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2008年04月16日

『パンズ・ラビリンス』ギレルモ・デル・トロ

パンズ・ラビリンス.jpg
PAN'S LABYRINTH

昨夜「泣いた映画」ということについて書いてしまったのを酷く後悔しています。
というのは今夜観たこの映画ほど悲しい気持ちで観たこともなかったからです。
まだ観終わったばかりで何も頭の中は整理できてはいないのですが、そんな風に解釈したりすることでなくすぐに気持ちを書きたくなってしまたのでした。

スペイン内戦下の惨たらしい状況の中で少女が見たものは平和への願いだったに違いありません。
少女らしい妖精の国というお伽話を思うことで何とか自分というものを保っていたのでしょう。

恐ろしい大尉の言動は内戦の恐怖をそのまま表しています。その残虐性は目を背けずにはいられないものですが、それが少女の周辺で起きていた現実であることを次々に見せ付けられていきます。

遠い妖精の国へ行こうとして不思議な体験をしながら愛する母を見殺しにされる現実もまた少女の目の前で起きてしまうのです。

母親のお腹の中にいる弟に「出てくるときにママを苦しめないで。ママに会えばあなたもきっとママが好きになるわ」というオフェリアの願いが切なくて涙をこらえることができませんでした。

恐ろしい大尉がオフェリアを追いかけて来た時、私たちはどこかで魔法が起きることを信じていたのではないでしょうか。
オフェリアが死ぬはずがないと。
でも目の前で起きたことは信じたくない出来事でした。
どんなに魔法を望んでも小さな子供が殺されるような残酷はあり得ないと思っていてもこうして善良な子供も母親も父親も殺されていったのでしょう。
オフェリアは助かるために弟の命を犠牲にすることを拒みました。その思いを父親である大尉は知ることもないし、理解することもできないのです。

最後に死んでしまった切り株から芽吹いた花はキリスト教で「ダビデのひこばえ」と呼ばれるものを意味しているはずです。
オフェリアは亡くなってもまた新しい生命がこの世に生まれでるのだという印を残していきました。
彼女が殺されてしまった悲しみを忘れる事はできなけれど希望もまた生まれていくのです。

ギレルモ・デル・トロ監督作品を『ヘル・ボーイ』『デビルズ・バックボーン』と観てきて心底好きになってしまった。
この2作品タイトルで違ったイメージを持ってしまいそうだが、中味はまさに本作同様、愛と正義に満ちたものである。
特に『デビルズ・バックボーン』はスペイン内戦という設定で本作と重なるイメージとメッセージがあるものでホラーというジャンルだけに留めるのは勿体無い作品である。
とはいえ、本作もファンタジーという少女の夢物語があることでなおいっそう内戦の悲惨さ、平和への祈りが心に響いてくるのだと思う。

少女の愛らしさもメルセデスのひたむきな勇敢さにも涙が止めどなく流れてしまう。
デル・トロ監督の作品は宗教的な意味合いも深く、そこに表現される正義感は圧倒されるほどの強さがある。
オフェリアが素晴らしい王国を治めたことを疑うものはいないだろう。

『パンズ・ラビリンス』というタイトルではあるが映画を観ていて浮かぶのは『グロッタ』という言葉の方だ。
パンや他の妖精たちのグロテスクなイメージは素晴らしい。少女の夢とは言ったがそれでもこのファンタジーの世界に魅せられてしまう。
パンというのは好色な存在であり、それが美しくもまだ稚い少女に難問を出して苛めるというシチュエーションにはなんとも言えないエロティシズムが隠されている。
そういった秘められた喜びもまたラビリンス(迷宮)のゆえかもしれない。

メルセデス役のマリベル・ヴェルドゥは『天国の口、終りの楽園。』で主人公達(ガエル&ディエゴ)の憧れの美女だった。
ここでも強い意志を持った女性である。

またここで登場する女性たちの名前も暗示的だ。
オフェリアは言わずと知れた『ハムレット』で狂って死ぬ美女の名。ここでのオフェリアもあるいは狂ってしまっていたのかもしれない。
母親カルメンは兵士に刺されて死ぬ女。
そしてメルセデス(ベンツと思ってしまうが)はスペイン語で慈悲深い人、という意味を持つ。彼女が憎むべき大尉からその子供を受けとってどうしたのか、この名前から想像できるということだろう。




posted by フェイユイ at 23:01| Comment(2) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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