映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年04月29日

『ハッスル&フロウ』クレイグ・ブリュワー

Hustle_and_flow.jpgハッスル&フロウ2.jpg
Hustle&Flow

『ブラック・スネーク・モーン』を観て惚れてしまったクレイグ・ブリュワー監督のその1年前の作品だが、これもまたたっぷり酔わせてくれた。

数人の売春婦(黒人&白人)を使ってしがない稼ぎで食いつないでいるピンフ(客引き)の黒人中年男Dジェイがひょんなことで聞いてしまった黒人女性の歌声に涙する。
Dもかつてはラッパーを目指していたのだった。
まともな生活をしている昔の友人(黒人)と彼が連れてきた若い白人男と手を組んでDは再びラッパーの道を目指すのだった。

黒人・白人と書き立てるのは気が引けるが『ブラック・スネーク・モーン』と同様(こっちが先だが)黒人が主要人物というのがやはりポイントなのである。プラス白人の女性と男性が少しずつ登場して白人の観客も参加できる仕組みになっている(のだろう)

物語はもーいかにもラッパーならではというこてこての展開。貧乏で不運で女を食い物にして日銭を稼ぐならず者なDジェイ。日頃の鬱憤を全てラップに注ぎ込む。
夢と希望の全てをかけてデモテープを作り上げ人気ラッパーにそれを手渡そうとするが喜びは束の間、Dの行動が全てをぶち壊しにしてしまう。

黒人女性の歌を聞いて涙を流すDを観てまあなんという判り易い反応だろうと思いながらもその歌声の素晴らしさにこちらもじわり。
情けない客引き男があっという間に音楽にのめり込み友達と共に悪戦苦闘でスタジオを作り、音楽を作り上げていく過程は観ているだけでも楽しくなってにやついてしまった。
歌を作っていくのって面白そうだなあ。とはいえ私は音楽素養などまったくないので作れるわけもないが。
Dの売春婦の一人で妊娠中のシャギにちょっと歌わせたところ、これがとんでもなくいけていた!うーん。黒人女性だからなあ、などと納得していいのやら。これがめちゃめちゃかっこいいのだからもうどっちでもいいか。
とにかく御手製のスタジオ、仲間内でソウルフルなラップが吹き込まれていく。

そんな大事なテープをどうして有名とはいえ一人のラッパーに手渡す事で夢を繋ぐのか、実はいまいち判らない。
まだしも最初からラジオ局なり、どこかの音楽事務所なりに持ちかけたほうがましと思うのだが、アメリカではこういう形、もしくは黒人としてはこの方法が多いのか。
まあ、こうしてDは自分の手で自らの夢を断ち切ってしまう。
普通ならここでもう「なんて最低な結末だ」になりそうなものを思わずにやりとしてしまうこれからへと繋げてしまうのだ。

ラップといえば自分は台湾人の周杰倫のしか聞かないし、てんでなにもわかっちゃいないけど、この映画は最高にいかしてた。Whoop That Trick!
Dジェイは女にも酷いし情けない役どころなのだが、演じるテレンス・ハワードはどう見てもかっこよくてステキに見えてしまうんだよね。ホントに嫌な感じだったら見たくないだろうけど。
やせっぽちの白人青年のブルースに関する熱論がかっこよかったし、白人売春婦ノラの最後の活躍も決まっていて白人二人もソツなく活躍。
音楽のできる過程をわくわくと見れてそういまくいかないよ、と釘をさされ、でも人生そう捨てたもんじゃない、と思わせてくれるちょっといい映画だったね、これは。

走る車のホイールが綺麗だった。

監督:クレイグ・ブリュワー 出演:テレンス・ハワード アンソニー・アンダーソン タリン・マニング タラジ・P・ヘンソン D.J.クオールズ
2005年アメリカ
ラベル:音楽
posted by フェイユイ at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『中国の植物学者の娘たち』ダイ・シージエ

学者.jpg
Les Filles du Botaniste Chinois

真っ先に結論を書くと何かとまずいからちょっと後にするけど、いつまでたってもこういう話なのかねーと思いつつ、いつか新しい物語が観れるだろう、それまで我慢我慢とつぶやいたりもしてみる。

植物園の緑の色彩の美しいこと。主役の若い女性たちの美しい肢体に見惚れているだけで時間は過ぎていった。濃厚な湿気と香りを感じさせる花と緑の園で愛する人を見つけた女性たち。その相手は自分と同性であったのだ。
美しい彼女達と見てるだけで癒されていくような画面に惹き付けられて観てしまった。

なのにこの物語はなんだろう。
繰り返し繰り返し作られる「最後に死を迎える同性愛映画」というものにはもううんざりである。
実話だから、というのは言い訳に過ぎない。そういう題材をあえて選んでいるのだから。
思わず涙がこぼれてしまうほどひたむきに愛し合う二人の女性。見入ってしまう美しい裸体とあまり露骨ではない夢見るような同性の触れ合いの場面。
そして最後に全てを破壊してしまう死の場面。

なんでなのかな。
結局観たい場面だけ見せておいて「でも同性愛は禁止だからね。死刑だよ」というラスト。
それを美しいと思わせてしまう狡猾さ。
金庸の物語でも同性愛ではないけど禁じられた恋人達は自分達だけの世界で生き続けたじゃないか。
昔だからというのも言い訳で、武侠もののはもっと昔だしね。

悪人として登場する父と兄の描き方も一方的過ぎると思うのだが。
自分としてはこの監督は全てを支配している父親そのもののように思える。二人の美しい女性を利用するだけ利用しておいて最後にあっさり殺してしまうのだから。
自分に歯向かう者を許さない父権でもって同性愛者だった娘を殺してしまうのだ。その体を性的な目で眺めていながら。
もしそうでないなら何故二人が生き延びるという創作にしないのか。好奇心は満たしたからもういいや、というこの殺し方。
それらを全て誤魔化してしまうための綺麗な映像で騙されてしまう。

例えば『ブロークバックマウンテン』で生き延びていくイニスの苦しみがここにはない。
イギリスドラマ『荊の城』での二人のような未来も与えずに。

綺麗なだけの同性愛場面を見せ付けて最後に殺すという映画に何の意味があるのか。
主役の二人と映像の心地よい美しさに酔いしれていただけにいっそう腹立たしくなってしまう。

これを観て同性愛者を弾圧・嫌悪するのはよそう、という意味合いなのだろうか。
もういい加減判ろうよ。
その次の段階に行きたいんだよ。

監督:ダイ・シージエ 出演:ミレーヌ・ジャンパノイ リー・シャオラン リン・トンフー グエン・ニュー・クイン ワン・ウェイドン
2006年カナダ/フランス

私なんか親父死んだ時「やった!」って思ったもん。後は二人で植物園やっていけばいいし。心臓悪かったからわかりゃしないって。
そうして二人はおばあちゃんになって死ぬまで植物園で愛し合いました。でいいのにさ。
兄貴が邪魔か。ちぇっ。
ラベル:同性愛
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2008年04月28日

『長江哀歌(エレジー)』ジャ・ジャンクー

山峡好人b.jpg
山峡好人

これもまた期待に期待を重ねていた作品だが、それ以上の素晴らしさで却ってなんと言っていいのか判らない。
褒め言葉を並べ立てることになってしまうのだが、本当に見ごたえのある面白い作品なのである。
急激な発展開発を進めて行く中国政府と実際にそこに住む人々とのすれ違いがリアルでありながら滑稽さも交えつつ描かれていく。
物語を展開していく主人公が現地にいる夫或いは妻を捜しに来た他の地の人間であるために鑑賞者は彼らと共に山峡の土地開発を奇異の目で見ていくことが出来る。
美しい壮大な自然と飾り気のない人々見ているとここは現代ではない遠い昔のことのように思えているのに突然出てくるTVに衣映される『男たちの挽歌』(古い映画ではあるが。レスリー(涙))やけたたましい携帯の音が時代は今なのだと教えてくれる。
急激な開発が古き人々の住居を壊していく。それは突如現れるUFOやヒロインの背景になっている奇怪な建物がスペースシャトルのように打ち上げられてしまうことでいかに理不尽なことが起きているかを表現しているのだ。また醜怪な建物を邪魔だとばかり追い払ってしまったかのようにも思える。
観る者は主人公達と同じように誰か(何か)を探しながらも思うようにいかない苛立ちを覚えてしまうだろう。
そして彼らは探し人を見つけた時、一人はその人と別れ新たな道を歩き出し、一人はその人と暮らす道を選ぶ。
答えは一つではなく自分で見つけるのだというように。

監督はこの映画で中国の過激な変化と混沌に大きな不安を感じ訴えているのだが、自分は勝手ながら昔と今が同時に存在するような不可思議なこの国を描きだした映画に物凄い興味を抱いてしまうのだ。
それが監督の意図とは違うものかもしれないのだが。
だが多分感動を覚えた人々は国を憂えて告発した作品ということだけでなしに、広大な国の小さな一地域に住む人々の生活を見せられた面白さに惹きつけられたはずなのである。
それにしても華々しいイルミネーションに飾られた大きな橋の側を走っていく車の寂寥感というものは例えようもない。

この映画は監督が友人のドキュメンタリーを撮る為にさほど興味もなかった山峡に行った際に突然映画として撮りたいと思い立ち、町がなくなってしまう前にと大急ぎで撮影されたということらしい。
このような面白さのある作品がそんな短期間に製作されたとは驚きだが、それだからこそ勢いのある作品になったのだろうか。
昨日ぼやいていたカット多すぎの『ボーン・アルティメイタム』とは大きく違いゆっくりと画面を観ていくことができる作品である。とはいえ、ジャ・ジャンクー監督作品としてはかなりにカットが多いのではあるが。

小難しい作品を望んでいるわけでは決してないがこのように混沌きわまりなく面白く不思議な世界を見せてくれる中国映画、もっともっと観たいのだがなあ。

監督:ジャ・ジャンクー 出演:チャオ タオ ハン・サンミン ワン・ホンウェイ リー・チュウビン マー・リーチェン

ラベル:歴史
posted by フェイユイ at 00:57| Comment(6) | TrackBack(3) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月26日

『ボーン・アルティメイタム』ポール・グリーングラス

ボーン・アルティメイタムs.jpgボーン バイク.jpg
THE BOURNE ULTIMATUM

物凄く久し振りのマット・デイモン主演映画。待ちに待っていたのにちょうどDVD化した頃に自分が松ケンに入り込んでしまったために鑑賞が今頃になってしまった。ごめんよマット。
が、しかし待ち望んだ映画にも関わらず喜びはあまり芳しいものではなかった。

グリーングラス監督お好みの手振れハンディカメラは決して嫌いではないのだが、この細かいカットの夥しさは心地よいものではなかった。
こちらは久し振りのマットの顔をゆっくり観たいと思っているのに意地悪としか思えないほど、さささと映しては切り替え撮っては外され、欲求不満がずっと尾を引いてしまう。
まるで神経機能に異常がある人間の目で観ている景色のようであちこちあちこち落ち着かない。それがアクションを描写するのに効果がいかほどあったのか。
カットの多さが売りだという前評判だったわけでなるほどこれがその仕上がりだったわけか。
手振れはいいが、この切り替えの多さには気が滅入る。物語はさほど複雑な事を語っているわけでもないのに映像の複雑さで物々しい雰囲気を作りたい、という狙いなのか。でも単純な話だとはすぐわかるのだけどね。
マットが言っていた「流行のカンフー的なアクションではなく、本当に威力のある格闘にしたんだ」という奴をじっくり見たかったのにあわあわと切り替えまくるカメラで格闘の重厚さも薄くなってしまった気すらする。
それでも確かに格闘シーンが迫力あったのは見えたのだが。
いや、格闘シーンだけでなく単純なストーリーだとは言ったがなかなか見ごたえのある内容だったと思うのにこの落ち着かない映像がむしろ邪魔なのだ。
スタイリッシュというのか、奇をてらったというのか、グリーングラス映像の特徴はこの作品で最高に発揮されているのだろうが、自分としては精神に異常をきたしているとしか思えない。そういえば、人物像に斜線のようなものが入る場面があるのだが、フランシス・ベイコンの絵画のような怪奇な印象を与えるのだった。
ここまでなくともアメリカ映画にはなにやら留まるのを怖れるような早回しの作品が時折あるのだが、そういうものが「退屈させない映画」と思い込んでしまっているのではないか。
あまりに早い映像というのも続きすぎると却って眠気を呼ぶものなのだが。
この作品、同じ内容で普通の撮影をしたものをもう一度観てみたい。
問題は撮影方法というより映像処理の方にあるのだ。

では作品が気に入らなかったかというとその映像処理さえ我慢すれば(って言ったって全編だから全編我慢した上で、なんだけど)面白い、と思う場面は多々あった。
前半は細かい切り替えばかり気になってマットでなければもう止めようかと思ったのだが(顔もよく映してくれてないし)後半に差し掛かるモロッコでのバイクチェイスになった頃「お!」と画面に入っていった。
『ボーン・アイデンティティ』の時、監督は違うがミニ・クーパーのカーチェイスが面白かったのだが、ここではアメリカ映画に珍しいスクーターと軽排気量のバイクでの追いかけっこシーンが楽しい。
マットがオンロードバイクをオフロードのように操るのは(いくらなんでもスタントマンさんだろうが)かっこよくてステキだった。アメリカ風大味カーチェイスには興味がないが、こういう細かいバイクの追いかけっこなんかは大好きなのだ。最近殆どこういうの観る事なかったので久しぶりにクギづけになった。

そして最大の見せ場だろう同じくモロッコの街中をびょんびょん飛び回るアクションも楽しめた。
しつこいが普通の撮影で観れたらもっとよかったのに。

さてボーンの正体を明かす最後の場面は苦い味となって残る。
物語としてこういった人間殺人兵器を作り上げている政府組織への問いかけという意味はわかるが、ボーンが拘束された人間を撃ち殺すのはおぞましく感じてしまう。
アクションシーンの中での殺人はつい見逃してしまうものだが、こうリアルに見せられると露骨に感じてしまうものだ。
これをダーティな魅力として感じるのか、殺人鬼として認識させられてしまうか。
そういった暗い過去を持つ影のある男として捉えるべきなのか。
映画自体に感心していないだけに反感として残ってしまったようなのだ。

マット主演ということで楽しみだった本作だがマットを見れたのは瞬きする合間、合間であった。残念だ。さて次は『グッド・シェパード』もう少し彼の顔をじっくり眺めさせてもらいたいものである。

ダニエル・ブリュールが出演しているというのも期待の一つだったのですが、亡きマリーの兄ということでの僅かな場面だった。
もっとマットとの対決だとかの絡みがあったらよかったのになあ。英語も話せるのに!

ラストシーンは海の中。こういう風に海のシーンから始まったから海の中で終わる、という手法、みんな好きだねー。別に悪くはないが。

監督:ポール・グリーングラス 出演:マット・デイモン ジュリア・スタイルズ デビッド・ストラザーン スコット・グレン パディ・コンシダイン ジョーン・アレン ダニエル・ブリュール
2007年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:28| Comment(3) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『吉原炎上』五社英雄

吉原炎上.jpg

以前にも書いたのではないかと思うが、なぜ売春という物語にこうも惹かれるのであろうか。
無論、ここで描かれる世界は夢のように華やかな数少ない一例なのでその美々しさに見惚れているのは確かなのだが、それだけではない。
男優が一度は兵士の役をやるように女優は売春婦の役をやりたくなるのではないだろうか。(やりたい、というのが間違いならやってしまう、というのか)自分がそれをやりたいのかは別としてもそれを演じる事でまた観ることで女というものは何なのか、を考えさせられてしまうからなのか。

この作品ではおとなしい女性だった久乃が吉原に買われ花魁として生き抜いていく様が描かれていく。
時間が経っていくので久乃=若汐の言動がかなり急激に変わってしまったり、女郎というものがそういうものという演出なのか、かなりエキセントリックな女性たちが登場するので驚きっぱなしで鑑賞していった。
公開当時、有名女優たちのヌードだとかポスターの通りのレズビアンな映像だとかが話題だったがその時はさほど観たいとも思わなかった。
一つは主役の名取裕子があまり色っぽい綺麗さに思えなかったからだが、今観るときりりとした知性ある美人ではないか。やはり子供では判らないものなんだろう。
ストーリーとしてはそれほど衝撃ということはないのだが、結局若汐と若旦那の信輔の純愛物語なのであった。
信輔はなぜか若汐と性的交渉を持とうとしないまま終わるのだが、仲良く寄り添い信輔の顔を覗き込むようにして抱く若汐のポーズはまるでクリムトの絵のようで微笑ましく美しいのだった。

それほどドロドロとした描写もなく以外に優しい女将たちや新参者の若汐にレズっぽく親切にする花魁だとかも観ていてなかなか楽しいし、何と言ってもそうした明治時代の吉原のしきたりだとか内装だとかを眺めているのが面白くてしょうがない。映画としての演出もあるだろうが。

クライマックスともいえる花魁道中だが、信さんが身銭を全て使ってのものとしては意外にあっさり。今だったらCGを駆使してなんとか華やかに増強するところだろうけどここは想像力でもっと華やかなのだろうなと補うことにしよう。

出世頭の若汐=名取裕子と対照的に置かれたのが、どうにも悲惨な運命の菊=かたせ梨乃であった。

逃げ出そうとした若汐を救おうとして救えず、客として通うことになる若旦那・信輔役に根津甚八。青臭いことばかり言っているのがなかなか可愛らしい。も少し大人の男だったら幸せになれたろうに。
変な巡査を緒方拳がやってたり、変なバイオリン弾きを竹中直人がやってたり(これは普通だがg)若汐改め紫を身請けした旦那が小林稔侍だったりほんのちょいと成田三樹夫が出てたりと豪華な面々である。
ふのり、ってあーゆーことに使うのね、と初めて知る。

監督:五社英雄 出演:名取裕子、かたせ梨乃、二宮さよ子、藤真利子、西川峰子、根津甚八
1987年日本

ラベル:売春
posted by フェイユイ at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月25日

『味噌買い橋』語り・松山ケンイチ

日本昔ばなし~フェアリー・ストーリーズ~第6巻
ホリプロ45周年を記念して企画された、所属タレント朗読によるシリーズ第2弾
というCDが販売されているらしいのだが、梅さんから松山ケンイチ分をダウンロードできますよ、と教えていただき早速聞いてみたのだった。

こちら↓
『味噌買い橋』

なんだかもー息子が教科書を読んでるのを晩御飯作りながら聞いているような(泣)そこ、もう少しゆっくりね、とか言って(あ、いや、そんな箇所があったわけではないですよ)はい上手に読めました。ご飯食べて〜。てな感じ。

凄く心を込めて丁寧に話しているのが伝わってくるなあ。豆腐屋の主人の時は訛りを入れて話してみたり。あんまりおじさんぽくはないのが可愛いが。

発音がはっきりしてるので聞いていて心地よいし、声だけの松ケンというのも捨てがたいなあ。
松ケンのみで色々な話をやって欲しいよね。こういう童話もいいけどもっとサスペンスだとか、恋愛物とかね。
誰か企画してくれないか。

音楽を清塚信也さんでどうでしょうか。
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月24日

『現代畸聞録 怪異物語』木村俊幸

『画ニメ 現代畸聞録 怪異物語』.jpg

画ニメ 『現代畸聞録 怪異物語』第1話「冷蔵庫」の声の一人を松山ケンイチがやっている。

画ニメという言葉自体をこれで初めて知った。
動かない絵と写真をつないで音をあてはめる事で一つの物語を作っていく。
ホラーという題材には適した映像なのではないか。
極端にえげつない猟奇的なものではなくホラー的雰囲気に満ちた映像、という感じだったので自分としては楽しめた。
今風のアニメ絵ではなく暗く沈んだ絵柄が好きだったせいもある。

第1話が松ケンだったので入り込みやすかったのかもしれない。
普通のアニメのようにキャラクターに声をあてるというようなものではなく、何となくそれらしき人影が写る程度のイメージ画像に松ケンが語りを入れているといった風。
これまで観て来た松ケン作品というのは男の子と仲良く話しているというシチュエーションがあんまりないんだよね。
ケンカしてるのはあるし、女の子と密に話してるのは『神童』で観れたけど。(『椿三十郎』以降はまだ観てないのでわからない)
ここではミノル=松ケンが友人アキラとの会話が聞けるので他にない体験だった。
それにしても語りのみの松ケンの声、というのは凄くいい。まだちょっと拙い感もあるがそこもまた可愛らしくもあるし。

冷蔵庫に閉じ込められる、という恐怖は今の子や松ケンくらいじゃなくて自分世代にはかなりのトラウマとしてあるのではないだろうか。
実際自分が子供時代、こうして自ら捨てられている冷蔵庫に入って遊んでいる内、ドアが閉まって出られなくなり友達が気づかず帰ってしまったために死んでしまったというニュースが何度かあったのだ。
その恐怖があんまり強かったので「冷蔵庫にはいっちゃいけない」という教訓が自分の中で物凄い存在になっているのだ。
まあ、そういう危険性というのは自分は遭遇しなかったし、閉所恐怖症にもならなかった。どっちかつーと押入れとかに入り込むのが好きだったしね。(よく怒られて入れられるというのがあったけど自分で入ってたなあ)
だからこの恐怖っていうのは私くらいの年齢じゃないとよく伝わらないんじゃ、って気もする。(あとは想像力を使おう)
そういう懐かしい(?)ホラーに松ケンが声をあててるのもちょっとうれしいかな。

原作:猿田悠
監督・画:木村俊幸


ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 22:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アン・リー監督「ウッドストック」題材のゲイ映画撮影

アン・リー監督「ウッドストック」題材のゲイ映画撮影

この記事見つけて嬉々としていそいそアップしてる自分が恥ずかしいが^^;
でもやっぱり気になるのだー!!!

どんな映画でしょうか。誰が出演するのでしょうか????知りたいよ〜。
心静めて待つ。

アン・リー新作は3作目のゲイ映画、60年代のウッドストックを題材に―米国
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ニューヨーク近代美術館でキム・ギドク監督作品展

ニューヨーク近代美術館でキム・ギドク監督作品展

自分の勝手な思い込みで書くことだけど、物凄く韓国映画にのめりこんだ時期があってほんとに面白かったんだけど、最近はなんだか「コレ観たい!」と思うことがなくなってしまった。
自分が変わったといわれればそうなのかも知れないけど、なんだかわくわくしないんだよね。
キム・ギドク監督自身に対しても正直言うとそれに近いところがあって。『絶対の愛』はそんな感じだった。私にとっては今のところは『うつせみ(3IRON)』までが大好きで、というかこれが最高だった。『弓』で少し変わってしまいその後は・・・って言う感じ。
『ブレス』はギドク監督が韓国とケンカした後で作ったみたいな映画で台湾人のチャン・チェン主演だからまた凄く興味はあるのだけど。
その次はオダギリジョーだしね。
「異常な愛」を描き続けるギドク監督。これからどうなっていくのか、やっぱり観ていきたい、と思ってはいるのだけど。
(なんか歯切れ悪い文章だな。でも「面白くなくなった」というのは残念なんだよね)

今度はどうなるのか、と思い続けるのかもしれない。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松山ケンイチのジェラスを聞く

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アニメーションDEATH NOTE Vol.4を購入。
申し訳ないけどアニメDEATH NOTEを買うつもりはなかったのだがこの Vol.4では松山ケンイチがジェラスの声をあてているのでそのためだけの目的である。

ジェラスというのは人間の女の子・弥海砂に恋してしまい、殺される運命だったミサミサを助けた代わりに死んでしまった死神である。
松ケンはジェラスが好きだったそうでアニメではこの役をやったということらしい。

出演はほんの僅かで台詞は「元気そうなのに、なんで今日なんだろう.なんで今日なんだろう」っていうくらい。
あとは苦しみのために「あ、ああ・・・ああ」っていうあえぎ声。
これがなかなか色っぽい。
この数秒のためにDVD1枚買うってのもなんだけど、松ケンの声しかもあえぎ声を聞けて凄くよかったっす。

Lの松山ケンイチが死神役?!
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 00:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月23日

『修羅雪姫』 <1973年版> 藤田敏八

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観るのは2度目か。一度目は中文字幕つき(つかんでもいいが)のVCDで観たんじゃなかったかなあ。
タランティーノ『キル・ビル』元ネタとして(オマージュというのか)有名になったがこうして観なおすと確かにその通り。でもまあ当たり前だけどこのどろどろした「恨み」というのはこれを観なければ味わえないのである。
原作は読んでないが自然とあの上村一夫氏独特の美意識に満ちた絵柄が浮かんでくるようだ。
物語・演出はかなりぶっ飛んだとんでもないものであるが、出演者たちは美しき梶芽衣子をはじめ、皆真剣そのものの顔つきであるところに惚れこんでしまう。決してけったいな映画を撮っているのではないのだ。

理不尽な死を遂げた父母と兄の恨みをはらす為だけに生まれ落ちた修羅の子・雪。
その名のように美しく育った彼女の心にはただ復讐だけしか存在しない。
仇討ちの相手がどのような境遇であっても迷いもなく仕留めるその姿には潔さすら感じてしまう。
首を吊った仇の胴を真っ二つに切り捨てる場面は壮絶だった。

雪の怨念を最も表現しているのは梶芽衣子の美貌そのものだ。強い視線が心をそのまま表している。
和服を着ての立ち回りの色っぽさ。仕込みの傘、背景も彼女の美しさを引き立てている。

情念のこもったアクション娯楽映画。今の時代にこの重さはもう生まれてはこないだろう。
梶芽衣子のきりりとした妖艶さとともに忘れられない逸品である。

監督:藤田敏八 出演:梶芽衣子 黒沢年雄 大門正明 西村晃 岡田英次 赤座美代子 内田慎一 楠田薫
1973年日本
posted by フェイユイ at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『デトロイト・メタル・シティ』読む

『デトロイト・メタル・シティ』1〜3+5巻を仕事の合間に読んでしまう(変な読み方ですまん。4巻がなかったのだ)
もーすげえ面白くて(話し方も変わる)松ケンはほっぽりだして夢中になる。すっかりクラウザーさんの崇拝者になってしまった。しかし仕事の合間に読むと精神が犯されてしまって中断しての人との対話で困るね。ファーックとか言いそうになるぜ。

内容にも触れるので知りたくない方はここから危ない。

そうやってデスメタル世界に浸りきっていたのだが、はっと我に返って考えてみたら、これを松ケンがやるのってやっぱり凄いよな。
確かに田舎者で優しげな根岸君が変身してクラウザーさんになる、というのは松ケンのはまりではあるが、クラウザーさんの言動はこれまでの松ケンと全く異なるもので、まー言葉で「雌ブタ」だの「母さん犯したぜ」だの言うのはまだいいとしても隣のおじさんを強姦したり逆にジャックさんに強姦されそうになる場面というのはたとえ演技とはいえそういう格好をするだけでもかなり衝撃じゃないか。
M男さんの尻を苛め抜く松ケンというのもかなり想像しがたい。
うーむ。もしやるのなら松ケンこそが破壊されるわけだなあ。しかしやらなければ意味ないよーな。

漫画自体が滅茶苦茶に面白かったのでこれはもう凄い期待をしてしまう。
とにかくクラウザーさんは最高だ!SATSUGAI!SATSUGAI!
posted by フェイユイ at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松山ケンイチについての告白・その7

ここんとこはもう雑誌・写真集でケンイチくんの顔を眺めたり、考えていることを読んだりしてばかりなのだけど。
最近の雑誌掲載の「ケンイチ」顔のケンイチくんの綺麗さは尋常じゃないとまで思ってる。
とにかく無精ひげ好きなので髭とぼさぼさ髪はすてきで何度見ても見惚れてしまう。
年をとればまたその美しさがあるけれど、23歳の今、若い美しさという意味では一番いい時なのかもしれない。
どーせ来年はまた「今が一番」って言ってるだろうけど。
この美貌を映画に残して欲しいと思うのだが、映画ではしっかり違う顔になって不細工系になってしまうのだ。
カムイはきっと美しいのでは、と思っているんだけど。
いえ、不細工松ケンも好きです(笑)

書くほどの事もないのにどうしても何か書きたくなってしまうのだ。
近々また作品の記事を書く予定っていうかその前に鑑賞する予定(笑)
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 00:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『日本の夜と霧』大島渚

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安保闘争の最中に挙げられた結婚式に突然入り込んできた男の激しい追求でそこに居合わせた者たちの過去が暴かれていく。

今は聞くこともない政治的思想的口調と言いよどんだり、噛んでしまってもお構いなしに進んでいく手法に戸惑いながらも面白く観通した。
面白い、と言っても語られている会話、というより糾弾、弁明、議論が理解できたわけではなく殆どまあ流して聞いていたと言った方が正しいのだが、自分としてはやたらと小難しい思想言葉で彩られた不思議なミステリー劇、として観ていたのだが。

画面が過去に戻ることはあっても結婚式場内と校舎らしき建物以外殆ど出てこないということもあって舞台劇で台詞を交わしているかのような演出になっている。
物語自体は背景をよく知るものでなければ飲み込みにくいだろうがそういう事を気にしないで人間関係だけを追いかけていけば今でも非常に面白いやり取りなのではないだろうか。
こういう議論ばかりの映画というのはもう趣味の問題になってしまうのだろうが自分は好きなのである。
裁判映画のような雰囲気もありながら問題が投げかけられたまま、ぐだぐだに終わってしまう形もむしろそれでいいと思った。

「若者よ。体を鍛えておけ」というフレーズで自切俳人のオールナイトニッポンを思い出した。懐かしい。

この映画は公開4日目にして上映打ち切りになったということらしい。

監督:大島渚 出演:渡辺文雄 桑野みゆき 津川雅彦 小山明子 芥川比呂志
1960年日本
ラベル:群像劇
posted by フェイユイ at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

『松ケントーク』を読んで

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相変わらず松山ケンイチ関連本を買い漁ってる毎日である。写真の彼を見ればそれだけで幸せだし、色んな顔を持っている人だから本当に飽きない。
でもそれ以上に心惹かれるのはやっぱり彼の思いを書いた文章でいつもじっくり読み込んでしまう。
今時の23歳にしては考えすぎのような所もあってそれが不思議でもありやっぱり魅力のある人だなと思うのだ。

特に今回ぐっと惹かれたのはピクトアップ6月号#52なんだけど、ゲイバーのママ・ジュリーさんとの対談である。
扉絵からして白黒でまとめた服と帽子というまるで合わせたかのようなコーディネートなのである。
自分としてはこのままの格好で何かの映画に出ていただきたいような雰囲気たっぷりだ。
この中でケンイチくんは16歳の時上京したばかりで性格上友達も出来ない状況で一人だけ仲良くしてくれた子がいてその子にメールで「好きだ」と告白されたのだけど困って怒ってしまったことを話している。
その時はゲイなんてわからなかったから偏見もあったと。でも今はそういう偏見もなくなり後悔しているのだと。
映画や役者について語った文章はかなり読んだけどこういう考えを話しているのは初めてだった。
偏見がなくなった、というのはどういうことを指すのか判らないけど、他の人が話す時のように「恋愛をするという意味ではないが」とかいちいち言わないのがケンイチくんのいい所だな、と思ってしまうのだ。

ラベル:松山ケンイチ
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2008年04月21日

『シド・アンド・ナンシー』アレックス・コックス

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自分には絶対真似できないことだと知りながらもなんでこう惹かれてしまうんだろう。できないから惹かれるのか。そりゃそうだ。

麻薬に溺れた荒んだ毎日。人に呼ばれてなんとか立ち上がりギグへ向かう。ベッドの横で火事が起きたことも愛する人を刺した事すらもよく判らなくなるほど、思考力もなくなってしまう。
類稀な容姿と才能を持ちながらもあっという間に駆け足で人生を終えてしまったシド・ヴィシャスと恋人ナンシー。
映画を観ているようなマトモな人間はこんな風になったらいけないよ、と思いつつも人生を惜しげもなく使い捨ててしまうそんな彼らにどこか憧れているのではないか。でなければ途中で観るのを止めてしまうだろう。
電車の中で鼻水をたらし(おまけに鼻ちょうちんをふくらまかし)「骨が痛てぇ」と呻くシドを抱きしめるナンシー。
誰が見ても最低の人間、屑だとしか思えない二人。酷い痛みの中で互いに寄り添うことしか出来ないようなそんな関係は他人から見れば、理解しがたい情けない愛でしかないのに。

ぐしゃぐしゃでどうしようもない未来のない人生。反吐とヤクの切れた苦しみが続くまっとうな社会に生きている人々から蔑まれ追い出されてしまう彼らにそれでもなお惹かれてしまうのだ。
パンクロックが好きだ。とはいえ自分の今の生活はまったく違うが。と、自分では思ってるけど意外と他人の目からはパンクだったりして(貧乏ってこと)
部屋のそうじなんかくそくらえ!じゃなきゃいけないのだが汚れた皿があればすぐ洗わずにはいられない性格じゃナンシーにはなれないな。

監督:アレックス・コックス  出演:ゲイリー・オールドマン クロエ・ウェブ ドリュー・スコフィールド コートニー・ラヴ トニー・ロンドン ペリー・ベンソン デヴィッド・ヘイマン
1986年イギリス


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2008年04月20日

『光の雨 連合赤軍事件』高橋伴明

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巷では『映画/実録・連合赤軍−あさま山荘への道程』が話題を呼んでいる最近である。自分はいつもどおりで劇場には行けないのが残念でならない。DVD化されたならすぐに観たいと願っている。
そういうのを横目で見てるせいもあり、何かしら連合赤軍の映画はないかと思って観たのがこれである。

さほど期待はしていなかったのだが、思った以上に、というのでは足りないほどに緊張感と迫力に満ちた作品だった。

現在を舞台にして『連合赤軍』の映画を撮影していく過程を追っていく、という構成になっている。
従って映像の中の登場者は当時の役柄を演じている、ということになるのだ。
合間、合間にカットが入り、暴力シーンが途切れたり自分の役柄について批判したりするのである。
普通ならせっかくの緊張感が嘘であるとばらされ、白けてしまいそうだが、これが却って一つ一つの言動を考えさせられるし、この事件を知らない世代にも解りやすい解説になっているのではなかろうか。
と共に、映像の中の出来事の恐怖感があまりに酷いのでそうしたカットが自分には救いのようにすら感じられた。
それでも、そうやって映画の中の演技が「映画撮影のための演技をしている演技」とわかっていても時々非常にリアルに感じられぞっとするのであった。

映画の中の映画監督が製作に耐え切れず逃げ出してしまう設定も通常ならだるい展開だが、当時を生きていた者だからこそ耐える事が出来なかった苦しみが感じられた。

『連合赤軍』映画撮影のための演技という設定と知りながらも、自己批判の緊張感、総括援助という名前の惨たらしいリンチ、それらは狂気としか感じられない。次第にエスカレートしていく状況の中で誰もリーダー倉重と彼よりも恐ろしい存在感のある女性・上杉(劇中での創作名だろう)に逆らう事ができない。
映画が監督蒸発のために中断した時、仲間の悪口を言った者に「自己批判せよ」というのはまるで映画の中の登場人物が乗り移ったかのような不気味さであった。

映画のメイキング撮影を担当した阿南役の萩原聖人、現代の若者である役者たちがそれぞれの感想を述べていくのも興味深い。
それぞれがその役を演じる事でどこかその当人とつながってしまったような錯覚を覚えてしまうのではないだろうか。
特に12名を殺害に導いていく倉重役の山本太郎もさることながら、裕木奈江の演じた上杉の恐ろしさというのは特に声を張り上げたりヒステリーを起こしたりすることもないがためにより言い知れない奇妙な力を感じた。
読んだ話でしかないが実際は上杉役に当たる女性=永田洋子が妊娠した女性がリンチで死亡した時、胎児を取り出せないかと言い出したということらしいが映画では山本太郎演じる倉重=森恒夫が発言し上杉は首を横に振っている。これは製作者があまりに惨たらしい発言を女性にさせるのを憚ったのだろうか。
ともあれ裕木奈江といえば自分世代には「男受けだけする女性、男性に甘ったれた女性」を思わせるタレントとして女性からはかなり嫌われたイメージだったのに、ここでは仲間の男からも「女としては見ていない」と言われる存在になっていてやはり驚いてしまう(順番としては逆のデヴィッド・リンチ『インランド・エンパイア』での彼女の汚れ役を先に観ていたので公開当時に観た人ほどではなかったろうが)

時代背景、思想、様々なことが絡み合って生まれてしまった事件なのだが、人間の狂気、というものが現実においてこのように実行されてしまうという事実。
創作としてもこのようなことは考え付かない恐ろしいことではないだろうか。
もっと早くに観ていてよかった映画であった。
凄まじい題材であるのに(だからなのか)これだけを正面から扱った映画というものはそうないようである。
冒頭に書いた『映画/実録・連合赤軍−あさま山荘への道程』も是非観たいものである。

監督:高橋伴明 出演:萩原聖人 大杉漣 山本太郎 裕木奈江 池内万作 川越美和 高橋かおり 鳥羽潤 小嶺麗奈 板谷由夏 山中聡 大柴邦彦 西守正樹 塩見三省 池内万作
2001年日本
ラベル:狂気
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2008年04月19日

『あるいは裏切りという名の犬 』オリヴィエ・マルシャル

あるいは裏切りという名の犬.jpg
36 QUAI DES ORFEVRES

このブログ内の記事で何度も書いてるのでうんざりする方もおられるだろうが、自分はこういう警察内部と暗黒街の云々という物語が物凄く苦手である。嫌い、というのではなくどうわけか全く話が飲み込めないのである。『インファナル・アフェア』を評価していただろうと思われるかもしれないが、あれも実に苦労して何度も観てやっと内容が咀嚼できたという次第なのである。
こうまで判らないのでは嫌いなのかな、と思うのだがノワール物にある種の憧れはあるのだ。でも結局は空しいドンパチを嫌っているのかもしれない。

で、本作はどうだったかというとやっぱり判らなくて実は今回鑑賞2度目なのだ。1度目は半分近くまで観てどうしても耐え切れず止めた。
2度目の今回も観たはずの途中までもなんだか入りきれずもじもじうじうじ観て途中で気を失い(つまり眠ってた)殆ど拷問状態で観続けた。
何がイヤだってなんだか大したこともないのに主人公達のにこりともしない大真面目な言動とかっこつけた映像が馬鹿馬鹿しく感じられてしょうがないのだ。
好きな人はこういうかっこつけ方を大人の男の渋い魅力だとか言うのだろうが自分はどうしてもこのかっこつけ方が苦手なのだ。

ところが前回あきらめたその後くらい、後半に入ってから俄然面白くなってしまったのである。

前半に感じていたかっこつけた感じが後半急になくなってしまう。そりゃそうだ。
人望の熱い刑事レオは全てを剥奪され、理不尽な投獄を余儀なくされてしまう。そして7年の刑。
愛する妻を失い、大切な友人も亡くしてしまう。
妻に会うためにとんでもない行動をとり、その妻との再会した時の会話とキスは心に沁みるものであった。
一方のクランは望む地位を得、維持する為に醜悪そのものの人間になってしまう。
あまり多くを語らずにクランとレオとその妻のかつての関係を思わせた作りが却って物語りに膨らみを持たせているのだ。

前半と後半でこうも描き方が変わってくる(しかも後半の方がよい、というのは珍しい)ということもあるものか。
尤も、描き方じゃなく自分の受け止め方の方かもしれないが。よい、と思った人には全編いいのであろうし。
ノワールの渋みというのが味わえない自分なのでそういった恍惚感というものはなかったのだが、二人の男のどうしようもない悲しみに満ちた人生というものを味わった。
レオの悲哀は無論だが人間でなくなってしまったクランの悲劇により注目して観てしまったのは自分がダニエル・オートゥイユよりジェラール・ドパルデューが馴染みだからだろうか。
銃殺されたことで彼が果てしない地獄から救われたように思えるのは間違いなのだろうか。

それにしてもオートゥイユとドパルデューの共通して曲がった大きな鼻は気になるね。

監督:オリヴィエ・マルシャル
ラベル:ノワール 警察
posted by フェイユイ at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『デトロイト・メタル・シティ』TVでクラウザーさん見た

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KISS ジーン・シモンズ.jpgtnr0803111519005-n1.jpgジーン.jpg

2008/04/19 松ケン、「KISS」ジーン・シモンズと対決!


[映画]松ケン、「KISS」ジーン・シモンズと対決!
動画あり


さっき、TVで松山ケンイチのクラウザーさんを見れた。嬉しい!
長身だしすんごくかっこいい。
変身前のとぼけた彼も可愛いのだが、可愛いといえば一緒にいたビションフリーゼがいと可愛。

凶悪メイクで丁寧にお辞儀したり拍手してるのもよかったです。

歌もガンガン歌ってました。本人音痴だと言いながらボイストレーニングもして頑張っております。

ますます期待高まりますねー!!!

クラウザー=松ケンが共演するKISSジーン・シモンズ、私たち世代のカリスマです。
彼に憧れて悪魔メイクをした子供が一体どのくらいいたことでしょう。
ちょっと見ると、うーむさすがに迫力(魔力)が違う^^;クラウザーさん、がんばれー!!!
松ケン舌短い^^;悪魔じゃないっ。
しかもジーン・シモンズ188センチだから松ケンが小さく見える。スゲエ。


松山ケンイチ、KISSと対バン!…映画「デトロイト・メタル・シティ」

『デトロイト・メタル・シティ』公式サイト

追記:こういうのも出た
『デトロイト・メタル・シティ』で松山ケンイチ対 KISSのジーン・シモンズ(本物)!

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ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 08:19| Comment(14) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする