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2007年08月12日

「CURE」黒沢清

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冒頭で主人公の妻(精神を病んでいる)が病院で青髭の本を読むところから始まる。妻は途中でその本を読むのをやめてしまうのだが「内容は知っている」と医者に言うのだ。
映画の冒頭で本を読んでいるとなればその内容が映画の重要な鍵となることは必至である。そこに全て表されている場合だってある。

「青髭」は妻が亭主である青髭の命令に背いて見てはならない部屋を覗き見てそこに死体が隠されていることを知る、という凄まじく面白い話だが、私は「青髭」というとすぐジル・ド・レエを思い出してしまい、もしや少年趣味の男の話なのか?と期待しつつ観るも全然そういう話はなかったのだが、深読みすれば少年というよりオジサン趣味の男(間宮)の話にとれなくはない。
ま、いいが、「青髭」がベースになっているなら、この妻の言うとおり、最後妻は亭主を殺してしかるべきだが結果は逆である。
ならば単に夫と妻が入れ替わっているのか。だがこの妻は次々と首を切りとったりはしていない。

じゃ、一体この前振りはなんなんだ、という当惑を感じてしまうのだが、絶対何かの「振り」でなければならぬだろう。
ならば青髭は間宮であり、その妻は主人公・高部ということになるのだ。
間宮に操られた人間は首を切り刻んでいるし、高部自身もその被害者になろうとする(なったというべきか)
これなら納得がいく。

観客は皆この得体の知れない男・間宮の言動にイライラさせられるはずだ。彼はなぜ記憶喪失になりそのくせ行く先々で出会った人に暗示をかけているのだろう。
本当に記憶喪失なのか、なった振りをしているだけなのか。最後に高部が「思い出したのか、ならもうお前はおしまいだな」とかいう場面があるので本当に記憶を失っているのかもしれない。ただその記憶喪失は完全ではなく断片的なもののように思える。

この映画のなかで一番面白いのが間宮の暗示のかけ方である。彼は何人かに違った方法で催眠術をかけているのだが、これがゾクゾクするほど面白い。
ここで間宮は自分がすぐに記憶を失ってしまう人間である事を利用している。何度説明しても間宮は忘れてしまうのだ。
「あんた誰だ」「どこにいたんだ」繰り返し答えていること自体が間宮の催眠法である。
化け物に名前を問われた時、答えてはいけない、という話をご存知だろうか。
「陰陽師」を読まれた方なら覚えておられるだろうが、博雅が名化け物に名を名乗ってしまい体が動かなくなってしまう話がある。呪をかけられてしまったのだ。
本作で間宮が「あんた誰」と聞いた時、「こいつは化け物だ!」と気づいて体中ぞわぞわした。本質を答えるなどという問題ではなく、自分の名前を答えることがもう間違いなのだ。名前は自分を表す。ゲドや金角・銀角を思い出してみればいい。
ならなんと答えればよいのか。逆に「あんたこそ誰?」とやればいいのだろうが、間宮はその返答もしている「俺、あんたのことが知りたいんだ」ええい、騙されてはなりませんぞ、おのおの方ーっ。
しかし映画の中の声とはいえ間宮のささやくような問いかけは頭の中にも入り込んでくるようなのである。
実際間宮が目の前にいてこう問いかけられたら、すぐに自分の名前を言ってしまうことだろう。
そうやって登場人物たちは次々と間宮に名前を告げている。
そしてこの暗示方法は自分がからっぽになってしまう(記憶喪失になる)というのが必要なのだろう。そうでないと相手の中に入れないのだ。
それにしても間宮の問いかけと物忘れにはいらいらさせられる。記憶にございません、というのが最大の逃げ口上であることを知っているからだし、人の心にずけずけと入って来る者ほど嫌なものはないからだ。

奇妙なシーンがある。高部が間宮の居場所である病院に駆けつけ、彼が潜む暗い部屋に一人入った時、なぜか高部は部屋のシャッターを閉じたのだ。
これは刑事の取った行動としてはおかしくないか。逃がすまい、としたのか。だがまだはっきりと間宮の姿を確認したわけではなく正体もわからない敵を前にして駆けつけてくる仲間を遮断してしまうのは危険なはずだ。
その後の行動を見ても高部が間宮と二人だけの関係(怖ろしい関係だが)を持とうとしているかのように思える。高部自身はそれに嫌悪感を抱きながらもそうせざるを得ないかのように。

高部が間宮の部屋を訪れ、二人の間に暗闇が入り込み高部が自分を解放してしまう場面は怖ろしい。
また高部が友人である佐久間の部屋で佐久間を襲った覚醒を知る場面もまた。
ところで高部・間宮・佐久間という名前はみんな空間という意味でつながっているようである。偶然なのか。
また百年前の催眠術師の名は伯楽陶二郎。伯楽といえば名馬を見分ける名人または馬や牛の病気を治す人。だと。もう完全にしゃれである。

長々と書いてきたが、ここに書いた考えは全て偶然の一致のようにも思える。多分そうなんだろう。
というのは私は監督である黒沢清という人について殆ど知らないので自分が勝手に想像したものと監督が面白く発想したものがたまたま合ってしまったようにも感じるからだ。
実はこれ以前同監督の「アカルイミライ」を観て非常に落胆した記憶がある。(とことんオダギリと相性の悪い自分なのである)だがこれを観て実に面白くて驚いた。見ればこちらのタイプの映画のほうが本道の監督のようである。出会ったモノが悪かった。

そういうマイナスのイメージがありながら本作はそれを撥ね退ける価値があった。
映画の作りとしても色々と工夫されていて楽しい。ノイズが非常に耳に残るが特に警察のお偉方の前に間宮が引き出される場面、ずっと変な雑音が入っている。そして間宮が高部に「あんただけが俺の声が聞こえているんだ」という甘い囁きのような言葉をかける部分で雑音が消える仕掛けになっている。間宮の入り込んでくる手口というのは実に巧妙である。
間宮を演じている萩原聖人が人を苛立たせながらも甘えてくる妙に緊張感のない男をうまく演じている。
本当にこの男がいたらみんな心酔しきってしまうんではないだろうか。
いきなり海岸に現れた記憶喪失の男、という事件が少し以前にあったのを思い出す。何の関係もないけど。

色々な謎が放り出された状態になっているが間宮の火傷はなんによるものでなぜついたのだろう。それが彼に何の影響を及ぼしたのか。記憶喪失の原因になっているのだろうか。

監督:黒沢清 出演:役所広司 萩原聖人 うじきつよし 中川安奈 洞口依子 戸田昌宏 螢雪次朗




ラベル:犯罪 精神
posted by フェイユイ at 23:33| Comment(4) | TrackBack(2) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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