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2008年02月20日

『天国の口、終りの楽園。』アルフォンソ・キュアロン

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ガエル・ガルシア・ベルナル出演作品、再観であるが、これもまた2回目でやっと何かが伝わってきたような気がする。彼の出演作品というのは他にない深さがあって一度ではなかなか把握できないのかもしれない。

人生の終末に絶望した美しい人妻とまだ人生の始まりに立っている二人の少年の話である。

スペインから来た魅力的なルイサに声をかけた二人の若者フリオとテノッチは彼女の気を引くために“天国の口”という名前のビーチがあると嘘をつく。
ルイサは夫の浮気で決心をつけ、彼らとあるはずのない海辺へ向かう旅に出るのだった。

映像と音の美しさに感動する。
太陽の眩しいメキシコなのにどこか煙ったような日差しの翳った曇り空を感じる。自然の音が絶えず聞こえてきてそれが心地よい。道路の車の音も雑多な人の声もどこからか聞こえてくる感じだ。
彼らが運転する車から見える景色は決して美しいと思えるものではない。自然もどこか荒々しく柔かさに乏しい。すれ違う人々は一体何をしているのだろう。事故にあって倒れた人、警察に捕まっている人たち、行列を作って歩いていく人の群れや集まった人たちも何か意味ありげで楽しそうには見えず、危険が迫っているようにさえ思える。
そんな中を3人は馬鹿話ばかりを繰り返しながら酒を飲みマリファナを味わいながら駆けていくのだ。

冒頭からフリオとテノッチが恋人とセックスしているシーンが続き、人妻ルイサとも話すのはその手の自慢話ばかり。
やがてルイサはまだ少年の彼らを誘いセックスをする。未熟な二人はあっという間に達してしまい、いつもの自慢はどこへやら、彼女を満足させるどころではない。
最初観た時はそれらの繰り返しばかりに戸惑いもしたが観返してみると
それらの一つ一つがフリオとテノッチが背伸びしていく初々しさと可愛らしさの表現だと知れてくるし、ルイサが人生に別れを告げているのだという事が見えてくる。
美しく楽しいものと辛く悲しいものが対となって描き出されていく。甘い喜びの日々のすぐ後には苦い涙がこぼれ落ちるのだ。
若いフリオとテノッチのこれからの人生もまたそうして続いていくのだろう。
二人の少年期の終わり、そしてルイサにとっては人生の最後の日々の旅は美しくまた悲しい。
ただルイサがたどり着いた海辺を好きになり波に漂うように身をまかせることが救いのように思えた。
少年たちは今すぐには彼女の存在の意味がわからなくとももっと大人になった時に思い出すのだろう。

ルイサは凄い美女というわけではないが知的でなんといっても体の線が美しい。カメラの前に投げ出された脚線美といったら。セクシーな脚を絵に描いたかのようである。
ルイサと少年たちの関係が恋愛というよりどちらにとっても一種の儀式のようでじめじめしたものではないのがよい。
姉や教師というより母親と息子みたいでもある。だからテノッチは「ママシータ」と叫んでしまったのかもしれない。

でまかせにつけたビーチ“天国の口”に向かう旅、たどり着いたその浜辺で酔いながら騒ぐ彼らが楽しげで羨ましかった。

フリオのガエルがかわいいのはもう言うまでもないが、テノッチ役のディエゴ・ルナの繊細な美しさが印象的だ。
実際にも仲がいいという二人らしいが、いつも一緒にいてケンカしたり、ふざけたり。最後に交わすキスと訪れる別れの切なさ。
髪型も服装もすっかり変わってしまった二人にはっとするようなときめきを覚えながらも寂しく思うのだった。
このときのディエゴ・ルナは本当にまだ少年と言う感じで華奢で女の子のように可愛らしい。金持ち息子が似合っている。

作品の原題は"Y tu mama tambien"で「お前のママとも…」の意である。これはフリオがテノッチに言う言葉。意味はお判りだろう。

監督/脚本:アルフォンソ・キュアロン 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、ディエゴ・ルナ、マリベル・ヴェルドゥ

2001年メキシコ

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posted by フェイユイ at 22:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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