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2007年08月15日

「善き人のためのソナタ」フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

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この映画を観て生じた感情は東ドイツ政権による悲劇性というよりこういった異常なシステムが当然のこととして正当化されてしまっている状況に対して「なんて不思議で面白いものなんだろう」というぞくそくする興味であった。

それは申し訳ないが外部から観ている者の身勝手な好奇心である。本作の監督は「グッバイ、レーニン!」に批判的であるようだが、部外者から見ればこの二つは当然出てくるであろう相反した感情として受け止めることができる。
大変怖ろしい圧力であったものが無くなった時、それを懐かしむ、という奇妙な感情が人間には潜んでいることが多くの歴史的事実として記されているのだが、それを口に出して言える者と強い反発を感じる者とがいるのもまた当然だろう。
本作の監督は東ドイツ政治体制に強い反発を感じて製作しているのだが、映画自体を面白く作ってしまったためか、私には「グッバイ、レーニン!」より以上にこのシュールとしかいえない世界に強い興味を抱いてしまったのだった。

何と言っても興味の的は無論主人公・ヴィースラーである。彼の造形は殆どロボットと言っていい。
無表情。ただひたすら政府のために仕え働き続ける。着ている服も銀色めいたきちきちの上着とズボン。食べているものはナンだかよく判らないソースみたいなのをひねり出しただけの質素なもの。結婚もしておらず多分子供もなく、彼の性生活は売春婦を呼んで限られた僅かの時間に処理するのみ。このヴィースラーが売春婦を呼ぶ場面は酷く侘しいものである。この場面はカットしていいものではない。作家ドライマンと恋人クリスタの愛に溢れたセックスとのなんという違いか。彼、ヴィースラーは何のために生きているのか。彼には友達すらいない。唯一友達のような形であったグルビッツは彼を無情にも地下室に追いやったのだから。
反政府主義者と思える者への過酷な尋問を仕事として恨まれ、そのやり方を学校で教えては非人道だと生徒に批判され、かつては友人であった(とも思えないが)上司からは蔑まれそれこそ非人道的な盗聴・手紙の検閲の長時間労働を強いられてきただけの人生。
彼は生きてきた間に一度も感謝されたり愛されたりすることがなかった。そういうロボットであったはず。

その彼が、なぜ反政府的な匂いのあるドライマンとその美しい恋人であり女優であるクリスタの盗聴をしようと自ら言い出したのか。
ヴィースラーは最初からドライマンとクリスタに憧れをいだいたのだ。
彼はドライマンを裏切って高官と寝ようとするクリスタに仕事を無視して忠言する「あなたのファンがいます」そしてまたクリスタへの尋問の際にも「あなたのファンのために」と。彼自身がクリスタのファンだったのだ。それは恋というより美しい芸術を生み出す者への憧れであった。
ヴィースラーはドライマンの部屋で初めて芸術というのもに触れ心を動かした。ブレヒトの本を盗んで読み、ドライマンの弾くピアノ曲「善き人のためのソナタ」を盗聴して涙を流した。ロボットだったヴィースラーが人間になってしまったのだ。
彼の行動は政府にとって許されないものであり彼に重罪が課せられても仕方なかった。だがヴィースラーはとうに死んでいた。ドライマンを救うことでヴィースラーはやっと「生きた」のだ。

東西ドイツの壁が崩壊し、地下での労働を強いられていたヴィースラーは解放されるが彼に与えられる仕事は僅かなものであったがその仕事もヴィースラーは何も言わず根気よく続けるだけである。
そんな時目にしたのは作家ドライマンの新しい著作「善き人のためのソナタ」という本。そこには声をかけることもなく自分を救おうとしてくれたヴィースラーへの感謝の言葉が書かれていた。
ヴィースラーの人生の中で多分それまで一度も言われたことのない言葉が。

大変に心を揺さぶられる素晴らしいラストである。人間的に悩み苦しみ愛し合うドライマン・クリスタたちと何の感情ももたないようなヴィースラーとの対比。
生活の全てを盗聴され記述されてしまう異常性。反政府的な言葉は冗談としても言うわけにはいかず、政府高官に性を提供する事さえ強要されてしまう社会を正常な精神で受け止めていくことはできないだろう。
映画を観てるとすぐ何かを連想してしまう癖があるのだが、今回はウルトラセブン「第四惑星の悪夢」これは本作だけでなく弾圧された社会を描いた作品の時にはすぐ思い浮かべてしまうものではあるが。

本作を観ていると単なる感動ドラマというより、むしろSF的な面白さを感じてしまうのは変だろうか。
ヴィースラーとドライマンの会うことのない(少し接点はあったのだが)交流のドラマの不思議さ。
ロボットのように働かされる多くのヴィースラー的存在の人々がいたであろう社会。
理屈の通らない閉じられた社会。思想として成立する事ができず、政府の圧力で統制されていく社会。
そういった社会をSFのように思えてしまうのはやはり自分がそこにいなかったからなのだろうか。
(そこにいたとしてもそう思ってしまう気がする)

監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 出演:ウルリッヒ・ミューエ マルディナ ゲデック セバスチャン・コッホ ウルリッヒ・トゥクール トマス・ティーマ
2006年ドイツ




ラベル:ドイツ映画 歴史
posted by フェイユイ at 21:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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