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2008年06月07日

『4分間のピアニスト』クリス・クラウス

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FOUR MINUTES

物凄い苛立ちを抑え切れなくなってしまう、そんな映画だった。素晴らしいピアノの才能を持ちながらそれを生かしきれないまま僅かな不満も暴力に訴えてしまう少女。少女の才能を見抜き、育てようとする老教師は案外年齢の割りに間が抜けていて少女を守りきれない。
当然とはいえ、殺人犯(冤罪という設定になっているが)の少女を目の仇にする看守たちと少女を苛め抜く囚人たち。
他の映画のように少しずつ心が通い合う、などという和やかな展開はまったくなく最後までいがみ合う彼らの姿に癒しなどというものは微塵も期待できない。
とことんまで傷つけあい、弄りあう苦しい映画だった。
これはこの映画に対して悪態をついているのではない。
ここまで決して互いを許さない、苦痛に満ちた作品にある意味、驚いてしまったのだ。他の甘い映画にはないぎりぎりまで追い詰めていく恐ろしさに緊張し続けるしかなかったのだ。
苦しみを味わった少女の傷は簡単に癒えるものではなかった。養父から受けた「レイプ」という暴力を少女がどうしても許せないからと言って何が言えるだろう。どちらにしても辛い道を歩み続けるのは彼女自身なのだ。許しを乞う様に少女に話しかける養父に「死ね」とだけ答える少女。私はむしろその言葉に賛同してしまう。
そして少女を救おうとした老教師もまた少女を縛り付けてしまう考えを押し付けていた。少女が求める自由な音楽ではなく自分の思うクラシックを弾かせたがったのだった。
少女は成長したのだろう。老教師のいいなりに練習し、最後の最後で自分の思うがままの演奏をする。それは彼女が今まで押さえつけられてきた思いのすべてを吐き出すものだった。
少女はここでやっと「絶対誰にもしない」と言ったお辞儀を老教師に向かってする。少女は心から老教師であるクリューガーに礼ができるほど大人になったと物語っている。

他人と交わりきれないほど心が荒んだ少年少女と教師の話は山ほどある。物語の中では決まって彼らは優れた教師との触れ合いで「いい子」になっていく。そんな簡単に上手くいくのだろうか、という気持ちになりそういった物語にいつも反感を持っていた。
この映画のジェニーは本当に手のつけられない荒れ方である。彼女は結局看守や父親とは(この作品中では)許容しあえなかった。
老教師クリューガーはさほど教育がうまいわけでも気配りができるわけでもないようだ。彼女がもう少しうまく舵を取れたら、という場面がいくつもある。特にジェニーから殺されかけた看守に対しては配慮がなさ過ぎる(ジェニーをあんな風に助けるなんてあの暴力を思えば本当にいい人なんだと思う。彼自身もクリューガーさんに愛されたかったのだよ)
だがそういった「うまくいかない物語」だからこそクリューガーとジェニーの戦いにも似た物語に共感できたのだろう。
それは観るのが辛いほど互いに傷つけあう怖ろしいほどの対立であった。
物語の進行もすんなり進むのではなく、昔を思い出したり、場面や時間があちこち飛ぶような落ち着かなさが却って不安感を増しているのだ。
クリューガーが同性愛者でかつて愛していた女性を戦争時の処刑という逃れられない痛ましさで失っている。生き続けた彼女が失った恋人を救えなかった苦しみのために生きる道のないジェニーを救おうとしているのは確かだろう。
クラシックらしいクラシックにこだわっていたクリューガーもジェニーの自由な演奏を聞いてそこに彼女の魂が救われたことを感じたのに違いない。
最後の二人の微笑みは二人にしかわからない音楽を通じたものであったはずだ。

この映画を観ていて真っ先に『あしたのジョー』を思い出したのだが。
刑務所の中のどうしようもない暴れ者と彼(彼女)の持つ才能を見つけた老人(といったら段平さんに悪いか)なもんでずーっと『あしたのジョー』と思いながら観てた。
最後に真っ白な灰になることもできたが(といっても彼女が本当に灰になるのはもっとずっとさきだろう、と願いたい)彼女の方は生きている。養父が頑張って彼女の冤罪をはらすよう頑張って欲しいものだ。

監督:クリス・クラウス 出演:モニカ・ブライブトロイ ハンナー・ヘルツシュプルング スヴェン・ピッピッヒ リッキー・ミューラー ヤスミン・タバタバイ
2006年ドイツ


ラベル:音楽
posted by フェイユイ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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