映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年08月16日

ジェイ・チョウ、台湾映画の記録を塗り替える

ジェイ・チョウ、台湾映画の記録を塗り替える

凄すぎて何も言えません。総額にしたらどうなるのか。海賊版が横行する中でこの数字。(数字ばかりではないとはいえ!)ホントにスゴイ。そして早く観たい!!!!!

それにこの写真のジェイ、かわいい。


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2007年08月15日

「善き人のためのソナタ」フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

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この映画を観て生じた感情は東ドイツ政権による悲劇性というよりこういった異常なシステムが当然のこととして正当化されてしまっている状況に対して「なんて不思議で面白いものなんだろう」というぞくそくする興味であった。

それは申し訳ないが外部から観ている者の身勝手な好奇心である。本作の監督は「グッバイ、レーニン!」に批判的であるようだが、部外者から見ればこの二つは当然出てくるであろう相反した感情として受け止めることができる。
大変怖ろしい圧力であったものが無くなった時、それを懐かしむ、という奇妙な感情が人間には潜んでいることが多くの歴史的事実として記されているのだが、それを口に出して言える者と強い反発を感じる者とがいるのもまた当然だろう。
本作の監督は東ドイツ政治体制に強い反発を感じて製作しているのだが、映画自体を面白く作ってしまったためか、私には「グッバイ、レーニン!」より以上にこのシュールとしかいえない世界に強い興味を抱いてしまったのだった。

何と言っても興味の的は無論主人公・ヴィースラーである。彼の造形は殆どロボットと言っていい。
無表情。ただひたすら政府のために仕え働き続ける。着ている服も銀色めいたきちきちの上着とズボン。食べているものはナンだかよく判らないソースみたいなのをひねり出しただけの質素なもの。結婚もしておらず多分子供もなく、彼の性生活は売春婦を呼んで限られた僅かの時間に処理するのみ。このヴィースラーが売春婦を呼ぶ場面は酷く侘しいものである。この場面はカットしていいものではない。作家ドライマンと恋人クリスタの愛に溢れたセックスとのなんという違いか。彼、ヴィースラーは何のために生きているのか。彼には友達すらいない。唯一友達のような形であったグルビッツは彼を無情にも地下室に追いやったのだから。
反政府主義者と思える者への過酷な尋問を仕事として恨まれ、そのやり方を学校で教えては非人道だと生徒に批判され、かつては友人であった(とも思えないが)上司からは蔑まれそれこそ非人道的な盗聴・手紙の検閲の長時間労働を強いられてきただけの人生。
彼は生きてきた間に一度も感謝されたり愛されたりすることがなかった。そういうロボットであったはず。

その彼が、なぜ反政府的な匂いのあるドライマンとその美しい恋人であり女優であるクリスタの盗聴をしようと自ら言い出したのか。
ヴィースラーは最初からドライマンとクリスタに憧れをいだいたのだ。
彼はドライマンを裏切って高官と寝ようとするクリスタに仕事を無視して忠言する「あなたのファンがいます」そしてまたクリスタへの尋問の際にも「あなたのファンのために」と。彼自身がクリスタのファンだったのだ。それは恋というより美しい芸術を生み出す者への憧れであった。
ヴィースラーはドライマンの部屋で初めて芸術というのもに触れ心を動かした。ブレヒトの本を盗んで読み、ドライマンの弾くピアノ曲「善き人のためのソナタ」を盗聴して涙を流した。ロボットだったヴィースラーが人間になってしまったのだ。
彼の行動は政府にとって許されないものであり彼に重罪が課せられても仕方なかった。だがヴィースラーはとうに死んでいた。ドライマンを救うことでヴィースラーはやっと「生きた」のだ。

東西ドイツの壁が崩壊し、地下での労働を強いられていたヴィースラーは解放されるが彼に与えられる仕事は僅かなものであったがその仕事もヴィースラーは何も言わず根気よく続けるだけである。
そんな時目にしたのは作家ドライマンの新しい著作「善き人のためのソナタ」という本。そこには声をかけることもなく自分を救おうとしてくれたヴィースラーへの感謝の言葉が書かれていた。
ヴィースラーの人生の中で多分それまで一度も言われたことのない言葉が。

大変に心を揺さぶられる素晴らしいラストである。人間的に悩み苦しみ愛し合うドライマン・クリスタたちと何の感情ももたないようなヴィースラーとの対比。
生活の全てを盗聴され記述されてしまう異常性。反政府的な言葉は冗談としても言うわけにはいかず、政府高官に性を提供する事さえ強要されてしまう社会を正常な精神で受け止めていくことはできないだろう。
映画を観てるとすぐ何かを連想してしまう癖があるのだが、今回はウルトラセブン「第四惑星の悪夢」これは本作だけでなく弾圧された社会を描いた作品の時にはすぐ思い浮かべてしまうものではあるが。

本作を観ていると単なる感動ドラマというより、むしろSF的な面白さを感じてしまうのは変だろうか。
ヴィースラーとドライマンの会うことのない(少し接点はあったのだが)交流のドラマの不思議さ。
ロボットのように働かされる多くのヴィースラー的存在の人々がいたであろう社会。
理屈の通らない閉じられた社会。思想として成立する事ができず、政府の圧力で統制されていく社会。
そういった社会をSFのように思えてしまうのはやはり自分がそこにいなかったからなのだろうか。
(そこにいたとしてもそう思ってしまう気がする)

監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 出演:ウルリッヒ・ミューエ マルディナ ゲデック セバスチャン・コッホ ウルリッヒ・トゥクール トマス・ティーマ
2006年ドイツ


ラベル:ドイツ映画 歴史
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2007年08月13日

「聖なる狂気」フィリップ・リドリー

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こういうの観ると同じストーリーでも違う方向から作ると面白くなるのかもしれないのにな、と思ってしまう。

森の中に住む美しいキャリーの元に行き倒れになった若い男ダークリーが運ばれてきた。
彼は特殊な宗教感をもつ両親に育てられたらしい。性的魅力溢れるキャリーに惹かれながらもそれを表現できないでいた。
そんな何日かを過ごしている内に、キャリーの恋人であるクレイが戻ってきた。それでもキャリーはリーを家族として受け入れようとするのだが、リーの心は嫉妬で歪んで行き、キャリーを魔女だと思うようになる。

面白いと思う人も割りといるようなんで、何か変わるのか?と期待しつつ観ていったのにそのまま終わってしまったよ。
話すことができないクレイを演じたヴィゴ・モーテンセン、最後に凄まじい狂気を爆発させるブレンダン・フレイザー、色っぽいアシュレイ・ジャド、友達役のローレン・ディーンも悪くないのに物語が陳腐でつまらない。

宗教=抑圧された性、美しい女=魔女、といった常套句に辟易させられるのだ。
山岸凉子さんがマンガで描いてくれたらそれでも面白く見れたかもしれないが。
全然話は違うのだが何となく彼女の「負の暗示」を思い出してしまったのだった。特に最後の辺り。と言っても「負の暗示」のようには面白くないのだが。

ブレンダン・フレイザーはなにせ「青春の輝き」でしか知らないのだが、何故かあの映画と妙にかぶる感じもあってちょっと不気味。宗教的な雰囲気があるのだろうか。

湖に銀色の靴が流れていくという思わせぶりな映像があるのだがやはり幻想性貧困としか思えない。
深読みしたくても何も感じられない映画であった。

監督:フィリップ・リドリー 出演:ブレンダン・フレイザー アシュレイ・ジャド ヴィゴ・モーテンセン ローレン・ディーン
1995年ドイツ/イギリス
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2007年08月12日

「CURE」黒沢清

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冒頭で主人公の妻(精神を病んでいる)が病院で青髭の本を読むところから始まる。妻は途中でその本を読むのをやめてしまうのだが「内容は知っている」と医者に言うのだ。
映画の冒頭で本を読んでいるとなればその内容が映画の重要な鍵となることは必至である。そこに全て表されている場合だってある。

「青髭」は妻が亭主である青髭の命令に背いて見てはならない部屋を覗き見てそこに死体が隠されていることを知る、という凄まじく面白い話だが、私は「青髭」というとすぐジル・ド・レエを思い出してしまい、もしや少年趣味の男の話なのか?と期待しつつ観るも全然そういう話はなかったのだが、深読みすれば少年というよりオジサン趣味の男(間宮)の話にとれなくはない。
ま、いいが、「青髭」がベースになっているなら、この妻の言うとおり、最後妻は亭主を殺してしかるべきだが結果は逆である。
ならば単に夫と妻が入れ替わっているのか。だがこの妻は次々と首を切りとったりはしていない。

じゃ、一体この前振りはなんなんだ、という当惑を感じてしまうのだが、絶対何かの「振り」でなければならぬだろう。
ならば青髭は間宮であり、その妻は主人公・高部ということになるのだ。
間宮に操られた人間は首を切り刻んでいるし、高部自身もその被害者になろうとする(なったというべきか)
これなら納得がいく。

観客は皆この得体の知れない男・間宮の言動にイライラさせられるはずだ。彼はなぜ記憶喪失になりそのくせ行く先々で出会った人に暗示をかけているのだろう。
本当に記憶喪失なのか、なった振りをしているだけなのか。最後に高部が「思い出したのか、ならもうお前はおしまいだな」とかいう場面があるので本当に記憶を失っているのかもしれない。ただその記憶喪失は完全ではなく断片的なもののように思える。

この映画のなかで一番面白いのが間宮の暗示のかけ方である。彼は何人かに違った方法で催眠術をかけているのだが、これがゾクゾクするほど面白い。
ここで間宮は自分がすぐに記憶を失ってしまう人間である事を利用している。何度説明しても間宮は忘れてしまうのだ。
「あんた誰だ」「どこにいたんだ」繰り返し答えていること自体が間宮の催眠法である。
化け物に名前を問われた時、答えてはいけない、という話をご存知だろうか。
「陰陽師」を読まれた方なら覚えておられるだろうが、博雅が名化け物に名を名乗ってしまい体が動かなくなってしまう話がある。呪をかけられてしまったのだ。
本作で間宮が「あんた誰」と聞いた時、「こいつは化け物だ!」と気づいて体中ぞわぞわした。本質を答えるなどという問題ではなく、自分の名前を答えることがもう間違いなのだ。名前は自分を表す。ゲドや金角・銀角を思い出してみればいい。
ならなんと答えればよいのか。逆に「あんたこそ誰?」とやればいいのだろうが、間宮はその返答もしている「俺、あんたのことが知りたいんだ」ええい、騙されてはなりませんぞ、おのおの方ーっ。
しかし映画の中の声とはいえ間宮のささやくような問いかけは頭の中にも入り込んでくるようなのである。
実際間宮が目の前にいてこう問いかけられたら、すぐに自分の名前を言ってしまうことだろう。
そうやって登場人物たちは次々と間宮に名前を告げている。
そしてこの暗示方法は自分がからっぽになってしまう(記憶喪失になる)というのが必要なのだろう。そうでないと相手の中に入れないのだ。
それにしても間宮の問いかけと物忘れにはいらいらさせられる。記憶にございません、というのが最大の逃げ口上であることを知っているからだし、人の心にずけずけと入って来る者ほど嫌なものはないからだ。

奇妙なシーンがある。高部が間宮の居場所である病院に駆けつけ、彼が潜む暗い部屋に一人入った時、なぜか高部は部屋のシャッターを閉じたのだ。
これは刑事の取った行動としてはおかしくないか。逃がすまい、としたのか。だがまだはっきりと間宮の姿を確認したわけではなく正体もわからない敵を前にして駆けつけてくる仲間を遮断してしまうのは危険なはずだ。
その後の行動を見ても高部が間宮と二人だけの関係(怖ろしい関係だが)を持とうとしているかのように思える。高部自身はそれに嫌悪感を抱きながらもそうせざるを得ないかのように。

高部が間宮の部屋を訪れ、二人の間に暗闇が入り込み高部が自分を解放してしまう場面は怖ろしい。
また高部が友人である佐久間の部屋で佐久間を襲った覚醒を知る場面もまた。
ところで高部・間宮・佐久間という名前はみんな空間という意味でつながっているようである。偶然なのか。
また百年前の催眠術師の名は伯楽陶二郎。伯楽といえば名馬を見分ける名人または馬や牛の病気を治す人。だと。もう完全にしゃれである。

長々と書いてきたが、ここに書いた考えは全て偶然の一致のようにも思える。多分そうなんだろう。
というのは私は監督である黒沢清という人について殆ど知らないので自分が勝手に想像したものと監督が面白く発想したものがたまたま合ってしまったようにも感じるからだ。
実はこれ以前同監督の「アカルイミライ」を観て非常に落胆した記憶がある。(とことんオダギリと相性の悪い自分なのである)だがこれを観て実に面白くて驚いた。見ればこちらのタイプの映画のほうが本道の監督のようである。出会ったモノが悪かった。

そういうマイナスのイメージがありながら本作はそれを撥ね退ける価値があった。
映画の作りとしても色々と工夫されていて楽しい。ノイズが非常に耳に残るが特に警察のお偉方の前に間宮が引き出される場面、ずっと変な雑音が入っている。そして間宮が高部に「あんただけが俺の声が聞こえているんだ」という甘い囁きのような言葉をかける部分で雑音が消える仕掛けになっている。間宮の入り込んでくる手口というのは実に巧妙である。
間宮を演じている萩原聖人が人を苛立たせながらも甘えてくる妙に緊張感のない男をうまく演じている。
本当にこの男がいたらみんな心酔しきってしまうんではないだろうか。
いきなり海岸に現れた記憶喪失の男、という事件が少し以前にあったのを思い出す。何の関係もないけど。

色々な謎が放り出された状態になっているが間宮の火傷はなんによるものでなぜついたのだろう。それが彼に何の影響を及ぼしたのか。記憶喪失の原因になっているのだろうか。

監督:黒沢清 出演:役所広司 萩原聖人 うじきつよし 中川安奈 洞口依子 戸田昌宏 螢雪次朗


ラベル:犯罪 精神
posted by フェイユイ at 23:33| Comment(4) | TrackBack(2) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月11日

フェイユイ映画祭月末開催!!

忙しかったのでこれということもできないのでしょうもないおしゃべりを少し。
「藍空」「藍空放浪記」は9月始動なので8月は決算月になる。毎年1年間を振り返って自分だけの映画祭をやるのだが、今年はほんとに難しい。
「藍空」の時はアジア系映画ブログだったのが今年は今まで溜まっていたその他の外国映画を手当たり次第観まくったので収拾がつかないという感じ。やたらといいものに出会って感動しまくりだった気もする。
その中でこれ一つ、というのを選ぶのは至難の技。なんて、別に個人の趣味だけの事なんでどーでもいいわけですね^^;うん、いやあ、これが楽しみで。
ほぼ心は決まっているのだが、8月もまだ終わったわけじゃなし。最後にどーんとどんでん返しがあるやも?

上に書いたのは作品についてだが、他にも主演男優、主演女優、と頭が痛い(だから単なる趣味だって)
確か、始めに日本映画も観て行きたい、と言ったのだが、これは結構頑張ったかも。おかげでイヤーな落ち込み映画も観てしまったが、それはそれで映画を観ていく上で絶対当たる壁?落とし穴?毒?みたいなもんで。

というわけでフェイユイ映画祭の予告編でした(笑)
8月もあと半分近く。がまだまだ観ていくつもりだし。今年の最優秀賞は誰の手に?(わかるかー^_^;)とにかく私がぼろぼろに感動した奴ですね。
ラベル:映画
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2007年08月10日

マット・デイモン期待の3作

8月「オーシャンズ13」日本公開。10月に「グッド・シェパード」11月に「ボーン・アルティメイタム」と続けてマット・デイモンが観られるのだ(どーせ私はずっと後ですが)
テレビでも顔を拝める事しばしば。

おかしかったのは家族連れでニューヨークを散歩中のマットの映像。いつものようにファンにサインをしたり気さくで優しいマット・デイモンであったが、交差点を渡ろうとした時、どこからか車のサイレンの音が!!それまで笑顔だったマットがいきなり真剣な顔になっていきなりスゴイ勢いで走り出した!?妻子を残して??その顔がマジすぎてみんなびっくりしたそうな。
これ、もしかしたらマットはすっかりジェイソン・ボーンになりきってしまい、実生活でも緊急事態と感じて走り出したのでは?という話なのである。まさか?でもあり得る^^;



posted by フェイユイ at 22:14| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイ:初監督作好調、3年後は「時代劇撮りたい」

ジェイ:初監督作好調、3年後は「時代劇撮りたい」

よかったね!ジェイ!!私も早く観たいよ〜。
チャン・イーモウ監督「単騎、千里を走る」と興行成績比較するのは気の毒だが^^;私も観てないしな^^;

それにしても3年後には時代劇の監督ですと。俳優を飛び越えて一躍周杰倫監督として世界に出るか?!(笑)
いや、ジェイってほんとわかんないからなー。

歴史上の人物を描いた、ってすでに具体的な構想が?気になるぞ!!!
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2007年08月08日

「かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート」ウィルソン・イップ

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堪能、堪能。久し振りにカンフーアクション全開で楽しませていただいた。
香港では大人気のマンガが原作ということで知ってるのが当たり前、的な展開で物語自体が物凄いスピードだったが要は文句なしにかっこいいアクションを見せるが為のものなのでこれで全く問題無しなのである。

ニコラス・ツェー、ショーン・ユーという若手人気俳優がそろい踏みとはいえ勿論この作品はドニー・イェンのものである。
端正なマスクであり且つその武闘シーンの素晴らしさには目を離せない魅力がある。
あまりにもアクションが華麗である為、他の単なる「ケンカ活劇」とは異なりバレエの一作品を観ているかのようだ。
バレエなら物語は単純でいい。そして所々に見せ場がある。異国情緒溢れる日本料理店の場の狭い部屋を上から眺めて捉えていく動き。同じく狭い廊下での激しいタンブリングを駆使した攻撃。
ソフトボール球場での光に包まれた中でのアクション。こちらは広い空間を使って走りぬけていくスピード感が快感であった。
そしてラストの戦いの場面でドニー・イェン=ドラゴン兄貴のパワーが炸裂する。
いったいに兄弟の物語では兄が踏み台になって弟が活躍する話が多いものだが、ここでは弟はまだまだ若造の半端者。兄貴が最高にかっこいい男なのである。

話はいたってシリアスなのだがマンガのせいか香港という土地柄なのかそこここで思わず笑いがこみ上げてくる設定があってそこがまた香港映画の醍醐味でもあるのだが、主要人物3人が揃ってうざいヘアスタイルだし、ドラゴン兄貴なんて前髪全部前に下りててあれで見えるのか。ドラゴン兄貴は稲妻マークで恋人に「刺青して」って頼まれて彼女の肩甲骨のとこにも稲妻マーク入れちゃって変なものやられるよりいいけどあんまりストレートで笑える。
弟タイガーは星マーク。いくつかバリエーションあり。ちょっと恥ずかしい。でも足芸が得意っていうのはかっこいいね。蹴り一筋っていうのはステキである。
突如割り込んでくるよそ者ターボは蠍マーク。最後に「ターボはやめてレパード(豹)にしろ」って言われるんだけど、蠍マークなのに?わりと単純ではないのだ。ショーン・ユーの綺麗な顔が長髪に隠れてファンとしてはじれったいんでは。
ドン・ジエちゃんは相変わらず清純で一途な女の子で可愛かった。
敵の大将、仮面をつけてるせいで神秘性が出てよかったけど髪形で山寺宏一さんを思い出してしまう。龍虎門の師匠、ちょっと弱そうなのに強いというのがスゴイ。ケイ仙人、どんな方かと思ってたら、仙人というより漫画家みたいだった。絵、描いてたし(字?)ベレー帽の仙人・・・。
などという突っ込みも楽しく鑑賞を終えたのであった。何よりしびれるのはドニーのアクションそのもの(ハンサムなその顔もだけど)なのでこれは絶対観るしかよさはわからない。

監督:ウィルソン・イップ 出演:ニコラス・ツェー ドニー・イェン ショーン・ユー ドン・ジェ リー・シャオラン
2006年香港
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2007年08月07日

ジェイ・チョウ「不能説的秘密 (言えない秘密)」 台湾映画OST (限定版)発売!!

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不能説的秘密 (言えない秘密) 台湾映画OST (限定版)

2007年8月10日発売予定
2007年夏、中華圏全域で話題の周杰倫(ジェイ・チョウ)初監督映画「不能説的秘密」のオリジナルサウンドトラックがいよいよ発売!

というわけですぐに予約しました!!(笑)

先日の話どおりだったんですね!昨日すでにyesasiaで扱われていたのでした。チェックしていたつもりでうっかりしてました(-_-;)
楽しみですっ!!!

追記:yesasiaさん見るとわかりますが、発売8月17日に延期ですね(涙)・・・待つしかねー。
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「オーシャンズ13」ジョージ・クルーニー インタビュー

「オーシャンズ13」ジョージ・クルーニー インタビュー

いっつもここの引っ張ってくるだけで芸がない、と思いつつもおかしくてつい。

ブラピの悪口もいいけどマットが酒癖が悪くていつも仕事に行けとたたき出すだとか、厚化粧でメークの時間が長いとかおかしすぎ〜。
ジョージのおしゃべりはいつも面白いけど今回も炸裂してます。
posted by フェイユイ at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月06日

「上海の伯爵夫人」ジェームズ・アイヴォリー

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悲しい話なのにどこか懐かしく昔を思い出しているようなそんな過ぎ去った日々への憧憬が描き出されているような作品だった。

1936年上海。中国の大都会・上海には様々な国の租界が存在し、様々な国の人々がいた。
外交官、国を追われて来た者たち。かつては栄華を味わったロシア貴族が落ちぶれ、中国人の下でこき使われることもある。
ロシア伯爵家一族は町の片隅の小さな家に身を寄せていた。主がいないその貴族一家は食い扶持を稼ぐ能力もなく、亡くなった主の妻ソフィアがクラブで働くことでなんとか生計をたてている。だが主の妹はそんなソフィアに冷たくあたるのであった。
ソフィアにはまだ幼い娘がいて母娘は強く愛し合っているのだが義妹は何かと二人を引き離そうとするのだった。

今はクラブで働くしかない没落した美しいロシア伯爵夫人。それ自体が夢物語のようであるし、1930年代の魔都・上海のイメージにふさわしい妖しい魅力を持つ。ソフィアを演じるナターシャ・リチャードソンが硬質な高貴さ秘めた美貌のためによりその悲劇は高まる。
そしてソフィアと盲目の元・外交官ジャクソンの出会いがある。

かつては青年の憧れの存在でさえあったアメリカ人外交官のジャクソンはある時目が見えなくなったのだが、そのことを語ろうとしない。
そんな彼が、ふと出会った日本人青年に打ち明ける。
「この上海に自分の夢のクラブを作りたい」と。

そしてソフィアの悲劇性に惹かれたジャクソンは店の名前も「白い伯爵夫人」と名づけソフィアに働いてくれるよう頼むのだった。

正体不明の謎の青年・松田はジャクソンの夢に加担していく。
ジャクソンの選んだ店作り、選んだ用心棒、選んだ女達、だが何か足りない。何が。松田の問いかけへのジャクソンの答えは「政治的な緊張感」驚いた松田だったが彼はジャクソンのために中国共産党員、国民党、そして他国の兵士たち、などをかき集めて店へと誘った。
「白い伯爵夫人」はジャクソンの夢どおりになったのだ。

とても不思議な夢である。ジャクソンの思い描くクラブそのものがあり得ないような夢物語であるようだ。
ソフィアを理想の女性として選ぶ理由も悲劇性がある、というのが奇妙でもある。ならばジャクソンはソフィアに出会い、彼女を愛し彼女を悲劇から救おうとしたのではなく、まず夢の女性の姿がありその人は悲劇的でなければいけなかった。それに叶った女性がソフィアだったことになる。

そしてもう一つの符合が幼い少女。亡くしてしまった自分の娘こそがジャクソンの灯火なのであり、彼女を失った時、ジャクソンは目が見えなくなってしまったのだ。
娘の代わりのように現れた少女がジャクソンの手を引くのを彼は許す。他の人が彼の手を引くのを極端に嫌っていたのに。
彼女が彼の新しい光となったのだ。

ジャクソンが夢のクラブに置こうと思った理想の女性と彼が思い描いた店(政治的緊張感のある店)はやはり儚い夢でしかなかった。
ジャクソンが夢を語れる友人と思っていた日本人青年・松田は日本軍が進出していく為の重要な仕事をしている男だったのだ。
ジャクソンは失望する。
無情なロシア貴族一家がソフィアと娘を引き離して香港へ逃亡するのを知ったジャクソンはソフィアに同情していたユダヤ人の助けを借りて追いかける。
あわやというところで娘を奪い返し、ジャクソンとソフィアは再会。ユダヤ人の親切な誘いに乗り3人は共にマカオへと船で向かう。

まだ彼らが安住の地を見つけたわけではないのだが、目の見えないジャクソンと何の身よりもないソフィア母娘が互いに支えあって生きていこうと誓い合う。
小さな船は絶え間ない爆撃を受け3人がこれからの不安を表しているようだ。
何もかもが混沌とした魔都・上海に酔いしれ、時代の波に翻弄される力なき人間の悲劇に涙する。
まさにこの時代のロマンを堪能させてくれる物語である。
ジャクソン=レイフ・ファインズ、ソフィア=ナターシャ・リチャードソンも素晴らしいがマツダ役の真田広之がなかなかに決まっていたと思う。私は彼が日本の映画に出てる時は全くいいと思ってなかったのだが、「プロミス」など外国の映画に出ると非常によく見える。年齢のせいもあるのかもしれないが。
上海を舞台にして日本人がこのような役をやるのは実際勇気のいることだと思う。ましてその地でプレミアがある時など。
日本人である彼がこの役をやってくれて本当によかったと思う。

本作の監督・脚本は名作「日の名残り」での名コンビとなる。且つ撮影がクリストファー・ドイルである。
彼らが描く夢の時代に暫し酔いしれた。

監督:ジェームズ・アイヴォリー 製作:イスマイル・マーチャント (遺作となる)脚本:カズオ・イシグロ 撮影:クリストファー・ドイル 出演:レイフ・ファインズ ナターシャ・リチャードソン バネッサ・レッドグレーブ 真田広之 リン・レッドグレーヴ
2005年 イギリス/アメリカ/ドイツ/中国

とにかくこの時代の物語が好きなのである。特にその舞台が上海となった日には。
あんまり好きすぎて勢いイメージが先行してしまうのだが、落ち着いた作品で見ごたえあった。
この時代で中国を舞台にした中国人、西洋人、日本人(←これが嫌な奴だけだとイヤだが今回のようにちょっとかっこいいとね)が出てくる映画を観たい、という願望がいつもある。
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2007年08月05日

「それでもボクはやってない」周防正行

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とにかく面白く巧く作られていてやや長めの映画作品ながらあっという間に観てしまった感じだった。
凶悪犯罪ではなく、物的証拠が残りにくい事しかも被害者が被害を受けたことを言い出しにくいこと、尊厳を傷つけられることなどから「痴漢」という題材を扱った作品であることで日本の法律・警察・裁判の仕組みに注意が向く。主人公が無職の若い独身男なのも物語を簡潔にしている。気が弱そうで且つ強情な性格が物語を進めていく。

観ている間はどうなるかという緊張感に満ちてあきさせなかったが、結局は李下に冠を正さず、ということだったかなあ、という気にはなった。
主人公が徹底的に抵抗したものの最後にそれが答えだったとしか言えない。ということは疑わしい状況であるならどう足掻いても無駄だということになる。

実際、警察と何か関わったことがある人からは、ないものもあるということになってしまったという経験談を聞く。
逆に被害を訴えてもどうにもならないからあきらめて、と言われることもある。どちらにしても誰かが助けてくれるだろう、ではなく自分でどうにかしていかなければいけないということか。

映画が問題を投げかけている形なのでどうしてもその問題を考えてしまう。
映画自体は独特のおかしさがあり、スピード感があって観ていて非常に楽しめるものだった。
謎解きの部分などは特に興味深く観ていった。

よき母親と頼りがいのある友達を持っているのは幸せなことである。

監督:周防正行 出演:加瀬亮 瀬戸朝香 山本耕史 もたいまさこ 田中哲司 役所広司
2007年日本

ラベル:裁判 犯罪
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2007年08月04日

マット・デイモン「ボーン・アルティメイタム」

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ジェイソン・ボーンシリーズ第3作目「ボーン・アルティメイタム THE BOURNE ULTIMATUM (最後通告)」はマット・デイモンの最後のジェイソンとなるわけだが、wowowでかなり長めの予告編やっておりましたね。かっこいい!!

新作でマット主演というのは珍しいと言っていいのでは。マットをじっくり観れる楽しみな一作です。
日本では11月、全国ロードショーということですね。
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2007年08月03日

「誘う女」ガス・ヴァン・サント

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すっごく面白くて夢中になって観てしまったが、いつも彷徨うイメージのサントも女だと留まってるんだなと思いつつ。

とはいえ主人公スザーン(スーザンじゃなくてスザーン)の思考は留まっているどころではないのだが。
美人で才能もある彼女がどうしてこう間違った方向へ進んで行ってしまうのかが興味津々。彼女が望んだテレビワイドショー的面白さなのだ。
しかし、それを言っちゃお終いだけどなぜ結婚したのか、不思議ではある。結婚して仕事と両立させる女性というのがかっこよかったのか。

映画、特にハリウッド映画だと本当にトップの華やかな世界が描かれる事が多いのだが、テレビ業界で活躍する事を夢見るこの主人公はなんとも侘しい地方の小さなテレビ局に自分を押し売りし、夫殺害を頼む相手もなんの知識も持ち合わせないチンピラ高校生3人とは、犯罪としても酷くちっぽけではないか。このいかにもぱっとしない「普通の高校生」をケイシー・アフレック、ホアキン・フェニックス、アリソン・フォランドが演じていて観てるとなんだか悲しくもなる。

スザーンのやったことは確かに「15分間だけ有名になる」ような事件だったかもしれないがすぐに皆忘れてしまうのだ。
だが家族を殺された者の恨みだけは消えはしない。

テレビ出演する者だけがこの世の成功者である、と考えているこのヒロインをニコール・キッドマンが思い切り可愛らしく演じている。
夫(マット・ディロン)にとっては最後まで彼女は愛すべき妻であったんではなかろうか。
彼女の夢の為に犯罪者となってしまう3人の高校生も普通すぎて怖いくらいである。
ぼんやりどんよりとしていて自分が何をしているのかどうなるのかさっぱり判らないままスザーンに操られてしまう。私は女なのでどうしても女学生のリディアが気になってしまうのだが、この時期にこういう能力と美貌の年上の女性から優しく声をかけられたらすっかり騙されてしまいそうである。スザーンが男だけでなく女の子も惹き付けてしまう所を描いたのはさすがサントならではだろうが、その辺が大変うまいと思った。

僅かの間に心奪われた女のために、ジェームズは一生を棒に振り、目立たなかったリディアはスザーンの憧れたテレビ出演をするようになってしまう。毒のある皮肉だ。

これで無実になるとは。一体どうなってるんだろう、アメリカの裁判は。スザーンのいうとおり、チンピラ高校生と金髪碧眼白人で社会人である女性のどちらに陪審員の信用が傾くかということなのか。
ならこれで人種が違うなら戦うべくもない。結局個人的に恨みをはらさねばならないのだ。

監督:ガス・ヴァン・サント 出演:ニコール・キッドマン、マット・ディロン、ケイシー・アフレック、ホアキン・フェニックス、アリソン・フォランド
1995年アメリカ

スザーンがもらって飼っているポメラニアンがめちゃくちゃ可愛い!!
ラベル:犯罪
posted by フェイユイ at 23:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月02日

「エリザベス」シェカール・カプール

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史実を映画化、といっても誰も真実を知るわけはなし、かなりの改変がなされていることは明らかだが、面白かった。
歴史問題というわけでなく一人の若い女性が一国の女王と変化するまでを描いているのだから色々と脚色されてしまうのである。英国と結婚しヴァージン・クイーンと呼ばれた彼女だが愛人は他にもいたようであるし(有名なウォルター・ローリー卿とか)
まあとにかく女王になるには想像を絶する覚悟と器量を必要とするのだろう。最初は長い髪を自然に垂らしあどけない表情だったエリザベスが、最後、仮面をつけたかのような白塗りと徹底的に飾り上げた象徴になってしまうのである。

エリザベスを演じたケイト・ブランシェットは申し分ない女王だった。イメージするエリザベス1世はやせぎすであまり女性的魅力に満ちてるようではないがその威厳を保ちながらも魅力あると思わせる美しさだった。
ところでさすがにエリザベス1世の話は有名で何かとエピソードを聞くことが多いが彼女と並んで語られ史実を映画化、といっても誰も真実を知るわけはなし、かなりの改変がなされていることは明らかだが、面白かった。
歴史問題というわけでなく一人の若い女性が一国の女王と変化するまでを描いているのだから色々と脚色されてしまうのである。英国と結婚しヴァージン・クイーンと呼ばれた彼女だが愛人は他にもいたようであるし(有名なウォルター・ローリー卿とか)
まあとにかく女王になるには想像を絶する覚悟と器量を必要とするのだろう。最初は長い髪を自然に垂らしあどけない表情だったエリザベスが、最後、仮面をつけたかのような白塗りと徹底的に飾り上げた象徴になってしまうのである。

エリザベスを演じたケイト・ブランシェットは申し分ない女王だった。イメージするエリザベス1世はやせぎすであまり女性的魅力に満ちてるようではないがその威厳を保ちながらも魅力あると思わせる美しさだった。
エリザベスといえばスコットランドのメアリー・スチュアートとの対比がよく語られるがここではその母親であるメアリー・ド・ギーズが出てくるだけであった。話が広がりすぎると思われたのか。

史実ではエリザベスとあまり年齢が変わらないはずのフランシス・ウォルシンガムをジェフリー・ラッシュ(「シャイン」の主人公デイヴィッド・ヘルフゴット役)が演じていて素敵である。
またその時共演だったジョン・ギールグッド氏は本作でローマ法王役。
そして本作を観る目的であったダニエル・クレイグはローマ法王から差し向けられたエリザベス暗殺者ジョン・バラードであるが実際はこの時の暗殺計画には参加してないらしい。はー。彼が加担したのは監禁されたスコットランド女王メアリー・スチュワートの救出とエリザベス殺害だがウォルシンガムにより未然に終わり処刑されたと。
ダニエルが堂々とエリザベスを暗殺しようと黒い法服をなびかせて歩いてくる所が実にかっこいい。ここでも拷問をうけていた。常に裸になる男、といわれるだけある。

だが実は本作で一番印象的だったのはヴァンサン・カッセルだったー!!
エリザベスに結婚を申し込むためフランスからやってきたお調子者のアンジュー公が彼。「オーシャンズ12」にも出ていた彼であるがあの独特の雰囲気。ステキです。
本作で落ち着いたエリザベスの対比として浮かれ者のフランス男を演じている、だけならまだしも女装姿まで見せてくださるとは。何をやってもセクシーでいい男なのである。うーん満足。

てなわけで思い切り楽しんだ「エリザベス」であった。無論衣装も美術も見ごたえ充分である。
ロンドン塔にブラッディメアリー。この辺りのイギリス史、楽しくてたまらないのだ。

監督:シェカール・カプール 
出演:ケイト・ブランシェット:エリザベス1世
ジョセフ・ファインズ:ロバート・ダドリー
ジェフリー・ラッシュ:フランシス・ウォルシンガム
リチャード・アッテンボロー:ウィリアム・セシル
クリストファー・エクルストン:ノーフォーク公
エドワード・ハードウィック:アランデル公
ファニー・アルダン:メアリ・オブ・ギーズ
ヴァンサン・カッセル:アンジュー公
ジョン・ギールグッド:ローマ教皇
ダニエル・クレイグ:ジョン・バラード
エミリー・モーティマー:カット・アシュレー、エリザベスの侍女
ケリー・マクドナルド:イザベル、エリザベスの侍女
キャシー・バーク:メアリー1世
エリック・カントナ:
ジェームズ・フレイン:スペイン大使
1998年イギリス
posted by フェイユイ at 23:39| Comment(4) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月01日

「恐るべき子供たち Les Enfants Terribles」ジャン=ピエール・メルヴィル

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「恐るべき子供たち」は私にとってはまず萩尾望都のマンガであり、次に画家・東郷青児が訳したジャン・コクトーの小説であり、最近になって映画の存在を知った。
そのためにどうしてもイメージが映画だけというわけにはいかず、それら3つが交錯した形で思い起こされてしまう。
映画監督はジャン・メルヴィルだがコクトー自身がかなりの入れ込みようで製作に参加しているようである。
また映画を観れば萩尾望都のマンガは多分この映画からの影響を多大に受けていると感じられるのでますますイメージは混沌としていく。
今から書くのはそれらが混じりあった感想になってしまう。

映画を観て一番感じたのは今まで日本語で読んでいただけの言葉をフランス語で聞くことの驚きだった。当たり前のことだが主人公達が話すフランス語の響きに酔ってしまったようである。
映画は1948年製作だが演出もイマジネーションもまったく違和感を感じない。
むしろ一つの部屋に気の合う少年少女たちがなんという意味もなく身を置いてそれぞれが自分の世界に入り込んでいる情景は今現在の子供たちのようでもある。

主人公エリザベートと弟のポールは両親を失うが次々と奇跡が訪れる。姉と弟はケンカばかりしておいるが強い繋がりがあり離れられない。ジェラールはエリザベートにアガートはポールに憧れながらも打ち明けきれないまま、4人は不思議な均衡を保ちながら子供の時間を過ごしている。

ポールにはずっと思い続けている一つのイメージがある。同級生のダルジュロスに彼はずっと恋焦がれていたのだ。少年らしい純真さで。
病気で学校に行けなくなったポールと素行の悪さで退学になったダルジュロスは会うこともなくなってしまうが、後に姉エリザベートの友人となったアガートの容姿があまりにもダルジュロスに似ていてポールは知らないうちに彼女を好きになってしまう。

映画を観れば萩尾望都のマンガがその影響を受けて描かれたのは明白だが大きく違うことの一つはダルジュロスの造形だろう。他の3人が映画の登場人物と重なるイメージで描かれているのにダルジュロス=アガートは随分違っている。萩尾氏としては彼(彼女)には不満だったのかもしれない。その二つの役を一人の女優が演じているがやや可愛すぎて大人っぽいポールが憧れる対象としては弱く感じられるからだろうか。少年の時も少女の時も非常に愛らしい印象なのだがマンガでみた強烈なダルジュロスを思い出すと萩尾氏の思い入れがそこに表現されている気がする。

逆に萩尾氏のマンガでは随分短くなってしまっている部分がある(と言っても印象的ではあるのだが)
ラスト近く。心の中だけで互いに思い合っていたポールとアガートは
エリザベートの策略にかかってしまう。エリザベートはアガートとジェラールが結婚するよう仕向けたのだ。
傷ついたポールはダルジュロスからもらった毒薬を飲み自殺しようと図る。
その時、そのことをまだ知らないはずのエリザベートが夢を見る。撞球台の上に横たわるポールの夢だ。
この場面は酷く幻想的なのだが萩尾氏のマンガでは正味1ページほどで簡単に描かれている。それはそれで心に残ってはいたが映画ではまた違った奇妙な雰囲気である。小説でも1ページにしか過ぎないがまた違う感覚に襲われる。同じような出来事を描いているのに3つとも違ったイメージである。

ラストシーン。映画と小説ではエリザベートが倒れるところで終わっているが、マンガではポールがダルジュロスを思う場面である。
やはりここでもダルジュロスのイメージが強く感じられる。冒頭がポールとダルジュロスが参加する学生達の雪合戦から始まり最後の場面も雪合戦をするポールとダルジュロスなのである。登場場面は少ないダルジュロスなのだがポールの中で彼はいつも憧れの存在としてい続けている。ポールがアガートに恋するのはその変形にしか過ぎないのであろうが。エリザベートはポールが持つイメージに嫉妬している。彼の心からそれを追い出すことはできないので。

物語としては単純なほどのこの作品なのだがどうしてこんなに惹かれてしまうのだろう。
初めてこの物語を知った時には同じく少女だった自分も年をとり子供たちではなくなった。
だがエリザベートとポールの部屋でお菓子や飲み物を用意して本を読み漁ったり夢幻に出かけたりすることには憧れる。
そんな時はいつまでも変わらない子供になっているのではないだろうか。

監督・脚本・製作:ジャン=ピエール・メルヴィル 
原作・脚本・ナレーション:ジャン・コクトー 撮影:アンリ・ドカエ 出演:ニコール・ステファーヌ、エドアール・デルミ、ルネ・コジマ、ジャック・ベルナール
1948年フランス
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ブロークバック・マウンテン』みたいな感じの男同士の激しいやつ

『ブロークバック・マウンテン』みたいな感じの男同士の激しいやつ

期待させてすみません。ジョージ・クルーニーのジョークでス^^;
いっつも笑わせてばかりの彼。端正な顔立ちでしかも楽しい。

「オーシャンズ14」はないんですって!マットはもう出たくないみたいなこと言ってたし。これでお開きでいいかもねー。もっと皆が年取ってからもう一度っていうのはどうでしょー。
posted by フェイユイ at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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