映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年07月15日

『1 イチ』丹野雅仁

1 イチ.jpg

実は昨日の『殺し屋1』再観は今夜この『1 イチ』を観る為だった。他の方の感想を観るとかなり評判悪そうなんだけど自分としては凄く面白かったのは昨日の影響を引きずっているからか。
まそれは多少あるかもしれないがこれはこれで官能的に楽しめたのだった。
しかもナオさんとしては30歳で高校生の役ということでいかがわしさが漂うのである。『殺し屋1』はどうしても浅野忠信のキャラが前に出てしまっていたせいもあってこちらのほうが1=城石一の特異性がわかりやすく描かれている。
1は暴力そのもので性的欲望が満たされるのだがその彼の暴力性を巡って3人の男が1に絡んでいくという構図がどうしても同性愛的な意味合いを兼ねているように思えてならない。そういえばこれもイジメ=暴力を描いた映画『隣人13号』も暴力と同性愛的なものが重なっていたのだがイジメ=暴力にはどこかそういう意味もあるというのだろうか。(1と13って数字にこだわるのも何故)
それはまた考えねばならない事柄だが、1と「やりたい」としつこく追いかける二人の武闘派(?)と彼をひそかに見守る師匠からは力と性的なものとは切り離せないものがあるのだと感じさせる。
1にいたっては過激な暴力を見た時のみに性的欲望が高まり残虐な暴力を与えた時に射精するというわかりやすさで肉体的暴力は通常女性よりも男性のほうが強いものである為に1の欲望は男性に対して強く表れるのだろう。
それにしても最後に種明かしがあるものの稽古場で一人きりになった1が勃起しているのを影でじっと見つめている師匠というのはただ単にゲイなの?と思ってしまったではないか。いくらなんでもこれは最初からその意図だったと思うのだが。
稽古場に置かれたあの物体(パンチキック練習具)はどう見ても男性のアレだし。それと格闘してる1の姿。

千原ジュニアの狂気的暴力もTEAHの端正で熱い闘志も1を高ぶらせ至高の悦楽へと誘う。
大森南朋の情けない1が次第に狂気を帯びてくる。最後の微笑みはやはり容赦しないものだったんだろう。

TEAHの腕力とジュニアの締め技とナオさんの蹴りというように暴力が色分けされているのが面白い。
蹴り、というのはやはり独特な味わいがあるものだ。これはかかと落としを取り入れているのだろうか。

監督:丹野雅仁



posted by フェイユイ at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『殺し屋1』三池崇史

殺し屋1.jpg
ICHI THE KILLER

あまりにも物凄く面白くて観終わるのが悲しくさえあった。悦楽の2時間余りだった。
などと言うとかつて『藍空』で書いた(よな)この映画の感想を読まれた方が今パソコン画面に飲んでるコーヒーだかビールを噴出してしまわれると申し訳ないのだが、今回再観して(ついに!)そう感じてしまったのだからしょうがない。つまりは数年前、理解できなかったこの作品がいい!と感じることが出来るまでに我が脳が精進したということと思っていただきたい(そんなでもないが)しかしあつかましく言わせていただければ理解不能だったものがこうもクリアに感じ取れるようになるのは快感としか言いようがない。
言い換えれば最初これを観た時は何もかもまったくわからないままに観ていたのである。何も判らず観ても面白かったという方もおられるだろうが自分は描かれているグロテスクな痛みにまず負けてしまい殆ど正視できないような状態だったのだ。こんな痛い映画を我慢させられたというだけでもちょっと苛立ちがあった。
まあこの数年で韓国映画を主とする様々な「激痛ムービー」にすっかり神経も慣らされて強靭にというよりかなり鈍感になることができた。
そうなると色々落ち着いて画面も観れる。また初見の時はただ浅野忠信だけが目的で、監督の三池崇史氏のことも重要人物であるジジイ役の塚本晋也さんも知らずにいた。浅野忠信がマゾ役だと聞いて観た私はさほど浅野のマゾシーンがないことに腹を立てたのだったがこうして再観しているとそういったマゾシーンを特に期待しなくともよかったんじゃ、と思いつつ観たわけで人間こうも変わるものか。
とにかく今回はイチ役の大森南朋が目当てであって彼のことを何も思ってなかった前回とは根本的にまったく違うのだった。

とにかくある意味キャラクター設定の面白さに尽きるのかもしれない。そこを知ってるかどうかで全然違ってくるのではないか。
浅野忠信=垣原の美しさ、妖しさ、危険な個性はもう言うまでもない。いつもまったく自然体で話す浅野のしゃべり方の魅力というのはここで危険な雰囲気をさらに強めている。彼に最上の痛みを与えてくれた安生組の「親父」を探すとともに人間と思えない残虐性を持つイチに対しマゾ的期待を高める。
浅野の傷だらけの美貌はやはり壮絶に魅せられる。裂けた口をピアスで留めているのも顔じゅうの傷跡も色っぽいのだ。
ジジイの塚本晋也。この映画って主人公が誰かよく判んないの。『殺し屋1』って言う割には垣原がずっと出てるし表紙だし、その上、本当の主役はこのジジイなのかな、とも思えるし。塚本晋也さんは映画監督でありながらも様々なとこで役者として登場してるがここでも主役ともいえる重要なキャラクターである。すべてが彼の計画であり彼の駒である1たちを暗示にかけていたという設定はぞくぞくするものだった。
そして1=大森南朋。まだ全部じゃないが色んなナオさんの顔を観て来たが、この1は彼の役の中でも秀逸なものだろう。ジジイによって作られたという彼の歪んだ人間性が大森南朋の表情の上で異常な笑みとして表現された瞬間は神経がゾクゾクと毛羽立ちそうだった。
ヤクザでありながら表情の乏しい緩やかなマゾヒストである浅野と対照的に一見気弱な青年が危険な区域に入ってしまう激情型を見せ付けてくれた大森南朋にこれまでにない魅力を感じてしまったのだ。
自分はどうもこういう危ない目をしたキャラクターが好きでしょうがなくて松山ケンイチもシン・ハギュンもその危ない目に参ってしまってるのだがナオさんの中にもそういったイッチャッてる感性を見せられてますます彼に溺れてしまいそうなのである。
長身で筋肉質な体は1の変てこなボディスーツがかっこよく見えるし、いつもと違う情けないいじけ顔も可愛らしい。ジジイと1の関係、1と金子の関係もなかなかよかったし。

数年後の再観でこの映画がこんなに面白く感じられたというのも嬉しいし、浅野はやっぱり綺麗だし、ナオさんをまたさらに惚れこませてくれたというのでも観なおしてみてよかった。

監督:三池崇史 出演:浅野忠信 大森南朋 塚本晋也 SABU 松尾スズキ 寺島進 國村隼 エイリアン・サン
2001年日本
ラベル: 暴力
posted by フェイユイ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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