映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年06月09日

『天国の本屋〜恋火』篠原哲雄

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主役キャストも含めて普通なら絶対観ない映画である。ファンタジーという言い訳であまりにもご都合主義すぎる設定に身の毛がよだつ思いだったが、観ていく内に必死で自分自身を説得しそれなりに観通すことはできた。
竹内結子さんはTV芸能ニュース以外で初めて観た。今まで綺麗と思ったことがなかったのだが^^;ドラマで観てるとなるほど人気があるだけはあると納得できた。
玉山鉄二さんはざわっとするほどの美形で(とはいえ苦手なフェイスなのだ^^;)むしろ時代劇が似合いそうな顔立ちだと思うのだが。『なんたら無頼控』なんていうタイトルで女にもてもての酒豪の剣豪なんて感じだがどうもそういうのはやってないようだね。そういうのだったら観たい気もする。
というのは無論私は本屋の店員サトシ役の新井浩文が目的だったのだ。この作品自体は私にとってはなかなか苦行ではあったけど新井浩文的には大収穫というか、大喜びであった。
なんといってもここでの彼は今まで私が観たいつも目つきの悪い悪たれの彼ではなく、笑顔も可愛い優しいいい人をやっていてこれが結構いい感じなのだった。

ところでこの映画、昨日観た映画と雰囲気は真逆だが設定、というかとっかかりは似たようなものであるのがおかしい。
(自分の才能に疑問を感じ)居場所のなくなった青年が生きながらにして天国へ行くという話なのである。
相方となる女性が竹内結子と寺島しのぶが物凄い反対のベクトルではあるし、青年も思いつめた昨日の生島くんと今日の町田くんの「どーでもいい」感じも正反対である。
加えてどちらでも「店員」役の新井浩文が昨日の鋭い目つきと今日の可愛らしさのギャップが凄くて笑ってしまう。いきなりやってくる青年に対する態度の豹変といったら。昨日は臓物どさりで、今日は「やあ、短気アルバイト。ピアニストなんだって?女にもてそうだなあ」って。声もさわやかなのね。名前は「サイ」と「サトシ」ってなんか似てるようなどうでもいいか。

この「天国」というところ、みょうちきりんな設定をされているものである。何となくわざとらしく幸せそうに演じる人々の姿が逆に怖ろしく感じてしまったのは、本当は怖ろしい国なのに精一杯幸せそうに演じてみせるとある国を彷彿とさせてしまうからだろうか。
一体誰がどのように行政や生産を行っているのか、と余計なことを考えてしまう。死んでしまえば魂だけなのだから食べ物が必要というのもわからんし、食べるなら排泄もするだろうがその処理はどう行われているのか、犯罪ということはないのか、などと埒もないことを考え続けてもしょうがないのだが。
思うにこれはそれぞれの魂が生前に覚えているものをある意味幻影として映像化しているに過ぎなくて無論食べ物を食べているようで食べていないのであろう。美味しいと感じるのも幻覚にすぎない。

深く考えずに観なければいけない(という考え方も怖ろしいが)

しかしなぜ本屋がいきなり出てくるのか。それになんだか図書館のように思えるが。
様々な疑問を残しつつ、考えずに観なければいけないという考え方自体が恐怖であることに気づかせられた作品だった。

ところで何かと名優と評される香川照之氏だが自分はあまりいいと思えないことが多いようだ(『鬼が来た!』は面白かったが)特にこの作品での彼は妙に力が入っているせいもあってぴんと来なかった。
こんな恐ろしい暴力的な感じじゃなくもっとぼーっと無気力になっている人のほうがよかったのでは。その辺は監督の指示もあるだろうから彼のせいばかりでもないか。でもまあいいとは思えなかったなー。

監督:篠原哲雄 出演:竹内結子 玉山鉄二 香里奈 新井浩文 香川照之 原田芳雄 大倉孝二
2004年日本


ラベル:新井浩文
posted by フェイユイ at 22:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 新井浩文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『赤目四十八瀧心中未遂』荒戸源次郎

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舞台やら物語やら設定やらすべてが物凄い好きな世界なので心から楽しんで観てしまった。主人公生島がなにやら時代がかった昭和初期かそれ以前の書生みたいな話し方・考え方なのも非常に嬉しい。本音を言えば今の若者の話し方はどうも入り込むのに大変なのだ。

生島が最初はっきりとした説明はないが人生に絶望し「尼崎」という町に流れ着く。そこは彼が今までに味わったことのないような凄まじい生活を強いられる場所だった。
汚いアパートの一室で来る日も来る日もモツに串を刺し続けるという仕事を与えられた生島の部屋を色々な人々が訪れる。血を含んだ生々しい臓物と彼を取り囲む人々が重なって感じられる。耐えられないほど痛む刺青の彫り物師から背中に迦陵頻伽を彫られた朝鮮系の女性・綾の妖しい美しさ。生島は地獄のようなこの世界に顔は人間で体は鳥だという迦陵頻伽を背負った彼女に惹きつけられてしまう。
映画の中で蝶が飛んでいるのはこの迦陵頻伽と対になっているからだろう。
生島は居場所がないとこの町に来ていつも怯えているのだが絶えず他人から何かを頼まれ続け嫌ということが出来ずにいる。物語はほぼ人からの他の見事を引き受けることだけで進行していっているような感じである。
綾から「この世の外へ連れ出して欲しい」と頼まれた生島は彼女が約束の場所に来ないことを願うが彼女は到着し待っていた生島に喜ぶ。
二人は赤目四十八瀧を彷徨う。そこはまるで極楽のように美しい場所だった。
マイナスイオンがたっぷりでひんやりとした空気と苔が感じられるようだった。そこで生島は死を恐れ、綾はそんな彼の気持ちを知ったのか知らないままだったのか(きっと感じていたのだと思う)すべてをあきらめることを決意する。
最後に抱き合う二人。生島の履いていた下駄が滝つぼに落ちていき、そこには綾が浮かんでいる。
ここで綾は死んでしまったのだ。(でもそうでないことを願いたい)
水面に浮かぶ女性というと気のふれたオフィーリアであり、彼女が恋人ハムレットから「尼寺へ行け」(売春宿へ行け、の意味である)と言われたことと重ねて観てしまう。生島が強引に綾と逃げることもできたろう。生島のあやふやな態度はそのまま綾に「売春宿へ行け」と示しており綾はそれを感じ取ったに違いない。だが綾は生島の苦悩も愛情も感じていたのでそうとは言わなかったのだ。
帰りの電車の中で綾は突然ここで降りると立ち上がる。情けない生島は下駄を履き損ねて綾と離れてしまう。この大事な時に下駄を履こうとした馬鹿な男だよ。裸足で駆け出せばよかったのだ。
彼女を失った生島はコインロッカーに残されているはずの彼女の下着を取り戻しに行く。だがそこにそれはなくあったのは彼が部屋に置いて来た辞書だった。生島はまだ彼女を愛する資格がない。もっと勉強しろ、ということだな。
居場所がない、生きる価値がない、とおたおたとする生島はぶざまであるが、それは無論自分自身の姿なのだ。
生まれも育ちも決して恵まれていたわけではないがさっそうと生きる綾は迦陵頻伽そのままなのだ。

内容は全く違うのだが上村一夫『昭和一代女』を思い出した。きりっとした強い女とおたおたした男の話なのだ。

寺島しのぶの主演映画は初めてだった。変な顔とも見えるし他にないほどの美しさにも思えるし不思議な女性だ。忘れられない魅力を持っている。
主役・生島の大西滝次郎。聞いたことも見たこともなかった。自信もなく希望もなくだが妙に自意識は高い。あやふやで情けない男をこれも魅力的に演じている。
目的である新井浩文。突然ドアを開けて臓物をどさりと置いていく男役。ただし雇い主にはへこへこする奴。刺青をされて呻いている男を笑った為に頭を彫られて叫び声をあげる場面がちょっとステキだった(なんのこっちゃ)作業服が似合う。
後はもう内田裕也氏のわけのわからなさがここではすごくよかったな。
綾のお兄さんが『ゲルマニウムの夜』のあの人だった。ぎゃ。

監督:荒戸源次郎 出演:寺島しのぶ 大西滝次郎 大楠道代 内田裕也 新井浩文 大楽源太 大森南朋
2003年日本

posted by フェイユイ at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 新井浩文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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