映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年12月10日

『死刑台のエレベーター』ルイ・マル

Ascenseur pour L'Echafaud.jpg
Ascenseur pour L'Echafaud

これはもう評判に違わぬ素晴らしい作品でぞくぞくとするほどだった。

短い時間で(大体映画というのは90分台というのが最も優れた時間なのではないのだろうか)余計な贅肉のない構成でありながら、もの狂おしい一晩を描いている。
面白いのは主人公の恋人同士がついに一度も出会わないのである。冒頭の電話での愛の言葉が交わされるだけで二人が画面上で出会う場面はない。最後に写真で二人の姿が映し出されるのみなのだ。
富豪の社長夫人フロランスとその愛人であるジュリアン・タベルニエは映像の中では抱き合うこともなく二人が結ばれる為にジュリアンはフロランスの夫カララ社長の殺害計画を実行する。
だがうっかり証拠を残していたのに気づきエレベーターで戻ろうとした時、週末の後始末をしていた守衛によって電源を切られてしまうのだ。
殺害した社長の死体が横たわる同じビルのエレベーターで一晩を過ごすジュリアン。恋人が約束の時間に現れず、何も知らないフロランス夫人は愛しい男を探して夜のパリを歩き回る。そしてジュリアンの車に花屋の少女が乗っているのを見かけて気が動転してしまう。

何気ない単純なきっかけが物語を混乱の方向へ向かわせる。
金持ちと英雄である大人の恋人同士と貧乏で何もない若い恋人達の人生が絡まっていく。
そして二組の恋人達の運命が一つのフィルムから現像された写真によって決められてしまった。

モーリス・ロネもかっこいいが何と言ってもジャンヌ・モローの傲慢な美貌に見惚れてしまう。最近では(というか昔からだろうが)「口角が上がっていること」が美顔の条件みたいなものとして言われるがジャンヌ・モローのそんな常識なんかどうでもいい、みたいな口角を下げた口もと。強い眼差し、いかにも鼻っ柱が強いといった顔立ちなのだが見ててあきないのだよねえ。一度だけにこっと笑う場面があってはっとするほど可愛らしく見えるのだが。
マイルス・デイビスのトランペットの音色が響く夜のパリを彼女がどこか物憂げに歩き回る様の決まっていること。あんなヒールの靴では疲れきってしまうのだろうと思うのだが。
愛する思いも一途で頑固なのだ。夫を殺害してもそれに対する後悔とか憐憫とかは微塵もないようである。あるのはただ、犯罪がばれてしまい、愛する人と長い時間を過ごすことができないという悲しさだけ。10年、20年無駄な時間を過ごし、若い時間を失ってしまうことへの空しさだけなのだ。
これは若い恋人同士も同じでなんの関係もないドイツ人夫妻を殺害したことへの謝罪の気持ちなどまったくないようで自分たちが新聞に出て評判になることだのタベルニエが犯人になったので助かるだのということだけなのだ。それでも二人の愛し合う気持ちは確かなようで非常に子供っぽく思えてしまう。とはいえ、それはフロランス・ジュリアンたちも同じようになんだか衝動的に思いついた行動みたいで愛し合っていることを確かめるための殺害のような未熟な子供っぽさを感じさせて、それが観る者に純粋さというとおかしいのかもしれないが、悲しい共感を覚えさせるのかもしれない。

ルイ・マル監督作品はまだそれほど観ていないのだが、この映画には『ルシアンの青春』と重なり合う部分が多いように感じられる。
そういう幼い衝動のような気持ちから犯罪へと向かってしまう主人公の姿。それはジュリアンも同じなのだが、若いルイのほうはルシアンそのものといってもいいみたいだ。
乱暴で刹那的に行動を起こしてしまう。容貌もどこか重なるものを感じてしまう。
(演じたジョルジュ・プージュリーは『禁じられた遊び』のミシェル)
カメラも何故か少女よりルイのほうを映すことが多くて、ルイの裸の上半身がとてもほっそりして綺麗なのをずっと捉えている。
少女の方が優しくて少年が投げやりなのも同じ雰囲気である。
ベッドから起き上がる時も少女のほうではなくルイが服を着るのをじーっと撮っている。とても魅力的でルイ・マル監督はこういう不良少年が好きなのかなーと思って観ていたのだった。
ラストのどこか放り出されてしまうような空虚さを感じさせるのも似ていてとてもうれしくなってしまった。

監督:ルイ・マル 出演:モーリス・ロネ ジャンヌ・モロー ジョルジュ・プージュリー
1957年フランス


posted by フェイユイ at 23:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。