映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年04月18日

『クラッシュ』ポール・ハギス

クラッシュ.jpg
CRASH

さて観終わったのだが、今妙な気分だ。観ている途中想像していた以上に面白いんじゃないと感じ早速そう書こうと思っていたのだが、いざ書こうとするとそれほど何かを書かねばならないと言う気持ちになれなくなってしまった。

確かに非常に上手く出来た映画作品である。様々な人種の生活と悩み苦しみを描き出し、且つ放り出しにしてしまわずにそれぞれのラストを示している。
観ている間は、複雑なのに判りやすく、退屈させることもなく展開していく物語にすっかり夢中になって観ていたのだが観終わってみるとさほど心に残るものはなかったのだ。語り口のうまさに騙されていたような気もする。

これは一体どういうことなんだろう。
一番の見せ場であるマット・ディロン演じる黒人差別刑事が突然命がけで黒人女性を助けたり、少女が弾も通さない見えないマントをパパから着せてもらって撃たれそうになったパパの盾になったり、軽蔑して罵っていたメイドの女性から病院に連れていってもらったことで嘘のように変身して親友と言い出したり、といった感動話が馬鹿馬鹿しく思えてくる。

そして最後にロサンゼルスの街に雪が降る。
これは、雪の降ることのないロサンゼルスに雪が降った=この話はあり得ない話だよ、と作り手が笑っているのがわかるのだ。

前半は嫌悪感でたまらなくなるほどの人種差別をこれでもかと見せられ、後半になって突然夢のような善意ある物語となる。代わりに前半で心優しかった白人青年が後半突如悪魔でも憑いたかのように黒人に発砲してしまうことでバランスを取っているのが空しい。
冒頭の場面がラストにまた巡ってきてこの問題が終わりなく続く事を予感させるのも技巧に懲りすぎていて白々しく思える。
すべては問題提議のための話作りなのだ。
この映画を観て議論し考えて欲しいということなのだろう。それを受け入れる人は無論それでもいいのだが、自分としてはそういったアプローチには却って拒否感を持ってしまうだけなのだ。
こういう見せ方でなくとも優れた作品であれば考える。こうしたはっきりした問題の投げかけをされなければ考えない、と言うわけか。

日本にいる以上、アメリカでの人種差別はニュースや映画・書物などでしか知ることはできないが、それでもいつまでもなくなることのない深刻な問題だということは伝わってくる。
無論、他の(多分)すべての国、日本も含めて人種差別のない国ということはあり得ない。
この作品が他の最近の映画ではなかなか露骨に描こうとしなかった部分をあからさまにぶちまけたのはそれだけで評価できることに違いない。
しかしそれでも一つの映画作品として何かしら心から溢れ出す様な感銘は受けなかったのである。
なので自分はこの映画で何かを考える、ということをしたくない。

こうしてみると『ブロークバックマウンテン』に作品賞を与えなかった事そのものが差別なのではと思ってしまうのは間違いだろうか。

監督:ポール・ハギス


ラベル:差別
posted by フェイユイ at 23:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『サルバドールの朝』マヌエル・ウエルガ

サルバ.jpg
SALVADOR

非常に訴えてくる映画で共感するものもあるのだが、反面なぜか訴えてくるものが判り難いのではないか、とも思えた。

というのは昨夜観た『パンズ・ラビリンス』がこれ以上ないほどの素晴らしい構成だったからだろうか。
創作である『パンズ・ラビリンス』に比べどうしても実話というものは作者の自由が利かないからなのか。

同じくフランコ政権の悲劇、という題材でファンタジーと現実を絶妙に交錯させ一つの童話を作り上げた『パンズ・ラビリンス』
本作は現実にいた青年がフランコ政権末期に労働者闘争で起きた悲劇を映像化したもの(なのだろうと思う。どのくらいの再現化はわからないので)
惜しく感じてしまうのは違和感のあるアクションシーンだとか、出来事の説明はわかりやすいのにエピソードが多岐に分かれて間延びした感があるところだ。

力のない民衆が運動のために強盗で金を稼ぐことをなんとか納得しようとしてもこの描写では逆に主人公ヘの共感を持ちにくい気もする。
先日観たヒース・レジャーの『ケリー・ザ・ギャング』のほうがそういった部分の共感は持ちやすかったし、やや滑稽ないでたちのネッド・ケリーがヒーロー足りうることにも納得できた。

自分としてはこの映画は歴史の悲劇とか政治活動を描いたものというより一人の若者の青春の物語。かつてこういう青年がいたのだ、という思いいれとして観ていたし、この映画はそういうものだと思っている。それだけにもっとそういう見せ方であった方が感情移入しやすかったのではとも思う。

恋人にはあまり恵まれなかった彼だが姉妹達の優しさ、担当の弁護士の熱意、初めは反感を持っていた看守が彼の思いを知ったことで共感を持ち始めるくだりなどが主人公がいい青年であったことを思わせる。
看守役レオナルド・スバラグリアは元は大変な二枚目なのだが髭であえて顔を隠している。サルバドールが父への気持ちを書いた手紙をこっ橇読むことで過度なほど彼に共鳴していく様子がおかしいほどなのだが、すべてが情熱的な国ならでは、という証明なのか。
彼の死によってスペインの人々が政治に興味を持ち始めたのだ、という説明が入るのだが、その代表がこの看守の男性なのだろう。

本作で圧巻なのはサルバドールが死刑宣告を受けて実行されるまでの彼の葛藤と死刑そのものの場面である。
彼自身どのような死刑が行われるかを知らずにいて、その場で「ガローテ」という鉄環絞首刑の道具を目の当たりにする。
鉄の環を首にかけ後ろからねじ状のもので締め上げていくという恐ろしい死刑である。
昨夜観た兵士たちの残虐性と共にフランコ政権の恐怖を物語っているかのようだ。

映画作品としてサルバドールがどのくらい人々からの賛同を得られるのか不安にもなるのだがその役を演じたダニエル・ブリュールの魅力は伝わってくるのではないだろうか。
『グッバイ・レーニン』で強い印象を残した彼だがここでも姉妹を始め、様々な人に愛される青年を好演している。
ドイツ名なのにスペイン人の役を演じているが彼の母親がスペインそれもカタロニア出身ということで映画の中では両方の言葉を使い分けている。
陰影のある美貌の持ち主だ。私も彼が出ているということでこの作品を観たのである。

監督:マヌエル・ウエルガ  出演: ダニエル・ブリュール レオノール ワトリング レオナルド・スバラグリア イングリッド・ルビオ トリスタン・ウヨア ホエル・ホアン セルソ・ブガーリョ
2006年スペイン

サルバドールの朝.jpg
ラベル:歴史 青春 革命
posted by フェイユイ at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月16日

『パンズ・ラビリンス』ギレルモ・デル・トロ

パンズ・ラビリンス.jpg
PAN'S LABYRINTH

昨夜「泣いた映画」ということについて書いてしまったのを酷く後悔しています。
というのは今夜観たこの映画ほど悲しい気持ちで観たこともなかったからです。
まだ観終わったばかりで何も頭の中は整理できてはいないのですが、そんな風に解釈したりすることでなくすぐに気持ちを書きたくなってしまたのでした。

スペイン内戦下の惨たらしい状況の中で少女が見たものは平和への願いだったに違いありません。
少女らしい妖精の国というお伽話を思うことで何とか自分というものを保っていたのでしょう。

恐ろしい大尉の言動は内戦の恐怖をそのまま表しています。その残虐性は目を背けずにはいられないものですが、それが少女の周辺で起きていた現実であることを次々に見せ付けられていきます。

遠い妖精の国へ行こうとして不思議な体験をしながら愛する母を見殺しにされる現実もまた少女の目の前で起きてしまうのです。

母親のお腹の中にいる弟に「出てくるときにママを苦しめないで。ママに会えばあなたもきっとママが好きになるわ」というオフェリアの願いが切なくて涙をこらえることができませんでした。

恐ろしい大尉がオフェリアを追いかけて来た時、私たちはどこかで魔法が起きることを信じていたのではないでしょうか。
オフェリアが死ぬはずがないと。
でも目の前で起きたことは信じたくない出来事でした。
どんなに魔法を望んでも小さな子供が殺されるような残酷はあり得ないと思っていてもこうして善良な子供も母親も父親も殺されていったのでしょう。
オフェリアは助かるために弟の命を犠牲にすることを拒みました。その思いを父親である大尉は知ることもないし、理解することもできないのです。

最後に死んでしまった切り株から芽吹いた花はキリスト教で「ダビデのひこばえ」と呼ばれるものを意味しているはずです。
オフェリアは亡くなってもまた新しい生命がこの世に生まれでるのだという印を残していきました。
彼女が殺されてしまった悲しみを忘れる事はできなけれど希望もまた生まれていくのです。

ギレルモ・デル・トロ監督作品を『ヘル・ボーイ』『デビルズ・バックボーン』と観てきて心底好きになってしまった。
この2作品タイトルで違ったイメージを持ってしまいそうだが、中味はまさに本作同様、愛と正義に満ちたものである。
特に『デビルズ・バックボーン』はスペイン内戦という設定で本作と重なるイメージとメッセージがあるものでホラーというジャンルだけに留めるのは勿体無い作品である。
とはいえ、本作もファンタジーという少女の夢物語があることでなおいっそう内戦の悲惨さ、平和への祈りが心に響いてくるのだと思う。

少女の愛らしさもメルセデスのひたむきな勇敢さにも涙が止めどなく流れてしまう。
デル・トロ監督の作品は宗教的な意味合いも深く、そこに表現される正義感は圧倒されるほどの強さがある。
オフェリアが素晴らしい王国を治めたことを疑うものはいないだろう。

『パンズ・ラビリンス』というタイトルではあるが映画を観ていて浮かぶのは『グロッタ』という言葉の方だ。
パンや他の妖精たちのグロテスクなイメージは素晴らしい。少女の夢とは言ったがそれでもこのファンタジーの世界に魅せられてしまう。
パンというのは好色な存在であり、それが美しくもまだ稚い少女に難問を出して苛めるというシチュエーションにはなんとも言えないエロティシズムが隠されている。
そういった秘められた喜びもまたラビリンス(迷宮)のゆえかもしれない。

メルセデス役のマリベル・ヴェルドゥは『天国の口、終りの楽園。』で主人公達(ガエル&ディエゴ)の憧れの美女だった。
ここでも強い意志を持った女性である。

またここで登場する女性たちの名前も暗示的だ。
オフェリアは言わずと知れた『ハムレット』で狂って死ぬ美女の名。ここでのオフェリアもあるいは狂ってしまっていたのかもしれない。
母親カルメンは兵士に刺されて死ぬ女。
そしてメルセデス(ベンツと思ってしまうが)はスペイン語で慈悲深い人、という意味を持つ。彼女が憎むべき大尉からその子供を受けとってどうしたのか、この名前から想像できるということだろう。


posted by フェイユイ at 23:01| Comment(2) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

松山ケンイチの泣き顔が見れる『T』

今日は映画を観る時間もなかったのだが相変わらずいまだにケンイチ熱は収まらず。
仕方ないので今日届いた『TOHOシネマズ限定 シアターカルチャーマガジン[ティー.] 』なぞを眺めてみる。
一体何冊雑誌を買えば気が済むのか、関連雑誌が一体何冊あるのか。全部買う気なのか。正気なのか。

表紙が「映画『リトルランナー』を観ながら泣く松山ケンイチ」である。
神はぼさぼさだし、思い切り崩れた顔で泣いている。
『リトルランナー』は彼のお勧め、ということで先日観た。いい映画である。だがまあ私的にはここまで泣くってことはなかった。感受性豊かなのだなあ、とも思うがここは中にも書いてあるとおりこの映画を観て泣く、という松山ケンイチを演じてもいるのだろう。
ベッドに横たわってなんだかぼーっとテレビで映画を観てるらしき様子も愛らしい。

素の時は無精ひげをはやしてるんだけど、私はひげ好きなので凄くいい感じである。
このぼさぼさ髪も好きだな。

『リトルランナー』はじめ彼が好きだと言う映画が写真集『起』に書かれていたので『ルナシー』『陸軍残虐物語』と観てきたけどどれも歯ごたえのある面白い奴だった。(自分には好きっていうのとは違うが)
ここでも書いてあったのが『クライングフィスト』これはもー随分前に観たなあ。大好きなチェ・ミンシクが出ててやつでこれも男っぽくて面白い。男だから当たり前かもしれないけど、全体に男っぽいのばかり上げている気がする。あんまり女性的なものは観ないのだろうか。その辺は自分の趣味と合っているので観るのも楽しいが。

『映画に泣く』というテーマの本だったので色んな人が『泣く映画』をあげている。『泣かせられる映画』か。
で、色々タイトルがあがっているんだけど、確かに面白かった、というのはたくさんあったが「自分は泣いてないな」というのばかり。
わりと自分ではべたですぐ泣くと思っているんだが。
じゃあ、どの映画で泣いたのか、と言われると、途中じわっとくるのはたくさんありすぎて言えないくらいだが表紙の松ケンくらいの顔で泣いたのと言えば思い出すのはチェ・ミンシクの『ラブ・レター〜パイランより〜』確かこれ輸入盤で観たんで英文字幕だったからよく判ってなかったのかもしれないのに、セシリア・チャンがけなげで可哀想でチェ・ミンシクの駄目男ぶりがよくてもう泣きっぱなし。

ケン・ローチ『スイート・シックスティーン』はむしろ感想書いてるときが泣いていたんで映画を観ながら泣いたのはそれ。
昔観たのだがジェラール・ドパルデューの『シラノ・ド・ベルジュラック』も泣いた。なんだか醜男が美少女を好きになる話に弱いのかもしれない。
そして一番は『砂の器』日本映画ならあれが一位だと思うのに載ってないような。凄すぎるのかな(そういう言い方ってないと思うが)映画館で観たが私より横に座っている男性の泣き方が激しかった。
あまり観なおしていないのにしょちゅう台詞や場面を思い出しては涙ぐんでしまう。これは父と子の愛だった。

後はTVドラマなんだけど『ニエズ』でお医者さんがかつての親友と再会する場面。「ずっと君との夢をかなえることばかり考えていたよ」というような台詞を中文から訳しながらぐじゃぐじゃになって泣いたなあ。メインのストーリーじゃないのにあのエピソードが一番泣けた。

他のでも結構しょっちゅう泣いてはいます。

物凄い数の映画があるのでここにあげられた中に自分と同じ、というのがないのも当然かもしれないけど。
どちらにしても泣ける映画、笑える映画(怒ってしまう映画ってのもあるが)なんてのを考えたり人の意見を聞いたりするのは凄い楽しいことなんである。

追記:これで彼が言ってる「どうしようもない感じは好きですね」というのは判るなあ。感覚は違うかもしんないけど、どうしようもない映画というのを好きになってしまう。
『ブロークバックマウンテン』を観に行ったら満員では入れなかったということなのだけど、その後、観れたのか。感想聞いてみたいです。




ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 23:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月14日

『陸軍残虐物語』佐藤純彌

陸軍残虐物語.jpg

松山ケンイチお気に入り映画作品第3弾。

冒頭しばらくそのタイトルどおり日本陸軍のイメージそのものの展開に些か辟易し、何度も観るのを止めようかと思ったのだが、暫くするうちに「戦争歴史もの、として見るからうんざりするが、現代が舞台としてもそうかまわないある特定の組織の中のミステリー&サイコホラーとして観ればよいか」と思ったらなかなか面白く思えてきた。ま、この観方が正しいかどうかは別として。

だからしてこれが、かの戦争を批判した映画ということでなくこういった組織特に「国のため」などという高邁な(と思われる)目的を持った集合の中では、往々にしてこのような状況が生まれてくるものだろう。
そこまで強力な思想でなくても学校・会社でも似たような利害関係・力関係から人間同士の歪みは生じてくるのだから。
スタンリー・キューブリック『フルメタルジャケット』の映画のはるか以前に軍隊内での狂気を描いているわけだ。あちらの面白さはその狂気を笑いで表現しているところだが。
微笑みデブとジョーカーの関係と本作の犬丸と鈴木の関係がなんとなく似ているのが面白いがこういった映画でこうした力関係の二人組みが登場するのは当然のことかもしれない。
てことはハートマン軍曹が亀岡班長になるわけだがまだしもハートマンの方が人情的に思えるな。

先日観た『ルナシー』の狂気はファンタジーであったが、本作では生真面目な現実として狂気が表現される。
はっきり言って登場人物のすべての言動が狂っているとしか思えないのだが、それが戦争という状態において生まれているのだ。
その恐ろしさは『ルナシー』どころではない。

絶対にこの映画が好きとは思わないし、もう観たくもない。ちょうど犬丸と鈴木が入らせられた便槽の中にもう一度入るか、と問われるが如くだ。
それと同じような嫌悪感で吐き気がするような映画である。苦痛と汚臭に満ちている。
そこに観る価値はある、と私は思う。

三國連太郎、中村嘉葎雄 、西村晃のぞっとするような演技であった。

便槽の中、という映像をフルーツ・チャン『トイレ、どこですか?』以来見た。あれも凄かったが。

ケンイチ氏が好きな映画にあげていたから観たけど、これも相当身震いするものだった。
監督が『男たちの大和』佐藤純弥ということでの鑑賞だったのだろうが、これも好きとは言いにくいなあ。でも激しく面白かった。

監督:佐藤純彌 出演:三國連太郎 江原真二郎 中村嘉葎雄 西村晃 岩崎加根子 大村文武 中山昭二
1963年日本

ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

清塚信也をTVで見つけた

清塚信也.jpg松ケン&清塚.jpg松ケン&清塚2.jpg

今夜は一体いくつ記事書くんだ、って話ですが珍しくTVを見て清塚信也氏の番組にぶち当たってしまった(例によって知らなかった)のでちょっとだけ書いてみる。

多くの女性ファンがいる人気ピアニストに対して申し訳ないが私が彼を見つけて番組を見ていたのは、無論『神童』がらみで松山ケンイチの話が出てこないかなーと思ったからです。ファンが読んだらぶっ飛ばされるな。
結果、ちゃんと映画『神童』で松山ケンイチのピアノ演奏指導及び吹き替えを担当していた話が僅かながら取り上げられた。映像としてケンイチくんの横で指導している清塚氏の姿が。
すっかり満足した私であった(笑)

勿論、清塚信也氏の演奏の素晴らしさを堪能。クラシックを愛し、多くの人にクラシックを知って聞いてほしいと努力し続けている、という話に感銘を受けました。
ケンイチくんの仲良し友達である彼、ずっとケンイチくんを見守っていて欲しいです(ってどういうまとめだ)
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

松山ケンイチを見る



松ケンファンで今頃見てるのは私くらいのものでしょうが、ケンイチくんの色々が判って嬉しい映像でした。
それも上田さんの絶妙の質問のやり方と突っ込みのおかげだと感謝しますねー。

地元青森の友達との関係を話さないままにしたのが本当に大事にしているんだなーという感じでちょっと感動的でしたね。
お母さんの話が出てきてまたまたですが、ジェイとお母さんとの関係を彷彿とさせるなあ。「脚本が悪い」って(笑)確かにそうですよー、わかってらっしゃる。もっといい映画に出て欲しいですよね。
気になる恋人関係は「最近まったくない」ということでちょっと可哀想ですよね。一緒にボーリングをした彼女はどうなったのでしょうか。「好きな人と一緒ならどこでもいいですよね」っていうのがかわいい。

吉幾三「おら東京さ行ぐだ」は確かに名曲です。私もこれ以上のヒップホップ且つ売れたものは日本でまだ出ていないと思ってますしね。
これしか歌わないっていうのはおかしいですが。デトロイトメタルシティは大丈夫なのか。

いつものように口をとがらせたようにして話すのが時々明るく笑うのが可愛いではないですか。

TVをまったく見ないし、以前のものは見れるわけでもないのでこういうのを見れるのは嬉しいことですねー。
またちょこちょこ見てみたいものです。
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 21:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ユメ十夜』最終夜

ユメ十夜 松ケン.jpg

というわけで『ユメ十夜』すべてに感想を書いたわけだが、ここでもう一度松山ケンイチ主演の「第十夜」について触れずにはおけない。前に書いたものと重複するとは思うが。

『第十夜』
監督:山口雄大 脚本:山口雄大、加藤淳也 脚色:漫☆画太郎
出演:松山ケンイチ 本上まなみ 石坂浩二 安田大サーカス

この最終篇は尋常ではないので観る人によって評価の違いは甚だしいであろう。
自分としてはここまで漱石をぶっ壊したということでもそのアイディアの面白さも卓越したもので楽しませてもらった。
漱石、というより宮沢賢治でもいいのかもしれない(余計怒られそうだが、あの美しい世界を)

脚色の漫☆画太郎氏の賜物だろう、漫画そのものという破壊力がたまらない。

松山ケンイチはここで珍しくも性格の悪い町内一の美青年、という役どころである。
役になりきる彼らしく眼差しも美男子らしい色香をかもし出している。
この主人公はブスを見ると殺人を犯していたという設定なのだが、そこまでの猟奇性というのは松ケン=庄太郎からは感じられないのだが、それはあまり重くしないための計算の上でなのか。
どちらにしても本作ではケンイチ氏の甘さが漫画的手法にぴったりあっていて他の人では出せないような魅力になっていたと思う。
傷ついた男、というのはセクシーなものであるが、目玉が飛び出し、内蔵が落っこち、血のついた包帯を頭に巻いたケンイチはステキなのであった。様々の豚攻めで苦しんでいる姿も愛らしい。
しかし私は車椅子のケンイチだとか血だらけのケンイチだとかばかりに色気を感じているのだ。私こそが猟奇的かもしれない。
こうしてこの映画も私の中で「松山ケンイチ萌え」の一つになったのだが、もう一つの「萌え」映画『ウィニング・パス』とともに共通点はいかにケンイチを苛め抜くか、ということであって、ケンちゃんの傷つき苦しむ姿に自分はどうしようもない愛おしさを覚えるのであった。
豚さんとのプロレスで散々痛めつけられている表情と頭から液体がだらり、というのがたまんないっすね。

本作で特筆すべきは美しい本上まなみさんの崩れぶりだろう。彼女が這いつくばって変身するところは蝦蟇功を思い出させる。豚功というわけだ。蝦蟇功というのは金庸小説でお馴染みの欧陽鋒の技である。

ケンイチ氏と源内先生(石坂浩二)健さん(板尾創路))とのやり取りも今までに今までにない面白さがあった。

ところで「パナマ帽」ってみなさん発音しにくそうである。

台湾版DVDについての説明をもう少し。
DVD二枚組みが箱に入っているという豪華仕様である。その表紙は松山ケンイチ一人(後ろに市川実日子の横顔がある)で彼の説明は「死亡筆記本」(てなんのことかと思ったが『デスノート』ね)“L”松山健一、となっている。ケンイチは研一なんだけどなぜか健一。
側面の写真と2枚目DVDの背面は山本耕史。
このブログで一番評価の高い第六夜は無視だ(笑)女性でもなく男性陣が表紙を飾っているわけですな。

DVD2枚目は特典映像。舞台挨拶、インタビュー、フォトなどが入っていました。
これはすべて日本語なので安心。
例の日本語字幕なしさえなければ満足のDVDでありました。

 
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ユメ十夜』三夜

ユメ第四夜.jpgユメ代七夜.jpg

さて『ユメ十夜』の続きである。記事タイトルの「三夜」は私にとっての三夜である。

『第三夜』
監督:清水崇
出演:堀部圭亮 香椎由宇

夏目漱石『夢十夜』の中でも最も怪奇風味のある一編である。それだけに印象が強い。
いつしか盲目となってしまった我が子を背負っていくとその子供が子供とは思えぬ言葉遣いで疎ましくなり捨ててしまいたくなってしまう、というくだり自体が恐ろしい。
最もやりがいのある一編だったのではないだろうか。
怪奇ということで担当監督は清水崇。私は他は未見である。このただでさえ面白くゾクゾクとする物語を映画作者のアイディアを混ぜ込みながら恐ろしい映像を作り出した。
ただそれでも原作のなんともいえない恐怖感には届かないのはもうしょうがないことだろうか。

『第四夜』
監督:清水厚 脚本:猪爪慎一
出演:山本耕史 品川徹
この第四夜は10篇の中で正統性を守りながら最も改変した作品になっている。
物語がかなり飲み込みにくいので自分は一度目は雰囲気は好きながらもよく判らないでいた。今も完全に理解しているとは言いがたいのだが。ストーリー自体が原作と大きく違うのでそこから読み取るわけにもいかないのだ。

レトロな味わいで始まる為にうっかり騙されてしまうが、時代は明治ではなく昭和(30年代くらいだろうか)になっている。
田舎町のために時間がよく判らなくなりそれもまた不思議な感覚にさせるのだ。
原作から使われているイメージは、爺さんが手ぬぐいを振り回し「今に蛇になる」と言い、笛を吹きながら歩いていくのを子供達がついて行ってしまう、というもの。
ハーメルンの笛吹き=神隠し、という連想なのであろう。原作では爺さんが河に入っていくが映画では海となっている。
映画では神隠しという言葉を使いながら、一体かつて何が起きたのかが判然としない。
少年時代の漱石が転地療養の為、田舎町で暮らしその時淡い恋心を抱いた少女がいた。
少女は皆と臨海学校へ向かうが熱を出した漱石少年だけは行けなかった。
その時飛行機事故が起こり(ここがいまいち判らないが飛行機に乗っていったのだろうか。この当時に飛行機に乗るというのはちょっと凄いきもするのだが)子供達はみな死んでしまったのだ。
突然友達が皆死んでしまうという恐ろしい体験は漱石少年の中で記憶の中から追い出されてしまったのだ。今度こそは忘れないと漱石は誓う。

第三夜のようなつけたしではなく、漱石原作を時代も変えて作った佳作である。
第六夜が笑わせる衝撃があったのと違い静かな幻想性を保ったままここまで大きく改変できたのは他にない注目点ではないだろうか。
漱石を演じた山本耕史はほっそりとして手足が長いシルエットが美しい。砂浜を転びながら駆け寄ってくる場面が印象的だった。

なお、この夜の清水厚監督がオープニングとエンディングも担当している。情緒を演出できるという選出なのだろう。

『第七夜』
監督:天野喜孝、河原真明
出演:sascha 秀島史香
このオムニバスで唯一のアニメーションである。
さすがにアニメーションそれも天野喜孝の世界はどの実写作品より幻想性があると感じてしまう。
無国籍なイメージが美しい。
但し、これは自分だけの(というか台湾版DVDを買った日本人のみの)問題なのだが、これには日本語字幕が出てこないのである。
まさか、英語発音の作品があるとは(『第六夜』は英語字幕が出るらしいがこれも出てこない。というかついてはいるのだが、自分で操作して出すやつだ。私は全編中国語字幕を出して観ていたのではあるが(消せるけど))つまり私は英語を聞きながら中文字幕もしくは英文字幕を読むしかなかったのだ(日本版は違うよね?)
なのでいまいち内容はわからないというとんでもない状況に陥ってしまった。
多分だが、美しいアニメ映像を観ているだけで充分の作品だったのではないか、とは思うが。
最も美しく迫力ある作品だった。私が子供の時ならこの作品を観る為だけに映画館に行っただろう(アニメオタクだったからだけど)
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 19:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『功夫灌籃』(カンフーダンク)メイキング

cap244.bmp

じえるなさんに「メイキング観ました?」と言われ慌てて観ました『功夫灌籃』(カンフーダンク)のメイキング。
悲しいかな本編に不満だった私はメイキングに触ってもいなかったのですが、これは観る価値ありましたね。

この映画でのジェイの活躍の様子がかなり細かく映されています。道場での稽古、バスケの練習を観てるとやっぱりジェイは何でも上手いなあ、と改めて惚れ直すこと請け合い。
指導を受けてそれをすぐさまやってのける様子、エリック・ツァンからもアクションのアドヴァイスをされて頷いているところなんかも素敵でした。
MVでジェイの武術は何度も観てますが棒術なんかやってるのを見てると見惚れてしまいますね。

そして何と言っても素敵だったのがなぜか演技の合間にピアノを弾いているジェイ。
ピアノはわざわざ持ち込んだんでしょうか。ピアノが傍にないと生きていけない体なんでしょうか。
おしゃべりしながら軽く鍵盤を弾きだすジェイ。当たり前なんですが、やっぱり一番素敵でずっと観ていたくなってしまいます。

映画にはちょっと失望してしまいましたが、この特典映像は観てよかったです!
posted by フェイユイ at 00:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月12日

『ユメ十夜』二夜

ユメ一夜.jpg

一番面白かったのは第六夜だったと書いたがそれ以外は特に順位をつけようとは思っていないが、無論気に入ったものと頭をひねるもの、嫌いなものの区別はある。

今回はまず第一夜から始めるが、監督が実相寺昭雄、脚本:久世光彦という夢先案内人に適役の二人ではないだろうか。

『第一夜』
監督;実相寺昭雄 脚本:久世光彦
出演:小泉今日子 松尾スズキ 寺田農
原作の幻想性を確実に踏まえながら実相寺昭雄監督の感覚がよりレトロにアンニュイに表現される。
大きな広告のついた観覧車のイメージが印象的だ。
薄暗がりと対照的に眩しい日差しが差し込む映像が美しい。
夏目漱石『夢十夜』を映像化するならこうすればいい、というようなお手本のような佳作である。
チゴイネルワイゼンのこもったような古めかしい演奏も心地いい。
夏目漱石が小説『夢十夜』を書いたのが1908年ということでこの物語の中で使われる「百年はもうきていたんだな」という言葉が2008年の今読むとぞくぞくとするものがあるではないか。

『第二夜』
監督:市川崑 脚本:柳谷治
出演:うじきつよし 中村梅之助
こちらも名匠・市川崑ということで緊張感のある作品となっている。あえて無声映画の手法にすることで奇妙な時代感と独特の不思議な味わいが感じられるのだ。
和尚が言い出す「侍なら悟れるはずだが、お前はまだ悟れないのか。人間の屑だ」という言いがかりが突然のことでなにやらシュールなホラー映画のようでもあるし。そのことで「侍なら悟って和尚の首と引き換えにする。駄目なら切腹するまでだ」などと考えるのも日本の侍なら当然の事とはいえ不気味である。
「無を悟るのだ」とあせりまくるのがおかしい。
この辺までは原作ともあいまって面白く、さすが市川崑と楽しんでいたのだが、落ちに和尚が登場し「切腹もできないのか。それでいいのだ」と言葉に出して言ってしまったのは自分的にはやや拍子抜けだった。無論これこそが映画製作者たちの思いいれなのであって漱石原作から出した答えなのだが。
原作は悩んだままで時計がチーンと鳴る、というシュールな雰囲気である。
どうもこれでは漱石のほうが現代風ではないか。映画側の工夫は好きだったが落ちでは漱石の恐怖感が好きだ。声に出さない面白さもあるのだが。
「それでいいのだ」というのはまさか天才バカボンのパパの真似じゃないよね。もしそうならそれはシュールだが(でも判りやすいように和尚がバカボンパパに変身してないと)

ここらでつまらなかった、嫌いだった作品を言ってしまおう。
いくつかある。まず
『第五夜』
監督・脚本:豊島圭介
出演:市川実日子 大倉孝二
なぜ嫌いなのか上手く言えないけど変な嫌悪感がある。
原作は神代に近い大昔の物語というイメージなのだが、裸馬に乗った女というエロティックなイメージなのにここではなぜかそういったエロティシズムは無視されている。私的には『楽園の瑕』で馬に寄りかかるカリーナ・ラウのようなえもいわれぬ色っぽさを出してもいいはずなのだが豊島圭介氏はそういったエロには興味がなかったのだろうか。
代わりにエロティシズムを追っ払うような醜悪な生物が登場する。生物ではないのかもしれないが。
エロティシズムではなく自我が形となって現れたというような。女の傍に現れると男も負けじと出してきた。嫌味な感じだ。
原作を壊すでもなく、生かすでもなく、イマジネーションに興味を持つこともできず、おかしくもなく怖くもないもう観たくない一編である。

『第八夜』
監督:山下敦弘 脚本:長尾謙一郎
出演:藤岡弘、 山本浩司
これはいいのか悪いのかこのオムニバスの中で最も判らない作品だった。
山下敦弘氏についてはこの前『リンダリンダリンダ』を観てなかなか面白かったし、他の未見のものにも興味があるのだが、この作品に関しては頷けなかった。
少年が短パンのポケットから竹輪を覗かせているのは変なエロティシズムでショタコンなのかと思ったが考えすぎなのか。
笑わせようとしているのも感じられたがちょっといけなかったかな。

『第九夜 』
監督・脚本:西川美和
出演:緒川たまき ピエール瀧
これは最初から西川美和作品と知って観ていたわけではなく「なにやら嫌いな感じだなあ」と思いながら観終わって監督名が出てきて知ったのだが。
戦争に行きたがる夫を止めようとする妻。夫のためにお百度参りをするけなげな良妻の姿だが実はその妻が夫を殺害していたのだ、という話である。
『ゆれる』でも思ったのだが、どうしてもこの監督とはそりが合わないのである。
話のために簡単に殺人してしまうこの感性が。話の為の話なのだ。
それにしてもありきたりの話だと思ってしまう。漱石の小説から感じる夢の創造性がないというのか。
恐怖や笑いも感じなかった。何故つまらなく感じるのかは自分でも上手く説明できない。
もう観る事もあるまい、と思っていたのに、予備知識を入れない見方をしている為にひょんなところで出会ってしまうものだ

以上が十話のオムニバスの中でどうにも感心できない3作であった。
10の内7話は観れたのだからまあまあよかったのではなかろうか。
一旦ここで終わり、また書くことにしよう。

松山ケンイチについてまったく触れてないのにカテゴリが松山ケンイチになってしまうが。
ここで名前だけ出してみた。





ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 21:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

周杰倫 - 千山萬水 (2008北京オリンピック歌曲)

周杰倫 - 千山萬水 (2008奧運歌曲)


ジェイが北京オリンピックのために作った歌ですが、これはとてもいいのではないでしょうか。
勿論歌詞はわからないのですが、祭典の色々な場面で流れたらきっと感動的な歌だと思えますね。
 
ところがこんな記事もあって
ジェイ・チョウの五輪ソングは「五輪っぽくない」?

もー、スローなテンポだから感動的なんでしょ。やたらアップテンポじゃじーんとしないじゃん。わかってないなあ。
これはもう絶対決まりですね。

とはいえ、その肝腎の北京オリンピック。チベットその他の問題が噴出してますね。
私としてはチベットを含め諸民族の悲劇を隠しこんでしまおうという中国体制ではこれから先やっていけないだろうと思っています。ジェイの台湾だってその問題の一つです。
大きく揺れに揺れている現状ですが一体どうなるのか。
歌だけを心配している状態でないことが悲しいです。
posted by フェイユイ at 01:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月11日

『ユメ十夜』一夜

ユメ十夜a.jpg

やっとやっとついに観た『ユメ十夜』台湾版で観たので『夢十夜』だったけど。
観る前にちょとだけ他の人の評を見たら「夏目漱石の素晴らしい原作をこんな風にしてしまって(怒)」というようなものが多かったのでつい侮っていたのだが、これがかなり自分的には唸らせられた。よく吟味して日を改めて記事を書こうと思っていたがどうにも我慢できず少し書いてみる。

先日購入した台湾版DVDを観ようとして原作未読だったのを悔い、今度は慌てて原作小説を注文し漱石先生には失礼ながら急ぎ読み下した(読み込むまでは到らなく筋を追った程度だが)思った以上に短い短編だったので(星新一氏のショートショートくらい)却ってこれを映画にできるのか、と思えたが、なるほど出来上がりを見ればかなり話を継ぎ足してある。もし原作に忠実ならほんの5分もかからないだろうか。つまりは監督陣の思い入れが随分加筆されているわけでそこが見所となっていた。
未読のまま観るのを躊躇してよかった。映画と原作は別ものとはいえ、これはやはり夏目漱石の名文を読んで観たほうが絶対によいのではなかろうか。後読みでもいいと思うが原作を読むと映画化する工夫の面白さがまた格別である。
それにしてもこんなに面白く自分が好きな話をなぜ今まで読まなかったのか。本当に腹立たしい。ま、読む時期というものがあり、松山ケンイチを好きになることでこうして夏目漱石の一名作を読む機会ができたことで良しとしよう。
まったくのところ、この僅かなページ数の原作は面白いの一言に尽きる。これが遠い昔の人の手によって書かれたとは。この生き生きとした文章の上手さは確かに映画にするのは至難の業であろうが、それはそれ。それぞれの映画人があれこれ知恵を絞り技を競い合ったこのオムニバス、心底楽しむ事ができたのだった。

とても今夜一晩で語りつくせはしないだろうが、まあ、書けるとこまで書いてみようか。
記事タイトルの「一夜」は物語の一夜ではなく、私にとっての一夜である。

オムニバスといえば『パリ・ジュテーム』の時も内容の千差万別の面白さに何夜もかかって記事を書いたが、私にとっては『ユメ十夜』もかなり楽しんで書けそうだ。

まずは最も面白かった作品発表。一夜目から追っていては退屈だろうから。
それは『第六夜』
監督・脚本:松尾スズキ
出演:阿部サダヲ TOZAWA 石原良純
これは何と言っても最も原作に忠実に映像化しつつこの自由な発想という飛びぬけた面白さではなかろうか。
これこそ原作と見比べて欲しいがあの僅かな長さの物語を他の作品のような継ぎ足しを殆どしていない、と思えるほどに忠実に再現しているのである。且つその表現は自由であり計算されているという物凄い技巧である。
監督の松尾スズキさんの名は無論知ってはいたが作品は多分知っていない。が、この作品だけでいかに優れた才能であるかは認識させられた。
原作自体、10編の物語の中で最もおかしさのあるものなのだが、その一編を選ばれたのか与えられたのかわからないがこの『第六夜』をスズキ氏がやることになってよかったのではないだろうか。
明治時代に生き残っているはずのない運慶が生きていて仁王を彫っているのを見物するという荒唐無稽な夢の話だが、そのおかしさをブレイクダンスで表現する。阿部サダヲのぶつぶつ悪口を言う様子もおかしくてしょうがない。
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみという態度だ」というとこなんてもう大爆笑。
ここは是非もう原作と読み比べていただきたい。
大体夏目漱石という人は日本の文豪の代名詞でもあるのに凄くコメディがかける人だ。私は昔よく『我輩は猫である』を読んでげらげら笑っていたんだけど、明治時代に書いた文章で笑えるのも凄いんではなかろうか(イや私じゃなく漱石がね)文豪だからコメディも書けるのかコメディが書けるほどでなければ文豪じゃないのか、よく判らないが漱石の文章はとにかくおかしいところが凄い。
そのおかしさを映像に仕立て上げてしまった。漱石なのにパソコンでネット的な文章を書いていくのもおかしいが確かに漱石が今いたらばそのくらいやってそうであるし。
芝居がかった台詞「萌え」なんていう掛け声だとかもうノリノリに乗せられてしまう。
この物語は「夏目漱石の作品は作り物」だと言われた漱石が自分は作るのではなく掘り出しているのだ、という意味を込めているのらしい。
最後の原作にない付け足しもひねりがあって秀逸な作品だった。

『パリジュテ』の時に表第一位と裏第一位があるなどと書いたのだが、本作の裏第一位はどうしたって松山ケンイチ主演の
『第十夜』
監督:山口雄大 脚本:山口雄大、加藤淳也 脚色:漫☆画太郎
出演:松山ケンイチ 本上まなみ 石坂浩二 安田大サーカス
である。
これはもう冷静に判断はできないのでどうしようもないが、『地獄甲子園』を監督しただけあって徹底的にぶっ飛びな作品で徹底的に原作をぶち壊しているのが上と違ってまた最高であった。
また注目すべきは松山ケンイチが今までの主演・準主演映画作品またはドラマと大きく違う美形の嫌な男を演じていることである。
真面目で素朴で何故か本人よりブサ系を演じる事が多かった彼とは思えない変身振りである。
まあ、この時代の2枚目っていうのはもう少し女性的な方がしっくりくるし、展開の無茶苦茶も際立ったのかもしれないが、自分的には嬉しい悪役だった。何となく「豚野郎」って台詞がいまいちまだ板についてない気もしたが。
ロボ以上のハチャメチャで何より本人が楽しんでいるのが伝わってくる。「よかったねー」てな感じでにんまり観終えた一作だった。
町内一の好男子、昔だったら沢田研二がやるとよかったかな。何故か関西弁が使われてたからそう思ったのかもしれないが。

と、ここで明日に(今夜か)に続く。




posted by フェイユイ at 22:51| Comment(4) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松山ケンイチについての告白・その6

なんとか他の映画も観ていこうと決意しながらどうしても離れきれないでいる自分なのだが、さらにそうは言いつつ雑誌などを買い集めるのを止められないでもいる。

色々雑誌・写真集も見てきているが特に一つ一つ感想を述べることはないか、と思っていたのだが、一つ衝撃なのがあった。
蜷川実花さんの『蜷川妄想劇場』という16人の男子の写真集である。
話題・人気の男性が蜷川実花さんにより様々なシチュエーションで撮られていて大変嬉しい写真集なのだが、当の松山ケンイチ氏は『若き将校の憂鬱』というタイトルで軍服での撮影。
こ、これがうううなんと言っていいやら表現していいやら、大爆笑。いやいや悪いわけでは断じてない。大体最初から『妄想劇場』と題してあるではないか。妄想なのだ、これは。それなら判る。私だってこういう妄想ありだ。
しかしなあ。似合わない・・・・っていうのか、服ぶかぶかなんだもん。痩せてるんだよなあ。
言わない言わないと言いつつ何度ももう言ってるがなんか。松ケンってどうしても周杰倫と重なるのね。
で、ジェイも軍服写真あるの。あの人割りと戦争もの好きだからさ。私はそこだけちょっとやなんだけど。で、松ケンも戦争モノ出てるし、やっぱこれも『大和』のイメージから軍服、将校だったらしいんだけど。ジェイの方は軍服もサ、決まってるの。これは絶対もう彼の方が財力あるから体にぴったりの服あつらえたからなんだよね。
松ケンのはもー単にどこかの軍服マニアショップで買ってきたのを着込んだ軍人マニアだもん。銃の構え方もまだ入りきれてないっていうのか、軍人オタクの青年がなりきってるだけみたいでさー。大体他の出演者に比べたら金のかけ方が悪いんじゃないのか。背景ないしねー。
この銃持ってる松ケンの目がいっちゃててまた危険な匂いが。この危険さが好きなんですけど。最後の写真なんかコートの下から赤いズボンみえてっからあーやっぱマニア少年だとわかるんだけど。
なんだか悪口書いたみたいだけど全然そうじゃなくてこれはやはり衝撃ですよ。こういうのもありなのかと。
他の被写体の方々と全く違うこの異常性は。

他の写真の色々見てて思うのは顔が同じ人なのか?と思うほど写真によってまったく違う事。
その時その時で何かの役になりきってしまうためなんだろうか。このくらい顔そのものが違って見える人もそういないのではないだろうか。
私的に一番ハンサムに見えると思うのは「Cut」2008,2月号の蒼井優と並んで写ってる奴。ヒゲ好きなので無精ひげに弱いのである。

ついでに松山ケンイチの顔のどこが好きかっていうとやっぱ一番は口かなあのとんがってる唇は魅力的です。大きな口が好きなのでそこもいいし、目の焦点があってないのも好きですね。
それと首が太い人が好きなのでそれもセクシーだと思います。ヒゲはその時で違うでしょうけど好み的にはあるとより魅力倍増です。
あとこれは言うと嫌がられそうですが鼻の脇のほくろが自分と同じ場所にあるのが凄く気になる。ここの位置って時々目にはいるんですよね。ほっぺのも似たような感じであるんですが。
それと声がいいですね。Lの時のしゃべり方はもう耳から離れませんが地のしゃべりの訛りがステキです。よくここまで訛り残せるなーと感心します。絶対なくすまいと思わなきゃここまで残りませんよね。
凄く心地よい話し方だといつも思ってしまうのでした。


ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 01:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月10日

『ゼロの焦点』野村芳太郎

ゼロの焦点a.jpg

松山ケンイチ後遺症に苦しむ毎日の自分である。なんとかリハビリをするために今夜はまったく関係ない映画を久し振りに観る。

と思っていたら、女主人公が探すいなくなった夫の名前がケンイチでやたら「ケンイチさん、ケンイチさん」と言って探しているのでどうもあの人を探しているようで困ってしまう。
なかなかケンイチさんから離れられない運命のようだ。

脚本の橋本忍・山田洋次はこの後に名作『砂の器』の脚本も手がけることになるが「放浪するミステリー」という題材がここですでに使われている。
非常に心惹かれる題材なのである。
謎を探し訊ねるということと見知らぬ土地を彷徨い歩くということが心の不安定さ、恐怖をよりかき立てるのだ。

結婚7日目にして夫が突然出張先で行方不明になり一人残された新妻が行ったことのない金沢の地で夫ケンイチさんを探し訪ねていく。
無駄のない脚本、演出、地味だが緊張感のある展開で見ごたえ充分。橋本忍・山田洋次が脚本を手がけているのだが、人を探し訊ねるミステリーというのは映画としてこの上なく面白い効果をあげるのだということが伝わってくる。
私は殆ど観た事がないのだが、現在人気のTVサスペンス物というのはこの映画を基本にしているのでは、と思ってしまう。
確かに犯罪事件を解決するというのが目的であっても風光明媚な場所を訪ね歩くのは見ているだけで楽しいものであるし、それに殺人などという恐ろしい気分が加わればますます観る者は惹きこまれていく。しかもその尋ね人がたった7日で夫が蒸発してしまった新妻とくれば興味はつきない。
且つ、当時の背景として戦後の米軍相手のパンパン(売春婦)が物語の鍵となればよりいっそうである。

いなくなってしまったケンイチ氏は真面目を絵に描いたような男性であったにも関わらず元・パンパンであった女性と内縁関係にあり、その上で主人公である女性と結婚しようとしている、という今の時代では許しがたい状況なのであるがこれもケンイチ氏が真面目で優しい心の持ち主だったからこそ陥ってしまったという苦しみがある。ここらは同脚本の『砂の器』の巡査さんを思い起こしてしまうものだ。このケンイチ氏も元・警察風紀係だったという設定である。

貧しい生活の中でケンイチ氏が訪ねてくることだけを楽しみにしていた女性の姿が悲しい。彼の帰宅を見て駆け寄りつまづいてしまう女性は不安定であっても幸せを感じていたのだった。
内容は酷く重苦しいものだが、脚本と演出のうまさがそれを救っている。硬質の佳作である。
女性が犯人であり探偵であり鍵を握る人物であるというのも注目点だ。

強い風の吹く断崖の上で主人公と犯人が謎解きをするという場面はこの映画で強く印象付けられた。
この場面が繰り返しドラマで使われているのだろうか。
この北国の断崖から見降ろす逆巻く海の情景は確かに怖ろしい。


1961年の映画で当時の風俗、言葉遣いなど興味深い。受話器の大きさが目立つし、自宅にないので電話のある近所の店の人がアパートの上階に向かって大声で呼んでいるのが面白い。電話というものは貴重なものだったのだなあ。

製作:保住一之助、監督:野村芳太郎、原作:松本清張、脚本:橋本 忍/山田洋次、撮影:川又 昴、音楽:芥川也寸志
出演:久我美子、高千穂ひづる、有馬稲子、南原宏治、西村 晃、加藤 嘉、穂積隆信、高橋とよ、沢村貞子
1961年日本





ラベル:ミステリー
posted by フェイユイ at 23:16| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ルナシー』ヤン・ シュヴァンクマイエル

SILENI.jpgSILENI2.jpg
SILENI/LUNACY

松山ケンイチお気に入り映画作品第2弾。
うう、ケンイチさん「エログロとか観ないのかね」などと侮ってごめんなさい。これは最強に醜悪だった。

精神異常の作品に異常なほど惹かれる自分であるがこれは今まで観た中でも醜悪さは貫いている。
だが映像表現としてはそういった箇所を目の前に見せ付けるような下品さはなくあくまでも静謐ななかでのシュール、グロなのであった。
とはいえ冒頭でどういうことが行われるのかを図解入りで説明されるので鑑賞者は自然何が起きたかを想像できるわけでこれ以上の恐怖もないのだ。

悪夢を見て暴れだす頭のおかしな男が主人公かと思ったら、この男が一番まともで次々と奇妙奇天烈な人物が登場してくる。
キリストへの冒涜、女性への蔑視、肉片がアニメーションとして不気味な動くのを見せられては嫌悪感を抱くしかない。
主人公は精神が不安定とはいえ、純真な心の持ち主なのだが、立場は悪い方へ悪い方へと捻じ曲がって進んでいく。
そして彼は最も恐ろしい方向へと連れ去られてしまうのだ。

救いのない展開をどこかで笑っているような、または泣いているのかもしれないが。
最も醜悪な舌と目玉と脳みそ、肉片などといったものを使ってのアニメーションが醜悪なのにもかかわらずおかしい。
一見、大昔の話かと思いつつ見ていると主人公達を乗せた馬車が現代の自動車とすれ違うというのも痛烈だ。
それにしても俳優達はいかにも昔です、という演技をしているのが凄いものだ。
『変態村』もシュールで恐ろしかったがこれはまた違った味わいの恐怖を観る事ができる。

これを好きな映画にあげるケンイチ氏も凄いね。私的には面白かったけど好きな映画とは言いたくないなあ(笑)
とにかく私はヤン シュヴァンクマイエルという監督すら知らなかったのでこんな凄い人を教えてもらえたということでも松山ケンイチに感謝したい。他にもレンタルできるのがあったからそちらも是非観たいと思ってる次第である。

監督:ヤン・ シュヴァンクマイエル 出演:ヤン・シュヴァンクマイエル パヴェル・リシュカ ヤン・トジースカ アンナ・ガイスレロヴァー ヤロスラフ・ドゥシェク パヴェル・ノーヴィ
2005年チェコ
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月09日

松山ケンイチ出演NHK「その5分前」[或る夜の出来事]

hi-chanから後紹介いただきました松山ケンイチ出演の NHK『その5分前』[或る夜の出来事]原田知世主演のミニドラマ。
こ、この松ケンは可愛いです(泣)たまりません。



ま、ほんとの友世さんは美人なのでこういうこともないでしょうが、確かにこんな状況どきどきしちゃいますよね。
私も毎晩通ってしまいそうですわ。
出てくる映画も古いのが多いので私も判りやすくてよかったです^^;

とはいえ私の場合だと変なのばかり借りてると嫌われそうではありますが。

しっかし私はやはり疑り深いのか、こんないい展開あり得ないっすよねー、と思ってしまう。
悪徳商法の勧誘か、内臓とられるか、なんてな。

二人とも可愛いのでこういうこともあるかもね、と思い込まされてしまうのでけどね。
ほんと可愛くて素朴な松山ケンイチという感じだった。うれしいなあ。
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 20:32| Comment(6) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月08日

『灌籃(カンフーダンク)』朱延平

灌籃(カンフーダンク)bbbb.jpg灌籃(カンフー.jpg

この記事は日本未公開の映画を輸入DVDで鑑賞したものです。ネタバレになっていますのでご注意ください。

さあ、ついに観た周杰倫主演コメディアクション映画『カンフーダンク!』ジェイの活躍がガンガン観れちゃうのだ。
もうこれはヨダレ物ですぜ〜!と言いたいところだったのだが、はっきり言うとこれは駄目だった。

ジェイにべた惚れの目で観ていてどうしたって褒めまくろうと思っている自分だがこの映画はあんまりではないのかなー。
こうして観るとコメディというのがいかに難しいのかわかる。ジェイにコメディを演じさせたことも酷だし、製作者のアイディアの乏しさも侘しすぎる。
これでもし面白かった、と感じるのならジェイ・チョウというブランドに流されてしまったのではないのだろうか。
私はこれを面白かったとは言いたくないのだ。

そのジェイ自身が作った『不能説的・秘密』はまだ素人っぽい作りながら繊細に神経を配った感覚があった。
ストーリーの起伏も伏線も細かい配慮が感じられたものだ。
本作にはそういった練りこんだものが何も感じられない。コメディアクションだからどうでもいいはずではなく、だからこそより複雑な計算があってこそ面白くなるはずなのに。
特にメインであるはずのバスケットアクションは一発放り込むことばかりで目新しさがない。
タイトルが『ダンク』なのだといってもジェイがやってるのはダンクじゃなくロングシュートだし、タイトルのダンクは最後の最後に決めるだけでも別にいいのだ。
やはりバスケの面白さはパス回しとドリブル、トリッキーな動きにあるわけで、そこらへんはMBAの物凄さを取り入れながらカンフーアクションを混ぜ込んで芸術的且つ超人的に嘘でいいから作り上げて欲しかった。単に長いシュートを入れるだけ、というのを繰り返してなにが面白いのだろうか。
肝腎のアクションも正直言ってジェイの場面よりチェン・ボーリンの方が迫力あったような気がして寂しい。
コメディではエリック・ツァンに勝てるわけもなく。

カンフー+球技ということでどうしたってチャウ・シンチーの『少林サッカー』と比べてしまうわけだが、悲しいかな、比べる域にも達していない。
無論『カンフーダンク』をチャウ・シンチーが主演してたらば出来栄えはまったく違っていただろうとは思う。笑わせる、というのは難しいものである。存在自体がおかしい、しゃべりや仕草がおかしい、笑いの要素も様々だがジェイにそれを求めたのはかなり無理があるのではないか。
とはいえジェイがすべての責任を被るわけではなくこの映画作品そのものが面白いおかしいと言えるのかどうか。楽しめる要素があるのかどうか。
敵方が卑怯な手を使い暴力行為で勝敗をモノにしようとする行為の繰り返しは中国サッカーチームの反則を思い出させ「こういうことだけなのか」とうんざりさせられる。
中国語がわからないから笑えないのでは、とも思ったが『少林サッカー』の時も条件は同じであった。言葉はよく判らなくともあの作品では終始笑っていたのだ。あれでも目に余る暴力行為があったはずなのにそれを気にさせないおかしさを感じたのはやはりチャウ・シンチーの凄さなのか。

ジェイも頑張っていたし、評判もいいと聞いていたのである水準は超えているものと信じて観た作品だったのだが、他の方の意見はどうにしても私自身はかなりがっくりさせられてしまった。
エリック・ツァンとジェイのやり取りはさすがツァンの上手さでほんわりいいものもあったのに。本当に残念である。

監督:朱延平 出演:周杰倫、陳柏霖、蔡卓妍、曾志偉、呉孟達
2008年台湾

ジェイの歌が流れてバスケットアクションが見れるのは確かに楽しいことだった。だがそれでは単にMVとしてのみ売り出せばよかったのではないだろうか。
チェン・ボーリンも気の毒だ。

『イニシャルD』で主演したジェイだが、あの時はもっと何もしない演技だった。だがそんなことはかまわないくらい製作者のアイディアが秀逸だったのだ。また周りの俳優陣のおかげでジェイは素晴らしく見えたものだ。
その後も『王妃の紋章』ジェイ自身の作品『不能説的・秘密』と高いクオリティの作品が続いた。チョイ役の『ジェイ・チョウを探して』もいい作品だった。
いっぱしの役者でも幾つか出演すれば一つくらいスカに当たるものだ(むしろ恵まれている方なのだ)すべて完璧とはいかないのが当然かもしれない。


posted by フェイユイ at 23:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ユメ十夜』いまだ観れず

ユメ十夜 日本版.jpgユメ十夜台湾版.jpg功夫灌籃k.jpg
左が日本版『ユメ十夜』真ん中が台湾版『夢十夜』松ケンアップです、右がジェイ『カンフーダンク』

実は今夜は(というか昨日の夜は)やっと手に入ったDVD映画『夢十夜』を観る予定であった。漢字で書いたのは台湾版だからである(リージョン3なのでご注意を!普通には観れません)

レンタルすればもっと早く観れたのだが、ちょうど折りしも周杰倫の『カンフーダンク』を購入予約しようとして運賃無料にするためにもう一枚何かを注文したかったのだが、もうよほどでないと中文字幕で観る気力のない私は買いたいものがない。
そんな時、見つけたのが台湾版『ユメ十夜』である『夢十夜』
日本映画を台湾版で買えるのか?と疑心暗鬼だったが、あっさり注文完了。しかしホントに来るのか心配で記事にもできないでいたのだった^^;

今日届いた2枚の台湾版DVD(イヤ、『カンフーダンク』は香港版だ)

日本版『ユメ十夜』は表紙が10分割され松山ケンイチの姿も10分の1のようだが(実際手にとったわけではないので確信はできないが)台湾版のそれは何故か表紙いっぱいに松ケンが大きく写っているのである。しかも下部の俳優名は“L”松山健一(笑)
やはり“L”の影響大なのだなあ。それにしてもケンイチ君はちゃんと研一って漢字があるのに健一って。
yesasiaの説明ではちゃんと研一ってなってましたけどね。

とにかく表紙に松ケンの顔がアップで印刷されてて、一方の『カンフーダンク』にはジェイ・チョウの顔がアップで(笑)
並べられるとホントに似てて笑ってしまいましたよ。
そうでもない、と思ってたらほんと似てるんだもん。しかも二人とも流し目してるし^^;(今手元で見つめ合っています)

無論日本で買える『ユメ十夜』ですが台湾版だと少し安いようで(レートがどうなるのか。800円くらい安いかな)
中国語を勉強したい人には中文字幕で日本語が聞けますしね。

で、なんで観なかったかというと心待ちにしていたくせにやっと観る段になって「あ、原作読めばよかったなー」って。
もー未読だった私が悪い。普通は原作読んでなくても気にならないんですが何故かこれは読んだ方がいいような気がして。
気にせず観ようと思ったのですが、一度気になると集中できず止めました。
てことで今度は原作読了後に観る予定に。
いやはや。
一体いつ観れるのやら。

てことでこの記事は『ユメ十夜』台湾版『夢十夜』は松ケンびいきだよ、ということでした。松ケンファンならこちらを購入するのもよいかも。

『カンフーダンク』を明日は観るぞ!

この記事、いけないわけではないことを祈りたい。

台湾版『夢十夜』
posted by フェイユイ at 00:49| Comment(8) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月07日

『マラノーチェ』ガス・ヴァン・サント

マラノーチェr.jpgマラノーチェ.jpgマラノーチェc.jpg
MALANOCHE

ずっと前からブログに貼りつけまでしてDVDレンタルを心待ちにしていたくせに松山ケンイチが突然自分の心を支配してしまったことで観るのが今になってしまった。
僅か78分のガス・ヴァン・サントのモノクロフィルム。彼の初めての長編映画はやはり素晴らしくあっという間にその世界へと引きずり込まれてしまった。

あまりにも自分が好きな世界でどう表現していいか混乱してしまう。
小説なら主人公の独白のみの本当に短い一編という感じだ。
主人公である白人の青年ウォルトは決して裕福というわけではないが、それでも田舎町の食料雑貨店での仕事で生活している。その彼が恋する相手は密入国をしたと思しきメキシコの少年たち。
とりわけジョニーの美しさにウォルトはなんとか心を通じ合いたいと願い続ける。

一方的な思慕。金で買うのではない、心を通わせたい、というウォルトだがそれでも結局はメキシコの少年たちの若い肉体を求めているに過ぎない。ウォルト自身も年配の白人男性に思いを寄せられてはいるのだが、それに答える気持ちはまったくないようだ。
ジョニーを愛しているとは言いつつも思いが達成できなければ彼の友人ロベルトと肉体関係を持ってしまうウォルトの恋心も一途ではなく。
しかしカマ野郎と蔑まれながらも少年たちを口説こうとするウォルトの懸命さはいじらしくもある。

強い陰影を感じるモノクローム。心をかき乱すラテンの歌。ウォルトの熱い思いを感じさせる沸騰する湯や機関車の音がガス・ヴァン・サントらしい暗喩である。

マラノーチェ=最悪の夜、とはいえ毎晩が最悪の夜のようでもあり。ウォルトは繰り返し繰り返し最悪の夜を迎えているのではないか。
その言葉の響きが日本語で聞けば男性の性器のようだとガス・ヴァン・サントに言えば面白がるだろうか(さらに言えば男性性器が残念がっているようだし)

ウォルトはジョニーを求めて彷徨う。ジョニーはそんな彼から逃れて彷徨う。
ウォルトは美しいラテンの少年に恋焦がれているが、自分はそんな風に恋焦がれているウォルトの表情に酷く惹かれる。
ウォルトを演じているティム・ストーリーターは時折リヴァー・フェニックスのようにも見えはっとさせる。
ガス・ヴァン・サントはほんとうにこういう顔が好きなのだなあ。メキシコの少年に恋している彼の方が酷く魅力的に見える。

結局物語の中でロベルトは死に、ジョニーはウォルトから逃れて街を彷徨っている。
ウォルトは相変わらず小さな店で店員をやりジョニーが店に来る事を待ち続けるのだ。

その後、何度もガス・ヴァン・サントの映画に用いられるイメージがここですでに使われている。
走り続ける車、走り去る風景、大きく動きうねっていく雲、風。
車の中でウォルトはジョニーを求めながら見つめるが思いがかなうことはない。
それは後の『ジェリー』でもあり『マイプライベートアイダホ』でもあるだろう。

まだ荒々しく乱暴にこの映画は思いと行動を見せつける。ウォルトの願いもまた乱暴ではあるが報われる事のない残酷さにやはり心は痛くなってしまう。

監督:ガス・ヴァン・サント 出演:ティム・ストリーター ダグ・クーヤティ サム・ダウニー ナイラ・マッカーシー レイ・モンジュ
1985年アメリカ

posted by フェイユイ at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。