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2008年03月14日

『サウスバウンド 』森田芳光

サウスバウンド.jpg

これもちょい役の松山ケンイチだけが目的で観たもので作品のあらすじを読んでも乗り気にならなかったのだが、観てるうちに何かしらの感慨がじわりと滲み出てきたのだった。

この映画、原作を読んでいた方には不評のようだが、自分は未読のため、イメージの違いなどで苦しむこともなかったのは幸いだったかもしれない。
とはいえ、非常に面白かったのかというと正直面白いというほどはなかったのである。特に東京編は退屈で早回しで観ていたのだが(それだけじゃなくて松ケンが出ていなかったからじゃん?)
沖縄編になってから俄然興味が出てきたのである(無論松ケンも登場したし)
その沖縄編も大感動、というほどのこともないのだが、なにやら気になる不思議な味わいが残ったのだった。

その昔、大好きなリバー・フェニックスが出ていた『モスキート・コースト』という映画があってそれはそのまま同じ設定で都会が嫌になった親父が家族を引き連れて南のほうへ移住してしまうのだ。子供達は強引な親父に引きずられていった形で戸惑うという話だった。
そちらがどうなったのか全然覚えていないのだが(これも再観の必要あり)本作では最後親子の奇妙な繋がりができていく。
まだ小学生の子供たちを残したまま夫婦でどこか解らないところへ行ってしまうなど、とんでもない話のはずだが私はこのラストに不思議な力のある夢と希望を感じさせられてしまったのである。
多分、場所が沖縄の自然の中というので納得させられてしまった気もするが。

これを観てると「沖縄っていいなあ」と勝手にイメージを膨らませてしまう。青い海と空と太陽と自然とゆっくりした時間。
越してきた二人を含めても7人しかいない学校ものどかで楽しそうだ。父さん母さんがどこかへ行ってしまっても生きていけそうな気がする。

そして問題はやはり全共闘夫婦である。

自分らの前世代である全共闘世代にはある種の怖れと憧れ(かどうかよく解らないが)がある。
しらけ世代を経て新人類などと言われていた世代から見ればその考え方も熱い血潮も全く違う人種のように思える。
今はちらちらとTVなどでその言葉を聞くことはあっても映画などでそれほど彼らの姿を見る事も少ない。
時代もの、というにはまだ時代が浅く、ちょっと思い出すには遠い昔になった時代なのだ。
ここらの映画なりを観たいなあと最近よく思ってはいたのだ。つまりこの映画のように思い出という形でなく進行形の作品でだが。
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』を早く観たいと思ってはいるのだが。

そういった全共闘のイメージを抜きにしてはこの親父の存在は謎だろう。美しい奥さんも同類、いやそれ以上の猛者のようだ。
わが道を漫然と歩き続けるこの夫婦は日本の街中においては生きていきにくい存在だったが沖縄においてもまた同じでさらに二人はお伽の国へと向かってしまう。
貧しくても敵ばかりでもこの夫婦の愛は枯れることがない。妻にはいつまでも夫が憧れの人であるらしい。
夫も妻だけが自分の理解者だと言い、子供達のことも愛している。理想の家族そのものの形なのである。
それが実際に生活するとなると世間からははみ出してしまうという不思議。
純粋に家族で生活する事だけを望んで南の島へやってきたが、そこでもさらに追い出されてしまう家族はもう伝説の国にでも住むしかないのだろうか。
無論ふたりは子供達に迎えにいく約束をしている。どこへ行っても何か起きる家族なのだがきっとまたともに暮らせる日がくるのだろう。

さて沖縄で地元のおまわりさんを演じた松山ケンイチ。制服萌えにはたまりませんな。
ていうかやせっぽちなんで初々しいかわいいおまわりさんである。
話し言葉が最初どこの言葉か判らん、と思ってたら地元の人だった。うーん、沖縄弁に詳しいわけじゃないが、なんか違う気がする。きっとまた青森訛りの沖縄弁に違いない。
生真面目でちょっと気弱な松ケンおまわりさん。可愛い。
しかしほんとによく働く人である。
結構有名のはずなのにここまでこまめに出演している人も珍しいような。ファンにとっては色んな姿が見れて楽しいわけだが。

監督:森田芳光 出演:豊川悦司 天海祐希 北川景子 松山ケンイチ 平田満 吉田日出子 田辺修斗 松本梨菜

サウスバウンド松ケン.jpg
舞台挨拶の模様


ラベル:家族
posted by フェイユイ at 22:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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