映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年07月01日

『ボクサー』寺山修司

ボクサー.jpg

寺山修司さんが監督ということでずっと観なきゃと思っていた(一体いつからだ)やっと観た。
足に障害のある若いボクサーを清水健太郎が、かつてボクサーだったが今はすっかり落ちぶれ果てた男を菅原文太が演じている。
文太さんはいつもかっこいいが清水健太郎のこの時はなんとも目が悲しげで魅力的である。
作品中殆どがボクシングの練習か試合をしているストレートなボクサー映画なのだがそこは寺山修司。街の様子も登場人物も奇妙な雰囲気に溢れている。
健太郎さんはその後のイメージが強いので意識すると差しさわりが出てくるかもしれないが、この作品のみに集中して観て欲しい(何かと大変だな)

足に障害があることでボクシング・ジムから見放されてしまった青年・天馬は仕事中、恋敵を事故死させてしまう。死なせた男の兄がかつてボクサーだった隼だった。彼は勝てた試合を途中で放棄したことがあるのだ。試合に負けてしまった天馬は隼にトレーナーを依頼する。

どうしても寺山作品だということを思いながら観てしまう。命懸けのボクシングの試合、貧しいが明るく騒がしい下町の人々、自暴自棄になった中年男が犬と共にポスター貼りをしているところも一つ一つが詩のようだ。それら一つ一つに寺山修司の思いいれが強く感じられるのだ。
足がうまく動かないボクサー天馬の夢を見るような光る目にも殴られてマットに倒れこむ姿にもこめかみから血を流し鏡にその血がついてしまってまるで鏡自体が血を流しているかのように見えるのも寺山の詩の中の男として描かれているのだ。
沖縄出身という彼が「父を憎み母を憎み沖縄を憎みすべてを憎む」という言葉は寺山の詩そのものに聞こえる。
それでいて彼はただボクシングだけにとりつかれた男なのでありそういう憎しみというもので動いているようにも思えない。隼はその天馬に弟を事故死とはいえ殺され娘を手篭めにされたというのに彼を勝たせることだけに生き甲斐を持ってしまう奇妙な中年男である。
そういった奇妙さも寺山は詩だからと思えば納得させられてしまうのだ。
ここでは次第に視力を失っていく元ボクサーの中年男と足が思うように動かない若いボクサーが貧しさの中で体を鍛え殴りあう練習をしている姿が詠われているのだ。
それにしても目が殆ど見えなくなった隼の前で血だらけになりながらも試合に勝った天馬が彼の元に倒れ掛かる最後の場面でつい涙が溢れてしまうのは困ったことである。

薄汚れた街の名もなき貧しい人々と壊れかけた体の二人の男のやはり美しい詩のような映画だった。
監督:寺山修司 出演:菅原文太 清水健太郎 小沢昭一 春川ますみ 地引かづさ 具志堅用高
1977年日本


posted by フェイユイ at 23:16| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『それから』森田芳光

それから.jpg

夏目漱石いいなあ。原作は未読だけどこういう文芸作品というのはいいものですね。漱石のは妙に理屈をこねる話なのでとても面白いです。
と言っても『それから』以外も殆ど読んではいないと言う自分だが。
『吾輩は猫である』は愛読書なんで漱石の理屈っぽさとか台詞回しなんかは映画にも感じられて嬉しいものでした。
後は『こころ』がゲイっぽいということで読んで、この前『夢十夜』そして昨日書いたけど松ケン帯の『坊ちゃん』を買ってきたところ。教科書で読んだぎりなので。
だから『それから』は映画を観てのみの感想になるが、これは面白く観れましたねー。代助という30前の男が主人公だが、金持ちの生まれをいいことに遊びほうけて仕事もしなけりゃ親の勧める縁談も断るという気ままな生活を続けている。実は3年前に好きになった女性がいたのだがどういうことか、友人に彼女との結婚を勧めてしまったのだ。その人・三千代も代助に惹かれていたのだがまったく打明けてくれない代助に復讐するつもりで彼の友人・平岡と愛のない結婚をしてしまったのだ。
なんだかもうどうしようもない話なんだが身も心もぷらぷらして定まらない彼らの生き方は今の我々そのもののようで当時より今の読者の方が理解できるのでは、と思わせてしまう。
代助の姿は最初から最後まで掴みどころのない頼りなさである。むしろ最後追い出された時、これでやっとこの男も少しは生きていけるんじゃないかと思ったのだが違うんだろうか。

ご子息の松田龍平君もだが父上の松田優作さんもかっこいいと評判の男性だったが自分的にはさほど好みの範疇でなかったのでこの映画も気になりながら未観のままだった。観よう観ようと思いながら20数年経ってしまったんだから時間の過ぎ去るのは早いもので。
私としては三千代の面白みのないダンナである平岡役の小林薫さんが好きなので映画の観方としては困ったことになる。まあ確かにこの映画としては冴えないダンナなのではあるが松田優作より小林薫さんのほうが好きだからなあ、などと思っていたら映画としては成り立たない。私は他の映画でもつまらない亭主を持った妻が他の男と浮気をする、という映画の場合、なんだかその真面目な亭主の方を好きになる傾向があって困るのだが。かっこいい男が嫌いなのかな。
とはいえ、20数年経って優作氏を見たらとてもいい男に見えてしまう。この映画のせいかもしれないが、あのスタイルと男らしい風貌で代助を演じていると凄く魅力的ではないか。子息・龍平君同様観ているうちに好きになってしまったのだ。
それになんといってもいい味だったのが三千代役の藤谷美和子。とぼけた雰囲気が個性の彼女だが、ここではその印象を控えながらも不思議な味わいのある女性になっている。
ところで彼女が代助の家で花器の水を飲むシーンがあるが、確かすずらんが活けてあった。「毒じゃないんでしょ」とわざわざ言うのだが、すずらんは毒性がある。あんなに飲んじゃってほんとに大丈夫なのだろうか。三千代という人妻が毒を飲んでしまう覚悟を持っているという演出なのかもしれないが。何故か同時に「ぴかごろごろ」という雷音がしたのでお腹をこわしたのか、とくだらないことを考えてしまったじゃないか(あ、これもしゃれだ)
そのときにすずらんの香を「いい香りね」という。また二人が百合の香りを一緒に嗅ぐシーンがあり、代助が蚊帳に香水をふるシーンもある。なんだかとてもいい香りのする映画のように思えた。

ねちねちねちねち、と考え続けているだけの作品みたいな煮え切れない感じだが、時代背景も含め非常に楽しんで観てしまった。
他の俳優陣、中村嘉葎雄 美保純 草笛光子 笠智衆 イッセー尾形 風間杜夫などもいい感じだった。
こういう作品もっと色々作られるといいのになあ。

それにしてもやはり父と子は似るものですね。先日龍平君を観たばかりなのでいっそう思ってしまうが顔だけでなく声も佇まいも。不思議なものです。お父さんのほうは男っぽくて男性の憧れみたいな存在でしたねー。息子さん同様私的には遅まきながらファンになってしまったようです。

監督:森田芳光 出演:松田優作 藤谷美和子 小林薫 笠智衆 中村嘉葎雄 美保純 草笛光子 笠智衆 風間杜夫
1985年日本
posted by フェイユイ at 00:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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