもしれない。

そんな風に3つの作品を見比べてみたのだが「エデンの東」にあって他の二つにはないものが、“アブラ”という女性の存在である。
「エデン」はさすが名作と言われるだけあって感動的な作品で特に最後のアブラがキャルたちの父親に行う独白、そしてキャルがアブラに励まされて父親に打ち明ける場面は涙なしには観れないが、この“アブラ”という女性にまず疑問を感じてしまう。
なにしろ恋人の父親に認められ、優等生のアロンに気に入られ、不良のキャルとも共感し合えるという物凄く優れた女性なのだが、あっちにもこっちにもいい顔している気がする。その辺の心理の変化をうまくこなして描かれてはいるとは思うのだが、デキがよすぎではないのだろうか。とにかくアブラがいなければこの話まとまらなかったはずなのだ。
「ハツカネズミ」と「ニエズ」にはアブラの存在がなく、そのために事件は解決しないのだ。この名裁判官のようなアブラがいればこの二つの物語もうまくいったかもしれないのだが。
だがアブラがいないからこそ「ハツカネズミ」と「ニエズ」の方が私は好きなのだ。

多分この“アブラ”は物語の説明のために登場しているのだ。そのため少々おせっかいででしゃばりである。自分ででしゃばってすみません、とわざわざ父親に謝ってもしるし。
アロンの心もキャルの心も二人の父親の心も彼女が説明しどうすればいいか案内をしていっているようだ。その上、双子のどちらとも出来てしまうというちょっと嫌な設定である。

随分アブラを責めていて可哀想であるな。とにかく彼女はむしろ狂言回しという役柄なのではないだろうか。
でなければ彼女が主人公であり、どうしようもない駄目な3人男の間で苦悩しているのである、というのはどうだろう。

可哀想、といえばアロンも気の毒な人である。結局父親も恋人もキャルに盗られてしまった。キャルのせいでおかしくなりあれほど嫌っていた戦争をするために兵士になってしまう。
めでたくキャルは父の愛を手に入れたけど、アロンはどうなってしまったんだろう。

もう一つ気になるのは画面では匂わせる程度にしか出てこないキャルの「お相手」であるというメキシコ人の女達、である。
どうもキャルは彼女たちと付き合って(つまり肉体関係がある?)ようなのだがアブラが来るとキャルは「あんな女どうでもいい」という態度を見せる。もし本当にキャルが関係していたなら、アブラの愛を手に入れたことでメキシコ娘は捨てたというわけで随分酷い話である。原作にはその辺書かれているのかもしれないがあくまでも映画を観ての印象として。

そしてキャルの母親への仕打ち。確かに子供を捨てて行った母親なのだからあんまり文句も言えないが、途中まで随分甘えてお金まで貸してもらってるのに最後に嫌がるアロンを叩きつけるように置いてくるのはあの後のアロンの母親への態度を考えるとかなり残酷である。

と、こう考えてくるとこのキャル、本当にかなり酷い青年のようである。スタインベックがこう描いていたのかエリア・カザンの演出なのか読んでみないと定かではないが、ホントに自分勝手なのだ。
しかもこの自分勝手さを含めてキャルという若者が魅力的なのか、あくまでも父親に愛されたいと願った純真な若者を描いていたらこうなってしまったのかがはっきりとしない。

物語は旧約聖書の「カインとアベル」を題材に作られている。父親が神の役である。兄・カインは農作物を神に捧げ、弟・アベルは羊を殺して捧げた。が、神はカインの農作物は受け取らず、アベルの殺した羊だけを受け取った。カインはアベルを殺し、それを知った神が「アベルはどこにいる?」とカインに聞くと「私はアベルの番人ではない」と答え、楽園を追われたという話はキリスト教徒でなくともよく知られている話である。
大体この神様が農作物を受け取らなかった、というのが農耕観族としては不満なのだが、働いたからと言って威張っているカインの高慢が原因らしい。殺した羊という神様(父親)が求めるものを捧げたアベルこそ尊いのだというのはどうかと感じてしまうのだが「エデンの東」ではこの話がうまく脚色されていて、豆で金を稼ぐキャルと婚約という父の求める贈り物をするアロンという具合である。ということはこの場合アブラが殺された羊なわけでそれを父親に供するわけなのだな。結局アブラもまた「束縛される」と言って出て行きそうではある。
そしてさすがにアロンを殺しはしないが潔癖なアロンに母親の真実の姿を見せて戦場へと追いやるのだから殺したのと同じではある。

聖書ではカインはエデンの東へ追われるが、キャルは父(神)の側に残る事になる。アブラの助言によって。
やったことはカインと同じなのにこれは聖書への反逆なのだろうか。

文句ばかり書き連ねてしまったが、やはり見ごたえなる名作には違いない。
観終わった後、何かにつけ思い出し、どうしてなのか、と考えてしまうんだろう。
ジェームス・ディーンがこの色んな意味で不良であるキャルを演じたのは幸運であった(「色んな意味」が両方にかかっている)
このナンだか謎の残る物語は考えていく価値があるのは確かである。

監督:エリア・カザン 出演:ジェームス・ディーン ジュリー・ハリス レイモンド・マッセー ジョー・ヴァン・フリート リチャード・ダヴァロス
1955年アメリカ


ラベル:家族
posted by フェイユイ at 22:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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