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2008年03月05日

『アカルイミライ』黒沢清

アカルイミライ.jpg

本作『アカルイミライ』は以前観たのだが、松山ケンイチ初映画出演ということだったので観直す事にしたのだった。最近、こういう人結構多多いのではなかろうか。

で、初観の感想というのは非常によくなくて自分と合わないな〜というものを感じていた。再観して突如印象が変わるかも、というひそかな期待もあったのだが、殆ど変わらなかったというのが結果だった。
なので今回は「なぜこの映画が面白くないんだろう」ということを考えてみることにする。無論私にとって、ということで。

では、この映画の出来栄えが悪いのか、というとそんなことは全然ない。むしろ今回観なおして大変よくできた作品だと思えた。
よく言われる「解りにくい」ということはなくて、というのが傲慢ならよく「伝わってくる」作品だった。
丁寧で親切な作り方だし、ストーリーもきちっとまとまっている。
すべての登場人物が過不足なく説明されていて物語もしっかりした起承転結で構成されている。使用される小物も伏線も効果的で文句はない。シリアスに攻めてくるところも悪くないし、全体の雰囲気荒い画面や音楽もうまく合っている。
ゆらゆらと浮かぶアカクラゲを雄二や若者のイメージと重ねる。「守さんをずっと待っている」という成長したがらない雄二を怒る守。
親子関係が希薄な時代に守や真一郎と雄二を擬似兄弟・父子として描く。それらを通して雄二の再生と成長を描く。

というように大変巧くできた映画なのだが、テーマ自体、語られている物語自体がもうこういう形で観たくないかなーと思ってしまうのだ。
何かができるはずなのに自分を見失って毎日をだらだらと生き、ある人間(ここでは守の父、真一郎)との出会いで目覚めていく、という筋を書くと(まあ多分いっぱいあるんだろうけど)殆どガス・ヴァン・サント監督の『グッドウィルハンティング』と同じである。
暴力をふるって警察沙汰になるのは『グッドウィルハンティング』では主人公ウィルでこちらでは友達の守。向こうはすぐ出てくるが、こちらは暴力が殺人になってしまっているので死刑、しかし途中で自殺という違いである。
向こうでは大学教授にカウンセリングを受け続け、こちらでは中古品屋の親父に罵倒されて目覚める。
中古品を再生する仕事、というのが駄目になった人間を再生する仕事の教授と似通っているのは面白い。
向こうは大学の掃除人、こちらはお絞りを綺麗にするクリーニングというのも不思議に似てるし仕事後にあちらはバッティングセンター。こちらはボーリング。但しあっちには恋人ができるがこっちにはできない、と。
あちらの移動シーンは電車でこちらは軽トラ。気持ちよさそうな顔をする場面もある。
最後に自分を再生してくれた男と抱き合うところまで一緒というのはどういうことなんだろうか。ここでは男が「君を許す」と言ってるし、あっちでは教授が「君は悪くない」って言ってたっけ。どちらも同じ意味ではある。
真似だとか言いつけるつもりはないが、それでも似ている。
そういうストーリーが若い時には必要で繰り返し違うやり方で語り継がれているのだ、と認識すべきなのか。
若いマット・デイモンとベン・アフレックの共作である脚本と黒沢清脚本がこう似てしまったのか。不思議ではある。
黒沢清にどこかあの映画の記憶が残っていたのか。それとも本当に下敷きになっているのか。


『グッドウィルハンティング』は嫌いで本作は好き、という人もいるだろう。たまたま私はその逆だったということだ。
同じような話なのにも関わらず、どうして私は『グッドウィルハンティング』は好きでこちらは嫌いなのか。

最も嫌なのは守の死である。
『グッドウィルハンティング』での守役(守って名前はそのままずばりでいいね)のチャッキー(ベン・アフレック)はウィルに「Go!」のサインを出しても死なないで生きているのに、ここでは守を死なせてしまう。死ぬ事で美化される友というイメージには反発を感じる。
一人の人間をあーゆー形で死なせる、という感覚が私は嫌いだ。
「一粒の種は死ぬ事によって豊かな実を結ぶ」という言葉を表現したかったのかもしれないがどうしてもこのやり方は嫌いなのである。
チャッキーのようにいつかまた会える、という存在であってほしいのだ。

次は配役である。
一人ひとりの役者は好きなのだが、配役のセンスがどうしてもしっくりこない。主要人物に美形ばかりを使っているのがどういう趣味なのか理解しがたい。
オダギリと浅野忠信というのが似たような美男同士なのが落ち着かないし、何故か観ていて二人の間に特別な関係がじっくり流れてこないのである。擬似兄弟というイメージがあったのかもしれないが、感じないんだよねー、いいものを。
守の父に藤竜也というのもいただけない。これは彼が昔2枚目だったというのが私の中にあるせいかもしれないが、もっとかっこ悪いおっちゃんだといいのに。おまけに藤竜也の話し方が丁寧で気持ち悪い。普通のおっちゃん語がセクシーでいいのに。
そして弁護士もりょうを使うとか配役がいちいちひっかかるセンスで観ていられない。りょうさんは綺麗で嫌いじゃないが配役のバランスが自分と合わないのだ。
唯一雄二の妹の彼がはなわというのはよかったかな。

そして住居と服装のセンス。
工場長の家は普通でよいけど、雄二と守の部屋はいかにもビンボっぽくあり得ないデザインだし、服装がまた凝りに凝った貧乏デザインで気に触って仕方ない。逆に物凄く高価としか思えないのだ。独特の世界観を出そうという試みだったのだろうが、普通の安アパートに住まわせ、安物Tシャツジーンズの方がよっぽどオダギリと浅野の体が綺麗に見えたろうに残念である。無論この辺私の趣味である。

だらだらと書いてきたが、そういった映像と物語の主旨が自分の好みの範疇でなかったわけで、他がいかに巧く作られていても好きにはなれないのである。
雄二の意外にずうずうしい性格も好きじゃない、とかね。おっちゃんに物を運ぶように言いつけたりとかね。自分で運べよ。
つまり、キャラクターのどれも(特に主人公に)恋できないのだ。可愛いと言って抱きしめたくならないのだ。

この辺にしよう。

で、肝腎の松山ケンイチはどうだったか。
これは楽しめたね〜。クレジットでも一塊の最後に表示されてるくらいだからまだまだ目立たない存在だったのか。でも幾つか台詞はあるし、割に真ん中とか前列にいるので結構いいほうだったのか。
こんな十把ひとからげの中でも懸命に演じているのがよく解る。熱い、と言ってもいいくらい。
ゲーセンでだれている雄二を手荒く扱うのも懸命だし、最後チェ・ゲバラのTシャツを着て道路の空き箱を蹴飛ばすにもサッカーの足技を使って見せたりしてどこまでも魂込める人である。後ろの奴の蹴ったのが手に当たったのにも痛がってみせたり。
最後の最後も前列で歩いてきてたがもう頑張って前に出たとしか思えないんだけど。
可愛い。ホントにこれ観るためだけでも観てよかった、と思える松ケンであった。

最後に。
では何もいいところがなかったかというとそうではない。前述したように構成や物語り方は巧いのでつい観てしまうところはある(せめて守が死なないならなー)
作品の発端になったという床板を剥がすと下に水が溜まっていてくらげが光りながら浮かんでいる、というイメージは本当に素晴らしい。ただゆらゆらして漂っているようで猛毒を持つというのが雄二と重なるのもうまい。
単に綺麗ということだけでなく人に被害を与え、迷惑になっているという現実もよかった。最後、そろって「東京を出て行く」という落ちもよかったしね。
これは『グッドウィルハンティング』にないものだ。思うにウィルの天才的頭脳という個性がここでは「くらげを飼う」という個性になっているのではないか。
これは全く違うものなのでこのイメージで膨らませていって、こんな「今時の若者の堕落と再生」みたいな生真面目な話にしなければよかったのに、などと思ってしまう。
これも私の趣味でしかないのですがね。結局は繰り返しになるけど若者にはこういう話が必要、ということなのだろうけど。
『大人は判ってくれない』の方が今観ても衝撃だったし。『スイート・シックスティーン』『キッズ・リターン』とかね。


監督・脚本:黒沢清  出演: オダギリジョー、浅野忠信、藤竜也
2003年日本




ラベル:再生 青春
posted by フェイユイ at 22:19| Comment(8) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヒース・レジャーの『恋のからさわぎ』映像配信

恋のからさわぎ.jpg

ヒース・レジャーの『恋のからさわぎ』がDISCAS映像配信で観れます。
配信終了日が2009/03/02で、48時間420円なので観やすいのではないでしょうか。
yesasiaのDVD購入ができなかった(売り切れ?)ので私もこちらで是非観てみようと思っています。
posted by フェイユイ at 14:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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