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2008年03月07日

『フルメタル・ジャケット』スタンリー・キューブリック

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FULL METAL JACKET

遠い昔に観たきりだったと思うが、久し振りに観てもやはり秀逸な作品である。
言いたい事だけ言って、描きたい事だけ描いてサッと終わる。そんな感じ。

まず驚かされるのはこの映画には“反戦”だとか“人類愛”だとかそういった戦争映画を製作する時に必ず含ませなければならない、と思われるものを微塵も感じさせないところだろう。
「ベトナム戦争」はここでは物語のための装置なのであって、ここに描かれるのは“戦争の狂気”そのものなのだ。人間は巻き込まれたら最後そこから逃れる事はできないのである。

物語は前半のキャンプでの訓練と後半のベトナムでの戦闘という構成になっている。“ジョーカー”とあだ名される主人公が語っていく。
前半の訓練ではもうこの映画を観た事がなくともイメージとして皆が知っているであろう鬼軍曹のシゴキが描かれる。
下劣極まりない罵り声を伴奏に軟弱だった肉体と精神を戦闘のみに機能する海兵隊として作りかえられる若者達。
人間兵器となっていく彼らは次第に狂っていくのだが、それに気づいてはいないのだ。
理不尽でも命令に従い、仲間をリンチしてもそれが当然のこととなっていく。
そして鍛え上げ、服従させた軍曹自身が兵士に殺されるという狂気。

後半、主人公ジョーカーはベトナムの地に立っている。
すでにここから彼がおかしくなっているのだ。仲間があの状態で死んだのにそれを忘れたかのように戦地へ赴いている。
戦闘がなければ退屈を感じ始めるジョーカー。確かに彼は道化師の役を果たしている。
仲間たちと荒れ果てた市街を進む内、どこからか狙撃される彼ら。見えない敵に一人、二人と殺されていく恐怖の描き方が際立っている。
味方を見殺しにしようというのも狂気なら、銃弾の中を走り抜けていく男も狂気である。
恐怖に陥れた狙撃手の正体を知った時の彼らの狼狽。
この実態が最も酷い戦争の狂気なのか。

そしてジョーカーは「もう何も怖れたりはしない」と語る。怖れるのが当然の中で彼の精神はもう破壊されてしまったのだ。
そしてミッキーマウスの歌を歌いながら彼らは戦地を進んでいく。

冷め切った視線であざ笑うかのように彼らの殺戮が映し出される。そこには人間の尊厳も平等もなく、生命は簡単に断ち切られてしまう。
そういった描き方が却って戦争の惨たらしさを鮮烈に映し出す。
胸にはピースマーク。頭には「BORN TO KILL=生来必殺」と書かれている矛盾。

さらに怖ろしいのは。
この映画を観ているとなんともいえない高揚感あるいは快感を覚えてはいないか。
まるで自分もそこに居る兵士のような錯覚、勇敢な行動を取る英雄のような気持ちに。
戦地での狂気に憧れ、快い戦慄を覚えてはいないか。
それはキューブリックの映像の魔のなせる快感であるとしても。
キューブリックはそんな心を知ってあざ笑っているような気がする。

この映画を今初めて観た人はすでに観たことがあるように感じるのではないか。訓練シーンも戦闘シーンもこの映画から剥ぎ取られ続け、ズタボロになっている感がある。
キューブリックといえば『シャイニング』『時計仕掛けのオレンジ』『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』もしかしたら『ロリータ』も含め人間の狂気というものを描き続けてきた映画監督である。
作品数は決して多くはないがこれほど強い印象を残す映画を撮れる人も少ないだろう。
といっても最も有名なのが『2001年宇宙の旅』というSFだというのが物凄い。

監督:スタンリー・キューブリック 出演:マシュー・モディン アダム・ボールドウィン ヴィンセント・ドノフリオ リー・アーメイ ドリアン・ヘアウッド
1987年アメリカ







ラベル:戦争 狂気
posted by フェイユイ at 01:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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