映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年11月28日

『薔薇の名前』アノー監督解説を聞いて

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アノー監督の解説を聞いてみた。裏話のネタバレである。ご注意を。


まずは舞台となる僧院を決めることや(一つではなく場面ごとに様々な場所が選ばれしかもイメージどおりにするため新しい建物を作り上げている!)小物が借り物でなく全部作っていったという凄まじいほどのこだわりの説明。その情熱は確かに画面を観ていれば伝わってくる。(使われた僧院のひとつがエーベルバッハ修道院というドイツの建物で名前が凄くうれしいのであった)

最初はショーン・コネリーを使うつもりはなかったということらしい。これは判らなくもない。私もコネリーといえばジェイムズ・ボンドである。中世の僧院に007を出演させたら観客も混乱するだろう。しかしコネリー自身が監督に何度もその意志を伝えて台詞を聞いてもらいそのあまりの素晴らしさに監督が一気にコネリーに決めたという。結果、この役をコネリー以外で考えられない気がする。
だがコネリーの前に無名ながら素晴らしい役者が候補に上がっていたということで彼にとっては一躍有名になるかもしれなかったのに、運命というのはどうなるか判らないものである(アノー監督は007をダブルオーセブンと発音せずゼロゼロセブンと言ってた!フランス人ってそう言うんだ!)
アドソ役のクリスチャン・スレーターのことを監督は知らなかったらしい。他の大勢と共にオーディションを受けたらしい。15歳だった。「台詞を覚えてないので台本を読んでもいいですか」という言葉に一同大受け。これがなかなかうまかったので監督が公園に連れ出して写真を撮ったらしいんだけど、この時クリスチャンは監督をその方面の人、と考え「襲われる」と思い怖くてしょうがなかったんだって。可愛い。というかかわいそー。

こだわりにこだわった美術なのにたったひとつだけ監督の無念があってそれはマリア像なのだが出来上がったものがどう見ても中世じゃなくルネッサンスのものであり監督は文句を言ったそうだ。だが美術監督らが「監督以外誰もそんなの気にしない!」と猛反撃したため涙を呑んだらしい。結果公開後に「中世なのにルネッサンスのマリア像はおかしい」という苦情が殺到したそうだ。監督としてみれば「ほら見ろ!」と再び涙だったろう。中世には色気がないのだ。

逆にとてもいいものの一つはウィリアムとアドソが着ている僧服だ。ゆったりとしてしかも頑丈で温かそうである。実際現場は物凄い寒さだったらしい。吐く息も白いが効果音のピューピューいうのがいかにも寒そうであった。コネリーは寒いのでフードをなかなか下ろしてくれなかったらしい。あの頭を寒気にあてるのはそりゃいやだろう。

監督が「宗教は信じないが修道院は子供の頃から好きだった」というのがおかしい。お寺マニアである。私もその気持ちは凄く判る。宗教を信じてないのに宗教本を読むのは大好きなのである。宗派は問わない。建物や衣装・小物なども好きだ。どれかの宗教に入ったら別の宗教を勉強できなくなるようで嫌だ。今くらいの日本人的適当宗教だといいが。

この映画の重要な題材である書物に関しても同じく共感する。知識の詰まった本を読めることは現在では想像もつかない喜びだろう。ましてウィリアムのように探究心の強い人物にとっては。
現在日本においては禁書というのは想像しにくいが「読んではいけない書物」というものはどんな宝石より手に入れたいものではないのだろうか。
ここではまさしく書物のために次々と人が死んでいくのだ。いまだったら「本がないならインターネットで調べれば?」というところである。価値観の違いというのは怖ろしい。

そして“問題の場面”ラブシーンと字幕があったが監督は「エロスシーン」と言っていた。
クリスチャンは本当にこの村娘役の女性が気に入ってしまったらしい。アメリカンネイティブとスイス人のハーフで南可愛い南米なまりで話すのだとか。色気が溢れてくる女性で男性は皆彼女にクギづけだったらしい(うわーあやかりたい)
クリスチャンは“お母さん”を通じて彼女だけをテストして欲しいと頼んだそうな。彼にとってほんとの「薔薇」だったんだ。なにしろエロスシーンを撮り終わったよと言っているのにやめなかったって。もう虜になってたのでありましょうなー。
なんとこの場面を撮るのに監督は娘役のヴァレンティーナとは打ち合わせをしたのにクリスチャンには何も言わなかったということらしい。つまりクリスチャンはこの場面マジで女性に誘惑されているのだった。15歳だからねー、これは大変ですよ!!どおりでこの初々しさ、服を脱ぐのがもどかしい感じリアルでありました。

そのクリスチャンくん、ショーン・コネリーにも熱愛で「ヒーローと共演できるなんて」と感激していたと。コネリーは厳しくてクリスチャンが失敗すれば怒っていたのにクリスチャンは喜んでその怒りを受けていたらしくさすがのショーンも「グッボーイ」と褒めてたらしい。クリスチャン、ほんとに可愛い。

他の色々な役者についても監督は細かく論評している。自分が知らないだけで地元では大物の役者さんもいれば全く無名の人もいる。
とにかく奇抜なほどの個性溢れる面々である。
特にサルヴァトーレと盲目のホルヘ氏には目が向いてしまう。太っちょさんもしかり。

この名作がアメリカでは酷評だったというのはどういうことだろう。つまり子供だ、ということなのか。

監督は“1ページ”を「いちページ」と発音してるけど聞き間違い?

迷路図書館の場面は何度観ても秀逸としか言いようがない。このセットはイタリアに残されているそうだけど、同じようなものを遊園地に作って欲しい。中に入ったことを考えただけでわくわくする。だが方向音痴の自分はとうとう出てこれずにミイラとなって発見されそうではある。

賛美するショーン&クリスチャンと対象的に監督を大いに困惑させたのがマーリー・エイブラハムだったらしい。アカデミー賞俳優だと威張り横柄だったらしいのだが確かに監督のいうようにその後、これという役には恵まれていないような気もする。ガス・ヴァン・サント『小説家を見つけたら』でもちょい役でショーンと共演しているが同じように嫌な役だったのがおかしい。サリエリは嫌な役というより哀愁のある役ですばらしかったが本作ではどうしようもなく悪役である。そういう人にはぴったりの役だったのではないか。

最後の雪の場面は本物の雪だという。場所がローマなので雪は滅多に降らないのがこの撮影日だけに降ったというのだ。
もう予算もなく人工雪もあきらめなければならない状況で降った雪はまさに神様の贈り物だったのかもしれない。なにしろその後全く雪は降らなかったらしいのだから。
ウィリアムとアドソが修道院から去る場面は雪が降って素晴らしい光景になっている。
いい映画にはこういう奇跡がおきるものなのだろう。

興味深い解説だった。映画作りにかける監督と役者の情熱というのは面白くてたまらないものがある。
火事の場面で老ホルヘ役のシャリアピン氏は焼けた木材が体の上に落ちてきたのに火傷よりいい場面が撮れたかを気にしていたという。役者魂である。
アノー監督が最後にハリウッドを褒め称えているのがおかしかった。フランス人としてはハリウッドは攻撃の対象でなければいけないらしいのだ。いい出資者であるなら別段攻撃する必要はないだろうし、面白い映画が観れるならハリウッドだろうがかまわない。
とはいえできるだけハリウッドから離れた映画を観たい、というのが自分の本音ではあるのだが。


ラベル:ミステリー
posted by フェイユイ at 23:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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