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2007年09月07日

『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯 』サム・ペキンパー

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久し振りのサム・ペキンパーである。いつもどおりのバイオレンスと郷愁、男と酒と銃そして従順な女が住む世界を楽しませてもらった(女の私が言うのは変なのか?)

映画の中の郷愁とは別に、私がペキンパーに感じる郷愁というのはまあまさか西部自体に郷愁を感じるわけではなく、その当時ペキンパーを愛した日本人が(主に男だと思うが)かなりいたらしくマンガやドラマでは今思うとペキンパーをベースにした作品が溢れていたようでこの映画を観てもペキンパーであると共に彼に憧れた多くのイメージが思い出されてくる(知らないがルパン3世なんかもそうだと思うんだけど違うだろうか)演出・カット割り、台詞回し、ペキンパーはいかに影響を与えていたのだろうか。自国であるアメリカより日本での人気の方が高かったようにも聞くが不思議なものである。

今いきなり彼の映画を観たら否応なしに惨たらしい暴力がはびこり、女の人権はなく、蝿は飛び、節操はないというだらしなさ、触っただけで怪我をしそうなギザギザとした触感、匂うような男臭さに逃げ出してしまうかもしれない。
映画の中では過ぎ去った日々への憧憬が謳われている。それは作中でビリー・ザ・キッドを侮辱した男に対し、追う立場である保安官パット・ギャレットが「ビリーは根っからの西部の男だ。何も知らないものが余計なことを言うんじゃねえ」と言い返すところからも知れる。
かつては友であったギャレットがビリーを追い詰めた時、彼の心には寂しさが襲う。

日本版タイトルが『ビリー・ザ・キッド21歳の生涯』となっているのでそのとおりビリーの生き様を描いたものと思っていた。そうではあるが原題は『Pat Garett and Billy the Kid』なのであり、むしろギャレットの方が主人公なのではないか。
アメリカの開拓時代が終わりを告げ自らも老いていくことを感じるギャレットは若い友人であるビリーの生き方にある種の憧れを持っているのだ。その彼の命を我が手で終わらせなければいけなかった悲しみが滲み出てくる。彼の青春は終わったのだ。

ギャレットを名優ジェームズ・コバーンが演じ、ビリーをフォーク歌手であるクリス・クリストファーソンが演じている。
そしてビリーの仲間となるナイフ投げの名人にボブ・ディランが扮している。私はディランという物凄い有名歌手をちっとも知らなかったので動く姿を見ていたく感心した。どことなく神経質そうなきれいで華奢な青年である。追われる者たちを人気歌手が演じていることにも意味がありそうだ。

それにしてもギャレット役のコバーンはまったく西部劇の男の見本の如くである。男臭く渋く、コインを投げる動作も細長い足を際立たせる黒い服も決まりすぎるほどに決まっている。
ビリー自身はこの映画ではさほどかっこよくも見えないのであるが彼を追い続けるギャレットの悲哀だけが浮き彫りになっているのだ。

私は女なので実を言うとさほどでもないのだがここは男になって「うーん、男は哀愁だ、くくく」と涙を流して酔いしれてみるのもいいのだろう。

作品中に流れるボブ・ディランの「Kockin’ on Heaven’s Door」がまた悲しみを増幅させる。

監督:サム・ペキンパー 出演:ジェームズ・コバーン クリス・クリストファーソン ボブ・ディラン ジェイソン・ロバーズ ジャック・イーラム リチャード・ジャッケル
1973年アメリカ

追記:ここまで書くといけないのかもしれないけどギャレットのビリーへの気持ちは何か同性愛的なものを感じなくもない。
最初ビリーを逃がしてしまったのはどう観たってギャレットがわざと他の場所に行ってきっかけを作ったとしか思えないし、ビリーを追い詰めるためにビリーのお気に入りの売春婦を呼んで遊ぶところ、ラスト、女を抱いているビリーをしんみり待っているとこなんか奇妙な感情なのである。
他にない特別な友情なのだ、と言ってもそれでよいのだけどね。


ラベル:郷愁 暴力
posted by フェイユイ at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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