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2008年03月12日

『不良少年(ヤンキー)の夢 』花堂純次

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チンギス・ハーンを観るのは平気だが「学園もの」を観るのが苦手な私である。
学園ものを観るのは物凄い勇気と忍耐を必要とする。はっきり言って興味がない。
特に不良がいい先生のおかげで更生する、というようなのはできるだけ遠ざけたい。TVドラマで有名なあれやこれも観た事がない。
そんな私でも感動する「学園もの」に巡りあいたい、と願ってはいる。だが、これではなかった。
(『キッズ・リターン』『青い春』が好きなのはいい先生が出てきて更生させたりしないからだ)

とにかく松山ケンイチが可愛い。とんがった鼻と唇も可愛い。それだけで2時間近く目を離さず観る事ができた。
リーゼントも細い体も懸命に睨みつけてる目も可愛いのなんのって。肌すべすべの綺麗なヤンキーくんだった。

松山ケンイチ見たさ、のみで鑑賞した本作だが、正直言うと松ケンじゃないほうがよかったのではないか、と思ってしまう。
彼ではあまりに可愛くて不良なのかよく判らなくなる。ま、ご本人の義家氏も負けないくらいハンサムな方だから間違いではないのだろうし、不良顔をした不良ということでなく、本当はいい子なのに不良になってしまった少年としての顔なのだ、ということで可愛い松ケンで正解なのかもしれない。ただ私が思う映画としてのみの意見としてはもっと思い切りヤンキー顔な奴にした方が好きになれた気がする。周りの不良たちのほうが可愛く感じたりもした。
関係ないけど彼が教師になった時が『バンジージャンプする』のイ・ビョンホン思い出してちょっとどきどきしてしまう。

本作は義家弘介氏の自伝に基づいたもので実話ということになるのだが、実話という触れ込みの映画というのは映画としては自分は好きではない。どうしても制約ができてあまりいいものにならない気がするのだ。
この作品も実話、ということからなのか、一つ一つのエピソードにつながりがない。実話だと繋がりがなくなる、というのもおかしいようだが創作なら綺麗に起承転結が作れても実際の話というのはリズムなく発生するからということなのだろうか。しかし結局それは言い訳にすぎないのであってもっと一つの物語として丹念に練って欲しかった。
全体の構成にまとまりがなくちぎれちぎれに物語が進んでいく。肝腎の女先生と義家くんの関係も創作ならもっと踏み込んだ表現があるのかもしれないのに現実ではこんなもんか、という感じに受け取れる。というのは映画だけでのことなのか、この辺がまた曖昧だ。
私には先生と義家くんの関係より母親とうまくいっていない女子との話のほうがこの映画では綺麗に表現されていた気がする。
互いに傷を持ちながらも別々の道を歩み出す若い二人の恋心と夢が伝わってきた。

先日話していた『アカルイミライ』と『グッド・ウィル・ハンティング』とこの物語も結局は同じ話のわけである。
こうなったらもう真似もなにもないだろう。
才能あるはずの若者が世に拗ね、ある人の熱い心で未来への道が開ける。そういう物語を多くの人が好む、ということなのだろう。後はその主題をどう肉付けしていくか、である。
恋人に関しては『アカルイミライ』には存在せず、『グッド・ウィル・ハンティング』では追いかけ、本作では別れと三者三様であった。
物語自体は本作が実話のぶんだけ淡々と当たり前に進み、それをリアルでよいと思うべきなのか。あまりにも演出・編集が巧くないというべきなのか。
よい演出家ならその当たり前をもっとうまく見せてくれるのだろうが、映画としての感動は物足りないものだった。

言うだけ言っておきながら、それでもこの映画を観通したのは松山ケンイチの魅力に他ならない。
似合うとは思えないながらも、不良姿の愛らしいこと。思い切り睨みつけるにはドスがきいていないし、時折見せてしまう茶目っ気な表情のほうが本物っぽく感じてしまうのだが。
松ケンを思い切り観ていられるというだけでもこの作品は捨て難い。

監督:花堂純次 出演:松山ケンイチ 真野響子 伴杏里 片桐竜次 二木てるみ 西村雅彦
2005年日本





ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 23:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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