映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年12月13日

『猟人日記』デビッド・マッケンジー

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YOUNG ADAM

ユアン・マクレガー、顔が好きで気になってはいたんだけど何故か今まできちんと意識して観る機会がなくてTVでオートバイで物凄く大変そうな旅をしているのを見かけたくらいなのであった。
彼の作品の中で何気なく選んだのだけど、これはなかなか面白い作品だった。
非常にどろどろとした男女の情愛のサスペンスミステリーなのである。

といっても怖ろしく暗くて重くて寒い作品なのであり楽しげな映画を期待する方は敬遠されたが懸命だろう。
邦題の『猟人日記』というと自分はツルゲーネフが書いた貧しい人々と自然を描いた小説のイメージなのかと思っていたが、一般ではちょいと色っぽい意味合いを持つものらしい。邦題の名付け親はどちらが本意なのかは知らないが作品としてはその両方の意味を含んでいるようである。
しかし猟人というには主人公の性の遍歴には甘い恋のときめきというようなものは殆ど感じられない。一体彼は相手をした女性を愛したことがあったのだろうか。ほんの僅かでも。
少しの間はあったのかもしれない。それが性の衝動か恋というものなのかは判らないが。
主人公ジョーと関係を持つ女性たちもまた本当にジョーを愛したのではないだろう。簡単に関係を持てる若くてハンサムな男、それだけの価値だったはずだし、ジョー自身もそうであることを望んでいるかのようにも思えるのだ。
ジョーが少しでも愛したのは死んでしまったキャシーだけなのかもしれない。事故だったのか故意だったのか、微妙なきっかけでジョーはキャシーを死へ追い込んでしまう。
それにしても無理だとはいえ、助けようともせず、見つけた時もまったく動揺や悲しみを隠していた彼に深い愛があったとも思えない。

物語に愛や癒しや救いを求める人、きっちりとした結末を願う人もこの作品は受け入れ難いことだろう。
ジョーの感情はまったく伝わってこないのだが、実際ジョーという男は彼自身何かを感じているのか判っていないのかもしれない。
すべてのことがぼんやりしているのだ。怒りも後悔も愛情も溢れるように表現されることはなく、どうしようか、どうなるのだろうかとうすぼんやり思っているだけなのだ。
川に落ちた子供を飛び込んで助けたり、裁判で自分の代わりに死刑宣告を受けた男のために嘆願書を書いたりはするが貫いて善人となるわけでもない。中途半端で小心な男なのである。

映画の光や情景なども彼の心をそのまま表しているかのようで海で泳いでいるのだから夏なのかと思うのだが、光も弱く寒々としている。
遊園地に行っても冷たそうな雨が降っていて、恋人のキャシーと愛を交わす場面も冷たそうで湿った土の上である。
いつも冷え冷えとして湿った風景がジョーの心なのだろう。

もしかしたら唯一自分を愛してくれていたのかもしれない女性を死なせ、他の女性とは行きずりのような関係でしかなく、ジョーの心は空っぽなのだ。そしてそれは彼自身が選んでしまったことだ。
「自分を見て、私を想って」という言葉を書いた小さな鏡を捨てたジョーにはもう何も残っていない。
同じように彼が川に放り込んだタイプライターのように彼の魂は深く沈みこんでしまったのだ。

ジョーを演じたイアン・マクレガーは勿論だが彼の情交の相手で人妻エラのティルダ・スウィントンが強烈であった。

監督:デビッド・マッケンジー 出演:ユアン・マクレガー ティルダ・スウィントン ピーター・ミュラン エミリー・モーティマー ジャック・マケルホーン
2002年イギリス


ラベル:ミステリー
posted by フェイユイ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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