映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年03月23日

松山ケンイチについての告白・その3

一体何度書けば気が済むんだという昨日今日だが、思いついたことを少しだけ。

松山ケンイチにはまって彼出演の映画を次々と観て来た。彼自身はどの映画もその時に力いっぱいの演技をしていることが伝わってきて好きになる一方なのだが、映画作品自体は私がこれまで好んで観て来たカテゴリとは大いに違っている。
このブログを読み続けてくださった方なら判られるだろうが私が観て来た映画と言うのは基本的に過激な性と暴力、異常心理、殺人、変態、犯罪、謎、不思議、わけわからん、という類のものである。
松ケン映画は主役に近いほど、真面目でまっとうなストーリーが多い。最も異常心理といえる『デスノート』を真っ先に私が観たのも当然のことである。Lは無論私に興味を惹かせるキャラクターであった。
それ以外の懸命に更生する話や動物を愛する話、戦争もの(殺人ものには興味があるが戦争ものは嫌いという)など普段絶対手にしないものばかりだ。
最初は苦手な分野だったので観るのも億劫だったが観ていく内に松山ケンイチの変化がよく解るし、いつも観ないものを観る新鮮さもあって楽しめるようになった。
さてこれからの彼はどんな映画にでるのだろう。このままの路線を行くのか。変わっていくのか。
先日観た『神童』は今までとちょっと違う不思議な話だったし、未見の『人のセックスを笑うな』も何か違うような期待がある。
さらに『カムイ外伝』は監督が自分が非常に好きな崔洋一氏ということもあって大きく期待してしまう。この作品で松山ケンイチのイメージがまた変わるような気がしている。

そしてさらにその先は。
はっきり言ってまだ若すぎるくらいの人なのだ。年齢を取ればいいというわけではないかもしれないし、いつか年取るのだからそれを待てばいいだけの話だが、その先もっと好きになれるような気がして仕方ないのだが。


ラベル:松山ケンイチ
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『セクシーボイスアンドロボ』voice5うしみつ様

今回は巷で突然流行りだす迷信についての話。
「うしみつ様」という人形を使って女子高生グループが儀式を行い予言をする。その人形を買わなければ呪いがかかると偽って一儲けを企む。

金儲けはしないけど自分も高校時代「こっくりさん」に夢中になった一時期がある。
放課後数人と明るい窓際でではあるが、占いをしまくったものだ。
一体どういうわけなのかはわからないが3人くらいの指を乗せたコイン(10円玉とか)はスルスルと動き出したものだ。
何故コインは動いたのか。このドラマとは違い指を乗せてるんだから動いても不思議はないが。自分自身も乗せた指に力を込めたつもりはまったくなかった。難しい質問になるとコインが異常にぐるぐる回ったりして恐怖をかきたてた。
暫く皆で夢中になっていたが、ある日一人の男子がとり憑かれたということになり確かにその子の顔つきがいつもと違う。本人は黙ってうつむいていた。
それがきっかけで先生から中止命令が出て、遊びは終わった。

金儲けだとかこういう奇妙な遊びだとかは別にしても人は絶えずなにかしら不思議な力を信じて頼ってしまう。
そういうのはいつの時代になっても変わらないんだろう。

高校生に扮した松ケン。と言ってもブレザー姿なのでまあ大したことはないな。
やはり高校生なら詰襟学ランだよなー。だったら物凄い萌えたのになあああ。
すっかりオジサン扱いの松ケンであるが、確かにこんな元気な高校生はいないよーな。
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2008年03月22日

『セクシーボイスアンドロボ』voice4かんにん袋

爆弾魔ってよくわからん、と思うのは自分が爆弾特に時限爆弾なんか、絶対作れそうにないからだろうか。
にしても爆弾魔というのは実際いるし、仮に作れなくとも「爆破するぞ」と脅すだけで充分爆弾魔になりうる。
爆弾というイメージが心の張り裂けるイメージになりうるから映画なんかの題材にもとりいれやすい。

などということはいいとして。

昨日まで観ていた『神童』ワオの松山ケンイチとこのドラマのロボ・ケンイチの違いよ。
といっても純真なとこは同じだけど。

女好きって設定のようだけど、それほど徹底した女好きにも思えないがなー。
彼のファンが減ってはいけないからの配慮だろうか。

ところで地球儀を回すと爆弾が爆発するので、ニコが校内放送で「だるまさんがころんだ」と叫ぶんだけど、私は最初意味がわからなくて「達磨が転んだからなんだ?」と考えてしまった。
うーん。これは人の動きを止めるための掛け声だったのだねー。私んとこ(九州地方)は「インド人のくろんぼ!」と叫ぶのでわからなかったのだよ。(大体テレビで言えるわけない)
と言ってもこれは私が小さい頃の話でここらでも今の子は違うのかも。
大体物凄い差別的発言で私だって人前ではもうこの言葉は言えない。子供の時は毎日これを叫び続けていたのだが。
本当にインドの方に申し訳ない。もう今は絶対言っていないし(子供にも伝えていない)反省してます。

松ケンの顔ってほんの少し前の頃はほっそりして少年ぽいけどこのドラマの時はなんか腫れぼったく見えるのだけど、私的にはそのくらいのほうが余計可愛く見えて好きです。

ラベル:松山ケンイチ
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『セクシーボイスアンドロボ』voice3お歯黒女

ドラマって都合よく話し進むけどそこがまたいいとこだよね。

まーまー文句は何もなし。
とにかく可愛い松ケンを観てればそれで幸せだ。

今回はホラーチックで笑いも炸裂していた。お歯黒女(ってどういう意味?)に襲われるお母さんがおかしい。はいりさんは凄く面白いなあ。
娘達からお歯黒女の話を聞いて怯えるお父さん。いつも自分は物凄く怖い話を作ってるくせになあ。怖い話を作る人ほど怖がりなんだろうけど。

ニコ役の大後 寿々花ちゃんが抜群にいい。可愛いし、元気あるし、観てるのが楽しい女の子だ。
松ケンって考えたらこのドラマでも中学生相手だし、なんだかロリコンぽいようでちっともそういう感じがしないのは本人が子供っぽいからなんだろうか。
オタク交流会の様子も笑えた。

このドラマの話みたいに「平凡な自分が嫌。偉くならなければ存在する意味がない」てなことを言って悩む話はよくあるが、まさに自分なんかロボの気持ちそのもの。
自分は恵まれていて家族もいるから、その生きがいもあるのだけど、こうやって日々映画を観続けていて感想記事なんか書いてると「今度どんな映画が作られるかわからんのにそうそう死ぬわけにはいかんな」と思える。
少なくとも松ケンの『カムイ外伝』だけは観たいぞ。

もらったお金をぱっと使って残りは寄付しちゃうニコを尊敬。私なんて絶対貯金してちびちびDVDを買うために使うだろうなあ。

にしても、香椎由宇の美貌でこの役って。ごみを整理してる姿がまた美しい。
ラベル:松山ケンイチ
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松山ケンイチと周杰倫が似てるって言わないことにする



年季の入った松ケンファン及びジェイ迷ならもうとっくに見ている映像でしょうが。

こんな風に松ケンがジェイの写真を見ていたのでうれしくてにやついちゃいました。あまりいやそうでなくてへへーって。優しい人だ。
「でもこの人はこんな顔しないと思う」って言って変顔する松ケンが可愛いっす。
そういえばジェイはあんまり変顔はしないかな。

それにしてもいつも「だれかに似てると言われる」という発言にどきり。
もうジェイと似てるって言わないことに決めました。
もうかなりたくさん観てきて松ケンが松ケンだから好きだと自覚し始めたわけだし。
 
ま、たまに言ってしまうかもしれませんが、これからはそればかり書くのは止めようと思いました。
ラベル:松山ケンイチ
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2008年03月21日

『神童』萩生田宏治

神童1.jpgshindo3.jpg

ピアノの音色に溢れた映像に浸りきって観てしまった。

映画というのは音と映像による表現方法なので、映像が音楽に乗って目と耳に入り込み、からだの中で共鳴する。
それらが作り上げる感動というのは文字を読んで解析する、ストーリーを理解して分析することよりもダイレクトに脳を刺激する。

私自身は文の人間もしくは絵の人間なので音楽・音というものへの感受性というのはかなり乏しい。
それは非常に残念で悲しいことなのだが、そんな私でも映画の中で美しい映像と美しい音楽がこれ以上ない素晴らしいハーモニーを持つ時、固くなっている精神が揺さぶられる。
ましてや音楽・音に対して敏感な人には音が生み出す「言葉」というのはどんな美しさを持つのだろうか。
「言葉」という言い方はおかしいのかもしれない。音によって伝えられる感情、というほうがいいのかもしれない。

この作品は音楽・音で結ばれた一人の青年と少女の話。それだけに説明の言葉が少ない。
二人がどんな音で結ばれているのか、それは二人だけにしかわからないのだろう。

音楽とピアノを愛する青年ワオにはそれを表現する技術力が足りない。素晴らしいピアノ演奏ができるうたは逆にピアノを弾く事を愛しているのかはっきりと認識できないでいる。
“神童”といえるうたはワオのピアノを聴いて「下手」と言い捨てる。だがうたの耳はワオのピアノにどんな愛情が込められているのかを聞いているはずなのだ。だからこそ巧いだけのピアノ奏者をこき下ろしたうたはワオのピアノを好きと感じている。
またワオもうたのピアノには最高の技術がありながらどこか脆いものを感じているのではないか。
そしてそこにも美しさを聞いているのだ。

言葉でなく音楽ということだけで二人の気持ちを理解しなければいけないのは言葉人間には難しい。
二人が見捨てられたピアノを一緒に弾く時彼らの音が一つに混じりあっていることを感じなければならないのだ。

前半でピアノの下手なワオが音楽大学受験を逃げ出しそうになったのをうたは助ける。冷たくなってしまった指を暖めてあげることで。
後半、耳が聞こえなくなってしまったうたが彷徨い、亡き父の忘れ形見のピアノが閉じ込められた倉庫にたどり着いた時、唐突にワオが現れる。どうしてワオがここにきたのか、もしかしたらワオは来てはいないのかもしれない。
うたを思うあまり魂がうたの傍に辿りついてしまったのかもしれない。
耳が聞こえなくなったはずのうたにワオの指がピアノを弾く「聞こえる?」
うたの耳にはその音が聞こえた。

うたの耳に聞こえたのはピアノの音だけでなくワオの声だった。優しく囁くワオの声がなにか切なくも聞こえてならない。

この映画作品はもしかしたら解りにくいのかもしれない。上にも書いたように言葉での説明をしないままなので。
それに13歳中学生の少女うたと大学浪人生の青年ワオの関係が恋愛なのかどうかもよく解らない、とじれったくなるのかもしれない。
この作品ではうたとワオが性愛によって結ばれているとは感じられない。表現もできるだけ二人がそのような感情であることを避けているようだ。
うたを演じている成海璃子は背も高いしきりりとした眼差しを持っていて大人を撥ねつけるような強さがある。
ワオの松山ケンイチは逆に気弱で自分の下手さを自覚しているが、うたに対して嫉妬のような感情はあまりなく素直に尊敬しているような真直ぐさがある。
今の風潮では男子大学生が女子中学生と同じ部屋に入り浸っているのならロリコンだと咎められてしまうのが当然だが、ワオにその感情があるのかはここで明確には表現されていない。むしろうたのほうがワオに対して恋心(と言っていいのかどうかもよくわからない。うたが好きなのはワオのピアノへの純粋な愛情から生まれる音なのかもしれないから)を持っているのだ。
またワオが同じ大学生の女性と肉体関係があるという話からワオの性愛がうたに向いていないことを示唆している。
無論、だからといってワオのうたに対しての愛が男女のものでないと言い切れるわけではないが、そういった男女の愛と年齢差からくるすれ違いを越えたところでうたとワオの音の共鳴があることは確かなのだ。

松山ケンイチの映画をずっと観てきて(まだ過去も全部観きっていないが。且つ新作『人のセックスを笑うな』も未見である)初めて映画としてのクオリティを持った作品を観た、と言ったら傲慢だろうか。
ここには舌足らずでどこか表現不足でありながらも人と人の魂がふれあった瞬間を見ることができる。
それはうたがワオに対して感じたような「下手だけど好き」というものかもしれないが。
特に感じられるのは現実味があって繊細な前半に比べ、後半はややファンタジーに流れてしまっていることだ。
だがむしろ私はそのファンタジーが嫌いではない。
父親が純粋に音楽でありたいと願って自殺したこと、権威であるピアニスト・リヒテンシュタインの来日でうたがみそめられ自らがコンサートをドタキャンしてうたに弾かせ観衆の絶賛を浴びさせる。
そしてまるで空間を飛んできたようなワオの出現。この甘さには惹かれてしまった。

ここでの松山ケンイチにはもう何も言う事がないようだ。ワオはワオであって松山ケンイチという役者を考えることもない。
ワオのピアノへの愛情は見ていて切なくなるほどだ。しかもどんなに愛しても天才にはなれない。だけどワオはうたの弾く音を聞いて感動し愛する事ができる。
かつて『アマデウス』でサリエリは天才アマデウスに嫉妬し狂うが、ワオはその素直さで愛することができた幸せな人間なのだ。
その素直さに反感を持つか共感するか。
私は松山ケンイチが演じた事もあるが、その感情の美しさに酔ってしまったようだ。

監督:萩生田宏治 原作:さそうあきら 出演:成海璃子 松山ケンイチ 手塚理美 甲本雅裕 西島秀俊 貫地谷しほり 串田和美 吉田日出子 柄本明

さて、ここからまた変な方向に走っていくが、この映画を観てまず思い出さずにはいられないのはどうしたってあなた、周杰倫監督・主演『不能説的・秘密』である。(ここから『不能説的・秘密』にも触れるのでご注意を)
松ケンとジェイが似てる、似てる、と騒いでいる上に物語が音楽学校のピアニストを演じていると来ては!!!
冷静ではいられない。
バスケ映画もあるし、やはりどこかでつながっているものがあるのだろうか。
だが自尊心の高いジェイ・チョウ。さすがに「下手なピアニスト」は演じられない。彼の演じるのは学校でも騒がれるほどの腕前の持ち主。
ここはジェイの見せ所で顔と指を同時に見せながら音が出せるのは本業だから当然のこととはいえ、やはり高揚感が違う。
『神童』ではピアノが弾けるという成海璃子はまだいいとしても松山ケンイチの時はいくら彼が頑張っているとはいえ、どうしても音と体の揺れにズレができて「スイングできなく」なってしまっている時がある。はっきり言ってこれは気持ち悪い。
下手という役だからまあ許せる、としても自ら弾いているジェイ映画はここらの音楽感がどうしたって気持ちいいのである。
と、ここで『神童』の悪口になってしまったが。さすがに音楽家であるジェイ・チョウが作り上げた音楽映画は本物のよさがあることは否めない。且つ、ジェイの映画ではジェイ自身が「学校で凄く上手い」というだけで大家に認められるだの、コンサートを開くだのということはなく、学校内での演奏会に留まっているのが妙に現実的で心地よいのだ。
ジェイが作った曲も素晴らしく、こういったよさを出すのは難しい。
不思議に似ているのは幻想的になる場面だが『神童』では空間を越え、『不能説的・秘密』では時間を越える。
『不能説的・秘密』は音楽を媒体にした歴然とした純愛物語であり、『神童』でさらに純粋な感情になっている。
と、つい比較してしまったが、どちらも音楽を題材にした優れた愛の物語だと思う。

ジェイも「恋人は音楽ができる人がいい」と言ってたっけ。この関係以上のものはないのかもしれない。

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さてどれが松ケンでジェイでしょうか?

『神童』インタビューで松ケンがワオについて「この後ワオは死んだのかもしれない」と言っていたのでちょっと驚きだった。
そして観た人それぞれが考えて欲しいとも。
私は映画で主人公が死ぬのが凄く嫌なのである。無論私が考えるこの後は二人とも死にはしない。
うたは耳が完治しないまでもとりあえず治ってデビューし世界へと羽ばたく。ワオはいつまでもピアノが好きだが、結局は音楽家として成功することはなく八百屋を継ぐか、他の仕事をするか。二人がその後出会うことはない。
ずーっと時が経って二人が老人となり、ピアニストの巨匠となり引退も考えるうたは少女の時好きだったお兄ちゃんを思い出す。死期も近いワオも思い出して二人はまた夢の中で結ばれる。
ってのはどうだろうか。ま、死ぬのには違いないが。

それにしてもこのラストは唐突なわけである。もしかしたらこの時すでにワオは死んでいたのか?
魂となってうたに会いにきたのか?それじゃ『菊花の契り』である(何も契っちゃいなかったが)ん、ワオは名前が菊名だったぞ。うむむ。
posted by フェイユイ at 22:46| Comment(4) | TrackBack(1) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月20日

松山ケンイチについての告白・その2

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もうそろそろ松ケン熱も冷めてきたのではないかと思われそうだが、ますますぞっこんになっているフェイユイである。

ぞっこんになると異常な購買欲が出てしまいとんだ散財なのだが、どうしても止められない。
DVDはまだ買ってないが(何度も言うがいまいち好みでないので、すまん(^^ゞ)写真集と雑誌を買いあさってしまった。
一時に買ったのでまだ全部目を通してもいないが、写真で見る松ケンは映画の時と全く違う。
映画ではその役に応じた顔をしているので、ワリと地道な役が多い為、わざとかっこ悪げな様相をしているが、雑誌・写真集では美形ぶりを思い切り演じているようである。ちょっと異質な美形だが。
その中にあってやはり“L”は特別異常で今見ると松ケンじゃないようにさえ見えてくる。確かにこの役は突出している。
写真集『FILE No.15』を見てると松山ケンイチがすっかりLそのものに入り込んでしまっているのが見えて楽しい。遊園地で遊ぶLなんて奇奇怪怪としか言えない。
一方、『起』では普通っぽさを演じている松ケンが見れる。休日、みたいな感じで朝起きてご飯食べて公園に行ってあくびしてる松ケン。
猫みたいな目をしてる。

雑誌もあれこれ見ててまだ途中。私が見た中では「Cut」で蒼井優と一緒に写っている奴。『男たちの大和』でも共演した二人は仲よさそうででも同志だということらしい。なぜか中華な雰囲気の写真。優ちゃんの髪型のせいかな。松ケンは髭が凄く似合う。私はヒゲに弱いのだ。
とにかく『人のセックスを笑うな』を早く観たい。

ところで松ケンを見てて思ったんだけど、みんなは異性の映画俳優に対して「好き」という感情を持った時、その「好き」はどんな好き?
例えば「恋人になりたい」だの「Hしてみたい」だの「できるなら結婚したい」だのって事なのかな。
私が松山ケンイチに対しての好きって、まあ年齢的ギャップもあるからまさか結婚したいなんては思わないけど、恋人になりたい、とかHしたい、なんていうのではなくて松山ケンイチになりたい、ってことなのかな、と思ってしまったのだ。
ずーっと映画や写真を見てて妄想するのは彼の恋人になることではなくて彼自身のような気持ちになってしまっているのだ。
他人が見たらどう思うか知らないけど、表情や仕草が似てきてしまってるような気さえして思わず恥ずかしくなってたりする。
こういう風に思うのは今まで滅多にないことなのでやっぱり私にとっては特別な存在になってしまってるんだな、と思うんだけど、彼のことが好きすぎて彼自身になりたい、彼が羨ましい、と思っている。おかしいのかもしれないけど松ケン自身に嫉妬してたりする。その美貌と才能に対して。
ハンサムだと言われているような他の役者に対して(例えばキムタクだとかブラピだとかさ。自分が好きなマット・デイモン、ジェイにだtって)そんな嫉妬なんて感情は覚えることもなかったのに、変だ。
松山ケンイチが羨ましくてたまらないほど好きな私はやはりおかしいのかもしれない。


ラベル:松山ケンイチ
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2008年03月19日

『蒼き狼 地果て海尽きるまで ナビゲートDVD 〜史上最大の帝国を築いた男 チンギス・ハーン〜 』

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2007年公開に先駆けた総製作費30億円の超大作『蒼き狼 地果て海尽きるまで』のナビゲートDVD。4ヵ月にわたるオールモンゴルロケを追ったメイキングや撮影秘話、時代背景やチンギス・ハーンの人物像の解説、若手俳優陣を中心とした座談会映像などが収録されている。

原作者・森村誠一氏の解説、馬頭琴の演奏なども入っていた。ナビゲートDVDなので無論本編の素晴らしさを謳っているのだが、「今までのチンギス・ハーン映画にはないチンギス・ハーンの人間性を描いている」というのには驚いた。先日記事にしたモンゴル人夫婦監督・サイフ/マイリース監督『蒼き狼 チンギス・ハーン』にはテムジンの苦悩や迷いや優しさが描かれていてもこの映画のテムジンの酷さには腹立たしいものがある。詳しい比較はそこを読んでもらえればと思うが、どちらが正しいかは別にして、この日本映画のテムジンに人間性は感じられない。

そういった憤りを感じながらも袴田吉彦、平山祐介、松山ケンイチの東京のモンゴル料理店での座談会は熱いものがあってじーんとしてしまった。
製作者のせいで優れた映画にはなり得なかったが、4ヶ月の間(松山ケンイチは後半出演なので途中参加)モンゴルの大草原で寝食を共にし、演技とはいえ戦いあった仲は生半可なものではないようだ。途中参加の松ケンはちょっと悔しそうだった(そこがまた可愛い)
モンゴルの人にとってはやはり英雄であるジャムカ役の平山祐介がモンゴル戦士役の人々に最後にお礼を言われる話などかっこいい。
遅れて参加した松ケンがすっかりモンゴル人になってしまっている皆の中で一人日本人だったのでなんとか早くモンゴル人になろうと努力した話などいかにも松ケンらしい。

この座談会にも若輩の分際で遅れて到着した松ケンは袴田さんに怒られるがちゃっかり二人の間に座り込んでしまうのがおかしい。凄く狭いんだけど。
話始めるとさすがにまったくの年下である松ケンは極めて控えめにでも思ったことを次々と訊ねる様子が可愛いではないか(一体何回この言葉使うかな)
また素で話す松ケンは演技の時以上に青森訛りが結構きついのだとまたまた可愛くなってしまった。
あんまり可愛いんで他の二人に襲われないかと心配してしまった。
話のどさくさで袴田さんが松ケンの肩を抱き寄せた時、松ケンなんとなく恥ずかしそうだった。

この座談会を先に見てたら、物凄く見たくなりそうだ(つまりナビゲートとして凄い成功してるわけだ)
大草原で馬を走らせ、果てしない遠くを4時間もただ眺めては話をしていたね、なんてすてきだ。

映画をもう一度観る気はもうないが(松ケン出演部分だけはちょっと観たいが)モンゴルの草原に行ってみたい気持ちにさせられるナビゲートDVDであった。

しかし袴田さん、ハンサムだなー。平山さんもかっこいいし、本当に「隊長!」って感じ。
この座談会はいいもの見せてもらった。
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「イングリッシュ・ペイシェント」のミンゲラ監督、54歳で死去

「イングリッシュ・ペイシェント」のミンゲラ監督、54歳で死去

私にとってミンゲラ監督といえばマット・デイモン主演『リプリー』です。
ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』と比べられ賛否両論でしたが、私はクレマン&ドロンのそれを観て好きでいながらもミンゲラ版のほうがより好きになってしまったものです。無論マット・デイモンの為でもありますが。
音楽と映像が美しく、サスペンス溢れる演出でした。

それにしてもまだ54歳という若さだったのですね。映画監督としてはまだまだこれからという年齢なのに惜しいことです。

ご冥福をお祈りします。
posted by フェイユイ at 15:40| Comment(0) | TrackBack(1) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月18日

『ウィニング・パス』中田新一

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この顔はどう見たってジェイ

これは素直にいい映画だったなあ、と涙を浮かべて勇気が湧いてくるような清々しい気持ちにさせられた。
松山ケンイチを観続けている毎日だが、彼自身の溢れてくる魅力は別として映画自体にはなかなか感心させられない。
この作品は松ケンの初主演作になるわけで、正直あまり期待していなかった。最初からそうそう凄いのには出会わないだろう、というところで。
その実、これは他の後の作品よりきちっとストーリーがまとまっておかしな演出もないためにすんなり観ていくことができる。
『ドルフィンブルー』の余計なダラダラ話がなく松山ケンイチだけに焦点がぴしっと合ってるのが心地よい。
家族や友達の描き方も現実味があって共感を持って観ることができた。一つだけ変な感じがしたのは、妹をいじめる男とケンカした後笑うシーンなのだが、あれはどういうことだったのかよくつかめなかった。

松ケンはすでに演技が巧い上に車椅子の練習も相当したのだろうな、と思わせる。扱い方がかっこいい。
考えてみればほんの4年前のことで初主演でこの演技。それからみるみる成長したのだなと驚いてしまう。
どの表情も丁寧に心をこめて演じているのが伝わるし、なにより若々しさが眩しいほどである。
ただ、声を出して笑うのだけはちょっと苦手なのかもしれない。変な感じがしたシーンというのも声を上げて笑うとこだった。
笑うのは難しい、とよくいうがホントなのだなと確認した。

事故で半身不随になったケンタが入り込んだのが車椅子バスケの世界。九州地区の予選大会という試合が繰り広げられるが迫力あってかっこいい。
学校の仲間と車椅子バスケの仲間、誰からも見捨てられたような気持ちになってしまったケンタが彼らと共に成長していく様子が感動だった。

さてここから恒例の馬鹿騒ぎ。
似てる似てると毎度騒いでいるが、この時の松ケンはどう見たって周杰倫そのものではないか。イヤ絶対、ジェイだよな。ジェイが日本語話してるだけだと思う。松山ケンイチと名乗っているジェイ・チョウだ(←錯乱状態)
ジェイの方が年上なのに若い時の松ケンのほうがジェイに似てる、っていうのはどういうことだ?
髪型のせいとバスケをしているせいもある。ジェイといったらバスケだから。
微笑んでる時も真面目な顔の時もバスケしてる時の顔もそっくりっていったらない。
そのジェイはカンフーダンクしてるし。

ジェイだジェイだと喚いてばかりじゃジェイを知らない松ケンファンには気の毒だ。

ジェイ似は置いとくとしても、本作の松ケンは私的にはツボだった(といつも言ってる)
差別発言と思われたら謝罪するしかないが、下半身が動かなくなってしまった松ケンの色っぽい事といったら他のどの映画より激しいのではなかろうか(ほんとごめんなさい、こんな言い方謝ります)
動けなくなったことで苦悩する姿も愛おしいがリハビリのインストラクターさんの補助を受けながら懸命に頑張る彼のまた悩ましこと。どうしてこんな美男子のインストラクターさんにしたんだ?ぞくぞくするじゃないか。
上半身を支えることもできなくてインストラクターさんの手からぐにゃりと曲がって倒れてしまう彼。
少しずつ動かせるようになり苦痛で顔をしかめながら訓練している様子には見ているこちらが腰砕けというか、凝視せずにはいられない色っぽさが滲み出ていて、これは松ケンが狙ってやってることなのか、どうかはわからなくても監督が意識せずにこの場面を取れるわけはないと思う。危ない気配さえ感じさせられてしまった。
(この一節、気に触られたら陳謝して削除します)
ただ単に身体障害者になった人だから同情的に描写する、ということではなしにそこになんともいえない不思議な魅力があることを感じさせられてしまったのだ。
この感じ、イギリス映画なんかにはわりとあるが、日本映画には珍しい感覚である。
そうだ。変な褒め方になってしまうが、この作品、イギリス映画の味わいに似ている。決して派手に感動を押し付けるわけでもなく、じんわりと沁みてくる感じ。
地方都市での青少年の青春を描いている感じである。

そういえば、松ケンって地方の話が多い。
ここでも僅かだが九州弁を使っているし。

どの役も適役でよかったが、特にお父さんの矢崎滋氏はつぶれそうな町工場の主を演じていい味だった。

松ケンと自分の共通点も見つけた。鼻の右側にあるほくろ、同じところにあるのだ。ただそれだけ(笑)

監督:中田新一 出演:松山ケンイチ 堀北真希 角替和枝 矢崎滋 佐藤めぐみ 寺島進


ラベル:青春
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2008年03月17日

松山ケンイチで『カムイ外伝』を観れるなんて

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松山ケンイチで「カムイ外伝」初実写化!崔洋一監督と初タッグ

まだ記事にしてなかったようなので、一応アップ。
他記事で散々書いたが、子供の時から自分の憧れの人であったカムイを松山ケンイチが大好きな監督である崔洋一氏で観れるなんて。脚本は宮藤官九郎。

松ケンのカムイ姿はまだ見れないのでカムイ本人の絵を。
松ケンはこの格好をするわけで。
超ミニスカートに生脚(ストッキングはいてたらもっと問題だが)ポニーテールに胸を大きくはだけているという過激セクシーガール路線。

私にとって理想の美形像そのものであるカムイを松ケンがどう演じてくれるのか、しかと観届けたい。

ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 23:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ドルフィンブルー フジ、もういちど宙(そら)へ』前田哲

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日々、松ケンに狂っているフェイユイである。で、今回はイルカと松ケンのwパンチ!とにかくイルカクンに弱い私である。きゅるきゅる泣かれただけで胸がキュンとなるし、ジャンプなんかされたらそれだけで涙がじわり。話題のバブルリングちゃんなんてTVで見ててもめろめろなのだ。しかし映画の感想はまた別ものなのだった。

感動の実話をモチーフに舞台は海の美しい沖縄の夏。出演者も豪華で言う事なし。
なのにこの映画の作り方には疑問ばかりが湧いて出てくる。
まず出だしからして自転車で走ってくる松ケンの正体がわからない。別に謎めかせて見せる映画じゃないのだから、はっきりナレーションでも入れて「僕はここで働く事になった獣医の・・・」と説明してくれた方がいい。そして唐突に自転車で松ケンを追い越してしまう少年か少女か解らない子供。いくらなんでも大人の松ケンが子供の自転車に負けるわけがないのに、なぜこんなとこで妙な疑問を持たせるのか不思議だ。
この映画、この二つの疑問が後までずっと尾を引く。
重要な話が薄くて余計な話がやたらと多いせいで何を訴えたいのか、何が感動的なのかが散漫になってしまっているのである。
「病気で尾ひれを失ったイルカを海水族館の人々がなんとか助けようとする話」というこの物語にはドキュメンタリータッチの映画作成もよかったろうし、あえてそういった説明をさけて幻想的な芸術作品にしてしまう方法もあるだろう。
この映画ではその二つを両方とも取り入れたくてどちらにもなれず中途半端な説明映画で終わってしまったのだ。

例えば少年のようにも見える少女とイルカのフジの係わり合いがよく解らない。もっと松ケンと少女とイルカの関係にぐっと迫って作ればよいのに。
なぜ松ケンが自転車をこいでるシーンがやたらあるのか自転車乗りフリークか。その時間をフジの描写にしたらよいのに。
とにかく他の話をしてるヒマがあったらもっとフジと松ケンの関係を突っ込めよ!
イルカの話なのにイルカの話がなさすぎる。ここぞという焦点を絞りきれず余分な話ばかりに時間がかかりすぎる。
ドキュメンタリーもちょっと入れて、幻想的シーン(大きな樹の場面とか)もちょっと入れて、恋愛&ケンカもちょっと入れて、そのせいでどれも堪能できない。
ほぼ映画を作る初心者のような曖昧な出来であった。

そういった不満な仕上がりでさえも沖縄の風景は行ってみたい、そこに住んでみたい、という気持ちにさせられる魅力がある。
始めは乗り気でなかった松ケン獣医が彼女がやって来てももう心が沖縄に住み着いてしまっている感じは伝わってきた(これは松ケンの演技の為か)
夕暮に喫茶店の庭で涼んでいる雰囲気も気持ちよさそうだった。

で、この作品にも拘らずやはり松山ケンイチは体当たりでぶつかってくるのが感じられるし、それでいて表情も自然で落ち着いている。
私は未見なのだが松ケンと『人のセックスを笑うな』の永作博美が出ていたのでこちらがどきどきした。
と言っても本作では二人の接触はあんまりないのだけど。
もうこれを観るのが楽しみでしょうがない。

今回似てると思ったことは、松ケンが自転車を走らせてるとこは『青の炎』の二宮を重ねてしまった。
またこの髪型だとブルース・リーのようにも見える。さすがカメレオン役者と呼ばれるだけあって色んな人に似て見える(そういう意味じゃないか)
リウ・イエにも似てる。はにかみながら笑うのがそっくりの表情なのだ。不思議。

またこれで松ケンが泳げないと知った。と言っても多分泳げないんだと思ってはいたのだ。ていうのは『不良少年の夢』で泳ぐシーンがあって明らかに別人だったから。
これもまたぎゃーだったんだけど。だってジェイも泳げないんだから。

監督:前田哲 出演:松山ケンイチ みつき 西山茉希 永作博美 山崎努 池内博之 坂井真紀 利重剛 田中哲司 上間宗男 高畑充希
2007年日本






ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松山ケンイチについての告白

どうしようもないほど、松山ケンイチにはまり込んでしまった自分です。
ここから書くのは久し振りに(というかいつもか)独り言みたいなものです。恥ずかしい話なんでむしろ読まれたくないくらいですが、どうしても書きたいのですよ。ぼおおおお。

一度惚れてしまうと底なし沼に落ち込んでしまうような状態になるのでできるだけ恋したくないと思ってはいるのですが(相手はいつも遠い存在の人なので実生活には問題ないのですが)恋というのは理性ではどうしようもないもので時々この不可解な状況に陥ってしまいます。

ブログ『藍空』を始めるずーっと前がレスリー・チャンでその後ジェイ・チョウと張孝全、そして『藍空』の途中でマット・デイモンになり『藍空放浪記』になってダニエル・クレイグ。
どれも作品を観漁り、物を買いあさったものでした。とにかくその人が出ていない映画は観る気がしなくなるし、恐ろしい購買欲のために金欠になるし、なによりわけの解らない妄想状態から抜け出せなくなります。
まあ、いつかは熱も平温になるのは見えているわけですが、

今回の松ケンは今までとはちょっと違った傾向にあり、それがますます自分を苦しめております。
自分のポリシー(?)としては誰かを好きになるのもまず作品ありき、でレスリーは名作映画が幾つもありますし歌も好きです。ジェイは無論「歌」が何と言っても素晴らしいし、出演映画も新人とは思えないほどいい映画に恵まれています(自作も含め)
張孝全もマットもクレイグもその作品が好きな人ばかりですが松山ケンイチに関してはまだ「これ!」いうほどのめりこむ作品はありません。
そういった「作品はイマイチだけど、本人は好き」という感情は自分的には不本意なのですが、こればかりはどうしようもないものなのですねえ。
確かに作品自体は好きな範疇じゃないのですが、松ケンの演技は酷く好きです(外見はもちろんですが)
しかし彼の映画のカテゴリというのが気になります。若いから好き嫌いで仕事を選んでいる場合じゃない、というのならいいのですが、これからもずっと自分の好みじゃない奴ばかり出られては困るのですよねー。自分勝手な悩みなんですが。
まだ若すぎるのでこれからいい映画に出てくれるのではないかという期待だけは持っていれるのですが。
そういう意味でも崔洋一監督『カムイ外伝』には多大な期待をかけています。かけすぎるほど。

ほんの一時期だけの恋心で終わってしまうのか、ずっと思い続けていられるのか。
私としてはずっと観続けて行きたいと願っています。

『セクシーボイスアンドロボ』みたいな路線は是非やり続けて欲しいですね。

いかにも熱に浮かされた独り言であります。

恋って苦しいな・・・馬鹿、くすん

で、これは指摘を受けてやっと気づいたんですが、なんで松ケンを好きかっていうとジェイに似てるからなんですね。
でもってマットの時も私これ言ってて似てるって。いや、現在のマットとジェイは全然似てませんけど『グッドウィルハンティング』近辺のみで。つまり若い時。
よーく考えたら他に好きになるのもジェイ似が多い。なーんだ、同じ顔を好きになってるだけだった。
この顔とこの体型が好きなんだ。性格もそんなに違わない気がする。真面目で一途な感じの。没頭する感じが好きなんですね。
レスリーやクレイグ、張孝全はちょっと違うタイプの好みなんだけど、こちらの系列はすぐに好きになってしまうのだな、と今更ながら自覚いたしました。
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 01:05| Comment(10) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月16日

『セクシーボイスアンドロボ』voice2 ごぼ蔵

cap001.bmp

前回から出ているのに塚本晋也さんについて触れるのを忘れていたm(__)m
言わずと知れた凄い才能の映画監督で放送当時、私は松山ケンイチでなく塚本監督がこのドラマに出てるというので観ようかな、と思っていたのだった(結局観なかったが)
自身の映画作品にも主演が多い塚本監督は、そこではかなり猟奇的だったり異常行動な役どころだが、ここではいい夫いいパパの役である。ま、確かに異常行動は取ってるが(牛乳瓶の蓋集め)表情もうって変わって穏やかでステキである。さすがにいつもの異常者の時は好きになりにくい。
奥さんが片桐はいりさんというのも凄い。この二人から生まれた娘が二人とも可愛いというのは何故だ。

今回のテーマは「恋愛」
中学生少女ニコは周りのみんなが恋愛に夢中になっているのがよくわからない。
一方のロボは何とか合コンでうまくやりたいと願っているのだが、こちらはなかなかうまく運ばない。
私は今の(昔もだけど)日本ドラマを全く観ないのでよくわかってはいないが、このドラマはなんだか昔風の雰囲気を持っている。
頭はいいけどまだ恋愛の扉は開けていない少女とその気はあるけど巧く恋愛できない青年と失ってしまった恋人を思い続けている男。
今回のストーリーはちょっと強引に感動させよう的な感じが漂ってはいるけど、かといってそう無理強いもしていないし、強盗男がきちんと自首するところなんかは好感が持てる。
警官との追いかけっこから荷物の入れ替わりなんかのドタバタも大したことはないけどクスクス笑える軽いタッチ。
この強盗男みたいな奴が本当に現れたら相当うんざりしそうだけど、のんびりしたニコとロボはそんな奴にでも付き合っていい奴らだな、と思わせる。

地蔵堂の店主・真境名マキが登場するとエキゾチックな曲が流れるが岸田今日子の綾部貴子のバックにはいつも古びたレコードで「マヅルカ」が流れていてこれが物凄いインパクトであった。今でも謎の女のバックにはこのような曲が流れていて欲しいと思う。

さてさて今回の松ケンは。
他の作品ではお目にかかれないちょっとエッチな松ケンが可愛い。エッチって言っても大したことはないが。
そして映画作品ではいつもシャープに削がれたイメージの彼だが、ここでは少しドン臭いというか、頭もデカめだし顔も腫れてるし、脚もわざと短く見せてるしで、ちょっとかっこ悪いとこがなんだか好きである(笑)
今まで観て来たものと違いコメディな彼だが、これが凄くうまい。シリアスは脚本がよければ結構誰でも感動させられるが、コメディは本人の力量がなければぶち壊しになる。
コメディが演じられるというのは凄い才能だ。しかもかわいいし。
こちらの線をどんどんやって欲しいものである。と心配しなくとも次回作の映画はそんな感じだけど。

せっかくのもしゃもしゃヘアもドライブのための風で普通の髪型になってしまったが、色んな意味で今までと違う松ケンは観てて楽しい。
中学生少女とのコンビがぴったりっていうのもなんだが、このたどたどしさも彼の才能で生み出された雰囲気なのであろう、と信じる。

それにしてもシトロエン2CVかわいいね。

ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 20:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月15日

ジェイ・チョウ、北京五輪テーマ曲コンテストに応募

北京五輪 歌 ジェイ.jpg

ジェイ・チョウ、北京五輪テーマ曲コンテストに応募

というわけでジェイネタです。
写真見比べてもそう、松ケンに似てはいないような・・・しかし動きで観てると似てるんだよな、これが。

北京五輪も近まってきました。
いつもオリンピックは楽しみですが、今回は舞台が北京ということでますますいろんな意味で盛り上がっているようです。

いい大会になることを願うばかりです。

posted by フェイユイ at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『セクシーボイスアンドロボ』voice1 三日坊主

セクシーボイスアンドロボ.png

ここ最近の念願だった『セクシーボイスアンドロボ』(第1話)をやっと観れた。
オタク青年と不思議な能力を持つ中学生少女のちょっと変わったノリの話。物凄く好きな範疇のドラマであった。正直、今まで観た松山ケンイチ作品で最高の出来栄え、一番の好みである。

とはいえ、困るのはこのドラマ中の松ケンは物凄くジェイ・チョウに似ていてジェイを観てるのか、松ケンを観てるのか自分でも判らなくなってくる。
全然違う表情の時もあるんだけど、無表情な時っていうのか、今回では車を運転してる時と、ベッドで眠そうにしてる時はもうジェイの顔にしか見えない。
並べてみればそう似ているわけでもないのだろうが、酷似してる時もある、不思議だ。

このドラマの最大の魅力は無論、中学生少女ニコを演じている大後寿々花ちゃんにあるんだろう。彼女があんまり上手いんで私は子供っぽい大人の女優さんなのだろうか、と考えながら観ていた。本物の少女だったので驚きだ。大人にしては皮膚が綺麗過ぎるよな。
一度聞いた声は忘れず、人混みの中でもその声を聞き分け、セクシーな声で話せる、という特技を持つ。このセクシーな声はさすがに大人の女優さんがやっているようなのでほっとした。

妖しげな家の女主人と片腕の男に奇妙な二人組み、というと私世代は『傷だらけの天使』なんかを思い出すわけだが、それに匹敵するくらいに面白く観てしまった。
『天使』では岸田今日子さんの魔力が凄かったが浅丘ルリ子さんも負けない迫力がある。

今回のゲストとなる中村獅童は『男たちの大和』で松ケンと共演であった。アレでの獅童氏はむしろ松ケンに押されてしまっているように見えたが、ここではなかなかにいい味を出しているのではないか。
いつも目をむいて唾を飛ばすような役が多い気がするのだが、却ってこのような静かな男が合っているのかもしれない。

松山ケンイチのオタクサラリーマン、楽しかった。オタク、といってもロボット好きというところが救いか。女の子フィギュアオタクでは女性ファンが引いてしまう。関係ないけど、張孝全はウルトラマンオタクを演じていたが。
松ケンは女好きでテレクラには通い詰めてるようだがちっとも成功していないようなのもなぜかほっとするのである。
カメレオン役者と呼ばれ、様々な顔を見せる松ケンだがこういうコメディな感じが一番合っているような気がする。

しかし松山ケンイチ作品ってマンガ原作の割合が物凄く高い。あえてその辺を狙っているのか。単なる偶然なのか。
次回映画『デトロイト・メタル・シティ』も『カムイ外伝』もだし。この二つとも非常に楽しみではあるのだが。特にカムイ(アニメもマンガも)は私の少女期の憧れの人(私こそオタクだったので)で、それを松山ケンイチが演じるなんて鼻血ものである。長髪でミニスカートで胸が厚くて脚が綺麗なんだよな(ほんとに鼻血でそう)の格好をしてくれるのか。忍犬も出てくるのかな。

脱線ばかりしてるが、とにかく楽しめたドラマだった。これからが楽しみである。


ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 22:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月14日

『サウスバウンド 』森田芳光

サウスバウンド.jpg

これもちょい役の松山ケンイチだけが目的で観たもので作品のあらすじを読んでも乗り気にならなかったのだが、観てるうちに何かしらの感慨がじわりと滲み出てきたのだった。

この映画、原作を読んでいた方には不評のようだが、自分は未読のため、イメージの違いなどで苦しむこともなかったのは幸いだったかもしれない。
とはいえ、非常に面白かったのかというと正直面白いというほどはなかったのである。特に東京編は退屈で早回しで観ていたのだが(それだけじゃなくて松ケンが出ていなかったからじゃん?)
沖縄編になってから俄然興味が出てきたのである(無論松ケンも登場したし)
その沖縄編も大感動、というほどのこともないのだが、なにやら気になる不思議な味わいが残ったのだった。

その昔、大好きなリバー・フェニックスが出ていた『モスキート・コースト』という映画があってそれはそのまま同じ設定で都会が嫌になった親父が家族を引き連れて南のほうへ移住してしまうのだ。子供達は強引な親父に引きずられていった形で戸惑うという話だった。
そちらがどうなったのか全然覚えていないのだが(これも再観の必要あり)本作では最後親子の奇妙な繋がりができていく。
まだ小学生の子供たちを残したまま夫婦でどこか解らないところへ行ってしまうなど、とんでもない話のはずだが私はこのラストに不思議な力のある夢と希望を感じさせられてしまったのである。
多分、場所が沖縄の自然の中というので納得させられてしまった気もするが。

これを観てると「沖縄っていいなあ」と勝手にイメージを膨らませてしまう。青い海と空と太陽と自然とゆっくりした時間。
越してきた二人を含めても7人しかいない学校ものどかで楽しそうだ。父さん母さんがどこかへ行ってしまっても生きていけそうな気がする。

そして問題はやはり全共闘夫婦である。

自分らの前世代である全共闘世代にはある種の怖れと憧れ(かどうかよく解らないが)がある。
しらけ世代を経て新人類などと言われていた世代から見ればその考え方も熱い血潮も全く違う人種のように思える。
今はちらちらとTVなどでその言葉を聞くことはあっても映画などでそれほど彼らの姿を見る事も少ない。
時代もの、というにはまだ時代が浅く、ちょっと思い出すには遠い昔になった時代なのだ。
ここらの映画なりを観たいなあと最近よく思ってはいたのだ。つまりこの映画のように思い出という形でなく進行形の作品でだが。
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』を早く観たいと思ってはいるのだが。

そういった全共闘のイメージを抜きにしてはこの親父の存在は謎だろう。美しい奥さんも同類、いやそれ以上の猛者のようだ。
わが道を漫然と歩き続けるこの夫婦は日本の街中においては生きていきにくい存在だったが沖縄においてもまた同じでさらに二人はお伽の国へと向かってしまう。
貧しくても敵ばかりでもこの夫婦の愛は枯れることがない。妻にはいつまでも夫が憧れの人であるらしい。
夫も妻だけが自分の理解者だと言い、子供達のことも愛している。理想の家族そのものの形なのである。
それが実際に生活するとなると世間からははみ出してしまうという不思議。
純粋に家族で生活する事だけを望んで南の島へやってきたが、そこでもさらに追い出されてしまう家族はもう伝説の国にでも住むしかないのだろうか。
無論ふたりは子供達に迎えにいく約束をしている。どこへ行っても何か起きる家族なのだがきっとまたともに暮らせる日がくるのだろう。

さて沖縄で地元のおまわりさんを演じた松山ケンイチ。制服萌えにはたまりませんな。
ていうかやせっぽちなんで初々しいかわいいおまわりさんである。
話し言葉が最初どこの言葉か判らん、と思ってたら地元の人だった。うーん、沖縄弁に詳しいわけじゃないが、なんか違う気がする。きっとまた青森訛りの沖縄弁に違いない。
生真面目でちょっと気弱な松ケンおまわりさん。可愛い。
しかしほんとによく働く人である。
結構有名のはずなのにここまでこまめに出演している人も珍しいような。ファンにとっては色んな姿が見れて楽しいわけだが。

監督:森田芳光 出演:豊川悦司 天海祐希 北川景子 松山ケンイチ 平田満 吉田日出子 田辺修斗 松本梨菜

サウスバウンド松ケン.jpg
舞台挨拶の模様
ラベル:家族
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2008年03月12日

『不良少年(ヤンキー)の夢 』花堂純次

ヤンキー.jpgヤンキー2.jpgヤンキー3.jpg

チンギス・ハーンを観るのは平気だが「学園もの」を観るのが苦手な私である。
学園ものを観るのは物凄い勇気と忍耐を必要とする。はっきり言って興味がない。
特に不良がいい先生のおかげで更生する、というようなのはできるだけ遠ざけたい。TVドラマで有名なあれやこれも観た事がない。
そんな私でも感動する「学園もの」に巡りあいたい、と願ってはいる。だが、これではなかった。
(『キッズ・リターン』『青い春』が好きなのはいい先生が出てきて更生させたりしないからだ)

とにかく松山ケンイチが可愛い。とんがった鼻と唇も可愛い。それだけで2時間近く目を離さず観る事ができた。
リーゼントも細い体も懸命に睨みつけてる目も可愛いのなんのって。肌すべすべの綺麗なヤンキーくんだった。

松山ケンイチ見たさ、のみで鑑賞した本作だが、正直言うと松ケンじゃないほうがよかったのではないか、と思ってしまう。
彼ではあまりに可愛くて不良なのかよく判らなくなる。ま、ご本人の義家氏も負けないくらいハンサムな方だから間違いではないのだろうし、不良顔をした不良ということでなく、本当はいい子なのに不良になってしまった少年としての顔なのだ、ということで可愛い松ケンで正解なのかもしれない。ただ私が思う映画としてのみの意見としてはもっと思い切りヤンキー顔な奴にした方が好きになれた気がする。周りの不良たちのほうが可愛く感じたりもした。
関係ないけど彼が教師になった時が『バンジージャンプする』のイ・ビョンホン思い出してちょっとどきどきしてしまう。

本作は義家弘介氏の自伝に基づいたもので実話ということになるのだが、実話という触れ込みの映画というのは映画としては自分は好きではない。どうしても制約ができてあまりいいものにならない気がするのだ。
この作品も実話、ということからなのか、一つ一つのエピソードにつながりがない。実話だと繋がりがなくなる、というのもおかしいようだが創作なら綺麗に起承転結が作れても実際の話というのはリズムなく発生するからということなのだろうか。しかし結局それは言い訳にすぎないのであってもっと一つの物語として丹念に練って欲しかった。
全体の構成にまとまりがなくちぎれちぎれに物語が進んでいく。肝腎の女先生と義家くんの関係も創作ならもっと踏み込んだ表現があるのかもしれないのに現実ではこんなもんか、という感じに受け取れる。というのは映画だけでのことなのか、この辺がまた曖昧だ。
私には先生と義家くんの関係より母親とうまくいっていない女子との話のほうがこの映画では綺麗に表現されていた気がする。
互いに傷を持ちながらも別々の道を歩み出す若い二人の恋心と夢が伝わってきた。

先日話していた『アカルイミライ』と『グッド・ウィル・ハンティング』とこの物語も結局は同じ話のわけである。
こうなったらもう真似もなにもないだろう。
才能あるはずの若者が世に拗ね、ある人の熱い心で未来への道が開ける。そういう物語を多くの人が好む、ということなのだろう。後はその主題をどう肉付けしていくか、である。
恋人に関しては『アカルイミライ』には存在せず、『グッド・ウィル・ハンティング』では追いかけ、本作では別れと三者三様であった。
物語自体は本作が実話のぶんだけ淡々と当たり前に進み、それをリアルでよいと思うべきなのか。あまりにも演出・編集が巧くないというべきなのか。
よい演出家ならその当たり前をもっとうまく見せてくれるのだろうが、映画としての感動は物足りないものだった。

言うだけ言っておきながら、それでもこの映画を観通したのは松山ケンイチの魅力に他ならない。
似合うとは思えないながらも、不良姿の愛らしいこと。思い切り睨みつけるにはドスがきいていないし、時折見せてしまう茶目っ気な表情のほうが本物っぽく感じてしまうのだが。
松ケンを思い切り観ていられるというだけでもこの作品は捨て難い。

監督:花堂純次 出演:松山ケンイチ 真野響子 伴杏里 片桐竜次 二木てるみ 西村雅彦
2005年日本



ラベル:松山ケンイチ
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2008年03月11日

『蒼き狼 チンギス・ハーン』サイフ/マイリース

チンギス・ハーン.jpg
GENGHIS KHAN

昨日、日本映画『蒼き狼 地果て海尽きるまで』(澤井信一郎監督/角川春樹総指揮)を観て「これが英雄・チンギス・ハーンの姿なのか?」とどうしても腑に落ちなかった私なのである。
反町隆史=チンギス・ハーンは英雄というより単なる愚者で男の風上にも置けないような卑怯で優越感のみが際立っている(群集を前に威張っているだけの情けない男にしか見えない)
映画自体にも何の感動もなく物語にも訴えるものがない。男のロマンも愛も感じない。しかも映像としてはやたらに大草原と青空と群集を映すばかりで映画としての美しさ、壮大さなどどこにもない。
一体これのどこが英雄なのか、これが尊敬される男なのか、モンゴルの勇者というのはこういうものなのか、なぜそういうものに憧れ映画にしたのかすら伝わってこない映画作品であり、何の価値もない英雄の姿である。
以前から観ようかと思いつつ、そのままになっていた中国映画の『蒼き狼 チンギス・ハーン』の中に求めている答えがあるかもしれない、とすがってみた。
以下、二つの『蒼き狼』をくどくどと比較していく。うんざりされることうけあいである。

本作は中国映画になっているが、監督はサイフ/マイリース夫婦監督、どちらも内モンゴル出身の映画監督であり、日本では『天上草原』が有名だろうか。私もこれは鑑賞済みであった。
モンゴル出身監督が作り上げたこの作品はさすがにはっと打たれるような凄みがあった。昨日観た奇妙な映画は一体なんだったのだろうか。

サイフ/マイリース『チンギス・ハーン』を観ればこれが映画だと思える壮大さ、重厚さが溢れている。
日本版にまったくなかった爽快感、騎馬というもののかっこよさ、戦いの壮絶さもここでは描かれていた。
なんだか日本をこき下ろして中国版を褒め称えてばかりでは不甲斐ないというものだが、比べてみれば一目瞭然なのだから仕方ない。

日本チンギスはやたらぺちゃくちゃしゃべって男の風格を落としてしまうのだが本作の彼は無口であんなにくどくど話していない。
ナレーションが彼自身の心の内を語るのがここではうまく作用している。
日本版とこの数年前に作られた本作はストーリー自体は驚くほど似ている。多分にこの作品から様々な場面を借用したことが見て取れる。筋が似てるのは歴史だから仕方ないとしても演出そのものが同じというのは
不思議ではないか。
しかもまた奇妙なことに物語の大事な部分、感動的な箇所はすべて抜き取られ、余計な装飾が加えられているのは理不尽としか言いようがない。いっそのこと、全部盗用したほうがいや今流行のリメイクと称して作らせてもらった方がよほどよかったのではないだろうか。

日本版大草原はいつもいい天気でのどかな風景だが、モンゴル版は自然の荘厳さが常にある。
ここでテムジンの母は草原の中でテムジンを産み落とす(この話ははっとした。『射[周鳥]英雄伝』で郭靖の母は草原で彼を産むのだが、あれはテムジンの話をなぞったものだったのだと初めて知ったのだ)
族長だった父が死に仲間がテムジンの家族を見捨てて逃げた後、彼らは過酷な冬を過ごす。食べ物がなく兄弟は飢え、同じく飢えているはずの母親はすでに大きい子供達にその母乳を与えるのだ。乳が満足に出るわけもないのに。また母親は飢えた子に食わせる為、ゲルの周りをうろつく狼を殺しに行く。小さなナイフだけで。
日本版に出てくる女達はただの飾りにしか過ぎず一人兵士だと言い張って何もしないのもいたが、本作での女たちは女として戦い生きている。
本当の英雄はテムジンの母親のことではないのか、と思える。テムジンもまた母親を尊敬し続ける。

こうやって書いていくと本当にそうだったかはわからない、という言い方もあるだろう。
だが、問題にしているのは映画が事実だったかどうかではなく、そこで何が語られ、表現されているかなのである。
日本版のかっこつけただけの英雄と何もしない女達を見た後、本作の男と女を観ているとその違いが天と地ほども違うのに叩きのめされる。

テムジンの描き方の違いも顕著である。
日本版ではテムジンが弟を殺す原因がよそ者の子だと言われたという自尊心からきていて、それだけで弟を殺した反町テムジンの非常さにあきれたが、本作では飢えた状況で一人だけ盗み食いをする弟を許さず殺すことになる。それを知った母はテムジンの心の狭さを嘆く。テムジンは人の命の尊さを教えられ、仲間を怒りで殺す事はしまいと誓うのだ。
日本版ではチンギス・ハーンとはなんと無情の者かと思い、なぜこんな男に人が従うか理解できない。モンゴル版でこそ母に教えられ成長していくテムジンに共感できる。
また何と言っても日本版のテムジンへの嫌悪は血のつながらないジュチへの冷たさである。口だけでは息子への愛を語るが実際は酷い仕打ちをするだけだ。失った後で涙を流す姿はしらじらしく腹立たしい。
モンゴル版では自分の誕生がタタールの族長の手でなされたことを知ったテムジンが世の中のめぐり合わせ、命の尊さを感じ、敵の子を身ごもった妻を受け入れ、その子供を息子とする心の広さを持つことを学ぶ。
こっちのテムジンの子だったら松ケンも幸せだったのに、残念である。
「ジュチ」の意味も日本版では「よそ者」こちらは「客人」だ。微妙に意味合いが違うのがおかしい。

映像の違いもはなはだしい。
映画の美しさ、自然の苛烈さを本作で味わって欲しい。
角川版は人数の多さを誇示したいのか、やたらと遠景で撮っていたために絵でも眺めているかのような空々しさがあるがこちらではカメラがぐっと中に入ってくる力強さがある。
日本映画というのはこんなに弱々しい情けないものかと思ってしまうが、サイフ/マイリースの映画にはどこか日本映画で観た雰囲気もある。『天上草原』でのインタビューで彼らは「黒澤明から随分学びました」と言っていた。なるほど、この映画の力強さ、爽快さ、重厚感は黒澤からきたものでもあるのかもしれない。
そう思うと複雑である。
黒澤のそれは日本版にはなかった。

いつも晴れ渡った日本版の草原と違い、本作では凍てついた大地、雪と氷の草原もある。
戦闘場面が夜の闇の下、松明の炎の中で起きる。激しく燃え盛る中での激しい戦いは壮絶である。
馬の撮り方も素晴らしい。スピード感が全く違う。ぐっとせまって動きを追っていくために生まれる迫力がある。
光線と影の使い方も絶妙で重厚さがある。草原の中に視線を落としている為、風が草をなびかせる美しい場面もある。
テムジンの若き花嫁が全裸で草の中を歩く場面もある。

これを観て映画というものがいかに美しく力強いかが伝わってきた。草原の勇者の勇猛さも女たちの勇敢さも。
日本版のあれはあえていうなら女の腐ったような奴である。
せっかくのいい作品を日本映画『蒼き狼 地果て海尽きるまで』(澤井信一郎監督/角川春樹総指揮)との比較に使ってしまい、申し訳ない気持ちだが、まさかここまで見比べて真似をしたように思える箇所もある上に、いい部分は真似されていないことをむしろ残念に思える。
救いは鑑賞した多くの人が当然いい評価はしていないことである。
まさかあれがチンギス・ハーンの姿だと信じる人もいないだろうし。

反町チンギスが群集の前でこれ見よがしに大見得を切る場面は最も醜い場面だが(アレを見ると変なインチキ宗教家かヒットラーでも思い出さずにはいられない)本作では簡単に「テムジンは後にチンギス・ハーンと呼ばれるようになった」とナレーションが入るのみである。
美しく優しい妻の悲しい運命を受け入れたテムジンが家族と共に馬で草原を駆けるシーン、なおも征服を続けたテムジンがやっと幸せに暮らせるようになった母親のもとで戦いの疲れを癒し、孤児達を母に託すというラストこそ英雄の話にふさわしい締めくくりなのではなかろうか。

監督:サイフ/マイリース 出演:テューメン アイリア バヤェルツ ベイスン キナリツ
1998年中国

映画の冒頭で「男は別の種族の女を略奪し子供を産ませた。遠い土地の女との間に生まれる子ほど優秀な子供ができるからだ」てな説明が入る。
これは私の中国人老師もおっしゃっていて「だから中国人と日本人の間に子供が出来たら優秀な子になるのよ」と言われたのだった。
これは中国&モンゴルでは通説なのであろうか。
優しかった老師を思い出してしまったよー。ぐすん。



ラベル:歴史
posted by フェイユイ at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『デトロイト・メタル・シティ』松ケンのヘビメタ

デスメタル.jpg

今朝めざましTVで新作『デトロイト・メタル・シティ』に主演した松山ケンイチを見れた。
ヘビメタロッカーに扮した彼とマッシュルームカットの松ケン。相変わらずいっちゃってる様子ですてきでした。
これも楽しみ。

松山ケンイチ:Lの次は気弱な悪魔系ロッカー! 「デトロイト・メタル・シティ」

松山ケンイチ今度はメタルデス…L役に続き映画「デトロイト―」主演

問題のヘビメタロッカーの姿

Lの次はKISS!? 松山ケンイチが過激メイクでロッカーに変身!!

変身前の姿
posted by フェイユイ at 10:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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