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2008年07月23日

『のんきな姉さん』七里圭

のんきな姉さん.jpg

時間軸をぶれさせながら物語も少しずつぶれて本の中の物語とも交錯しどこまでが現実でどこからが夢なのか作り話なのかまたはあの世のことなのか、わからなくなってしまう感覚が楽しい。
幼い時に両親をうしなった姉弟がいつしか性愛を求め合うようになってしまう。姉は妊娠を知った時にある男性と結婚することを弟に伝える。
森鴎外の『山椒大夫』をモチーフの一つにしているために姉の名前が安寿子(やすこ)弟が寿司夫(すしお)ってのが面白くて。凄くシリアスな場面でも「すしお!」って(いや本当のすしおさん、すみません)
姉弟の愛は悲しく切ないのに姉・安寿子が勤める会社の課長が三浦友和氏でとぼけてる。いつも何かをぽりぽり食べながら盗み聞きしている変な男なのである。また唐突に寿司夫の養父だという男性が登場し、安寿子の冷たい態度を責めたてるのだ。
寿司夫がいかにも弟的な青年で頼りなげで我儘で可愛らしい。兄弟の近親相姦というのは(ま、同性の場合もありましょうが)兄妹か姉弟となるわけで、兄妹の場合どうしても力関係が兄の方が大きいわけで力ずくといった想像をしてしまうものだけど(ちょうど昨日の新聞の悩み相談が兄から性的虐待を受けたという妹の問題だったが)姉弟というと何か弟が姉に甘え、姉が弟を甘やかしてしまうという温い関係が結ばれてしまう気がするのだ。
ここでも姉・安寿子は駄目だ駄目だと逆らおうとしつつも結局「弟のことを判るのは私だけ」などという母性のような考えから逃れられない。
弟・寿司夫もそれを知っているのだ。
墓参りのトンネルを通る時、彼らは安寿子の子宮の中に入っていくのか。そこで彼らは姉弟の秘密を知る。弟は絶望し姉は追いかけていく。
雪の中の花火の風景は美しくも怖ろしい。この世の風景ではないように思える。彼らはもう現実の世界にはいないのだろうか。
それともこの景色は彼らの未来を表しているのだろうか。足を取られ酷く歩きづらく冷たい深い雪の道を彼らは歩き続けなければならない。その上には美しい花火の喜びがあるのだとしても。

安寿子の懊悩は時に苛立ちを覚えるが姉を慕い続ける寿司夫の愛らしさはどうだろう。寿司夫の裸はそんな彼をそのままに表現している。

三浦友和が演じているのは映画ではよく天使だとか世捨て人みたいな達観した存在の人物なのだろうけどそれが課長さんだというのがおかしい。課長さんにしても寿司夫の養父と名乗る男性にしても寿司夫に言い寄る女の子にしてもちょっと現実離れした感じがする。むしろ安寿子と寿司夫の方が普通の人として描かれている。
大森南朋演じる一男は最も普通の人である。彼が安寿子のどこに惹かれているのかだけは理解しがたい気もするが。一男に対して酷く冷たく心を閉ざしてばかりいるわけだし。まあこういうミステリアスな女性に惹かれる男ということなのか。ナオさんはとても優しい二枚目な雰囲気なのに実に気の毒な役回りなのだ。

同性愛ものを観る時同様、近親ものというのも観る者の意識で評価は変わるだろう。
私的には同性愛ものと違ってあまり興味は感じない題材なのだが愛しあいたいのなら子供さえ持たなければどうにでもできるんじゃない?という感覚である。二人のことを知られていない場所に引っ越して。
どんな愛もすべて受容されるわけではないのだからそこくらい(子供と場所くらいは)我慢していいのではないかな。ここで安寿子がわざと子供を生もうとするのは逆に弟との縁を切りたいからなのであって、子供を(多分)堕胎したのは弟とつながっていこうとしたからと思える。
兄弟、姉妹関係ならどうぞご自由にである。後ろ指など怖くないならどの関係でもご自由に、だが、力関係が一方的なものはそりゃもう近親に限らず問題外だ。
あまり興味はない題材なのだがこの作品は演出の面白さやシリアスとおかしさが混じりあっている感じと弟の可愛さと作品の芝居がかった奇妙さが好きであった。ざらざらした画像も作品に合っている。

監督/脚本:七里圭 出演:梶原阿貴 塩田貞治 大森南朋 梓 細田玲菜 三浦友和
2003年日本


posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(1) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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