映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年07月03日

『呉清源 極みの棋譜』田壮壮

呉清源 極みの棋譜 4.jpg呉清源 極みの棋譜 3.jpg
The Go Master

こんなに物語と登場人物の説明をしようとしない映画もあまりないのではないだろうか。そのことがいっそのこと心地よい。他の饒舌で煩いなくせに大して何も語られていない作品などよりも。
ここでは語られることは最小限のことで観る者はその映像から多くを感じ取らねばならない。
とはいっても何も難しい事柄を述べているわけでもないし、表現がシュールなわけでもない。
棋士・呉清源の人生を切り取って見せていくかのような画面である。余計な台詞や演出というものを廃した静かな語り口である。私は残念ながら棋というものいまだに理解しないでいるのだが、この映画はまさに棋の如く進んでいるのかもしれない。

それにしてもチャン・チェンは美しい人である。
丸眼鏡をかけ碁盤をじっと見つめている風情はなにか悲しげにさえ見えてしまうではないか。笑うとはっとするほど可愛らしいのだが。
台湾人である彼が殆ど日本語の演技をしなければいけないのがここでは却って彼の静けさを表しているようであった。
大げさに出来事を言い立てない映画なのでほぼ文字の説明で棋士としての呉清源が負けなしの勝負をしていく比類なき才能を持っていることがわかる。
だがその一方で彼は紅卍会という宗教にも深く入り込んでいて一時期は囲碁を止めて信仰の道を歩んでいる。
私のように無宗教な者はその選択がいかにも勿体ない時期のように思えてしまうのだが彼自身は囲碁と同じように宗教も大切なのだろう。

田壮壮監督の静かな眼差しは日本人に対しても同じように注がれているようだ。
どうしても戦時中の中国人と日本人の関係を描いた映画を観ることになると事実とはいえ胸が痛むことになってしまうものだ。
ここでも中国人である呉清源一家に対して日本人の嫌がらせらしき場面はある。らしき、というのはこの部分も田監督はクローズアップすることなく起きた事柄を述べているだけなので中国人一家に対しどんな言葉が投げられたのかは想像するしかないのである。
また中国を侵略していく日本軍に対して喜ぶ日本人達を後に呉清源が離れていくシーンにも言葉はないのに迫ってくるものがある。
彼が川端康成と草原で横たわって話し合っている場面も酷く言葉少なく寂しさがある。囲碁の天才少年として日本へ招かれた呉清源の心にはいつもそうした寂寥感が静かに溜まっていたのではないだろうか。
それにしても彼の周囲の日本人の彼に対する接し方は暖かいもので観ていてほっとしたのだ。それは自然と呉清源さん自身がとても素晴らしい人格者で皆から愛されておられることを意味しているのだ。

日本人女性を妻とした彼が、寒い冬に生まれた赤ん坊のほっぺに触る前に手を擦り合わせて暖めるところはなんともほんわかとした気持ちになったものだ。

チャン・チェンの佇まいに見惚れるばかりの作品だったが、他の日本人出演者も素晴らしかった。
呉清源を日本へ招いた瀬越憲作の柄本明は申し分ない雰囲気である。松坂慶子、伊藤歩という女性陣。
川端康成を野村宏伸が演じていたのも面白かったが私的にびっくりしたのが呉清源の相手として登場する橋本宇太郎に大森南朋が出ていたのだった。いつものことだがチャン・チェン以外まったく出演者を知らずにいたので驚くやら嬉しいやらここでも彼に会えるなんて。棋の相手ということで渋い雰囲気を見ることができた。
そして呉清源の母親にシルビア・チャン。

今まで何度も棋は知っておかなきゃなと思いながら果せないでいたがやはり少しは学ぶべきだと再び思っている自分である。

ところで呉さんと「棋」中国語発音は「ウー」と「チー」で違うのだが日本語的には同じ「ご」っていうのは凄く判りやすいです。日本で活躍した方なのだし、仕事と名前って不思議とつながってたりするような気がします。

監督:田壮壮 出演:チャン・チェン 柄本明 シルヴィア・チャン 伊藤歩 仁科貴 松坂慶子 大森南朋
2006年中国

呉清源 極みの棋譜.png呉清源 極みの棋譜 2.jpg



posted by フェイユイ at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本映画にはまり込む日々

以前、『藍空』の時なんかは折々に近況などといってその時の気持なんかを書いてたのに、ここずっとそういうのなしで過ごしてしまった。ここで少し書いてみよう。

アジア映画に没頭していた『藍空』期から色んな国の映画を観ようと変わってきた『放浪記』なのだがここ最近は自分でも驚くほど日本もの一辺倒になってしまった。
好きになってしまったのが「松山ケンイチ」「新井浩文」と続いてるせいもあるが6月なんかはもう僅かの例外だけ日本映画ばかりである。
どうものめりこみタイプなので一度はまり込むともう他の映画が観たくなくなってしまうのだ。
今は外国映画というとどうにも観たくないというのだから我ながら驚いてしまう。
多分この先も当分の間この傾向が続きそうである(若干外国ものを観る予定だが)お気に入りも「大森南朋」に代わってまだ観始めたばかりだしかなりの作品数がある。
まあはまり込んでいる時ほど幸せな時はないので気持が変わるまで日本映画を観続けてしまうだろう。
当たり前といえば当たり前か。

ばんっと変わらせてくれるのは大概誰かを好きになった時。一体誰との出会いがあるか。楽しみでもある。

ラベル:近況
posted by フェイユイ at 16:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『最も危険な遊戯』村川透

最も危険な遊戯.jpg

『それから』を初めて観て松田優作いいなあ、と初めて思ったものだから、もう少し作品を観ることにした。
これなんかは私のイメージどおりの彼である。
細長いシルエット、眉間にしわを寄せた男っぽい風貌、低い声、かっこよく決めたかと思うと、話し言葉は妙に丁寧語だったりする独特のユーモア。作品自体は徹底した娯楽と言う感じでサム・ペキンパーが色濃く影響されているが松田優作のいうキャラクターのおかげでそういう「似せた」感じは払拭されてしまう。あんまりガチガチにシリアスなのよりこういうちょっととぼけた味のあるアクションがより個性を惹き立てるようだ。
この作品も影で彼の存在を表現している箇所がいくつもあるがこの他にないシルエットは当時としてもいや今でもそうそうお目にかかれないのではないか。
ひょろんとした細長い手足。もじゃ髪に帽子というちょっと外した感のあるかっこよさ。
などと褒め称えると昔から大ファンのようだが、もう何度も書いているがさほどファンというのでもなかった。もしかしたらかっこよすぎると思ったのかもしれないし、やはりこういう男性的な作品とキャラクターに反発を感じていたのかもしれない。
今観てるとそういった演出もまあ男性向け娯楽作品だから、ということで笑いながら観ることができる。大人になったもんだ。
とにかく大人になった目で観てると確かにこりゃあかっこいいや、と今更ながら唸ったわけである。理解できるのに時間がかかるのも程があるってもんだけど。
サム・ペキンパー風味とはいえ女を手荒く扱う素振りだとか長い手足を思い切り見せ付けるポージングだとか車を追い越さんばかりのスピードで走っていく姿も大勢の敵を相手に一匹狼で挑んでいく潔さも一つ一つ男だったら真似してみたいかっこよさである。

それにしても早く亡くなったとは思ってたけどたった40歳だったんだなあ。

監督:村川透 出演:松田優作 田坂圭子 荒木一郎 内田朝雄 草野大悟
1978年日本
ラベル:アクション
posted by フェイユイ at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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