映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年11月30日

WOWOWドラマ『プリズナー』第3話

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ほんとにもう、物語自体は甘あまであまりにも浅はかで間抜けなキャラばかりが出てくるのでいくら仮想の国とはいえ馬鹿にしてんのかという気になるが、とにかくナオさんの悪党ぶりだけはちょっとだけ見応えあるのでそこだけを注視。

前半はナオさんの出番が少なかったので退屈だったが後半(の最後辺り)から悪さを始めてくれた。
素直で可愛い圭吾を騙していくのは楽しい悪事でありましょう。
唐突に奥さんの交通事故なんてなあ。
ほんとにポンと圭吾だけにもっと焦点を集めてドラマを作り直してくれるといいのに。

実直な青年圭吾は確かにかわいそうになってくる。今までは友情だとか信頼だとかを一番大切に思ってきた人間がそれらを疑えと言われてもな。
しかしこういうタイプの物語って作り手がいつでも「この人も嘘つきだったんだよー」と展開していけばいいという感じなのでげんなりもしてくるのだ。
そう感じさせないくらい巧妙な展開だと凄く面白いのだけど。
ポンだけは最初から悪党って感じで出てきていて騙しているのが楽しいのだが。さてポンも圭吾を騙していたことが知られてしまい、これから二人がどうなっていくのか、そこだけはまだ観て行きたい気持ちである。

演出:水谷俊之 脚本:大石哲也 出演:玉山鉄二 大森南朋 鶴田真由 中村俊介 松重豊 石黒賢 小日向文世 佐田真由美 
2008年日本
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『悪魔のようなあいつ』第七回 

悪魔のようなあいつ4.jpg

前回までやや沈滞気味だった物語がここに来て本道へ戻ったような。
良の妹に回復の兆しが見えたということで看護婦さんともども病院へ戻り、良がまた1人になったこともあり。

良が昔まだ八村モータースで働いていた頃のことがここで語られる。レースで事故ってしまった八村は本業のバイク店の経営も上手く行かなくなり従業員も良だけになってしまう。
良は1人きりになりながらすでに少しずつ犯罪で大金を手に入れることを考え続けていた。
様々なニュースが彼の中で一つの犯罪を形作っていく。警察の制服(偽物だが)を手に入れバイクを改造して白バイのようにみせかけ他の必要なものを盗んでいった。
雨の日の決行。
入念な計画を実行していく良。警官に成りすまし、白バイに乗って3億円を乗せた車を止め、爆弾が仕掛けられているかもしれないと言って搭乗者を降ろし、車に乗って走り出す。
単なるフィクションならいいが、この当時実際に3億円事件は時効が迫っている未解決の状態で(今でも未解決なわけだが)よくこんなドラマ企画が通ったものだと思う。
犯人を演じる沢田研二のとろんとした甘い眼差しがこの大胆な犯行と非常にアンバランスで奇妙な魅力を覚えてしまう。
この目というのはジュリー以外にないもののような気がするのだが。
そして犯罪だけでなく関わった女性たちにもうわべと本音の違う「悪い男」なのである。
こんな「悪」を主人公として演じてしまう沢田研二とそんな物語を作った当時の製作者たち、そんな時代はやはり特別なものだったんだろうか。

前回で八村は借金の肩代わりにしようとして良が3億円を持っていることをオカマ風やくざ倉本(伊東四朗)に教えてしまう。そしてあの事件の犯人であることもばらしてしまうのだ。
もう少しで倉本を殺しそうになった良を野々村が止めた。
その後、酷い怪我で入院した倉本はさらに執拗に野々村を脅しにかかる。
良が不治の病であることを倉本から聞かされた野々村は逆上して倉本を短刀で刺す。
もう毎回野々村さんには泣かされます。
いいなあ。この切なさ。
なんでここまで一途なのか。なんで良をここまで愛しているのか。
男の純情、というものでしょうか。
野々村さんもまた悪の匂いを持つ男でかっこいいんですよねえ。良のためならどうなってもいい、という命を捨てている感じがたまんないです。

当時の歌や風俗がたっぷり見れて楽しい。
荒木一郎さんの髪型は相変わらず風に吹かれまくってますが衣装も奇抜です。特に「若い頃」はかなりいってます。
ジュリーのファッションも「美少年」というかんじなのでしょうかねええ。ファッションというのはほんとに時代が変わると恥ずかしくなるものです。
伊東四朗さんのオカマやくざ凄かったのにね。

脚本:長谷川和彦 原作:阿久悠 上村一夫 音楽:大野克夫 井上堯之 出演:沢田研二 藤竜也 若山富三郎 荒木一郎 三木聖子 大楠道代 細川俊之 尾崎紀世彦
1975年日本
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2008年11月29日

『赤い天使』増村保造

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昨日観た『私は貝になりたい』が戦争を題材にしたサスペンスミステリーならこちらは戦争を題材にしたエロチックラブストーリー。常にエロチックであるのが増村保造作品の凄いところでしかもまったく手抜きをしない今観ても衝撃的なエロチシズムである。

昨日はフランキー堺に見惚れたが、今日はまたもや若尾文子さんの色香に惑っておりました。
小作りで整った顔立ちでありながらちょっと低めのどすの利いた声がたまらない魅力である。

筋書きだけ書いてしまうと日本がどうなるかという非常事態にとんでもないことばかりをやっているようなお話で抵抗を感じる人もいるのかもしれない。
なにしろ冒頭から従軍看護婦であるヒロイン西さくら=若尾文子が戦地で看護をしてあげている兵士たちにレイプされるところから始まって戦場のどこへ行っても女日照りの兵隊たちに好色な目で見られてしまう。
さくらが好きになってしまう軍医もことの始まりはさくらをレイプした兵士が瀕死状態で助けを求めた為無駄な輸血をする代わりに軍医殿の部屋へ夜行くと約束させられるところからなのだ。
兵士や軍医に勇敢で清々しいイメージを求めるならば男の性欲ばかりを見せ付けられるこの映画の冒頭はうんざりさせられるのかもしれない。しかも性欲以外は重傷の兵士たちの手術シーンばかり麻酔も覚束ない状態で手足を次々と切断され、うめき声と叫び声が絶え間なく続き、桶いっぱいに手足がどさどさ入っているという有様なのだ。
これを観たらどんな人もさすがに戦争には行きたくなくなるはずだ。

さて面白くなるのはこれからで自分をレイプした憎い兵士を助ける交換条件で軍医の部屋へ行ったさくらはそこで軍医の秘密を知っていくことになる。
軍医は自分にモルヒネを打ってくれるようさくらに頼むのだ。軍医はモルヒネ中毒だった。

戦争は怖ろしく、惨めで、馬鹿馬鹿しいものだとこの映画でもまた思い知らされる。
だがこの映画で描写される物語と映像は観てはいけないと思ってしまうような過激なエロチシズムでもある。
両腕を失った若い兵士が溜まった性欲の辛さをさくらに訴え、彼女の手で処理してもらう場面の悲しさと共に男性だったらきっとたまらない興奮を覚えてしまうのではないだろうか。
他の看護婦には頼まなかった、さくらさんだけ。というのは無論彼女の(つまり若尾文子の)セクシャルな美しさに耐え切れなくなったからだし、彼女にはそれに答えてやろうという優しさと強さがあった。
「天使」というのはこの彼女の優しさと美しさをあらわしているわけで、こういう行動に反感をもつなら「そんなのは天使ではない」ということになるのだろうが両腕を失った若い兵士にとって彼女は天使だったはずだ。
しかもさくらはその兵士を外へ連れ出してさらに快楽と幸せを与えるのだ。
この辺は江戸川乱歩のような世界にも思え、後の映画『盲獣』にもつながっていくようだ。

二人の男を死なせてしまった罪の意識を持ったさくらは好きになってしまった軍医殿と再会し自分の気持ちを伝える。
だが軍医は度重なるモルヒネの使用で性的不能になっていた。さらに前線に救援の指令を受けた軍医はさくらの是非にという願いを受けて共に危険な区域へと向かう。
そこでは従軍慰安婦がコレラに罹っており兵士たちも次々と伝染していたのだ。
ここでもさくらともう1人の看護婦に兵士たちの好色な目が注がれる。とはいえ、男性ならこんな状態に若い女性が来たのを見て冷静ではいられないと思うだろう。コレラに罹ってしまう慰安婦も悲惨である。
その病人がいる同じ部屋で看護婦を強姦しようとする兵士たち。なんという惨たらしい怖ろしい世界なんだろうか。
戦争で最も嫌悪すべきものはなんなのだろう。

兵士たちがコレラで倒れ弱小化してしまったところへ中国軍の攻撃が始まった。
援軍が来るのを必死で待ち続ける兵士たち。その頃やっと休憩を取った軍医とさくらはまた一つ部屋にいた。モルヒネを求める軍医を押し留めるさくら。
さくらは軍医を縛り上げ、一晩中禁断症状で暴れる軍医を抑え続けた。一見いけない遊びごとでもやってるかのように見える美しい看護婦と縛られた軍医のベッドの上での阿鼻叫喚は異常な光景である。
やがて症状が治まった軍医にさくらは自分を抱いてと要求する。自分の性器を触らせできないんだと言う軍医にさくらは自分の体を多い被せる。
やがてことが終わりさくらは「自分が勝ちました」と告げる。軍医の軍服を着て威張ってみせるさくら。
この間あいだに敵軍と睨みあう兵士たちの映像が差し込まれ、戦争の緊迫感と男女の性的欲望が交錯していくのである。

激しい銃撃戦が始まり、やがて援軍が到着する頃、さくらは自分だけが助かったのを知る。周りは皆死んでしまい、愛し合った軍医もまた死んでいたのだ。

やはりさくらは天使であったのだ。だがなんと言う悲しい天使だろう。
戦地で苦しむ男達に瞬時、幸せを与えたのだ。だが彼らの結果は悲惨な末路でしかなかった。

エロとスプラッタと不条理がごちゃ混ぜに押し寄せてくる作品でとにかく増村作品観出してから言うことはいつも同じでただ『凄い』と。
白衣の天使である清純なしかもすごい美女の看護婦さんが性欲で欲求不満の男達にあーされたりこーされたりという欲望満開で観ることもできるだろうし、戦争の悲惨さをこれほど表している映画もないだろう。
若尾文子の素晴らしさはいつもながらだが、次々と兵士の手足を切断していく軍医の芦田伸介、両腕を失ってさくらに性の処理を頼む若い兵士役の川津祐介も見入ってしまった。

ダラダラせずぴしっと終わるエンディング、いつも切れがいい。

監督:増村保造 出演:若尾文子 芦田伸介 川津祐介
1966年日本

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2008年11月28日

『私は貝になりたい』<1958年TVドラマ作品>

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1958年TVドラマ版『私は貝になりたい』である。
物語の内容もわかっているのだが、フランキーさんがあんまり素晴らしくてどうしても泣けてしまう。
だがこれはむしろ上等なサスペンスミステリーと言ってもいいのではないだろうか、と思ってしまった。

今、主演仲居正広で映画が公開されているわけだが、フランキーさんの方が一介の理髪店主という感じがするように思えるのだが、どうだろうか。ただこの時のフランキーさんが今の仲居くんよりはるかに若いとは思いもしなかった。主人公の年齢は33歳と言っているが、仲居くんはもっと年上でフランキーさんはもっと年下である。

とにかく古いTVドラマなので映像も古ぼけているしセットもなにもかもぎりぎりの予算でやっている感じである。なんとか演出でうまく誤魔化しているのがうれしい(私はドラマとかできるだけ低予算で作っているのが面白くて好きなのだ)
しかも裁判場面以降は生放送というのが驚きである。昔のTV番組というのはとにかく凄い。
観てる間は真面目で人のいいちょっと要領の悪い清水豊松さんが怖ろしい命令を受けたりやっと家へ戻れたかと思ったら戦犯として裁判にかけられ絞首刑を言い渡されたりして戦争の恐ろしさ、世の中の不公平さにはらはらしたりイライラしたりして(筋がわかってはいても)最後には涙が溢れたものだが、こうして観終わってみると一つのフィクションドラマとして大変に面白いものだったなあと思ってしまうのである。
無論、同じように戦争時に不条理な運命を担ってしまった人は事実いるわけで「面白い」などと言ったらお叱りを受けてしまうのかもしれないがそれでもこの90分と言う間にこんなにも人間の運命と心の動きを巧みに描いてみせた本作の面白さは他にはちょっとないものかもしれない。
そしてその面白さをフランキー堺氏がほんとうに豊松という人物がそこにいるかのように思えるリアルさで演じている。
貧乏で夫婦で理髪店をやっとの思いで開業して戦争が始まって我が子がおなかがすいているのを見かねて真面目な豊松が妻に配給の石鹸(髭剃りに使わねばならないのだが)を米に変えて来いと言い出す。妻は真面目なあんたがそれでいいのとやんわり言ってやっぱり我慢することにする。そんな家族なのである。
自分を死刑に追いやった司令官の謝罪を聞いてつい同情してしまい「閣下」と呼んで散髪してあげ、彼の死刑後にはお経を読んで同室の者から非難されると「世の中理屈ばかりじゃない」と言ったりする。
お人よしな男なのだ。
窓から見える空から景色の移り変わりを感じることで年月の流れが伝わり、同じ運命となった人々との交流の様子が生き生きと(というのはおかしいか)描かれていく。
裁判に憤り怯え、死刑執行がぴたりとなくなってからは奇妙に都合のいい噂が飛び交い希望を持ってうきうきし、ついに宣告を受け驚愕の表情をする豊松。
宗教は信じないと言いながら彼の側にいてくれる小宮教誨師に抱きついてしまう。死への怖れ。
死刑台に向いながらあの「貝になりたい」の言葉を訴える。
そうした物語の展開は面白いとしか言いようのない巧みさ素晴らしさである。
むしろ舞台劇をみているような感情の爆発や力強さを感じる。
ひたひたと迫ってくる死を気づかず笑っている主人公がそれを知った時の驚愕。いくつかの謎。これほど面白いサスペンスミステリーもないと思うがどうしても反戦と人情ドラマとして観られてしまう。それはそうだしそれとしても素晴らしいが自分としてはこの運命の怖ろしさとスリルに見入ってしまうのだ。
ただ彼の帰りをひたすら信じて待っている妻と息子がいじらしい。

ところで作品中、「死刑というのはみせかけで死んだはずの男が北海道で生きていたよ」というくだりがある。アメリカ側が死刑執行したことにして解放しているという噂なのである。
豊松は宣告を受けすっかり動転して死刑へ向かうがこの噂が事実だったら、彼はこの後、自由になったということはないのだろうか。
彼の死刑そのものの映像はないのだからもしかしたら、とも思ってしまう。
そして司令官が豊松さんに「責任は全部自分にあるという書類を書いた」と言って安心させる場面がありこれで豊松さんが再び司令官を閣下と呼び出すのだが、これも彼が話した言葉だけであって事実なのかどうかはわからない。結果、豊松氏が死刑宣告されたことからももしかしたら何もそういう書類など出さなかったのかもしれない。ただかまって欲しくて嘘をついたのかも。どちらも謎のままである。

演出:岡本愛彦 脚本:橋本忍 出演:フランキー堺 桜むつ子 平山清 高田敏江 坂本武
posted by フェイユイ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月27日

『マルタの鷹』ジョン・ヒューストン

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The Maltese Falcon

昔、少女時代に世の中に「ハードボイルド」と称される分野があると知り、感情を込めずに行動のみを描写していくスタイルだと聞いてかっこいいなと思った。その技法で書かれる小説は大概タフガイが主人公である。本作のダシール・ハメットが書いたサム・スペード。レイモンド・チャンドラーが書いたフィリップ・マーロウがその代表だろう。憧れの気持ちを持ってハードボイルドの世界に入ろうとしたがどうにも惹きこまれないのだ。どうして?あれほどたくさんの人が賛辞し真似たがる男の姿にどうして魅力を感じないのだろう。自分が子供だからだろうか。
そう思って年月が経ち、年齢だけは相応に年取ってもう判るかな、と鑑賞したのだが。

駄目だった。

とはいえ、もうすでに世の中の人々も昔のようにハードボイルドの男に憧れを持ってはいないようである。
大人になればハンフリー・ボガードの渋い男の魅力を味わえるかと思ったがむしろ腹立たしいばかりであった。
冷酷非情で強靭な妥協しない精神を持つタフガイがハードボイルドの男だという説明だけならそれもなかなかかっこいい男の一つかなと思うのだが、本作ジョン・ヒューストンが作り上げたハンフリー・ボガード=サム・スペードにはなんの魅力も感じない。
冷酷非情というより単に思いあがった傲慢な乱暴者にしか思えないし、やや精神異常かなと思える箇所もある。
女性に対しての不条理に見下げた態度を男らしいとはとても思えないし、こんな男を好きになるような女性しか出てこないというのも不思議である。
確かにこんな男がのさばっていけた時代もあったのだろうか。ジュリーが「あんたの時代はよかった。男がぴかぴかの気障でいられた」と歌ってからもう久しいがあの頃でさえこんな男では生きていけない世界になっていたんだろう。
まあ私が声を大にして罵らなくともすでにそう思う人が多いからハードボイルドをパロディにした作品がたくさん生まれたのだろうし、そちらのほうに共感する人も多いのだ。例えば『名探偵登場』でピーター・フォークが演じたハードボイルド男の乱暴な態度には大笑いして観ていたわけだから。

一体こういう男が主人公であり得た時代、それを真似しようとしていた時代というのはナンだろう。
むしろ、ほんとうに男らしい男というものがいなくなるのでは、と感じた時代の造形なのではないのか。
無論、アメリカではそれ以後も形を変えながらハードボイルド的タフガイという偶像を作り続けてはいるのだが、こうも身勝手に都合のいいナルシストの男ではないのではないか。
いつも表情を崩さず、相手を陥れた時だけにやりと笑い、びしっとスーツを着こんで煙草を吸う。乱暴なしゃべり方でしかも事務の女性をダーリンと呼んだり、最後に「男は相棒を殺されたら黙っちゃいない」とか言いながらその女性の鼻にキスをしたりするような男は気持ちが悪い。
現在で言うならこの前観た『ノーカントリー』の追いかける男シガー。追われるモスのほうではなくあの感情のない怖ろしい男の姿こそハードボイルド男の現在の姿なんだろう。あの男がハードボイルドというのなら私も賛成する。

監督:ジョン・ヒューストン 出演:ハンフリー・ボガート  メアリー・アスター グラディス・ジョージ
1941年アメリカ
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2008年11月26日

『青空娘』増村保造

青空娘.jpg

このDVDの表紙写真があまりにも印象的でこれはちょっと観たいなと思わせてしまう。
瑞々しい若さと青空が溶け込むようで凛とした横顔と真っ白なブラウスに包まれた胸が眩しい。きゅっと細いウエストに真っ赤なスカートを穿き、髪が風にそよいでいる。
内容もまさしくこの通りで青空そのもののような若い娘を若尾文子が生き生きと演じている。
一連の増村保造監督作品で大好きになってしまった若尾文子でその色香に惑わされてしまうのだが、この時の彼女はほんとに可愛らしくて元気いっぱいである。とはいえその若々しさの中に色っぽさがすでに滲んでいるのだが。この時の文子さんは前歯の真ん中がすきっぱになっていて確か後では矯正しているのではないだろうか。そんなとこも若さなのかもしれない。

増村監督作品はテンポがよくてしかもきっちり台詞で言いたいことを述べてくれるので詮索などせずに映画を楽しめてしまう。
4人兄弟のうち1人だけ何故か田舎で育てられた少女ゆうこが高校卒業と共に父親から東京へ呼び寄せられる。
ところが東京へ行くと父親は不在で彼女は他の家族からは女中扱いを受けてしまうのだ。
実はゆうこだけは兄弟たちとは違う母親の子供だったのだ。
義母と義姉から執拗な虐めを受けてもけなげに頑張るゆうこ、という定番の物語なのだが、ぽんぽんと軽快に話が進んでいくのとほんとにゆうこが可愛くて明るいのでついつい観てしまう。
当時の東京の雰囲気も楽しい(って言っても今の東京も知りはしないのだが)変てこな人がいっぱいいてさすが都会だという気がする。
しかしゆうこが上京していきなり会うのがミヤコ蝶々さん演じる女中さんで関西弁なので混乱してしまった。とはいえミヤコ蝶々さんのおやえさんのしゃべりが面白くて惹きこまれてしまうのだ。
高校の恩師から助けられ、おやえさんに気に入られ、最初は反発していた弟ヒロシを味方にし、義姉が結婚相手と考えてるお金持ちの御曹司からは好意を持たれ、ゆうこは奮闘していく。
どう考えてもこの話、ゆうこの父親が根源で本人は自分が被害者だと思っているから性質が悪い。
ゆうこが父の家を出て病気になってしまった父親にきっぱりと言うのである。「すべてはあなたが誰も本気で愛さなかったからだ」
それまでゆうこを苛め抜いていた義母が夫の謝罪の言葉で泣き崩れるのを観てこの人もずーっと意地を張り通してきて辛かったんだなあと思いすべてが丸く収まり大団円という作品だった。
単純な話なのにとても魅力的なのだ。この作品の力強さというのは他のどれにも同じように感じるものである。

なんとなくこの明るさに高野文子の作品を思い出した。

監督:増村保造 出演:若尾文子 川崎敬三 菅原謙二 品川隆二 東山千栄子 ミヤコ蝶々
1957年日本
ラベル:増村保造 青春
posted by フェイユイ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 増村保造 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『L.S.D. プロブレムチャイルド&ワンダードラッグ』マカティア・マイケル

LSD - Problem Child & Wonder Drug 3LSD.bmpLSD - Problem Child & Wonder Drug 2.jpgLSD - Problem Child & Wonder Drug.jpg
LSD - Problem Child & Wonder Drug

正直、これは胡散臭いDVDかも、と何も知らない自分は半分おっかなびっくり鑑賞始めたのだが。

なにしろ「LSD」というと自分は直接体験したわけではない「ヒッピー」だとか「フラワーチルドレン」などと呼ばれていたかつての若者達の文化の中で「サイケデリックアート」などを生み出した怪しげな薬。怖ろしい幻覚を見る薬の中でも最も強いもの、ということだけが伝わってきていてそんなものを体験するだとかいうことはまったく別世界でのお話として読んだり聞いたりしただけのもの。
ヒッピー達が消えていくと同じくしてLSDの使用も研究も禁止されたということで私として遠い昔の遺物なのかと思っていたのだが。

このドキュメンタリーはドキュメンタリー自体の出来がどうのとかいうのは問題ではないだろう。
LSDの生みの親であり自らも体験を重ねてきた化学者アルバート・ホフマン氏がアメリカ政府の禁止により世界中の禁止になった「問題児」LSDについてシンポジウムで語った記録映画というもので100歳と言う年齢にはとても思えない熱くはっきりとした語り方であった。
ご本人はこの2年後に亡くなられたそうなのだが、この薬「LSD」が命を縮めることはないのかもしれない。
シンポジウムではホフマン氏以外の人物からもLSDがいかに有効な薬物であるかの説明が続く。他の薬品では効き目が薄い、もしくは副作用が激しいというような難病の場合にもLSDによって抜群の効果が得られるなど強く奨励するものばかりである。LSDによって世界観が変わり人生が変わるなど。
だが一方でこの薬がその作用の激しさの為、自白剤として使用されるほど恐怖に満ちた幻覚を見るなど使い方を間違えると怖ろしい結果を生んでしまうのだ。ホフマン氏自身も研究室で服用した際、状況が悪かったのでバッドトリップしてしまい気持ちよく設えた我が家で気の合う仲間と服用した時は非常に幸福な体験をするという環境に左右されるものであるらしい。
とにかく説明を聞いても信じられるものではなく、自分で体験した時初めてその素晴らしさがわかるのだ、と言われてしまっては未体験者は何も言えなくなってしまう。

難病に効果がある、と聞けばそれなら正しい方法で治癒に使って欲しいと思う。例えばサリドマイドも私たち世代には怖ろしい薬の名前だがこれも正しく処方されれば重い病気に素晴らしい効果があると聞く。
だがLSDといえばそういう方向ではなく、やはりサイケデリックな幻覚を見る薬というイメージが強く実際それが目的で使用するほうが遥かに多いはずだ。
それによって優れた芸術が生まれるのだと言われても素直に賛同はできない。
しかしこのドキュメンタリーを観たということ自体自分がどこかやはりそういう精神の解放とか新しい感覚というものに憧れているのも確かなのだろう。
それでも幼かった頃の自分のままで「凄いものがあるんだなあ」とびっくり驚いて恐々こういう話に聞き耳を立てるまででありたいと思う。

監督:マカティア・マイケル 出演:アルバート・ホフマン
2008年スイス
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『レンブラントの夜警』ピーター・グリーナウェイ

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NIGHTWATCHING

グリーナウェイ初鑑賞だった。有名な人でタイトルなんかとても気になってはいたのだが何故か機会がなかった。
で、この作品のみということだが、話に聞くような難解さはなかったがとにかく枝葉が多いし長く感じたのは確かである。退屈も感じたが終わってみるとなかなか面白い作品だったという印象を持った。時間が経てばよりそういう思いが強くなるのかもしれない。

とにかくこの作品の題材となるレンブラントが描いた『夜警』についての謎解きが面白い。
絵に音をつけてみるとか、この絵に描かれた人々はまるで役者のように視線をこちらに向けようとしないとか、一番奥でこっそり覗いているのがレンブラント自身の目だとか、そして描かれた人々を一人ひとりあてこすったりその仕草が何を意味しているかなど興味を持って観てしまう。
そしてこの絵によってレンブラントがすべてを失っていくのである。最愛の妻の死もこの絵にまつわるものだった。
画家として最も大切な目を奪われたレンブラントの目を舐めながら新しい若い妻が「私たちの闇はどこ?」と聞く。
そしてレンブラントを「底意地が悪く批判的で皮肉屋で夢想家で芝居がかった陰謀をでっちあげた」と語っているがこの二つの台詞はグリーナウェイ自身に向けて問いかけている言葉なのだろうか。

絵画そのもののような美しい映像、舞台劇を観ているかのような演出とともにレンブラントという今まであまり興味も持たなかった画家の一枚の絵から生まれた物語に驚嘆した。

グリーナウェイ。他の作品もなかなかレンタルで観るのも難しそうだが、観ていきたいものである。

監督:ピーター・グリーナウェイ 出演:マーティン・フリーマン エヴァ・バーシッスル ジョディ・メイ エミリー・ホームズ マイケル・テイゲン ナタリー・プレス
2007年 / カナダ/ポーランド/オランダ/イギリス/フランス/ドイツ
ラベル:絵画
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2008年11月23日

WOWOWドラマ『プリズナー』第2話

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第2話になって少しだけ締まってきたでしょうか。それにしてもこの明るい映像が艶消しなんだよな。

物語自体にはさほど感銘を受けないのでとにかく監獄内の玉ちゃんとナオさんにのみ集中。
ナオさんは必要以上に玉ちゃんにべたべたくっついている気がするのだが。「やめろよ」と言って止めるとこも別に袖をひっぱるだけでもよいのに後ろから抱き着いて止めたりとかさ。ナオさんが玉ちゃんを見つめて「綺麗だ」と思ったと言うシーン(だと思う)もありました。
玉ちゃんのロシアンルーレットあからさまにナオさんが弾を抜き取ったと言う感じである。いくらなんでもばれるだろうと思うんだが。
そして脱獄劇。脱獄ものというのも数多いがやっぱりこれははらはらしてしまうものですねー。
それにしてもこれも物凄く簡単な気がするのだがなあ。と言っても見所は玉ちゃんの脱獄より玉ちゃんの脱獄の手引きをしたナオなんの裏切り?というところでしょうか。
「誰も信用するな。俺のことも」ということですね。
ここは偽悪的なポンの真骨頂という見せ場でちょっときましたね。このくらい悪辣な雰囲気に満ちてるとうれしいのですが。

悪の大物中国人王尊民を演じる松重豊さんの出番が少ないのが寂しいぞ。もう少し観たいなあ。

鶴田真由さん演じる西山ってなんだかうっとうしい。小日向さんの宇部さんってなんだかまた悲しい思いをしそうな予感。10年前正義漢をやって失敗したために冷血になってるみたいですがまた甘いことをしそうな感じですね。

演出:水谷俊之 脚本:大石哲也 出演:玉山鉄二 大森南朋 鶴田真由 中村俊介 松重豊 石黒賢 小日向文世 佐田真由美 
2008年日本
posted by フェイユイ at 23:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『オフサイド・ガールズ』ジャファール・パナヒ

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OFFSIDE

何故女はサッカー競技場で観戦ができないの?
というテーマでドイツ・ワールドカップ出場目指すイランの対バーレーン決勝戦での一日を描いた作品。

イランでは女性が男性競技者のゲームを観る事ができない。例えイランがワールドカップ出場を賭けた試合でも女性が競技場にはいろうとすれば逮捕されるという国なのである。何故なの?と登場人物の女性たちは問う。彼女達を逮捕した兵士たちも明確な答えはできない。「男と女は違う。競技場は男ばかりで女に聞かせられないような罵詈雑言が飛び交っているからだ」サッカーが大好きで自分も選手だという女性もいる。そんな答えでは納得できないのは当たり前。90分ほどの作品の中、殆どしゃべりっぱなしで「何故なの、何故なの」を繰り返しているような映画なのだ。
同じ女としてはほんとうに苛立ってしまう話で冒頭の可愛らしい少女が精一杯男装してサッカー場へ入ろうとする場面など、こちらも同じように緊張してしまった。「女だと判ったら、どんな目にあうと思う」などと言われたら怖気づいてしまう。
可愛い少女はあっという間に捕まってスタジアム裏手の簡単な柵の中に入れられてしまうのだが、なんだか声だけはでかいがちょっと間の抜け加減の人のいいリーダー格の兵士(この人いい人すぎてかわいそうである)とその部下みたいなのがあまり迫力のない感じで見張っている。柵の中の捕まった女達のほうがぺちゃくちゃサッカーがどうだの選手がどうだの話しまくって元気がいいったらない。
イランのサッカー選手といったらアリ・ダエイくらいしかぴんとこないが彼の名前も無論ちゃんとでてきて(トップ選手だから当然)なんだか知ってるぞとうれしくなる。
まあサッカー狂いのサポーターたちというのはどこの国でもおなじようなもんである。
前にスコットランドのサポ少年たちを描いた『明日へのチケット』も面白かったが奴らの熱狂振りというのは傍から見てる分にはほんとに狂気の沙汰である。
しかしイランサポ、これから決勝戦だっつーのにロナウドのシャツを着てる奴が何人もいたぞ。日本だったら考えられんと思うが適当だなあ。
作品中で見れないで悔しがる女性の1人が「日本人女性はこの試合場で試合を観てたわよ」と兵士にくってかかると「日本人は言葉がわからんから、見てもいい」という変な答え。よほどイラン人は酷い悪態をついているのかね。女が男の側に座るのはいけない、と言い張るからよほどイランの男性はいやらしいのかと思ってしまうがこれで観てると別段普通に女性に接しているわけで女性を観れば突然襲ったりするわけでもあんめーに、と首をかしげてしまうのだがなあ。
と言っても少し前までは日本も似たような部分もあったとは思うので、もう少し時間が経てば「あの頃は女はサッカーも観れなかったのよ」という笑い話になればいいなと他人事ながら願ったりもする。
とはいえ、同じく男性も女性競技者のゲームを観る事ができないという。男性監督でも女性チームの指示を外からするしかないというお国なのだ。うーん、大変だなあ。
ま、テーマがサッカー観戦ということなのでそれほど「なんという酷い差別だ!」と怒りの拳を振り上げるほどもないので(勿論腹はたつが、「女性性器切除」みたいなすぐにどうにかしてあげられないのかと苛立つものではないということで)なんだかムカつくよねといいながら笑ったり怒ったりしながら観れるいい作品に仕上がっている。
実際の男女差別はもっと大変なものかもしれないし、もっと深刻な事柄もあるだろう。
「何故女性は男性のサッカーを観れないの?ワールドカップなのに」という軽い雰囲気の作品だからこそ、笑いながら考えられるのだろう。男達もどこか気が弛んでいる楽しさがある。
そして結局試合は観れなかったのにイランのワールドカップ出場決定を大騒ぎして喜ぶ女達の明るさにもうれしくなる。
とんでもないことに町中のお祭り騒ぎに紛れて兵士たちの目を逃れ脱出する彼女達。大勢の男達の群れの中に同じサッカー好きとして混じりこみ騒ぐ彼女達。彼女達がもう少し年を重ねた頃堂々とサッカーが観れるといいのだが。

劇的な映画手法ではなくドキュメンタリーを観ているような撮り方が本当の話みたいだ。どこかのんびりした雰囲気もあり、聞こえてくるのが試合の歓声でバックミュージックみたいなものが使われていないのもいい感じである。
捕らえられた女性たちがそれぞれ個性的であり特に男っぽい彼女はすてきだった。頑張ってほしいなあ。

監督:ジャファール・パナヒ 出演:シマ・モバラク・シャヒ サファル・サマンダール シャイヤステ・イラニ M・キャラバディ イダ・サデギ
2006年イラン

ラベル:女性 差別
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2008年11月22日

『清作の妻』増村保造

清作の妻.jpg清作の妻2.jpg

いやもう凄い。増村保造映画というのは。
どの作品も90分ほどの現代の感覚では短いものなのだが、きりっとしまった密度の濃い作品なので単にダラダラした映画よりはるかに多くのことが描かれているようだ。それはもう私などにはわからない脚本のうまさ、構成、撮り方などのすべてがきちっと計算されたもので成り立っているからなのだろう。
物語もシンプルではっきりと登場人物の考え方が伝わるように描かれているのでとても判り易い。
ただラストシーンでおかねが懸命に畑を耕しているそばで清作が黙ったまま難しい顔をしていてそれを見るおかねもなにかしら心細いように見えたのはなぜだろう。限りないように見える畑で耕しつづけるおかねとその向こうで黙って座っている清作というラストの構図は二人がこれから立ち向かう未来は果てしない困難に満ちていることを示しているのだろうか。

幼い時、両親と共に村から追い出されてしまい、17歳で老人の愛人となったおかねが老人の死後、大金を与えられて母親の要望でかつて住んでいた村に戻る。
おかねは全く愛のなかった老人との生活に精神が参っており村に戻っても妾だった女として嘲られ続ける。
ささくれ立ったおかねの前に村一番の模範青年と呼ばれる清が立派な軍人となって帰ってくる。
村中からあばずれと呼ばれるおかねに清作は次第に魅かれていくのだった。

何と言っても怖ろしいのは村の人々である。清作を模範軍人だ英雄だと誉めそやし宴会を開いては飲み食いするが清作がおかねのせいで目が見えなくなってしまうと「戦争から逃げる為に計画した。売国奴だ」と罵る。おかねに対してもおかねが村人に何か悪事を働いたわけでもないのに金持ち老人の妾だったというだけであばずれだと蔑む。清作が再び戦場へ赴くことになり、うろたえたおかねが「酷い怪我をすれば清作も戦場へ戻らずにすんだ」という言葉のためか彼の目を突き視力を奪ってしまうのだ。
村人はそんなおかねを殴りつけ蹴りつけ警察へ突き出す。
清作が最初はおかねに激しい怒りを持つがおかねの家で2年の刑期を待つという。
戻ってきたおかねに清作は目が見えなくなって村人から蔑まれお前の孤独がどんなものかやっとわかった。目が見えなくならなければ俺はいつまでも馬鹿な模範生のままだった、と言っておかねを抱きしめるのだ。

模範生の清作は村人の規範となるよう鐘を下げて毎朝それを打ち鳴らす。怠け者の村人が早く起きて働くように。
鐘は清作が模範生である象徴だった。村人から卑怯者と蔑まれ清作は鐘を谷底へ落とす。

愛のない生活を送り、金だけを与えられ、村人からは嫌われ続けるおかねを若尾文子が演じている。小作りな、なんともいえない色っぽさがある。『卍』の時は衣服もおしゃれだったのもあるがここでは粗末な格好しかしていないのにどきりとするほど美しい。
それは確かに男だったらほっとけないだろう妖しいエロティシズムもあって真面目な模範青年の清作がのめりこんでしまうのもうなづけるのだ。
おかねも清作も普通より外れた場所に立っている二人なのかもしれない。互いがいなければ生きていけないと言って抱き合う姿は普通の人から見れば怖ろしい外道の愛なのかもしれない。

清作を演じた田村高廣も好青年ぶりがまさにぴたりであった。二人が狂おしいほど抱きしめあう場面は現代でもこんなにもエロテッィクなものはない様に思える。増村保造作品の感想にはエロティシズムという言葉が必要なもののようだ。

監督:増村保造 出演:若尾文子 田村高廣 千葉信男 紺野ユカ 成田三樹夫 殿山泰司
1965年日本
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オダギリジョーの出演に韓国人女優の出演依頼が殺到! 監督が明かす

オダギリジョーの出演に韓国人女優の出演依頼が殺到! 監督が明かす

朝TVでもちらりと観ましたがキム・ギドク監督とオダギリがそんな深い関係になってしまうとはなあ。

こちらも
キム・ギドク監督がオダギリジョーの知られざる一面を暴露!「悲夢」会見

とにかく楽しみってことで。
ラベル:キム・ギドク
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2008年11月21日

『ミリキタニの猫』リンダ・ハッテンドーフ

the_cats_of_mirikitani_02.jpgthe_cats_of_mirikitani_.jpgthe Cats of Mirikitani.jpg
The Cats of Mirikitani

猫好きなのでタイトルに猫なんていうのがついてると物凄く気になってしまう。しかも『ミリキタニ』である。『ミリキタニ』ってなんだろか。と絶対思うはずだ。答えはニューヨーク在住の日系アメリカ人の名前ジミー・ミリキタニの姓なんだけどご本人が間違えてるんじゃとさえ思ってしまった。漢字に直すと『三力谷』なのだ。なるほど、言われれば普通なんだけど、思いつかなかった。広島出身の彼ということで広島ではわかる名前なのだろうか。

ニューヨークの街角・韓国系の花屋さん(?)の脇で絵を描くホームレスの老人。極寒の冬は物凄い着膨れしてビニールシート(?)の向こう側で寝泊りしているが病気もしないという。
グランドマスターと名乗るアーティストのミリキタニ氏の人気の絵が猫の絵でこれがなんともいえない味わいのある可愛さでなかなかいけてる。このドキュメンタリーを撮った女性リンダに絵をあげる代わりに自分を撮って欲しいと頼まれたのがこれらしい。

社会保障を受けさせようとしても頑固にはねつけ大変な境遇とはいえのんびり気ままに絵を描いているミリキタニ老人ののどかなホームレス生活のドキュメントかと思いきや、彼には辛い過去があった。
第二次世界大戦時、アメリカ市民権をとっていた彼はその権利を剥奪され収容所に入れられてしまう。その時のアメリカ政府の冷酷さを彼はこれまでの人生で繰り返し批判演説してきたのだという。
同じ運命を辿った日系アメリカ人が過酷な状況の収容所で命を落とし、またそこから出る時も行き場がなく死んでいったのだ。ミリキタニはその悔しさを絶えず口にし、アメリカ政府を罵り続ける。自分を兄と言って慕っていた幼い少年も亡くなったと訴える。
その悲しみと怒りは当然のことだけれども長い年月を怒りの中でいきてきたジミー・ミリキタニを慰めることはできないのかと思ってしまう。
猫好きだという彼の描く猫はとてもユーモラスでのんびりしているように見えるのに、収容所の絵は冷たく感情もないようだ。

同時多発テロの貿易センタービル破壊を機に路上生活が難しくなったジミー氏をリンダさんは自分の家へ住まわせることにする。
このこと自体驚きだけど、仕事へと出かけるリンダさんと飼い猫と家の中でひたすら絵を描き続けるミリキタニ老人の奇妙な同居生活が始まる。
映画を観てきたと言って12時近くに帰宅したリンダに「独身女性が12時帰宅とはどうする」と言って怒り出すミリキタニ氏がおかしい。いつも何も気にしていない風のミリキタニ氏が「悪い奴ばかりだぞ。心配した」と心臓の辺りを撫で回す。よほど心配したのだろう。それを聞いたリンダは「若いんだもの。外出したいわ」と言いながらミリキタニ老人のうどんを温めなおしてあげる。まるでほんとうの孫みたいである。一方ミリキタニがなかなか散歩から帰ってこないと「遅かったじゃない。心配したわ」と言ったりしてる。
日本人らしく小柄なミリキタニ老人とアメリカ女性らしい大柄なリンダが並んで写真を撮るのも微笑ましい。

ミリキタニの悲しい過去と波乱に満ちた人生とホームレスになり、またリンダたちの働きかけで社会保障を受け、新しい住居も得た老人ミリキタニ。
リンダさんのドキュメントはそれらを淡々と見つめていて、決して声を荒げて訴えているというのでもない。
ただミリキタニ氏がツールレイク収容所巡礼ツアーでかつていた場所を見ていくうちに彼が「もう怒ってはいない」と言い出したのは救いだった。あれほどの怒りがどうしてなくなっていったのか。
過去の場所に戻るという話は多いけど、それはやはり気持ちを整理する効果があるのだろうか。

引退などせず心臓が止まるまで絵を描き続けるというミリキタニ。彼があの怖ろしい収容所の絵をもう描くこともなく、大好きな可愛い猫の絵をずっと描き続けて欲しいものである。

このドキュメンタリーで描かれているのはミリキタニの歴史というだけでなくやはりリンダ監督とミリキタニそしてまた他の人々との交流なのだ。
ドキュメンタリーというのは被写体を写し撮っていくものだが本作では監督と撮られているミリキタニの友情が濃く映し出されていく。
それは狙ってもできない奇跡のようなものなのだろう。
観るものはそんな彼らの友情に強く惹かれてしまうのだ。

監督/撮影:リンダ・ハッテンドーフ 出演:ジミー・ツトム・ミリキタニ ジャニス・ミリキタニ ロジャー・シモムラ

2006年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:37| Comment(0) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

『幻影師アイゼンハイム 』ニール・バーガー

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THE ILLUSIONIST

楽しかった!昨日の『憲兵とバラバラ死美人』もそうだったが(並べるなといわれそうだが^^;でも憲兵(警察)と死んだ美人だから同じ題材なのだ)ちょいとオカルトも混じったミステリーというのはめちゃくちゃ好きなジャンルである。大体公爵令嬢と奇術師が結ばれるなどアメリカ的な発想というか、今だから考えられるので当時それこそありえないことである。まあその辺は映画的に華やかな設定にした、ということで夢をみようか。

映画だからマジックというのはどうにでもなるとはいえ、時代がかった背景と暗い照明もあいまって雰囲気たっぷりに見せてくれる。
アイゼンハイムが少年時代から愛し続けたソフィを舞台の上に上げ、鏡のマジックをする箇所など映画なんだから驚くこともないのだが、ゾクソクとするような演出だった。
アメリカ映画らしいシンプルで大逆転のハッピーエンドものだとはいえ、お髭のエドワード・ノートンがなかなかすてきな奇術師でマジックだけではなく弁舌巧みでオカルティズムに変貌していくとますます信者ともいうべきファンがついていく、というのが面白い。
物語の狂言回しである警部が立場上は皇太子に従わなければならないのに心情的にはアイゼンハイムのファンになってしまうというのも愉快な展開である。
原作者のスティーヴン・ミルハウザーのことをまったく知らなかったが経歴及び作品の紹介を読んでいるとアメリカ人ながら幻想的・耽美的・ロマン主義的な作風であるということでなるほどこの映画はまさにそういった古いヨーロッパのイメージを愛するアメリカ人らしい仕上がりなのではないだろうか。
ヨーロッパ映画ならもっと癖の強い味わいになるとは思うのだが口当たりのよい楽しめるオカルトミステリーであった。

ところでこれを観始めてあっと思ったのは周杰倫のことなのである。なにしろジェイは近々自ら監督となってマジシャンの映画を作るのであるが、一体どんな作品になるのだろうか。この映画を観ながらまだ観ぬジェイのマジシャン姿を重ねてしまったのだった。(いや映画じゃなければよく見てますが)
ジェイも古めかしいのが好きだからこういう時代ものになるのだろうか、などとも。マジックって憧れてしまうんだよねえ。

監督:ニール・バーガー 出演:エドワード ノートン ポール・ジアマッティ ジェシカ・ビール ルーファス・シーウェル エドワード・マーサン
2006年 アメリカ/チェコ
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2008年11月19日

『憲兵とバラバラ死美人』並木鏡太郎

憲兵とバラバラ死美人.jpg

何故またこんな変なB級タイトルの映画を?と言われそうだがこれが中味は結構風格のあるきちんとした娯楽ミステリー作品であったのは驚きだった。
かなり古い映画だがうれしいのは名探偵の憲兵として中山昭二さんが主演されていることで私たち世代にはウルトラ警備隊キリヤマ隊長のイメージが強い方だが、この映画でも隊長の貫禄そのままのキャラクターで2枚目でありながら男らしくしかも優しい人格を表現しておられた。
憲兵の服装もお似合いだが最後スーツ姿でさっそうと登場する場面もかっこいいのであった。

昭和12年。仙台歩兵第四連隊が舞台となる。炊事用井戸から異臭がした為調べると、女性のバラバラ死体の胴体部分が見つかった。しかも子供まで身ごもっていたのである。
憲兵隊の名誉にかけて警察の調査を嫌ったことで犯人捜査は難航。仕方なく東京から援軍を乞う事になった。
この東京からやってきたのが中山昭二演じる小坂である。
東京の助けを借りたことを侮辱に感じて隊内では小坂への反感がつのり功をあせってある軍曹に嫌疑をかける。そして拷問にかけて口を割ろうとするのだが。
色男の為、死体の女性と関係があったのではないかと疑われる軍曹が天地茂なのだ。なにしろDISCASに書かれたキャストの2番目に名前があったので彼が名探偵なのか、はたまた犯人なのかと探しながら観てたのだが、物凄くスマートで最初まったくわからなかった。昔はこんなに細かったんですねえ。しかも嫌疑をかけられ激しい拷問を受け続けるが実のところは単なるこそ泥で隊内の食料を横流しして金を儲けては女遊びをしていた情けない奴、という設定にすぎなかったのだ。とほほ。

心優しい小坂は殺された女性の無念と拷問されている軍曹を救おうと1人の部下と共に懸命に捜査を続ける。地元警察と懇意になったことも手伝って小坂はついに犯人をつきとめる。

単にミステリーの筋書きというだけではなく、東京から仙台へ出張して美人女将が営んでいる小料理屋兼宿屋に宿泊しているくだりや捜査をしている過程などがなんともいえない昔の風情があって見ごたえがあるのだ。ミステリーというのは謎解きだけではなく物語の雰囲気が何より大切でタイトルからは想像しにくいどっしりした醍醐味が感じられる作品だった。美人女将と小坂氏のほんのりとしたラブストーリーも加味されている。
面白いのは犯人が満州へ志願して渡っていたために小坂が逮捕を任命されるのだが、犯人は隊を脱走。中国人に変装して現地の女性としっぽり酒を飲んでいたところを取り押さえる。
犯人の八角眼鏡が怪しげであった。最後だけ突然銃撃戦のアクションものになるところがやはり娯楽映画ならではというところか。
犯人が私利私欲のため、女性を殺害し近所にあった病院で死体をばらばらにしようとする場面はなかなか怖ろしい緊張感のあるものだった。

満州がちょっと出てきたので自分の興味が湧いたのも確かではあるが、多分セットでそれらしく仕上げたものであるだろうな。

監督:並木鏡太郎 出演:中山昭二 天知茂 江畑絢子 細川俊夫 若杉嘉津子 鮎川浩 小高まさる 江見渉
1957年日本
ラベル:ミステリー
posted by フェイユイ at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイ・チョウ最新作は歴史アクション、恋人役は韓流人気女優

ジェイ・チョウ最新作は歴史アクション、恋人役は韓流人気女優

袁和平監督の最新映画「蘇乞兒」とはまた別にこういうのも。時空を超えてモンゴルにっていうのがなんとも。
いい作品になることを願います。いや期待しますぞ!!!!
posted by フェイユイ at 08:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする