映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年11月03日

ジェイ・チョウ「芸能界のバットマンになりたい」

ジェイ・チョウ「芸能界のバットマンになりたい」

予約販売枚数は4万8011枚!その一枚は私です(笑)
レコード会社が「全アジアで107万枚を販売した!」という発表をしたというのに正直なジェイです。
ミルクタワーも可愛いですねー。

早く届かないかなーわくわく。でもまだ発送もされてないんで。



posted by フェイユイ at 17:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『キング 罪の王』再び

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『罪の王』を再び観たのだが、困ったことに言い表しがたい不思議な感情を覚えている。
というのは一度観た時にはどうしようもない嫌悪感を持ってしまったのだが、今思えばそれはこの作品の表層部分しか観ていなかったとしかいいようがない。
つまりテレビで殺人事件を知り、その結果と人間関係だけを聞いて「気持ち悪いね」と思ってしまうようなものだ。
つまりこの物語は確かにそういった事柄だけに気をとられてしまえばどうしようもなくおぞましい事件だとしか言いようがない。だがその奥にある隠されたものが一度目の私には見えなかったのだ。

今回はそういった事件だけを追って騒ぐのではなく静かにガエルの表情を見て彼の声を聞こうとしてみた。
そうしてみると一度目とは全く違う思いが心の中を満たしていったのである。今までにない感覚であった。

ガエル演じるエルヴィスは亡くなった母がいつも語っていた彼の父親に会う為、除隊した後父親を訪ねた。
彼は町でも人気のあるの牧師で裕福な暮らしをしていた。父を慕っていったエルヴィスだったが彼はきつい口調で彼が来る事を拒んだ。
エルヴィスは父の娘マレリーに近づく。何も知らない彼女はエルヴィスに惹かれやがて二人は肉体関係を持ち、マレリーは妊娠してしまう。
エルヴィスが妹に近づくのを知った兄ポールは忠告しようとして彼の家をつきとめるがその場で刺し殺されるのだった。

エルヴィスが求めたのは父親の家族の中に入ることだけだったのだろう。だが父もその妻も異母弟になるポールも彼を拒んだ。
マレリーだけがエルヴィスを受け入れたので彼はマレリーから離れられなくなってしまうのだ。
異母妹であることを知りながらも彼女の妊娠を喜び「子供を産んで」というエルヴィスの願いは酷く悲しい。医学、常識として間違ったことであってもそれだけがエルヴィスに「家族」というものを与えてくれる望みだったのだから。
そしてエルヴィスはその家族から再び追い出そうとするポールを殺してしまう。
「家族でなくなる」という恐怖感だけで彼は動いてしまったのだ。

ここから物語は奇妙な展開を見せる。息子を失ってしまった父親が(犯人は誰かとは知らない為)今まで寄せ付けなかった息子エルヴィスを引き寄せるのだ。
これは一体どういうことなのだろう。
子供を失った親というものはその身代わりになるものがいれば愛情を持ってしまうものなのだろうか。
突然の出来事であったが父親の愛をずっと求めていたエルヴィスは
この怖ろしい幸福を享受する。その愛は彼の犯した罪のために得たものなのだけれど。
息子の居場所を横取りしに来たエルヴィスを父の妻は受け入れられない。
だがその彼女もエルヴィスが庭の花の手入れをする様子を見て次第に心をとかしていく。
その家の息子を殺したエルヴィスとそれを知っていて彼と肉体関係を持つ娘、何も知らず息子を受け入れようと思い始めた父親とその妻が居間の椅子に座りテレビ番組を見ながら笑っている光景は凍りつくような恐怖を覚えざるをえない。
彼は家族を求め家族を崩壊しに来た悪魔のようなものなのだ。彼自身はそうとは気づかぬままに。
この時、エルヴィスは今までに感じた事がないほどの幸せであったのだろう。それは普通の家族なら当たり前に感じる安らぎ。普段気づきもしないもの。彼が幼い時から母にその存在を聞きながら夢見ていたもの。ごくありふれた幸福だった。

だが歪んだ道を通って手に入れてしまった幸福はあっという間に消えてしまうものだった。
牧師である父親が礼拝の時、皆の前で打ち明けたエルヴィスと自分との関係。それによってエルヴィスは彼の息子であることを祝福されたのだが、マレリーにとっては自分の妊娠が罪の関係で出来たものであることを知らされた衝撃であった。
義兄妹でありながら肉体関係を持ち妊娠したことはマレリーにはもう耐え切れず、母親に打ち明けてしまう。
その様子を見ていたエルヴィスの目のなんという悲しさに溢れていたことか。
彼はまた家族でなくなろうとする二人を手にかけなければいけないのだ。
そしてエルヴィスは牧師である父親に懺悔をする、他愛もなく。彼が許され天国へと行ける様に。

マレリーに向かって「椅子になりたい」とエルヴィスは変なことを言い出す。「椅子」というのはなんだろう。後で彼が家族のように座ったあの椅子だろうか。
マレリーにも自分が罪の子であることが知られ沼地でひとりソファに座るエルヴィス。その眼差しはどうしても自分には家族ができることはないのだと思い知らされてしまった寂しさがある。

エルヴィスの罪を聞いた父親はどう答えたのか。この作品では語られていない。
彼がかつて夢を与えた女性からそれを奪ったのと同じように今その息子から家族を奪われた。
この父親の持つ「愛」というものがその場だけの頼りなく崩れやすいもののように感じられるが、その因子はエルヴィスにも他の2人の子にも受け継がれているように思える。血(遺伝子)が止まることはないのだろう。
彼に何かが言えるだろうか。

今回感じたのはガエル=エルヴィスの言いようもない孤独感。彼がどんなに求めてもそれは
もう手に入らないのだ。
ただ泣きじゃくる乳飲み子のように彼は暖かい愛情を求めただけだった。
マレリーを抱いたのも父親に近づいたのも弟を殺したことですら彼にはそれ以上の何もなかったのだ。
映画は言葉少なに彼らの姿を映し出す。その心の中が見えてくることはないだけにより静かに彼らの思いが伝わってくるのだ。

牧師である父親には真実の愛というものがあるのだろうか。エルヴィスの母親への愛に対する不実さ。いなくなってしまった息子への愛にしても神を口実にして自分の諦めを正当化しているとしか思えない。狂ったように嘆き悲しむ母親の気持ちは当然の事である。
そして博愛を唱えながら鹿狩りや銃への興味を持つことになんのためらいもない。
この父親を観ているうちに一度目は酷く気持ちが悪くなってしまった。その要素はもしかしたらそれぞれの子供たちにも受け継がれているのかもしれない。勿論エルヴィス自身にも。ここでまともに見えるのは母親だけなのだ。
父親は自分のすることが正義だと思い込んでいる。牧師は自らの傲慢さを戒める言葉を発した。
その気持ちはこの物語の後に続いていくのだろうか。エルヴィスとの間においても。

一度目の記事は読まずに書いたのだが全く違う感想なのであきれられる方もあるかもしれない。
私は何度かこういう全く違う記事を書いているのだが、それは観なおしてみてそう感じたことなのでどうしようもない。
一度目にどうしてもその真意が汲み取れない時もある。また2度観るとさほど面白くなくなる時もある。
この映画では再観した時にぞくぞくとするような感動があった。それを感じられたことがうれしい。

監督:ジェームズ・マーシュ 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル, ウィリアム・ハート、ペル・ジェームズ, ローラ・ハーリング, ポール・ダノ

追記:初めに感じた気味の悪さというのは「親の因果が子に報い」という図式によるものだった。
父親が犯した罪とその意識を懺悔という形で昇華させてしまうという行為を子供であるエルヴィスも繰り返すのだ。
何気なく罪を犯し、父親がするのを真似するかのように懺悔したい、という彼。
父親はその行動をどう受けとめるのか。間違っている、と彼にはいえないはずだ。
先に書いたのとそう違わないのかもしれないが、宗教というだけでなく血の報いというものになんともいえない気持ち悪さを感じてしまったのが最初の恐怖感だったのだろう。
やはりぞっとする作品なのである。

ラベル:犯罪 家族
posted by フェイユイ at 00:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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