映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年08月31日

2008年度フェイユイ映画祭 授賞式

ブログ開始4年目『藍空放浪記』で2年目の最後の日であります。
さて恒例年に一度のフェイユイ映画賞授賞式を行いたいと思います。
いつものことですがほぼすべてDVD鑑賞のみで新旧作品取り混ぜての授与です。
そして再観のものは含みません(ここの性質上同じ作品ばかり選出することになってしまうので)

今年の特色ははっきり日本映画ということでしょうねえ。後半に入ってからなのですがもう思い切り日本映画ばかり見続けていますし、現在も進行中なので気分的にも日本映画に大きく傾いています。その前に少し音楽映画というのにも踏み込んだりしましたが。
これは自分で思った以上になかなかはまりきるのが難しかったですね。意外とないものなのですねえ、主人公が演奏している映画って。
今年後半に入ってからの日本映画への傾倒というのはモロに役者からのもので松山ケンイチ、新井浩文、大森南朋の3人への思い入れからですね。
そのせいもあって外国映画より日本映画にどうしても得点を入れてしまうのは仕方ないという上での選考になりました。
そういった視点での以下フェイユイ賞。

最優秀作品賞:『アイデン&ティティ』田口トモロヲ監督
一番がこれ?って気もするでしょうが自分のその時の波長というのもあり。
何と言っても今年の特徴は日本映画鑑賞で、自分の好みは大作よりも身近な世界を描いたものに傾いています。
年齢的にも世界的にも同調できて嫌いなヤクザや拳銃や麻薬などが登場することもなく音楽の世界をリアルでありながら幻想的に描いた、ということで文句なく最高点なのでした。
これの次点は『パンズ・ラビリンス』という気持ちなので作品の大きさからして申し訳ないのだが今年の気分のせいで点が余計入ってしまったということでしょう。

最優秀監督賞:ギレルモ・デル・トロ
はい。次点の(笑)『パンズ・ラビリンス』監督。他の映画『ヘル・ボーイ』『デビルズ・バックボーン』
も素晴らしかったです。どれも悪魔的なタイトルなのがいい(笑)
今年は日本映画監督を多く知ることが出来て廣木隆一、青山真治、山下敦弘、山田英治、五十嵐匠、と挙げたいのだがデル・トロ監督3作品がどれも素晴らしい世界を描いてみせてもらったことで感謝したい。

最優秀主演男優賞:松山ケンイチ『神童』その他
去年は「“この人”が主演だから、という理由では作品を選んでないのかもしれない」などと書いていました。今年はもう“この人”で映画を観続けましたね。特に後半の“松山ケンイチ”“新井浩文”“大森南朋”
特に松山ケンイチは彼が出ている、というだけで好みでもない映画を我慢して観続けたということでまさに主演賞なのであります。

最優秀主演女優賞:寺島しのぶ『ヴァイブレータ』
この賞はずっと日本女性でして今回も。でもこれは文句なしじゃないかな。『赤目四十八瀧心中未遂』でも素晴らしかった。
次点はクリスティーナ・リッチ『ブラック・スネーク・モーン』これも文句なし。

最優秀助演男優賞:大森南朋『殺し屋1』『ヴァイブレータ』
ほぼすべての出演作品であげたい。ぽっ。今現在の熱では彼を『ハゲタカ』『春眠り世田谷』で主演にしてもいいけど前にも書いたように主演でも助演みたいな雰囲気のナオさん。助演賞はぴったりではないでしょうか。

最優秀助演女優賞:さんざん考えたが思いつかない。

特別賞:『ブラック・スネーク・モーン』クレイグ・ブリュワー
特別ってわけじゃないが今たまたま頭が日本びいきになってしまってるのでしょうがないのだが
日本映画を除けば『パンズ・ラビリンス』に並んでこの映画。『ハッスル&クロウ』も加えたいくらいだけど今年知った監督でこのブリュワー氏も得がたい存在だった。


上記も含め特に好きな作品。順不同。再観も入っている。
『愛情物語』ジョージ・シドニー
『アイデン&ティティ』田口トモロヲ
『OUT』平山秀幸
『青い春』豊田利晃
『1 イチ』丹野雅仁
『インプリント ぼっけえきょうてえ』三池崇史
『大人は判ってくれない』フランソワ・トリュフォー
『花様年華』王家衛
『カラヴァッジオ』デレク・ジャーマン
『キッズ・リターン』北野武
『偶然にも最悪な少年』グ スーヨン
『ゲルマニウムの夜』大森立嗣
『殺し屋1』三池崇史
『ザ・コミットメンツ』アラン・パーカー
『サスペリア』ダリオ・アルジェント
『サルサ!』ジョイス・シャルマン・ブニュエル
『69 sixtynine』李相日
『修羅雪姫』藤田敏八
『すべての美しい馬』ビリー・ボブ・ソーントン
『血と骨』崔洋一
『デビルズ・バックボーン』ギレルモ・デル・トロ
『天国の口、終わりの楽園。』アルフォンソ・キュアロン
『ドッグ・バイト・ドッグ』ソイ・チェン
『ハッシュ!』橋口亮輔
『ハッスル&クロウ』クレイグ・ブリュワー
『曼谷愛情故事 Bangkok Love Story』ポット・アーノン
『パンズ・ラビリンス』ギレルモ・デル・トロ
『ヴァイブレータ』廣木隆一
『ブラザー・サン シスター・ムーン』フランコ・ゼフィレッリ
『ブラック・スネーク・モーン』クレイグ・ブリュワー
『ヘルボーイ』ギレルモ・デル・トロ
『松ヶ根乱射事件』山下淳弘
『真夜中の弥次さん喜多さん』宮藤官九郎
『ユメ十夜』
『EUREKA ユリイカ』青山真治
『リアリズムの宿』山下淳弘
『隣人13号』井上靖雄


以上、多く書きすぎですか。でも他でも好きな作品はまだあるのですが。

ドラマもいいのばかり観ていたのでどれもいいのですがコレ一つと言うなら『タイガー&ドラゴン』
松ケンの『セクシーボイス&ロボ』も大好きだけど。『ハゲタカ』も書いておきたいし。ああ、多い。


去年は女性監督について書いていたのだが『エコール』のルシール・アザリロヴィックのことを書き忘れていました。
今年はキャサリン・ハードウィック、ジョイス・シャルマン・ブニュエルという女性監督作品がよかったです。

ありがたい訪問者数は去年、少なくて160多くて220くらいだったけど今は少なくても300越え多いときは450くらいで見ていただいているのだから嬉しい。倍近くなったのです。ありがとうございます。

さて、明日から『藍空放浪記』5年目を迎えます。このまま相変わらずの更新を続けていけたら幸いです。
新作公開作品はまったくなしの映画感想ブログですが今後もどうぞよろしくお願いいたします。
ラベル:映画
posted by フェイユイ at 22:28| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『MONDAY マンデイ』SABU 

MONDAY.jpg

堤真一さんて最近凄い人気のようだが初めてじっくり観たかもしれない。もう殆ど彼のアップを追い続けたような映画であった。
ハンサムではあるけどそんなに目立たない優しげな顔立ちの彼が変なことばかりに出会ってしまううち、酒に酔ったことがたたって精神が破綻しとんでもない状況へと追い込まれてしまう。

なんだか懐かしい筒井康隆のSFを読み返しているようでもあり、デヴィッド・リンチをもっとコメディに仕立て上げたような仕上がりでもあった。
ホテルで目覚めた彼がどうしてここにいるのかを必死で思い出していく、という構成は歯切れもよくていいのだが、冒頭の通夜シーンのブロックと彼が危険な迷路にはまっていくブロック、そして警察との対決・説教ブロックが断裂しているようでもあり、特に塩見三省さんをいじめていた辺りまではせっかく面白くなっていたのに突如銃社会に対して意見をするのが彼の妄想シーンだったという落ちがわかったとしてもなんだか誤魔化されたようでがっかりしてしまった。
それでもなかなか楽しめる作品だったのではないだろうか。

堤真一は頼りなげな優しい表情から狂気に走る笑顔、シリアスな面も見せて演じてて凄く楽しそうである。
とにかく色んないい役者さんが立て続けに出てくるので面白くないわけがない、というのもある。
ナオさんは冒頭の通夜シーンで登場。いつものさりげない友人の1人てな感じを演じていた。9年も前の作品なので凄く可愛い。
後でお父さんの麿赤兒さんが怖い役で登場していたので驚いた。

監督:SABU 出演:堤真一 松雪泰子 大杉漣 西田尚美 大河内奈々子 塩見三省 安藤政信 寺島進 松重豊 根岸季衣 津田寛治 小島聖 麿赤兒 野田秀樹 山本亨 田口トモロヲ 堀部圭亮
1999年日本
ラベル:サイコ 大森南朋
posted by フェイユイ at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベネチア映画祭で「Inju」上映 源利華、石橋凌ら出演

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ベネチア映画祭で「Inju」上映 源利華、石橋凌ら出演

石橋凌が激白!女王様からSMプレイの指導を受けた「inju」上映【第65回ヴェネチア国際映画祭】


江戸川乱歩の小説「陰獣」をフランスのバーベッド・シュローダー監督が現代を舞台に描いたコンペティション作品『inju』
ですか。
今まで全然知りませんでした。
『陰獣』は乱歩の中でも特にエロティックですが。どんな映画になっているのでしょうか。
北野監督作品ともに気になりますねー。
posted by フェイユイ at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月30日

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 』再び

There Will Be Blood.bmp
There Will Be Blood

というわけで昨日『ジャイアンツ』を堪能して今回再び『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に挑んだのである。なにかそこに関連する発見があることを期待して。
んー、これが困ったことに2回目の方がよけいに感動しきれなかったんだよねー。昨日の『ジャイアンツ』があまりに判り易く且つ感動的だったせいか。資本主義の怪物の如きダニエル・プレインビューを眺めていても自分にぐさりと訴えてくる何かを感じ取ることができなかった。
筋書きや理屈だけは把握するとしても、映画として心に響いてこなかったのだ。

いつも男っぽい映画ばかり観てるのに言うのもなんだけどこの映画はどうしてここまで男ばかりなんだろうな。
『ジャイアンツ』というとジェームズ・ディーンとロック・ハドソンが話題になりがちなんだろうけど、実際にはエリザベス・テイラーの映画といってもいいし、ラズ1世、2世という女性たちも強い印象を残す。
ここで他の映画を褒めていてもしょうがないし、本作に女性が出てこないのが何故悪い、と言われても答え切れないが何故このダニエルにはまったく女性の姿がないんだろう。
だからこそダニエルは悪人だということになるんだろうか。つまりここでダニエルのラブストーリーなんかが入ったらつい同情してしまう。でなくともダニエルの母親、姉妹なんかのエピソードが入るとナンだ人間じゃないか、と彼の印象が可愛くなってしまうからなんだろうか。
『ジャイアンツ』のジェットもまた資本主義の権化となってしまう男だが彼に共感してしまうのは彼がいつまでもレズリー(エリザべス・テイラー)を愛し続けたことで彼女を慕い泣く姿は胸にせまってくる。
このダニエルは「人を好きになったことがない」というだけにまったく何もない。何もない男なのだ。一体何のために生きているんだろう。
イーライを殺したラストシーンで「終わった」と言うのだから彼の人生はあそこで終わったんだろうか。
『ジャイアンツ』のビックは負けることで勝ったのだが、ダニエルは勝つことで負けてしまったのだ。
あれ、書いてたら意外に『ジャイアンツ』との比較で面白くなってしまったじゃないか。困ったな。最初の文章また書き直すのも面倒だし。
あ、だからこうして理屈っぽく考えるにはいいけれど映画を観てる間のぐぐーっとくるようなじんわり感はなかった、ということなのだ。
確かにやぐらが火を噴いて燃えるのは凄いけど。
ラストシーンの対決は迫力ある、というより笑わせようとして大げさに演じていると思うのだがどうだろう。

アカデミー賞で『ノーカントリー』とこれとどちらが本当に賞に値するか、というのを誰でも考えてしまうのだが、私は文句なくそのまま『ノーカントリー』
それにしても、どちらも怖ろしい怪物を描いた作品ということになるのだな。
本当に怖いのはダニエルとシガーどっちなんだろうね。

監督:ポール・トーマス・アンダーソン 出演:ダニエル・デイ=ルイス ポール・ダノ キアラン・ハインズ ケビン・J・オコナー ディロン・フレイジャー
2007年アメリカ
ラベル:人間
posted by フェイユイ at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月29日

『ジャイアンツ』ジョージ・スティーブンス

ジャイアンツ.jpgジャイアンツ2.jpg
GIANT

何故突然これを観たのかというと、フランさんから『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 』と「テーマや背景が似ていると言われている」と聞いてそういえばこの名作をきちんと観ていないなあと思い出し急遽観たくなってしまったのだ。

名作、と聞くとどうもへそ曲がりに大して面白くないのでは、などと考えてしまうのだが、いやさすがにそんなことはまったくなくとんでもなく面白い作品だった。
200分という長時間があっという間に思えるほど展開も早いし演出もストレートに判りやすい。自分はどうも昔の映画と言うのは単純で類型的なものとたかをくくってしまいがちなのだがとんでもなく繊細で複雑に考えられたものでもあった。
絵のように美しいエリザベス・テイラー演じる上流家庭の娘レズリーは英国紳士との結婚をふいにして突然現れたテキサス男ビックと結婚してしまう。その潔さもアメリカ的で小気味いいがロック・ハドソン演じる超ハンサムで大牧場の持ち主ビックがに戻ると使用人であるメキシコ人に対し差別的な態度をとる辺りでこれはレズリーが男らしいが冷酷な夫に幻滅し牧童であるジェット・リンク(ジェームズ・ディーン)に心惹かれていく物語なのかと考えてしまったのだ。
ところがこれはそんな甘っちょろい不倫ものなんかじゃなくて最後までレズリーとビックの対立の物語だったとわかって凄く驚いてしまった。
ハリウッド女優のシンボルであるようなエリザベス・テイラーは昨今の流行からすれば美人過ぎるではあろうけどとにかく彼女が演じたレズリーが魅力的なのだ。
誰に対してもはっきりした物言いをして皆を驚かしはするが夫を深く敬愛しどんな時も明るい前向きな考えを持つ女性。
こんな明快な性格だったら人生有意義だろうなあと感心してしまう。メキシコ人や女性に対して差別的な意識を持つ夫やその仲間にはっきりと不満を述べて腹を立てた夫ビックに「でも私の性格はわかっていたでしょ。もう私からは逃れられないのよ」と笑ってみせる。なんて可愛くて素直なんだろう。こうなりたいと思うけどなかなかそれが難しい。
ビックもそんな自立した彼女にテキサス男らしく苛立つものの彼女を嫌いにはなれないのだなあ。
一度仲違いして実家に帰った妻レズリーを迎えに行くビック。ちょうどレズリーの妹の結婚式があっており、ここぱっと見た時レズリーが結婚しているように見えたんでしょうね。牧師さんの「病める時も健やかなる時も」の声が聞こえる中でビックに気づいたレズリーが振り返り二人がキスをする。そういえば二人の結婚式の場面はなかったわけで、ここで二人はもう離れないという誓いをたてた、ような演出になっていてなんとも素敵なのだった。

話は前後するがレズリーが美しい住み慣れた町からビックと共に風の吹きすさぶ荒涼としたテキサスの大平原に到着する場面は衝撃的である。
この美しい華やかな若い女性がこの荒れた土地に住むなんて。それからレズリーが体験していくテキサスの荒っぽい生活も暑さも観てるだけでうんざりするものだったがレズリーは牛の脳みそという衝撃な食べ物に失神した後、もう絶対負けたりしないと誓ってみごとなテキサス女性に変身していく過程はかっこよくて見惚れた。
ところでビックの姉ラズは一体物語にとってどういう意味をもたらしているんだろう。
私はレズリーのライバルのような存在でずっと対抗し続けるのかと思っていたらレズリーの黒馬に乗ってあっさり死んでしまう。
そして貧しいジェットに小さな土地を遺産として残す。ラズはジェットの唯一の理解者で彼に目をかけていたのだが、この遺産は果たしてジェットにとっていい遺産だったのか。確かに巨万の富を彼に渡すことになるのだが、一方その為にジェットは孤独のままの人生を送ることになる。とはいえそれがなくてもこの性格のジェットは孤独であったろうからせめて貧乏でなくなっただけでもラズの恩恵はあったというべきなのだろうか。

男女として愛し合い、人間的に互いを高めていくレズリーとビック夫妻の豊かな人生と比べジェットの人生は悲しい。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 』が似ているというのはこのジェットの人生なのだろうが、ずっと愛し慕い続けた人妻レズリーは絶対その手に抱くことは出来ない。多分彼にとってその身代わりとしか思えないレズリーの娘ラズへのプロポーズも受け取ってもらうことはできなかった。
普通の話としては貧しいが懸命に働き勉強もしている若くハンサムな牧童ジェットにこそ幸福が訪れ、家柄ばかりを気にしているビックは堕落するものとばかり思っていたのだが、この物語はまったく違っていたのが驚きだった。
そういう単純な成功物語みたいな話ではなかったのだ。
いや、ビック自身も何も成功していない。ひどく落ちぶれたわけではないが、彼の人生の目的であるベネディクト家に恥じない立派な後継者を残していくという理想は失われてしまった。
妻はとんでもないはねっかえりで自由で自立しておりテキサス男としては女房の手綱も取れない、と言われかねない。期待の長男は牧場を継がず医者になりビックが激しく差別意識を持つメキシコ女性と結婚する。彼の後継者は肌の黒いメキシコ系の孫になるのだ。
可愛がっていた娘夫婦もベネディクトのような大牧場は時代遅れと言って小さな牧場を持つと言い出す。末娘ラズはハリウッド女優になると言って家を出る。彼の元から子供達は飛び出し誰も思うようにならなかった。
ラズ、ビック、レズリーと長男の嫁であるメキシコ女性ホアナがレストランに入った時、店の主人がホアナと別のメキシコ人たちに侮蔑的な態度をとる。怒ったビックはその店の主人と殴りあう。
酷く落胆した夫にレズリーは言う「あの床に倒れていたあなたこそ本当の英雄よ」
差別的だったビックが変わったのは単に家柄の自尊心からくるものだったのか、それとも妻レズリーと長く連れ添う間に彼もまた変わっていったのだろうか。
同じくレズリーを愛し続けたジェットは何故変わらなかったのだろう。彼はレズリーの何を見ていたんだろう。表面の美しさだけだったのか。
彼女の素晴らしさが偏見を持たない優しさと強さにあることをジェットは理解できなかったんだろうか。
もしジェットもレズリーと共に暮らしていたのなら彼もホアナに酷い仕打ちをするような人間にはならなかったのかもしれない。
ジェットは勤勉さで富豪になり得たが深い愛情から生まれる優しさを手にすることはかなわなかった。

ジェームズ・ディーンがジェットを演じることでどうしても彼を憎むことは難しいが、石油を見つけたことを自慢した上、ビックを殴りつけ、規則を作って人種差別をし続け、暴力を振るうジェットを憐れみはするがどうしたって人間的魅力は感じられない。まさに『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエルと同じ人間なのだと思えてしまう。
それでもジミーが「俺はなんて惨めな男なんだ」と泣くシーンには涙が出てしまった。彼にもレズリーと同じ女性が連れ添っていてくれたなら、と思わずにはいられないが。それはまあ彼がビックと同じような寛大さでずっといたのかは判らないことなので(一緒にいたらいたでケンカ別れいたかもしれないし)
それにやっぱりジミーの演技は魅力的ではある。小さな土地をもらって青空の下で一所懸命歩数を計っているとこや風力計に登って自分の土地を見下ろしているとこはじんわりする。

この映画が『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と似ているということで見たのだが同時に『ノーカントリー』との関連も感じさせられた。
『ノーカントリー』では古きよきアメリカの美徳がなくなっていくのをベルが嘆くのだが、すでにレズリー・ビック夫妻はその嘆きを感じている。
『ノーカントリー』で(原作だけだったかもしれないが)「今のアメリカの親達は子供を育てず祖父母が育てている」というのがあったがレズリー・ビック家族もその通りで古い牧場が廃れ、油田という巨大な富を生み出す産業の為にジェットのような若者の精神が崩れ、またメキシコ人とアメリカ人の人種偏見、貧しい白人などを見ていると『ノーカントリー』で描かれていた問題ともつながっているように思える。
どれもアメリカ社会を批判した物語なのだからリンクしていくのは当然のことなのだろうが。

『ジャイアンツ』に戻るがレズリー夫妻の長男を演じているのが(フランさんも書かれていましたが)デニス・ホッパーだというのがなんともいえない。ここでは神経質な感じの医師志望の青年なのだがどうしても「悪」それもとんでもなく「悪」なイメージの方なので。
非常に若いのは当たり前だが、優等生の役でありながらその表情にただならぬ狂気を見てしまうのは気のせいか。

非常に面白く感銘を受けた作品だった。女性とメキシコ人への偏見に対する批判を強く訴えているのも注目されるだろう。
今でもアメリカ映画でのメキシコ人の描写というのはとんでもなく差別的なものだし、この作品は立派でも現実はなんだかあんまり進展していない気もする。

本作はレズリーとビック、男と女、ビックとジェット、北部と南部テキサス、親と子、アメリカ人とメキシコ人などという様々な対立を複雑に絡めながらしかも判りやすく描いたもので『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 』になるとこれのジェットにあたるダニエルの拝金主義とイーライの権力主義との対立に絞られていくのだろ。
この映画を観てからもう一度『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 』観るつもりなのだがどういう風に見方が変わるか、変わらないか。

日本語表記って英語で複数形なのを単数形でやたら表記するのだがコレは何故か逆に単数を複数形で表記。
でもだからと言ってこれを『ジャイアント』って書くほど徹底できない私だが。
ただ不思議です。

監督:ジョージ・スティーブンス 出演:ジェームス・ディーン エリザベス・テイラー ロック・ハドソン デニス・ホッパー マーセデス・マッケンブリッジ サル・ミネオ キャロル・ベイカー
1956年アメリカ
ラベル:家族 愛情 差別
posted by フェイユイ at 22:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月27日

『ノーカントリー』怪物礼賛

ノーカントリー2.jpgノーカントリー3.jpg
No Country For Old Men

先日この映画を観て感想を書いたものの自分でもなんだか中途半端な考えしか書けず作品に対して批判的なような褒めたようなあやふやな書き方で「絶対悪」として登場するシガーに同情し、彼に追われるルウェリンを非難してしまったので自分でも「この考えは正しかったのか。シガーは絶対悪であり、恐怖を感じるべき存在なのにまるで自分は勘違いしてるのではないのかな」と不安になってしまっていたのだった。

前回の記事でも書いたようにあの後大急ぎで原作小説をざっと斜め読みし(すみません、またじっくり読んでいくつもりです^^;)今日再び映画を観たのだが、前回書いた思いは煮えきれない半端な文章ながら自分なりには間違ってなかったと確信した。
原作小説と映画は同じ物語のようでいて全く違う。それは小説が現代アメリカの凶悪な犯罪を生みだす社会を憂えてその悪の化身をシュガー(小説での表記)という男によって具象化しているのに対し、映画ははっきりとシガーという殺人怪物に愛情というと間違いなら好奇の目を持って描いているからだ。
そう、そして私自身もどうしてもシガーが好きなのだ。むろんそれはシガーを演じたハビエル・バルデムのせいでもあるだろうが映画は役者が演じている以上その役者を好きになるのは仕方ないと思う。といっても私は今まで特にバルデムという役者さんを好きだったわけではない。バルデムが演じているシガーが好き、というだけである。そしてそんな風に思わせているのがコーエン兄弟監督のなせる業ではないか。
こういう言い方が果たして本当に映画の観方として正しいのかどうかは判らない。シガーという人間とは思えぬ冷酷な殺人鬼を見て好きになるなどとんでもないことで彼は世の中特にアメリカという国で起きている数々の怖ろしい殺人などの犯罪を具現化した姿なのだと思いながらもその人に魅力を感じてしまうということが間違っているのかもしれない。なら何故コーエン監督(複数形)は彼をこうも魅力的に映像化してしまったのか。彼を見てそのはかり知れない強さ、クールさに惹かれてしまうように何故描いてしまったのか。監督自身だってルウェリンやベルよりシガーのキャラクターに愛着があるに違いない。
私はどうしてシガーに惹かれるのか。それはシガーという「純粋悪の造形」とされるシガーが現代のフランケンシュタイン怪物のように見えてしまったからかもしれない。
フランケンシュタインの怪物もまた次々と殺人を犯してしまう。その怖ろしい異形は人を戦慄させる。その強さも人に嫌悪を感じさせてしまう。
が、フランケンシュタインの怪物はフランケンシュタイン博士の異常な欲望から生まれた産物でありシガーもまた世の中もしくはアメリカというフランケンシュタインから生まれた怪物なのではないだろうか。
上で述べているのはまあいつものことながら私の勝手な思い込み、戯言にしか過ぎないが心がない、と言われるフランケンシュタインの怪物とシガーに奇妙な重なりを覚えてしまったのかもしれない。
またシガーという名前は便宜上つけられている名前で本当の名前はわからないとも書かれていた。フランケンシュタインの怪物にも名前がないのでこうやっていちいちフランケンシュタインの怪物と書いていくのはかなり面倒である。小説や映画でも名前がないと不便なのでシガーという名前をあえてつけたような気がしてならない。

結局妄言戯言としか思えないことだけを書いてしまったのだが、この映画に対して私が感じたのはそういうことだと思う。
間違っているかもしれないが「純粋悪」としての存在であるシガーに私は惹かれる。
ただ傷つきながらも一人どこかへ消えていったシガーはフランケンシュタインの怪物のように誰もいない北の地へ行くのではなくそのままこの世界に姿を隠し再びどこから現れるか判らない。
映画の中のシガーはバルデムの凄まじいがその奥に深い悲しみがあるような造形が心に残って離れない。
最後彼が捕まったり殺されたりせずにどこかへ消えていったことにほっとしてはいけないのだろうなあ。「悪」なんだから。でもかっこいいし。ルウェリンなんてどうでもいいや。

原作は読んでみるとかなり驚きである。書かれていることは映画で表現されたこととほぼ同じなのに受ける印象は全く違うのだ。
ざっと読みの奴のいうことなのであてにならないがそれでも原作の印象はベルの思いがかなり強いものである。
シガーは文章であるから悪の造形としての印象がはっきりしている。つまり映画のように顔がないので悪のイコンとして把握しやすい。
映画ではシガーとルウェリンとの追いかけっこがほぼメインの話になっていてゾクゾクするサスペンスとして楽しめるが小説では現代アメリカにおける犯罪の凶悪さに対してのベルの嘆き・批判が強いメッセージとして書かれている。
しかしそうして見るならば今巷に単にアメリカの凶悪な犯罪をこれでもかと描いたものは数多くある。それらは異常に残虐で偏執的なものばかりだ。シガーの殺人というのは(許されるわけではないが)非常にあっけないもので性的なものでもないからそういう部分を期待してみる者にはどこが凶悪なのかむしろ伝わらないのかもしれない。
またそういうところで単純な悪のシガーに惹かれてしまったのかもしれないが。幼児ばかり狙ってだとか、拷問の末強姦して殺すとか、じっくり断末魔を楽しみながら殺すとかそういう流行の殺人鬼ではないのだ。
オールドスタイルの殺し屋かもしれない、と書くと、ん、それでは物語の主旨と噛みあわないことになってしまうぞ。弱ったね。

書いてるうちに思ったことだが、やはり年配の作者が作った話なので案外古めかしい作りの殺人者のシガーだった。フランケンシュタインの怪物のように悲しみを感じてしまうのだ。だが彼は死んでしまうことはないのだろう。
年老いた保安官ベルはもう自分に力が残っていないと感じながら破壊されていく社会を思っている。
そしてフランケンシュタインの怪物が父親からの愛を求めていたように彼も亡くなった父親のことを思い出すという最後にも奇妙なつながりを感じてしまう。

監督:ジョエル・コーエン イーサン・コーエン  出演:トミー・リー・ジョーンズ ハビエル・バルデム ジョシュ・ブローリン ウディ・ハレルソン ケリー・マクドナルド ギャレット・ディラハント テス・ハーパー
2007年アメリカ
ラベル:犯罪 愛情
posted by フェイユイ at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月26日

『マルティン・ベック Vol.1 ロゼアンナ』

マルティン・ベック.jpg
MARTIN BECK-THE STORY OF CRIME  Roseanna

昔、小説で読んだものだ。スウェーデンが舞台となっているだけにいつも読むアメリカやイギリスの警察モノとは一味違ったものがあった。
原作は1965年から始まっておりこのドラマは1993年とあるからどちらにしても古いものになる。
原作はさすがに細かく覚えてはいないがドラマではゲームをしたりする場面があるのでそこらはちょっと現代風にアレンジされたのだろう。

観光船が行きかう川べりで釣りをしていた幼い少女が川底をすくっていたショベルカーのショベルから人間の腕が飛び出しているのを目撃する、というショッキングな場面から始まる。

スウェーデンという土地柄なのか殆どカノ国のことを知らないのだが、こういったどぎつい映像やTV放送だと思うのに女性の全裸を映したものもある(例によってぼかしが入っているが自国では入っていないのではなかろうか?)特に性器が開いた足のほうから映っている(どうせぼかしで見えないが)箇所なんかはいいんだろうか。
反面物語の進行や警察の捜索、犯行などは割りにのんびりしていて不思議な感じがする。

女性がどうやら地元の人間でないと判断したマルティンたちはアメリカ警察に問い合わせをして情報を得る。その時捜査に関するアドヴァイスを受けたりなんだかこの殺人事件捜査もマルティンはじめ何人かで気長にやってる雰囲気で気ぜわしいアメリカや日本のに比べるとのんびりして見えちゃうのは単に制作費のせいなのか?
家庭に不和があるが温厚で知的なマルティンと頼りになるコルベリ、気取ったイタリア製スーツを巨体にまとったグンヴァルド・ラーソンなど。かつて読んだキャラクターの記憶が蘇ってくる。
若手警官スカッケに可愛い表情のニクラス・ユールストルムが当たっていてなかなか嬉しかった(ちょっとゲイっぽく見えてしまうのは気のせいか)
音楽もあまりかからず、捜査方法も不法侵入やおとり捜査といったものでこれでいいのか?とも思ってしまうが普段見慣れない雰囲気があって楽しめる。おとり捜査を依頼される女性警官はなんだか物凄いセクシー美人で犯人じゃなくても彼女のせいで犯罪者になってしまう危険性はないのか?
どうも頼りないスカッケ君がやっぱり気を抜いた瞬間に犯人を見失ってしまい、美人警官が怖ろしい目にあってしまう。ま、ドラマだからこの場面がないと盛り上がらないのだが、おとり捜査でこんな死にそうな目にあったら女性警官はたまったもんじゃないぞ。
流行のアメリカドラマはまったく観ていないがこういうオールドなドラマはなかなかいい。
あまり期待していなかったんだけど、これはちょっと楽しめるシリーズになりそうだ。

監督:ダニエル・アルフレッドソン/ハヨ・ギエス/ペレ・ベルルンド/ピーター・カイレヴィエ 
原作:マイ・シューヴァル/ペール・ヴァールー 
出演:ヨースタ・エックマン/キェル・ベルキヴィスト/ロルフ・ラスゴル/ニクラス・ユールストルム
1993年スウェーデン


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2008年08月25日

『渚のシンドバッド』橋口亮輔

渚のシンドバッド.jpg渚のシンドバッド2.jpg

昨日に引き続き橋口亮輔監督作品。そして昨日に引き続きというかそれ以上の瑞々しさに打たれてしまったのだった。

また何も知らずに観たので同級生の男子に恋している主人公の男の子、どこかで見たと思ったら岡田義徳さんだったのだね。凄く若い時から素晴らしい感受性を持った人なのだなあ。恋される同級生の男の子も素敵だったし、その友達の男の子もかわいくてとてもよかった。
何と言っても驚きなのは主人公の男子がゲイであると知りつつも(だからこそというべきか)好意を持って近づいてくるかなりぶっ飛んだ女子が浜崎あゆみだったことで正直彼女がこんなに役者としての才能があると知らなかったので物凄い衝撃だった。
この役は成長するとそのまま『ハッシュ!』でのぶっ飛んだ女性がゲイの二人の間に入り込み「赤ちゃんが欲しい」などと言い出す彼女と重なっていくのだが、このぶっ飛んだ性格を持つ女子がゲイの二人(ここでは片方はゲイじゃないが、ま、近い将来どうなるかはわかりませんけどね)の間をかき混ぜることでより強い関係にする或いは変化をもたらす、という重要な役を担っているのが面白い。
あくまでこの役は優等生の美人女子の方ではなくどこか性的な感覚を持つ破壊的な彼女でなくてはいけないのだねー。
それは監督自身の願望でもあるのだろうか。
とにかくこの女子はすんごくよかった。
ラスト主人公と片思いの彼が電車で帰っていくのも好きだった。

今まで観てなかった自分がいけないんだけど10年以上も前にこういうゲイの高校生の気持ちをきちんと描いた作品があってその作品がこんなにとても素晴らしい青春ものとして作られていることにも驚いた。
主人公だけではなくその思いを受ける男子や彼らを取り巻く少年少女たちの描写がとてもいい。
彼らの容姿も性格もとてもバランスのとれたもので演出もまた監督のセンスと技量の高さが感じられるのだ。

日本でもこんなにゲイの映画作品のいいのが作られているのだから、もっと生まれてもいいのに、と勝手ながら思ってしまう。

長崎が舞台なので自分としては風景が親しみやすい。みかん畑って南国な感じでよいですね。
そして本作も最後は水辺シーンだったなあ。

監督:橋口亮輔 出演:岡田義徳 草野康太 浜崎あゆみ 山口耕史 高田久実
1995年日本
ラベル:同性愛 青春
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2008年08月24日

『ハッシュ!』橋口亮輔

ハッシュ!.jpg

とても話題になったゲイの映画なので私なんぞはとっくの昔に観ていて当然だったのだが、「普通っぽいスタイルで女性が絡んできて赤ん坊を作る」という話だとどこかで読んでどうも「悪っぽい」話が好きな私はその時点で観る気が失せたのだった。
それがここに来て観ようと思ったのは同監督の最新作『ぐるりのこと。』に新井浩文さんが出演してるので突如興味を持ったこととこの前讀賣新聞に監督の記事が載っていたので「何かの縁」を感じて観ることに決めたのだった(長い前置きだなあ)

さてさて感想は。
さすが話題になったゲイの物語、ということで現代のごく普通の日本におけるゲイの若者らしい雰囲気を持った作品で惹きつけられた。
問題は愛し合っている彼らの間に入り込んできて「赤ちゃんが産みたい」と言い出す女性のキャラクターなんだろうなあ。
今まで色んなゲイの物語にこういう女性が一人絡んで来てゲイ2人に微妙な位置の女1人、というのを数多く観てきたものだ。
結局二人の男がゲイなのならもう一人くっついてる女性というのはどうも浮かばれない存在である上、ある意味邪魔だったりもする。
しかしここではゲイ男二人があまりに普通っぽい状況であるためか、何となく二人の間に「このままずっと続くんだろうか」みたいな空気があってそこに登場した性格破綻な女性の出産依頼によって却って彼らの繋がりが強まっていくのが見えてくる。
観る人によってはこの女性の異常性に反感を持ってしまいそうだがこういう女性だからゲイふたりのどちらも彼女に好意を持ちそうにもない安心感がある、と思うのはおかしいんだろうか。あまり同情もせずにすむしね。(いい女性だったら「こういう関係で可哀想」ってなるが彼女ならなんだかこういう関係になれただけでもラッキーじゃない?って思えるし)まあ、そういう女性を登場させること自体に反感を持ってしまったらしょうがないけどね。

ゲイの男達が女性とともに擬似家族を作る話と言えばマイケル・カニンガムの『この世の果ての家』と映画『イノセント・ラブ』を観て感銘を受けたが作られたのが本作の方が先でもあり、日本人だから当たり前かもしれないがもっとリアルに普通らしい感じがする、ということではこの作品のほうがもっと魅力的かもしれない。だからと言って『この世の果ての家』『イノセント・ラブ』にもまた別の魅力があるとは思うのだが。
そういえば今思ったけど小説『この世の果ての家』のラストシーンは水辺のシーンだった。
本作ではラストの一つ前のシーンになるが主人公の兄の死ということも重なって恋人達が(『この世』では3人の男になるが)水辺で心を通わせるという場面が入ってくるのも不思議な共通点である。
そして映画のラストシーンは『イノセント・ラブ』では外から家の中に入っていく二人のゲイの恋人達を観ている、という構図になっていた。
本作では引越ししてきた女性の部屋でゲイ二人と女性が温かい食事を囲み、女性が二人それぞれの子供を作るのと宣言する明るい最後で締めくくられる。このラストは立ちあがって拍手したくなるようなホントに素晴らしいものだった。

ゲイ二人。そろっていい男で観ててもうれしい。ゲイであることにきっぱりとして可愛い直也くんもよかったがいつまでもうじうじと悩み続ける勝裕を演じた田辺誠一さんがとてもステキだった。ほんと、朝子羨ましいぞ。

監督:橋口亮輔  出演:田辺誠一 高橋和也 片岡礼子 秋野暢子 冨士真奈美 光石研 斉藤洋介 深浦加奈子 つぐみ 沢木哲 岩松了 寺田農
2001年日本
ラベル:同性愛 出産 家族
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『ノーカントリー』ジョエル・コーエン イーサン・コーエン

ノーカントリー.jpg
No Country For Old Men

これは貧しい暮らしをしているルウェインが正体不明の不気味な異常性格殺人者シガーに執拗に追い詰められていく話、と言う事になるのだろうがよくあるように巻き込まれ型とか何の咎もないのに、というのではない、というとこが問題なのかもしれない。
どうしてもハンサムで一般的白人のルウェインに共鳴して観てしまうものだろうが元はといえば他人の金を何の関係もないのに盗んでしまったルウェインに原因があるのだ。どういう利害関係かはわからないが一応追っ手であるシガーはその金の持ち主(と思われる者の使い)なのだから返金するのが当然なわけで大金を盗んだルウェインがその咎を責められるのは間違いではないのだ。その持ち主が本当にそいつか判らんというのであれば警察に届けるのが筋というもので泥棒であるルウェインに同情する必要はないのだ。
しかもそのことで妻やその母親に危険が迫るのは承知でいるのだから義母がルウェインをけなすのは正解なのである。

一体なんでルウェインに同情しながら観てしまうのか。前に書いたが彼がハンサムなアメリカ白人だから。異様な風貌のスパニッシュやルウェインからピストルを奪われ水も与えられず見捨てられてしまうメキシコ人には同情しないのである。
ルウェインがメキシコまで逃げていくのでメキシコ人は巻き添えを食っていい迷惑なのだ。これだからアメリカ人は身勝手だと嫌われてしまっても知らんふりなのだ。
シガーは悪いがルウェインは良いのか。殺人者より泥棒は罪が軽いからというわけか。助けられる人間を見捨てはしたが。

シガーって一体何なのか。どうしてここまで心がないのか。腕から骨が飛び出してもまた病院にも行かず自分で治すのか。病院にいくこともできないのだろうか。
泥棒夫妻に同情してもシガーには同情する者はいない。
しかもルウェインは「シガーという名前だ」と言われているのに「シュガー」とわざと言い間違えたりする。こういうの一番むかつくけどシガー自身が悪者だから誰も可哀想には思わない。

保安官がこの一連の殺人劇に一度も絡むことがないことが彼ら国を守るべき者たちの力がもう及ばないことを表現しているのだろう。
最後に引退した保安官が今の彼より若くして死んだ父親の夢を語るところで終わる。
父親が先に行って雪山で火を焚いて彼を待っているのを知っている、と元保安官ベルは語る。その情景は死後の世界で彼を待つ父親の姿を思わせる。

などと書いて来たが、それでもこの追跡劇の面白さは確かに秀逸であったと思う。
映画を楽しみたかったので原作は読まずにいた。マッカーシーの『すべての美しい馬』もアメリカとメキシコを彷徨う悲しみに満ちた作品だった。映画化された作品は随分違う印象であった。
この映画は、というと未読なのでなんともいえないがかなり原作に忠実だということらしいのだが、それでも『すべての美しい馬』を考えるとそうなのかな、とも思えてくる。その辺は読んでみるしかないので是非読んでみたいと思っている。

監督:ジョエル・コーエン イーサン・コーエン  出演:トミー・リー・ジョーンズ ハビエル・バルデム ジョシュ・ブローリン ウディ・ハレルソン ケリー・マクドナルド ギャレット・ディラハント テス・ハーパー
2007年アメリカ
ラベル:犯罪
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2008年08月23日

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 』ポール・トーマス・アンダーソン

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド.jpg
There Will Be Blood

強欲な人間ってどうしてこう魅力的なんだろう。その上冷酷ときたら。自分は絶対そう呼ばれたくはないがそういう人間を見て「あんなのよりは自分がマシだ」と安堵できるからだろうか。
偽善に満ちた胡散臭い宗教家というのもまたしかり。これが誰にでも施しをする優しい実業家と真の愛に満ちた牧師の話ならこうまで興味は持てないはずだ。
冷酷で強欲な人間と欺瞞に満ちた神を語る人間の行く末が悲惨なものであるならなおいっそう溜飲がさがり幸せな気持ちとなる。

この映画の主人公は強欲冷酷に満ちた男として描かれている。とはいえ無論そういう男は今までにも何度となく物語に現れ人々の関心を強く惹いてきた。
強欲な主人公と言えば『クリスマスキャロル』のスクルージ爺さん。彼が実直な事務員家族をないがしろにするところで歯噛みをした後、怖い幽霊に恐ろしい体験をさせられるくだりはこの上なく面白い。
私が小説でも映画でも凄く面白かったのはやっぱり『血と骨』金俊平と本作のダニエル・プレインビューとどっちが強欲なんだろう(二人とも名前に「平」という意味が含まれているのは何故)
私は映画としては『血と骨』の方が断然好きだが、強欲ぶりとしてはこちらのダニエルの方が上のようだ。俊平は強欲、というより本能のままに生きている、といった感じだから妻以外にも女がいるし結構愛してるように見えたりもする。実の子供達には冷酷ながらもやはり子供だと見ているところもあるし、「本当の自分の息子」を産ませようという考えを持ったりもする(まあその辺がタイトルにつながるが)
本作のダニエルは女を愛すること自体ケチっている。H・Wと呼ぶ息子が実の子供ではないし、「女と遊ぼう」などと言いながら何もしていない様子からしてこの男、精液を出すことも渋っているのでは、と考えられる。女など金を使うだけだから無駄ということか。最後に彼に仕えていたのが女中ではなく執事だったというのも女をまったく寄せ付けてないのが伺える。女嫌いとはいえ、無論同性愛者ということではなく彼自身が言っているとおり誰も愛することのない男(まあ男とも言い難いが)だったんだろう。

彼の究極のライバルでありつつ彼の対極にありながら彼と同じように醜悪な存在として描かれるのが宗教家イーライ。
傍から見てる分にはダニエルよりこちらの方がよほど気持ち悪い存在なので二人の対決ではむしろダニエルの方を応援してしまうのは映画の見方として正しいのだろうか。
それにしてもイーライを演じているポール・ダノは『罪の王』でも行き過ぎた宗教家をやっていたのであれで経験を積んでいる分こちらでもその異常性を発揮できていたんじゃないかな。
それでも異常な神より金の方が最後に勝ってしまったというのが未来を予告しているのだろうか。

異常な神も強欲男も惨めな最後を迎えることで観る者はほっと安心する。
可哀想なH・Wが彼の実の子ではないとわかり彼の元を去っていくのもほっとする。
『血と骨』のように望んでもいないのに奴の実の子であるほうが惨めである。
ダニエルの偽の子供とイーライの妹が結婚して幸せに暮らしているというのは皮肉だが。

『血と骨』ほどまでには面白いと思わなかったのだがアメリカの資本主義と怪しい宗教(これはマス・メディアとか芸能界といったものを象徴してるのだろうか)の歴史を描いた映画としてよく作られたものには違いない。

監督:ポール・トーマス・アンダーソン 出演:ダニエル・デイ=ルイス ポール・ダノ キアラン・ハインズ ケビン・J・オコナー ディロン・フレイジャー
2007年アメリカ


ラベル:人間
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2008年08月21日

『Dolls ドールズ 』北野武

Dolls ドールズ.jpg

今まで北野武映画を少しだけ観てあまり好きになれない気がしていた。作品としては『キッズ・リターン』だけしか好きになれないのでは、と思い込んでいたのだが。
この映画には参ってしまった。『キッズ・リターン』との共通点は武監督が出ていないのとある二人の人間の強いつながりを描いていることかな。
そしてこの作品に描かれた愛は異常な愛というようにも見えるが本当は普通の当たり前の愛なんではないかとも思ってしまうのだった。

静かな作品で物語が淡々と進んでいくのだが、思いがけない展開になっていくので次どうなるのかと固唾を呑んで観続けていった。進行が早いのでこういう映画につきものの退屈さというのがなくはらはらどきどきしてしまった。しかもすでに最初から胸に落ちてくるようなものがあってタケちゃんの策略に負けて泣いたりするのはどうもな、と思いつつも涙が溢れあがってくるのを抑えられないのだ。

一体こういう愛はなんと呼ぶんだろう。この映画で3つの男女の愛が描かれていくのだが、一見「純愛」と呼ぶようでいてそういうものではない。3つの愛は別々だがどれもある形での約束があり、それを破られた時、女が「我」を張ってしまうのだ。
最も判り易いのはそのまま主旋律である佐和子と松本の話なんだろけど、結婚の約束をした松本が別の女性と結婚するために自分と別れたという理由で気が狂ってしまう。冷静な人間から「本当に彼を愛するなら迷惑をかけるようなことはしないのではないか」などと言われそうな行動なのである。まあ狂ってしまうのは行動ではないのかもしれないが彼への当て付けにそうなったように見えてもしまう。しかも彼のほうもそんな彼女の姿を見ておたおたと動揺し、愛する両親の苦悩も考えず自らも狂ってしまう。世の中の秩序だとか基本だとかを逸脱している困った二人なのだ。
佐和子と松本は気がふれたままお互いを赤い捩れたひものようなもので結び合いあちこちをさまよい歩く。
互いの幸せを目的にして計画的に愛を発展させ家庭を築きあげるのが本当の愛なら彼らの愛は愛じゃないのだろう。それなのに何もかも失ってしまいいくあてもない二人のそれは愛だけではないのかと思ってしまうのだ。
佐和子が狂った時、それだけが彼との愛を閉じ込めていける唯一つの行動だったのだろう。

ヤクザの親分と恋仲だった女性の姿もまた意地を張り通した、としか思えない。誰からも笑われてしまうような馬鹿な意地だ。でもそうすることでしか生きていけないのならどうすることもできないではないか。

アイドルとその追っかけの場合は男の方のくだらない意地か。顔に酷い怪我をしてしまったアイドルのその姿を見ないために目を切り裂いてしまうなどとまた大馬鹿としかいえないが彼にとってはそういうことでしか愛を表現できなかったわけで。
恋人でもない自分の勝手な思い込みの女の為に大切なものを失ってしまうこの男に反感や嫌悪感を持つ人がいても仕方ないのかもしれない。

ここに描かれたのはどれも皆が望むような理知的で包容力のある建設的な愛じゃない。
どうしようもなく馬鹿でくだらない自分勝手で計画性もない愛だ。そんな愛は愛じゃないというならそれはそれで仕方ないだろう。
彼らは別にこれが愛だと言っているわけじゃないのだし。
人が人を愛する時、それが誰の為だとか何の為だとかすべて計算して愛するわけでもない。
人から笑われ蔑まれているかもしれない。坂道を転げ落ちて木の枝にぶら下がってしまうのかもしれない。
でも捻じれたひもで結ばれて二人がとぼとぼとあてもなく歩き続けているさまはなんだかどこにでもいる普通の夫婦の姿でもあるように思えるのだ。
ここに描かれたのは特別な異常な愛ではなくみんなこういう独りよがりの愛を持ち、人からは「あーすればいいのにねえ」と言われるような生活を送ってるのではないだろうか。
みんながそうだと言うのがいけないのなら、佐和子と松本の姿がまるで自分と我が相棒の姿のように思えて私はならないのだった。
つながり乞食、それが夫婦の姿なんだよね。

監督:北野武 出演:菅野美穂 西島秀俊 三橋達也 松原智恵子 大杉漣 深田恭子
2002年日本

ちょうど昨日ヤクザがでてくる映画は嫌だ、と書いたばかりでちょうどいいが、この映画で扱われているヤクザ、アイドル、政略(?)結婚などどれも嫌いなものばかりなのにここでの使い方はそういう「嫌い」など吹き飛んでしまう。
今まで北野武監督とは(『キッズリターン』以外)合わないと思いこんでいたけど、この作品の出来栄えには、何も言えない。
素晴らしい演出力を持った映画だと思う。

あ、すみません。大森さん(笑)
松本の友達役で笑顔が可愛かったです^^;
冒頭から出ていたし、昨日の映画と違って映像がクリアだったのではっきり判ってよかった。
それでもってナオさん目的でこの映画を観れたのは本当に収穫だった。ナオさんが出てなかったら観なかったしね。
一気に武ファンになってしまった。いい映画だ。
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2008年08月20日

『復讐 THE REVENGE 消えない傷痕』黒沢清

復讐.jpg

探した〜。ナオさんどこにいるのか全然わかんなくて。とにかく哀川翔兄貴以外は皆あんまり顔がよく見えないんだよね。ましてや脇のナオさんあたりになるともうボケボケになってしまってて。多分赤いスカジャンの若い奴だと思うんだけど、どうだろうか。

さて作品自体に関しては。何度となく挑戦し続けている黒沢清なのだが『CURE』以外はどうもしっくり来ることがなくて、今回もまたそうだった。ヤクザ、ヤミ金融、拳銃、復讐などといった題材自体が興味をそそらないというのもあるがかといってそういう題材でも関係なく面白いものもあるのだから基本的にこの作者とそりが合わないのだろうとしかいえない。
冒頭の発砲シーンを始め、幾つも工夫を凝らした演出があることも哀川翔や彼と奇妙にも親密なヤクザに面白さがあるのも判りはするが胸に落ちてくる感じがしないのは単に好みの問題だと思う。
作品時間の短さや制作費が低そうな感じなのはむしろ好きなのだが。

比較的好きになった『CURE』でもそうなんだが黒沢映画の警察もヤクザもどうも好きになれない。なんか意味わかんないけど、妙な反発を感じてしまうのだ。
もしかしたら好きになってしまうことがあるのかもと思いつつ、暫く葉離れていた黒沢作品、ナオさんが出てたので久し振りに観たがどうしてもなんか奇妙な反発を覚えるのは心から嫌いなのか、どこかで惹かれているのか。今のところはまだまた作品を追い続けてみようという気になれない。
それにしても女の描写はあんまりだ。酷すぎるよどれも。

肝腎のナオさん^^;本当にこのスカジャンチンピラ青年なのかなー?いまいち自信がないので、っていうかどれにしたって(顔がはっきりわかる人の中にはいないと思う)コメントしようもないが。
この彼なら随分若いなあ。
好きな作品ではないがそれでも若い時からナオさんは充実した作品に出演しているものだと感心してしまう。脇役が多いけどナオさんの作品は確実に「観れる映画」だというのは追っている者には嬉しいことだ。

監督:黒沢清 出演: 哀川翔 菅田俊 小林千賀子 井田國彦 しみず霧子 諏訪太朗 逗子とんぼ 大杉漣 大森南朋
1997年日本
ラベル:大森南朋
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蜷川妄想劇場  大森南朋「放浪記」

蜷川妄想劇場 ~.jpg

以前、松山ケンイチ君で取り上げた『蜷川妄想劇場』ですが今回は大森南朋さんで。
ていうか松ケン目的で購入した時はナオさんのとこは素通りで^^;すみません。

何しろコレには小栗旬もあるし、妻夫木もいるしね。若手美男が勢ぞろいなんでナオさんはなんだか一人おじさんで(笑)
しかも最後の服装が次の大泉洋とつながっててまぎらわしいし。
なんだかわざとあえておじさん的に撮ったとしか思えないし(笑)
結構蜷川さんの写真って松ケンのにしても「?」なんですよねー。その辺がいいのか???
でも嬉しいのは大森南朋のタイトルが「放浪記」なの!多分「麻雀」だからなんだけどね(笑)

でもすてき。男の魅力ですわ。色っぽいなーハイライト。
ラベル:大森南朋 写真集
posted by フェイユイ at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月19日

『忘れられぬ人々』篠崎誠

忘れられぬ人々.jpg

最近特に色んな映画を観てるわけだがそれでもこんなに「えっ」と驚いてしまった展開もないんじゃなかろうか。
大森南朋出演というだけで観始めたので殆ど予備知識はなかったのだが、それでも説明に「元戦友同士の」「感動作」だのという文字が見えたのでちょうど8月という季節も相まって感動の準備をしたのであった。
出だしはその通り、兵士たちの壮絶な戦場場面が映し出され、50年の時を経てかつての若き兵士たちが老人となった姿がよろよろと動く様子が描かれていく。そしてそこに戦場で死なせてしまった若い朝鮮人の孫娘が彼らの前に現れて祖父の最後を聞くのだった。
さてどんな風に涙を誘われるのかと思っていたらこの辺から雲行きがおかしくなっていく。
様々に苦労を重ねて生きてきた年老いた彼らに悪徳商法の会社員たちが近づいてくるのだ。
最初はこれはどういう展開なんだ???と理解できずにいたら品のいいおばあちゃんの花活けの師匠の家に隠しカメラを仕掛け戦争時の苦い体験を元にして霊感商法をやりだした。また重病に苦しむ妻を持つ年老いた旦那にも薬や仏像を数千万を吹っ掛けているのだ。
そしてその会社にあの孫娘の恋人が入社してしまう。
悲しい話というにはあまりに無残な話だと苛立ちながら観ていたら、最後に老兵士たちは立ち上がって威張り腐った悪徳商法の面々をぶったぎっちゃうのだ。

!!!!!!!!!

なんという!!彼らは可哀想なご老人たちじゃなかった。

愛する者を守るため、悪をぶった切る「男」たちだった。

助けて。とどこかに電話するわけでもなく、泣き寝入りするわけじゃない。
可愛がっていたアメリカ軍人の子供に大事なハーモニカを残して戦いに挑む戦士だったのだ。

腐った奴らには容赦しねえ。
殺人を犯したらいけない?もう彼らには怖れるものはないしね。
彼が一度極道に入ってた、という伏線もあるんだろうが。
そういや奴らも「本当の善は」どうだとかゴタクを並べていたっけ。
本当の善に殺されたんだ。文句はないだろうなあ。

あまりの破格の展開にぶっ飛んでしまった。
こんなに驚いたのもない。

「いやなことばかりの戦争だったがお前達に会えたのだけはよかった」
かっこいい。
なんてことばじゃかっこ悪いけど。
かっこよかった。
じいさんと思ってなめるなよ。

監督:篠崎誠 出演: 三橋達也 大木実 青木富夫 内海桂子 風見章子 真田麻垂美 遠藤雅 大森南朋 中村育二
2000年日本

あ、大森南朋さん。悪人だった(笑)
だから感動物語だと思ってたんでてっきり人のいい若者みたいな役かと。
こういう屈折した人の役もうまいです。本当にいそうで。
どういうとこにいてもすーっと馴染んでしまう。そんな人ですね。





ラベル:大森南朋 友情
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2008年08月18日

『さくらん』蜷川実花

さくらん.jpg

ナオさん、出てるって知らなければ絶対見落としてた。「俺だあ」のシーンの時は気づかずに^^;後のお酒飲んでるシーンで見つけた。「俺だあ」もやってるようだと後で気づいて慌てて戻った。物凄く短い大森南朋の「俺だあ」とお酒飲む数秒の為に鑑賞。

それがなければ多分観なかっただろうなあ。女性写真家・蜷川実花の初映画監督作品というので花魁もので主演が土屋アンナということで大体想像がつくような、という気がしたし、事実予想を裏切らない仕上がりだった。つまり非常に色彩豊かでスタイリッシュでありそうつまらなくもないが衝撃を受けるような展開もなく女性の目から見た花魁の世界というものが想像つく範囲内で美しく描かれていた。

五社英雄『吉原炎上』を観ていたならまずあれを思い重ねてしまうだろうよく似た筋立てなのである。まあまあ女郎の話というならこういうもの、というかもしれないがそれにしたって『吉原炎上』にそっくりなのだ。先輩花魁のイジメだとか、若旦那に恋してしまうくだりとか、妊娠、花魁道中とか。まあどうしても描かざるを得ない題材かもしれないので目をつぶるとしても比較すればあちらの方がいかにも上手い手練手管なので後だしの方が分が悪い。
あれと比較せずにこれはこれで現代風の女の遊びと思えばいいのかもしれないがそれにしても惹きつけられるものというか落ちてくるものがないのだなあ。
じっと観てると土屋アンナとライバルである木村佳乃が綺麗に見えてこないのも困ってしまう。私は男ではないので自信はないが男がどっと引き寄せられ狂ってしまうようなエロティシズムは二人に感じられない気がするのだが。女向け花魁だからこれでいいということなのか。
相手役の男優達がそろって上手いので彼女達がいい女であるように思わせられたというのではないだろうか。
特に土屋アンナの台詞仕草一つ一つを見つめ続けているわけでぞくりとするような花魁の色っぽさ艶っぽさというのを彼女から感じているのは難しかった。
むしろ冒頭だけ出演の菅野美穂がとてもよくて彼女でずっと観たかった気がする。
本物らしさにこだわらないカラフルで現代風の調度品なんかも嫌いじゃないんだけど明るすぎて毒がなく自分の好みとしては吉原というか遊郭の怖ろしくて何かが潜んでいるような影の部分、美しい地獄というようなイメージがないのはやはり欲求不満になってしまう。これより三池崇史監督の『ぼっけえきょうてえ』の方がやっぱり好み(この台詞この前も書いたな^^;)
一番よかったのは安藤政信であの大きな目のうるうる感がきよ葉をずっと見つめ続けている感じがあってちょっとじんわり。これもホントの好みを言うとこんなハンサムじゃなくてブサイク男だったほうがもっとよかったんだけど^^;でもまあ目の保養としては安藤政信さんの美貌を見てるのはいいのだけどね。正直土屋アンナよりよっぽど色っぽいんで彼が花魁っていうのは無理だが陰間だという話ならいいのに、とアホなことを考えてた。

映像だけ観て楽しめばいいという考え方をしたくてもそれでもも少し毒のある蠢く遊郭がいいのだよなあ。

監督:蜷川実花 出演:土屋アンナ 椎名桔平 成宮寛貴 木村佳乃 菅野美穂 大森南朋
2007年日本
ラベル:大森南朋 遊郭
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