映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年11月27日

『薔薇の名前』ジャン・ジャック・アノー

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THE NAME OF THE ROSE

遠い昔に観たきりだったがまさかこれほど面白かったとは。もっと何度も観ればよかったと後悔しつつ。
とにかくもれまで「昔観て面白かったけど難しくてなんだかよく判らなかった」という記憶しか残ってなかったのだ(なんてことだ)
確かに今も判ったフリをしているだけでもっと判らないでいる部分もあるのだろうが、この重厚な凍てつく空気、異様な風体の僧侶たち、惚れてしまうショーン・コネリーと可愛らしいクリスチャン・スレーター(昔観た時はあまり可愛く思えなかったが今観たら可愛いの。もう若ければ誰でもよくなったか?)(私は彼のことを知らないつもりでいたら『トゥルー・ロマンス』の彼だった。あの映画もよかった)のコンビの素敵なことといったら!を確認しただけでも観る価値あり、だった。

特典の監督解説も面白そうなのだが、あまりにも興奮冷めやらずで先に感想をちょっと書いてみる。解説を見たらばまた意見も出て来るだろうけど。

中世イタリアの壮大な石造りの修道院。若い修道士の死を発端に次々と修道士たちに謎の死が訪れる。
バスカヴィルのウィリアム(なんて素敵な名前)は若い見習修道士アドソをつれて重要な会議に出る為この修道院に来たのだが、その明晰な頭脳で謎の死解明に立ち上がった。
カソリック教会の内部、宗教裁判、異端審問、教会と住民達の関係、当時を彷彿とさせる衣服や建物、思想、人間関係などが興味深い。殺人事件の解決と異端審問官との対決に知恵を絞る間にウィリアムは禁書となっている蔵書ヘの強い執着があった。
その禁書というのは「喜劇」に関する著作であり、キリスト教においては「笑い」は悪魔の所業だと老いた盲目の文書館長ホルヘはその書物を葬り去ろうとするのだった。
昔はこの意味がわからず、というか一体なんのことなのかと思っていたのだろう私は。
今も何故笑いが禁じられるのか、とは思うが先日絵画の説明を読んでいたら「キリスト教では“笑う”というのは精神の堕落であり絵画にも描かれていない」というような説明があって(適当な記憶だが)ホルヘ修道士も言ってるように悪魔にそそのかされたように思われる行為なのだろう。従って底辺の貧しい人々は笑うのだが高貴な人間は笑わないのである。
無論、聡明であり自由な発想を持つウィリアムはこの蔵書に強い興味を抱く。というより僧院に隠された蔵書を見つけ大喜びし、火事で自分の命が危うい時にも書物を我が身で庇おうとするのだ。この場面には胸を打たれる。

そしてこの不思議な香りのするタイトルの原因である、アドソの恋。これも昔の記憶があるのだが、清らかであるべき若い修道士が村の貧困でうす汚れた(すみません、差別的だが若い頃はそう思ったのだ)娘と肉体関係を持ってしまう場面に嫌気がさしたのだ。その恋の尊さというものを若い私は理解する事ができなかった。
今観てアドソのたった一つの恋が彼の中でどんなに美しいものとして残ったのか、その娘の名前さえ知らない彼にとってそれは「薔薇の名前」なのだと、今にしてようやくわかったような気がする。
『薔薇の名前』というと思い出してしまうのが『市民ケーン』の「薔薇のつぼみ」冷酷なケーン氏の心から決して消える事のなかった美しい思い出である。どちらも素晴らしいイメージだ。美しい色と香りが込められているような気がする。

また美術に見惚れてしまう本作だが特に隠された図書室がある塔の内部には圧倒されてしまう。
迷路を塔の中に再現した入り組んだ階段と小部屋はどこから声が聞こえてくるのか判らず賢いウィリアムとアドソですら迷ってしまう。
この情景はまるで人間の心と魂のようではないか。複雑に絡み合い、謎を秘めている。
人に知られては困る秘密がその奥に隠されているのだ。

ということですっかりこの作品の虜になってしまった。これから解説も楽しませていただく。
かなり以前の作品だが、この面白さを現在で作れるのだろうかという気さえする。

監督:ジャン・ジャック・アノー 出演:ショーン・コネリー F.マーリー エイブラハム クリスチャン・スレーター エリヤ・バスキン フェォドル・シャリアピンJr
1986年 / フランス/イタリア/西ドイツ



posted by フェイユイ at 22:28| Comment(6) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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