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2008年08月27日

『ノーカントリー』怪物礼賛

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No Country For Old Men

先日この映画を観て感想を書いたものの自分でもなんだか中途半端な考えしか書けず作品に対して批判的なような褒めたようなあやふやな書き方で「絶対悪」として登場するシガーに同情し、彼に追われるルウェリンを非難してしまったので自分でも「この考えは正しかったのか。シガーは絶対悪であり、恐怖を感じるべき存在なのにまるで自分は勘違いしてるのではないのかな」と不安になってしまっていたのだった。

前回の記事でも書いたようにあの後大急ぎで原作小説をざっと斜め読みし(すみません、またじっくり読んでいくつもりです^^;)今日再び映画を観たのだが、前回書いた思いは煮えきれない半端な文章ながら自分なりには間違ってなかったと確信した。
原作小説と映画は同じ物語のようでいて全く違う。それは小説が現代アメリカの凶悪な犯罪を生みだす社会を憂えてその悪の化身をシュガー(小説での表記)という男によって具象化しているのに対し、映画ははっきりとシガーという殺人怪物に愛情というと間違いなら好奇の目を持って描いているからだ。
そう、そして私自身もどうしてもシガーが好きなのだ。むろんそれはシガーを演じたハビエル・バルデムのせいでもあるだろうが映画は役者が演じている以上その役者を好きになるのは仕方ないと思う。といっても私は今まで特にバルデムという役者さんを好きだったわけではない。バルデムが演じているシガーが好き、というだけである。そしてそんな風に思わせているのがコーエン兄弟監督のなせる業ではないか。
こういう言い方が果たして本当に映画の観方として正しいのかどうかは判らない。シガーという人間とは思えぬ冷酷な殺人鬼を見て好きになるなどとんでもないことで彼は世の中特にアメリカという国で起きている数々の怖ろしい殺人などの犯罪を具現化した姿なのだと思いながらもその人に魅力を感じてしまうということが間違っているのかもしれない。なら何故コーエン監督(複数形)は彼をこうも魅力的に映像化してしまったのか。彼を見てそのはかり知れない強さ、クールさに惹かれてしまうように何故描いてしまったのか。監督自身だってルウェリンやベルよりシガーのキャラクターに愛着があるに違いない。
私はどうしてシガーに惹かれるのか。それはシガーという「純粋悪の造形」とされるシガーが現代のフランケンシュタイン怪物のように見えてしまったからかもしれない。
フランケンシュタインの怪物もまた次々と殺人を犯してしまう。その怖ろしい異形は人を戦慄させる。その強さも人に嫌悪を感じさせてしまう。
が、フランケンシュタインの怪物はフランケンシュタイン博士の異常な欲望から生まれた産物でありシガーもまた世の中もしくはアメリカというフランケンシュタインから生まれた怪物なのではないだろうか。
上で述べているのはまあいつものことながら私の勝手な思い込み、戯言にしか過ぎないが心がない、と言われるフランケンシュタインの怪物とシガーに奇妙な重なりを覚えてしまったのかもしれない。
またシガーという名前は便宜上つけられている名前で本当の名前はわからないとも書かれていた。フランケンシュタインの怪物にも名前がないのでこうやっていちいちフランケンシュタインの怪物と書いていくのはかなり面倒である。小説や映画でも名前がないと不便なのでシガーという名前をあえてつけたような気がしてならない。

結局妄言戯言としか思えないことだけを書いてしまったのだが、この映画に対して私が感じたのはそういうことだと思う。
間違っているかもしれないが「純粋悪」としての存在であるシガーに私は惹かれる。
ただ傷つきながらも一人どこかへ消えていったシガーはフランケンシュタインの怪物のように誰もいない北の地へ行くのではなくそのままこの世界に姿を隠し再びどこから現れるか判らない。
映画の中のシガーはバルデムの凄まじいがその奥に深い悲しみがあるような造形が心に残って離れない。
最後彼が捕まったり殺されたりせずにどこかへ消えていったことにほっとしてはいけないのだろうなあ。「悪」なんだから。でもかっこいいし。ルウェリンなんてどうでもいいや。

原作は読んでみるとかなり驚きである。書かれていることは映画で表現されたこととほぼ同じなのに受ける印象は全く違うのだ。
ざっと読みの奴のいうことなのであてにならないがそれでも原作の印象はベルの思いがかなり強いものである。
シガーは文章であるから悪の造形としての印象がはっきりしている。つまり映画のように顔がないので悪のイコンとして把握しやすい。
映画ではシガーとルウェリンとの追いかけっこがほぼメインの話になっていてゾクゾクするサスペンスとして楽しめるが小説では現代アメリカにおける犯罪の凶悪さに対してのベルの嘆き・批判が強いメッセージとして書かれている。
しかしそうして見るならば今巷に単にアメリカの凶悪な犯罪をこれでもかと描いたものは数多くある。それらは異常に残虐で偏執的なものばかりだ。シガーの殺人というのは(許されるわけではないが)非常にあっけないもので性的なものでもないからそういう部分を期待してみる者にはどこが凶悪なのかむしろ伝わらないのかもしれない。
またそういうところで単純な悪のシガーに惹かれてしまったのかもしれないが。幼児ばかり狙ってだとか、拷問の末強姦して殺すとか、じっくり断末魔を楽しみながら殺すとかそういう流行の殺人鬼ではないのだ。
オールドスタイルの殺し屋かもしれない、と書くと、ん、それでは物語の主旨と噛みあわないことになってしまうぞ。弱ったね。

書いてるうちに思ったことだが、やはり年配の作者が作った話なので案外古めかしい作りの殺人者のシガーだった。フランケンシュタインの怪物のように悲しみを感じてしまうのだ。だが彼は死んでしまうことはないのだろう。
年老いた保安官ベルはもう自分に力が残っていないと感じながら破壊されていく社会を思っている。
そしてフランケンシュタインの怪物が父親からの愛を求めていたように彼も亡くなった父親のことを思い出すという最後にも奇妙なつながりを感じてしまう。

監督:ジョエル・コーエン イーサン・コーエン  出演:トミー・リー・ジョーンズ ハビエル・バルデム ジョシュ・ブローリン ウディ・ハレルソン ケリー・マクドナルド ギャレット・ディラハント テス・ハーパー
2007年アメリカ


ラベル:犯罪 愛情
posted by フェイユイ at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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