映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年09月30日

『ヴェニスの商人』マイケル・ラドフォード

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意外と最近作られたものだと後で気づいた。有名な古典名作なので何度も映画化されているのかと思ったら初の映画化ということだ。
やはり人種的問題があったということなのだろうか。

『ヴェニスの商人』と来ればシェイクスピア作品の中でも最も有名な喜劇であり、舞台は観なくとも小さい頃小説化されたものを読んだり、内容を聞いたりしたことはあるという人が多いのではないだろうか。
私も子供時代に簡単な小説になったものを繰り返し読んだものだ。
何と言っても金儲けの権化であり悪役の代名詞のようなシャイロックから苛められるアントーニオ、バッサニオの友情と美しくも賢いポーシャの明裁判に夢中になったものだ。
だが反面ひっかかるところもあって「肉を1ポンド切り取る」というのならそれはアントーニオが切り取って返すべきなのであって「血は含まれない」などと言われてもアントーニオの責任ではないのか、と子供の頃は憤慨していた。どっちの味方かわからないが。
改めて映画で観たらシャイロックが「心臓近くの肉を1ポンド切り取らせろ」と(日本語訳では)言っていた。惜しい。私が思ってたように「心臓近くの肉を1ポンドよこせ」とだけ言えばよかったのだ。そうすればシャイロックに流血の責任はなくなる。
とはいえ、この映画の状況ではどうしたってシャイロックはやり込められていたのだ。
問題は非キリスト教徒であるユダヤ人をどう「苛めるか」だけにあるのだから。

非キリスト教徒でありユダヤ人でもない自分はこの物語を単なる「面白い話」としてしか読んでなかったのだが、欧米では「悪しき物語」として認識されているらしい。
映画を観るとなるほど、と頷けるのだがユダヤ人はキリスト教徒ではない人非人で金の亡者だという刻印を打たれており、ゲットーに押し込められ自由な出入りもままならず、決められた服装を義務付けられているという殆どナチスを思わせる待遇なのである。
いわばキリスト教徒全体がナチスのようなものではないか。一見優しく友人思いのアントーニオらのユダヤ人への蔑視と唾を吐くなどといった態度の酷さを見るとシャイロックがあのような反撃に出たのも無理もなかろうと思わされる。
だがしかしシャイロックの反撃もほんの短い間だけのものであり、結局はキリスト教徒たちに打ちのめされてしまうのだ。
足元をすくわれ「キリスト教に改宗しろ」という人間の尊厳を全く無視した罰を与えられるのだ。「無慈悲に人の命を奪おうとした罰だ」ということになってしまうのだが、無論シャイロックが何故そこまでねじくれてしまったのかは無視される。途方にくれ立ちつくすシャイロックの姿は無残である。

この映画の面白い所は原作をすっかり作り変えてしまうのではなく、(多分)シェークスピアの物語はそのままにしておきながらユダヤ人であるシャイロックの悲劇を描いているところだろう。
それゆえに一応視点はアントーニオ、バッサニオ、ポーシャ側に置かれているのでややもすると誤解されてしまうかもしれない。
これは悪の権化シャイロックを懲らしめた喜劇からどうしてシャイロックがそのように描かれなければいけなくなったかという悲劇になっている。
アントーニオたちは原作と同じように動いているものの、シャイロックの悲しみから見ればいかにも浅薄な連中としか見えない。生まれつき裕福で迫害される事のないキリスト教徒であり、容姿も人間関係も何一つ不自由のない恵まれた者たちである。
シャイロックたちユダヤ人は赤い帽子を目印にされしょっちゅうキリスト教徒から唾をかけられ「利子をとって金を貸すのは悪行だ」と橋から突き落とされるのだ。なのに困った時だけ「金を貸してくれ」と頼みに来たアントーニオ、バッサニオに復讐したくなったとしても無理からぬこととはいえないか。
そしてシャイロックに金を借りたバッサニオだが元々彼は放蕩して金を使い切ったようなだらしのない男なのである。それが金持ちの娘を好きになって求婚したいと思ったのだが、金のないままで行くのは恥ずかしい、と見栄をはっただけなのだ。こいつがその美貌でもってアントーニオに甘えて金を借りなければ(実はアントーニオとバッサニオは同性愛の関係でもあるのだ)シャイロックがあんな目にあおうこともなかったのに、と腹立たしくもなる。
賢く誠実な美女として登場するポーシャも自分への求婚者をあざ笑って見てたり、夫となったバッサニオから指輪をどこへやったのかと問い詰めたり意地悪な女なのである。最後「夫の親友なら歓迎します」と言っておきながらアントーニオをかまいもせずにバッサニオを初夜の床に誘うのは二人の関係を知った(賢いから)ポーシャのアントーニオへの虐めとしかみえない。

アル・パチーノ主演でありながら「反ユダヤ主義」の差別的作品と思われアメリカでは芳しい興行成績ではなかったらしい。
内容は以上のようなユダヤ人の悲哀を描いたものなのだが、それだけ『ヴェニスの商人』のイメージが強いというのとなのだろう。無論シャイロックを悲劇にすることで原作とは違う演出もなされているようだ。
ラストシーン、シャイロックの家から逃げ出した娘が指輪に触れながら悲しみにくれている場面で船の上から矢を放っている者が映し出されていたがあれは何の意味があるのだろう。気になった。

監督・脚本:マイケル・ラドフォード 出演:アル・パチーノ ジェレミー・アイアンズ ジョセフ・ファインズ リン・コリンズ ズレイカ・ロビンソン
2004年 アメリカ/イタリア/ルクセンブルグ/イギリス

これを何故観たのか、というとベン・ウィショーのプロフィールにこれに出てる、とあったからだったのだ。
しかし・・・判らなかった。ポーシャの使用人という話も聞いたのだが、よく判らない。何度も目を皿の様にして見たのだが(一体何を探してるんだか)見つからず悲しかった。
 
アル・パチーノ=シャイロックは見ごたえあった。さすが『リチャードを探して』で頑張っただけのことはある。
ジェレミー・アイアンズ、バッサニオに恋しながらも結婚をお膳立てするため命をかける男を演じていた。
ジョセフ・ファインズ、『エリザベス』では女王に恋され、ここではアントーニオとポーシャの両方に愛されるモテ男である。
リン・コリンズ、ベネツィア的美女の雰囲気確かに。男装してる方が美人だったりして。

追記:ベンの姿は見つけられなかったが、エキストラ的な感じで出演はしているとのこと。
探し出した人いるかな?
posted by フェイユイ at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

『300 <スリーハンドレッド> 』ザック・スナイダー

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非常に興味深い映画だった。何と言っても面白いのはここでのペルシャ軍の姿というのはまさしくアメリカ軍隊であり、ペルシャの王クセルクセスはブッシュにしか見えないということだ。

と言っても普通に考えればペルシャを中東(西アジア)の姿、白人であるスパルタ人にアメリカの姿を重ねてしまうはずだ。なのにそう思って観ると全く逆転して見えてくるのだ。

映画ではアジア諸国と言ってるが世界の国々を味方に引き込んで「我に跪け!」と仁王立ちしているクセルクセスはブッシュとしか思えない。
一方、命を捨てて(若い息子の命も犠牲にして)突進するのみのスパルタ王レオニダスとその部下はテロリスト集団そのものである。

そうなるとこの映画がアメリカでは物凄く受けている、というのは奇妙にも思える。
『シン・シティ』の作者でもあるフランク・ミラーの原作コミックを私は読んでいないが、そういった逆転の意味合いは含まれていないのだろうか。偶然なのか。
そう思わずに作ったのにそうとしか思えないというのだったらそれも奇妙なことである。

単に美しい映像と目を見張るアクションを楽しめばいい、というのもいいのだが、私にはそっちの方が面白かった。

あの凄まじい矢の攻撃を見た時、チャン・イーモウ監督の『英雄』を思い出した。中国の武侠ものには表向きの娯楽の面と裏でしか言えない中央に対しての抗議の意味がある。
アメリカでは別にこうした裏に隠した意味などという表現をしなくとも表現の自由はあるのだが、あえて面白がって作ったのでは、とさえ思えてくる。

で、この作品の感想だが、上にも書いたように美しい映像は一場面ずつが絵画のような素晴らしさで作り上げた体も見得を切った仕草も表情も見惚れるばかりだ。
残酷なはずの殺戮も血飛沫も全てに形式美が当てられて観る者を堪能させる。
レオニダス王の髭にも見惚れたし、クセルクセスがかっこよかった。

だがその戦いぶりは片方がブッシュで片方がテロリストなので私としてはその両方に感動できない。
そうは言っても攻撃されたのだから反撃すべきだろう、といわれるだろうが、これは映画なわけであえてこの話を選んでいる、こういった話に作り上げている、そのことに感動できないということだ。

ところでレオニダス軍の作戦は狭い峡谷で大軍を阻むというものだがあの位置だと効き目があるのか、ちょっと不思議だった。
確か黒澤映画(『七人の侍』だったか)で一人ずつ敵を入れて殺していく、というのがあってそれだと判るが本作だと一番前の人が疲れるだけのような気がする。(ま、大軍の数が凄いので一人ずつは大変だけどあっちは敵が少なかったから)

私としては『墨攻』の方が好きだ。あっちは一人対10万人だったな。
決して攻めない。無理なことなのだろうか。

監督:ザック・スナイダー 出演:ジェラルド・バトラー レナ・ヘディ デヴィッド・ウェンハム ドミニク・ウエスト ミヒャエル・ファスベンダー
2007年アメリカ

追記:書き損ねた。
かっこいいクセルクセス王はロドリゴ・サントロであった。あの大きさは嘘だろう。美しい人である。

ところでスパルタと言えば年上の男と少年がペアで戦う、というイメージでなにか怪しいものを期待したのだがなかった。残念。
ラベル:戦争
posted by フェイユイ at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月27日

『不能説的・秘密』周杰倫

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ジェイ・チョウ初監督作品『不能説的・秘密』とうとう観る事ができた。限定版にしたのでオルゴールと5枚のポストカードつき。震える指ももどかしく封を開ける。

以前と違って中文字幕から遠ざかっていてすっかり勉強もしなくなったのでまあストーリーを解したかと言われると大雑把に、としか言いようがないがいかにもジェイ好みのクラシカルな映像を堪能できた。

冒頭から中盤まで全くストレートで純なラブストーリーなのだが、ここまでで止めてしまってはいけない。
後半から物語が急展開していくのでしっかり最後まで観ていこう。
というからには前半が少々間延びして感じてしまっているのだ。ジェイ迷の自分でさえそう思うのだから他の人からはどう思われるか。
せめて90分くらいに凝縮した方がよかったのかもしれない。とはいえ、台湾映画は大体においておっとりした感があるから正統派というべきなのかもしれないが。
とにかく前半は可愛らしい素朴な純愛物語なのである。後半は変化があるとはいえ、さらに純愛なのであった。

ジェイが古くて格調高いものを好んでいることは知られていることだが、タイトルやクレジットが入るオープニングから厳かな響きで始まる。古びた様相の校舎、きちんとした制服。街並みもジェイの世界である事がわかる。
ジェイと父親が住む家も好きになった小雨の住まいもちょっと凝りすぎているほどいい感じである。
フィルム自体にもイメージが映りこんでいるのだ。

物語はそれほど奇をてらったものではない。むしろここでもジェイが歌の中でも繰り返し表現している恋愛についての考え方、イメージが再現されている。
変に分散せずピアノ曲を全編で使っているためにまとまった巧い作品に仕上がっているのだ。

そしてどうしても素朴な演技者であるジェイを支えているのが『イニシャルD』でもお父さんだった黄秋生。
殆ど彼がこの作品を映画として見せてくれている。ジェイにとってありがたい存在としか言いようがない。
『イニD』に引き続き、大人の色気と可愛げと確かな演技力を見せつけてくれた。
とはいえ、ジェイの恋人小雨役のグイ・ルンメイ。透明感のあるほっそりした美人で可愛らしいことこの上ないが、彼女の素晴らしさにも感嘆。この役柄にぴったりの美しさであった。彼女は本当に凄い女優になっていきそうでこの先、楽しみである。

台湾・香港・大陸でめざましい興行成績を見せている本作だが日本で公開されるかは難しいのかもしれない。
私的にはせめてDVDにはなって欲しい。

特典として主題歌つきのNG特集(?)が収録されていた。ジェイ始め出演者の生な笑顔が見れてうれしい。

監督:周杰倫 出演:周杰倫、黄秋生、グイ・ルンメイ
2007年台湾

追記:ネタバレなので注意!!
香港で凄く人気があるのは、題材が時間の交錯と超常現象というものだからだろうか。そういう話好きそうです。
“純愛”というのも勿論だけど。



posted by フェイユイ at 23:33| Comment(10) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月26日

『Jの悲劇』再び ロジャー・ミッシェル

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で、今夜は『Jの悲劇』である。
今回も『ザ・トレンチ』『レイヤーケーキ』に続いて半分(ま、4分の一くらい)ベン・ウィショー目的ありである。
ベンがどこに出てたのかなど全く覚えてもいなかったのだが、観てなるほど。またも相変わらず変人的な様相の学生君であった。

しかもかなり目だった演技でやや力入りすぎかも、というくらいなのだが、痩せてて不気味で(主人公を付け狙うストーカー男に勝るとも劣らない)いかにも友達いなさそうである。しかも『レイヤーケーキ』同様ここでもダニエルに近寄って行ってすげなくされる可哀想な奴なのだ。
幾度か出てくるが特に最後のシーンはせっかくダニエルに近づいていくのにあっさりふられてしまう惨めな学生なのだった。

この作品は私がダニエル映画を初めて観たものでそのせいもあって一度目の記事は殆ど手探り状態。これもよく判らずに妙な事書いてて赤面であった。
今こうして観なおすと、ダニエルのよさが凄くよく出ていると思う。冒頭の気球に飛び掛り飛び降りる他にはアクションというようなものはなくそれほど体も露出していない。
つまりは007的な魅力は封印されているのだがそのくせ不思議にセクシーなのである。
精神の奥底まで追い詰められて崩れていくインテリ男が実に合っている。嫌っているはずなのに却ってその男の事ばかり考えてしまわざるを得ないのが皮肉である。
“恋愛”についての講義をしている作家でもある講師が恋愛とは何か、全くわからなくなってしまう。
不気味な男がひたすら自分に言い寄ってくる。これは恋なのか、違うものなのか。

のどかな郊外の草原で恋人とくつろいでいたジョーは操りそこねて浮き上がろうとする真っ赤な気球を追いかける老人とそしてその中には少年が一人残っているのに気づき助けに走る。
まさに飛び上がろうとするその気球に何人かの男達が飛びついた。
なんとか取り押さえたと安心した瞬間、突風が吹き再び気球は少年と周りにしがみつく男達と共に浮き上がってしまった。
誰からともなく男達は手を離し地面に降り立ったが、ただ一人医師である年配の男性だけがその手を離さなかった。
ついに我慢できなくなった時、その医師は地面に叩きつけられたのだ。
ジョーは手を離した自分を悔い、医師の死を受け止めることができなかった。

衝撃的な導入部に惹きこまれジョーが苦悩する男であることがわかる。その後、同じく気球と共に舞い上がった正体不明の男ジェッドから執拗に追いかけられることになる。
ジェッドはジョーと自分を同類化してしまい、次第にどれを信じているのか嘘なのかわからなくなってしまう。
クレアという恋人がいてインテリであるジョーは付回されるうちに精神と行動が異常なものになっていく。

姿が見えたり見えなかったり、カーテンで合図を送っているという実しやかな幻想も嘘か実かなにもかもが不明瞭になっていく。

事件が解決した、と思ってもクレアの心が引き寄せられるかはわからない。そしてエンドロールの後にジェッドの姿が映し出される。
小奇麗になって施設のような部屋で何かを書いている。
その笑顔からはまだ彼の“恋”が終わったわけではない=ENDURING LOVE (原題)なのが判るのだ。

監督:ロジャー・ミッシェル  出演:ダニエル・クレイグ サマンサ・モートン ビル・ナイ スーザン・リンチ ベン・ウィショー
2004年イギリス
posted by フェイユイ at 23:31| Comment(2) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月25日

『カジノ・ロワイヤル』再び マーティン・キャンベル

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で、『カジノ・ロワイヤル』再観である。
これに関しては一度目も大絶賛なのだが、あんまりギャースカ言ってるので読み直さなかった、ので重複及び意見が違うところもあるかもしれない。

再観してもなお見ごたえ充分。「面白い映画」ってこういうのだよな、と頷いてしまう。
元々コネリー=ダブルオゥセブンが好きだった私としても全く文句のない出来栄えであり魅力あるジェームズ・ボンドだと確信する。
今までにない金髪のボンドなのでちゃんと配色も考えて相手役は二人とも黒髪であった。
最初の女性もお色気濃厚でさすがボンドの技を初披露するのに申し分ない人妻であったし、本命ヴェスパーは真っ青な目蓋にいつも下を向いてるような睫毛が不思議なセクシーさを漂わせている。いつも睨みつけているでっかい目も印象的である。
好みとしてはもう少し肉がついてて欲しいけど時代の流行なのでしょうがない。
酷く気の強い高慢な女と見せ付けてふと見せるか弱さ。シャワーを浴びながら震えている姿やジェームズに打ち解けてほんわり笑う顔が突然少女のようで可愛らしいのであった。

冒頭の走り抜けるアクションシーンも空港でのせめぎ会いも二回目でも充分手に汗握るもので特に最初のは高所恐怖症者には怖気を振るうものである。

そしてタイトルの「カジノ・ロワイヤル」の場。私は賭け事はしたくないのだがどういうものか他人がやってるのを見るのは大好きである(みんなそうか?)
映画とはいえこういうポーカーゲームを見るスリルは楽しくてしょうがないのである。
無論映画では考えられない高額を賭けてもらいたい。CIAは資金潤沢というのが嬉しかった。

そしてまたある意味見せ場であるボンドの拷問シーン。穴を開けられた椅子に縛り付けられ、片目に傷のあるクールな敵役ル・シッフルに固い瘤付きの繩で局部をしたたか痛めつけられるというシンプル且つ男には身の毛のよだつ拷問だろう。
何故か裸にされてしまうのだがこれはクレイグの体を見せるためですな。

結構多くの作品を見てきてクレイグはアクション派俳優というよりちょっと違った趣きがあることは知ったが、やはり007を演じているクレイグがかっこいいことは絶対である。
このDVDパッケージの横顔などはもう本当にアニメ的なヒーローのかっこよさのそれである。映画全般に渡ってこの時のクレイグ氏ははっきりと007なのであって決めのポーズ決めの表情決めの台詞が目白押し。完全に無敵のアクションスターなのだった。
短髪のせいかちょっとやんちゃな男の子みたいな雰囲気も可愛らしいのである。

監督:マーティン・キャンベル 出演:ダニエル・クレイグ エヴァ・グリーン マッツ・ミケルセン ジュディ・デンチ ジャンカルロ・ジャンニーニ ジェフリー・ライト
2006年イギリス/チェコ/ドイツ/アメリカ
posted by フェイユイ at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『猫をお願い (給我一支猫)』トライアゲイン!

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『猫をお願い (給我一支猫)』購入再び挑戦!!

少し前、買おうとしたのに入荷できません、ということで涙を飲んだ。

今度は手に入れられるか?一体ここまでがんばるだけの映画なのか?
まだ未明だが期待は高まるよ!

一個だけ買うと送料つくのが嫌でまた他のと込みで買う(笑)(だから余計高くつくって!しかもまた同じ失敗するかも?)
私のために仕入れてもらったのか?
楽しみだ〜!!げいうぉいーじーまお!!!

ラベル:張孝全
posted by フェイユイ at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 張孝全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月24日

『レイヤーケーキ』再び マシュー・ヴォーン

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2度目の『レイヤーケーキ』である。一度目に何回観たかは覚えてないが。

今回の目的はダニエルをもう一度じっくり観たいのは勿論だが、何と言っても出演していたのに当時把握していなかったベン・ウィショーなのであった。
ベンの役はどうにもパッとしない雰囲気の麻薬業者デュークの甥っ子でこちらもナンとも情けない風貌でけたたましく騒ぎ立てるところが似ているといった具合。
ベンはいつものように痩せて可哀想なほどおどおどとした目つきでいかにも誰からも馬鹿にされているといった憐れさが滲み出ている。
ここでは主人公xxxx(名前がないのだ)とガールフレンドを始め登場人物みんなから邪魔者扱いされている。
だがその彼が最後、重要な決めをするのだから、目を離せないのである。
彼自身をよく見ればそう悪くはないし結構ハンサムなのだがどうにもおたく風の風采とびくついた態度が苛めたくなってしまうのかもしれない。とにかく肉体派のダニエルの横では貧弱なのであるが、それもまた魅力の一つかもしれない。

さて、私自身の一度目の感想を読み返したら、どうもあんまりいい受け止め方をしなかったようで些か恥ずかしい部分もある。
特にダニエルに関してはこの作品の彼があんまりピンと来なかった的なことを書いている。
その後色々のダニエルを見てきた今となってはこの作品のダニエルはまさにぴったりの役どころだと思っている(そんなに変わっていいのか)
素晴らしい肉体美を披露する割にはアクション派ではなく銃も苦手としている。むしろ頭を使って行動するのだが、どこかゆるくて抜けている、といった役柄である。そこはかとなく滲み出るユーモアも持ち合わせていてその辺はいかにもイギリス人らしい持ち味なのである。

そして自分の感想を変更したいのは映画自体についてもいえる。
以前は「もっと違うやり方がよかった」などと言うことを書いているのだが全く判ってないとしか言えない(自分のことなのだが^^;)
余計な説明は抜きでぱんぱんと小気味よく進んでいく構成は申し分ない。どことなくゆるい雰囲気を漂わせながら緊張のある部分とおかしさを面白いバランスで作り上げている。
最初に観た時の感想とは全く違い大変に面白く仕上がっていると思えたから変なものである。この間に自分の観方が随分変わったのだろうか。
ただ、だからといってこの作品がそうそう凄く大好きではない、というのは最初観た時とあまり変わらないのは奇妙な点である。
こういう独特のテイストが好きなら絶賛だろうが、結局麻薬取引、裏社会、という題材が好きではないのだろう。というか好きだから余計好みに合う合わないが気になるのかもしれない。
単にストーリー自体が好みでないというだけなのか。

最後に流れる歌がどうしても私の世代だと日本語歌詞で聞こえてくる。尾藤イサオの『悲しき願い』である。
「だぁれのせいでもありゃしない。みんなオイラが悪いのさ」うーむ、まさにこの映画にぴったりだ。The Animals「Don't Let Me Be Misunderstood」の内容は知らないがかっこいい歌である。

監督:マシュー・ヴォーン 出演:ダニエル・クレイグ コルム・ミーニー ケネス・クラナム ジェイミー・フォアマン シエナ・ミラー マイケル・ガンボン マーセル・ユーレス トム・ハーディ ジョージ・ハリス
2004年イギリス
posted by フェイユイ at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月23日

『ルワンダの涙 』マイケル・ケイトン・ジョーンズ

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つい先日やっと観た『ホテル・ルワンダ』と同じ虐殺についての映画でありながら違った語り口である。
同じように突然起こった虐殺の為に自分を守ってくれるかもしれない場所(あちらではホテルであり、ここでは学校だった)に追い詰められたツチ族が逃げ込んでくる。そこを守る国連の兵士たちはいるのだが一歩外へ出ればもう命はなくそこから出て行く術もないという状況も同じである。

違うのはまず『ホテル』の方はルワンダ人のホテル支配人の目から物事を見ているのに対しこちらでは白人である若い英語教師とカソリック神父が目になっているというところである。そして彼らはこの「アフリカの一つの国で起きた集団虐殺」に対して全く自分達が非力である事を思い知らされる、という筋立てになっている。

『ホテル』はかなり視野が広く取られているように感じたが(広範囲にわたって色々な側面が実に巧く語られていた)『涙』は若い教師と老神父とその周りの子供たちに焦点が置かれていて白人目線なのにより物語が身近なものになっている。
虐殺の場面もこちらでは教師のジョーとクリストファー神父がその惨たらしい殺害現場を直視していて怖ろしさがより迫っている。

反面、先に『ホテル・ルワンダ』を観ているから思うのだが、あちらでは主人公がフツ族の男性であった。そしてツチ族の妻を持っているということで大きな苦しみを味わう事になる。
冒頭でもツチ族とフツ族の女性同士の友人という二人が登場し全ての人々が憎しみあっているわけではないことが判る。

だがここではそういった関係は描かれていなかった(多分)のでこれだけを観た人はフツ族は皆凶暴で無知で冷酷であり、ツチ族は少女とその父親のように優しく理性があり神を信じている人たちと分類されてしまいそうな気がする。他の方たちが極端にそう信じるかは判らないが、私自身はこちらだけを観ていたらどう考えたのか想像がつかない。やはり一つの映画、誰かだけの情報を聞くのは偏ってしまう、ということかもしれない。
実際穏健派のフツ族も大勢が虐殺されているのだから、暴力を嫌いツチ族と親しくしていこうと考えているフツ族もいたはずである。だがそういう人はどうしても過激派に負けてしまう。そして元々はそうでなかった者たちですら集団心理によって異常な衝動を持ってしまうのだ。最初は学校で優しげに働いていた青年が血のついたナタをぶら下げている姿は衝撃である。
それまでは同じ学校にいたはずの青年がある日変貌してしまったのだ。

クリストファー、という名前は先日映画『魔王』で聞いた名前である。子供を肩に乗せ、河を渡ったという聖クリストファーの名前である。
長い間アフリカで神の心を説いてきたクリストファー神父は最後まで子供たちを守ろうとする。その代償は自分自身の命であった。彼のモデルとなった神父が実在したそうである。
一方の青年教師のモデルは特にないらしく彼はいいことを言っていても結局何も出来ない者たち(私自身もそうだが)の姿を表しているのだろう。

走る事が大好きで足の速い少女マリーが最後ナタを振り回し興奮しきったフツ族からクリストファー神父の助けで逃れ走り出す。

彼女は残した父親が必ず殺されてしまうことを知っているのだ。そして憧れていたジョー先生が自分を捨てていったことを思っただろう。どこへ続くのか判らない道をマリーが懸命に走っていく場面は悲しくまた怖ろしかった。

監督:マイケル・ケイトン・ジョーンズ 出演:ジョン・ハート ヒュー・ダンシー クレア=ホープ・アシティ ドミニク・ホルヴィッツ ニコラ・ウォーカー
2005年イギリス/ドイツ
クリストファー神父を演じたのがジョン・ハートだと後で知った。『ミッドナイト・エクスプレス』や『エレファントマン』で有名だが(この辺のタイトルが一番先に出るというのが)名バイプレイヤーといった感がある上、顔に強烈な印象がないので気づかなかったのだ(決して悪く言ってるわけではない)温和な人柄でありながら融通のきかない兵士に激怒し、危険を承知で薬を買いに行ったり子供たちを守る神父を演じていて素晴らしかった。

『ホテル・ルワンダ』の方だったか、「〜族、という表記はやや差別的な意味にとられそうだが、ここでは判りやすいよう用いた」とあって私もそれに倣った。確かに映画の中では「フツ」「ツチ」とだけ発音しているのだけど。
posted by フェイユイ at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月21日

『シェルタリング・スカイ』ベルナルド・ベルトルッチ

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本当ならばまず愛と死について、登場人物の行動と思想についてなど語るべきだろうが、私には映画と言うより自分が旅をしているかのように感じられる作品だった。

まさしく我が『放浪記』にぴったりの映画と言わせてもらいたい。あてどもなく旅を続ける夫婦と一人の青年。
サハラの町の情緒も豊かに流れてくる音楽。彼らの旅の行方は決して甘く優しいものではないのだが、自分もそこへ行きたいと酷く惹かれてしまうのだった。

自分と愛する人を見失い愛し合いながらも何故か互いにすれ違いを感じている10年目の夫婦。殆どの夫婦がこの主人公達に共感できるのではないかと思うのだが。嫌うわけではないが何か心の中にもやもやとしたものがある。怒鳴り殴りあうわけではないがかつてのようなときめきは薄れてしまっているのだ。
そんな二人が彷徨うのはサハラ砂漠。今まで当たり前だった便利な生活から切り離され周囲にあるのは砂嵐、ハエなどの虫の大群、不衛生な環境、不味い料理。
だが目の前に広がる風景のなんと美しいことか。そこは何もない砂。どこまでもうねる砂漠の波。「知恵は砂漠からやってくる」と『デューン砂の惑星』に書かれていたが何もない砂漠の中で人は考えるものらしい。

最後にキットが元の店に戻り着いた時、その時彼女達を見送った老人(声=原作者ポール・ボウルズ)が彼女に「迷っていたね」と声をかける。随分長い迷子だったわけだ。
冒頭には「旅行者(ツーリスト)と放浪者(トラベラーズ)は違う」という台詞がある。旅行者は最初から帰ることを考えているのだと。
彼らは放浪者となり3人で出発したが最後には一人となった。

月の砂漠の場面も美しい。駱駝のキャラバンのシルエットもまた。
若い時観たらあまりよく判らなかったのかもしれない。それに女性には特に心惹かれる映画ではないか。ハンサムな青年まで連れているわけだし。私としてはマルコビッチがとても好きなのでずっと彼と幸せでいたいけど。

幻想的で異国情緒溢れる映像と音楽も合わせて心に残る物語だった。
これは忘れられない作品だ。

監督:ベルナルド・ベルトルッチ 出演:デブラ・ウインガー ジョン・マルコビッチ キャンベル・スコット ジル・ベネット ティモシー・スポール
1990年イギリス
posted by フェイユイ at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月20日

『チュモン』観ないことにした

韓国ドラマ『チュモン』がちょっと気になって観ようかな、と思ったのであった。というのはちょっと怪しい男の友情があると聞いたので見たくなってしまったのだ。

今までさっぱりその気がなかったのにその情報一つで観ようというのもなんだが、早速借りてみた。

全く登場人物を知らずにいたのでホ・ジュノ氏が出ててびっくり。しかもそのちょっと怪しい男の友情はそのホ・ジュノであった。
舞台は紀元前。漢が鋼鉄を有しているのに対し朝鮮の小さな国々には軟鉄しかない。最強の鉄騎兵を持つ漢は何の力もない弱小国を次々と滅ぼしていく。
そんな中、ホ・ジュノ演じるヘソンは流民を救い漢に抵抗して戦う英雄なのだ。そしてヘソンの友人である太子クムワと強い友情で結ばれている。クムワは父王に逆らってでも友であるヘソンを擁護しようとしていた。

というわけでこのヘソンとクムワの友情がよいわけである。
と、それはよかったんだけど、やっぱり観ていくのをやめにした。
最近すっかり韓国ものから離れているのでこれを観ていこうかな、とも思ったのだが。

結構最初から判りやすい展開でもあったのだけど。何か観ていきたい気持ちにもう一つなれなかったのだ。
一つはホ・ジュノがいくらかっこいいからといっても他に観たくなる人がいなさそう。主人公が特に乗れない感じである。
それとこれは韓国ものの決まりみたいなものだけど、武芸の試合が本当の刀で殺したり、漢があまりにも残酷なのでちょっと嫌になってしまったのだ。

まあ、観ていかないならこんなこと書かなくてもいいけど今日はこれを観ていたんでなにも他に書けないしね。

その気になれなくて一話目であきらめることにしてちょっとがっかり。こういうこともあるか。物凄く長いからこのまま観続けるのは無理だろうし。
こういうのって落ち込むものだ。一日損したようで悲しくなってしまう。

ホ・ジュノを観れたから良しとしようかな。

追記:まだ冒頭部分だけとはいえ、あまりにも普通の展開だったからその気になれないようだ。
中国の武侠ものは最初からぶっ飛んでるからなー。
その辺が面白ければ時代考証がどうだとかは気にならない。服装とか凄い鉄の鎧とか。
父親が娘を許してるのはちょっと面白かったけどそれが結局生かされなかったしね。
リアルでありながら当たり前じゃない、と言うのは難しいね。

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2007年09月19日

『ザ・トレンチ(塹壕)』ウィリアム・ボイド

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第1次世界大戦、1916年7月1日、“ソンムの戦い”が始まったその日の早朝、僅か2時間の間に6万の兵士が死傷したという。
この作品はその戦いの始まる直前48時間の塹壕の中の若き兵士たちの行動や思いを描いている。

つまり戦闘場面というのは最後に僅かに出てくるだけで映像の殆どは狭い通路でしかない塹壕の中に限られている。
10代の少年である新兵たちと鬼軍曹(とまではいかないか)とややひ弱な印象の中尉が主な登場人物である。

遠い昔に観たロバート・アルトマンの『ストリーマーズ』を思い出した(遠い昔の事なので記憶違いでなければそれである)
ベトナム戦争を扱った映画だったが物語は兵舎の中のみで若い兵士たちが思いを語っていくという戯曲を映画化したものだった。
酷く惹かれた思い出があるが、本作でも48時間後に死に対面する若者達の青春を見入ってしまった(もしかしたら影響を受けているのかもしれない)
二つの作品の違うのは本作の方が後に製作されているのにも関わらず『ストリーマーズ』の方が同性愛についての悩みなどを語っていて観る者にショックを与える内容だったのだが、本作の方が時代が遡っているためとイギリス映画らしく落ち着いた渋い仕上がりになっている。綺麗な顔の少年たちが多く出てはいるが同性愛的とまではいかないだろうか。ほんのり匂わせていると深読みするものか。
主人公であるポールとエディに兄弟萌えを感じる方もいるかもしれないし、軍曹とポールの関係になにか感じさせるものもある。

登場人物の多くが10代の少年と思しき新兵たちでこれから死ぬかもしれない激しい戦闘を迎えさせるには忍びない。当人達もまだ戦いの何かは判ってはいないように見える。
そんな彼らを統率する役目がウィンター軍曹(ダニエル・クレイグ)である。多分上流階級である坊ちゃま然として神経質そうなハート中尉(ジュリアン・リンド=タット)と巧く折り合いをつけながら子供たちを指導していく。
少年たちの心の中には兵士として勇敢に戦うこと、或いは怯え逃げ出してしまうこと、思い出の中の女性(少女というべきだろうが)賭け事や仲間内の争いごとなどが様々に駆け巡っている。

少年兵達はいわば群像劇として描かれてはいるのだがその中でも兄弟兵士の弟の方、ビリー(ポール・ニコルズ)に焦点が合わせられることが多い。
彼は弟を戦場に連れて来てしまったと少し後悔している兄エディー(タム・ウィリアムス)をとても慕っている。そしてたった一度だけ二言三言言葉を交わしただけの郵便局の少女に恋をしている、そんな純粋な少年である。
そんな少年が命を賭けねばならない戦場の惨さを表現している。

塹壕の中、とはいえ、敵の攻撃を受け死んでしまう者もいる。その運命が襲ってくるのは偶然でしかないのだ。
偶然の中で彼らは若い命をなくしてしまう。砲弾で若い体はばらばらに吹き飛び微塵となってしまうのだ。
なんと戦争とは惨たらしく悲しいものなのか。
言動を軍曹から睨まれているダベントリー(ジェームズ・ダルシー)という少年がいるのだが、このような異常な事態で彼を責めることができるのだろうか。戦争という中では彼は確かに役立たずだろうが。

そして砲弾はいい者も悪者もなく飛んでくるのだ。なんの手立てもなく敵へ向かって進み続けなければならない兵士たちは一体何のために進んでいるのだろう。


若い兵士たちの群像劇だけに様々な若い俳優が出ているのだが上記以外にキリアン・マーフィ、ベン・ウィショーの姿を観れてとてもうれしかった(これに出てるとは知らなかった)キリアンはなかなかカッコいい印象の役であったのでファンなら観ておいて損はないかも。
しかし私は彼は置いといて、ベン・ウィショーに注目。ここでもうじっとしたちょっと根暗変人風で彼らしい。若い分だけさらに冴えない感じの中学生みたいでかなりカッコワルいのだがそこがよい。
実を言うと『パフューム』の変態主人公のベンがいつまでも脳裏を離れず最近もやもやとしていてでも彼の出演作品などそうないし(『レイヤーケーキ』は一応観てるので)ああ早くまた変態なベンが観たい、と思ってたら、まさかこんな所で会えるとは。予想もしてなかっただけに心臓が高鳴ってしまった(こんな役の人見て高鳴ってる人はそういないだろう。いるのか?)

肝腎の目的、鬼軍曹のダニエル・クレイグ。昨日の情けない役と違ってこちらはなかなか見ごたえあり。
妙に少年たちに物知り顔で近づいて同調しない所がよかった。おじさんにはおじさんの悩み苦しみがあるのである。
本質的にはダニエルは鬼軍曹ぽくも感じないけど(どちらかというと『バトルライン』のイメージがぴったり)昨日のがあんまり酷かったのでかなり楽しんで(って言う内容じゃない。すみません)観る事ができた。

監督・脚本:ウィリアム・ボイド 出演:ポール・ニコルズ、ダニエル・クレイグ、ジュリアン・リンド=タッド、ダニー・ダイヤー、ジェームズ・ダルシー、タム・ウィリアムス、アンソニー・ストラッチャン、シアラン・マクメナン、キリアン・マーフィ、ベン・ウィショー 1999年イギリス
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2007年09月18日

『ロード・トゥ・パーディション』サム・メンデス

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アイリッシュマフィアの一員であり、ボスのお気に入りであるマイケル・サリヴァン。その彼が妻子を殺され復讐を誓いながら、まだ12歳の息子と共に叔母の家があるパーディションへと車を走らせるロード・ムービー。

というとなかなか好みの映画のようだが、何故だかあまり気持ちの入らない映画だった。
主演はトム・ハンクス、というだけで少し嫌な予感はするのだが、彼がいけないというわけではなくやはり作り手のせいだと思う。
本作は小池一夫のマンガ『子連れ狼』をモチーフとしているらしく確かに12歳の息子に車を運転させ親父が悪さをやってはそれに飛び乗って走り去るところなど面白いかもしれない。
だがどういうわけだか監督の趣味なのだろうか、全体が重く暗く沈みがちなのだが徹底して暗くもない。
演出もいかにも定番のマフィア的なもので退屈であった。
せっかくコメディが得意のトム・ハンクスが主演なのだからもっとはじけた面白おかしい路線でやって最後泣かせる、というほうがノリがよい上にもっと感動したのではないか。
じゃあなんで観たんだよ、というとそれはダニエル・クレイグが出演していたからでもっとチョイ役かと思いきや結構出番は多かった。
最初は妙にかっこつけて出てくるのにマフィア・ボスのできの悪い息子でトム演じるマイケルが父親の気に入りなのが気に食わない、というかなり情けない役柄である。
話が面白ければダニエルが割りの悪い役でもかまわないが殺されるシーンからして当たり前すぎる。

もともとあまり折り合いのよくなかった父と子が短い旅の間で心を通わせる、という感動の物語のはずなのだが悪い事をしながら旅をする父親に同調していく少年の気持ちがわからない。
大体が“悪い人間”であるマフィアなのだ。“普通の少年”である息子と“マフィアの父”の心が通い合うほどの何かを感じることはできなかった。
『子連れ狼』をモチーフにしなくともお国には『ペーパームーン』という悪党親子のロードムービーがあるではないか。あちらの方が愉快で可愛くてほんのりしんみりできたと思う。
ハードボイルドな父・息子をやりたかったのだろうがそこまでは行けてない。私は『子連れ狼』をそれほど知らないがもっと違うものだったのではないか。この辺香港映画『インファナル・アフェア』の本質を変えてしまったのと(舞台が変わるならそうならざるを得ないからね)似ている。

主演は他にボスのポール・ニューマンと必殺カメラマンのジュード・ロウ。ポール・ニューマンはおじいさんになっても素敵ですがなんとなく『ゴッドファーザー』のデ・ニーロみたいなしゃべり方をしているように聞こえたが気のせいだろうか。
ジュードは役作りで前髪を抜いてしまったらしい。殺した相手を必ず写真に撮るというサイコな殺し屋である。その割にはあっさりマイケルにまかれてしまう。普通もっと怖い存在になってもよさそうなのにこれも中途半端。

というわけで出演陣も豪華で、発想も面白いのに全て中途半端に仕上がってしまった。

監督:サム・メンデス 出演: トム・ハンクス、タイラー・ホークリン、ポール・ニューマン、ジュード・ロウ、ダニエル・クレイグ
2002年アメリカ
ラベル:マフィア 家族
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2007年09月17日

『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ

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歴史の中で繰り返される差別・戦争・虐殺。多くの罪なき人々の血が流れ悲鳴が聞こえる。人々は幸せを求めるものなのに何故争いは繰り返されるのか。

ルワンダはかつてヨーロッパ人の植民地となっておりその時少数派であったツチ族が肌色の薄さと背の高さと鼻の幅の狭さをベルギー人から認められ多数派であったフツ族を支配することになったという。
その後、国は独立したが内戦状態となりフツ族とツチ族は対立していくがフツ族の大統領が暗殺と思われる飛行機事故によりフツ族によるツチ族への大虐殺が起きたのだ。

何かのきっかけで暴動が起き抑制の効かない巨大な力になっていく。その前で一般の市民は何の抵抗もできず死んで行くしかない。

ベルギー人が経営する高級ホテル「ミル・コリン」の支配人であり家族思いのポールを主人公にしてこの怖ろしい大虐殺の物語が描かれていく。
品格のある仕事に誇りを持ち様々な西洋人とも交流のあるポールはいざという時は彼らを利用することを考えていたが、その時になって頼ることができるのは誰もいないと思い知らされてしまう。
とはいえ、それでもポールを助けてくれる幾人かの西洋人がいたのは彼の人柄によるものだろう。彼の誠実さだけが救いだったように思う。
そんなポールでも事態がまだ飲み込めていない当初には我が家に逃げ込んできた隣人達を疎ましく思っている。
ポール自身はフツ族なのだ。だが彼の妻はツチ族であり、隣人にもツチ族が多かった。
フツ族とはいえツチ族に肩入れするものも殺されていく状況の中で家族を守りツチ族である隣人をなんとかして助けようとしていくポール。
優雅だったホテルに逃げ場のないツチ族を受け入れて襲ってくるフツ族かた懸命に守っていく。

これは実話なので実際にポールのその家族の方はおられるわけだが、この物語の主人公に温厚な一市民であり、夫(自分)がフツ族、妻がツチ族である彼を選んだのは的確な選択だったのではないだろうか。
常に冷静であることを自分に課している優秀なホテル支配人ポールが張り詰めた緊張の中、ネクタイを結ぼうと何度も試みるができずシャツを引きちぎって泣き出すシーンがある。ドアの外に駆けつけた従業員にその姿を見せまいと入れさせなかったポールが悲しかった。惨たらしい虐殺行為と周囲の人種の軋轢、仕事を遂行せねばならない圧力に耐えかねて心が張り裂けてしまったのだ。

ポールは家族だけを守れるならそれでいい、というごく普通の人間だったはずだ。それが凄まじい殺戮と可哀想な子供たちを見ているうちにどうしても助けねばならない状況に置かれていってしまう。
ついには家族と離れホテルに残った人々を守ろうとさえしてしまう。
その結果彼は予期しない窮地に立たされてしまうのだ。
そのことで彼は改めて家族を守ろうと決心したのだろう。
このような怖ろしく悲しい体験で救われるのは妻タチアナ二人の姪っ子と再会できたことだ。そのために危険を省みずその子供たちを捜した赤十字の白人女性には畏敬の念を持つ。自分なら怖くて絶対できない。

他にも助けたいという気持ちはあってもどうしようもなく帰国しなければならなかった外国人のうなだれた様子、なんとかポール達を脱出させようとする国連のオリバー大佐の奮闘振りが心に残る。
関わった人々は皆彼らを救いたかったのだ。

大虐殺の様子をテレビ放送すればすぐに助けに来てくれる、と楽観的なポールにカメラマン・ダグリッシュは「テレビを観ている世界の人々は怖いねと言ってディナーを取るだけだ」と答える。確かにその通りなのである。

この大虐殺はほんの十数年前に起きたことなのに自分は全く知らなかった。
テレビを観ても何も思わなかったのに違いない。
恥ずかしい。

監督・脚本・製作を手がけたテリー・ジョージが北アイルランド人だということも驚きだ。
このような複雑で予備知識もない事件をここまで判りやすく人間性豊かに描けるというのは素晴らしいことだ。また虐殺の異常さ、残酷さも非常に怖ろしくしかし目をそらすことなく映し出されていたと思う。
主人公を始めとする登場人物も魅力的でありまた怖ろしくもあり、物語を明確に浮かび上がらせていた。
ポールを演じたドン・チードルはその心の移り変わりと戦う意志を強く感じさせた。
マッチョなイメージのニック・ノルティがここでその特性をうまく表していた。

本作が日本で公開されるために多くの働きかけがあった。こうして自分もDVDではあるが観ることができて本当によかった。

2度目に観ると冒頭の荷物の箱が壊れナタがこぼれ落ちる場面はぞっとする。ここから殺戮が用意されているのだ。

平和であることは生活するために最も重要なことなのに難しい。自分の周囲も含めて世界中の人々が差別なく平和であって欲しいと願う。

監督:テリー・ジョージ 出演:ドン・チードル ソフィー・オコネド ニック・ノルティ ホアキン・フェニックス デズモンド・デュベ
2004年 イギリス/イタリア/南アフリカ

こんな比較もないものだが、本作を観ていて昨日観た塚本晋也監督の『HAZE』に酷く似ていると思った(以下ネタバレあり)


いきなりわけのわからない状況に投げ込まれ進めば進むほど怖ろしい立場になっていく。いきなり殴られ傷つけられる。どうあがいても行く手が見えず、鉄管を噛むような思いをせなばならない。
愛しい人を守りたいと思ってもままならず、迫り来る恐怖から逃げ惑うだけ。
そこを逃げ延びるにはばらばらになった死体を乗り越えていかねばならない。そして死んでしまうような激しい苦痛を跳ね返さねばならない。
たどり着いたそこには爽やかな青い空があった。
まるでこの映画を別の視点で作り変えたかのようにさえ思える。

ポールの結末は青空だったろうか。他のルワンダの人々は。全ての人にあの青空が待っているといいのだけど。
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月16日

『HAZE ヘイズ』塚本晋也

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怖かった。目を背け、身をよじり、すぐ消してしまって忘れてしまいたくなった。
気づくと主人公は薄暗く細長い石の通路に座らされていて身動きができない。と思う間にいきなりそれは動き出し低い天上から突き出た金属で頭を切ってしまう。
腹部にもいつの間にか傷を受けてとが溢れている。

主人公はいつ何故自分がそんな場所にいることになったのか、全く判らないのだ。
男がはっと気づくとさらに狭い空間、押しつぶされそうに石の天井と床が迫っている場所を仰向けに這っていくしかないのだ。

息苦しく体を思うように動かせない恐怖。石の壁と天井と床が重く冷たく今にも自分を押しつぶしてしまいそうだ。
聞こえてくるのは主人公の自分への問いかけと苦しい息遣いだけ。

しかも男の恐怖と苦渋はさらに酷く酷くなっていくばかりなのだ。

自分以外には誰もいないのに自分の精神と肉体を苛め抜かれていく。“敵”の姿もそういうものがいるのかもわからないのにこの追い詰められていく焦燥感はなんだろう。
やっと立てるかどうかという位置で大きく開けた口の間に鉄パイプを咥えて歯を当ててキキキと言わせながら横歩きをしなければいけない状況なんてどうしたら思いつけるのかわからない。
この辺のあり得ない恐怖は監督が夢に見たものでないのかと思うのだが。夢の中ではこのような意味不明で不可解な状況に置かれたりするものだから。ただしここまで異常な体験はしたことはない。

そこに留まることはできないし進めば進むほど地獄が深くなっていく。
だが進むしかない。頭を叩かれさらに細い通路へそしてまた。
そこで見たのは惨たらしく殺されていく人間達の姿。だが何故どうやって殺されているのか全く判らない。

ばらばらになった死体の中に生きていた女性が一人いたのを見つけた時は映画ではないかのようにほっとした。

行き場のない恐怖の中で女性は出口を探すという。主人公は戸惑いながらも彼女を追いかける。
体が押しつぶされるのではないかと思われた後、男は外へ。だがそこにはまた思いがけない悲しみがあった。

女性の映った写真。白髪になった男。二人で見上げる花火。二人は恐怖を抜け出たのだろうか。

別々に悲しい孤独感に襲われていた男と女が出会い、心中しようとしたのだが最後でそこから脱し得たんだろう、と思う。
二人できっと長く暮らしたんだけど女性のほうが先に亡くなってしまったという最後なのだろうか。

苦しく暗い石の通路の後の爽やかに高い青空とはためく洗濯物のシーツの白さが眩しい。

見始めてすぐにこれまで感じたことがないような圧迫感の恐怖に怯えたが最後まで観てよかった。凄い作品である。

主人公の男を塚本晋也監督自身が演じている。そしてもう一人の女性との二人だけの物語と言っていい。
この苦痛は二人のそれまでの苦しみを表しているのだろう。この映画ほど最後の青空の爽快感を感じさせるものは内容に思える。
たった49分とは思えない。

監督:塚本晋也 出演:塚本晋也 藤井かほり 村瀬貴洋 神高貴宏 辻岡正人
2005年日本

タイトルの『HAZE』は「もや」というような意味をもつようだが、最初の“H”には囲いとか仕切りとかいう意味合いがあるらしい。
などといわなくても“H”の形を見てると行き止まりな囲いに見えてくるが。この中で主人公は苦しんでたんだな。
だからこれは英語タイトルに意味があるのかもしれない。

ちょうど「アルファベットの事典」という本を読んでたらそういう記述があった。
ラベル:恐怖
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2007年09月15日

『陸軍中野学校 密命 』井上昭

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昭和15年、上海にいた椎名次郎はいきなり憲兵隊に逮捕されスパイ容疑で日本へ送還されてしまう。

椎名は草薙中佐に無実を問うが返ってきたのは中佐の冷たい言葉だけだった。拷問を受け勾留されたされた椎名は同じ場所に入れられていた元・外相の高倉氏と知り合う。

わけのわからないまま釈放された椎名を待っていたのは見知らぬ若い男。その男が導いたのは椎名をスパイだと言った草薙中佐の元へであった。

いくら中野学校出身で耐え抜く精神と体を持っているとはいえ、本当に拷問かけるのは可哀想である。全てに優れた彼らである。そのくらいの演技力は持っているだろうからフリだけでよかったはずでは。高倉氏目の前で見せたわけでもないからねえ。しかもその後、命を受けて高倉氏の家を訪ねたらあっさり疑われている始末。当時そんな英語が堪能で留置所に入れられたりしてたら怪しいと思われて当然だと思うんだけど。

などと書くと不満があるようだが、なかなか楽しく観ていった。
世界が激しく揺れ動き日本もその中へ巻き込まれていくその前夜である。
山形勲演じた高倉氏がとても魅力的な人格であった。なにせこの時期において日本が中国を侵略することに反感を持っていてイギリスに親近感を持っているような人物なのである。主人公椎名とは無論思想が違うわけだがそこがまた面白いところである。早い段階で殺されてしまうのが残念。
ドイツ大使館は当たり前だがナチスなのであって浅井夫人なる日本女性が広い交友関係を利用して米英の情報を売りにいったりするのだが、これもそんなに重要な内容なのかなと思わなくもない。
その浅井夫人を野際陽子が演じていてすでに“夫人”という役なので驚きである。国際的な交友のある美女という役が合っている。モルヒネをやってたり椎名を誘惑したり自由な女性なのである。

加東大介さんと市川雷蔵はもうすっかりキャラクターが出来上がっていてかっこいい。

国際的スパイアクションものなのだが、なぜか印象的に近所の狭い範囲内でやってる気がしてしまうのがおかしい。
コーヒーショップの親父が連絡係だったり、椎名にすら気づかれないよう足で暗号を送ったり車のワイパーにカメラが取り付けてあったり、色々とスパイらしい工夫がなされているのであった。

「令嬢は私に好意を持っているのでそれを利用します」などという台詞が雷蔵には似合うのである。

監督:井上昭 出演:市川雷蔵 高田美和 野際陽子 加東大介 山形勲 1967年日本
ラベル:スパイ 市川雷蔵
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2007年09月14日

『ツイン・ピークス』シーズン 1 Vol.3 第7章デヴィッド・リンチ

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アンディが男らしく犯人を銃撃。これでガールフレンドとの不仲も解消と思いきやルーシーの妊娠発覚。
ローラはジェームズを馬鹿にしていて乱れた生活に溺れていたと判る。ジェームズはその盗んだテープを保安官に持っていくがガソリンタンクを捜せと言う電話のせいで(ボビーがしたもの)怪しまれてしまう。タンクの中から出てきたのは麻薬の入った袋だった。

「片目のジャック」では新人が初めの相手としてオーナーを迎えることになっている。
オードリーの部屋へ入ってきたのは父親ベンだった。

レオは妻シェリーを捕まえ製材所の小屋に縛り付ける。1時間後に小屋に火がつくように仕掛けて。
そこに帳簿が見つからずやっきになっているキャサリンが電話を受け(かけているのはハンク)「お探しのものは倉庫だ」と聞いてやってきた。
縛られたシェリーを助けるキャサリン(優しいところもあるのか)
だがあっという間に火は広がり、その様子を外で見た夫ピートが消火器を持って走りこんだ。

アンディの手柄で捕まえたカジノのディーラー・ジャックをローラの父・リーランドが殺してしまう。

シェリーを訪ねていったボビー。だがそこにはシェリーの姿はなく斧を持ったレオに襲われる。あわやという寸前窓の外からレオは撃たれ倒れた。驚いたボビーが恐々覗くとそこにはハンクが。
ボビーは急いで外へ出た。

徹夜の捕り物に疲れホテルに帰ったクーパーを待ち受けたのはオードリーからの手紙とアンディからの電話。
だが途中でドアをノックされルームサービスと思ったクーパーはドアを開ける。受話器からは「レオが撃たれました」というアンディの声。
クーパーがドアを開けるとそこには銃口が向けられていた。

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『ツイン・ピークス』シーズン 1 Vol.3 第6章デヴィッド・リンチ

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ホテルのクーパーのベッドに忍び込んでいたオードリーにクーパーは優しく「君に必要なのは悩みを聞いてくれる友達だよ」と言う。さすが特別捜査官は紳士なのであった。オードリーの方は懲りちゃいないけどね。

殺したはずのレオは傷を受けただけでにげだした。シェリーは家にボビーを呼びレオが近くにいる恐怖を訴える。
その様子をレオは望遠鏡で見ていた。

ドナ、ジェームズ、マデリーンはローラが残したテープを聴く。だが殺された夜のテープがない。
精神科医ジャコビーがそのテープを持っていると踏んだジェームズはジャコビー医師を呼び出して部屋を捜索しようと言い出す。

父親のデパートの香水売り場に潜り込んだオードリーは別の売り子ジェニーが「片目のジャック」でも働いているのを知り、巧く言いつくろって電話番号を聞き出した。
(まったくソツのないオードリーである。彼女はどんなとこでも絶対生き延びそうだ。親父に頼らずともあっという間に出世しそうだし)

ダブルRダイナーで真面目に働いているふりをするハンクを見てハリー保安官は「人は変わると思うか。無理だな」とつぶやく。
シェリーが勧めるコーヒーを喜ぶクーパーにハリーは渋い顔をするがクーパーは「ハリー。毎日一つだけ自分にご褒美をあげるんだ。それは計画したものじゃなく偶然のものでなきゃいけない」と言って美味そうにコーヒーを飲むのだった。
クーパーは色んな意味でかっこいい人なのである。

で「片目のジャック」に乗り込むためにタキシードでびしっと決めたクーパーを見てハリーとエドはちょっと目を見張った感じ。二人とはまるでスマートさが違うんである。その上FBIからの出資で1万ドルを取り出し「いつも上乗せして返すんだけどね」とこれまたかっこいい。
ここでハリーはジョシーがキャサリンとベン・ホーンから製材所に火をつけられ殺されると怯えていることを伝える。それを聞く時のクーパーの表情が真剣なのがいいのだ。

クーパーたちが「片目のジャック」に行く前に、事件現場を見たはずの九官鳥ウォルドが殺された。
ウォルドの声を録音していたテープには「痛い。やめてレオ」という声が入っていた。

「片目のジャック」ではオードリーがマダム・ブラッキーの面接を受けていた。
生意気な態度のオードリーにカマをかけたブラッキーは断ろうとするがオードリーは目の前でチェリーの茎を口の中で結んでみせる。
ブラッキーは彼女と契約した。

「片目のジャック」のカジノではクーパーが勝っていた。

ジェームズたちは黒髪のマデリーンに金髪のかつらをつけてローラそっくりにした。
そしてジャコビーに電話をかける。信じさせるために今日の日付の新聞を持ったマデリーンを映したビデオを玄関に届けていた。声も姿もローラそっくりなマデリーンにジャコビーは戸惑う。そのビデオの写した場所が公園だと気づき家を出た。
ジャコビーを騙したと思ったジェームズとドナは彼の家に忍び込む。それを目撃していたボビーがジェームズのバイクのガソリンタンクに何かの袋(麻薬の粉?)を入れた。

一人公園で待つマデリーンにジャコビーが近づいていく。

九官鳥の声が怖い。現場を映しているわけでもないのに巧い演出である。
多分これを見ているアジア系はジョシーにいらいらしないだろうか。妙に粘着質でわけわかんない女である。
人のいいハリーが騙されてるのも心苦しい。判りやすい悪女のキャサリンの方が気持ち悪くはない。やだけど。

エド氏はノーマが好きで妻のネイディーンにうんざりしてるはずなんだけど優しくしてしまうのだ。いい人である。

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2007年09月13日

『ツイン・ピークス』シーズン 1 Vol.3 第5章デヴィッド・リンチ

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クーパーすっかり気に入っていたホテルにアイスランドからの団体客が到着して大騒ぎ。睡眠不足になりご機嫌斜め。

エドと不倫相手のノーマは互いに離婚して幸せになろうと思っているのだがうまくいかない。

オードリー、父親のデパートの香水売り場の売り子になる。

ドナとジェームズはマデリーンを仲間にしてローラの秘密の手がかりを見つけるよう頼み込む。

ローラの苦しみがボビーの口から知れることになる。ボビー一家がジャコビー精神科医を訪ねたのだ。
ローラは善良であろうとしても体の中の怪物が地獄へ引き戻すのだと。
そのためにローラは他人の弱みを探り出し、そこへつけこんでは堕落へと引きずり込んだのだった。
ローラのボーイフレンドだったボビーも犠牲者の一人であり、なんでも欲しがるローラのために麻薬の売人にならざるを得なかったのだ。

クーパーと保安官たちは森の捜索に出る。森の中のコテージに“丸太おばさん”が彼らを2日前から待ち構えていた。
クーパーの「ローラが殺された晩、何を見た?」という問いにおばさんの丸太が答える。
それはローラとロネットが体験したことであった。

さしものクーパー特別捜査官も丸太おばさんには怒られた上クッキーを取ろうとした手を叩かれる。
丸太おばさんの丸太は全てお見通しなのだろうか。
丸太おばさんの結婚式の翌日におばさんの夫は森の中で悪魔に会ったのだと言う。
火は煙に隠れる臆病な悪魔、ということはおばさんのご亭主は焼死したということだろうか。
クーパーたちは丸太おばさんのコテージを離れ別のコテージにたどり着く。
そこではクーパーが夢で会ったローラから聞いた光景、赤いカーテン、音楽が流れ鳥がいる部屋であった。
鳩時計が時を告げ鳩の出入り口からコインが零れ落ちた。それは「片目のジャック」で使われるチップであった。

ベンとジョシーも何らかの関係が。

シェリー、ついにレオの暴力に耐えかねレオを撃つ。

マデリーン、ローラが隠していたテープを発見。ドナに連絡をする。

うるさいアイスランド団体客にうんざりのクーパーは自分の部屋に誰かが入り込んでいるのに気づく。
それは裸で彼のベッドに潜り込んだオードリーだった。彼女は泣きそうになりながら「追い出さないで」とクーパーに頼んだ。

ローラの父親はますます狂気の道を辿っている。
ローラは自分の中に暗黒をみつけそのために他人をも引きずり込もうとしていた。生意気なボビーが被害者だった。
丸太おばさんの家で紅茶を淹れてもらったカップに蝿なのか虫がうろうろしていて気になった。偶然なのだろうがそれすらも何かを語っている気がするような。

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ショーン・ペンとマット・デイモン、実在したゲイの政治家の伝記映画へ出演か?

ショーン・ペンとマット・デイモン、実在したゲイの政治家の伝記映画へ出演か?
ガス・ヴァン・サント監督作品ということで気になります。ショーン・ペンの役以上にマットの役は微妙です。どうなるのか。観てみたい。

もう一つマット情報
驚異の映像はなんと4000カット! マット・デイモンの出世作『ボーン』シリーズの完結編
4000カット!などと言われても想像できません。通常のアクションもので1000カットならば4倍めまぐるしいわけですか??
全編同じ調子ということはないだろうから物凄い早いカットの部分が幾つかあるということでしょうか。
ボーンシリーズがマット・デイモンの出世作とは知りませんでしたが(『グッド・ウィル・ハンティング』が一番の出世作だと思ってた)完結ということもあるし楽しみですねー。
posted by フェイユイ at 20:39| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レオン・ライ:舞台『梅蘭芳』を観劇

レオン・ライ:舞台『梅蘭芳』を観劇

ほっそりとなってすでに女性的な感じがします。楽しみです。

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