映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年10月31日

『ツイン・ピークス』シーズン 2 Vol.2 第12章デヴィッド・リンチ

ホーク.jpgハリー.jpg
ホークとハリー

前回がやや停滞気味だったせいか今回はかなり進展した感じ(違うか?)
「バンバン・バー」という店で裁判が行われる。リーランド・パーマーと今は植物人間状態のレオ・ジョンソン。
アメリカの田舎ではこういう場所で裁判があるものなのか、嘘なのか?
スターウッド判事はリーランドに保釈金を求め、レオは裁判にかかる状態ではないとして帰宅を認めた。
なぜか床の上におが屑みたいなのがいっぱい落ちている。
休憩中に判事が助手兼恋人に作らせた「ブラック・ユーコン・パンチ」ってなんだろう?おいしそうだったけど凄く強いらしい。ハリーは飲み干しちゃったけど。
判事はクーパーに「ここの森には気をつけて」と忠告。異様なものがあるらしい。判事も超能力者なのだ。
アンディがリーランドの似顔絵を描いてハリーに見せるが「正面も描けよ」とすげなく言われる。でも日本の裁判似顔絵って新聞に載ってるのでもこういうの多い。

ネイディーン帰宅するがすっかり女子高校生になってしまった。留守番のジェームズが誰か判らず「同じ高校なの」と言う。そして怪力で冷蔵庫のドアをはずしてしまう。

謎の東洋人(ていうか日本人)タジムラ氏(どういう漢字なのだろう。田路村?)ベン・ホーンに商談を持ちかける。オードリー救出で焦っていたベンはイライラするがミリオンの小切手を見せられたちまち乗り気に。娘が危険でもベンはベンであった。
クーパーはベンから身代金を預かり指定の場所・回転木馬の首なしの馬の横に置くよう命じられる。
それを見送ったベンはハンクに、後をつけ娘と金を取り戻してくるよう言い渡す。
クーパーはハリーだけに顛末を話し二人でオードリーを救いに行く。クーパーはオードリーが彼の部屋に置いて行った手紙をやっと見つけたのだ。彼女は「片目のジャック」にいる。
クーパーとハリーは店に乗り込みオードリーを助ける。が最後で用心棒に見つかってしまう。そこへナイフが飛んできて用心棒を刺した。ナイフの主は保安官のひとりホークであった「とっくにお見通しだよ」うーん、かっこいい。
ところでジャン・ルノーが仕込んでいた飛び出しナイフ。どう見ても相手に届く前に自分の手に刺さりそうなんですけど。普通、甲側にしないか。

ベンに状況を報告していたハンクはジャン・ルノーに捕まる。ハンクの胸ポケットから出てきたのはロドウィック地方検事の証明書。

ドナは自分のことを話すから代わりに日記を見せて、と頼む。
ハロルドは貸し出せないが読んであげるからということでドナの話を書き留めていく。だがドナは少し話したところでローラの日記を取り上げ外へ出た。追いかけてきたハロルドは外に出た途端痙攣して倒れこむ。驚いたドナが日記を取り落とし、ハロルドは必死でそれを抱きしめながらも動けなくなるのだった。
だがどうしてもローラの日記が見たいドナはマデリーンと組んで再びハロルドの部屋を訪れる。
初恋の話をしてハロルドの気を惹く。
ハロルドが蘭を花瓶に入れている間にドナはマデリーンを部屋にいれ本棚の奥のローラの日記を探させる。
マデリーンは日記をみつけるがハロルドがこれに気づき、「最初からこれが目的だったのか。秘密を知る事が。究極の秘密をローラは知っていた」と言い自分の頬にフォーク型スコップを突き立てるのだった。
ここ。ちょっと失敗。ハロルドの頬にフォークが当たっただけで血が出てしまった。全体的に嘘っぽい。ウーム。フォークの先に血が仕込んであったのだな。
待てよ、ハロルドの遊びじゃないよね?
ちょっと痛いかもしれないけど思い切りぐっとあててから(そこそこ痛くない程度に)軽く引くとよかったのかも。
posted by フェイユイ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ツイン・ピークス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ツイン・ピークス』シーズン 2 Vol.2 第11章デヴィッド・リンチ

アンディ.jpgルーシー.jpg
アンディとルーシー

今回はちょっとおとなしめの回であった。
とはいえ、正体不明の旅行作家、M・T・ウェンツがくるというのでグレートノーザンホテルのルイとダブルRは大騒ぎ。
誰もその正体を知らないのだから、これは、と思った客に思い切り愛想をふりまくしかない。
ダブルRでは今のところ猫をかぶったハンクが店を飾り付ける力の入れよう。果たして「これは」と思う客が登場するがノーマが苦心したディナーは頼まず、バーガーだけ。手癖の悪いハンクがその人のポケットを探ると出てきたのは地方検事ダリル・ロドウィックの証明書だった。

蘭オタク君の家へドナは通いローラの日記を1ページ読んでもらう。どうしてもそれが欲しくなったドナは仲たがいしているマデリーンを再び仲間にしてなんとか盗もうと企むのだった。
オタク君、確かにアメリカドラマにはあまり出てこないタイプではある。自分も仲間のようなもんだけどじーっと見つめて何を考えているかわかんない感じだとか、ちまちました動きとか小さな口だとかがぞわぞわとして気持ち悪い(ごめん)でもそう思わせてるのが巧いということなのであるのだよ。

ジャン・ルノーが縛られたオードリーのビデオを父親ベンに見せる。解放の条件は「クーパー捜査官に金を持ってこさせること」
クーパーはハリーに「ブックハウスボーイ」の要請をするのだった。

ハリーはキャサリン殺人にジョシーが絡んでいるのではないかと彼女に伝えるのだが、ジョシーのセクシーさにすっかり我を忘れております。窓から誰かが覗いている。

物凄い雷鳴の中、保安官事務所にスターウッド判事が到着。判事は見ただけでその人がどういう状況にあるかすぐ判るという特技を持つ。その腕前にハリーはクーパーに似ていると思う。
尚且つ判事は初老といっていい年齢にも関わらず若い女性を同伴していた。

グレートノーザンに謎の長髪東洋人現る。受付のルイはノーマに「鷲は舞い降りた」と電話する。

ジョシーの家にも怪しいいとこジョナサン登場。ジョシーはジョナサンにハンクが面倒だと伝える。ジョナサンは真夜中ダブルRを訪れハンクを脅す。

合間合間にルーシー、アンディ、ディックの三角関係が差し込まれる。間抜けだとは思うけどこういうエピソードがドラマには意外と必要なのかもしれない。

posted by フェイユイ at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ツイン・ピークス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月30日

『THE ROOM 閉ざされた森』サイモン・ライリー

ザ・ルーム.jpg
『THE LIVING AND THE DEAD 』

これってあんまり観てる人いないようだ。日本人的には知ってる役者でもないだろうし、美形というのも出て来ないので無理もないかもしれない。

かつては栄華を誇っただろうが今は荒廃し閑散とした広大な屋敷に3人の家族が住んでいる。
家の主人が出張しなければならなくなり精神を病んだ息子と寝たきりの妻を二人きりには出来ず看護師を頼んだ。
だが息子ジェームズはそれが許せなかった。

最初はジェームズが母親の愛を独り占めにしたいのか、とも思えたが、むしろ母の看病をうまくやることで父親に褒められ信じてもらいたいという欲求がそうさせたのだとわかる。
普通の人になりたいと願うジェームズが決められた薬を服用しなかったために精神状態が次第に悪化していく。
重病の母親の看病はジェームズには難しすぎた。うまくやれないことで彼は苛立ち母親を危険な状態に追い詰めていく。

一つの物語の中に時間を越えた物語と想像の中の世界が交錯していくために複雑な構成になっている。
またジェームズの荒廃していく精神状態を観ているのが辛いほどなのだがその捉え方は非常に淡々として冷静という映像なのである。
狂気によって愛し合っているはずの家族が破壊されていくのは怖ろしい光景だ。
ここではジェームズの狂気がはっきりとわかる様子で描かれているのだが報道される殺人事件で狂気によるものというのはこういった抑制の効かない状況の結果なのか、とも思えた。

やがて父親の精神も異常を来たし、ジェームズの狂気の因子が知的な父親の中にあったことがわかる。

仲良く3人家族で映った写真が悲しい。

この作品を観たなら多くの人が嫌悪感を抱いてしまうのではないか。それは本当なら隠しておきたい事実がさらけ出されているからだ。
家族の中に精神の病んだ者がいる、父親はその息子を暴力(あまり酷いものではないにしても)で抑えている。屋敷は荒れ果て、無意味に広すぎる。
そうした物語も美しい人気役者と美的な表現で芸術的に見せることも出来たはずだがこの作品はそういった虚飾を捨ててしまった。

ジェームズの狂気は目を覆いたくなるような惨たらしさがあり、寝たきりの母親も拒みながら老いた体をさらけ出したり、介護が遅れて我慢が出来ずベッドでもらしてしまったり、手術さえもグロテスクに思える。
憐れな家族はついに救われる事はないのだ。
迷路のように入り組み暗く荒れた屋敷が精神を表したようであった。

監督・脚本:サイモン・ラムリー 出演:レオ・ビル ロジャー・ロイド・バック ケイト・フェイ ニール・コンリッチ サラ ボール
2007年イギリス
posted by フェイユイ at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月29日

周杰倫 - 彩虹MV+「無雙」が初お披露目

周杰倫 - 彩虹MV


ジェイ・チョウの新曲「無雙」が初お披露目
自分の発音がうまく聞こえない事を利用してのクイズなんて面白いですね。
この曲も気になります。
無双a.jpg無双b.jpg
posted by フェイユイ at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「SMAP×SMAP」マット・デイモン見た!!

ボーン・アルティメイタム.jpg
ボーン・アルティメイタム

「SMAP×SMAP」マット・デイモン見れましたー!!感涙
凄くステキでしたねー(ぽー)
小柄な仲居クンより少し背が高いくらいですが体のがっちり具合ときたら倍ぐらいありそー(笑)仲居クンが貧相に見えて可哀想なくらいでした。私はがっちり体格が好きなのでもう惚れ惚れ。

私は録画機を持ってないので自分の為にもここで
 
日本についたばかりで引っ張り込まれてご飯食べさせられるのも大変そうな気がしましたが評判どおり人当たりのよさは感心するばかりです。
食事が出来るまでの仲居クンとの会話。一番気に入っている作品は『グッドウィルハンティング』勿論ですね。ベン・アフレックの顔写真もしっかり登場。
そして仲居クンも得意な野球話。この時はまだだけどレッドソックス“世界一”おめでとう!!
無論マットはレッドソックスの名前が出たらにっこり笑顔。でも仲居クンがフェンウェイ・パークに行ったのはいいけど「ヤンキース側に座った」と言った途端今までのマットとは全然違う険悪な表情に。「じゃヤンキースを応援したのか!」仲居クン身の危険を感じてすかさず「ボクは松坂のサインをもらったんだよ」と言ったのはおかしかった。
マット曰く「ボストンっ子は二つのチームを応援している。一つはレッドソックスで、もう一つはヤンキースと戦っているチームだ」
うわー初めて聞いたよ。
仲居クンが岡島と同じ歯医者というのでマットが握手しようと言ったのもぐふふでした。なにしろボストンでは松坂より岡島の方が人気あるそうだものね。

そしていよいよ食事ターイム。
マットの注文は西洋風和食、ということで。しっかりお箸を駆使してました。山葵つけすぎじゃないかとひやひやしましたが平気で食べてましたね。あの味がいけると言うのは結構食べ慣れてますよね。お箸の練習もすごくしたよと言ってましたし。
まずキムタク・ゴローちゃんペアで次に草薙・香取組。しかしこれ、見た時から勝負わかりましたよねー。キムゴロペアは品はいいけど普通だったのにナギトリペアはレッドソックス攻め!マットが選ばないわけないし!!(笑)
しかも褒め言葉もキムゴロペアにはデリシャス一辺倒だったのにナギトリペアには「グレイト」「すっげーおいしー」だもん。それにしてもマット日本語の発音いいですよね。ちょっと聞いただけなのにぱっと言えて。
そしてナギトリペアのクラムチャウダーにボストンと言えばクラムチャウダーだから厳しいよというマット。
レッドソックスの帽子も効果あり。これは作戦勝ちでした。

とにかく何百回もリサーチして徹底的にキャラクターを作り上げると言うマット。
ジェイソン・ボーンでも拳銃を持つ者の立ち方があるということで常に横にいる人に距離を置いて立つそうな。映画を観る時気をつけて見てみよう。

本当に明るくて真面目でユーモアもあって知的で、変にひねくれたりクールぶったりもしないし、素晴らしい人柄です。
少し歪んだ笑い方もちょっとシャイな感じがして好きなんですよねー。
もうますます好きになってしまう〜ドンドン(←机を叩く音)見れてよかったー。ピース!
posted by フェイユイ at 23:21| Comment(4) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月28日

『パリ・ジュテーム』続きの続き

マレ区.jpgマレ区2.jpgマレ区3.jpg

3度目の記事。作品のそれぞれを3回観たわけではないが。もっと観たのもあるし、一度だけのも。
どうしても気になってもう一度観てみる。

冒頭の音楽軽やかで楽しく。パリという雰囲気たっぷり。

1話目。『モンマルトル(18区)』Montmartre 監督・脚本・出演:ブリュノ・ポダリデス/フロランス・ミュレール
パーキングができないモンマルトルにグチをこぼし、何とか駐車できたものの自分はハンサムで才能もあるのに何故彼女がいないのか、とまたグチる。
このハンサム愚痴男が監督自身なのでびっくり。そこへ通りがかった女性が突然血糖値の問題で倒れこむ。驚いたグチ男、急いで救助する。実は救急士の資格も持っているのだ。
通りがかった人々に助けられながら車に女性を寝かせる。年齢はややいってるだろうがいきなり手を握ってきたりしてなかなか色っぽい美女なのである。「うなじが気持ちよかった」「支えた僕の手も」
そして禁煙治療に行く彼女を送っていくのだった。
モンマルトルという街もパリの中でも有名であるし、主人公の二人がそんなに若くないのがパリの恋らしいではないだろうか。

3話目、『マレ地区(4区)』Le Marais 監督・脚本:ガス・ヴァン・サント/出演:ギャスパー・ウリエル、イライアス・マッコネル ←と書いてあって役名はそれぞれガスパールとエリなってるが、映画のタイトルロールでは、Gaspard ULLIEL=Gaspard、Elias McCONNELL=Elieで、つまり二人は本名が役名になってるのだよ。ちなみにエリの方が先だった。
英語読みでイライアスがフランス語だとエリになるわけかな。ギャスパーとガスパールは同じ発音のはずなのにどうして区別してあるのか???(多分ガスパールにするとあの可愛いシロとクロの犬のキャラクターを思い出すから?リサとガスパール。こちらはエリとガスパール)
という前置きもすでに長いがこの二人がどういう関係なのか、本当に妄想は正しいのか、考えてみた(何故そう真剣に考えるかなー^^;)
まずはこのマレ区という地域がパリでもゲイの住む町として有名だということで普通に考えればゲイが集まってくる場所ということでそこで出会う二人も当然ゲイである可能性が高い。
エリ君は英語圏から来た(アメリカとすべきなのかな)若者でまだ恋人も見つけていない。無口で社交的でもないようなので孤独な影がある。そこへ英語がわかるフランス人ガスパール(どっちでもいいや)が登場して「今まで絶対会ってる」だの「ステキだよ」と言っておいてそれがショップに対する賛辞にすり替える。ガラス越しにエリを見るガスパール。ガスパールの肩越しにエリがガスパールをじっと見てるのが判る。「自分の片割れの存在を(信じる)?」というのは『アグリーインチ』を思い起こさせる。
ガスパールはエリにもっとゆっくり話したいことがあるからと言って電話番号を渡すがエリにはフランス語が通じていなかった。
後で店主に電話番号だと知らされやっと意味がわかった、という表情をする。
「電話してみたら」という店主ももしかしたらゲイなのかもしれない。
そして謎だったのはエリが店を飛び出す時上着を放り出したという行為。一体何故彼はわざわざ上着を放っていったのか?
私は英語が聞き取れないので歌詞の意味がわからないがエリが走り出したときかかる歌、「ロンリー・ブルー・ボーイ イズマイネイム」と歌っている。エリは孤独の間着ていたのはブルーの上着だったのだが、友達ができた、と思った時そのブルーの上着を脱ぎ捨てて走り出したのではないだろうか。
もう彼はロンリーではなくなったのだ。
しつこくギャスパーのことだが左手で電話番号をかく仕草がなんともセクシー。くっきり浮かぶ傷の様な笑窪も素敵。(これ、ジェイ・チョウにもあるの。必殺だよね)
私いままでそれほどギャスパー好きと言ってなかったのに(笑)こうも変貌していいのか。
これの主人公はエリ君なのだけどね。それに私は顔的にはエリ君の顔が好きなのだ。なのでこういう場合、私はギャスパーの方に感情移入してエリ君を可愛いなーと観ておるのでありました。

9話目、『エッフェル塔(7区)』Tour Eiffel 監督・脚本:シルヴァン・ショメ/出演:ポール・パトナー
名残惜しくてもう一度観る。他のは観なくてもこれはなぜか妙に怖いもの観たさなのだ。
メガネっ子少年ジャン・クロードが凄く可愛い。でっかいランドセルをしょっている。ご両親の出会いは、と聞かれて物語がはじまる。
「パントマイムバカ」と落書きされてしまう太っちょマイマー。そのパントマイムも高速回転の足取りもなんだかどっかひっかかるアクがあって最初嫌なんだけどそれが快感に変わっていくのだ。もっと観たいと。
でも出会う人たちはそんな彼を忌み嫌っているの。銀髪の女性警察官、綺麗なおばあちゃん双子。そしてキスする恋人達の横でキスのパントマイム。エッフェル塔の写真を撮るふり。妙な動きをしながら恋人達の後を追って左枠に外れていき怒った黒人男性と警察官に追われて右側枠へ退場。
お縄となって留置場へ。同じ檻に入れられた別の男が「変てこりんな二人と一緒はごめんだー」と叫ぶ。みるとマイマーの横にそっくりな波長の女性マイマーがいるではないか。途端に意気投合して不思議なパントマイムを始めた。その異様な光景にますます怯える男「もう二度と酔っ払わないからだしてくれ〜」
追い出されたのはパントマイムの二人。月夜のパリを手に手をとってランデブー。勿論二人の足は高速回転。軽やかな音楽に乗って道路の真ん中を歩いていく。エッフェル塔をバックにしてなんてロマンチックなんでしょう。これが両親の馴れ初めであった。
でっかいランドセルのジャン・クロードも「パントマイムのバカ息子」と友達(?)にどつかれるがめげはしない。見守るパントマイム両親の笑顔を受けて一所懸命走っていくのだった。
特に女マイマーさんの笑顔が好きで(笑)あの手をスーッとかざしてにこーっとなった出会いの笑顔が印象的。その後のダンスは何度でも観たい!やっぱりこれが一番かも?(笑)

『お祭り広場(19区』
監督・脚本:オリヴァー・シュミッツ/出演:セイドゥ・ボロ
傷を負った黒人男性ハッサンが手当てを受けたのは新米の黒人女性救急士ソフィ。その美しい顔を見てハッサンは思い出した。
かつて働いていた駐車場で出会ったことを。その時一緒にコーヒーを飲もうと誘いたかったことを。
移民であるハッサンは次第に職も住処も失ってしまう。些細なことで見ず知らずの男から刺されてしまう。
遠のく意識のなかでハッサンはソフィに歌を歌う。「いい歌ね」と言われた歌を。
ソフィとハッサンが出会った時間はほんの僅かな時間なのだがハッサンにとってはそれが彼の支えであったはずだ。
それを感じたソフィは瀕死の彼の為にコーヒーを注文する。だが彼は連れ去られソフィの手には飲まれることのない二つのコーヒーがカタカタと揺れているのだった。
移民の多い街パリ。ニュースを見ていても彼らが生きていくのは非常に難しいことが判る。新しい大統領も移民に厳しいと聞いた。彼のような事件は珍しいことではないのかもしれない。ソフィの髪とくっきりとした大きな目が美しい。

『ペール・ラシェーズ墓地(20区)』 Père-Lachaise
監督・脚本:ウェス・クレイヴン/出演:ルーファス・シーウェル、エミリー・モーティマー
結婚を控えたイギリス人カップルのケンカと仲直り。
女性は人生にはユーモアが必要だと考えペール・ラシェーズ墓地に眠るオスカー・ワイルドを信奉している。男性はジョークは苦手とあきらめ切っている。
ワイルドの墓にキスをする女性を咎める男性。そんな彼にすっかり失望する女性は結婚はなしよと走り出す。
男は君がいなくても平気だといった途端転んでワイルドの墓にしたたか頭をぶつけてしまう。
そこに現れたのはなんとオスカー・ワイルドの幽霊(これ、アレクサンダー・ペイン監督だそうな!)
「彼女を失えば君は醜く死ぬ」と言われ目が覚めたように彼女を追いかけキスをする。かくして二人は仲直り。めでたし。
よくある恋人同士の仲良しけんかと言う感じでしょうか。微笑ましくて誰でもこんな風にうまくいくと幸せだよね。

今回もまだいい足りないのに時間がもうない(笑)とにかく何回も観れて楽しい映画だということですね。
また見直せば新しい発見が見つかるかも。そんな映画です。

エンディングでいくつかのカップルのその後、というのが映される。『セーヌ左岸』の青年も頑張ってます。『モンマルトル』『フォブール・サン・ドニ』『マドレーヌ界隈』の二人うまくいってるようで。『ヴィクトワール広場』のお母さん少し元気でたのかな。
惜しむらくは『マレ区』のその後がなかったことで(しつこいっ)

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posted by フェイユイ at 22:10| Comment(7) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『クィーン 』スティーヴン・フリアーズ

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映画の冒頭にその作品のテーマをそのまま述べているものがあるがこれもその一つ。“王冠を載せている頭はやすむときも不安である”
そして「一度でいいから自分の意見を示したいの」
女王が一度も自分の意見を示したことがないなどと不思議なことではあるがこの映画でその言葉がどう意味なのかが表されることになる。

多くの視線はどうしても“ダイアナ”と王室の関係の方にいきがちであろうがこの映画は『クイーン』なので無論エリザベス2世に焦点があてられているのである。
映画になってさえも人々の関心は“ダイアナ”のほうにあるということも皮肉なものである。そういえばパッケージにすらダイアナの顔が大きく写っているのだ。
物語としてはダイアナは実体として登場するわけではない。彼女の死後つまり見えてはいないが彼女の亡霊のような力が女王を苦しめていく。まったく英国の物語らしい雰囲気を湛えているではないか。

そして女王の威厳は彼女が一人川べりで出会う偉大な角を持つ鹿に表される。堂々としたその鹿は女王自身の姿でもあろう。女王はその鹿が鹿狩りから逃げ延びる事を望むが果たして女王が見たのは首を落とされた姿だった。
新米の首相ブレアそして国民から追い立てられた女王は鹿の最期に言いようのない感慨を持ったであろうが一生を神と国民に捧げると誓った女王は逃げることはできないのだ。
そして女王の誇りを持って自分の信念である感情を露にせず。女王としての任務を遂行していく。

エリザベス2世を演じたヘレン・ミレンは素晴らしかった。夫・エディンバラ公との会話が興味深い。
この映画の面白さが普段見る事ができない王室の内部を覗くことであることは確かだろう。
エディンバラ公が妻エリザベスを「キャベツちゃん」と呼んだり、しつこいブレア首相の電話のせいで「紅茶が冷めてしまった」と怒ったり、ダイアナを「とんでもない女」だと罵ったりしてる様子は見てよいのかとはらはらしたりもする。そして当たり前かもしれないが妻の女王としての尊厳を非常に大事にしているのはとても優しく感じたのだった。
そして存在を知ってもいなかったエリザベス女王の母親。こちらも娘の女王としての威厳を思いやり女王も母親として信頼を寄せ仲がよいのだなとごく当たり前のことに感心したりもした。
一方長男のチャールズは影が薄い、というかこの映画の問題点“ダイアナ”の夫の割には活躍の場がない。ブレア首相に味方になって欲しいそぶりをして気持ち悪がられているのが哀れでもある。

まあ、この辺、一体どこまでが真実で虚構なのか、知る術もない。
ダイアナというアイドル的プリンセスがチャールズと息子を除く王室家族には手厳しい評価でしか表現されていない。外側の人間が魔法にかかってしまっていたのか。女王たちの偏見なのか、それも知る由もない。ただ本編ではダイアナの表向きの顔だけを見せて、本質行動の暴露には触れていないのが却って本当っぽく思えてくるのではある。

物語としては特別大きな事件(ダイアナ死亡という報道を別にすれば)を起こしわけでもなく変革があるわけでもない。
エリザベス女王の心の中だけで国民の自分への不信という悲しみ、そして王室にあるべき秩序を守りたかった女王が意志を曲げねばならなかった屈辱とそれでも女王として歩まねばならない使命が取り乱すことなく語られていく。
夫の前ですら見せなかった涙を一人きりになった時だけ少しだけ流して拭い取る女王という存在を映し出す。
あれほど嫌っていたブレア首相とも「散歩が好きならうまくやれるわ」と明るく歩き出すエリザベス女王のしたたかさを見た。

ブレア首相の家の慎ましさ。奥さんの機嫌をとるために皿洗いも自ら引き受けて。イギリス首相はこれが普通なのでしょうか。ちょっとびっくり。

監督:スティーヴン・フリアーズ 出演:ヘレン・ミレン 、マイケル・シーン 、ジェームズ・クロムウェル 、シルヴィア・シムズ 、アレックス・ジェニングス 、ヘレン・マックロリー
2006年イギリス/フランス/イタリア




posted by フェイユイ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月26日

『パリ・ジュテーム』続き

パリジュテ.jpgパリ・ジュテ2.jpg
私が大好きな二組です。ジュテーム
左側の画像物凄くクリックされそう(笑)どうぞ大きくして見て下さい!生唾ものですぞ〜

さて昨日の続きです。再観するのも記事を書くのもこんなにわくわくすることも少ないのですが。

パリの街20区を舞台に18の物語が繰り広げられるのだが時間も朝・昼・夜と様々な顔を持つ。

5話目。『16区から遠く離れて(16区)』監督・脚本:ウォルター・サレス、ダニエラ・トマス/出演:カタリーナ・サンディノ・モレノ
最も笑いの少ない重い映画だった。『そして、ひと粒のひかり』で有名なカタリーナ・サンディノ・モレノ が殆ど一人だけの出演である。
裕福な家庭のベビーシッターを仕事にする移民者の女性アナ。彼女にはまだ乳飲み子である赤ん坊がいるのだが朝早く起き赤ん坊を施設に預けて自分は裕福な家の赤ん坊の世話をするのだ。
出て行こうとすると泣き出す赤ん坊をあやすアナ。電車を乗り継いで到着する高級住宅地。そこに住む母親である女性はアナにベビーを預け外出していく。「一時間遅くなるわ」置いてきた赤ん坊と一時間余計に離れていなくてはならないがアナには断る術はない。
母親が出て行って泣き出すベビー。アナがベビーをあやす声は我が子をあやす時と同じ歌である。
ウォルター・サレスらしい男女の愛ではなく犠牲が題材になっている。アナのあやす声が心に残って切ない。

6話目。『ショワジー門(13区)』監督・共同脚本:クリストファー・ドイル/出演:バーベット・シュローダー
これはもう大好きなドイルだから取り上げてみたのだが、正直どういう意味なのか全然判らない(笑)
マダム・リーの並外れたプロポーションに見惚れた。ミスター・アイニーが場所を聞いた若者がケイシー・アフレックに見えた。まさかこんな所に。フランス語しゃべってるし^^;
このショワジー門辺りがチャイナタウンになっているらしい。アーそういえばパリにいたチャイナガール、つんつんしてたっけ。

8話目。『ヴィクトワール広場(2区)』監督・脚本:諏訪敦彦/出演:ジュリエット・ビノシュ、ウィレム・デフォー
最も涙が溢れる話だった。小さな子供を亡くしてしまった母親はいつまでも息子の声が聞こえてくるようで忘れる事ができない。
息子はカウボーイが大好きで会いたがっていた。
その夜も息子が出かける声が聞こえ母親は後を追いかける。誰もいない真夜中の通りに子供たちの遊ぶ声が響く。そこにいるはずもない馬に乗ったカウボーイが現れる。「子供に会いたいか」
母親の前に失ってしまったはずの可愛い息子が。狂ったように抱きしめる母親に息子は「カウボーイについていきたい」と離れようとする。腕をすり抜ける息子を母親は引き止めることはできなかった。
雨に濡れた石畳が子供を失って嘆く母親の心のようで冷たく乾く事がないのだ。
心配して駆けつけた夫に抱かれてその傷ついた心が癒されて欲しい。
嘆きの母親をジュリエット・ビノシュが演じていて悲しみが伝わってくる。

9話目。『エッフェル塔(7区)』監督・脚本:シルヴァン・ショメ/出演:ポール・パトナー/ヨランド・モロー
昨日このオムニバスの表一位は『14区』隠れ一位は『マレ地区(4区)』と発表したのだが表一位をどちらにしようかと迷ったのがこの『エッフェル塔』なのである。
最初、太っちょのマイマー(なにせパントマイムは痩せた人ってイメージがあるし、マルセル・マルソーみたいなね)がなんだか疎ましくも思えるし、パントマイムには全部音がついてるし(にせものだー)足が漫画的に高速回転して走っていくしなどと訝しく思ってたが観てる内に(ったって5分ほどだが)すっかりおかしくなってきた。なにしろエッフェル塔だし太っちょマイマーの格好もベレエでいかにもフランス的だ。ギャグもなんだかとぼけてフランスらしい。昔みたジャック・タチの雰囲気なのである。
特に牢屋でそっくりのパントマイムガール(?)に出会ってもう爆笑。不気味なダンスがくせになりそー。しかし同室に入れられた男がこんないかれた奴らとぶちこむなー、っていうのは同情する。確かに怖い。
太っちょさんがにっこり笑ってカメラがズーンと引いて行くのがおかしいし太っちょの体でのマイムがいちいちおかしいしなんだかしつこい感じがいつまでも観たくなってしまう。
何と言ってもパントマイム夫婦の可愛い息子が苛められながらも両親を愛しているのが伝わってきて嬉しくなる。
彼の大きなランドセルがまたおかしいけど。最後の猫も可愛かった。
監督のシルヴァン・ショメはアニメーション作家でこれが初めての実写作品というのも驚きやら頷けるやら。
最もフランス的な明るく楽しい作品なのではないだろうか。最もジュテームって感じだった。男女の愛と家族の愛がこの上なくハッピーに描かれている。

10話目。『モンゾー公園(17区)』監督・脚本:アルフォンソ・キュアロン/出演:ニック・ノルティ、リュディヴィーヌ・サニエ
ニック・ノルティ演じる中年男と若い娘が逢引をしているが女にはギャスパールという男がいるらしい・・・と見せかけて実は、というお話。
夕暮の街を歩きながら話しているだけの物語だが、どうなるか、と気になって観てしまう。ニック・ノルティが怪しいフランス語をたしなめられるのも面白い。

16話目。『フォブール・サン・ドニ(10区)』監督・脚本:トム・ティクヴァ/出演:メルキオール・ベスロン、ナタリー・ポートマン
ティクヴァ監督らしいスピーディで凝りに凝った構成演出。目の見えない成年が主人公というのもティクヴァらしい。『ラン・ローラ・ラン』は走りまわる強い足。『パフューム』は並外れた嗅覚というように体に関する興味が強い人なのだろう。そして叫ぶ女が好きだ。
危険地区とされるサン・ドニで女性の悲鳴を聞いた盲目の青年は助けようと声をかける。それが出会いであった。
女性は女優志望、青年は様々な外国語を勉強する。だがある日受けた彼女からの電話は悲しいものだった。
よくぞ5分間にここまでの映像がはいるものだ。映画に対する情熱若々しいパワーを感じる。それでいてロマンチックなのである。これを観てテイクヴァやっぱり早くもっと観よう!と思ったのだった。
残酷さもテイクヴァらしく効いている。ナタリー・ポートマン可愛い。

そして昨日書いた3本が私のお気に入り(笑)半分ですな。
といっても他の作品もそれぞれ面白く鑑賞できたという優れたオムニバスであった。音楽も素晴らしいものであった。

好きなのでもう一度書いていくと表第一位の『14区(14区)』アレクサンダー・ペイン監督・脚本。平凡なアメリカ中年女性がパリに来て感じた悲しみと喜びを描いている。
一人でレストランで食事をし、美しい景色を観ることに寂しさを感じている。
何かを思い出したような気持ちが彼女におこる。それを知らないのに待っていた、と。その言い表しがたい感情を私もこれを観ることで少しだけ共感できた気がする。そしてそんな感情がいつか私自身湧き上がることがあるのかもしれない。喜びと共に悲しみが訪れでも自分は生きているのだと感じた彼女のように。

それにしてもボーヴォワールをアメリカ人はボリバルと呼ぶのだろうか、ちょっとおかしい。

2話目の『セーヌ河岸(5区)』グリンダ・チャーダ監督作品はイスラム女性の気持ちが描かれていて新鮮だった。イスラム圏の物語はもっと紹介されてもいいのではないだろうか。

そして隠れ一位とした3話目『マレ地区(4区)』ガス・ヴァン・サント監督。
何度でも観たいし、この短さでは満足できん、というかこんな出だしだけ見せられて我慢できるかー、という涙目なのである。いや、作品としては充分これで素晴らしいものだと思います。思いますが、彼らの続きが知りたいではないかーしくしく。
ギャスパーのぐしゃぐしゃした髪が魅惑的。坊主くんも可愛い。なんであんな一所懸命走って行ったの?電話したの??
「運命を信じる?自分の片割れの存在を?」ってすごいナンパだなあ。
サント監督が撮っているとギャスパーより以上に凄い美青年になってしまう。
この話だけのためにDVD買う価値はある。

ということで大変に楽しんだこの一枚だった。
他の作品も観る時期なんかでまた印象も変わるかもしれない。変に高尚ぶらずに面白い作品が多かったのも嬉しい『パリ・ジュテーム』であった。

パリジュテ3.jpgパリジュテ4.jpgパリジュテ5.jpgパリジュテ6.jpg

監督:ガス・ヴァン・サント ブリュノ・ポダリデス グリンダ・チヤーダ ジョエル・コーエン イーサン・コーエン ウォルター・サレス ダニエラ・トマス クリストファー・ドイル イザベル・コイシェ 諏訪敦彦 シルヴァン・ショメ アルフォンソ・キュアロン オリヴァー・シュミッツ リチャード・ラグラヴェネーズ ヴィンチェンゾ・ナタリ ウェス・クレイブン トム・ティクヴァ フレデリック・オービュルタン ジェラール・ドパルデュー アレクサンダー・ペイン
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『パリ・ジュテーム』

パリ・ジュテーム.jpg

パリの一区画ごとに各国18人の映画監督がおよそ5分間の愛の物語を映像化する。

ほぼ5分間の物語ということだが、ほんの冒頭部分のような作品もあれば起承転結でまとめられているものもある。
どれも高い水準の出来栄えで秋の夜長にゆっくりと楽しみたくなるようないいものが多かった。

大好きな監督も幾人か参加していて期待の高まるオムニバス映画だ。5分というのはあっという間と言っていいほどなので観る方は楽だが、作る側は大変な労力だろう。
しかも舞台はパリ。皆が何かしら期待してしまう筈である。

自分の好きな作品というのが幾つもあるのだが、1度目観て一番よかったのはラストの作品。アレクサンダー・ペイン監督・脚本/出演:マーゴ・マーティンデイル 『14区』であった。
アメリカの田舎町から来たちょっと太目のおばさまの一人旅。セクシーな出来事は期待しない。
ごく普通の中年女性が郵便配達でお金を貯め、フランス語も勉強して訪れたパリ。
愛に出会える街と呼ばれるパリで彼女は一人きり。予定の最後の日まで時差ぼけも感じている。
憧れの街パリで喜びを分かち合える人がいない。景色を見ても「綺麗ね」と話し合える相手がいないことに寂しさを覚える。
だけど彼女は同時に生きている喜びも感じるのだ。遠い異国の地でベンチに座って彼女が感じた寂しさと喜び。
その感情はきっと言葉には表しにくいものなのだろう。彼女が今まで忘れかけていた“感動”というものが突然こみ上げてきたのだ。
何かを思い出したような気持ち、それを知らないのにずっと待っていたような、と彼女は感じている。
それはごく若い時には感じなものなのではないだろうか。物語の主人公にはなることもないような平凡でちょっと太目の中年ヒロインがパリを愛し、またパリに愛されていると感じるこのラストはこのオムニバス映画の最後にふさわしい「愛」であった。

2話目、監督・共同脚本:グリンダ・チャーダ/出演:シリル・デクール 『セーヌ河岸(5区)』
2人の友達が通りかかる女性たちをナンパしてる横で一人の青年はアラブの女の子の美しさに目を奪われる。
「何故無理に髪を隠すの?」と問うと「強制されていると考えているのね、自分がそうしたいからなのよ。自信が持てて綺麗に見えるの」と答える。
あまり聞くことのないアラブの女性の声を聞いたようではっとした。私自身イスラムの女性は強制されて布を被っているのだと思い込んでいたからだ。
アラブ・イスラムの文化(特に女性)についてこのような形で声を聞きたいととても思っているが機会はあまりない。映画というのは文化・習慣を伝えるのに(すべてが真実とは言えないまでも)とても有効な手段である。難しいテーマだけでなくそういったものが伝わってくるような映画が多く現れないかと願っている。

3話目、監督・脚本:ガス・ヴァン・サント/出演:ギャスパー・ウリエル、イライアス・マッコネル 『マレ地区(4区)』
ごめんなさい。本当に気になるのはこの作品です(何故嘘をつく?だって恥ずかしかったんだもん(懺悔))
小さな印刷工房。イギリスから原画を持って色合いの打ち合わせに来た女性の通訳をする青年にギャスパー・ウリエル。
工房の下働きをする青年に声をかける。「前にあったことない?前世であったとか」
そして強引に電話番号を渡すのだ。
実は青年は言葉がよく判らなかったのだが、素早く表へ飛び出し走り出す。
ギャスパー、一体何をゆっくり話したいのか。求めているのはそれだけなのか。監督がガス・ヴァン・サントだからそういうことなのか?と考えるとざわざわしてくるではないですか。
ナンパされたエリ君も嫌なら、うひゃあなんだー気色悪う、となるはずだが、急いで走り出したところをみるとそういう気持ちなのですか?私がいやらしく考えすぎてるのですか?
ギャスパー、髪が長かったんで最初気付かなかったけどホントにかっこいい。髪長いと普通の人みたいだけど。でも素敵だし。短髪君も好みなのでもっとずっと観ていたかった。
これ凄い欲求不満です。もっと長いの作ってよー。どうなるんだよー。気になるよお。
(完全に壊れた感想になってしまった)

ここで残念ながら時間切れ。また明日書きます。

監督:ガス・ヴァン・サント ブリュノ・ポダリデス グリンダ・チヤーダ ジョエル・コーエン イーサン・コーエン ウォルター・サレス ダニエラ・トマス クリストファー・ドイル イザベル・コイシェ 諏訪敦彦 シルヴァン・ショメ アルフォンソ・キュアロン オリヴァー・シュミッツ リチャード・ラグラヴェネーズ ヴィンチェンゾ・ナタリ ウェス・クレイブン トム・ティクヴァ フレデリック・オービュルタン ジェラール・ドパルデュー アレクサンダー・ペイン

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2007年10月25日

チャウ・シンチーとジェイ・チョウ、春節映画に登場

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シンチーです^^;

チャウ・シンチーとジェイ・チョウ、春節映画に登場

ジェイの映画は勿論気になりますが、女性ながらにチャウ・シンチーの幼少時代にそっくりだというシュー・ジャオ(徐嬌)気になりますねー。

また五輪関係では
五輪ジェイ.jpg
ジェイ・チョウ、北京五輪をテーマに曲作り
いい歌詞があれば送ってください!とのことです。
posted by フェイユイ at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月24日

『Hit2000張國榮Leslie』『FOREVER』レスリー・チャンMVを久し振りに観てみた

Lesie 22.jpg

レスリー映画を観てたら久々に歌も聞きたくなってというかMV観たくなって本当にひっさしぶりに鑑賞。しかし久し振りすぎてどれに何が入ってるやらもう判らないため手当たり次第に。

まず手にしたのが『Hit2000張國榮Leslie』(おお、さすがに「くに」と「えい」変換したらすぐこれが出たぞ)
やっぱ歌手のレスリーも素敵だワーと眺め懐かしい歌声に耳を傾ける。
特にお気に入りはDisc1では「03.Everybody」綺麗なお姉さまがたに囲まれたレスリーの色男ぶり。レスリーの顔はいいところが色々あるのですが眉の間が広いところが大らかな感じで好きなのだ。
とろけてしまいそうな二枚目である。
そして「06.取暖」レスリー温泉に入ってます。舞台は日本のようです。お布団に入ってまどろむ、というか一人である寂しさに悶えているレスリー。お風呂に入っても寂しそう。畳に正座してお花活けを見ながらうつむくレスリー。気になります。しっかし布団や温泉で悶々としてる様子がこれほど似合う方もいますまい。
つんととんがった上唇とくぼみが魅惑的。
「10.紅」上の二つは普通話だがこれは広東語独特の響きが何ともいえない。映画『色情男女』からのMVで色っぽい。

Disc2「02.怨男」隠微なムードがたまりません。
「06.追」映画『金枝玉葉』から。この歌も忘れられない一曲。

『FOREVER』より。このCD+VCDは全体に質が高いものであった。
名作。レスリーが監督したMV「夢到内河」日本人バレエダンサーの優美な踊りを見守るレスリーという同性愛的な雰囲気を出した演出。バレエダンサー西島氏のバレエも素晴らしい。やや上向き加減のレスリーの表情が凄くすてきである。
こういう映画を是非撮ってもらいたかった。
「大熱」レスリー作曲。私はこの歌とこのMVが一番好きで好きで好きで何回も観た。
歌も情熱的でカッコいいしMVの不思議な事と言ったら。
珍しい長髪のレスリーが色んなかっこうをして立って歌うのを撮ってるだけ。
まずどピンクの色彩をバックにシュールな服を着た若い男女が両側に立つ。アダムとイブと言うイメージのよう。
真ん中にレスリーがこれもピンクのシャツ着て長い髪をアップに結っているがさっとほどき強い視線を送る。風が吹いて長い髪が舞う。
恍惚とした表情。凄く綺麗なのだ。
レスリー赤い服ぶかめのズボンに着替え我が身を抱きしめて歌いだす。髪は風に吹きまくられている。
君への愛は炎のように燃え上がり別れる運命なら隕石がぶつかりこの世は木っ端微塵。世界戦争なんかどうでもいい、という燃え上がるまさに大熱な歌。
男女横顔が近づいた後、レスリー上半身は黒い網のシャツ。下半身は物凄くきわどい見えてしまいそうなパレオで激しく歌い続ける。
白いシャツ派手な模様の黒いズボンになり、それまでの服装が繰り返されるが三つ編みになるカットも入ってくる。高らかに笑う女。遠慮がちな男。
もう美しいと言うか隠微と言うかぞわぞわしてくるこの感覚はなんだろう。何回見直してもまた見たくなってしまう。不思議な映像なのである。この音楽、歌と共にレスリーの作品のなかでは絶対はずせない一作なのだ。
こちら→張國榮 - 大熱

そして同じくレスリー作曲の「我」
これも歌・MVともに素晴らしい一曲です。レスリーのハスキーな声が伸びやかに歌われていて広東語なまりのはいった普通話の歌ですね。
自分らしくありたいと言うレスリーの気持ちと映像による広大な世界の中の孤独感が感じられるのだ。

以上、膨大なレスリー作品の中のごく一部だが自分が好きなものを書いてみた。
彼が早く亡くなってしまったのは本当に残念で悲しい。
特にこれから映画を作ろうとしている時だったし。それが死の原因なのかどうかわからないのだけれども。
こうやって生き生きとしたレスリーの姿を見ているとなんという才能と美しさを持った人だったのか、とつくづく思う。
こうやって何度も映像を見返すことはできるのだけれども・・・やはり生きていて欲しかった。
彼に出会うことで私の人生は全く違う方向に向かったのだと思っている。

『Hit2000張國榮Leslie』と『FOREVER』は宝物。でもVCDなのです。同じような内容のDVDはないものでしょうか?

追記:ここで書いた『FOREVER』は最近発売された「永遠的張國栄LeslieCheungFOREVER」とは違うものです。以前買ったCD+VCDなのです。
「永遠的張國栄LeslieCheungFOREVER」.jpg
これが最近の「永遠的張國栄LeslieCheungFOREVER」ですね。素敵だー。
posted by フェイユイ at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 香港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今朝のマット・デイモンと11月のWOWOW

今朝TVでマット・デイモン見れた。デーブ・スペクターインタビュー。レッドソックスのユニフォームを着てマットの機嫌をとる。マット喜んでました。
パパラッチの問題はマットの場合まったく関係ないとかで、自宅にパパラッチが張っていた時もPTAくらいにしか出て行かないのでパパラッチも刺激がなくてもう来なくなったとか。マットらしい解決策でした。親友ベンは物凄く大変らしいですけど。
素顔のマット若々しくて素敵でしたねー。

ところで11月のwowowはスッゴク観たい映画が多い。すでに観たやつ未見の奴いろいろあります。うちも加入はしてますがなかなかテレビで見通すことができないので結局見ないんですよねー。勿体無い。ビデオないし(笑)DVDレコーダー買いたいですっ。
とにかくケン・ローチ作品がどどんとあるし。『シリアナ』『すべての美しい馬』などマット作品。
『ミュンヘン』『レイヤーケーキ』などダニエル作品。
『イノセントラブ』『キンキー・ブーツ』『BBM』『ローズ・イン・タイドランド』『プルートで朝食を』『弓』『ユナイテッド93』『Mr.レディMr.マダム』『母たちの村』『ハードキャンディ』『ドラッグストア・カウボーイ』『トレインスポッティング』キング罪の王』『グエムル』『ウィンターソング』『アラビアのロレンス』などなどなど。他にもあるし、きりがない。

勿体無いけどDVD借りるしか今は観ることができない私でした。
観れる方どうぞ楽しんでください〜。
posted by フェイユイ at 12:49| Comment(9) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月23日

『倩女幽魂 チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』チン・シウトン

チャイニーズゴーストストーリー.jpg

昨日はちょっとしんみりしてしまったので今夜は楽しいレスリーのでもやっぱり幽霊もの。

『聊斎志異』を原作にしてSFXを駆使したゴシックホラーアクションムービー。
といっても丁々発止で戦うのは倩女幽魂スー・シンと悪霊を退治するイン道士で主人公ツァイサンであるレスリーは可愛くおたおたもたもたしてるだけなのだ。
倩女幽魂スー・シンは荒れ寺に住みつき、ロウロウという悪霊女の手先となってその美貌で男を誑かしロウロウが男の精気を吸い取る手伝いをしていた。
集金に走り回る旅人ツァイサンは金も食べ物もなく雨に降られ仕方なく人も寄り付かないその荒れ寺に泊まることになる。
スー・シンの男を引き寄せる色香が幽霊ということもあってなんとも凄みのある美しさである。男に言い寄る様は嬉々としているようでいて殺される様子に涙をこぼすその両面が意味深な悪霊と思わせる。
レスリーの集金人の格好がこれは向こうでは普通のいでたちなのであろうか。屋根付きのしょい籠を背負って裾の長い着物と可愛い帽子。手持ちのまんじゅうだか食べ物はこちんこちんで歯が立たない。雨が降っても破れ傘、靴には穴が開き借金を書いた帳簿は雨で墨が流れ落ちているといった情けなさ。
でも人殺しに食べ物を恵んでもらっても吐き出してしまう潔さは持っているのだ。

悪人とそれを追いかける賞金稼ぎ、賄賂を求めてばかりいる裁判官という荒れ果てた時代。
道士インは世の中に嫌気がさして隠居してしまったのだった。幽霊の前では人であり、人の前では幽霊になるというイン。
一人修行をしながら「道!道!道!」と歌い踊るのが面白い。ちょっと口は悪いが心は優しく勇敢で腕の立つ道士なのだ。

ここでのレスリーはおっちょこちょいで臆病ででも正義の心と健気さを持つ貧弱な若者ではあるがとにかく可愛い。ひたすら可愛いのである。
倩女幽魂スー・シンもそんなツァイサンの可愛さに悪霊から人間に戻りたいと願ったのではなかろうか。
そしてやっぱりレスリーのラブシーンはすっごく色っぽいのであった。
頼りないツァイサンを水の入った桶に沈めたスー・シン。苦しくなって顔を出すツァイサンを沈めるためにキスをしながら息を吹き込むなんていう場面のレスリーの横顔のセクシーな愛らしさといったら。
この色っぽさって他の誰が持っているだろうか、いや持ってはいない(反語)
とにかくツァイサンは幽霊のスー・シンを抱っこすることも出来ないくらい力がないし(「お、重い」と言って落としたのでスー・シン思い切り嫌な顔になる。普通抱っこするでしょー)道士がいないと襲われるからと言って護衛を頼んだり全く弱々しいのだがここぞと言う見せ場では勇気をだして刀を刺したり、朝日を浴びてスー・シンが骨壷に戻れなくなるのを防ぐ為必死で窓を塞いだり一所懸命さが胸を打つ。

それにしても物凄いスピードで進む映画である。画面がどんどん切り変わるし判らん奴は置いていくぞっつー勢いで説明なしで突き進んでいく。
アクションもグロテスクも目を離したらあっという間に終わっているほど早い早い。
そしてラスト、香港映画独特の山場がすんだら「スー・シン、転生してるかな」でツァイサンと道士が虹の彼方へ向かって馬でぱっぱか。あっという間に終わってしまうのだった。うーん、この後味を残さない終わり方って他にないよね。爽やかですらある。

確か当時はレスリーというよりスー・シン役のジョイ・ウォンが話題だったのではなかろうか。
男を誑かして精気を吸い取る幽霊というのは中国ホラーでは定番だがやっぱり色っぽくていいものである。
そしてその幽霊から惚れられてしまうレスリーの愛らしさ。私的には幽霊美女よりずっとおたおたと可愛いのである。
たしかに幽霊も心を動かさずにはおられまい。
ちょっと馬鹿っぽい表情になっていてかまってやりたい気持ちになるのだね。相変わらず上唇がとがっているのがチャームポイントであるし。

色々な顔をもつレスリーだったがこの頼りない愛らしさもまた追随を許さぬものであった。
シリアスに美しいレスリーととぼけたキュートなレスリー、どちらも捨てがたい魅力なのだ。

監督:程小東 チン・シウトン 製作総指揮:徐克 ツイ・ハーク
 出演:張國榮 レスリー・チャン、王祖賢 ジョイ・ウォン 、午馬 ウー・マ
1987年香港

posted by フェイユイ at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 香港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイ・チョウ、オリンピックのテーマ曲を作曲

ジェイ・チョウ、オリンピックのテーマ曲を作曲
びっくりする曲、楽しみです!

ジェイ・チョウ、カウボーイ姿でヒップホップダンスを披露
ちょっと前の記事ですが、遅ればせながら。
うん、実にジェイらしい精神が詰まった歌なのですね!
posted by フェイユイ at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月22日

『[月因]脂扣(ルージュ)』關錦鵬(スタンリー・クワン)

月因]脂扣(ルージュ).jpg

レスリーの映画は私にとって単なる作品と言うだけでなく色々な思い出や自分の気持ちが入り込んでいるのでその作品だけの感想、というのは言いにくい。
この作品は特にそれ自体はそれほど優れたものでないのかもしれないが私には思い出深いものがあり冷静には観れない。
だがこうして見返していてもレスリー・チャンとアニタ・ムイの他に比べようのない美しさ・雰囲気・存在感というものを強く感じて嬉しくなった。
レスリーの映画について語る時、どうしても涙がこみ上げてくるのを抑えることはできない。
今もう文字がかすんでしまうのだが、無理に抑えることなしに書いてみよう。

裕福な家の跡取り息子・十二少=チャンは遊郭で知った不思議な印象をあたえる如花=ユーファーと恋に落ちる。
阿片に身をゆだね愛し合う二人。やがてチャンは芝居の道に進みたいと言い出す。才能があるとは言えないチャンをユーファーは見守った。だが跡取り息子を奪われたとチャンの父母と婚約者が二人の中を裂いた。
別れられない二人は心中の道を選んだ。3月8日11時という数字を忘れないでと約束して。

1930年代の香港・遊郭で命を絶ったユーファーは現代(1987年)にこの世に蘇る。あの世で待ち続けたチャンと会えなかったのだ。
ユーファーは新聞社で知り合った若い恋人達ユンとチョウに助けられながらチャンとの再会を待ち望むのだった。

幽霊と時間の交錯を扱ったものは香港もしくは中国でとても好まれる題材ではないのだろうか。それはジェイ・チョウの作品にも感じられこの映画を思い出した。
とはいえ多分どの国の人々も時間を越え霊となっても愛する人を捜し求める物語には感動するものだろう。

アニタ・ムイの演じるユーファーは幽霊とはいえ特別な演出や映像処理で幽霊に見せかけてはいない。疲れると顔が青ざめるだけで普通の人間のように登場している。が、昔の遊女らしく動きがゆったりとしてしなを作る様がこの世の者ではないようで確かに気持ち悪く感じられる。幽霊の証明をするために「頭を取ってみせて」と言われたりリンゴをかじると黒い汁を口から流しリンゴもしなびてしまったというところが香港の幽霊なのだろうか。
それにしても30年代の遊女であるアニタの素敵なこと。独特の眼差しも真っ赤な紅を差したぽってりした唇も妖しい色香が漂いながらもどこかりんとしたところがあるのだ。
そしてそのユーファーが死んでもなお愛し続けた男がレスリー演じる十二少=チャンである。
冒頭、階段ですれ違う娘達に流し目をくれるチャンにすでにどっぷりと溺れてしまう。
裕福なお坊ちゃまで世間知らず。役者に憧れてもいつもユーファーに付き添われ甘えてばかりいる美しい横顔。
ユーファーが用意する阿片煙草を朦朧とした表情で艶やかに微笑む。

映画ではチャンはユーファーの後を追わず生きながらえてしまいユーファーから別れを告げられる。
だが現実ではレスリーが亡くなった同じ年アニタも亡くなってしまった。きっと天国で二人は出会っただろう。
現実の二人は恋人同士というわけではなかったがとても仲のよい友人、それ以上の深いつながりを持っていたと聞いたから。
この映画はそんな二人を思い出して苦しくなってしまうのだ。

現代でユーファーを助ける新聞社のユンを演じたのはアレックス・マン(萬梓良)香港映画では有名な男優である。
悪役のイメージが強いのかもしれないがここではとても優しい青年なのである。

私としてはこの作品の30年代の物語の隠微な雰囲気がたまらなく好きである。
遊郭の一室で阿片を吸い夢を見ている美しい女と男。
危険な香りであるのだが様々な映画の中でも忘れられない場面の一つなのである。

監督:關錦鵬(スタンリー・クワン)出演:梅艶芳(アニタ・ムイ)、張國榮(レスリー・チャン)、萬梓良(アレックス・マン)
1988年香港
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『すべての美しい馬』ビリー・ボブ・ソーントン

すべての美しい馬d.jpg

マット・デイモンの映画の中でもこの作品は特に強く惹かれてしまうのだ(惹かれるのがいっぱいあることは確かだけど)前に書いたのを読み返してないのだが今日思ったことを書いてみよう。

カウボーイとして生きてきたアメリカ人の郷愁と共にここでもアメリカ以外の“未開の地”にアメリカ人という文明人が入り込んだらどうなるのか、ということが描かれている。
そしてまた今はもう失われてしまった“男として”行動した青年が成長すると共に大切なものを失ってもしまうのだ。

主人公ジョン・グレイディ・コールは祖父の死により牧場を失ってしまう。父母を愛してはいるが心は離れてしまった。
ジョンは親友レイシーとともにカウボーイとして生きていける希望を抱いてメキシコへと向かうのだった。

前半は若者の希望と冒険に満ちている。不安な予感を抱かせる謎の少年ブレヴィスに出会うがその少年の並外れた銃や乗馬の腕前はかつていたカウボーイを彷彿とさせるものだ。
ブレヴィスは銃と馬を奪われてしまうが果敢な勇気と行動で馬を奪い返す。その様はいかにも昔観たカウボーイのようでカッコいい。
そしてメキシコでも最大の牧場で雇われることになったジョンとレイシー。だがジョンはそこの箱入り娘と相愛の仲になってしまう。
まさにアメリカ青年らしい直情型の行動である。勇敢でまっすぐでなんのためらいもない。彼は正義であり間違ったことはしていない。彼の心の中にはアメリカ人の正義と法律が生きているのだ。
ここまではすばらしい冒険の旅であった。特にジョンとレイシーが力を合わせて荒馬を馴らしていく場面は素晴らしい。彼らのカウボーイとしての技量と魅力が溢れている。
だがそこはメキシコであり彼らの理屈で済まされる場所ではなかったのだ。

親友レイシーの言葉など聞こえていないジョンは美しいアレハンドラに夢中になる。
彼女の叔母もメキシコの娘に手を出してはいけない。ここでは女は評判だけが命なのだから、と丁重に諭す。だが効き目はなかった。
一人の女性がどうして思うままの人生を選べないのか、と思っているのだ。
これは遠い昔の物語ではなくハイウェイに車が走っている時代である。
だがジョンとレイシーはある日突然メキシコ警察に逮捕されてしまう。連れて行かれた薄汚い牢の中には馬を奪還した後に分かれた少年ブレヴィスが足を腫らして座り込んでいた。

ここからのジョンたちの運命はアメリカなら考えられないほど理屈の通らない自分達ではどうしようもない方向へ走り出していく。
死刑のないはずの国で行われていたのは個人で行う死刑なのだった。ブレヴィスは一人で銃を奪い取りに行き、3人を殺してしまったのだ。恨みに思った家族からまだ未成年というより子供であるブレヴィスが処刑されてしまう。
銃と乗馬の達人であり勇敢なブレヴィスはかつてのカウボーイをイメージさせる存在なのだが何故かここでは無力な子供の姿で登場し異国の地の法則によりその命を奪われてしまう。そのことが往年のカウボーイのヒーローの末路のようにも思われる。
最後までジョンもレイシーも死んでいくブレヴィスの悲しい目が忘れられないのだ。

少年殺害を(殺人者であるとはいえ)目の前にしてなす術もなかったジョンは深い後悔を覚える。
そしてジョンとレイシーは考えられないほど劣悪な環境の刑務所に放り込まれる事になる。自分から逃げ出そうとしなければいつ殺されるかわからない、という場所なのだ。
レイシーは屈強な男に立ちはだかり腹を刺されて病院送りとなる。一人残されたジョンは闇でナイフを買い、襲ってきた男を刺し殺して木剣を脱した。それまで真直ぐに純朴に生きてきたジョンはやむにやまれず人を殺してしまうのだ。その悔恨もまた深くジョンの心に傷を残して行く。
結局彼らがその怖ろしい牢獄から出ることが出来たのはアレハンドラの叔母の力であった。
アレハンドラはジョンを忘れることを条件に彼の命乞いをしたのだ。

再びジョンはアレハンドラに会い求婚する。が、彼女の心はもう動かすことはできなかった。
ここでもジョンはアメリカでなら自由になったはずの恋が叶わないことを知らされる。

ジョンはレイシーとは別れ一人で馬3頭を取り戻しに行く。警察署長を人質に奪還は成功したが足に弾傷を負う。
傷の手当のために彼は銃を焼いて傷口にあてがう。激しい痛みがジョンを襲った。その痛みはメキシコで与えられた痛みそのものだったろう。
そこへ行けば楽園があると夢を抱いた場所。アメリカ人がかつて持っていたが、失ってしまった思い出の場所がまだ残っている場所。男として生きていける場所。
若いジョンたちは自由を求めて旅立ったが、そこにあるのは思いもかけない現実だった。メキシコの歴史も文化も考えずただ憧れて行った彼らが受け取った試練は厳しいものだった。

アメリカへ戻ったジョンは挙動不審を疑われ判事のもとへ連れて行かれる。だが判事はジョンの言葉に真実を感じて彼を釈放する。
判事を信頼したジョンは再び判事の家を訪れ自分の犯した殺人を打ち明ける。判事の暖かい言葉にほっとする。
殺人を犯し、少年を見殺しにしたジョンの心が本当に解放される事はもうないだろうがそれでも誰かに許されたかったのだ。

親友レイシーにジョンは馬を返してほっとしたものがあっただろう。ジョンのせいでレイシーを危険に追い詰めたという部分もあったからだ。レイシーはそれを咎めはしなかったが。
大きなもの失い、また大きなものを得てジョンは戻ってきたのだ。

原作を読むと大きく違うものがいくつかある。
特にこの最後の場面は映画では家にたどり着き安堵を覚えるが、原作ではジョンは一人きりでまたブレヴィンズの馬を持ち主に返す為、まだ目的地もわからぬまま旅立つのだ。
そのあてもなく続く道のりは彼の人生がこれからも厳しく長いものであることを予感させる。

そしてメキシコでのアレハンドラとの恋物語は映画ではペネロペ・クルスとマット・デイモンの美しいラブシーンで魅了されるが原作では彼らの恋愛よりアレハンドラの叔母とジョンの会話の方に重きが置かれているように感じる。ジョンはそこでメキシコ人というものを学ぶ事になるのだ。が、映画ではここの部分はすっかりなくなっている。複雑になってしまう、ということなのかもしれない。

そして遡るが冒頭、原作ではジョンとレイシーが馬に乗りカウボーイの夢を抱きながらメキシコへ向かうのだが、そこでハイウェイにさしかかるのだ。まず夕暮、遠くにトラックの音を聞き、ハイウェイに近づく。野宿してハイウェイを横断し国境であるリオ・グランデを越える。草原と荒野に入る前にハイウェイを横断するのところがアメリカからメキシコへ行く旅人らしい情景なのだが映画ではそうした場面がなく草原を駆け抜けていくだけなのである。それがどうしてなのかは判らない。トラックが走る場面はあるが小説のような効果が生まれているとは思えない。

ジョンを演じたマット・デイモンは未知の国に憧れる若者らしく真直ぐな印象がある。
女性を愛する事も友情にもためらいなく勇敢だが思いがけない体験で苦悩していく。

とても美しく悲しい映画でもある。心に残る作品だ。美しい馬というのがジョンたちそのものであることは確かだろう。

監督:ビリー・ボブ・ソーントン 出演:マット・デイモン、ペネロペ・クルス、ヘンリー・トーマス
2000年アメリカ

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2007年10月20日

ジェイ・チョウ、「僕は中国人じゃない」?

ボクは中国人.jpg


ジェイ・チョウ、「僕は中国人じゃない」?
もうこれ絶対陰謀です!!だれかがジェイを罠にはめようとしてるっ。
posted by フェイユイ at 23:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『恋におちたシェイクスピア』ジョン・マッデン

恋に落ちたシェイクスピア2.bmp恋におちたシェイクスピア3.jpg恋におちたシェイクスピア4.jpg

シェイクスピア自身の恋物語と同時進行で書き上げていく『ロミオとジュリエット』が交錯していくとても面白い作品であった。

富裕な家の娘であり貴族との結婚が決まった身の上であるヴァイオラはシェイクスピアが脚本を書く芝居に夢中になっており女ながらに役者になることに憧れていた。というのは当時そこでは女が舞台に立つ事は禁じられていたからだった。

が、男装したヴァイオラ(短髪のかつらと偽物の口ひげをつけて)は、シェイクスピアのいる芝居小屋でオーディションを受ける。それを見たシェイクスピアは感銘を受けるのだがヴァイオラは逃げ出してしまう。シェイクスピアは主人公役にと後を追いかけ大きな屋敷に入り込む。そこで見かけたヴァイオラ(すでに着替えていた)に恋をしてしまうのだった。

髪を短くして口ひげのグウィネス・パルトロウは本当に若い男の子のようで素敵なのであった。も少しシェイクスピア劇のように男か女かわからないままの恋のかけ引きがあっても楽しかったのではなかろうか、とも思うのだがやけに複雑になるかもしれないしどうせ判ってるわけだからまあよいでしょう。

それにしてもアメリカ資本のアメリカ映画でパルトロウやベン・アフレックは出ていると言ってもイギリス人の監督そしてシェイクスピアはジョセフ・ファインズ、女王役はジュディ・デンチ、結婚相手役にコリン・ファースシェイクスピアのライバルにルパート・エヴェレットとやはりシェイクスピア及び女王をアメリカ人が演じるのは気がひけたのであろうか。かといって全員イギリス人では嫌だと恋人役にパルトロウ、気障な役者でマキューショ役にベン・アフレックを使うことで何とか体裁を保っているのがおかしい。
と言ってもグウィネスが大変に魅力的だったので文句はないし、目立ちたがりの役者をやったベンも似合っていてとてもよかったのではないだろうか。

シェイクスピアのジョセフ・ファインズをここのところよく見てるのだが、私的にはちょっとうぷ、と笑ってしまう顔なのだけど、やっぱりこういう時代劇には必要な容姿なのだな、と感心もする。
ファンはきっと皆泣いたろうけどここでのコリン・ファースは見るに忍びない。私なんか『アナザーカントリー』のイメージのままでいて欲しいというわがまま勝手なファンなのでちょっと淋しいのである。しかもその共演者であるルパートがまったく接触はないもののここでも共演なのである。

シェイクスピアに関係する映画作品をここのとこ続けて観てるがどれも興味深い。
本作はとりあえず“コメディ”ということなのでやや照明が明るすぎて時代感覚が薄れる気もするが。
あの残虐性のある少年と言う役どころは何か意味があるのだろうか。なぜシェイクスピアは彼を使わなかったのか。
この時代の芝居は女性役を男性(少年)が演じていたわけだが日本ではいまだに歌舞伎では男が演じているわけでその主役をもし女性が演じた、などと言うことがあったら物凄い大事件になりそうである。こちらは法律で決められているから、ということではないからこそ、なのだけど。
歌舞伎でも女形が大人気だったりするわけでシェイクスピア劇でもそういうことはあったのではなかろうか。

そしてコメディ、とはいえ結局身分差の障壁は破れなかった、というほろ苦い結末になる。
但し、シェイクスピアが夢想する難破船から脱出したヒロイン・ヴァイオラがラストぐんぐん歩いて行く姿がなんともアメリカ映画らしく力強いのであった。

監督:ジョン・マッデン 出演:グウィネス・パルトロー、ジョセフ・ファインズ、ジュディ・デンチ、ジェフリー・ラッシュ、コリン・ファース、ルパートエヴェレット、ベン・アフレック
1998年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月19日

あなたの家紋は?

ピナコラーダ」さんとこで知って興味津々。せりーぬ、さん勝手に広めてます。断りにも行かずすみません^^;ありがとうございます。

フェイユイの本名での家紋
家紋.gif

【子豚】 好奇心旺盛で非常に愛嬌のある子豚紋のあなた。芸術的センスなど天才的な才能を秘めている可能性もあります。何事にも整理整頓が得意で几帳面な所もあるようです。時折、几帳面が行過ぎて神経質と見られる事があるかもしれません。が、持ち前の愛嬌の良さで多くの人々から愛されることでしょう。その素敵な笑顔を忘れないでください。
ということらしい。「可能性もあります」ってのがミソだね(笑)誰でもそうだろう。愛嬌はいいのか?
でも3匹の子豚は可愛いなあ。うれしい。本気で家紋にしたいぞ。

ふぇい・ゆいだと
ふぇいゆい家紋.gif
【炎】 燃えるような闘志を内に秘める炎紋のあなた。人の一歩先を行く先見の明も持ち合わせています。人と同じを嫌い、自分なりのモノの見方、考え方を大切にする傾向があります。目標達成の為には我武者羅に突っ走りますが、自分の限界を超えて走り続ける可能性があるので、心と体の健康に十分気をつけてください。
ふぇいゆいっぽいかも?

でここで作れます→綾鷹
下部の「遊戯」ってとこクリックしてくださいな。

勝手にジェイの家紋を調べました
と言ってもひらがな表記しないといけないので「じょう じえるん」にしてみました。
じょう じえるん 家紋.gif
【兎】 非常に寂しがり屋の特徴を持つ兎紋のあなた。他人のために苦労することに幸せを感じ、堅実に努力を重ねる性質を持っています。時にその直向きな姿が周囲から好感を持たれ、多くの人々があなたを支えてくれるはずです。今以上に友人知人を大切にすれば、きっと明るく素敵な人生が歩めるはずです。
当たってる!なんと「ちょう じぇい」にしても同じでした。
ウサギなんて可愛いではないですか。


では「でいもん まっと」だと?
でいもんまっと家紋.gif
【錨】 ドシっと構え、自分の考えをしっかりと持った錨紋あなた。人付き合いも得意で多くの人から好かれるはず。一方で八方美人と見られがちな場面も・・・。自分が他人からどう見られているかを考えて生活すれば、多くの仲間に囲まれた、素敵な人生を送れるはずです。

ということでした〜。


では「くれいぐ だにえる」だと
くれいぐだにえる家紋.gif
【風】 風紋のあなたは文字通り、深い森にそよぐ風のように優しく素直な性質。同情しやすく、他人の痛みを自分の痛みと感じることがあります。情緒豊かなだけに、心の中は常に様々な考えが交錯し、落ち着かない事も・・・。心のより所を見つければ、より充実した幸せな人生を歩めるはずです。

和風な家紋でした〜かっこいいです。

ラベル:遊戯
posted by フェイユイ at 23:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『カラヴァッジオ』デレク・ジャーマン

カラヴァッジオ.jpg

若き日のカラヴァッジオが可愛くてもう少し彼で観ていたかったりもした。大人の彼も勿論いいのだが。
カラヴァッジオというと天才的画力を持ちながら自由奔放な行動を取った異端児というイメージがある。映画での若いカラヴァッジオは心に抱く彼であるが大人になってからは随分品がよくなって芸術に打ち込んでいる画家そのものであるようだ。カラヴァッジオの野生的なイメージはむしろ彼が愛したラヌッチオの方だったりする。アウトローで破壊的なカラヴァッジオを観たい気もするがしかし本作は美しい作品であった。

なにより映画そのものが絵画のように計算された構図と色彩で造形されている。余分な背景は省かれ描きたいものだけを映し出したような映像である。
そしてジャーマン独特の時代考証を無視した衣装と小物。スーツに電子計算機、オートバイも登場するのだがそれぞれが登場人物に合っているので普通に観てしまうのが面白い。

芸術に打ち込むカラヴァッジオの姿はデレク・ジャーマン自身なのだろう。この映画の中でジャーマンはカラヴァッジオという名前と画家という仕事を借りて我が身を溶け込ませている。
彼を魅了するラヌッチオはやはり彼の好みなのだろうか。確かに男っぽいハンサムではあるが私はむしろ話すことのできない助手エルサレムとの関係が色っぽく感じてしまうのであった。死の床まで付き添い心から仕えるエルサレムが愛おしい。
幼いエルサレムくんが凄く細くて可愛いし。

それにしても若いカラヴァッジオの時間が少ないのが残念すぎる。天才にしてこの美貌、この高慢な精神。よくある天才児の姿ではあるだろうがやはり見惚れてしまう。この笑い方、すてきだ。

なぜ本作でカラヴァッジオは恋敵であるはずのレナを殺したラヌッチオを手にかけてしまったのか。
カラヴァッジオは最初から愛するラヌッチオの女性の恋人レナを嫌ってはいない。むしろ絵を描く時も彼女を側に置きドレスや耳飾を贈ったりしている。
カラヴァッジオは奇妙にもレナとラヌッチオという美しい恋人同士に美を見出していたのかもしれない。そして言明はされなかったが彼の子供を宿した聖母とも思えるレナを殺したラヌッチオに怒りを覚えてしまいつい手をかけてしまったのだろうか。
とはいえ、死の床でカラヴァッジオが呼んだのは「ラヌッチオ」という名前であった。
その名前を叫ぶカラヴァッジオを抱きしめるエルサレムも健気ではないか。
初恋の男性パスカローネとの思い出が蘇り、カラヴァッジオは十字架を投げ捨てナイフに刻んだ言葉「絶望は恐れを知らず」という言葉を胸に抱いて眠りにつく。

監督:デレク・ジャーマン 出演:ナイジェル・テリー ショーン・ビーン デクスター・フレッチャー スペンサー・レイ ティルダ・スウィントン
1986年イギリス
posted by フェイユイ at 23:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする