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2008年05月01日

『告発』マーク・ロッコ

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MURDER IN THE FIRST

久し振りに萌え萌えの作品に当たって喜んでしまっている自分である。いや作品自体は非常に感動的な物語でとてもそんな感情を抱いてしまったというのは罰当たりなのだろうが、正直じゅるりな衝動を押さえきれないのだった。

脱走不可能といわれたアルカトラズ刑務所から脱走しようとして未遂に終わったヘンリー・ヤングと計らずして殺人を犯してしまった彼の弁護士となったジェームズとの出会いと交流を描いた物語である。
アル・カポネのような大物犯罪者の為の刑務所だったアルカトラズだが、当時そのような大物犯罪者は少なく、ヘンリー・ヤングはたった5ドルを盗んでそこへと送り込まれたのだった。
脱走未遂者となったヘンリーに対する扱いは想像を絶するものだ。日の差し込むことのない地下牢に全裸で放り込まれ、外へ出れるのは1年に30分だけ。また顔が変形するほどの度重なる殴打を受けた階段から突き落とされた。残忍な副所長の虐待は執拗で逃げないようにと剃刀でアキレス腱を切ってしまう。
惨たらしい虐待と暗闇の小さな独房での3年間はヘンリーを動物に変えてしまった。
やっとそこから出るのを許された日、「お前を密告して独房入りにさせたのはあいつだ」という声を聞いてヘンリーはその密告者をスプーンで刺し殺してしまった。
身の毛のよだつような冒頭でのヘンリーの虐待場面の連続はその箇所を特に大映しにしているわけでもないのに目を覆いたくなってしまう。
彼を弁護する役を与えられた若き弁護士でこれが初めての仕事となるジェームズがヘンリーに出会った時、彼は人間ではなかった。

若いが熱い正義感を持つジェームズが熟練の裁判官、検事を相手に丁々発止と裁判を進めていく姿は思わず引き込まれてしまう。
だが誰が考えても同情してしまうヘンリーへの弁護を聞くことがこの作品の見所ではない。
心を閉ざしてしまったヘンリーと彼を救いたいと願うジェームズの心の交流にいつしか共鳴していってしまうのだ。

同じ年頃なのに全く違う人生を歩み、全く違う立場にいるふたり。
ジェームズはヘンリーの事情を知っていくうちに絶対に助けたいと強く願う。だがヘンリーの答えは「裁判が終わればお前とあんたと別れることになる。死刑までの友達でいてくれればそれでいい」
ジェームズが外に出ても友達だと言っても信じないヘンリー。それは多分実際そうなってしまうことだろう。
事件の解決より一緒にいる間カードで遊びたいというヘンリーの言葉が寂しい。
彼がそれまで生きてきた間、多分一度も友達という者がいなかったのだ。狭い檻の中で寄り添いながら生い立ちの事を話し、ヘンリーが大好きな野球とディマジオの話をする。
一度も女を抱いた事はない、というヘンリーは恋人がいるジェームズの上着の匂いを嗅ぎ、そこに女性の香りを感じる。そしてジェームズの恋人とあった時、彼女からジェームズの匂いを嗅ぎ取るのだ。
途中弁護士の任務を解かれてしまったジェームズの代わりに来たのが彼の恋人だったのだが、ヘンリーは初めての女性との触れ合いに興奮しながらも次にジェームズが連れてきた売春婦と性的交渉を持つことができない。
それは酷く悲しいことでもあり、同性であるジェームズとの強いつながりを感じさせもする。

立場は違うが映画『カポーティ』を思い起こさせる。特にダニエル・クレイグが出演していた『Infamous』の方を。
孤独な犯罪者とその心に入っていく人間がいつしか深いところにまで結びついてしまうのである。
『カポーティ』 『Infamous』では小説家トルーマン・カポーティがそういう体験は初めてだったこともあるだろうし、ここでもプロフェッショナルであるはずの弁護士の初仕事だったことでそれ以降はあり得ないほど深い部分にまで入り込んでしまったのだろう、と考えさせられる。

ジェームズとヘンリーが面会人に会うようにガラス越しに電話で話す場面がある。
互いの顔が重なって映し出されているのが二人の心がそのまま重なっているように感じるのだ。
ジェームズの恋人だと知っていてわざと「あの女とやったよ」と嘘をついて反応を見るヘンリー「でもあの女、カードができなかった」と。

狭い檻の中で、優秀な頭脳と恵まれた環境にいるジェームズが何も持つもののないヘンリーからカード投げのコツを教えてもらっている。

ヘンリーにとって裁判に勝つことなど本当にどうでもいいことだったのだろう。彼が手にした勝利は初めての友達とともに何かをやり遂げたという人間の尊厳だったのだ。
残忍な副所長もそれを奪うことは出来なかった。

ただヘンリーがそこで死んでしまったことが悲しい。どうして彼は死んでしまったんだろう。過酷な日々が彼の肉体を極限まで追い詰めていたのだろうか。
それともまた何か恐ろしいことが起きたのだろうか。
映画はそこをはっきりとは語っていないが、やっと出来た友達ジェームズとの別れを前にもうこれでいいとヘンリーが思ってしまったのではないかとさえ考えてしまう。
その死の直前まできっと彼が幸せだったのだとしても。

ジェームズ役のクリスチャン・スレイター。先日観た『薔薇の名前』の初々しさはないがやはりハンサムな顔立ちである。
『薔薇の名前』ではショーン・コネリー師匠との萌えな関係だったが、ここでの友情もうずうずしてくる感じである。
しかし自分が好きなのはケビン・ベーコンで、彼の顔は『フットルース』を観た昔からもう大好きなのだ。やせっぽちのようで意外に逞しい体つきもステキである。さすがにこの作品では皆彼の姿に見入らずにはいられないだろう。大きな傷を負った顔、アキレス腱を切られて引きずる足。動物のように這いずり回り小さく丸くなって眠る姿。
友達が欲しいと言うことだけが彼の願いだった。裁判の証言台で涙が滴り落ちる場面は胸が苦しくなってしまう。
女を知らないという彼のためにジェームズが連れてくる売春婦役の女性がケビンの実生活での奥さんだったとは。夫婦でもこの迫真の演技ができるなんて、とそういうところで感心してしまった。普通逆に恥ずかしくなってしまいそうじゃないか。

実話、というキャプションがつくのがあまり好きでないのだが、この話は僅かな手がかりを元にして作られたものなのではないだろうか。

ゲイリー・オールドマンの悪役副所長はさすがに凄みがある。

監督:マーク・ロッコ 出演:ケビン・ベーコン ゲイリー・オールドマン クリスチャン・スレーター エンベス・デイビッツ ブラッド・ダリフ クリスチャン・スレイター
1994年アメリカ


ラベル:友情 裁判
posted by フェイユイ at 22:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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