映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年10月31日

『俺たちフィギュアスケーター』ウィル・スペック/ジョシュ・ゴードン

blades-of-glory.jpg
BLADES OF GLORY

久し振りにがはがは笑って観てしまった。噂どおりとんでもないお馬鹿映画には違いないのだが、結構ふんふんうなづけるところもあって私みたいな中途半端なフィギュアファンじゃなく詳しい方ならもっと笑ったり感心したりするのかもしれない。

冒頭から小さな男の子がとんでもないジャンプをしたりとびっくりさせてくれる。何となくノリはチャウ・シンチー『少林サッカー』みたい。最後飛んでいくとこは『カンフーハッスル』みたいだし。
まずウィル・フェレル=チャズがフィギュア選手としては老けすぎだし太ってるしで大笑い。そんな体でフィギュアはないだろう。いくら特撮しても普段のダンスからして全然体動いてないし。またジョン・へダー=ジミーの一見イケメン選手というのもウームと唸ってしまう。たしかにフィギュアの「かっこいい〜」と騒がれてる男子選手でまじで見つめたらこんな感じだったりもする(ごめん)すべてはフィギュアスケートという魔法が彼を美しく見せてしまってるのだよねー。しかもジミーの衣装が孔雀!お尻から羽根が生えているし!これってあの可愛い顔のジョン・ウィアー選手の白鳥の手袋のパロディですな。馬鹿にしてるなーぷんぷん!清純そうなとこもイメージある。一方のチャズみたいなフェロモン男もフィギュア男子いますよねー。女性観客がキャーキャー言ってますからねー。観客とキスしたりもしてますねー。それをいちいちコメントするアナウンサー+解説のおじさんコンビの話し方もおかしくて「そうそうこういう感じ」とまたくすくす。
さて必殺技の「鉄の蓮(アイアン・ロータス)」(なんのこっちゃ。あの世っぽい名前だなあ)二人のコーチがオリンピックコーチになる為編み出した必殺技なのだがあまりの危険性にアメリカフィギュア界から禁止されノース・コリアの選手にコーチしたところなんと首を切り落としてしまったという怖ろしい映像が挿入される。ここんとこあまりに生々しくてギャグ映画なのに身の毛がよだってしまったよ。(ついこの前、関東軍の残虐行為を観たばかりだったし)チャウ・シンチーもここまではやんないんじゃないか(やってたらごめん)ふざけたお笑い必殺技だが実際のフィギュアスケートでもパートナーをスケート靴のエッジで傷つけて重傷を負わせてしまったという話はある。映画の中ではあり得ないほどの技になってるとはいえ、ペアの技は殆ど近いことをやってると思うしね。女性の手と脚を持ってぐるぐる回したり、物凄いスピードでわけわかんないくらいのリフト技とかデス・スパイラルってそのまんまの名前だし。選手だったらほんとにこのくらいの危険を感じていたりしないんだろうか。

生命に関わる技なのにここら辺から二人の関係が変化していく。
互いを馬鹿にし乱闘した為に男子シングルから永久追放されたチャズとジミーが最初はくだらないと思っていた「男子ペア」を演じることに真剣になり互いを思いやるようになっていくのだ。
ギャグ映画とはいえ懸命に練習し互いを認め合っていく二人の姿にじーんとしてしまうのだ(こういう物語って弱くてすぐ感動してしまう)
二人の繰り出す技の数々はどれもホモホモな感じで笑ってしまうんだが、男女ペアってホントにこういうセクシーなポーズをやってるわけです。

他にも仔細に考えると色んなものがてんこ盛りで描かれているわけなんだけど、才能がないと見切るや養子縁組を切ってしまう養父だとか、両親の事故死を妹のせいにしてこき使う兄姉だとか、日本語でインタビューする日本人記者に冷たくするチャズに反して日本語で答えるジミーだとか日本人ペア選手の名前が「スグリ・トミタ」になってるとか(スグリは勿論村主章枝さんだけどトミタ?体操の冨田洋之?)ジミーを付け狙うストーカー男だとか(このストーカー男がジミーの復帰を応援するのがおかしい。やっぱり有名人だからこそストーカーしたいわけである)ジミーがキスが上手くなってたのを彼女が「練習したの」と聞いたらチャズに教えてもらったとか(ゲイじゃないと見せかけて見えないとこで何かあったわけだ^^;想像したくもないけど)チャズの刺青の一つがミシェル・クワンとの愛の証だとか。チャズの大切なヘアブラシが禁止されているクジラの骨をつかってるんだとか(どういう意味?)
なんだかもう小ネタがあちこちに散らばっていて全部はとても書ききれないが、ぐふぐふ笑いながらあっという間に観終わった。
比較しなくてもいいが『少林サッカー』まではいかないまでも非常に楽しめた作品だった。

監督:ウィル・スペック/ジョシュ・ゴードン  出演: ウィル・フェレル ジョン・ヘダー ウィル・アーネット エイミー・ポーラー クレイグ・T・ネルソン
2007年アメリカ
タグ:コメディ
posted by フェイユイ at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月30日

『魔杰座』来る!

魔杰座c.jpg

やっとやっとついに『魔杰座』届きました(T_T)
おまけがついてたんで遅くなったみたいなんですが、ルービックキューブとトランプです。どちらも黒を基調にジェイが印刷されております。苦手なルービックキューブもジェイを並べる為にがんばるぞ^^;(うそ)
トランプは一見普通の台湾製トランプかと思いきやJのマークがつくカードつまりジャックとジョーカーにジェイがおりましてなるほど〜という楽しさです。かっこつけたジャックのジェイもいいですがうなだれて立ってるジョーカーのジェイがかわいいぞ。カードの背中は全部ジェイが写ってますけどね。星型の泣きほくろがすてきです。
またこれが紙製のケースに入ってまして、そこに写ってるマジシャンジェイもいかしてます。

さてさて肝腎のCD+DVDはこれもなんつーの缶ケースに入ってまして未来のような古代のような不思議なデザインでありますね。
とりあえずDVDを一回観まして、もうすっかりジェイ・チョウ監督板についてます。
一時期MVがよくなかった時期があったんですがジェイになってからは文句なしにすばらしいですね。
『稲香』いつものことなんですがジェイの好みは最先端みたいなんじゃなくて昔っぽいというか郷愁が強く現れたものが多くてそれがまたとても上手いですよねえ。台湾ということもあって空気感がなんとなく自分のいる九州の感じに似てるような気がしてますます自分も幼い日に田舎で遊んだことを思い出してしまいます。水田の風景だとかその上を吹き抜ける風の感じだとか暑い雰囲気だとかがもう懐かしさでいっぱいになります。
ご飯を食べてるとこや家の感じなんかが日本的にも見えるし中国的でもある台湾独特の光景があるのでしょう。

CDもやっと一度聞きとおしたところですが、いかにもジェイらしい音楽なんですが、いいですねー。
最初の「龍戦騎士」ずっとやってる方文山+ジェイ路線。これが表紙のイメージでしょうか。
「魔術先生」前回の「牛仔很忙」の流れを汲むような楽しい楽曲。そして「説好的幸福ne」歌詞がかっこいい。「蘭亭序」これもいつも一つは入る中国風です。

全体にやっぱり大人っぽくなってきた感じはしますがそれでもいつまでも少年らしいのがジェイのテイストでそこがまた好きなのですが。

さてさて皆様には遅れながらも明日からびっしり聞いていこうと思っております。
posted by フェイユイ at 23:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月29日

『ゴーン・ベイビー・ゴーン』ベン・アフレック

gone-baby-gone.jpgGone Baby Gone2.gif
Gone Baby Gone

以前ベン・アフレック初監督、弟ケイシー・アフレック主演映画!と紹介していたのにいつの間にかDVDになっていて気づかず、今頃になって鑑賞。日本では劇場公開もされなかったということでナンだか注目度低いなあ。アフレック兄弟では騒がれないのかねー。

で、観ました。
いやア、ベン・アフレック、堂々たる監督振りですね。ソツがない、というのか初とは思えない立派な仕事ではないでしょうか。
テーマもくっきり見えているし、物語の運びも判りやすく、退屈させず、配役も決まっている(自ら主演じゃなくケイシーでよかった^^;)
ただ、自分の好みとしてはあまりに教育的過ぎて学校の映画でも観てるような気になってしまうのだよね。最近アメリカ映画からちょっと離れていたせいもあるかもしれない。アメリカ映画というもの自体が非常に教育的なのだろうか?それともベンが非常に真面目な性格なのか。
問題を提示され「さあ、皆で真剣に考えてみましょう。あなた達の子供の未来がかかっているのですよ」と真摯に問われてしまって不良人間としては「映画観てんのにそんなに怒られても」って感じなのである。

それにしてもソツなく巧く綺麗にできた映画ではある。
最初ケイシーと恋人が組んでいる探偵事務所に依頼人が来た時は「こんな坊ちゃん顔の探偵によく頼むなあ。しかも渋々だし」と思っていたのだが、そのこともしっかり布石なのであった。これが最初から切れ者みたいな男では困るわけである。
もう一度観てみたらよくわかるかもよ、と言いたげな様々な伏線の張り方もまったくもって憎いばかり。頼りなげなケイシー探偵が彼女を相棒にえっちら走り回るのも共感しやすい作り方なのだった。

文句たらたらのような書き方だが「児童虐待についてよく考えてみたい」人にはなかなかいいテキストなのではないだろうか。
また「罪と罰」について。

ソツがなく巧い、と書いたが所々鼻につく箇所があって例えば屋上で傷ついたレミーを見ているパトリックという構図がかっこつけててやだとか、最後、彼女が泣きながらパトリックを説得する場面からその後の締めくくりが説明的過ぎてここまでくどくどと解説しないといけないのかなあ、などと思ってしまうのだ。
その辺が学校教科書映画って思ってしまうわけなんだが。

つまらなくはない。
でもなんだか、主人公だけは傷ついている風で傷ついてないようで、結局何も罪には問われないし(探偵料はもらえなかったけど)彼女が去ったけど「仕方ないか」みたいにしか見えないし(そりゃ心の中は判らんけど)
主人公だけは地獄を見ていないんだよね。一番の地獄は7歳の男の子とアマンダちゃんが見てるわけで、他の登場人物、彼女も警部もレミーも髭のおじさんもビーもそれぞれ地獄を見てる。パトリックだけは「俺は後で責められたくないんだ」ってんで逃げちゃった。
ま、それが後で地獄になるのさ、っていう話なのかもしれないんだけどさ。
その辺を考えてごらん、と言われているのも癪に障るし(なんなんだ)

それにしてもこの映画。真似的な感じはしないのだが、相変わらずこういう題材が作られるのだと思ってしまう。児童虐待、児童性愛者、誘拐、麻薬、強姦。
そしてまた「これでいいのか、これでいいのか」と問い続けて終わる。「腐敗した社会」と一言で片付けてしまうのも情けないのだが。

監督:ベン・アフレック 出演:ケイシー・アフレック ミシェル・モナハン エド・ハリス モーガン・フリーマン
2007年アメリカ

久し振りにアメリカ映画を観たような。カメラの動きも音楽も演出も実にアメリカンだ。判りやすく、テンポがいい。綺麗な映像でよく考えられている。

アマンダがロリコン男に誘拐され性的虐待を受けているのでは、という予感をさせるのだろうが、ナボコフだったか「ロリコン描写はまずいから、少年を性的虐待する話にしないとボツになる」という話があってこれもやっぱりそういうものなんだろうか。
少女は親から育児放棄という虐待を受け、少年は変質者に強姦される。
どちらにしても嫌な話には違いないんだけど。
タグ:犯罪 探偵
posted by フェイユイ at 23:07| Comment(0) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

『マルティン・ベック Vol.6 ストックホルム・マラソン』ピーター・ケグレヴィック ダニエル・アルフレッドソン

ストックホルムマラソン.jpg
MARTIN BECK-THE STORY OF CRIME

とうとう「マルティン・ベックシリーズ」最終話となってしまった。原作小説はもっとあるのだけどね。
今まで気づいていなかったが6作中3本がTV用で3本が劇場公開用だったらしい。はてどれだったのか。この最終話は劇場用ではないだろうか。
今までの作品で最も謎めいていてアクションシーンもスリルがあった。いくつかはかなり間抜けな印象もあったのだが、この作品はよくできていたのではないだろうか。ヘルストレームがどうしてこれまでは我慢していたのか、彼女が死んだのが引き金とは言え、あまりに惨たらしい10年前の出来事を何故ずっと耐えていたのか。被害者の愛人モニカはどうして殺人まで犯すほど彼を憎んでいたのか、それなのに何故我慢し続けていたのか、などは想像するしかない、という作りになっているがその辺はまあくどくどしく語らずともいいのかもしれない。
台詞による説明がないまま、美しい女性が温室の屋根から落下して死亡し、その夫らしき男が死体を抱いて嘆き悲しんでいる。男は復讐を企てたようだ。
傲慢な感じの初老の男と不釣合いに若い女性がセックスをしているが女の方は苦痛でしかないようだ。女は何故かレモンをたくさん使って体を洗う。威張った男の体を拭いてやりながら何かを考えているようだ。
妻を亡くしてしまった男が初老と男の家に潜んでおり、若い女が外出した後、風呂に入っているその男に銃を向けた。
だが煮えたぎった風呂の中でその男はすでに死んでいたのだ。

一体死んでしまった美しい女性とすでに死んでいた男はどういう関係があったのか。外出した女は初老の男と何かあったのか。その男を殺そうとした男は何者なのか。
様々な謎がある現場へマルティン・ベックとその仲間達が乗り込んできた。
相変わらず過激な内容である。ベック、コルベリ、ラーソン、スカッケのキャラクターもばっちりであるが、もうこれで終わりとは。
マルム警視長の間抜けさぶりも健在でどうしてこういいとこでヘリ飛ばすかな。前もあったけどヘリコプターを出動させればいいっていう感覚の人のようだ。

人気歌手が出場するストックホルムマラソンにスカッケも初挑戦。実はその人気歌手こそ妻を亡くした男が狙っているもう一人の人間だった。
お祭り騒ぎのマラソン大会の中でベックたちは狙撃しやすいと思われる街中の屋根の上を探しまわっていた。だが園芸家である男が潜んでいたのは屋根の上ではなくマラソン選手たちが目の前を走っていく道路脇に駐車した花屋のトラックの中だったのだ。人気歌手を護衛するように走っているスカッケも危ない。
ベックたちは間に合うのか。

これは白熱した展開だった。そしていつもの寂しさが漂うラスト。
スカッケを助けようと巨体を揺らしながら走るラーソンも涙モノ。当のスカッケは完走することばかり考えて走り去ってしまうのだが。もー。
最期の1話がこうも面白いと勿体無い気がしてしまうなあ。
何故か『笑う警官』がないのが不思議なのだけどねえ。

しかしこのシリーズ全然誰も借りてないようで(笑)結構イケると思うんだけど。

監督:ピーター・ケグレヴィック ダニエル・アルフレッドソン 出演:ヨースタ・エックマン キェル・ベルキビスト ロルフ・ラッスゴル ニクラス・ユールストルム コリンナ・ハルフォーフ
1993年スウェーデン
posted by フェイユイ at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『陸軍中野学校 開戦前夜』井上昭

開戦前夜.jpg

『陸軍中野学校』シリーズ5作目。真珠湾攻撃に関するアメリカ側スパイとの攻防が繰り広げられる。

昨日まで観ていた『戦争と人間』後の話だ。昨日まで憎らしかった憲兵がここでは椎名次郎の命令で動くことになる。
『007』のようなスパイアクション映画を目指して作られたらしいがそこはなんとも言えず和風な味わいのスパイものになっている。同じ2枚目といってもショーン・コネリーと市川雷蔵では全然違うからなあ。とはいえ、アレを模倣したような派手なアクション映画になっていたら恥ずかしい珍妙なアクション映画ができあがってしまったろうから、無論これで正解だのである。
市川雷蔵の思いつめた雰囲気のスパイは魅力的だ。確かに地味なアクションにはちがいないだろうが、それが却って本格的なスパイものに見えて変な物真似になっていないのがいい。

物語は椎名次郎(市川雷蔵)が使命を受け香港へ飛ぶ所から始まる。
椎名のために手はずを整えていた青年・磯村を細川俊之が演じている。あるホテルに滞在するダイク大佐が保管している重要機密書類を写し撮るのが椎名の任務だった。磯村の婚約者・昌子とその友人の女性・秋子を交えてホテルのラウンジで談笑しながら椎名はダイク大佐の行動を観察した。
任務は成功したが怪しまれた椎名はダイク大佐の手先によって捕らえられ、拷問を受ける。運よく秋子が外国人によってある家に連れ込まれた椎名を見たことで椎名は磯村たちに助けられた。

実はこの秋子が敵のスパイであり、スパイものになくてはならないスパイの中のスパイというストーリーになっている。
後半は日本の真珠湾攻撃の情報をダイク大佐らがスパイしていくという展開になり磯村が薬によって情報を吐いてしまう。あわや情報がアメリカに流される前に椎名たちの活躍によって阻止される。
真珠湾攻撃の情報はアメリカ側はすでに知っていたという話もあるからここでは阻止されたが別のルートで流されたのだろう(虚実混同してるが^^;)
薬で自白してしまった磯村が責任を負って自決したというのが悲しい。
重い心を抱えながら椎名は次の使命を待つことになる。

晩年はまったくいい人のイメージの船越英二さんがここではちょっとすけべな感じの悪い奴を演じている。先日観たばかりの増村監督作品『盲獣』では凄まじい肉欲に溺れた男を見せ付けてくれたが。
昔の映画を観ていると今のイメージと全然違う役者の顔を見つけて驚くことが結構あるものだ。今可愛い役、或いは不良をやってる役者もどう変わっていくかは判らないわけだ、と当たり前なことに頷いてしまう自分である。

監督:井上昭  出演:市川雷蔵 小山明子 浜田ゆう子 船越英二 細川俊之
1968年日本
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2008年10月26日

『戦争と人間 第三部 完結篇』後半 山本薩夫

戦争と人間a.bmp

いやあ、さすがに最後は面白かったなあ。こうして観ると最後は幼馴染みだった耕平・俊介の二人が締めを飾っているということになっているのがいい。特にこの作品は伍代俊介の成長物語になっているのである。耕平は最初から出来上がった人格だったが、俊介の成長による変化は見応えがある。
作品自体、本来まだ続きがあるはずの構想だったのだろうから、厳密に言うとあちこちの話が尻切れトンボになっているのだが、却ってこのノモンハンの戦地で終わったことがよかったのではないのだろうか。何となく後は後始末的な展開になりそうなので。

伍代家のお荷物的な存在でやや優柔不断に見えたお坊ちゃまの俊介が最後に狙撃の腕を見込まれ狙撃兵として活躍する。何不自由なく暮らし、望めば兵役につく事も回避できた俊介は単なる一狙撃兵としてノモンハンの壮絶な死闘に向かうことになるのだ。
この最後のノモンハン戦場の場面は物凄い。比類ないスケールとリアリティがあるのではないだろうか。かつてのソ連の援助もあったようで(不思議な話だよなあ)このような壮大な平原での戦闘シーンが撮影できたのだろう。
ところで驚いたのがソ連軍が攻めて来る時、怒涛のような戦車のバックで「ヴォルガの舟歌」が大音量で流れてくるのだ。(有名な「エイコーラ」というロシア民謡ですな)これはまさしくフランシス・コッポラ『地獄の黙示録』で戦闘機のバックにワーグナーの「ワルキューレの騎行」が流れるあのシーンを彷彿とさせるではないか。製作年はこちらが先だが。これは監督の演出なのか事実なのか判らないがソ連軍が日本軍を混乱させる為に平原にスピーカーを置いてロシア民謡を大音量で流しているという場面は出てくる。その上、ぶよや蚊に悩まされ何より全く水がない地域なのが兵士たちの苦しみだったようだ。
苛烈な戦いで次々と仲間が倒れ、生き残った兵士が俊介に「これからどうなる」と問いかける。俊介は「天皇に聞けよ」と答える。どきりとしてしまう。
その仲間も失い、1人逃げる俊介は途中、尊敬する画家の灰山さんに出会う。灰山さんは絵を描く右腕を失って倒れていた。俊介は水を欲しがる灰山さんを励ましながら背負って歩き続ける。だがそこへオートバイのサイドカーに乗り込んだ将校が彼らを呼び止める。そして「全滅したとはなんだ。最後の一兵まで戦わんか。元の戦場へ戻れ」と喚くのだ。
俊介は静かに灰山さんを降ろして銃を構え「では自分の所属する部隊がどこにいるか教えてください」(自分のというのは俊介のほうね)と睨みつけた。将校は俊介の鬼気迫る表情に怯え去っていった。
バイクの操縦士である兵士が思いやって置いていった水筒の水を灰山さんに与え、自分も飲みながら「絶対にこのくだらない戦争で死にはしない」と誓う俊介。
かつての弱々しい少年の面影はもうなかった。

話は前後するのだが、この話の前に語られていた耕平の戦い。自分の主義を曲げ罪なき中国人を殺した耕平は自責の念に駆られていた。
またも日本軍が小さな村を襲った時、上官に怒鳴られ殴られても耕平はもう村人を殺せなかった。
味方からも取り残された耕平は戦死したという手紙が妻・順子の元へ届けられる。
だが憲兵が戦死したはずの耕平の手紙を捜索したのを見て順子は耕平がまだ生きていることを察する。
憲兵は耕平が軍から逃亡し中国側についたことを知らせ、非国民がと罵るのだった。
この物語が最も驚いたことだったので後に書いたのだ。
どうしても殺せないので中国側に入ってしまうなんて。考えてもみない展開だった。こういう人が事実いたのだろうか。しかし先ほどまで鬼子と呼んだ日本人を殺さずに味方にするなんて中国人てやっぱ日本人と違う。(事実かどうかはわからないが)
憲兵に殴られ罵られた順子だが耕平が生きていたことだけが彼女の幸せだった。
この作品中で唯一幸せで希望の見える恋人達であった。彼らはきっといつか再会できると信じるのだが。

前半で俊介と肉体関係だけ持つことになった苫が後半でも登場。言葉通り売春婦となっていた。俊介がノモンハンから逃げ延びた時、街中で傷ついた兵士たちに水を配っており、おやもしかしたらと思ったが、俊介は水を受け取って飲み干すと何も言わず去ってしまった。
ありゃ、俊介って本気で苫のことは女性として受け付けないのかもなあ。何しろ好みは温子(佐久間良子)さんみたいなしっとりした美人だからなあ。粗雑な苫には色気を感じなかったのだろうねえ。思えば気の毒な苫である。

耕平に一途な恋を全うし続ける順子と違い、由紀子は結婚相手にも幻滅して「伍代家に戻りたい」なんて言い出してる。
うーん、気丈なお嬢様と思ったのだが、やたら「何でもいいから何かに命懸けで打ち込みたいのです。男性でも仕事でも」と騒ぐばかりで結局何にも打ち込むものがないお嬢様だったのね。
まだ若いからこれからがあるのかもしれないがこういう夢ばかり追っていてプライドは高いが何もしない人っているもんだ。
口ばっかりじゃなくて本当に何かに打ち込むのなら黙ってそうすればいいのだよ。このまま老婆になるのだろう。「打ち込む、打ち込む」って言いながら。

瑣末な部分に流れてしまったが、作品の最期の虚無感は心に迫ってくるものがある。
多数の巨大な薪のやぐらで戦死者が焼かれていく。
しかも戦争は終わったのではない。ここから第二次世界大戦が始まっていくのだ。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 吉永小百合 山本圭 北大路欣也 夏純子 藤原釜足 鈴木瑞穂
1973年日本
タグ:戦争 歴史 満州
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2008年10月25日

『戦争と人間 第三部 完結篇』前半 山本薩夫

戦争と人間 完結.jpg

この映画を観出した最初の目的は「日本人の戦争」じゃなく「満州における中国人と日本人」だった。第一部はまさしくそういう世界を描いてくれていて中国人(満州人)の言動も様々であって大変に満足な作品だったのだが第二部、第三部と完全に日本人主体の物語になってしまった。両方を対等に描くのは難しいのかもしれないが残念だ。

とはいえ第三部の前半、恋愛劇ばかりだった第二部よりは時代情勢の物語になってきて見応えはあった。ただし日本軍(関東軍)内部の陰惨なシゴキだの左翼に対する無惨な拷問だのばかりを観続けなければならないのでかなりめげてしまう。
だがこういうの観せつけられてしまうとそれだけで日本(まあ昔の)という国が嫌になってしまうではないか。どこの国でもあることかもしれないが、だからと言って理屈の通らない乱暴を受け続けるのを観てるのもしんどいことである。
特に新兵がやらされる中国人を銃剣で刺し殺す練習の場面は知ってはいても観たくはない。入隊した標耕平がどうするのかと思ったら腕と体の間に剣を差し込むという逃げをうっていたのでほっとした。その為に彼は上等兵に銃の台尻でがんがんに殴られた上、起きることもままならない状態で鉄道守備に行けと命令される。だがこの上等兵、中国人を刺す事ができなかった標をわざと殴り、他の上官にしごかれる前に鉄道守備に行かせたのだった。この上等兵もかつて監獄に入っていて新兵の時、苛め抜かれたのを深く根に持ち、新兵達から馬鹿にされないよう威張り散らしていたのだった。
耕平はとうとう順子と結婚。無論、彼女の父・伍代由介には秘密で結婚し事後報告したのだ。それを聞いた由介は可愛がっていた順子を家から追い出してしまう。
一方姉の由紀子は柘植少佐との結婚はあきらめ伍代家に有利な銀行頭取の息子と結婚。弱気で逃げる女と強情で背く女とどっちがいいんだか。
(弱気っていうのはあの温子さんのことね)
順子は伍代家を出て耕平の仲間の所で世話になっているらしい。ところで順子っていうのは「よりこ」で標は「しめぎ」って読んでいる。

伍代俊介は満州で左翼組織と反戦運動に没頭していく。だが軍部に対する抗議により投獄。同志・田島は激しい拷問を受けるが、俊介は伍代の人間ということで無傷で釈放。血だらけでさらに拷問される田島を俊介は苦悩に満ちた目で見つめるしかなかった。
温子と別れた後、俊介は尊敬する画家・灰山の頼みで身売りすることになった貧しい農民の娘・苫を伍代家の使用人にすることになる。ところが苫は俊介に恋し、満州まで追って来て「身売りされてしまったから今夜だけが自分の体だ」と言って俊介に迫るのだ。
物凄い思い込みに驚いたが言葉通り一晩過ごしたらさっと飛び出して去ってしまった。どうも俊介はあっという間に去ってしまう女性ばかりと関係してしまうようだ。苫が好きだったかどうかはよくわかんないが。多分経験少ない性体験で心はすっかり動いてしまってたみたいなのだが。女運がない人なのだなー。

戦争に無関心のように見えた伍代由介だが、日本が中国だけでなく先に英米ソを相手とする大戦を予想していることを察し動き出す。
日本の主だった工業を軽工業から重工業へと変化させ、そのためには国の支援が必要であると政府に持ちかけたのだ。
さすがおっとりしているようで決めるとこは決める伍代由介氏である。長男・英介は威張ってるばかりでいざという時じたばたしてどうしようもないけど。

自分の求めていた話ではない方向に行ってしまったが(もっと満州での話・瑞芳さんや不破医師、服部医師の話、白永祥、徐在林の生き様のほうを観たかったなあ)日中戦争から世界大戦に向かう緊迫した状況を追っていける。
いよいよ完結となるこれから、彼らはどうなっていくのだろうか。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 吉永小百合 山本圭 北大路欣也 夏純子 藤原釜足 鈴木瑞穂
1973年日本

せっかく余韻にひたってもいいとこなのになんだけど、この作品いい感じで渋く面白いのに何故かあちこちに配される濡れ場シーン。どっちかというと男性向け作品なので戦争もありつつ濡れ場シーンはお楽しみで、という配慮なのか。
ま、よいけど今観るとかなりおかしく見えてしまうのは仕方ないことか。特に吉永小百合女史のそれは清純派女優としてはかなり衝撃的場面なのかもしれないが全く何も見えてはいない。あらわになった肩だけだ。それでも切なげな表情の彼女を観ればサユリストとしてはうれしくも許せないことだったのかも。とはいえ、奇妙に美しい映像として耕平と順子の初夜が映される演出がかなり笑えてしまうのだ。何もしてないのにね。
その穴埋めとして俊介と積極的な田舎娘・苫のベッドシーンがございます。これなんかもわざとらしく積極的なのでおかしいのだよねー。なんで満州までセックスしに?
潔く去ってしまうのもそれだけのために登場した娘って感じで笑えてしまうのはいけないのだろうか。
戦争場面はいいんだけど恋愛劇の部分はどうしても笑いを誘ってしまうちょっと昔の映画なのだった。
いい所はいいんだけどねー。難しい。
タグ:歴史 戦争 満州
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2008年10月24日

『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』後半 山本薩夫

戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河 2.bmp戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河.jpg

第一部に比べどうも色恋沙汰が多いなとよくタイトルを見直したら『愛と悲しみの山河』だった。そうか。
それにしても苛立つのは俊介(北大路欣也)と人妻温子(佐久間良子)の恋である。イライラしながら前半を観終え後半に入ったら満州へ行った俊介の元へついに温子は勇気を出して旅立つと伍代由紀子に告げる「29年間自分の心に背いてきたけど一度だけ正直に生きてみたいのです」オオ!エライぞ。満州で再会した二人は熱い抱擁と接吻を交わす。そこへいやらしく登場する温子の夫・狩野市郎(西村晃)温子と離婚する気はないと言い、どうやら俊介に金を要求した様子。これですっかり温子の勇気が萎えてしまい元の木阿弥。「やっぱりあなたを不幸にはできない。夫の側であなたを思って少しずつ死んでいきます」なんだかなあ。一体この話ってこの物語に必要だったのか。これからなるのか。結局ぼんぼんなのよね、と言うしかない俊介なのだった。
一方日本では俊介の友人・標耕平(山本圭)が俊介の妹・順子(吉永小百合)が絆を依り深めていた。赤狩りで投獄された耕平が拷問で傷ついた同志の熱を下げる為冷たい壁に手を押し付け額にあてるのを繰り返す優しさが胸を打つ。順子は有力者である父親に頼んで耕平の解放を求めるが父親の答えはにべもない。
やっと出所した耕平は兵役につくか留置場に戻るか逃げるか迷っていると順子に訴える。
ぼろアパートでどうすることもできない未来を嘆きながら抱き合う二人が切ない。
趙瑞芳(栗原小巻)と服部達夫(加藤剛)の恋。憲兵に追われる瑞芳を救う為、鴻珊子に彼女を託した服部だったが、列車に乗ろうとした彼自身が憲兵に捕まってしまう。
そして少佐になった柘植(高橋英樹)と由紀子(浅丘ルリ子)強情な由紀子だが、やはり柘植さんのことは気になるようで。柘植が帰国していたのを見つけ声をかける。彼女の言葉を皮肉に思い出して言う柘植に「では彼女になんと伝えましょうか」と問いかける。柘植は「戦争が終わるまで待っていてください。待てないならしかたありません」と答えた。
気弱は気弱で歯がゆいし、強情も強情でため息である。しかしルリ子さんの美貌はずっと見てても素晴らしいですな。

どうなることかと混乱する第一部に比べ第二部の苦悩に満ちた恋愛劇は自分としては物足りなく感じた。恋愛がそのまま事件につながっていくような描き方ならいいけど、特に俊介・温子のようなのはいただけない。
やはり喬介や鴫田が活躍する話のほうが面白い。

日本では1936年二・ニ・六事件が起こり、大陸では1937年盧溝橋事件により日中戦争勃発。
さらに人々は大きな渦に巻き込まれていく。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 栗原小巻 岸田今日子 佐久間良子 吉永小百合 山本圭 北大路欣也 地井武男
1971年日本

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2008年10月23日

『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』前半 山本薩夫

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物語が中盤にさしかかった時の常として状況は泥沼化。どの人物も自分の立場から逃れられない苦悩を持つ。
左翼弾圧で虐げられる人々もいるが(ここで最近話題になった『蟹工船』の小林多喜二の名前が出てくる。「小林多喜二がどうなったか知ってるだろう」と脅されるわけである)舞台が日本になった時の話題と満州での物語りの差が激しい。
俊介くんは友人標耕平の思想行動は置いといて兄の妻になるはずだった年上の女性に夢中。この女性もどうもねちっこくて確かに女性らしいといえばそうなんだけど、思わせぶりで被害妄想でなよなよとして不幸じみてうざったい。こういう女性に俊介のような男は夢中になってしまうわけなのだ。演じたのは佐久間良子で美人だから仕方ないけど。
貧しい友人耕平くんは(ところで耕平くんと俊介くんの学生服は明らかに仕立てが違う。耕平くんの学生服ってぴらぴらでいかにも貧乏そう)山本圭になっていて急にかっこよくなったぞ。俊介くんは北大路欣也。耕平くんのほうは伍代家の次女・順子(吉永小百合)から好意を寄せられていた。
伍代家って由介・喬介、英介は財閥然として威張っているが俊介・由紀子・順子は反抗的なわけで真っ二つに分かれているのだ。とはいっても威張っている方が強いだろうが。弱いほうも強情そうで。

満州のほうに行くとより憎悪や確執が激しくなっていく。日本人の大塩は兄を朝鮮人に殺された恨みで心が歪んでしまっている。その歪みのために中国共産党員である白永祥は逃亡せねばならなくなってしまう。
また日本人に家族を惨殺された朝鮮人・徐在林も激しい恨みで生きている。その恨みのために志を同じにするはずの中国人白永祥とは全く異なった思考になってしまう。
白永祥を逃がした日本人・高畠正典(高橋幸治)も憲兵隊に追われる身となってしまう。
伍代由介は中国人・趙大福と取引するために満州へと赴く(よく取引しようとするよな。息子が趙の娘を強姦してんのに)無論趙氏から快い返事はもらえない。

関東軍の中国人拷問シーンも出てきたりして身の毛がよだつ。仕方ないとはいえ誠実そうな柘植大尉も一応文句は言い出すが「言うな」と言われれば黙るしかない軍人である。勇んでいかがわしい店から阿片を押収すると伍代喬介からは「若造が。満州がどうして成り立っているか全くわかっとらん」と罵られ、由紀子さんからも「女はいつも待っていると思っていらっしゃるの。考え違いだわ」とか言われて立つ瀬がない柘植大尉であった。

日本人(関東軍)が満州の人々を苦しめ、そこから抗日が生まれてくるのだが朝鮮の一派が日本人と満州人との間で苦しむことになる。
徐在林の激烈な人格は怖ろしいほどだが演じているのが地井武男でまた驚いてしまう。観てる間はまったく気づかなかった。
家族を殺され「恨」を持った彼は中国共産党と共に命懸けで戦うがどうしても中国人とは理解しあえない。
仲間を救うため愛する女性も殺されてしまった徐在林の行き先は金日成の元なのだろうか。

この物語の主人公は「伍代一家」のようなのだろうが、どうも他のキャラクターの人生が凄すぎて影が薄い。
一番面白いのはやっぱり伍代喬介かな。

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2008年10月22日

『戦争と人間 第一部 運命の序曲』後半 山本薩夫

戦争と人間3.jpg戦争と人間2.jpg

後半になって滅茶苦茶面白くなってきた。冒頭部分の広げすぎた感のある大勢の登場人物、舞台設定がそれぞれじっくり語られていくようになり類型的かなと思われたキャラクターたちも味わうことができるようになってきた。

とにかくこれを観てたら日本人と関東軍とブルジョアジーが嫌いになることは請け合い。もうむかむかしてしまうんだが(映画だから言えることだが)だからこそこの時代のこの舞台が面白い。
それにしても標兄弟がかわいそうだ。貧しくても兄弟仲良く支えあって生きてきて兄は思想を貫くことができずに兵士となって満州に赴き、兄の帰りを待ちながら新聞配達をして生活している弟に兄の戦死の手紙が届く。兄が弟に言った言葉が「俺の意志を継いで共産主義になれ」ということじゃなく「馬鹿にされてもいいからよく物事を見つめて信じるものを見つけろ。」ということだったのが驚きだった。伍代俊介とはまだ友人でいるというのも不思議なのだが彼らが成長してまた物語が展開していくのだろう。伍代俊介を演じているのは仲村勘九郎と書いたが今は勘三郎になっているのだよね。この辺を観ると確かに息子さんに似ている。ブルジョアなのに貧しい友人を思いやり労働者たちの苦しみに泣く優しさに若さゆえとはいえうたれる。ずっとこのままの人格でいてくれるのだろうか。伍代の人間になってしまうのだろうか。

その伍代の一員、英介の憎々しさといったら。まだしも悪党らしい伍代喬介(芦田伸介)は男らしいが、腐った奴というのはこういうのだ。高橋悦史さんという人もわりといい人のイメージがあったのだがこんなに憎々しい男を演じていたのだ。
そして伍代喬介の片腕・鴫田駒次郎の三國連太郎。いやもう荒くれ男でかっこいい。息子さんの佐藤浩市とはあまり似てないなあと思っていたのだが若いこの時期を見るとそっくりである。勘三郎にしろやっぱり親子って親子だ。

見せ場たっぷりでどこを取り上げていいかと思うほどだが、伍代公司に勤めていながら妻を伍代喬介の差し金で殺されてしまう高畠正典(高橋幸治)と彼の通訳をしていく白永祥(山本学)のコンビ(?)が緊張感があって面白い。思いつめた表情の高畠とひょうひょうとした白のバランスがいい感じ。叔父さんがこの作品の監督・山本薩夫になるのか。だからというわけではないだろうが謎を秘めた中国人で物語の鍵となる気になる存在である。
幼い女の子に話すたとえ話が物語を説明している。幼い双子(旅順と大連)を誘拐して働かせ最初は9年で解放すると言っていたのに稼げるとわかった途端99年働かせると言った、という話である。
この作品で日本人が中国や朝鮮の人々に惨たらしいことをしていたのかを見せ付けられ苦しくなってくるのは確かだ。
それでもこの時代の満州の物語に強く惹き付けられてしまうのは何故なんだろう。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 松原智恵子 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 栗原小巻 岸田今日子
1970年日本

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ジェイ・チョウ 新アルバム発売会見でマジック披露

ジェイ マジック.jpg

ジェイ・チョウ 新アルバム発売会見でマジック披露

まーだCD発送されません(涙)一応発送準備完了となってましたが。早く来ーい!!

ジェイ・マジック映画でも早く観たい!!
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『戦争と人間 第一部 運命の序曲』前半 山本薩夫

戦争と人間 第一部 運命の序曲.jpg

先日ちょっと書いたが満州を舞台にした映画を観たいと思っているのだがそういうものはあんまりないようだ。あるのかもしれないがDVDになってないのか。その中で見つけたのがこれ。なんと9時間に及ぶ映画(TVドラマでなく)という代物。三部作であるが本当はもう一部作る予定が財政難で三部で途切れたということらしい。今まで知らなかった作品だがキャストは豪華である。一気に観れない立場なので少しずつ楽しんでみよう。

昭和三年(1928年)満州と日本を舞台にして様々な人々の生き様を描いていく。
出だし、ということもあるが長時間の映画にも関わらずめまぐるしく物語が交錯していく。歴史的状況の説明が忙しく行われ、大勢の登場人物が紹介されていく為にやや人間像が類型的になってしまい誰に肩入れ、共鳴していいのかよく掴めない。
自分としては冒頭から出てきて満州で貧しい人々の医療をしている日本人青年・不破学(田村高廣)が最も魅力的なキャラクターであるように見える。
血気走った関東軍、満州で金儲けをする伍代財閥などの描写が批判的なニュアンスを持つが、対照的な共産主義思想の兄弟は立場が弱くシンパの男も殺気だっていてまだ混沌としている。

どうしても悪く見えるほうが目立つもので伍代財閥の勢力をより広げる為に関東軍と意気投合している伍代喬介(芦田伸介)とその手先である鴫田駒次郎の悪辣ぶりが印象的である。特に鴫田駒次郎を演じる三國連太郎は今はなんだかいい人的なイメージが強いのでここまでの悪党振りを観れるのも面白い。
中国語が挨拶程度に使われるのではなくしっかり会話として話されているのも本格的に思える。出演者はほぼ日本人のようなのでその辺りもきっちり演じられているのは珍しいことなのではないか。
タイトルどおり序曲の前半なのでまだこれからの物語である。日本と関係の深かった張作霖が次第に日本から離れていく中で関東軍は列車で移動中の張作霖を爆破する(柳条湖事件)までであった。

1970年の作品なので豪華キャストの役者たちの若さに驚く。一番の驚きは伍代財閥の変わり者であるまだ中学生の俊介を演じた仲村勘九郎だろうか。とにかくまだ少年なのである。新興財閥でありまだこれからの成長を狙っている伍代家において絵を好み、共産主義者である友人標耕平の影響を受け、家族の者に危ぶまれている。
そして同じく伍代家の娘由紀子役の浅丘ルリ子。知ってはいるがまるでお人形のような美しさ、若さである。関東軍軍人である柘植進太郎(高橋秀樹)と恋仲なのだろうか。
ほかにも怪しげな雰囲気の女性に岸田今日子、日本人だが満州に育ち国籍に悩む青年服部を加藤剛、石原裕次郎、大滝秀治とキャストは物凄い。
かなりの長丁場だがどうなっていくのか楽しみである。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 松原智恵子 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 栗原小巻 岸田今日子
1970年日本
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2008年10月20日

『好きだ、』石川寛

好きだ、a.jpg

殆ど修行僧の如き忍耐をもって鑑賞を終えた。
昨日のような強制収容所の惨たらしい映画と本作のようなラブ・ストーリーとどちらが苦痛かなどと比較するのは言語道断なのだろうが自分にとっては迷いもなく本作のような作品である。
とはいえこの作品の出来栄えが悪いということではなく、とてもいいラブ・ストーリーなのだろう。

ゆっくりとした進行も恋人達の言葉少ない恋の情景も計算の行き届いた作品だということはわかるし、うまく表現されている。なんといっても17歳の恋人同士を演じた宮崎あおい、瑛太が17年後に永作博美、西島秀俊になるのがなんの不自然もなく再会も成長した二人の立場も大変にうまく何の文句もないのであるが。
とにかく私が単にラブ・ストーリーそのものが(特にこういう普通のラブ・ストーリーが)苦手なせいなのだ。

しかしまあ苦行にも似た2時間近くを耐え忍んだ後では、よく考えられた巧い作品だったと思う。ただ後半で西島氏が演じる男が「お姉さんは自分でずっと眠ってしまいたい、と思っていたんじゃないかな」というのは逃げ口上に聞こえて言わせないほうがよかったような。女の子に「自分のせいにするなよ」と言うのもおかしな台詞でお姉さんに「水門のとこで待ってる」と言った自分のせいと思うほうが自然なんじゃないか。黙ったままでいいから後悔しているようなでもそれを言えない、みたいなだけでよかったと思うのだが。ここの彼の心情がどうも理解しがたい。

西島秀俊さんの作品は幾つかしか観ていないがこういう影のあるどこかちょっと変な人みたいな役はとてもいい。申し分のない美青年であるし。
宮崎あおい、今最も話題性のある若手女優の1人でもありまだまだ可能性をいっぱい秘めている、と思わせる。ロリータな可愛らしさでどこか小悪魔的な匂いを持っているのが魅力。彼女が17年後に永作博美になるというのはうまいなあ。
同じく瑛太氏が西島さんになるのも頷けるのが面白い。くせっ毛がさらさらヘアになってるが。
そしてとんでもない悪役で加瀬亮がちょっと出てくるなんて贅沢な映画である。ほんとに少しなのに。
そしてそして私の目的である大森南朋。二人の高校生時代の担任の先生。ちょい萌え。可愛い。
こちらもほんとにちょこっとである。うーむ。ナオさんがもっと出てたらこんなに眠くなかったのだが。先生が出てきた時、目が覚めたよ。

しかしなあ。「好き」という言葉をずっと言えず、女の子のほうからキスしたら男の子が逃げ出して17年後再会してまだ言えなくて事件にあって死にそうになったらやっと「好きだ」と言う。
なんて純粋な恋愛なんだろうかときゅんとしました、とは絶対言わないよ。
まだしも鬼畜な恋愛劇を求めたい私である。

まあ無理に考えれば放置プレイみたいな恋愛と言えなくもないが(←どうしてもこういう言い方のほうがしっくりきてしまう私だ^^;)

監督:石川寛 出演:宮崎あおい 西島秀俊 永作博美 瑛太 小山田サユリ 野波麻帆 加瀬亮 大森南朋
2005年日本
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2008年10月19日

『ヒトラーの贋札』ステファン・ルツォヴィツキー

Die F舁scher.bmpヒトラーの贋札.bmpヒトラーの贋札2.bmp
THE COUNTERFEITERS

昨日に続きナチスドイツを描いた作品だがヒトラーを中心にして多くの人々の苦しみを映像化した大掛かりな『ヒトラー 〜最期の12日間〜』に比べ一人のユダヤ人サリー・ソロヴィッツに焦点を置いた本作は非常に地味に見られるかもしれないが、自分の好み的にはこちらが断然面白い。

原作者の名前がブルガーであり登場人物で同名者がいるので彼がその人なのであろうか。だが作品としては彼の目を通したサリーという人物という描き方ではなくブルガー氏はむしろサリーと対立し徹底的にナチスに反抗する囚人として登場していた。これは彼がその通りの人物だったためかもしれないし、やはり原作者としてはナチスに反抗した人物として記憶して欲しかったせいかもしれない(←これは自分の想像でしかないが)

短い作品時間の中でかなり長い間の収容生活が描かれている。だが主要となるのはやはり『ヒトラーの最期』に近い期間である。
軍事力も経済力も非常に圧迫され危機を迎えたナチスは強制収容所に入っている「贋造紙幣」の名人であるユダヤ人サリー・ソロヴィッチにポンド・ドル紙幣の贋造をまかせていく。

前半部分がかなり省略されているのでそこは想像していくことになるが短時間で示されているように優れた画家の才能を持つサリーは強制収容所で将校たちの似顔絵を描かされる。だがそれでも彼らのサリーへの態度は人間に対するものではないし、サリーも生き延びる為に何とか気に入られようとして卑屈な態度になっていく。そういう苦しい期間が5年間続いた後の話が紙幣贋造になっていく。
苦難を舐めた後にサリーたち幾人かの印刷関係者であるユダヤ人たちは柔らかなベッドとある程度の食事を与えられる。
ユダヤ人に対する侮蔑の態度が消えたわけではないがそれでも以前より「ましな収容生活」になったわけだ。
なんとかここで生き延びようとするサリーと「死を怖れて贋造紙幣を作ることはナチスを支援することになる」と抵抗し続けるブルガー(ここに原作者らしき同名人物が)
いつ爆発するか判らないナチス将校たち、結核を患っている二十歳の青年、家族の死を嘆く男、反攻的なブルガーなどを懸命に抑えながらサリーは完璧な紙幣を作ろうと努力し続ける。

反抗的なブルガーに思わず苛立ってしまう(この映画では唯一ちょっといい男なんだが)社会に悪い影響を与えナチスに加担することになるなどわかりきったことだがそれでもサリーは「今日の銃殺より明日のガス室」を選びたかったのだ。(しかし最後にブルガーの反抗で紙幣贋造が遅れたことを喜ぶ場面がありこれはこれでよかったと思うが。でもどちらにしてもナチスを助けることにはならなかったのではないかな)
収容所を出た後、多額の偽札を持ったサリーは高級ホテルで身だしなみを整え美女を抱いてギャンブルに全額を放り出してしまう。
金など造ればいくらでも造れるもの。サリーにとって例えば可愛がっていた若いコーリャはもう造れるものではなく家族を思って自殺した男も取り戻せないのだ。
サリーが失った多くの時間、友人、愛情は贋造できないのだ。

終戦し同じ収容所内の囚人達がサリーたち紙幣贋造者たちがいる建物に銃を持って襲ってくる。
比較的食料を与えられて痩せずにいるサリーたちを将校たちの変装だと疑ったのだ。
彼らが「靴テスト隊」と呼ばれ始終罵られ殴られ時に撃ち殺されていたユダヤ人たちなのだろう。一体「靴テスト隊」ってなんだ?小さな靴を履かせて走らせ時に死者が出るとは。小さな靴を履いて走ることに何の意味があるんだ?痛くて血豆ができそうだが。そんな問題じゃないのか?

非常に暗く重い色彩の映像だが流れてくる音楽は明るく美しいものだ。

いつも冷静沈着で温厚なサリーがナチス将校が侮蔑の言葉と共に彼に放尿した時の自制を忘れた怒り。
そしてやっと結核の薬を手に入れた矢先、世話を焼いてあげていたコーリャを撃ち殺された時の音が歪んでしまうほどの怒り。
それらをどうすることもできない絶望。
戦争が終わってもサリーの心からそれらが消えてしまうことはないのだろう。

監督:ステファン・ルツォヴィツキー 出演:カール・マルコヴィクス アウグスト・ディール デーヴィト・シュトリーゾフ マリー・ボイマー ドロレス・チャップリン
2006年ドイツ=オーストリア
タグ:歴史 戦争
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『ヒトラー 〜最期の12日間〜』オリヴァー・ヒルシュビーゲル

der_untergang1.jpg
DER UNTERGANG/DOWNFALL

実はこれを観たかったというより大戦直前の頃のアジア(というか満洲なんだが)を舞台にした作品を観たかったのだが見つからず、一応大戦つながりということで未見だったこちらを観ることにした。

3時間近くの作品とはいえ、これだけの登場人物と事柄を観やすくまとめ上げたものだと思う。
大きな事柄は今まで映画や文献などで見知ってきたものを映像化した、と言う感じで「えっ」と驚くようなことはなかったがやはり一つの作品になって再確認していくのは興味深い。
気になったのは終盤、ヒトラーとエヴァが結婚をする場面で式を行う男がヒトラーに「あなたはアーリア人ですか?証明書は?」と問いかけると側に立つゲッペルスが「それはもういいだろう」と省略させる。何気ない会話なのだが手塚治虫『アドルフに告ぐ』などで言われている「ヒトラーにはユダヤ人の血が入っている」という「噂」を誤魔化した台詞のように感じられておや、となった。作品中、他では特にこの件に関して触れてはいないのだが、何故この台詞があったのかは気になることろである。
(ところで手塚治虫『アドルフに告ぐ』ほどヒトラー関係の作品で面白いものはそうないのではないか、と思う。無論それは日本人が絡んでくるから、ということもあるのだが。日本にもユダヤ人が普通に生活していたという話こそ驚きだった)

そしてこの作品が非常に入りやすいのはヒトラーや側近たちではなく無邪気な若い女性の目からナチスの最期を見ているという作り方だろう。
そしてもう一人の目である一途なヒトラー・ユーゲントの少年の物語の絡ませ方も『アドルフに告ぐ』と同じように物語を面白く見せている。
エヴァ・ブラウンのイメージは今まで聞いたそのものだが、それでもここまで無邪気に愛する人を信じていられることに驚いてしまう。
またゲッペルス夫妻のヒトラーへの信奉の強さはこの映画の中でも最も不思議であり衝撃を受けるものだ。
他の多くの者たちにも戦争がなせる呪文のようなものか、戦争も終わるというこの時期に自ら命を絶つ者がいるのだが、ゲッペルス夫妻の行動はそれらを代表する狂気である。
無垢な子供達を親の手で死に追いやり(しかも1人は必死で抵抗し続けたのに)「ナチズムが終わるなら生きてはいられない」と断言する。しかし妻の手を取ろうとした夫を払いのけたのはどういうことだったのだろうか。子供たちを殺した後、黙々とトランプを並べていくゲッペルス夫人は何を考えていたのか。

最期の12日間というタイトルどおり、映画はヒトラーが権威を振るった時期はまったく描かず最期の弱小化し、会議をする度に追い詰められ喚きだす惨めなヒトラーと側近達の姿を表す。
打つ手もない兵士たちはソ連軍を間近にして酒に酔い、裸の女たちと踊り狂い馬鹿騒ぎをする。
しかしベルリンの町では市民らは絶え間ない砲撃に逃げ惑い、負傷し泣き叫んでいる。
ヒトラーを崇拝する者、戦いの中で手足を失い泣き叫ぶ者がいるのに、彼らの指導者であるヒトラーたちは降伏しないことだけを誓い、国民のことなどまるで考えていないという対比した描き方が怖ろしい。

監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル  出演:ブルーノ・ガンツ アレクサンドラ・マリア・ラーラ トーマス・クレッチマン ユリアーネ・ケーラー コリンナ・ハルフォーフ ウルリッヒ・マテス
2004年 ドイツ・オーストリア・イタリア
タグ:戦争 歴史
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