映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年03月03日

『男たちの大和/YAMATO 』佐藤純彌

男たちの大和/YAMATO.jpg男たちの大和/YAMATO 2.jpg

観る前にためらいと抵抗を感じなかったと言えば嘘になる。
だが観続けるうちに予想したものとはまったく違う物語だったと思い始めていた。
但し表現が散漫で奇妙に隠したがる演出なのでなかなか本質が見えてこない。演出過多な箇所も多くあり、そのためによさが消えてしまったのではないか。
非常に面白いいい映画でもあるのに金がかかっただけに様々な障壁が生まれたようにも思える。

躊躇の一つは主役が反町隆史と中村獅童だということだったが、どういうものか実際の主人公は松山ケンイチ演じる少年兵・神尾克己なのであった。
冒頭とラストでも年老いた彼が物語を繋いでいくことからみてもこの作品は神尾克己という一人の頼りなげな少年(16・7歳)が突如戦艦大和の特別年少兵となって乗り組み、そこで出会う仲間と共に戦闘に突き進む姿が描かれていく。
ところが作品の紹介としてはこのタイトルであるし、主役は先に書いた二人となっており、様々な男たちのドラマとして受け止めてしまいそうになる。
無論、この映画の作り方がそういった表現を取ってしまっているので仕方ないことではあるが、自分としてはこの作品のタイトルは『大和に乗ったある少年兵の人生』ということなのであり、もっと神尾克己にのみ焦点を当てていった方が判りやすかったのではないか。
「大和の全貌が見えないために戦闘シーンの迫力が足りない」などという不満も神尾に視点を持たせれば無くなってしまう。神尾が目なら大和の全貌が見えるはずはないのだから。
ただしせっかく巨額を投じて作った戦艦大和が随分勿体無い使われ方になってしまうが。
「戦闘シーンばかりで人間ドラマが希薄だった」というような批判もあったようだが神尾少年を中心に観ていけばそうは感じない。

神尾は当時教育を受けた少年らしい純粋な気持ちで戦争に赴いている。けなげに仲間を守り、敵を討とうとする姿はいじらしいが一方何も考え切れていない憐れさがある。
やや年長の先輩2等兵、森脇(反町)内田(獅童)は幼い彼よりも何かを知っている感がある。
この“感”がくせもので特に森脇は意味ありげに何かを含んでいるのだが言葉にしないためにそれを察知しなければいけない。
人によってその感じ方はマチマチになるだろう。年少兵が「戦って死にます!」という時森脇は何か言いたげに見ている。人によっては彼が「よし、偉いぞ」と満足していると感じるか、悲しげに見ていると取るか。
が、次の場面で森脇が「あんな子供が死の本当の意味が解っているとは思えない」とつぶやく。
また「総員退艦命令が出たら必ず逃げるんだ」と叫ぶ。そして逃げまいとする若い神尾を突き落として海へ逃れさせるのだ。
少年神尾の命は二人の先輩によって救われるが彼はその意味が解らないまま長い年を生き続ける。
両親兄弟、好きだった少女とも死に別れ、生き延びた神尾は生きる意味がなかった。
戦後60年たって出会った内田2等兵曹の養女から聞いた「義父は戦後多くの養子を引き取って育てたのです」という言葉でやっと生き延びた意義を知る。彼の長い人生は無に等しかったかもしれないが、最後に残された時間を意味を持って生きていくのだろう。
神尾は少年の時と老いてからと2度彼に救われたのだ。
とはいえ神尾の人生はあまりにも悲しいではないか。純粋で誠実だった彼はそれだからこそ、長い時を苦悩の中で生きなければならなかった。内田の年齢なら人生の意味が解ったかもしれないが、少年の神尾はまだ何もわからないままに戦争の中に投じられ、すべてを失い、少年のまま成長することなく人生を送ってしまったのだろうか。戦争は彼の人生の殆どを破壊してしまったのだ。

この作品を最初からのめり込んで観たわけではない。観始めても暫くは「やっぱり思ったとおりのいかにも戦争ものだ」という思いで観続けていたのだが、物語も半ば、臼淵磐大尉(長嶋一茂)が静かに言った「今目覚めずしていつ救われる?・・・俺たちは日本が新しく生まれ変わるために先駆けとして散る。将に本望ではないか」という言葉でうん?となった。これはそれまでの物語とかけ離れた感覚があり、この戦闘中に若い士官が言える言葉だろうか?とすら思えたのだ。
物語から突如浮き上がったこの一言にこの映画の意味が表されていると感じ、そこからまったく違う思いで観続けたのだった。だがこの思いも唐突に与えられないほうがよかったのかもしれない。
調べてみると臼淵大尉は実際の人物なのだが、この言葉は本当に言ったのかどうか、伝達者の気持ちから生まれたのでは、ということらしい。
映画の原作とは別に彼を描いた著作にこの言葉があるというのだが、本作の軸ともなるべき言葉が他の著書から出ていたというのは不思議な話ではある。
理解を与えてくれる言葉ではあったがむしろ借り物的な「いい言葉」をいきなり放り込む方法ではなく地道に感じさせてくれればよかったのである。
私が主人公と信じる神尾はこの言葉を聞いていないことが本当につけ足しのように思えるのだ。

いい映画なのだがどこか間違っている。間違っているが神尾少年を中心とした話としてみれば非常にいいような、ちぐはぐだがそれでも悪いとは言い切れないもどかしい映画として記憶に残りそうである。
しつこいが神尾少年の視点だけで物語を構成して金もあまりかけずに作っていたらもっとずっといい映画だったのに。

CGを使った戦闘シーンはハリウッドに比べればイマイチなどと言われているようだが、自分的に戦争の空しさ勿体無さが充分に感じられた。なんという生命の無駄使いだろうか。次から次へと人間が血まみれになり何の意味もなく救護班の元へ運ばれる。なす術もないその有様は地獄としか言いようがない。

また『プライベートライアン』を引き合いに出されているようだったが自分としては『フルメタルジャケット』を思い出していた。といってもそれも遠い記憶だが。

神尾克己を演じた松山ケンイチは文句なくよかった。群集シーンになっても彼ばかり追っていたのだが。いつでも間違いなく神尾年少兵を演じきっていた。
前述したとおり彼がこの作品の若き主演となっていたらまたイメージも随分変わったのかもしれないが(そういう意味でならそうならなくてよかった)
彼の目はちょっとイッチャッテル感があるのだが、若くて純粋で狂信的に戦闘にかける姿は彼にふさわしい役柄であった。
彼の恋人(というには可愛すぎるが)役、蒼井優もぴったりで初々しさが切ない幼い恋人達である。
内田の恋人・芸者の寺島しのぶはちっとも綺麗じゃないのが凄い(褒め言葉である)獅童氏との組み合わせは迫力ある豪快な恋人同士だ。

もう一つの組み合わせは森脇・内田なのだがなにしろ反町・獅童なのでいまいちその気になれない。
それにしてもこの二人が大和最期の場面で神尾を突き落としたのは二人きりになりたかったからでは?などと考えてしまう。ラブシーンに子供は邪魔だ。
とはいえ、物凄い形相のこの二人に抱きしめられていた松山ケンイチは可愛かった。このシーンを観るために私は観た、と言いたいが反町・獅童ではなあ。
この箇所を書くためにここまで書いた、とは言えるかもしれない。

監督:佐藤純彌 出演:反町隆史 中村獅童 鈴木京香 仲代達矢 長嶋一茂 渡哲也 奥田瑛二 寺島しのぶ 蒼井優 松山ケンイチ
2005年日本


posted by フェイユイ at 22:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。