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2007年11月30日

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』もう一度考えてみる

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Hedwig and the Angry Inch

ヘドウィグというのは何だろう。何故彼女は美しく皆は彼女に惹かれてしまうのか。
彼女は最初からヘドウィグではなくハンセルという名前の男の子だった。
ヘドウィグはハンセルが自由になる為につけた架空の名前である(母親からもらったものではあるが)
ハンセルは自ら望んだわけでもなく男性器を失い、ハンセルでなくなった。
だが彼の怒りはなくなったはずのその場所に1インチ残ってしまったのだ。

夫であり自分を自由の国に連れ出してくれたその人は彼女の元を去ってしまう。ハンセルはヘドウィグとして必死で生きていこうとする。
化粧という仮面とウィッグという魔法を身につけた。ハンセルという自分を消してヘドウィグになる為に。
でもハンセルはアニメーションの中で書いている「僕を否定すれば破滅する」

観ている者たちがハンセル=ヘドウィグに共鳴してしまうのは当たり前だ。彼は自分自身だから。
ハンセルの母は「幸せを手に入れるために何かを失わなければならない」という。ハンセルはその為に大切なものを失ってしまった。
自分自身がハンセルと同じように自由のない場所にいる、と考え、彼と同じように大切な何かを失い、引き換えに手に入れたはずのものを再び失ってしまうこともある。
そしてヘドウィグと同じように化粧で自分自身を偽っていく。
彼女の眉はいつも困惑しており、自分を誤魔化そうと化粧はますます濃くなる。彼女のウィッグは翼を広げて飛んでいってしまいそうだ。

そんなヘドウィグが恋に落ちる。トミー。ヘドウィグの心は穏やかになり「アングリーインチ」を暫し忘れる。
そのために彼女のメイクはしとやかに女らしくなりウィッグも飛んでいってしまうような形にならなくていい。
トミーの側でハンセルは優しい女性になっている。
だけどそれは束の間の夢でしかない。なぜならヘドウィグは秘密を隠していたから。真実を知ったトミーは彼女から去っていく。彼女の大切な魂である“歌”を盗んで。

ヘドウィグが願ったのは自分の片割れを見つけることだった。だが愛しあったはずの相手から大切なもの一つは肉体を一つは魂を奪われてしまう。
ヘドウィグにはもう一人の夫・男装している女性イツハクがいる。彼は女でありながら男性の格好をし、髭も持っている。だが誰も見ていない所で女性のウィッグをつけて女性の姿にも憧れているのだ。イツハクはヘドウィグそのものになりたいのかもしれない。
他のどのキャラクターよりイツハクは寡黙でその心の中は読み取りにくい。その上イツハクが自分を表現しようとするとヘドウィグが邪魔をする。もしかしたらこのふたりこそ互いにないものを持っている一対なのかもしれないのだが。だがここではヘドウィグが彼のことを邪険にしているように感じられてしまう。イツハクはその心がわかって苛立っている。
最後、戻ってきたイツハクがヘドウィグにウィッグを被せようとするともう被らないときめたへドウィグはそれをイツハクに被せる。
望んでいたものを手に入れたイツハクは自分というものを取り戻し喜びを感じている。
二人の男に肉体と魂を奪われたヘドウィグはここで希望を与えている。

ヘドウィグはもうヘドウィグである必要はなくなった。彼は化粧もウィッグも取り去った。裸になって歩いていく彼は本当に自由になったのだ。

ヘドウィグはハンセルにとって「否定した自分」だった。そうすれば破滅すると知ってもそうせざるを得なかった。
否定した自分を隠すための強烈な化粧は見る人をぎょっとさせる。嘘を見れば人は苛立つからだ。
でも多くの人はそうやって自分を隠したいという気持ちを持っている。それだけでは生きていけなくてもたまにそうしてみたいとか。
誰かがしていることで自分がそうなったように仮想してみるとか。
ヘドウィグに惹かれるのはそうした者たちだろう。
ヘドウィグという名前になり、魔法のウィッグをつけてみたいのだ。

ジョン・キャメロン・ミッチェルだけでなく多くの役者(女性もいる)がヘドウィグを演じている。日本でも。
元の話は同じなのに演技者によって様々なヘドウィグが生まれるという。エキセントリックだったり、穏やかなヘドウィグだったり。
様々な役者がヘドウィグに憧れ自分の中のヘドウィグを演じるのだろう。そして観客も彼女の姿になり一緒に歌いだすのだ。

作品の中でヘドウィグ=ハンセルは片割れを見つけることはできなかった。でも大丈夫。
彼はもう自分を否定することはなくなったのだから。

この2日間ジョン・キャメロン・ミッチェルを観続けていたのですっかり虜になってしまい困ってしまった。
あの大きな青い目がちょっといかれた感じなのに凄く弱い。じーっと見つめるとこがゲイっぽいけどそこがまたよいのだ。
普段の彼はやせっぽちにしか見えないのに舞台や映画の中だと凄い存在感があってどうしてなのか不思議。
本人はちょっとシャイな感じで優しげなのにヘドウィグは物凄く攻撃的で、そのギャップもまた魅力である。

ミッチェルはハンセルでありヘドウィグなんだけど同時にトミーでもあるのだ。
トミーは彼自身がモデルだというのは不思議でもあるけど頷ける。
この物語は愛を語っているけど恋愛物語ではない。
ハンセルが自分というものを探求していく物語なのだ。

いい歌ばかりでどれが一番とは言いにくいがやっぱり心にしんみりくるのは「ウィッグ・イン・ア・ボックス」映画だとさらに楽しい。
この時のヘドウィグがちょっとたそがれててチャーミングだ。「ファラ・フォーセット」というのがツボだった。セクシー美女の代名詞なのである。

この映画で最も印象的なものの一つアニメーションについて殆ど触れてなかった。物語をさらに美しいものにしている。

監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル 出演:ジョン・キャメロン・ミッチェル スティーブン・トラスク ミリアム・ショア マイケル・ピット セオドア・リスチンスキー ロブ・キャンベル
2001年アメリカ


ラベル: 同性愛
posted by フェイユイ at 23:34| Comment(5) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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