映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年07月31日

蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ 2 第二章 『バライロノヒビ』タカハタ秀太

カムフラージュ2.jpgバライロノヒビ.jpg

とにかく昨日第1話を観たのはこれを観る為だったわけで。
久し振りの新井浩文さん。お懐かしい。髪型も可愛くて優しいイメージで登場である。そういえば新井さんの色々観たけど女の子との恋愛シーンってなかったような。ベッドシーンはあるけど。
しかも相手が蒼井優ちゃんだ。と、思ってたらやっぱりそうそう簡単にはいかないのだった。

脚本の高須光聖氏のコンセプトが「走る」ということで蒼井優ちゃんめちゃくちゃ走らされています。
「走る」なんてのがコンセプトなんてどうなのかな、と思っていたのだがいざ優ちゃんが走り出すとこれがなかなかかっこよくて綺麗なのね。
高須氏は『ラン・ローラ・ラン』みたいだけど、と言ってたがあのローラは逞しくてちょっと怖かったけど蒼井優だと凄く女の子らしくて可愛いのである。それでいてなんだか清々しくキレのある走りである。彼女は『人のセックスを笑うな』の特典映像で体操してても凄く体が柔かくて運動をきちんとしている(バレエとかも?)と感じさせるんだけど、走り方も凄く綺麗なのだ。
唐突に走りたくなる、という奇癖の女性マコトを演じていてしかも自分のアパートからやおら飛び出し10分間どこまで走れるかの記録を自分なりに築いているのである。そのうえその一つ一つの走りが「何かになったマコト」を演出しているのである。
時にアイドルだったり、犯人を追う刑事だったり、着替えては(といってもマコトとしては妄想としての着替えだが)全力疾走する蒼井優大変だったろう。

そしてそんなマコトの幼馴染で密かに恋心を抱いてる男ワタル役が新井浩文なのである。
今回も3つの話で構成されているのだが、主な登場人物は蒼井優と新井浩文だけという感じで私としてはそういう設定は凄く好きなのだ。
どうしても前回の話と比べてしまうが前回の話が大変巧妙な創作で甘いラブ・ストーリーだったのに比べ今回はかなり荒っぽくてジョークがきついんだけど私の好みとしてはこちらですね。
惜しむらくは高須氏が事前に「すべてはこのオチのためにある」みたいなことを言われていたのでよーしと構えてしまったのが(笑)
そう知っていても面白くて巧い騙し方だった。「あれ、じゃどこから嘘だったのかな」みたいな。マコトらしくていいなあ。こういうの好きです。

可愛いマコトに恋してるワタルの新井浩文がまた可愛くてよかったし。といっても新井さんってどっか怖いとこがあるのだよね。どっか冷めてる感じが。その辺が好きなんだけど。

蒼井優はほんとにとことんウマいっす。そして可愛いっす。

前回とは違う写真家さん、飯田かずなさん。カラフルな色使い。写真というのも色んな演出があって面白いなと感心してしまった。

この作品のタイトル「バライロノヒビ」こういうカタカナだけの表記って最近流行だけどさすがに「バライロ」は「薔薇色」だと思ったけど「ヒビ」って壁とかにぴきーって入ってる割れ目かと思った。『薔薇色の割れ目』なんかいやらしいか?
その意味でもいいのか?

しっかしこの灼熱の真夏に冬のドラマを観るのはそうとう辛い。逆はそうでもないがストーブをつけた上にコタツに入ってその赤外線を見せられた日には。我慢大会じゃないんだから。アツアツ。

あ、ぜんぜん関係ないけどよく「日本の電線だらけの空は醜くて嫌い」とか言う人がおられるが私はあの電線だらけの空が凄く好きだ。
全部地中に入ったら寂しくなる。侘びしさがあってすごくいいと思わない?

監督:タカハタ秀太  脚本:高須光聖 タカハタ秀太 出演:蒼井優 新井浩文
2008年日本




posted by フェイユイ at 22:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 新井浩文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ 1 第一章 『人生って嘘みたい』高田雅博

カムフラージュ3.jpgカムフラージュ4.jpgカムフラージュ5.jpg

こういうのをラブ・ストーリーというのだろうな。
普段あまり観ることのない甘くて柔らかな物語。恋人を突然の事故で失った若い女性の気持ちを繊細に描いた3つの物語を3つの違った手法で表現していくという面白さ。主役である蒼井優が物語の紹介役も務めていて手の込んだ演出である。楽しみました。

第1話め、最初は恋人が死んだというのに妙に冷めた感じだったし、西島秀俊が離婚した妻のブラジャーをするというのも作りっぽくていやだなとか思っていたのだがチカ(蒼井優)にそれを見られて「あ、見られちゃった」という台詞がなぜかおかしくてそこから急に面白くなってしまった。
西島秀俊さんのとぼけた感じもいいがとにかく主役を張ってる蒼井優が可愛らしいし、見ていて飽きない人なのだ。ドラマを作って彼女の写真を撮ったものを見せてそれらを彼女自身が紹介する箇所があってどれも質の高い番組だったのではないだろうか。
女性写真家・嶋本麻利沙さんが撮った蒼井優の写真もとても綺麗なもので人気ありそうだなと思ってしまった。

第2話は死んでしまった恋人高崎くん(加瀬亮)がチカの夢の中に登場して夢の中でならいつでも会える、ということからチカがそれじゃずっと眠っていたいよ、と薬を飲む話。
加瀬亮の優しげな感じも甘いラブ・ストーリーのぴったりで夢の中で思い出の場所を訪れおしゃべりをする情景がゆったりと描かれる。
チカの切ない気持ちも伝わってきて3つの物語の中で最もドラマティックであった。
第3話は恋人の死から1年後、まだ傷心を引きずっているチカが希望を感じ始める過程を舞台劇風に描かれる。
チカが飼う事になった可愛い黒猫“よる”が人間の姿になるという設定が面白い。しかもそのおじさんが温水洋一さんなのでなんともたそがれていて悲しいのだ。
その温水猫おじさんにチカは失望の言葉を舞台劇風にぽんぽんと投げつけていくのが不思議な味で楽しめた。蒼井優自身もこの変わった演出を随分楽しんで演じたのではないだろうか。

密度の濃い作品だったのでそうそうたくさんできるものでもないだろうが、蒼井優の魅力をたっぷり魅せつけてくれるようなドラマ構成。こういう番組はいいですねー。蒼井優だからできる、というところもあるんだろうけど。

監督:高田雅博 脚本:高崎卓馬 出演:蒼井優 西島秀俊 加瀬亮 温水洋一
2008年日本
posted by フェイユイ at 23:03| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画原作が漫画だと

映画を観て感銘を受けた時、原作ものだとやはりそちらも気になってしまう。それが小説の場合はそう問題ないのだが漫画、それも最近の漫画だとこれがどうしても受け付けないことがあって困ってしまう。
昔の漫画なら読めるんだからやはり世代の感覚の相違なんだろうなあ。最近ので言えば『蟲師』すぐ古本屋へ行ったのだがなんだかめそめそしてたので読めなかった。それほど最近でもないが『殺し屋1』もめそめそしてたので読めなかった。(でも1は泣きながら殺す話なんだから最初から判ってるか^^;そりゃそうなんだけど描き方がね)そういえば『同じ月を見ている』もめそめそしてたので読めなかった。あ、『神童』はめそめそしてなかったので読めた。
なんかあのアップで泣きがはいる漫画って駄目だ。やはりあーゆーシーンが受けるのだろうか。

今読んでるのは松本大洋と山岸凉子。
山岸さんの『テレプシコーラ』はいいですね。千花ちゃん大好きだったのになあ。ほんとにいたら大ファンです。
もちろん六花ちゃんもかわいいです。
でもこれを映画化するのはちょっと難しいですね。
私は不真面目なバレエ好きなんで有名なダンサーとかも全然知らなかったのですがこれを読んでギエムという名前を知って動画で観てみました。山岸さんが話題にするだけあって凄まじいダンサーですねー。
大洋さんは『花男』読んでて茂雄くんがかわいくて。
お二人とも絵が物凄いうまいんで好きです。乾いてて。

でも小説も最近の人のより昔それも大昔の人のが読みやすくて今の人のは読みきれなくて困ります。夏目漱石とか江戸川乱歩とかばかり読んでます。
posted by フェイユイ at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月29日

『ハゲタカ』第4回「激震! 株主総会」

ハゲタカ9.jpg

ここに来ていよいよ渋みを増した内容になってきた。ハゲタカの力を見せつけてきた3話までと違い日本の企業の基盤となる性格が敗北を前にしてよりハゲタカたちと対立していく。傍から見れば大木会長の考え方も会長の臨終の手紙で一丸となって感動してしまう株主・従業員達の姿も奇妙としか映らないがそこに属する一員であればそうなってしまうのかもしれない。なにしろ大企業にも中企業にも属していない人間なのでいまいち実感は湧かないのだが。
戦後の苦労話から始めて人々の心をつかんでいくということは今でも可能なのだろうか。

ホライズン・鷲津が再び爪をむいた大企業・大空電機の配下にがかつて倒産させた三島製作所があったこと、株主総会の席に西乃屋の西野治の姿があり芝野の人情話に「とんだ茶番劇だ」と捨て台詞を残して去っていくなど「つづく」となった次回が待ち遠しい(いや、凄く借りられててなかなか観れないのだ)

大空電機とそのカリスマ会長(菅原文太)ニュースキャスターになった三島由香の話が幅を利かせている為、今回は鷲津の活躍が少なくて寂しい。それでも株主総会全員を敵に回して言葉も出ない状況の中アランに「すぐTOBの準備だ」とすかさず命令を下す鷲津のクールさかっこいい。
それにしても銀行に嫌気がさして退職し、潰れかかった企業を再建するための企業再生家(ターンアラウンドマネージャー)となった芝野健夫氏。こうなっても人から罵られたりするばかりでやっぱりよくわかんない人である。最後は大木会長の手紙を読むことで拍手を受けたがなんだか近い未来もまたどうせ傷つくことになりそうな。なんだかカリスマというか人から畏敬の念を持たれない運命の人なのかもしれないなあ。
結婚もしてなさそうだ。恋人からも怒られてそうだ。
一生苦悩し続ける男なんだろうなあ。

今回はプロキシーファイト(株主委任状争奪合戦)という言葉が登場したがんんんあまり話の中に組み込まれなかったような。大木会長の人情話のほうが勝ってしまった。

脚本:林宏司 出演:大森南朋 松田龍平 栗山千明 柴田恭兵 嶋田久作
2007年日本


posted by フェイユイ at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月28日

『ハゲタカ』第3回「終わりなき入札」

ハゲタカ6.jpgハゲタカ8.jpgハゲタカ7.jpg

ずーっと大森南朋観続けていきなり昨日松ケン観たらあまりに子供っぽいので仕方ないとはいえ驚いてしまった私である。(だってそういう役だからホント仕方ないわけです^^;)
再び今日ナオさんに戻ってやっぱり大人の男はいいなあ、などと松ケンファンと言えない感慨にふけるのであった。まあケンちゃんも10年たったらこのような散々女を泣かせてきたような男になれるのでしょう(か?)ふふふ、とにかくナオさん立ち居振る舞いが色っぽいですわ。

前回、会社再生の答えが単なる社長母子交代?となったのであったが、なるほどこういう母子の争いを見せる為のお膳立てだったわけですか。
入札なんてどんなものなのかも知らなかったのでまさかこんな風に面倒くさい(鷲津の作戦ではあるのだが)やり取りでただの紙にマジックで金額を書いただけのものだとは思いもしなかった。この入札シーンは見所でどうなるかとわくわくしてしまった。
ところで今回の重要な鍵は三島由香が握っているのだが、ペーペーにしか過ぎない娘である彼女にはちょっと荷が重すぎなんではなかろうかとも思えたりして。鷲津が昔のしこりがあるからとはいえ自分の勝負に関わる重要な切り札を三島由香に渡すのも彼としては甘い選択のような気がするし、東洋テレビというとこも大スクープと言える美味いネタを小娘一人に裏を取らせようとするなんてよくわからん。他の奴はぼーっとTV局にいて何してんだ?裏取りとかっていうのもやったことないからわからんけどあんな直接本人に聞いて「うんやったよ」って言うのか???関係ある別の奴から聞きだすしかないだろうと思うんだが(金を使ったり、弱みを握ったり、とか)

そして不思議な男・芝野健夫。まさか44歳だったとは。55歳くらいかと思ってた(って柴田さんそのままの年齢だ(笑))おまけに病身だったせいもあるのだろうか。実年齢以上に痩せて痛々しい印象なのだ。その彼がもう苦悩しつくしているので観てて辛い。
「仕事じゃないか」と同僚に言われて「これが俺の仕事なのか」と問い返す場面はよかったなあ。確かに馬鹿みたいな仕事だよね。そりゃ同僚さんみたいに割り切って這いつくばって最後まで銀行に残り続けるのも勇気だ、と言い切る人生もまたあり、とは思うけど、あそこまでコケにされて会社に尽くさねばならないのだろうか。もー人間じゃないよね。このドラマを観てる人でも「彼は俺だ」と思いつつ観てた人もいるんだろうなあ。大概は鷲津じゃなく芝野的に生きているんだろうし。

辛酸を舐めさせられ続けやっと退職願を出したわけでなんだかこのドラマ中で一番(まだ途中だが)ほっとした。
私自身はこういった金融だの会社だののゲームのような駆け引きなんぞとは無縁の身だし、こういうことで大金を儲けることに魅力も感じないし、「世の中の不幸は金のない不幸と金のある不幸」なんていう言葉にあまり意味を見出せないのでこうしたところであくせくシノギを削っている姿こそ不幸にしか思えないのだもんね。でもドラマとして観るのは面白くはあるけれど。こういう世界で働いていること自体が不幸だよね。といってもいつしか巻き込まれてしまう、ということが起きないとは限らないけど。

鷲津が芝野を誘い柴野が「俺はお前とは違う」と断ると「あなたと私は同じことを考えているのです。あなたは私なんだ」と言う鷲津。この辺、ぞくぞくする感じ。

松田龍平くんも着々と資金を集め会社を立ち上げて鷲津とタイマン張ろうとしてるし。楽しい展開を期待するなあ♪
posted by フェイユイ at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『人のセックスを笑うな』井口奈己

人セク.jpg

長く待っている間にどんなものかと考えもしたのだが、観てみてこれはなるほどタイトルどおりの作品だったんだと唸ってしまった。
なにしろタイトルに「セックス」という文字が入っているがそんなシーンはなくて甘い恋物語だと聞いていたのだがとんでもないまったくタイトルどおり二人の男女のセックスそのものの話だったんだ。
それにしてもなかなかこれはやってくれるわい、という感じなのだがやってくれるわい、というのは描かれているのはセックスそのものなのにそういうシーンは入れずにあくまで可愛らしい少年と美しい人妻の純愛のように見せてしまう見せ方(騙し方)ということなんだけど。
別にこれは普通に言う恋愛物語ではなくセックスしている二人の物語なのだ。二人は(多分)一度も愛だのという言葉は言うこともなくみるめはユリに会いたいと言うだけだしユリはみるめを触りたいと言っただけなんだもん。
みるめにとってそりゃあユリは素晴らしい相手で外見も可愛らしければいつでも濡れて自分を迎えてくれるおまOこそのものなんだから。同じ年のえんちゃんだとそうはいかず手順を踏んでデートなりをしてということになってしまうがユリはもう部屋に呼んで服脱がせてGO!という感じでしょう。10代の男の子にとってユリはまさにめしべがとろーり滴っているユリの花そのものじゃないか。明るくて何の衒いもかけひきもない。自分が男でみるめだってえんちゃんよりユリに惹かれてしまうよな。もうやりたいやりたいやりたい、だもん。窓の外にも立ちますよ。みるめが男友達に囁いたのも「恋人ができた」っていうことじゃなくて「あの女とやったぜ」ってことでしょ。(しかもさりげなくここひそひそ話にして観客の女性に台詞を聞かせない!うまいぞ)
二人の逢引が決して恋じゃなくセックスしてるだけじゃん、って言われてもしょうがないけどだからこそこのタイトル『人のセックスを笑うな』になるわけで。僕達の恋は恋じゃなくセックスそのもの。いつもいつもセックスしたいんだ、でも笑うな!って。
みるめが可愛くてしょうがないのはそうやってユリの気持ちを惹きたいため。ユリが積極的で大らかなのはそうしないとみるめというまだ若い男の子を引き寄せられないから。
何もまだ自分達を紹介しあったり、説明しなくてもただセックスで結ばれて気持ちよくなってしまったのだ。それをみんな笑わないで。
でも困ったことに世間はそうそうそういう二人を簡単に見過ごしてはくれないのね。
ユリはなんらかの制裁を加えられたらしい。ちょっと参ってインドで考えてる。多分みるめとの付合いが学校にばれていられなくなったんだろう。ユリはリンゴをむきながら指を傷つけてしまう。だんなさんがそれを見て「大した傷じゃないよ。人生は長いんだから」っていうのはユリの浮気を言い表してるわけで。まあこれも多分だんなさんはユリの浮気を感づいていたんだけど見知らぬふりをした。それくらいユリは気持ちのいい女なんだろうね。手放したくないような。
なにも聞かされてないみるめは抑えきれない性欲を持て余しながら(辛いだろうなあ)えんちゃんが来るのも面倒で(どうせやらせてくれない)えんちゃんから「ユリちゃんに会ったよ」という一言で膨れあがりそうな股間を抑えつつ(もー男性向け漫画なら物凄い描写になってますよ)カブを走らせる。きっと物凄い勢いで走ったろうけどすべてえんちゃんの嘘だと知った後はエンストしたり(笑)モーこの辺みるめのおちんOんそのものだよね。しょうがねーなー。
というわけでユリという気持ちのいいおまOこを求めて待ち続けるみるめのおちんOんという映画をにやにやしながら観続けたのだった。側にいる青年とえんちゃんを観ろよ。キスひとつでも嫌だどーだって、めんどくさいねって言ってるの。ユリとみるめだと気持ちのいいセックスそれだけなんだもんね。
それにしても台詞なんかでもちょっとズキリとするの。みるめがユリに「ユリはいつもどこか汚れてるね」って言う。みるめは何気なく言ってんだけど、やっぱりこの台詞にユリは穢れているよ、っていう批判が入ってる。ユリはリトグラフの作業は上手いのに他の仕事は(灯油入れとかリンゴ剥きとか)下手なのも彼女がどこか不器用なのを表している。
お話は随分いきあたりばったりであり得ない話みたいなのにどこか妙に現実的でシビアなんだ。
ユリが帰国してまたみるめとのセックスもあるだろうけど、うん、だんだん難しくなっていくのだよね。それでも会いたいしやりたいし。笑ったりはしない(つもりだ)けど涙はあるかもしんないよね、いつか。
昔ジム・キャロルの『マンハッタン少年日記』というのを読んだ。10代のジムも40歳くらいの女性とセックス関係だった「男の性欲のピークは10代で女は40代。だから僕達二人は最高の組み合わせ」(ややニュアンスは違ったかもしんないが)っていうのがあって当時まだ若かった私は「そうかー私はまだまだだから40歳になったら15歳の少年と恋愛しなきゃな」と考えてまだそんな事態は起こしてない。(15歳ってまるきり子供だよ)
つまりジム少年の説でいけばみるめとユリも最高の組み合わせ、なわけだ。

昔(またか)「少女マンガには恋愛はなくてエロスだけ」と聞いて「そうなのか?」と思ったがこうして女性の映画を観るとそうなのかもしれん、と思ってしまう。

ユリとみるめは恋人どうしなんかじゃなくてセックスしてるだけなんだけど笑ってくれるなってさ。
みるめがユリに「どんな映画が好き?」と聞いて「テロ」のことを「エロ」と聞こえてしまうのもそのまんまなのである。大体「テロ」の映画ってなんだ。どう考えたってユリの策略じゃないか。

松山ケンイチが特別に可愛らしい顔を見せながらとにかくずーっと前を膨らませ続けている(ように思える)映画で、松ケンの後ろにヤリタイーッ!!って書き文字がでっかく書かれているようで、おかしくてしょうがない(あ、笑っちゃいけないんだっけ)授業中先生が懸命に説明してんのに上向いてアレのことばかり思い出してるし。
今あるのかしんないけど昔男漫画で前がぷくーってふくれあがってる絵があったけどあんな感じ。ちょうど風船ぷくーって膨らませたのはそういう意味か。
なんだかもうおまOこだとかおちんOんだとかいつも書かないような単語を書かないとどうしようもない感想でしてこんなスケベな映画もないよ!とやっぱり笑ってしまいました。「笑うな」とタイトルにするだけのことはあると思いましたね。

監督:井口奈己 出演:永作博美 松山ケンイチ 蒼井優 忍成修吾 あがた森魚 温水洋一 市川実和子
2007年日本
posted by フェイユイ at 01:19| Comment(6) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月26日

『チルドレン』源孝志

チルドレン.jpg

なんか高評価されているドラマみたいなんだけど、自分としてはあんまり面白くなかった。よく出来た物語・脚本、という感じには思えないなあ。

ナオさんはどうしても贔屓目に見てしまうのだけどそれでも彼の作品の中で物凄くいい、という感じでもない。っていうのは彼の演技というよりは物語が面白くないからなんだけど。
全体として作り物的なストーリーで最後だけしんみりさせようっていう策略がどうもむかつく。
私としてはこの万引き少年と親父は嘘の親子関係で実はホモな二人なのか?と睨んでいたのだが、半分当たって半分ズレていたようなのだがほぼ当たっていたといってもいいような気もする。
最後雪の中電車に乗る前にマフラーした少年を抱きしめる親父の図は殆ど『藍宇』じゃないですか。てことは國村隼さんが胡軍ってことになるけどさ。少年の方は似てるくらいだけど。
爽やかな後味なんて評している人も結構いるみたいだけど私はどうもイライラしてしょうがない後味だったんだけどなー。どうしてこう感覚って違うもんだろうか。
少年が実の親父を卑下しながらその金を気軽に他人に渡すのがそんなに小気味いいことには思えないし、本屋の万引き女性の描写もなんか納得できないそんな片付け方かよ、みたいでなんだか単に色付けする為に女の話も入れとくか的な設定のようでイラつくのである。小西真奈美がどうのというわけではないがこういう女性を登場させるという作者の意図が不満なのだ。
小心者の坂口憲二とお調子者の大森南朋という組み合わせはなかなか悪くないと思うけど物語自体が面白くないのでその魅力も半減してしまうのだ。
このドラマ、面白いという人のほうが多そうなので、まあそれはそれでそういう方は楽しんでいただければいいと思うが、自分としてはこのドラマ自体に騙されているようで楽しめなかったというところであった。
家裁といったらこの前観たNHKドラマの『少年たち』(新井浩文出演)の方がずっと面白かったが比較するものでもないかな。

私としては無精ひげのナオさんもまた素敵だなーと観れただけが収穫だった。ナオさんてちょっとだけチェ・ミンシクに似てると思うんだけど。チェ・ミンシクは吉幾三さんに似てるけど。
ナオさんが坂口憲二にヘッドロックした時、坂口パパが助けに来そうな気がした。すげえ強いんだから。どっちかつーとパパの征二さんのほうをよく観てた私だったりする。

監督:源孝志 出演:坂口憲二 大森南朋 小西真奈美 加瀬亮 三浦春馬
2006年日本

ラベル:犯罪 大森南朋
posted by フェイユイ at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

『猫と奥さんと俺たちの青春 〜山田英治が綴る二つの世界〜 』山田英治

猫と奥さんと.jpg

『迷猫-MAIGO-』と『ゴールデンウィークエンド』の2作品が収録されている。

山田英治監督作品『春眠り世田谷』『鍵がない』に続き3つ目だがどれも好きな感覚を持っている。
そのどれもが30代にさしかかる若者とも大人ともつかない、つまりおじん・おばんとなるかならないかという年齢の切なさみたいなものが描かれている。
そういうのに共感したのかと言えば私自身はこの頃にはもうすっかり大人の生活にはまっていてこういった「私はまだ若いのにもう縛られた生活をしなけらばならないのか」というような戸惑いというものを感じる隙もなく仕事と生活に追われる日々を送っていたのであった。
こうして見るとこういう感情を持つことも必要だったかなーなんて思えるがその時はもう必死で映画なんぞも観なかったし遊び歩いたりしたいとも思わなかった。それどころではなかったのだった。
だもんで共感というよりこういう世界もあるんだなあという感じなのである。人によっては観る映画に「私と同じ」という共感を求める人も結構いるようなのだが、私はむしろ映画を観る時は「へーこういうこともあるのか」というSF感覚が好きなのでこれでいいのである。

『迷猫-MAIGO-』猫が可愛い。おもちゃの猫も可愛い。今時こんなとろんと可愛い奥さんがいるのかな、とも思ってしまうが。お話自体も凄く可愛いくてでも嫌味に思えないのがいいかな。
ナオさんはいつもそうだけど女の人が甘えたりする時のリアクションが凄く優しくて本当に女性から好かれるタイプだよなーと思えてしまう。演技とはいえね。キスもなんだかどきっとしちゃう。
ギタリスト大森南朋も見ることができた。全国ツアーの正体もおかしいし。

『ゴールデンウィークエンド』
男3人の物語なので女性が主人公の『迷猫』よりやっぱり具体的に現実味がある。
どこかアレクサンダー・ペインの『サイドウェイ』を思い出す。といってもこっちの作品の方が先に出来ているが。
やはり30歳に差し掛かった男たちの青春ストーリーでありロードムービーでもある。
山田監督自身が主人公を演じていて、出産の為里帰りした妻が帰ってくる前日と夜を「もうこれで青春も終わりかな」という切なさとともに描く。淡々とした作品なのはこれも同じだが私は結構密度のある作品だと思うし、短くブロックで切っていく構成も見やすくて好きなのだ。
『サイドウェイ』は2人の男だったがこの作品では3人の馬鹿男子という感じでバランスがとれていて面白いのだ。ナオさんはここでも2枚目役で美味しい思いを独占。ずるいのだ。でも寝顔も可愛いんだよなー。
主人公は奥さんと子供との再会を待ちながらも心のズレに不安を抱き自分がもう自由でなくなってしまうことに身勝手にも不満も持っている。
電話から赤ちゃんの泣き声がして、男たちはどうも怖いな、と思っているようなのがおかしい。私には赤ちゃんの泣き声は可愛くてにっこりしてしまうし、思わず「オーよしよし」と言いながら抱き上げたくなる声に聞こえてしまうのだが、やはりこの年齢の男達とは赤ん坊に対する感情が違うのものなのだろうか。彼らには赤ん坊の愛らしい泣き声が青春の別れの声に聞こえているに違いない。
ねちょりさん(名前を忘れた、か出てこない)の昔の彼女のアパートに行ってピンポン押したらまったく関係ない男が飛び出してきて追いかけられる話はちょっと面白かった。確かにこの彼のいうとおり31歳にもなってピンポンダッシュしちゃいけません。
馬鹿な一夜が過ぎて重い頭と体を引きずりながら妻と赤ちゃんを羽田に迎えに行く。『鍵がない』もそうだったが一夜の物語、というのがとても上手い。この朝の気だるさはわかるなあ。
馬鹿でしょうもなく情けない男達と対照的にきびきびと我が子を抱いて歩いてくる母たる妻の力強さよ。
ゴールデンウィークの終わりなどと言ってる場合ではないだろう、男たち。
なんだかんだと言いながら妻子を迎えに行く主人公。車の中で次第に表情が変化していく。あきらめとも決意ともいえる表情に。
ラストで車のウィンカーを羽田方向へ上げる音がする。いいラストだな。


いや『サイドウェイ』よりずっと好きです。

監督:山田英治 出演:山田英治 大森南朋 美月 和田縁郎 馬渕英里何
2002年日本


ラベル:大森南朋 青春
posted by フェイユイ at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

『ハゲタカ』第2回「ゴールデン・パラシュート」

ハゲタカ3.jpg

重い過去を胸に秘めた冷酷なファンドマネージャー鷲津を演じる大森南朋があまりにかっこよくセクシーでうっとりと見惚れてしまうのである。
だがだが、落ち着いて観ているとこれの主人公って(特にこの回は)鷲津なのか芝野(柴田恭兵)なのかよくわからないようになってしまうなー。というのは主人公というのは「かっこいい奴」ではなく「苦悩する者」であるべきだと思うのだが、どう観てもここで一番苦悩してるのは芝野のほうで彼の悲惨さというのはちょっと涙ものなのだから。上司からは叩かれ、融資先からも叩かれなじられ、元部下でありライバルである「ホライズン」の鷲津からは徹底的にコケにされて何も言い返せずぐっと眉間にしわを寄せて耐えているほうが主人公でなくてなんだろうか。それに引き換え鷲津は過去は辛かったかもしれんが今は超カッコイーアメリカ企業のやり手なんだから。しかも柴田さんのほうが年取っているので余計可哀想になってしまうではないか。何をやっても誰からも褒められもせず、罵られるばかり。気の毒だ。
というか、この芝野ってよく判らないキャラクターなんだ。この大銀行でここまでの役職についているのにまるで若造みたいに苦悩し続けている。いわばかつて鷲津が苦悩して脱却したものをまだ芝野は持ち続けているわけで。一体何故彼は鷲津に「資本主義とはそういうものだ」と教えておきながら己自身は迷っているのか。何故誰からも叩かれ役であり続けているのか。答えは鷲津をかっこよく見せる為ってことなんだけど。鷲津をクールにする為に芝野が汚れ役を押し付けられているのだね、このドラマ。しかしそうするとどうしても芝野のほうに同情してしまう。しかしこの企業でこの年齢でこの地位でっていうのがどうも不思議になってしまうのね。普通もう少し達観してるというか鷹揚に対処するというか年齢から来るゆとりってのがあってもよさそうなのに。
もしかしたらこの辺、ちょっとキャラクター設定間違えてるのでは、と思ったりもして。鷲津が年寄りいじめているだけのように見えるのね。恭兵さん、年とりすぎなんだもん。せめて同じ年齢くらいの奴なら少しだけ先輩くらいの。
思えば大森南朋さんって基本的に脇役が多いせいもあるのかもしれないけどこれまで観て来たもので主役でもなにか脇役っぽいとこがあって、そこが彼のよさなのかもしれないのだが(ほめ言葉に聞こえないが)
でしゃばりな俺様的なものがない人なのかもしれない。
そして問題解決策が息子を社長にすげ替えるということだけだったのでうーむ、そんな物凄いアイディアというほどでもないような、と思ってしまったのだが。まあ、この話は次回に続くようなのでまた何かの展開があるのだろう。
鷲津が冷酷のように言われているのだが1話めも今回もどうも本当に社長のルーズさが原因で確かに鷲頭さんの言うとおりだよね!っていう話なのである。今回の社長なんてムカつくほど我儘で実際にもいそーという感じである。しかしおもちゃ会社って今はゲーム関係でなければ成り立たないと思ってたけど違うのか。ホライズンがそちらへ発展させようとしてるのかな。
しっかしNHKだからかまったく恋愛沙汰がないドラマだね。いっそ潔くて私は観やすいけど。
唯一女っ気である三島由香=栗山千秋もいっちゃなんだけど可愛いーって感じじゃないしさ。
最も惜しいのは鷲津の片腕であるアメリカ青年がいまいち好みじゃないことで(すまん)なにやらナオさんの横にいると色っぽい関係のようで嬉しいのだがも少し可愛かったならなー、などと不埒なことばかり考える自分なのであった。

脚本:林宏司 出演:大森南朋 松田龍平 栗山千明 柴田恭兵 嶋田久作
2007年日本
posted by フェイユイ at 22:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月23日

『のんきな姉さん』七里圭

のんきな姉さん.jpg

時間軸をぶれさせながら物語も少しずつぶれて本の中の物語とも交錯しどこまでが現実でどこからが夢なのか作り話なのかまたはあの世のことなのか、わからなくなってしまう感覚が楽しい。
幼い時に両親をうしなった姉弟がいつしか性愛を求め合うようになってしまう。姉は妊娠を知った時にある男性と結婚することを弟に伝える。
森鴎外の『山椒大夫』をモチーフの一つにしているために姉の名前が安寿子(やすこ)弟が寿司夫(すしお)ってのが面白くて。凄くシリアスな場面でも「すしお!」って(いや本当のすしおさん、すみません)
姉弟の愛は悲しく切ないのに姉・安寿子が勤める会社の課長が三浦友和氏でとぼけてる。いつも何かをぽりぽり食べながら盗み聞きしている変な男なのである。また唐突に寿司夫の養父だという男性が登場し、安寿子の冷たい態度を責めたてるのだ。
寿司夫がいかにも弟的な青年で頼りなげで我儘で可愛らしい。兄弟の近親相姦というのは(ま、同性の場合もありましょうが)兄妹か姉弟となるわけで、兄妹の場合どうしても力関係が兄の方が大きいわけで力ずくといった想像をしてしまうものだけど(ちょうど昨日の新聞の悩み相談が兄から性的虐待を受けたという妹の問題だったが)姉弟というと何か弟が姉に甘え、姉が弟を甘やかしてしまうという温い関係が結ばれてしまう気がするのだ。
ここでも姉・安寿子は駄目だ駄目だと逆らおうとしつつも結局「弟のことを判るのは私だけ」などという母性のような考えから逃れられない。
弟・寿司夫もそれを知っているのだ。
墓参りのトンネルを通る時、彼らは安寿子の子宮の中に入っていくのか。そこで彼らは姉弟の秘密を知る。弟は絶望し姉は追いかけていく。
雪の中の花火の風景は美しくも怖ろしい。この世の風景ではないように思える。彼らはもう現実の世界にはいないのだろうか。
それともこの景色は彼らの未来を表しているのだろうか。足を取られ酷く歩きづらく冷たい深い雪の道を彼らは歩き続けなければならない。その上には美しい花火の喜びがあるのだとしても。

安寿子の懊悩は時に苛立ちを覚えるが姉を慕い続ける寿司夫の愛らしさはどうだろう。寿司夫の裸はそんな彼をそのままに表現している。

三浦友和が演じているのは映画ではよく天使だとか世捨て人みたいな達観した存在の人物なのだろうけどそれが課長さんだというのがおかしい。課長さんにしても寿司夫の養父と名乗る男性にしても寿司夫に言い寄る女の子にしてもちょっと現実離れした感じがする。むしろ安寿子と寿司夫の方が普通の人として描かれている。
大森南朋演じる一男は最も普通の人である。彼が安寿子のどこに惹かれているのかだけは理解しがたい気もするが。一男に対して酷く冷たく心を閉ざしてばかりいるわけだし。まあこういうミステリアスな女性に惹かれる男ということなのか。ナオさんはとても優しい二枚目な雰囲気なのに実に気の毒な役回りなのだ。

同性愛ものを観る時同様、近親ものというのも観る者の意識で評価は変わるだろう。
私的には同性愛ものと違ってあまり興味は感じない題材なのだが愛しあいたいのなら子供さえ持たなければどうにでもできるんじゃない?という感覚である。二人のことを知られていない場所に引っ越して。
どんな愛もすべて受容されるわけではないのだからそこくらい(子供と場所くらいは)我慢していいのではないかな。ここで安寿子がわざと子供を生もうとするのは逆に弟との縁を切りたいからなのであって、子供を(多分)堕胎したのは弟とつながっていこうとしたからと思える。
兄弟、姉妹関係ならどうぞご自由にである。後ろ指など怖くないならどの関係でもご自由に、だが、力関係が一方的なものはそりゃもう近親に限らず問題外だ。
あまり興味はない題材なのだがこの作品は演出の面白さやシリアスとおかしさが混じりあっている感じと弟の可愛さと作品の芝居がかった奇妙さが好きであった。ざらざらした画像も作品に合っている。

監督/脚本:七里圭 出演:梶原阿貴 塩田貞治 大森南朋 梓 細田玲菜 三浦友和
2003年日本
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2008年07月22日

『怪談新耳袋 第1夜』

怪談新耳袋.bmp

原作の『新耳袋』のタイトルを見たことはあったし、どこかで少し読んだ気もするが映像を観るのは初めて。無論、大森南朋目的である。

原作が短編であるのを無理に引き伸ばしてしまわず、5分という短い時間で作っているのはホラーとしては却って向いているのかもしれない。
映画の長さのホラーってなんだか間延びしてると思うことが多いんだもんね。出だしの余計な説明とか最後のつまらぬ繰り返しとかがいつもうざいものであるし。
この作品、つなぎの白い手も怖くておかしいし、なにしろ最初の話が「第7話」となっていたので「え?なぜ?」と騙されてしまった。正直ちょっとぞっとしてしまったぞ。悔し〜。

自分の好みとしては「カセットテープ」と「ビデオ」がいけた。
「カセットテープ」はナオさん主演だからなんだか贔屓目もありそうだが、それだけでなく一部屋で起きたカセットテープと音が恐怖を作り出していくのが秀逸な作品であった。以前録音したテープにたまたま亡くなった女性の声が入っておりそれが今の状況と奇妙に重なっていること。テープが劣化しておかしくなってしまったのか本当に霊的なことなのかどちらにも取れる表現である。電話からこぼれ聞こえる声も不気味だし、突然差し込む光も意味ありげだ。
ナオさんがまたいい男でこんな感じに好意を持たれていそうなのも頷ける。
最後にテープがビョーンと延びてしまうのもありそうでいて怖い。
監督が佐野史郎さんだというのも驚きだった。

「ビデオ」はまあなんということもないんだが、いつもパソコンで映画を観てると怖ろしい顔が映っていてぎょっとすると自分の顔であった、ということをしょちゅう繰り返しているので。大体怖い映画って画面が暗いので自分の顔が怖ろしい表情で(つまり怖いからね)映ってしまうのだよね。
あとこのお姉さんのように怖いものがいっぱい側にいるのに全然気づいてない、っていう話はちょっとおかしくて好きなのだ。
霊感が強い人はいつも怖い体験をして大変だが、霊感がなければのほほんと生きられるのだよねー。どっちが幸せなんでしょうか。

どれもなかなかおもしろかったのだが、最後の「修学旅行」みたいに何度も覗き込んでは怖がっている人の話ってのはちょっといらいらしてしまう。気にしすぎ。
「背広返し」は他のと違った味で笑える。落語みたい。
それにしてもホラーの題材ってエレベーター、押入れ、トイレみたいな狭い個室だとかカセットテープ、ビデオみたいに霊を写し出すものだとか、ドアからじわりと覗いて手だとか、やはりお決まりのものなのだなーと思う。やはりそういうのはいつでも誰でも何かしら恐怖を感じるものなのでしょう。

第7話「エレベーター」The Elevator(主演:内山理名、監督:清水崇)
第1話「来客」The Visitor(主演:植松夏希、監督:豊島圭介)
第35話「ニシオカケンゴ」Kengo Nishioka(主演:奥貫薫、監督:鶴田法男)
第34話「カセットテープ」Cassette Tape(主演:大森南朋、監督:佐野史郎)
第26話「棚さがり」Off the Shelf(主演:渡辺いっけい、監督:吉田秋生)
第30話「背広返し」The Backward Suit(主演:岡本信人、小橋めぐみ、監督:三宅隆太)
第19話「覆水」Spilt Water(主演:石野真子、監督:鶴田法男)
第31話「ビデオ」Video(主演:三輪明日美、三輪ひとみ、監督:木原浩勝)
第9話「妹の部屋」My Sister's Room(主演:佐久間信子、監督:豊島圭介)
第20話「修学旅行」The School Excursion(主演:栗田梨子、監督:三宅隆太)

2003年日本

ラベル:大森南朋 ホラー
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2008年07月21日

『デーモンラヴァー』オリヴィエ・アサヤス

Demonlover 2.jpgDemonlover 5.jpg
Demonlover

大森南朋が出演しているフランス映画。オリヴィエ・アサヤスという名前にぴんと来ていなかったがマギー・チャンと結婚していたという過去を持ち『パリ・ジュテーム』ではマギー・ギレンホールが出ていた「デ・ザンファン・ルージュ地区(3区)」を担当。私がいまいちぴんと来なかった大人っぽい作品だった。
何かの概略で「性産業の氾濫するネット社会に警鐘を鳴らす作品」と書かれていたが自分としてはネット社会の性産業に期待する話なのかと思いながら観ていたのだけどね。
まあ警鐘鳴らしたって多くが期待すればどんどん氾濫していくわけで。
映像の奥でいつも「ヴーン」という地鳴りがしてるとこやヒロインがどんどん変な方向へ入り込んで迷路から出られなくなっていくような不気味さがデヴィッド・リンチのようでもあるが、彼ほど徹底して変てこではない。
冒頭スタイリッシュなフランス人たちが「東京アニメと契約できないと身の破滅だ」みたいな決死の面持ちで言っているのだがどうも「東京アニメ」という語呂が小さな一軒家で手作業的にやってるアニメ会社みたいな響きである。そこではエロアニメを製作していてその技術と人気の高さは評価されているのだが経営的には困難に瀕している。そこでフランスの大企業「ヴォルフ」は東京アニメの買収計画を進めていた。
やり手の美女ディアーヌ(コニー・ニールセン)がライバルを蹴落としてのし上がっていく話から始まってどんどんと危険な道に入り込み最後にはマニア垂涎の拷問サイトの餌食になってしまうという一連の出来事をごく普通の少年がネットで眺めることになるという落ちにつながっていく。つまり子供でも誰でも興味と金があればこんな洗練された優秀な美女が拷問を受けるのを観れますよーという宣伝の映画みたいな感じなのである。
確かに怖ろしい近未来への警鐘と観れなくもないが単純に「観たい!」と思ってしまう人のほうが多そうである。劇中のカレンという女性も「興奮するわけではないが惹きつけられる」と言っているのだがこれくらいの好奇心で観てしまう者のほうが多いわけで。
ただまあ、思うにこれも劇中の台詞で「チャイルドポルノ」は厳禁と言っているのだが、結局は禁じられたものの方へこそ行ってしまうのはもう目に見えているし、お勧めの「拷問サイト」とやらでちらりと見せられた拷問シーンはさほど過激なものではないように見えてしまうわけで(これなら『殺し屋1』の拷問のほうがより過激)これもひたすら肉体を切り刻むような惨たらしいサイトへ行ってしまうのは必至だろう。
それに主人公及び登場人物に女性が多いのに女がレイプされているサイトばかり見てるってのはどうなのか。まー映画の監督が男だから仕方ないのかもしれないが女性が見るんだったら美青年が拷問されているんだとか、腐女子系のサイトっていうほうが理解しやすいんだけどね。実際そちらのエロサイトのほうが伸びていくんではなかろうか。

などと文句を言いつつも結構面白く観てはいたのだった。この映画監督は日本のエロアニメに警鐘を鳴らすどころか楽しんでいるとしか思えないのは、いかにも日本のエロアニメ的な映像をかなりの長さで挿入しているので判るし、日本の世界を席捲するだろうという設定もその為に大企業が出資するというのも非常に判り易い。日本のアニメにはモデルが存在するわけではなく想像の産物なのだという説明がはいるのもおかしかった。そういう意味でもこれからもっと広がっていくに違いないと思うのはやっぱり自分もオタク感覚を持っているからなんだろうか。

でも日本のアニメならもっと腐女子系を入れて欲しかったという不満が残るのだ。特に商売ならね。その辺いつも駄目なんだよなー。

さて大森南朋。これはちょっと観てよかったよ。いつもと違う短髪でかなり痩せて見えるんだけど。ピアスしてます。
出番がもっと多かったらよかったんだけどね。『ハゲタカ』の逆の立場ですな。

監督:オリヴィエ・アサヤス 出演:コニー・ニールセン クロエ・セヴィニー ジーナ・ガーション 大森南朋 山崎直子 シャルル・ベルリング ジャン=バプティスト・マラルトル
2002年フランス
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2008年07月20日

『沈睡的青春』鄭芬芬

沈睡的青春2.jpg

もーずーっと前に購入して観ないままにしておいた『沈睡的青春』やっとやっと観た。
暑い夏の話なので臨場感あるのだがなにしろ元々英文も中文も読めないのがもう長い間そういったものに接していなかったので読み解いていく能力も感覚もがた落ちである。か、もしかしたら以前からこんなもんだったかもしれない。

言い訳はこのくらいにしといて久し振りに観た張孝全。まだまだ青春というイメージの中にいるのだなあ。
無論『ニエズ』の時のような初々しさはないけれど体はその頃よりシェイプアップされているし、嫌な方向に変化していってないのは嬉しい限りである。
物語の題材は青春と題されるものに多くイメージが重ねられる友情と死。この辺も張孝全にぴったりのイメージなのであろう。

田舎町で時計の修理店を経営している若い女性・青青の所へ毎日水に入って動かなくなったという腕時計を持ってくる青年がいた。
彼は中学校で彼女と同級生だったという。
ところが調べてみると彼が告げた名前の同級生は10年前すでに亡くなっていたのだ。
不思議な青年を張孝全が演じている。
実は、仲のよかった友人を水の事故で失ってしまった彼は自己の人格と友人の人格が交錯して現れるようになってしまったのだ。
青青はそんな彼と何度も会ううちに次第に惹かれるようになっていく。

私が観たものがたまたまそうなのかわからないが台湾映画の青春ものはどれも都会風というより田舎町ののどかな情景の中で描かれていてその古びた家屋や調度品、服装も気取ってなく可愛らしくて観ていてほっとする雰囲気に溢れている。
物語はそれに反して悲しげなものが多いような気もするがそれも過激でなく全体に調和しているのである。

青青役の郭碧[女亭]がとても綺麗で可愛らしいし、悲しい話なのにふうわりとした印象で観させてしまう。
青青の古い店の様子や陳柏宇の病院の部屋なんかも凄く可愛くて羨ましいくらいなのだ。(病院の部屋があんなに可愛いってあるのだろうか)
街並みも電車も滝のある風景もみんなうっとりとする色彩だし暑い日差しも雨に濡れた道も情緒たっぷりで見惚れてしまう。
切ない友情も彼女に対する思いも美しいのだよねえ。
こんなに何もかも綺麗でいいのかなあと思いながらも切なく悲しい青春の物語を味わったのであった。

あまりに綺麗な作品で、どうこう言わなくてもいい気がする(笑)張孝全くんもさすがにこういう物語も最後なのではないだろうか。もう少しやるのだろうか^^;
都会の若者の(特に日本の)ゲーセンだとかうるさいのばかり見せられるのはさすがにうんざりするので(そればっかなんだもんな)たまにはこういうのどかな風景を観るのもいいもんです。
悲しい話なんだけどねー。

監督:鄭芬芬 出演:張孝全 郭碧[女亭]


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大森南朋への告白

大森南朋に入れ込んでかなり作品を観て来たがなにせ出演作品数が物凄く多いのでまだまだ日にちがかかりそうである。レンタルできるもの以外も結構ありそうなので制覇というのは無理かもしれない。
とにかく手当たり次第の鑑賞でとりとめないのだが、ここらでちょっと感想を書くことにする。
『ヴァイブレータ』で一気にのめりこんでいったナオさんだけどこの作品が初めてではなく多分かつて観ていた『殺し屋1』が初めてかもしれない。
といってもその時は浅野忠信の方にばかり気を取られていたので1の凄さは判ったものの大森南朋という名前を記憶せずにいたのだった。まったくいつものことながら情けない自分である。
はっきり認識しながら観たのは『ゲルマニウムの夜』かもしれないが無論ここでは主役の新井浩文に注目していたのでまたもやナオさんを意識してはいなかった。
彼のことが気になった初めての作品は『赤目四十八瀧心中未遂』だったのではないだろうか。
これも目的は新井浩文だったのだが(といっても脇役だが)新井くんの首に刺青をいれる彫り師の役で痛がって呻いている他の男を見て笑っている新井くんをたしなめる為に羽交い絞めにして頭に針を打ち込むシーンがなぜかとてもセクシーでこれで好きになってしまったのだった。
といっても留めはやはり『ヴァイブレータ』なのだが、彼の出演作品で一番は?と問われたらやはりこれを挙げてしまうんだろうけどへそ曲がりな自分は多分多くの女性が好きになったこれを言うのもちょっと憎らしいので反抗したのだけどやっぱり『ヴァイブレータ』ノナオさんは素敵である。
でも今こうして観ていってもう一つというなら最初に観た『殺し屋1』の1はそれと並ぶ役柄なのではないだろうか。
まっとうに素敵な男が『ヴァイブレータ』のトラック野郎ならまったく反対に位置して大森南朋の魅力が1なのかもしれないし(まだ全部観たわけではないので予想として)
困ったことに『ヴァイブレータ』の時よりも二つの作品で演じられている1の大森南朋の表情が忘れられず次の日も1の表情がちらちら浮かんでしまったという自分なのである。まあ強烈なキャラクターだから、というのはあるだろうけど。
他にも『ハゲタカ』の切れる男、『たとえ世界が終わっても』の不思議系など観てて飽きない役者なのである。

インタビューなどで素の時はさすがにお洒落でいかにももてそうな雰囲気を持っている方であるし。

ドラマまで含めたらまだ当分楽しめると幸せにほくそ笑む私なのだ。
ラベル:大森南朋
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2008年07月19日

『鍵がない』山田英治

鍵がない2.jpg鍵がない1.jpg

一晩の物語を一人の若い女性を中心にして丹念に描いた作品。ファンタジックな甘いラブ・ストーリーということで普段あまり好んで観ないものだが昨日観た2作品があまりに酷かったので珠玉の作品に思えたり。いやそんな比較をしなくともとてもいい映画であった。
大森南朋さんは2人と娘から慕われているというハンサム役でこれもまた似合っていたねえ。
困ったのは出演している女性たちの面影が似ているのでよく判別がつかなくて誰が誰かよく判らなくなってしまったという情けない状態になってしまったということ。皆痩せ型のストレート黒髪で顔つきも似てるんだもんな。自然体のリアルな感じにしたかったのは判るけどもうちょっと特徴つけて色分けして欲しかったのだった。カーリーヘアだとか、巨乳だとか話し方が訛ってるだとか。
ま、それは置いとくとして、鍵をなくしてしまった、というありがちな出来事から互いに好き合っていながら思いが通じ合わなかった人との思い出と今の時間が交錯していくというとても好きな構成なので他愛もない話といえばそうなのだが、どうなっていくのかな、と結構惹きこまれて観てしまった。
キスシーンさえ途中で終わってしまう可愛らしい描写なのだが、ナオさんが新しい恋人が帰ろうとするのを「帰るの」と言って引き止めるところは突然生々しい感じがあってどきっとしたのだが、これはインタビューでナオさん自身もそう言っててやっぱりそうだったんだと納得した。女の方ではもう駄目だと感じていて帰ろうとするのを男はそれを感じながらも狡く留めようとする。もちろんそれは一応男としてはそういう気持ちでありながらも肉体的欲求は果したいなという目論みはあるわけでだからと言ってしつこく押し留めないのが今風でもあるし山田英治監督らしい雰囲気なのだろう。

鍵を失くしたという設定が彼がまだそのもう一つを持っているというつながりになり、失くしたと思っていた鍵がそっと彼女の持ち物の中におさまっていたこと。彼がやっと勇気をだして「もうこの鍵は必要ないよ」と言う練習をするくだりなど繊細で愛らしくラストシーンもまた彼ら二人にふさわしい演出だった。

山田英治監督作品は先日観た『春眠り世田谷』と同様過激な設定や行動があるわけでもなく淡々と進行していくのだが、結構自分に波長が合うというのか好きである。
大森南朋を描くという意味でもとても愛らしい彼が観れるので嬉しい作者である。
子供がいて尚且つセクシー。たまりません。
ほんとは主役の美沙子と共感すべきなのだろうけどなんとなく彼と娘や元カノの間に割り込めないのを感じているのりこさんに感情移入してしまう自分であった。ナオさん好きなのに、ぐっすん、なんて。

監督:山田英治 出演:つぐみ 大森南朋 小栗万優子 目黒真希 高野八誠 光石研
2005年日本
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『ラブレター 蒼恋歌』丹野雅仁

蒼恋歌.jpg

これは酷い。丹野雅仁監督の他の作品のような破壊的暴走的なものを求めて観るにはこの堕落はどうしたことだろう。
こんな道徳的で前向きなものなど映画で観たくはない。

しかもブルーハーツの『ラブレター』をモチーフにするならこの終わり方ではまずいのではないか。「今度生まれた時には・・・」「あなたよ、幸せになれ」なんだから。
思うに作りたくないのに仕方なく仕事として作った作品なのだとしか思えない。でなけりゃ本当に堕落したのかな。

どの作品もラブシーン&メイクラブシーンが皆無の監督なので今回もそのようなシーンがないのは納得できるが破滅することも傷つくこともないよい子な作品は虫唾が走る。
主人公も丸顔になってるし。千原ジュニアいないし(それはいいか)
とにかく情けない。

年代としてはこれが一番新しい作品なわけでこのままこの監督がこういういい人な方向に行くのならもう観る価値はない。
特に彼女の方の父親みたいなのはほんとにむかつく。(トモロヲさんを悪く言いたかないが)彼の方の父親はあれでいいんか。なぜあんなことに?死んだフリでよかったんじゃ。

とにかく気持ちの悪い作品でラストシーンなんて蹴りをいれたくなったものだ。あーいやだいやだ。

というわけでナオさん関係の映画を観る為にちょっとした寄り道をしたのだがこれは観ても意味のない二作品だったなあ。

監督:丹野雅仁 出演:石垣佑磨 本仮屋ユイカ 工藤里紗 EDDIE 田口トモロヲ 寺島進
2006年日本
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『カミナリ走ル夏 雷光疾走ル夏』丹野雅仁

カミナリ走ル夏 雷光疾走ル夏.jpg

大森南朋を追いかけているこの頃だが、『1 イチ』と『イツカ波ノ彼方ニ』が気になったのでちょっと寄り道してみた。つまり丹野雅仁監督作品つながりということである。

「疾走ル」というタイトルなんで車で走っていく場面や前観た二作品同様暴力シーンに期待するがそれほど疾走してないような気がしてしまう。何となく『マッドマックス』を思わせるような車対バイクの場面もありだったので物凄い暴走をして欲しかったのだが、途中失速してしまったようだ。
自分にとってはナオさんが出てないと途端に魅力がなくなってしまうのに気づかされた。
丹野監督という方は細面の彫りの深い顔立ちがお好きみたいでそれはまあいいのだが、私としてはあまり好きなタイプでもないのでなかなか観るのに辛抱がいる。
前の二作品も女の子の描き方はどうだかなあというものがあったが本作にいたってはますます魅力がないというか意味もない存在のようだ。ただそこにいるというだけみたいな。
それにしても女の子にも容赦しない演出だとは思う。思い切り叩きのめすんだもんな。
千原ジュニアが千葉の高校で主人公と同野球部だったという設定は面白かったが。思い切り関西弁なのに。さすが関西は日本中に野球選手を輩出してるね。

疾走する目的地が野球場だったというのは自分としてはしょぼい結末だった。なんかもうもっと炸裂して疾走しまくって欲しかったんだが。

寄り道と入っても結局は大森南朋作品に何らかのかかわりがないかな、という期待の鑑賞だったが『1 イチ』『イツカ波ノ彼方ニ』の滅茶苦茶さには物足りないものだった。まあこの作品は前に作品の間のものだから次第に悪くなっているわけでもないのだろうが。

暴力的ではあるけれど何故か性的なシーンはないのがこの監督の特徴だ。援交と思えないよ。案外常識人。

監督:丹野雅仁 出演:渡辺一志 塚本高史 伴杏里  千原浩史(千原ジュニア) 立花彩野 KEE
2003年日本
ラベル:青春 暴力
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2008年07月17日

『イツカ波ノ彼方ニ』今夜も

イツカ波ノ彼方ニ.jpg

最近珍しく続けて2回目鑑賞。2度観ると何かが判るか、と思ったのだがさして新しい発見はできず。ただ2回続けて観ても非常に面白かった。
そしてちょっとだけ考えたのは、これって最初は勝男が浦島太郎でイチゴやツヨシやアキを助けて竜宮城へ行くように思えたが逆にイチゴが浦島で勝男の背に乗って竜宮城へ来たようにも思える。最後に玉手箱を開けるのはイチゴだしね。冒頭で勝男が亀を背負っている図とイチゴ=乙姫=亀を背負っているシーンが出てくるが亀が浦島太郎を背負って竜宮城へ行くわけなんで。
なお亀をいじめる子供達ってのはあのヤクザ二人組ね。
竜宮城というのは華やかな夢の国のイメージみたいだが単にあの世=死後の世界というイメージでもある。
幼い頃、竜宮城へ一緒に連れていってやるという勝男とアキの約束はそういう理想郷的なものだったのだろうが、その言葉が共に死後の世界へ行くという果し方になっている。
沖縄の墓の形が亀の形であると共に女性性器であるとお婆が言う。人はそこから生まれそこへ帰ると。
男は所詮宇宙である女には勝てないから生きている間だけ好き勝手なことをするのだと。
勝男は自分の思ったように生きて死んだ。アキは自分の好きなものを見つけられずにいたが遠回りをしてやっとやりたいことを見つけ(ここではイチゴを連れて竜宮城へ行くこと)そして死ぬ。

イメージがあまり強烈なものではないし、わざと判りにくくしているフシもあるのだが、それでもその出し方がなかなか面白いので見入ってしまうのだ。
名前もちょっと語ってて勝男はやはり亀=海の生物という連想からの魚のカツオだろうし、ボクサーのツヨシは強いから強しだろう。イチゴは一期一会のイチゴだと思うが。
イチゴがお婆さんになってしまわないのはイチゴが乙姫=亀のイメージでもあるからだろう。
勝男が彼女に対してまたアキもだがあまり女性への恋慕という感情を持たないように見えるのは彼女が二人の母親のような存在としているからではないだろうか。
三線弾きはタツヨシと名乗るがこれも竜宮城の竜にかかっている。ジョーとも呼ばれるが城もジョーだから(かなりしつこい)
ところでなんでボクサーが登場するのか。彼の存在が凄くかっこよくてこの映画の一番の辛味になっているが。沖縄出身の竜宮城(りゅうみやぎ)というボクサーがいるから、という遊びじゃないかと思っているんだが。
とにかく語呂合わせやイメージを溢れさせた作品なのではないだろうか。

ところで三線弾きの「四辻で悪魔に魂を売る」話はロバート・ジョンソンの「クロスロード伝説」からのエピソードだがなぜこの話が挿入されたのか。
好きなものの為なら勝手にする。魂も悪魔に売るということなのか。

そういったイメージを構築しながら語られているのは兄弟のように育った勝男とアキのつながりである。
昨日は同性愛的な含みがあるというように書いたが、それよりも『二十日鼠と人間』のような互いに離れられない関係と見たい気がする。

監督:監督:丹野雅仁 出演:平岡祐太 加藤ローサ 大森南朋 曽根英樹
2005年日本

ラベル:大森南朋
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2008年07月16日

『イツカ波ノ彼方ニ』丹野雅仁

A DAY BEYOND THE HORIZON.jpg

A DAY BEYOND THE HORIZON

理解できたかということは別としてとても面白い作品だった。特典映像の舞台挨拶を観てたら謎が隠されているのでもう一度観て欲しいと何度も言われているのでそういうものかな、という気持ちになり作品自体は好みなので明日もう一度観てみようか。

今日は一回目ということで感じたことを書き連ねてみようか。

大森南朋出演、同監督ということで気持ち的に昨日観た『1 イチ』を引きずっているところもある。
舞台が沖縄なのでもっと爽やかだし、行動範囲も広いのだが盲目のボクサーが殺人的(ていうか殺人だが)強さだとか、なんか女性がだらしない性格で作品的に粗雑に扱われているようなとこだとか、結局男同士の結束の物語であるというところはまったく同じである。
加藤ローサという可愛らしい少女を登場させているのにも関わらず彼女と男達の関係よりもアキと勝男そして盲目のボクサーとの関係に目が向いてしまう。アキと勝男はお婆に兄弟のように育てられた。勝男はアキに対して絶対的な庇護者である。彼らの会話からいつもアキが厄介を背負い込んでは勝男が守っていたことが判るし、アキもそれを知っているために再び兄と慕う勝男のもとへ逃げ込んでくるのだ。
お婆が言う「アキはお前しか頼る者がいないし、お前もアキしか守る者がいない」それを聞いた勝男もじゅうじゅう判っているという雰囲気である。とはいえ、勝男は盲目のボクサーも庇護してるし、突然流れついた少女イチゴも庇護下にあるわけで助ける亀も一匹ではないので大変である。
幼い時からアキと一緒に竜宮城へ行くことが夢である勝男は途中で死んでしまい、残されたアキもイチゴと共に海へ出たところをスナイパーに撃たれてしんでしまう。そしてイチゴは竜宮城へ向かうアキと勝男の声を聞く、というシュールな物語である。
昨日の話とこれも同じで私にはどう考えても(というか反射的に)ゲイの物語だとしか思えない。ゲイの物語をはっきりとそう言わずに表現するとこうなるのかなーと。

じゃあなんでこうゲイの物語を隠してやるのかといえばそれは私にはわからない。
恥ずかしいとかなんか芸術的に見えるとか。
などと書くとちょっと反感もっているように思われてしまいそうだが隠されたゲイストーリーという表現は隠微に好きなのでそれはそれでもいい。

はてこれで感想になるのか。最近はもう一日一作品のペースで行ってしまっているが今回はもう一度観てみて確かめてみようかと思う。
どんな風に感じ方が変わるのか、ちょっと我に期待してみたりして。

監督:丹野雅仁 出演:平岡祐太 加藤ローサ 大森南朋 曽根英樹
2005年日本

ラベル:
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