映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年12月14日

NHKスペシャルドラマ『最後の戦犯』オンデマンドにて

最後の戦犯.jpg

結局観てしまったNHKスペシャルドラマ『最後の戦犯』オンデマンドにて鑑賞。
むろん、新井浩文さん目的である。出番は冒頭と最後の僅かな時間なのだが。
主役のARATAさんは『ピンポン』くらいしか観た覚えがないが(『真夜中の弥次さん喜多さん』にも出てたのね)誠実すぎるくらいの真面目な九州男児を演じていてなかなか見応えありました。ちょっと九州弁はどうかなあと思うのだが、それは他の出演者も同じようなものなので。贔屓じゃないが新井さんくらいの九州弁のほうがリアルに聞こえるんだけどね。他の人のはやりすぎ。ARATAさんの「篠崎〜」は外人さん?っていうようなイントネーションだったので感動場面なのに思わず苦笑い。こういう時、地元人間は却って損ですな。
ま、そういうことはいいとして、このドラマ、かなり地味な内容ながらいい作品だった。
上官の命令によって捕虜を仕方なく処刑し、戦後裁判にかけられる、という物語はどうしても話題の『私は貝になりたい』と重なってしまうのだが訴えている内容はまったく違うものになっている。
『私は貝になりたい』(1958年ドラマ版)はよくできたミステリーを思わせる(と私は感じたのだが)のだがこちらは戦後、アメリカ人捕虜を処刑した仕官見習たちが上官から裁判から逃れるよう指示を受けてからの生き様と心の動きを描いているのだ。
主人公・吉村修が命令でしかたなくやったことで裁判にかけられる理不尽さへの怒りや上官への失望は『私は貝になりたい』の主人公と同じで物語の途中まではやや退屈にも思えたが、逃亡先の岐阜県多治見の陶芸工場で働く逃亡者としての彼の描写に段々魅かれていった。
周囲の人々とのふれあいや信頼が深まっていっても彼の心は鬱々として慕われるほど塞ぎこんでしまうのだ。
やがて3年半が経ちとうとう吉村は警察に逮捕されてしまう。
巣鴨プリズンで再会した同期の篠崎は死刑宣告を受けており、保身の為嘘の証言を述べ立てる上官たちに強い怒りを覚えている。
その姿を見て吉村は「例え、命令で仕方なかったとしても俺達が人を殺したのは事実なんだ。その裁判を俺は受ける」と言うのだった。
このドラマは実際に当時22歳だった見習士官左田野修さんの手記から作られたものだということでこの言葉も佐田野さんのものだったのだろうか。
だとしたらよくそこまで自分の行った行為を見つめられるものだと思ってしまう。
『私は貝になりたい』(私が観たのは1958年TVドラマなのでそれについては)では善良だった一兵士が大きな権力に押しつぶされていく恐怖が見応えある面白いサスペンスミステリーだったのだが、ここではその運命を受け入れていく悟りのようなものが描かれている作品となっている。このあきらめののような心情は人によっては共感できないものかもしれない。篠崎のように俺は絶対認めたくない、と思うのが普通の気持ちだろうと思うから。
だが戦争体験で吉村修がたどり着いたようなすべてを受け入れる悟りの心のようなものを感じた人もまたいたのだろうか。
戦争を体験していない自分は体験していない幸福を感じながらこの主人公の精神に驚いてしまうのである。

戦犯の家族たちが過酷な状況に置かれるというのも怖ろしい事実だった。ここの描き方も『私は貝になりたい』とはまったく違うものになっている。

演出 : 柳川 強 脚本:鄭義信  出演:ARATA 、田辺誠一 、石橋凌 、中尾彬 、倍賞美津子 、新井浩文
2008年日本ドラマ

ドラマ「最後の戦犯」


ラベル:戦争
posted by フェイユイ at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 新井浩文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ニエズ』DVD報告

久しぶりにドラゴンCDのメルマガが来てまして、
「『ニエズ』の字幕入れが全て完了し、まもなく日本版DVDの予約受付開始となります。」
ということでした。うわ、いよいよですか。
しかしお幾らになるのでしょうかねー?
うれしいですが購入できるか悩むところです。
DVD発売というよりこのドラマが日本で放送されるような一般に公開されるようなことを望んでしまうのですが。
出演していた若い役者くんたちもそれぞれ活躍しているようですが、もし映画化、ということになっても、もう違う若い世代の男子がやることになるのだろうなあ。

なにはともあれドラゴンCDさんからの発売報告が待たれるところですねえ。
ラベル:ニエズ
posted by フェイユイ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHKオンデマンド

NHKオンデマンドというのがあるのですねえ。
というのは新井浩文さんが出演していた『最後の戦犯』というのを検索してたら見つけたわけですが。

といってもこれは14日までで。観たい人はいますぐどうぞ^^;

NHKオンデマンド『最後の戦犯』
ラベル:テレビ番組
posted by フェイユイ at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月13日

『猟人日記』デビッド・マッケンジー

young-adam-1.jpg
YOUNG ADAM

ユアン・マクレガー、顔が好きで気になってはいたんだけど何故か今まできちんと意識して観る機会がなくてTVでオートバイで物凄く大変そうな旅をしているのを見かけたくらいなのであった。
彼の作品の中で何気なく選んだのだけど、これはなかなか面白い作品だった。
非常にどろどろとした男女の情愛のサスペンスミステリーなのである。

といっても怖ろしく暗くて重くて寒い作品なのであり楽しげな映画を期待する方は敬遠されたが懸命だろう。
邦題の『猟人日記』というと自分はツルゲーネフが書いた貧しい人々と自然を描いた小説のイメージなのかと思っていたが、一般ではちょいと色っぽい意味合いを持つものらしい。邦題の名付け親はどちらが本意なのかは知らないが作品としてはその両方の意味を含んでいるようである。
しかし猟人というには主人公の性の遍歴には甘い恋のときめきというようなものは殆ど感じられない。一体彼は相手をした女性を愛したことがあったのだろうか。ほんの僅かでも。
少しの間はあったのかもしれない。それが性の衝動か恋というものなのかは判らないが。
主人公ジョーと関係を持つ女性たちもまた本当にジョーを愛したのではないだろう。簡単に関係を持てる若くてハンサムな男、それだけの価値だったはずだし、ジョー自身もそうであることを望んでいるかのようにも思えるのだ。
ジョーが少しでも愛したのは死んでしまったキャシーだけなのかもしれない。事故だったのか故意だったのか、微妙なきっかけでジョーはキャシーを死へ追い込んでしまう。
それにしても無理だとはいえ、助けようともせず、見つけた時もまったく動揺や悲しみを隠していた彼に深い愛があったとも思えない。

物語に愛や癒しや救いを求める人、きっちりとした結末を願う人もこの作品は受け入れ難いことだろう。
ジョーの感情はまったく伝わってこないのだが、実際ジョーという男は彼自身何かを感じているのか判っていないのかもしれない。
すべてのことがぼんやりしているのだ。怒りも後悔も愛情も溢れるように表現されることはなく、どうしようか、どうなるのだろうかとうすぼんやり思っているだけなのだ。
川に落ちた子供を飛び込んで助けたり、裁判で自分の代わりに死刑宣告を受けた男のために嘆願書を書いたりはするが貫いて善人となるわけでもない。中途半端で小心な男なのである。

映画の光や情景なども彼の心をそのまま表しているかのようで海で泳いでいるのだから夏なのかと思うのだが、光も弱く寒々としている。
遊園地に行っても冷たそうな雨が降っていて、恋人のキャシーと愛を交わす場面も冷たそうで湿った土の上である。
いつも冷え冷えとして湿った風景がジョーの心なのだろう。

もしかしたら唯一自分を愛してくれていたのかもしれない女性を死なせ、他の女性とは行きずりのような関係でしかなく、ジョーの心は空っぽなのだ。そしてそれは彼自身が選んでしまったことだ。
「自分を見て、私を想って」という言葉を書いた小さな鏡を捨てたジョーにはもう何も残っていない。
同じように彼が川に放り込んだタイプライターのように彼の魂は深く沈みこんでしまったのだ。

ジョーを演じたイアン・マクレガーは勿論だが彼の情交の相手で人妻エラのティルダ・スウィントンが強烈であった。

監督:デビッド・マッケンジー 出演:ユアン・マクレガー ティルダ・スウィントン ピーター・ミュラン エミリー・モーティマー ジャック・マケルホーン
2002年イギリス
ラベル:ミステリー
posted by フェイユイ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

『悪魔のようなあいつ』第十回 

悪魔のようなあいつa9.jpg

そしてこちらは大きく動いてきましたね。
白戸刑事の差し金で八村はいずみを誘拐。八村の悪戯だと笑う良に白戸は八村をそそのかしていずみの悲鳴をテープに録る。さすがに色を失った良だが録音の中に白戸の声を聞き、野々村に頼んで警察を八村の家へ向かわせる。そして八村の女房・ふみよに電話口で叫ばせ八村に聞かせた。
八村を脅かす為にふみよは良の作戦に乗ったのだが、自分を叩く良が本気だったことに傷つく。そしてそっけなく良が出て行くのを恨めしい目で見つめた。

良は白戸刑事の誘拐計画を阻止したことで安堵していた。
野々村が「ちょっと話をしていかないか」と誘っても「俺には明日があるから」と答える。
そこへ白戸が来て「お前の部屋が大変なことになっているぞ」と耳打ちする。慌てて部屋に戻った良は3億円を隠していた鏡がどけられ、3億円がすっかりなくなっているのを見たのだった。

いくらなんでも誘拐というのは酷いと思うのだが、良の切り替えしでなんとか妹は無事に病院へ戻った。
だがここに来て3億円が何者かによって奪われてしまったのだ。
犯人はふみよか、静枝か、他の誰かなのか。
posted by フェイユイ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 悪魔のようなあいつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『悪魔のようなあいつ』第九回 

ありゃまた倦怠期。話が進まない1話だった。

こうなると観るのはとにかく野々村さんの悲哀だけですなあ。
藤竜也さんがだんだんかっこよく見えてきたし。いや、もともとかっこいいんですけどね。

良は妹の足の手術のためにとうとう時効前に3億円の一部を使うことを決意する。
3億円の中に200枚だけ警察が番号を控えている紙幣があるのだ。もし良がその紙幣を使ってしまえばすぐに3億円強奪犯人として捕まってしまう。
野々村は良に手術代を渡そうとしたが白戸警部の計略でその金を奪われてしまう。再び野々村が良に金を工面しないよう白戸警部は野々村を捕まえ拘置所に入れてしまった。

なんとか良を助けようとする野々村さんがまたもやいじらしい。良が3億円の一部を使うことで逮捕しようと目を光らせる白戸警部。良はもう少しで警部の目の前に金を出してしまうところだった。
が、野々村が元、警視だったことで上層部に圧力をかけ、拘置所から出て危ういところで良に200万円を届けたのである。

酒を飲みながらの野村に礼を言う良。だが良は野々村が良を手放したくないために3億円の紙幣番号の控えを隠しているのではないかと問いかける。
良の疑いは当たっていた。

野々村さんの恋のように苦しく辛いものを最近は見ないような気がする。こんな悲しい恋というのもいいものです。

もう少しのところで良の逮捕を逃した白戸警部。とうとう八村に良の妹を誘拐して3億円を引き換えにすることを計画する。
おいおい、いくらなんでも警部が少女誘拐計画しちゃいかんだろー。

脚本:長谷川和彦 原作:阿久悠 上村一夫 音楽:大野克夫 井上堯之 出演:沢田研二 藤竜也 若山富三郎 荒木一郎 三木聖子 大楠道代 細川俊之 尾崎紀世彦
1975年日本
posted by フェイユイ at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 悪魔のようなあいつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『コーラスライン』リチャード・アッテンボロー

コーラスライン.jpg
A Chorus Line

この映画、TVで初めて観たと思うんだけどやっぱり惹き込まれてしまってそれ以来、何度もTVで観るたび面白いと思ってしまうんだなあ。

なんかちょっと前、TVで新しいバージョンの紹介があっててまた観たくなってしまったのだ。確かにこれはその時代ごとにまた色んな国ごとに様々な顔でいくらでも作れそうだ。
とはいえ最初観た時から、なんだか引っかかる作品ではあるのだよね。その引っかかりがまた観たくなってしまう要素でもあるんだけど。
というのは別にいいんだけど、一応主役のキャシーがオーディションの途中から無理矢理入っているのが一つで、そんなにダンスを愛していて仕事が欲しいのなら人より先に来て受けるべきだと思うんだけど、一所懸命受けている若者達に割り込んで役を取ってしまうなんてなあ。実力の世界ではあるがマナー違反なのでは、と首をかしげてしまうのだ。
んでもって演出家がそのキャシーの恋人でしょ。傍から見たら「なんだよー、元カノだからってそりゃないぜ」って気になるのでは。それにその演出家のマイケル・ダグラスの演技(っていうのか)がクサイというべきかやたらもったいぶっててイラつくんだよねー。キャシー自身には上手いのかどうかしらんがとにかく他の皆と平等に受けろよ、って腹たつし。そしてまた引っかかるのがラリー役のテレンス・マンの顔。もうマイケルも神経に障る顔だけど彼の顔はもっと気に触る。なんかもうむしゃくしゃして「なんだよーその顔は」って言いたくなるんだけどそれがまた病みつきに。いかにもダンサー的な言い方も「ザック」って呼ぶのも最後の振り付けを教える踊りもみんなムカつくんだけど彼なしではいられないのーしくしく。一体なんなの、この神経を逆なでする感覚は。
大体音楽も凄く好きっていうんんではなくてメインテーマの『One』にしたって妙にイラつく音楽なんだけど聞いてしまうんだよねー。
『At the Ballet』『Hello Twelve, Hello Thirteen, Hello Love』とかも。でもブラックのグレッグ・バージの「サプライズ」のナンバーの時はつい見惚れてしまうのだよねー。歌もダンスも他の人と全然違う切れがある。彼の部分だけはイラつかずに観てしまうのだ。
このイラつきってなんだろうか。イラつけばイラつくほどもう一度観たくなるこの気持ちはナンなのか。

コーラスラインのダンサー達を決めるのにいちいち過去と人生を語らせるっていうのも不思議なのだけど、やはりこれは上手い演出で「こんな端役の彼らにも色んな思いがこもっているのだ」という感動があるのだ。最後に金ピカに輝きながら『One』を歌って踊る彼ら、始め受かった8人だけだったのが次第に落第した者たちみんなが同じ金色の衣装をまとって踊るのを見ると「ああ、みんな輝いているんだ」という素直な感動が襲ってきてやっぱりじーんとしてしまう。それ自体もクサイんだけどもうほんとに感動してしまう作品なのだ。

しかし古い映画になってしまったんだなあ。若い彼らが生まれ年を1960年代で紹介してるんだもんねー。今ならやっぱり1980年後半から1990年代だってあるわけで。うーん、年月は早過ぎ去ったのだねえ。

監督:リチャード・アッテンボロー 出演:マイケル・ダグラス マイケル・ブレビンズ アリソン・リード テレンス・マン グレッグ・バージ オードリー・ランダース
1985年アメリカ
ラベル:ミュージカル
posted by フェイユイ at 00:44| Comment(5) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月10日

『死刑台のエレベーター』ルイ・マル

Ascenseur pour L'Echafaud.jpg
Ascenseur pour L'Echafaud

これはもう評判に違わぬ素晴らしい作品でぞくぞくとするほどだった。

短い時間で(大体映画というのは90分台というのが最も優れた時間なのではないのだろうか)余計な贅肉のない構成でありながら、もの狂おしい一晩を描いている。
面白いのは主人公の恋人同士がついに一度も出会わないのである。冒頭の電話での愛の言葉が交わされるだけで二人が画面上で出会う場面はない。最後に写真で二人の姿が映し出されるのみなのだ。
富豪の社長夫人フロランスとその愛人であるジュリアン・タベルニエは映像の中では抱き合うこともなく二人が結ばれる為にジュリアンはフロランスの夫カララ社長の殺害計画を実行する。
だがうっかり証拠を残していたのに気づきエレベーターで戻ろうとした時、週末の後始末をしていた守衛によって電源を切られてしまうのだ。
殺害した社長の死体が横たわる同じビルのエレベーターで一晩を過ごすジュリアン。恋人が約束の時間に現れず、何も知らないフロランス夫人は愛しい男を探して夜のパリを歩き回る。そしてジュリアンの車に花屋の少女が乗っているのを見かけて気が動転してしまう。

何気ない単純なきっかけが物語を混乱の方向へ向かわせる。
金持ちと英雄である大人の恋人同士と貧乏で何もない若い恋人達の人生が絡まっていく。
そして二組の恋人達の運命が一つのフィルムから現像された写真によって決められてしまった。

モーリス・ロネもかっこいいが何と言ってもジャンヌ・モローの傲慢な美貌に見惚れてしまう。最近では(というか昔からだろうが)「口角が上がっていること」が美顔の条件みたいなものとして言われるがジャンヌ・モローのそんな常識なんかどうでもいい、みたいな口角を下げた口もと。強い眼差し、いかにも鼻っ柱が強いといった顔立ちなのだが見ててあきないのだよねえ。一度だけにこっと笑う場面があってはっとするほど可愛らしく見えるのだが。
マイルス・デイビスのトランペットの音色が響く夜のパリを彼女がどこか物憂げに歩き回る様の決まっていること。あんなヒールの靴では疲れきってしまうのだろうと思うのだが。
愛する思いも一途で頑固なのだ。夫を殺害してもそれに対する後悔とか憐憫とかは微塵もないようである。あるのはただ、犯罪がばれてしまい、愛する人と長い時間を過ごすことができないという悲しさだけ。10年、20年無駄な時間を過ごし、若い時間を失ってしまうことへの空しさだけなのだ。
これは若い恋人同士も同じでなんの関係もないドイツ人夫妻を殺害したことへの謝罪の気持ちなどまったくないようで自分たちが新聞に出て評判になることだのタベルニエが犯人になったので助かるだのということだけなのだ。それでも二人の愛し合う気持ちは確かなようで非常に子供っぽく思えてしまう。とはいえ、それはフロランス・ジュリアンたちも同じようになんだか衝動的に思いついた行動みたいで愛し合っていることを確かめるための殺害のような未熟な子供っぽさを感じさせて、それが観る者に純粋さというとおかしいのかもしれないが、悲しい共感を覚えさせるのかもしれない。

ルイ・マル監督作品はまだそれほど観ていないのだが、この映画には『ルシアンの青春』と重なり合う部分が多いように感じられる。
そういう幼い衝動のような気持ちから犯罪へと向かってしまう主人公の姿。それはジュリアンも同じなのだが、若いルイのほうはルシアンそのものといってもいいみたいだ。
乱暴で刹那的に行動を起こしてしまう。容貌もどこか重なるものを感じてしまう。
(演じたジョルジュ・プージュリーは『禁じられた遊び』のミシェル)
カメラも何故か少女よりルイのほうを映すことが多くて、ルイの裸の上半身がとてもほっそりして綺麗なのをずっと捉えている。
少女の方が優しくて少年が投げやりなのも同じ雰囲気である。
ベッドから起き上がる時も少女のほうではなくルイが服を着るのをじーっと撮っている。とても魅力的でルイ・マル監督はこういう不良少年が好きなのかなーと思って観ていたのだった。
ラストのどこか放り出されてしまうような空虚さを感じさせるのも似ていてとてもうれしくなってしまった。

監督:ルイ・マル 出演:モーリス・ロネ ジャンヌ・モロー ジョルジュ・プージュリー
1957年フランス
posted by フェイユイ at 23:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月09日

『ユージュアル・サスペクツ』ブライアン・シンガー

THE USUAL SUSPECTS.bmp
THE USUAL SUSPECTS

脚本賞などを取っていたりしてとても面白いという評判を聞いて(読んで?)いたので以前からずっと観たいと思っていて今になってしまった。
さてそれで面白かったかというとこれが全然面白いと思わなかったのだっただよね。

この作品、勿論内容は全然違うが非常に脚本が凝っているのは昨日観た『スルース』と似た感じがある。で、あちらは自分には非常に面白くこちらはまったく面白くなかったのだった。
こちらはあれと違ってたくさんの場面や時間の転換があるし登場人物も多く、アクションで説明をしているように思えるが実際は一つの部屋で二人の男が話し合っているのが本筋になっている。
実はこれがミソになっていて確かに賞を取っただけあって脚本はよくできているのだろうが監督と(自分と)そりが合わないのだろうか、非常に面白い話を(私にとっては)詰まらなくして見せている気がするのだ。

その一つは配役の役者面々がどうも観ていたい気がしないのと(というかそれが殆どの理由かもしれない)作品の持つ雰囲気みたいなものに魅力を感じないという単に好みの問題からである。
この当時はケビン・スペイシーがまだそれほど有名でなかったのではないだろうか。それが却ってよかったのかもしれないが今になって観ると彼がただの語り手ではない気がしてしまい勘ぐってしまったのだ。
まあ、私はそれほどラストの大どんでん返しというのを期待するほうではないので別にそれはどうでもいいのだが、物語の筋書きではなく作品自体のニュアンスがどうしても好きなものでなかったので他での評価のように面白い作品だとは思わなかった。

ただ壁に貼られた印刷文字から嘘八百を並べたかのようだったのに「コバヤシ」さん(名前はどうかわからんが)が存在しててケビンを車に乗せ彼を慕っているような素振りだったのがなんとなく微笑ましかったのだが。

同じ脚本を違う監督と俳優陣で観れたらよかったような気がする。

監督:ブライアン・シンガー 出演:ガブリエル・バーン ケビン・スペイシー スティーブン・ボールドウィン ピート・ポスルスウェイト ケヴィン・ポラック ベニチオ・デル・トロ チャズ・パルミンテリ
1995年アメリカ
ラベル:ミステリー
posted by フェイユイ at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月08日

『スルース 【探偵】』ケネス・ブラナー

SLEUTH.bmp

こーゆーの、いいですねえ。大好きです。

普段、映画で台詞で説明していくのはどうかと思うのだが、ここまでとことん台詞のみでやっていくのもまた面白い。
舞台は豪華な屋敷の内部のみ、登場人物は男性二人のみ、という映画とは言い難い設定だろうがなんだろうがとにかく面白い。

もう見所は二人の男優の丁々発止のやりとりだけ。舞台となる家はあらゆる場所が電動式でリモコンで作動していくという未来的なものながら調度品や古めかしい趣きのあるのがイギリス風。
その家の主人である有名小説家を演じるマイケル・ケインと彼の奥さんの浮気相手である若くてハンサムだが貧乏青年をジュード・ロウが演じている。
マイケル・ケインの表情がイギリスの知性ある初老男性でどこか皮肉っぽいのもいかにもというところ。
ジュード・ロウは表情がくるくる動いて可愛くなったりかっこよく見せたりするのが実に魅力的でこちらも人妻の浮気相手であり、その夫まで引き寄せてしまうのも頷ける。

どこまでが本当でどこから嘘なのか段々わからなくなってしまう。
かつてマイケル・ケインの役をローレンス・オリビエが演じ、マイケル本人はジュードの役をやったそうな。
その時は2時間以上の長編だったようだが本作は90分を切る短さになっていてこれは現在の観客の気短さを懸念してなのか。
また物語は舞台劇の3幕もののようになっているが3幕目は昔はこれと違う落ちのようだ。
調子をだしてきたジュードがピストルで脅しながらマイケルに豪華なアクセサリーを身につけさせ貶めていく。老人であるマイケルが女装させられているかのような辱めを受けるのだ。
そして本作では1人の女性をめぐって二人の男が争う内に夫マイケルの方が「妻は追い出して二人で暮らそう」と言い出すことになる。
ジュードも豪華な申し出に「そそられる」と答えて満更でもない様子を見せるのだ。「君は魅力的な男だ」というマイケルにジュードがすっかり悪女のような表情になって媚態を見せる。
ここまでゲイ的な展開になるとさすがに観客の好みを選びそうだと思うのだが、こういう大物俳優二人をしてゲイな物語にできるようになったんだなと思ったりもする。
最後の展開はあっという間でどうしたんだろう、と思わせてしまう。
私としてはマイケルがジュードに対して本気になってしまったのに、ジュードがすべて嘘だと言うようにして出ていこうとしたので悲しくなって撃ってしまったのかと思ったのだが、どうだろう。
つまり愛していた妻が出て行き、憎い浮気相手が入ってきたが物語の終わりには浮気相手を愛してしまってもう愛を失ってしまった妻が戻ってきた、という皮肉かな、と。
この辺を考えるのが楽しい作品なのである。

監督:ケネス・ブラナー 出演:マイケル・ケイン, ジュード・ロウ
2007年アメリカ
ラベル:ミステリー
posted by フェイユイ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『地下鉄のザジ』ルイ・マル

ZAZIE DANS LE METRO.jpg
ZAZIE DANS LE METRO

『ルシアンの青春』を観て唸らされたルイ・マル監督作品。昔から凄く気になるタイトルだったのだがこの年齢になってやっと観た。

とにかくザジちゃんがキュートで髪型といい、服装といい、ほっそりした体つきといいパリのイメージにぴったりの可愛らしい少女なのだ。
といってもザジは新しい恋人にメロメロになっているママに連れられてパリにやって来たばかり。
10歳の娘を叔父に預けて自分は恋人と愛の巣へ。そんなママのことをおませに話すザジ。フランスのお話って感じですねえ。
だがこんな冒頭はまだまだでここから先、ザジがママと約束した時間まで思いもよらないようなシュールな映像が溢れているのだった。

これはまだ幼いザジのイメージの世界なのか。
可愛らしいザジを抱っこする優しい叔父さん、ザジにアメリカ製のジーンズを買ってやったのになんだか勿体つけているロリコンもどきの中年男と追いかけっこしたり、タクシーの運転手とエッフェル塔の階段をぐるぐる下りながら話したり、物語と映像がゆっくり進んだり凄いスピードで動いたりシュールでスラップスティックな展開が続いていくのだ。最後はもうこれでもかといわんばかりのはちゃめちゃさ。
フランス映画を観るといつも「他の国の映画にはないような不思議な思いもよらない展開」と書いてしまうのだが、これはもうその真骨頂というべきでなんだかわけはわかんないだけどそこはパリらしくおしゃれで明るくて素敵なのだ。

『地下鉄のザジ』というタイトルでザジはパリの地下鉄に乗るのが楽しみだったのにストで彼女は地下鉄に乗れない。
最後、ザジが眠っている間だけ乗っていて彼女自身は記憶がない。叔母さん(といっても凄い美女)につれられてママと約束した時間の電車に飛び乗って帰路についた。
やっぱり不思議な映画なのだった。
監督:ルイ・マル 出演:カトリーヌ・ドモンジョ フィリップ・ノワレ カルラ・マルリエ ユベール・デシャン ヴィットリオ・カプリオーリ
1960年フランス
ラベル:ルイ・マル 少女
posted by フェイユイ at 00:06| Comment(0) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月07日

WOWOWドラマ『プリズナー』第4話

プリズナー4.jpg

もうどうでもいいから観るのよそうか、と思いながら一応チェック。
などと言うのは傲慢すぎるか?

仮想国とはいえあまりに薄っぺらな国だなあ。モデル国もあるんだろうけど(大体予想はつくような)この国には歴史も文化も宗教も何もないような感じがする。
かといって想像を絶する物凄く過酷な国といえば実際にもっと凄そうな国はあるわけで。中途半端ではあるのだよね。

ナオさんの出番は相変わらず微妙な量で観ないわけにもいかないというところ。と言ってももう後1話なので観るしかないんだけど。

宇部さんは思ったとおり動き出したけど、思ったとおりって威張るようなもんではなく当たり前だけどね。大体小日向さんがやってたらそうなるでしょ。
しかしいかにも貧乏そうな青年から金をむしることに情熱をかけ、金持ちだと判ってる外交官は「金にならないからすぐ手放す」って意味がわからない。彼からだったらたんまり稼げそうなのに。意外と気弱なのか。
主役の玉山さんはいいのか悪いのか、あまりよくわからない。もっと頼りなさそうな人だったらどうだったんだろう。ガタイもよくて落ち着いてるからあまり心配しないんだよね。
一番ぴったりしてるのはビッグボスの人と王尊民の松重さん。ナオさんは勿体無いほどいいと思っているんだけど(笑)

あまりもうどこが悪いとか言い立てるのもしょうがない、って気がする。
後1話、最後まで頑張ってみるか。

演出:水谷俊之 脚本:大石哲也 出演:玉山鉄二 大森南朋 鶴田真由 中村俊介 松重豊 石黒賢 小日向文世 佐田真由美 
2008年日本
posted by フェイユイ at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ブラックブック』ポール・ヴァーホーベン

BLACK BOOK.jpg
Zwartboek/Black Book

この前も同じようなことを書いた気がするが、シリアスな戦争映画というといかにも真面目に反戦の意思を持つものでリアリティを追求しなければいけないような思いに駆られてしまうようなのだが、戦争という題材ほど面白い物語を生み出すものもないようでこの映画はそうした戦争が生み出した苦しみや悲しさをそのまま大変優れたエンターテイメントに作りだしてしまったようだ。

何者かの陰謀で家族を失ってしまった美しいヒロイン・エリス=ラヘルのまるで怖いものなどないかのような活躍に目を見張りながら観てしまう。
体を張った彼女の行動は時に目を覆いたくなるような痛々しさも感じてしまうのだが真直ぐに突き進んでいく彼女のパワーの源はやはり家族を奪った者への復讐ということなのだろう。

エリスを演じたカリス・ファン・ハウテンの気の強い美しさに見惚れながら一体どうなるのだろうかと手に汗握る展開にやや長い作品ながらあっという間に観終わった感じなのである。
誰が敵か味方か、誰がいい人で誰が悪人なのか。次々と驚かされる展開に必死で振り落とされないようついていったというところだろうか。
気丈なエリス=ラヘルが時に明るく時にくず折れそうなほど悲嘆にくれるのも強く惹かれることなのだろう。
だが悪人だと思ったナチス将校が実はいい人間でエリスと本当に愛し合うようになるのだが結局殺されてしまうのはさすがにユダヤ人の彼女とナチス将校が幸せに結婚しました、という落ちではまずいという配慮が彼を死なせた犯人なのではないのだろうか。
あの場面で唐突に殺害者を追わなければ死なずにすんだのかもしれないのに。

かくしてラヘルはユダヤ男性と結婚することで終結する。
ナチス将校の彼を愛しく思い出さないのもやはり許されないことだからだろうか。

監督:ポール・ヴァーホーベン 出演:カリス・ファン・ハウテン トム・ホフマン セバスチャン・コッホ デレク・デ・リント ハリナ・ライン ミヒル・ホイスマン
2006年 / オランダ/ドイツ/イギリス/ベルギー
posted by フェイユイ at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月06日

『クローズZERO』三池崇史

クローズZERO.jpg

愛に溢れた作品でしたねえ。
男同士の喧嘩を描いた映画というのはそのまま男同士の絡みであり、体と体のぶつかり合いでつまり触れ合いでつまり体でお互いの心を探りあっているわけですが、まさにそういう類の作品だったですね。

『青い春』では九條と青木の関係が気恥ずかしいほど熱いものだったのですがここではもうあちこちで熱い関係が築かれていて観ていてほんとにあちーぜおいてな感じでした。エンケンさんのやべさんに対する愛とかね。
自分的には小栗くん扮する源治&拳より多摩雄&時生の関係が好きでこれはそれこそ九條&青木を彷彿とさせる雰囲気だったりします。かといって多摩雄たちの顔が好きだったわけではなくて顔的には牧瀬の高橋 努が一番好きだったですが。
喧嘩が強い猛者どもというわりには全体に可愛らしい美形男子が多くて映画だからそちらの方が受け入れられるのでしょうがもっとおっかない顔の人が多くてもよかったのかもしれませんが三池監督のご趣味で選ばれたのかもしれませんね。

とにかく古めかしいスタイルの不良喧嘩ムービーであります。喧嘩一筋という一途な連中でして、煙草はいっぱい吸ってますが酒はビールがちょこっと出てきたくらいで今流行りの麻薬の類はやってません。女関係は皆無と言っていいくらい。一応黒木メイサがなんとなく登場してますがこういう映画にしては意外に地味な格好でまったく肌を露出しないTシャツにジーンズという服装であります。しかも主人公との接触はなし。
男達の目的は常に男同士の殴りあいであって「あの男とやりたいのならまず俺とやるんだな」(←こういう台詞がそのままあったかどうかは保障できないが)みたいな真っ赤になりそうな言葉を言い合っているのである。
源治が昔(って中学生ってことなんだけど。子供)時生と友人で今は多摩雄といい仲になっているっていうのもなんだか三角関係って感じでぐふふなのだ。
時生が夕日を見ながら「昔、源治と綺麗な夕日を探して歩いたけど今はもう変わってしまった。お前とも変わってしまうのかな」と多摩雄に問いかけるシーンがあって多摩雄が「いつまでも一緒だよ」みたいなことを答えるのが鳥肌ものなのだ。もー恥ずかしい恥ずかしい。

名前の付け方も変な語呂合わせみたいで源治と拳、多摩雄と時生って。

主人公・源治の小栗旬はほんとに可愛くてかっこいいですね。舞台では
蜷川幸雄に愛されてましたが、三池崇史映画でもそのかっこよさは存分に発揮されています。独特の髪型も短ランも長身の彼は似合ってました。
血だらけになった男ってやっぱりセクシーでありますね。

監督:三池崇史 出演:小栗旬 山田孝之 黒木メイサ やべきょうすけ 高岡蒼甫 岸谷五朗 桐谷健太 高橋努
2007年日本
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2008年12月04日

『雪之丞変化』市川崑

雪之丞変化4.jpg

こちらの市川崑『雪之丞変化』をまだ長谷川一夫存命の頃に観て度肝を抜かれたのを覚えている。映画の内容も驚きだったが女形と色男の二役を演じて様になる力量に目を見張ったのだ。それから間もなくして長谷川一夫の訃報を聞き遅れてファンになったものだと残念に思ったものだ。

そういう思いいれのある作品だったのだが、昨日のマキノ作品を観た後、鑑賞してみると意外にキレの悪い散漫な作品のように感じてしまったのだった。
同じ物語であるとはいえ、マキノ『雪之丞』は時間も90分を切っておりその分テンポよく設定も構成も非常に判り易い。
それに比べると市川『雪之丞』は知っていても導入部分から入りにくく感じてしまうのだ。
マキノ版はまず闇太郎とおはつから見た「江戸に来た若く美しい上方役者」という出だしで何者だろう、という興味を惹くのだが、市川版では舞台にたつ雪之丞の目線から始まり視線の先に仇敵を見つけるところから始まる。
マキノ版が映像と行動で物語っていくのに対し、市川版はシェークスピア劇のように台詞で物語っていくのでくどく感じてしまうのだ(シェークスピアが悪いわけじゃないが^^;)
マキノ版の方が古い映画なのに一人二役の雪之丞・闇太郎が揃って出る場面もその他の役者との掛け合いも自然なのに市川版はいかにも二役のようなぎこちない画面になり市川監督の手法のせいなのか闇の中に個々の役者がぽつねんと立っているような撮り方なのでこれも舞台で一人ひとりにライトが当たっているような他の人物との触れ合いが感じられない奇妙な映像になっている。
そして今更言うのも気が引けるが昨日の若くて美しい大川橋蔵=雪之丞を観た後では長谷川一夫=雪之丞(市川版での)はあまりに年老いていて若い女性が恋焦がれる女形としては無理があるように思える(昨日の橋蔵さんは綺麗だったからなあ^^;)
奥方さまが今自分のご贔屓の若尾文子さんで彼女の美しさと並べては気の毒だ。彼女が美しいとぽーっとなるためには彼女と張り合う美貌でなければならないだろうに。いくら長谷川一夫さんといえど酷な設定だったのではないだろうか。
昨日の橋蔵さんなら確かに奥方と並んでもひけをとらない若い美貌があったのだ。
確かに市川版のほうが『雪之丞』という意味では雪之丞の立ち回りが多かったかもしれない。が、肝腎の雪之丞にぽーっとなる魅力があまり感じられなかったのである。
マキノ版の雪之丞は若いだけに仇といってもどこか清々しさというか単純な率直さがあって却ってそれが初々しく愛らしかった。
市川版の『雪』は仇に怨念がこもっていて年をとっているだけに怖ろしく、普通はそれでいいのだが橋蔵=雪之丞が可愛かったのでなんだか損してしまったようである。
雪之丞だけでなく闇太郎も橋蔵のほうが俄然かっこよかったし、おはつさんとの関係もマキノ版のほうが好きだった。

ひとつだけよかったのは昼太郎。といってもこれはマキノ版には登場しなかったので比較はできない。
闇太郎と何故か張り合っているというかわいそうな笑われ役なのだがこれをどうしたものか愛しの市川雷蔵さんが演じておられる。
みんなから一目置かれる闇太郎と違って軽んじられている昼太郎。やせっぽちな体つきがかわいいのだ。今までまったく思わなかったがこの昼太郎の市川雷蔵さんはなんとなく松山ケンイチっぽいのである^^;
松ケンもこんなコミカル雷蔵さんと似てると言われてもー、だろうが、なんだか表情が似てておかしかった。他の時は似てません(笑)
市川雷蔵さんと松ケンの類似点を見つけただけでもよかったかな。

とにかく市川崑監督作品で以前感銘を受けた長谷川一夫『雪之丞変化』の再観だったので懐かしく観たのだが感想は意外にもあれれというものだった。
そのくらい昨日のマキノ『雪之丞』はよかったんだなあ。改めてマキノ雅之『雪之丞変化』はすっごく面白かった、と思ってしまうのだ。
同じ長谷川一夫主演の衣笠貞之助監督というのを観れるものなら観てみたい。

監督:市川崑 出演:長谷川一夫 山本富士子 若尾文子 市川雷蔵 勝新太郎 船越英二
1963年日本

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2008年12月03日

『雪之丞変化』マキノ雅弘

雪之丞変化.jpg

『雪之丞変化』は昔長谷川一夫がやったのを見てぽーっとなったものだが(それは明日また観る予定)今回初めて大川橋蔵主演を観た。

橋蔵さんといえばやっぱり銭形平次親分というイメージなので二枚目なのは知っているが女形もやれるとは思っていなかった。
『雪之丞変化』では闇太郎と雪之丞の二役になるので闇太郎はイメージどおりの男っぽい二枚目、雪之丞では初めて観る橋蔵さんの女形を拝見してその魅力を再確認することとなった。

面白いのはこの物語、それこそ昨日みたジェシー・ジェームズ団が大活躍する話なのだった。
しかもこちらのジェシーは仲間からめちゃくちゃ愛され信頼されている様子。橋蔵さんの役の一つ闇太郎のことなんだけどね。
ピストルをバンバン撃つのはどうしても好きになれないがこっちのジェシーこと闇太郎は刀すら持たず我が身一つで大勢の敵をばったばったとなぎ倒しちゃうかっこよさなのである。

実はこの物語元々は外国小説が元ネタで書かれたお話だったのだね。そのせいもあるのか、粋で洒脱な作品なのだ。
江戸で興行を始めた上方歌舞伎の中村雪之丞という美しい女形がいた。彼はかつて長崎で父親を冤罪で死刑に陥れた宿敵を討つ為、歌舞伎の世界に身をやつし機会を伺っていたのだ。
その初演の日、仇・土部三斎が里帰りしていた娘をつれて観劇していたのだ。娘は大奥で側室という身分ながら艶やかな雪之丞にぞっこん惚れてしまうのだった。
娘の機嫌をとる為、父・土部三斎は雪之丞を屋敷に招きいれる。

優美な奥方様と女形姿の雪之丞が寄り添う姿はなんとも倒錯した世界でこれはやはり日本ならではの妖しい美学でありますなあ。
しかし女装した美形の男性にぽーっとなっている日本女性は現在でもたくさんいるのでこういう美意識というのは変わらぬものなのでありましょうか。
雪之丞は親の仇のために近づいた奥方様なのではあるが彼に惚れた奥方様はそれを知っても雪之丞を助けようと高貴な身の上で江戸の町を駆けていくのでありました。

もう一つ物語が絡んできてここでもまた土部三斎とその仲間が米を隠しこんでは値段を上げて江戸の人々を苦しめていたのだが、庶民の味方ジェシーこと闇太郎たち泥棒一味は悪党金持ちからは盗み出し、庶民のために米を安く売りさばかせてしまうのだ。
雪之丞もすてきだが、闇太郎さんもかっこいいんだわあ。
おまけに姐さんと呼ぶ不思議な関係の女性がいるのだが、焼もちをやきながらもその女性に雪之丞との間を取り持ってやったりする(ま、自分なんだけどさ)姐さんも闇太郎が好きみたいなのに「雪之丞に惚れたわ〜」なんて騒いだりしてこの辺もまた独特の奇妙な味わいでございます。
雪之丞もおはつ姐さんに襲われたりするんだが(ここがまた不思議。姐さん、雪之丞に短刀で切りつけるのだ)軽く身をかわして颯爽と小船で逃げてしまう。その鮮やかさに姐さん、また恋してしまうわけで(笑)

とにかく粋でかっこいい話なんだなあ。
何度も何度も映画化されているみたいだが、この面白さは確かにずっと映像化していきたいものでありますね。

監督:マキノ雅弘 出演:大川橋蔵 淡島千景 大川恵子 若山富三郎 進藤英太郎
1959年日本
posted by フェイユイ at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松ケン今度は「銭ゲバ」個性的キャラ怪演

銭ゲバ.jpg銭ゲバ2.jpg

松ケン今度は「銭ゲバ」個性的キャラ怪演

思いもよらぬキャラクターを演じ続けている松ケンではありますが、まさか『銭ゲバ』とは!!!

今の若い人は何それ?という感じでしょうなあ。私も全部知ってるわけじゃないですが^^;
今頃若きファンの方は検索してキャラを見て「ぎゃっ!!」となられているかもしれません。
あの顔になるんでしょうか?背も低くしないと←いやそれはいくら松ケンでも無理でしょ^^;
とにかく楽しみ!でありすぎます。
またまたTV観ることになりそう!!!
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 11:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ジェシー・ジェームズの暗殺』アンドリュー・ドミニク

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The Assassination of Jesse James by the Coward Robert Ford

なかなかよく工夫された面白い映画だったけどちょいとくどくて冗漫に感じられた。たとえ作品時間が長くてもそうとは思わないものもあるがこれはなんだか無理に長くしてしまったような気もする。

原題も長くて『THE ASSASSINATION OF JESSE JAMES BY THE COWARD ROBERT FORD』
邦題は短くしてしまっているけど、この作品は確かにジェシー・ジェームズの物語というよりボブ・フォードの心情を描いたものなので『ロバート・フォード』というタイトルでもよかったんだろうけど、それ誰?ということになってしまうのでそれぞれこうなってしまったんだろう。

ジェシー・ジェームズという強盗兄弟の末弟に熱烈に憧れていたボブ・フォード。幼い時から彼の活躍する小説を読み、彼のことを調べて自分との共通点を見つけては喜んでいた。
兄がジェームズ団の一味になったことも手伝ってまだ19歳でありながらジェシーの一味に加わりたいと願う。
だが実際に近づくとまだ子供である彼は冷たくあしらわれ、憧れのジェシーをストーカー的に眺めまわしてしまったことで追い出されてしまう。
ジェシーへの強い憧れと畏敬は次第にボブの中で変化していく。
まだ20歳のボブをケイシー・アフレックが演じている。自分も末っ子でいつも馬鹿にされ負け犬だったということがよりジェシーへの憧れと敵対心を強くしている。
ジェシーに憎しみを持ち始めてからも彼の匂いをかぎ、彼の飲んだコップから水を飲む、などジェシーと一体化したい、ジェシーの崇拝者である気持ちも残っているのだ。
ケイシーがとてもいいので余計思ってしまうのだが、この作品では別の人がナレーションをやっているせいで余計もたもたしてしまうのでケイシー=ボブの一人称で語らせていったらよかったのではないだろうか。
ボブから見たジェシーというだけでよかったような気がするのだ。

どうしてもこの作品ではボブに皆の共感が集まってしまうのだろうがジェシーのブラッド・ピットはさすがにかっこいい。
同じようなシチュエーションが『ファイトクラブ』になると思うのだが男が憧れるかっこいい男、という役柄が結構さまになるのである。そしてちょっと精神に異常をきたしている男、というのも似合う人なのだ。
孤独で誰にも心を許してなかったジェシーが最後、娘が口ずさむ詩で弛んでしまったのだろうか。ボブを信じてみようと思ってしまったのだろうか。今まできつく張っていた緊張を緩めてしまう。
このジェシーが新聞を買ってきてからボブと兄のチャーリーの激しい緊張の一幕は見応えがある。
チャーリー役のサム・ロックウェルもまたとてもいい。

強盗の英雄、というのはどこの国にもいるのだろうか。
ヒース・レジャーが演じた『ケリー・ザ・ギャング』も同じようなヒーローで様々な国の大勢の人々から愛されたのだという。
悪党を成敗したことで賛辞されると思ったボブは英雄を殺した裏切り者にしかなれなかった。
民衆にとって政府に反逆する悪党というのは英雄なのだ。
ボブ自身にとっても憧れの人だったのだが。

編集がゆる過ぎると思いながらもジェシーとボブを細かく表現したかった熱意もまた感じられる作品である。

監督:アンドリュー・ドミニク 出演:ブラッド・ピット ケイシー・アフレック サム・シェパード サム・ロックウェル
2007年アメリカ
ラベル:犯罪
posted by フェイユイ at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月01日

ジェイ・チョウの新曲、替え歌になって流行中!

ジェイ 巡回中.jpg

ジェイ・チョウの新曲、替え歌になって流行中!

ジェイが面白がっているというのがいいですね。
どんな歌詞なのかなあ。
posted by フェイユイ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『悪魔のようなあいつ』第八回 

悪魔のようなあいつ3.jpg

野々村さんがたっぷり出てくるうれしい1話。
おまけに「こんな恥ずかしい場面、いいのかにゃー」と身もだえしてしまう。
良の病気のことを知った野々村さんがすぐさま良に電話をするが店の連中が良をスポーツジムへ誘っているとこだった。ジムで汗を流している良のところへの野村さんがいつものスーツ姿で登場。
しかしその前の場面でもわかるが野々村さんって何もしてない風なのに筋肉質のいい体なんですよねー。
で、野々村さんに声をかけられた良は一緒に屋外プールの方へと歩いていく。側にあるデッキチェアに腰掛けたふたり。
野々村さんは良に彼の病気を知ったことを伝える。
「良!」いつものように苦しげな声で呼びかける野々村さん。でも良は何も答えず野々村さんもそれ以上何も言わない。
二人は目の前にあるプールに二人が泳いでいる幻影を見る(このイメージ映像がやたらいやらしくてさ。別に何をするわけでもないんだが、プールで着衣のまま泳いでいる二人の男、っていうのはあまりにもいやらしいではありませんか。卑猥だあ)
そして二人は立ち上がり、無言のままプールへと近づいていく。帽子や上着だけを取って服をいたままプールへ飛び込んで泳ぎだすのである。
イメージだけじゃなく本当に泳いだふたり。
笑いながら上がってきて芝生の上で並んで横たわる。
今までにないほど二人が近づいたひと時だった。

この回で良は今までの絶望した暗さを忘れたかのように前向きでどこか希望を持ったかのようである。
この後、妹の手術のため明日までに200万円を、と要求され野々村に甘えるように電話をかける。
仙台から戻ってきた白戸警部の策略で野々村の金を手にすることができなくなった良はついに時効前の盗んだ金に手をかける。
野々村は白戸によって拘置所に入れられていた。
良はどうなってしまうのだろうか。

という今回であった。
前回に続いて見応えある。
野々村さんの優しさに甘える良もまた魅力的なのである。それがやりすぎじゃなくどこか今までどおり醒めているのも良のかっこよさだな。

八さんもいつもどおりずぶずぶに追い込まれていて情けなさがますます加速。
尾崎紀世彦さんの矢頭たけしってちょっとしか出ないと思っていたのにずっと出てくるしずっと嫌な奴のままである。尾崎さんもこんな役よくやる。
尾崎さんに絡まれる時、なぜか荒木さんがうれしそうな顔になるのだよ。

脚本:長谷川和彦 原作:阿久悠 上村一夫 音楽:大野克夫 井上堯之 出演:沢田研二 藤竜也 若山富三郎 荒木一郎 三木聖子 大楠道代 細川俊之 尾崎紀世彦
1975年日本
posted by フェイユイ at 22:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 悪魔のようなあいつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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