映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年01月31日

『銭ゲバ』第3話 松山ケンイチ

銭ゲバ3.jpg銭ゲバ4.jpg

銭ゲバ第3話。
1話目に疑問を感じ2話目でちょっと浮上したように思えたが3話目でまた停滞気味、というところだろうか。
とにかくこの物語、3話目分ですでに3人人殺しをしている、というとんでもない人非人の話であり、原作どおりいくならこの後わらに地獄へとまっしぐらに落ちていくわけである。
真夜中でもないTVドラマで一体どこまでやれるのかを見届けたくて観ているっていうのもあるのだが風太郎の性格説明がなんとなくまどろっこしい。どっちかつーと親父のほうがきっぱりと悪人なので見やすいんだがここではやはり風太郎の性格を「決してとことん悪人なのではなく本当はいい人間なのに貧乏への復讐心が彼を間違った行動へ進ませていくのだ」という感じでやりたいのだろうか。またもや登場する食堂一家が風太郎に笑顔を出させてしまうのだが一人じゃなくて一家総出で風太郎にちょっかい出すのがどうもうざったく思えてしまう。
まあとにかく風太郎は緑の心にも芽生えた風太郎への疑念を晴らすことに成功し父親からも信頼を得ることになった。そして茜は風太郎と結婚したいと父親に頼むのだった。

松山ケンイチに魅力があるのは感じる。だがそれがドラマとの相乗効果で物凄いことになっている、というような迫力がない。単純に「おっもしろいよなこれ」っていうのでもない。

TVドラマというのはこういうものだと何度も言い聞かせながら観ているのだが(違うのか?)なんとも薄っぺらな構成と台詞に涙が出る。
『セクシーボイス&ロボ』みたいな軽いコメディだといいのだが、こういう人間の欲望による殺人を含む犯罪などという重いドラマではもっと怖ろしいものを観たい気がするのだがやはりこのくらいがTVということなのだろうか。
これで松山ケンイチの演技が凄い、などと言われてしまってもドラマ自体がこれではせっかくの演技も輝きが半減してしまうではないか。
そんな怒るなら観るなよ、とだけ言われそうだ。
しかし今のとこは椎名桔平=親父のほうがよっぽど銭ゲバな感じで観ててイライラするほどムカついて面白い。彼を主人公にしたほうがいいんじゃないか?

この作品、皆さんの感想としては「重い」という方が多いのかもしれないが自分としては軽すぎてつまらない。だがもっと重く暗くとことんまで地獄を見ていくような内容にしてしまうと誰も観なくなるのか。そういう怖ろしいものを好きな人もいるとは思うのだがTVドラマとしてスポンサーは逃げてしまいそうだ。
松山ケンイチにはこんなもんじゃなくもっとずっと過酷に悲惨な人間の苦悩の地獄を見て欲しいんだがなあ。
TVドラマにそれを期待してはいけないか。
しかしこれからどんどん悪魔の道に入っていくのだが。どうなるんだろう。許されるのだろうか。
結局それが気になってまた観てしまうんだよなあ。期待し続けてみるべきか。
頼むからもう少し面白くしてくれ。
マンガのような世界にまで行けるのか。

演出:大谷太郎/狩山俊輔 脚本:岡田惠和 出演:松山ケンイチ ミムラ 宮川大輔 光石研 りょう 椎名桔平
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2009年01月30日

『レザボアドッグス』クエンティン・タランティーノ

RESERVOIR DOGS.jpgRESERVOIR DOGS 2.jpg
RESERVOIR DOGS

これは凄く面白い。入念に作られた傑作だなあ。
このブログではタランティーノについて殆ど書いてないと思うんだけど好きである。ところがまだこれを観てなかったのでやっと鑑賞したのだが、さすがこれは普通じゃない映画であった。

初監督作品ということもあってか非常に限られた予算内で製作されたことがひしひしと伝わってくる。こういう低予算だろうがアイディアで頑張ったという映画は愛おしいものである。
とにかくアクションもの、などと言っても殆どが室内でおじさんたちがぶつぶつ話している場面だけで構成されているのだ。
冒頭のレストランでの無駄話から始まって舞台劇でもあるかのように役者達の台詞と演技力だけが見ものとなっている。
おまけに時間軸や舞台もあちこち飛ぶので結構鑑賞者は集中して観なければならない。
なんとなくふざけた映画監督、というイメージがあるタランティーノだがこのデビュー映画作品の緊張感は他にちょっとないものだ。
冒頭の無駄話と書いたがその場面でもくだらないおしゃべりによって登場人物の性格を表現している。
かったるい説明は省いて物語が進行しながら彼らがどんな人間なのかを描いていく、という濃密な表現になっていて飽きさせない。
しかもいかにもタランティーノが好きそうな極道な男たちのやりとりが残酷であり、またかっこいい。このキレ方は尋常じゃないね。
尚且つ男の友情で泣かせる辺りが痺れる作品となっている。

強盗の話なのに強盗の場面はなくカーアクションなんてのもない。できるだけ少人数で収まるように悪党仲間たちが室内で話すか道路を走っているかだけで音楽と効果音でそれらしく見せる。
余計な飾りもなく(つまり必要ない女を出したりとかね)脚本と演技だけで見せてしまう。
こういう面白さを出せるのって本気で凄いんじゃないか。
あだ名も人物を表しているね。

監督:クエンティン・タランティーノ 出演: ハーヴェイ・カイテル ティム・ロス マイケル・マドセン クリストファー・ペン スティーブ・ブシェミ ローレンス・ティアニー カーク・バルツ エディ・バンカー クエンティン・タランティーノ
1991年アメリカ
タグ: 犯罪 暴力
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2009年01月29日

届いた!観た!『龍戰騎士 (2DVD)』

龍戰騎士3.jpg龍戰騎士4.jpg龍戰騎士2.jpg

届きました!ジェイの新MV集『龍戰騎士 (2DVD)』
早速観ましたよ!!
さてかっこいい龍戦騎士に扮したジェイが表紙を飾るBOXを開けますと、写真集と待ちに待った2枚のDVD。そしてその下に噂のペンダント。
龍戦騎士のジェイの胸を飾っているペンダントと同じもの(っていうのはなんだけど^^;)ですねー。これはなかなかかっこよくてマジでつけてみてもいいですね。街中に龍戦騎士の仲間を増やそう!
なんて言いつつ、2枚のDVDを続けて観ました。

ところで何故前回の『我很忙 Music Video DVD』は発売されなかったのでしょうか。
ここんとこすっかりジェイ情報から離れてしまった私なのでこれは想像に過ぎないのですが『我很忙 Music Video』の出来があまりよくなくて完璧主義のジェイとしては発売したくなかったのでは。と思ってしまうのです。
とにかく『我很忙』MVはCDに付録されていた分とネット動画で僅かに観ただけですが、こうやってDVDとして観ているとこれまでのジェイのMVに比べるとなんとなく力が入っていない、というのかそれこそ忙しくて手が回らなかったみたいなやっつけみたいな印象を受けてしまうのですよね。
ジェイのMVはとにかく音楽同様独創性に優れていましたからそれと比較すると『我很忙 Music Video』はなんとなく疲れて作ったみたいで当たり前的なMVが多いのです。
特に『魔杰座 Music Video DVD』を観るとその差が歴然とします。
付録されている写真集を見ても圧倒的に『魔杰座 Music Video』の写真が多いのも新しい分だから、というだけではないように思えますね。(アリス・ツォンがカットされているのはファンがあまり見たくないからなんでしょうか?)
私的に好きなのは『牛仔很忙』『無 雙』『扯』くらいでしょうか。他のはあまり見るものがない、というか『彩虹』で車に腰掛けて歌うジェイと『陽光宅男』のジェイのファッションは好きですが『我不配』なんかは見たくないんですよね。他も力がない。

それが『魔杰座』MVになるとかつてのMVを彷彿というかはっきりとよくなっているのがわかりますねー。
もう全部好き、というと適当すぎるかもしれませんが全部いいし、ジェイらしい。
冒頭の『龍戰騎士』はジェイがずっとやっているアクションものでSFというよりゲーム世界ですね。
CDを聞いているうちに好きになった『流浪詩人』はどうなるのかなと思ってたらステージで歌うナチュラルなものですがこれもただライブを映したものじゃなくてかっこいい。これはジェイの自然な表情が見えているしかっこいいです。とにかく歌が凄くいいんですよこれ。大好きです。
『魔術先生』と『喬克叔叔』がこのMVの中でも特徴的だと思うのですがコミカルな『魔術先生』となんだか妖しげでジェイにしてはすごく色っぽく危険な雰囲気を出している『喬克叔叔』これがいつもとは違うジェイでよいですねえ。どちらも美女と絡む演出になっていますが照れ屋のジェイなのでかなり頑張ったのではないでしょうか。どちらも素敵です。女性に襲われているように見えてしまうのが可愛いですし。この二つは何回も観たくなる魅力がありますね。もっと褒めちぎりたいです。
『稻香』『花 海』の情緒路線も綺麗ですし『蛇 舞』ダンスも凝ってて楽しい。『給我一首歌的時間』『說好的幸福呢』『蘭亭序』歌もMVもジェイらしい魅力溢れた仕上がりで堪能しました。

うーん、というわけでこの『魔杰座』MVが満足いく出来栄えだったので前回の『我很忙』と合わせて発売することになったのではないかと一人密かに思うのですが、どうなんでしょうか。
とにかく2枚いっぺんに幸せを味わえて至福でございました。
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『リバティーン』ローレンス・ダンモア

The Libertine.jpg
The Libertine

17世紀、チャールズ二世の時代を現代とも重なるような視点で描いていて、ジョニー・デップ自身も主人公ロチェスター伯爵ジョン・ウィルモットとの共通点が感じられる、という皮肉めいた作品である。

ずっと変わった役ばかりを演じていて最もメジャーな『パイレーツ・オブ・カリビアン』ですらアンチ・ヒーローであるジョニー・デップがこの映画の冒頭で「この映画を観ていくほど私が嫌いになるだろう」と言い最後にも「これでも私が好きだと言えるか」と訊ねるのがいかにも実際のジョニデのようでおかしい。
とはいえ、本作のロチェスター伯は放蕩者ではあるだろうが悪党というわけではないし、一人の女性に愛情を注いでいるのに報われない姿などは悲哀も感じられるわけでそうそう「虫けらのような唾棄すべき男」というわけでもないだろう。
先日観た『ある子供』の男のようにいつの時代にもいる適当に悪さをやってはいるが大悪党ではなく善人でもない、という輩であって、逆に悪党の魅力すらない、とは言えるが辛い思いをしているのは当人で観ているこちらが腹を立てるほどではない。女たらしで次々と関係を持った、と説明はあれど映像的には妻と売春婦と女優の3人の女性との関わりだけを描いているのでそれほど放埓に思えず梅毒になったということで悲劇性だけが目だっている。不満なのは時代が性的に乱れていて男色も盛んだったと言い、ロチェスター伯もそうだったと言うだけで女性関係と違い匂わせているだけなのである。途中で殺されたビリー・ダウンズがその相手っぽいが表現としては僅かであるし、どうやらチャールズ二世ともそういう関係があったのではないか、と勘ぐれる気がするがそこまででしかない。
(ところでジョン・マルコビッチってなんとなくホモ・セクシャルな雰囲気のある映画によく出ている気がするのだが)
設定としては性的に乱れた社会なのだが作品自体は非常に上品で正統派なもので危険な悪の匂い、というような隠微な雰囲気がないのが残念である。
元々は舞台劇でチャールズ二世を演じているジョン・マルコビッチがロチェスター役だったということでそちらを観てみたい気がする。
ジョニー・デップはうまいけどやや硬くてだらしない放埓さが足りないのではないだろうか。
つまらなくはなかったが酔いしれるとまではいかなかったのは私がそれほどジョニデファンじゃないからだけなんだろうか。

ロチェスター伯爵がジョンと言う名前だった為に「ジョニー」と呼ばせているのもジョニー・デップにより重ねているようでいて皮肉っぽい。

監督:ローレンス・ダンモア 出演:ジョニー・デップ サマンサ・モートン ジョン・マルコビッチ ロザムンド・パイク トム・ホランダー ケリー・ライリー ルパート・フレンド スティーヴン・ジェフリーズ
2004年イギリス
タグ:人生
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2009年01月28日

王家衛『一代宗師』でブリジット・リン復帰?!!周杰倫も?!?

王家衛『一代宗師』でブリジット・リン復帰?!!周杰倫も?!?

えええ??!!!
大興奮だが待って待って!
私はもう記憶というのがつい昨日も定かでないのだが、この前ジェイが自作映画でブリジットを使いたいと言ってなかったっけ。
で、王家衛でブリジット復帰。しかもジェイ共演ですかー???!!!
いやそれにトニー・レオンもなんですが。はー、物凄すぎてなんも言えん。じゃなくて早く観たーい!!!
絶対決定完成して欲しいです!
ジェイ監督でもブリジットと共演お願いします(笑)

しかし、王家衛映画にジェイが出るなんて・・・・泣きそう。
どうしよう。
震えてきそう。
どんな役なのか。どんな映画なのか。
男装の麗人だしなブリジット。

それにしてもこの『一代宗師』黄百鳴のそれもあって王家衛監督との間で争いになってたんですよね。どうなったのでしょうか。

とにかくうまくいって欲しいです!
posted by フェイユイ at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月27日

『アクロス・ザ・ユニバース』何も僕の世界を変えられはしない

Across The Universe4.bmpAcross The Universe2.jpgAcross The Universe3.jpgACROSS THE UNIVERSE5.jpg
Across The Universe

最近では珍しく二回観たくなって今日も鑑賞した。
というか実をいうと、物凄い感動したはずなのに寄る年波で一体どんな内容だったかすっかり頭から消え去ってしまったのでもう一度観なおしたというのが本音だ(涙)
さほど書き足すことはないと思うのだが、昨日は書き損なったことを少し書いてみよう。
イギリス・リヴァプールから父親を尋ねてアメリカへ密航してきたジュード(さすがにビートルズの曲名ということはわかるね)役のジム・スタージェスは実際イギリス人ということでらしい感じである。やはり本物じゃないとイギリス人らしい感じはでないのであろうか。
そして彼が出会う自由を求める青年マックスにジョー・アンダーソン。『敬愛なるベートーヴェン』でベートーヴェンの不肖の甥を演じた。天才の叔父に溺愛されながらも才能には恵まれず、決して裕福でもない叔父から金をせびる男という役ながら美貌が印象的であった。
本作では充分に歌の才能を見せ付けてくれている。自由に生きたいと願いながらベトナム戦争に徴兵され体と精神に傷を負う。やせぎすな顔立ちで翳りがあるのが魅力的である。
二人がニューヨークで住み込むことになる部屋の持ち主の女性歌手がジャニス・ジョプリンを髣髴とさせる迫力で歌い上げる姿がかっこいい。

昨日は曲ごとに感想は書かなかったが、33曲ほどのビートルズナンバーを物語の進行に合わせ、登場人物が歌っていく。
ジム・スタージェスが歌った『Girl』もいいがレズビアンのプルーデンス役T.V. Carpioの『I Want To Hold Your Hand』ではっとなった。こんな歌い方があるんだなあ。女性が歌っている、というのも新鮮だ。
そして黒人少年とゴスペル風の『Let It Be 』
ジミ・ヘンドリックスを思わせる『Come Together』
ドクター・ロバートなる人物に扮したボノが歌いだしてからのサイケデリックは麻薬的な匂いが充満している。不気味な『I Am The Walrus 』
名場面の一つサークルになって横たわる彼ら、エヴァン・レイチェル・ウッド『Because』
セディ(Dana Fuchs)の『Oh! Darling』がかっこいい。
そして最も印象的なジム・スタージェスとジョー・アンダーソンの『Strawberry Fields Forever』
マーティン・ルーサー・マッコイの『While My Guitar Gently Weeps』が泣かせて。
『Across The Universe』の歌をかき消すように『Helter Skelter』が歌われる。だがまた『Across The Universe』が聞こえてくる。
何も僕の世界を変えられはしない、と歌いながらも戦争は死の影を落とす。
『Happiness Is A Warm Gun』の時のジョー・アンダーソンが凄く好きだ。
この映画の中で最も感動的なジョー・アンダーソン『Hey Jude』ジュードに彼が語りかけジュードの心が解凍されていく。
セディに『Don't Let Me Down』と言われ、離れ離れになっていたジュードとルーシーが近づきジュードの『All You Need Is Love』で二人は再び結びつく。
涙が溢れ、心が飛んでいくようだ。

やはり素晴らしい映画だった。

監督:ジュリー・テイモア 出演:エヴァン・レイチェル・ウッド ジム・スタージェス ジョー・アンダーソン T.V.カーピオ デイナ・ヒュークス マーティン・ルーサー・マッコイ
2007年アメリカ
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『アクロス・ザ・ユニバース』ジュリー・テイモア

ACROSS THE UNIVERSE.jpg
ACROSS THE UNIVERSE

私はビートルズは好きだと言ってもラジオやTVなんかで流れてくるのを聞いて「やっぱりいいね」というくらいの人間で歌詞を聞き取ることもできないし殆ど何も知らない状態なのでそのビートルズの歌を元にこんな面白くてかっこいい映画ができるのかと驚いて観ていた。
登場人物がそのまま歌う彼らの歌声も新鮮に聞こえ改めてビートルズの歌って本当にいいんだなあと感動してしまった。
だがそれ以上にこの映画でしんみりしてしまったのは観ているうちに同じくミュージカル映画の『ヘアー』を思い出しオーバーラップさせてしまったからかもしれない。
と言っても『ヘアー』自体も公開当時に観たわけでもないし、ましてやヒッピー世代でもないのだが、それまでミュージカル映画と言えば『雨に唄えば』だとか『サウンド・オブ・ストーリー』みたいな綺麗なイメージがあってせめて『ウェストサイド物語』でもまだちょっとおしゃれな感じがあるのだが『ヘアー』になるとヒッピーとベトナム戦争が題材でその生々しい迫力に目が覚めるような思いがしたものだ。それは今までの綺麗なイメージのものとはかけ離れた泥臭さがあり麻薬などという不気味な題材も用いられた作品だった。
本作もビートルズの歌を映像化する上でベトナム戦争の時期を舞台にしている。
そういえば田舎町から出てきた主人公が自由に生きる男と友人になりその自由な友人のほうがベトナム戦争に行くことになる、という粗筋が重なってくる。これは真似た、とかいうことではなくやはりベトナム戦争時期のミュージカルということでどこか1952年生まれの監督としては『ヘアー』が頭の中で浮かんだのではないかと思うのだがどうだろうか。
とはいえ骨太で男っぽい『ヘアー』に比べると本作はもっと繊細で技巧的である。それは時代のせいでもありベトナム戦争や反戦で戦った若者達を思い出として描いている為でもあるのだろう。
謳いあげる『アクエリアス』のテーマよりもビートルズの歌は優しく胸に響いてくるものでどちらもそれぞれに素晴らしいものだと思う。

どうも頭の中で『ヘアー』の曲が強く響いてしまっているようだ。
だが悲劇的な力強さを持っていた『ヘアー』と共に『愛こそすべて』と歌う『アクロス・ザ・ユニバース』もまた素晴らしい映画だった。

監督:ジュリー・テイモア 出演:エヴァン・レイチェル・ウッド ジム・スタージェス ジョー・アンダーソン デイナ・ヒュークス マーティン・ルーサー・マッコイ
2007年アメリカ
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2009年01月25日

『フラガール』李相日

フラガール.jpg

昨日観た『舞妓 Haaaan!!!』の対極にある、と言ったら言い過ぎかもしれないがかなり反対側に位置する作品ではないだろうか。
個人の為でもありながら地域の人々とのつながりがあってこその存在、というような人情味溢れる物語であった。
そして男から見た「舞う女」の『舞妓 Haaaan!!!』の逆に女の立場での「舞う女」『フラガール』虚構の世界と現実の世界、という対極でもあった。
その上、華やかな京都からものすごい田舎町へと移動して、方言もさることながらそういう背景の違いも極端で二つの映画を続けて観る面白さも感じてしまった。

この映画でも最初ぐっと来てしまうのは「自分はこうなりたい」と願う少女が父親の反対に会い自分を抑えて妹弟たちのために踊りを捨ててしまう場面である。彼女の場合は仕方がない、とはいえ、やはり悲しかった。最後の最後まで彼女が戻ってくることはないのかと期待したりもしたのだが。無論彼女のような人もたくさんいただろうし、彼女の存在が親友を引き入れ、先生との間を緊密にしていく、という設定は素晴らしくうまいものだったと思う。
題材は突飛なようで田舎町に不釣合いにモダンなものが登場し田舎の人々を翻弄しながらもそのなかに溶け込んでいく、というパターンはそれほど目新しいものではないし、設定も物語もよくある型どおりとも思えるのだがそんなことがどうでもいいほど感情に訴えてくる。
踊りなどやったことも見たこともないであろう少女達が(やや大人もいるが)次第に熱心に練習をしていく場面を見るだけでじわっと来てしまうのだからしょうがない。
母の愛、兄の思いやり、そしてハワイアンセンターのやしの木を枯らすまいと必死になってストーブを集める姿がもうこてこてにお涙頂戴なんだけどまんまと涙をこぼしてしまう自分なのである。

松雪泰子がかっこよく、豊川悦司が魅力的で、 蒼井優は可愛くて踊りが上手くて、しずちゃんもかわいくて、 富司純子さんが貫禄で、とこれも素直に感動したい作品だった。

監督:李相日 出演: 松雪泰子 豊川悦司 蒼井優 山崎静代 池津祥子 徳永えり 三宅弘城 寺島進 志賀勝 高橋克実 岸部一徳 富司純子
2006年日本
タグ:友情 愛情
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『舞妓 Haaaan!!!』水田伸生

maikohaaaan.jpg

阿部サダヲ全力疾走という感じでさすがにちょっとてんこ盛りすぎて騒々しいのではあるが、それでもたっぷり楽しめる作品だった。

無理矢理つなげるのではないが先日観た『ペネロピ』と比較してしまう。
他人が見れば背けたくなるほどの異常性を持つ主人公がなんとか自分の道を見つけ出していこう、と邁進していくのが共通項なのではないか、と自分的には感じたのだが。
色彩豊かな映像美と溢れるような創意工夫を凝らしたコメディである、というのも似通っているし「人間の姿かたちの美」にこだわったものであるということ、というのも同じである。
監督も男性ということが同じだが、そのせいなのか主人公の進む結果が全く違っていて「男だとこういう結果になるわけね」と関係ない映画に対して目くじらをたてたくなってしまう。
というのはこの映画で大騒ぎをする主人公、京都へ修学旅行をした時、舞妓はんに出会って人生のすべてが舞妓はんを追いかけることだけになってしまったという他人から見ればとんでもなくアホな男である。一般的に言えば異常に気持ち悪いオタクである、が、彼にとっては舞妓はんこそが生きることなのだ。そして彼はそれを実行し、生涯舞妓はんの為に生きることになる。
豚鼻を持っていることと舞妓はんの為にだけ生きていることとどちらが異常なのかは判断しかねるが、「私はこのままの私が好き」と言ったペネロピが普通人になってしまったのに対し、公彦は「そのままの自分」を貫き通していく。
一過性の思い出、というだけでなく自分が好きになったものを変えなかった公彦を見ると「そうなよなあ」と頷き、再び自分を見限ったペネロピに侮蔑とは言わないが無念の眼差しを向けたくなる。
舞妓はんを追いかけたいなら追いかければよし、豚鼻の自分を愛するなら豚鼻であればよし、である。
それがもし「男性監督の作品」ということで「主人公が男性なら自由を認める」が「主人公が女性なら自由は認めない」ということになったのなら悲しい。
なぜ男性の場合は「他人と違うおたくであること」を貫き、女性のペネロピは「他人と違う顔」ことをやめざるを得なかったのか。自分が「そのままが好き」と言ったにも関わらず。
『舞妓 Haaaan!!! 』を観て再度『ペネロピ』に憤慨してしまう自分だった。

『ペネロピ』への怒りはこのくらいにして本作についても書きたいが、とにかく面白おかしくて阿部サダヲが爆発しまくっている画面に圧倒され続け、舞妓はんの可愛らしさに見惚れたり、田舎もんにとってはやはり京都は憧ればい、などと思いながら目くるめくような超特急の展開に翻弄されながらも楽しんだ、という印象でそれらにことさら(上に書いた以上の)解釈や理屈はいらないだろう。
舞妓はんを好きになった男、というだけの話でありながら何故か清純な物語で、途中から舞妓はんそっちのけで男同士の戦いの話になっていってしまったり、それでも強引に最後をまとめてしまう辺りに製作者たちの心意気を見る、ということだろうか。

途中で今は亡き植木等さんを見た時は酷くはっとした。
北村一輝のお医者にもはっとした。

監督:水田伸生 出演:阿部サダヲ 堤真一 柴咲コウ 小出早織 京野ことみ 酒井若菜 キムラ緑子 大倉孝二 生瀬勝久 山田孝之 須賀健太 Mr.オクレ 北村一輝 植木等 木場勝己 真矢みき 吉行和子 伊東四朗
2007年日本
タグ:コメディ
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2009年01月24日

『銭ゲバ』第2話 松山ケンイチ

銭ゲバ第2話.jpg銭ゲバ 第2話a.jpg

突然がんっと面白くなってきた。

第1話の無理矢理原作を現代に移し変える作業が終わって流れがスムーズになってきた感じ。
風太郎も違和感がなくなってしっかり松ケンの風太郎が出来上がっていっている。
つまりもうドラマが原作を離れて歩き出した感があるのだが、むしろ『リプリー』みたいな話になってきた。人を騙し、次々と犯す犯罪をどう誤魔化して風太郎が生き抜いていくか。
三國パパはさすが大会社の社長だけあって人を見る目があったのだなあ。気の毒に悪魔を入れてしまった。
Lはまあどちらともいえないが「いい人」を演じることが多かった松ケンが冷酷非情な男を演じていくわけでこれも第1話目に比べ次第に悪魔ぶりが染み込んでいっているようで観てても楽しい。

風太郎の計画がとんとん拍子に進んでいるようで、すでにもう不安材料があるのも気になるところ。
三國パパの警戒心もあるし、風太郎が笑っているのをメイドに見られてしまった。彼女がどんな存在なのか。また昔の殺人事件の犯人が風太郎だと睨んでいる刑事。そしてなんといっても苛立つ風太郎の父の登場。
シリアスな風太郎の悪事ドラマにひょっと入り込んでくる食堂一家のエピソードは何の意味があるのか。女子高生のお兄さんと風太郎が似ている、ということが今後どう関わっていくんだろうか。

うーん、気になる要素をあちこち抱えて蒲郡風太郎が三國家の可哀想な次女を取り込んでいく。
彼女に甘い言葉をささやく松ケンの姿は今までに観たことがない悪党っぷりでちょいとぞくぞくした。
松ケンは役にはまり込んでしまうタイプなので今んとこ普段もこういう悪者になっているのだろうか。愉快である。
悪な目つきの松山ケンイチは魅力的である。暴力的なのではなくうじうじと陰湿な悪、というのがいい。

第2話になって急に興味が深まってきた。
リプリー的な風太郎がまたどんな風になっていくのか、期待は高まってきちゃうのである。

演出:大谷太郎/狩山俊輔 脚本:岡田惠和 出演:松山ケンイチ ミムラ 宮川大輔 光石研 りょう 椎名桔平
posted by フェイユイ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月23日

『ペネロピ』マーク・パランスキー

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Penelope

クリスティーナ・リッチは勿論キュートで抜群に上手いし、相手役のマカヴォイくんも負けず劣らずプリティで強いメッセージを持った巧みな映画作品ではあったけどナンだか堅苦しくてていまいちハマれず、しかもメッセージが途中で崩れだしラストには怒りさえ感じる映画であった。

名家のお嬢様ながら、先祖伝来の呪いによって豚鼻(目立ってないけど耳も豚なんだよね)を持って生まれて来たペネロピ。
その呪縛を解くのは「彼女を永遠に愛する人が現れること(但し良家の人間のみ)」
怖ろしい呪いに嘆く両親特に母親はペネロピの呪いを解く男性と彼女が結婚できるように!という思いだけで彼女を育ててきた。
美術や撮影手法や演出も凝りすぎなほど凝っている上、とにかく説明につぐ説明で両親特に母親がいかに自分勝手に娘を束縛しているかということを表現し、娘に身勝手なレッテルを貼って決め付けてしまうことを戒めている。容姿だけで判断する男性や大衆の煩い好奇心に批判をくだす。呪縛を解くのは他人ではなく自分自身であり、「呪いを作るのは僕達の心だ」と子供にはっきりと言わせていて非常に判り易い。
これを聞いた時は「あ、この映画は子供向けなので「判り安すぎる」などとイラついてもしょうがないのだ」とやっと気づいたようなものだ。
とはいえ優れた子供向けの作品はあまり露骨に説教臭くはないものだ、とも思うけれど。

子供向け映画だからしょうがないと納得すべきなのか、ペネロピの豚鼻というのがそれほどまで酷い造作ではないようだ。正直このくらいの鼻の大きさの人はいると思うし結構原田知代に似てるが原田知代さんは綺麗な人である。子供向けだ、コメディだ、と腹の虫を押さえようとするが、あまりに大げさにペネロピが醜くて逃げ出したり吐きそうだと言ったりするのでこの程度の造作でこんなに大騒ぎするのならもっと「他とは違う」ものを持つ人はどうなることかと思ってしまう。
ペネロピがくだらない婿探しにうんざりし、家を飛び出して街を彷徨う部分はちょっと希望を持った。束縛から飛び出し自立しようと頑張るペネロピ。このまま彼女が下町に住みつき「良家の出」ではない男性と結婚して呪縛が解けずたくさんの子豚娘を産みました、というオチならどんなによかったか。
彼女自身が「私はこのままの私が好きなの」と言うことで呪縛が解け普通の人間の鼻になってしまう、という展開はそれまでの自分を見つめ自分を認め好きになっていった価値観を覆してしまうではないか。
これはこの物語としていいことなのか。結局普通になることが個性を失うことが幸せだというのか。ならば「このままの私が好き」と言った気持ちは嘘になる。嘘なら呪縛は解けない、というパラドックスにはまってしまう。
私は断然『シュレック』の最後のようにそのままで愛し合う、というのが好きだ。
そういうラストでないなら、この物語の本質は何なのか、やっぱり普通でありたい、ということなのか。

金持ちは嫌だ、とかママが全部悪い、と子供に言わせるのもどういう考えでなのか判らない。金持ちが全部悪いわけでもなくママが全部悪い人なわけでもない。

そしてこの映画で最も謎なのはペネロピを際最初から最後まで追い続けて写真を撮ろうとする記者が小人ということで、これが他の映画なら(ハンサムな人だったし)それほど気にならないがこの映画であえて彼なのは製作者にとってどういう伝達だったのか。
豚鼻少女を追うあなただって異常な人ではありませんか、という意味なのか。
そう思うと判りはするがなんだか嫌なものを感じてしまう。

本当に「そのままの自分が好き」ならペネロピにはそのままでいて欲しかった。
何故個性を取り上げ普通の人にしてしまったのか。何故豚鼻は呪いでしかないのか。
醜い顔、他と違う造作の人は呪いにかかっているのか、それを呪いとし、呪いを解いてしまうこの作品が私は嫌いだ。

監督:マーク・パランスキー 出演:クリスティーナ・リッチ ジェームズ・マカヴォイ 
2008年イギリス/アメリカ


タグ:人生
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アカデミー賞ノミネート全部門リスト!『ベンジャミン・バトン』が最多12部門!【第81回アカデミー賞】

アカデミー賞ノミネート全部門リスト!『ベンジャミン・バトン』が最多12部門!【第81回アカデミー賞】

先ほどの記事に引き続き正式ノミネート発表ですねー。
作品賞から『ダークナイト』が消えましたが、助演男優賞のヒース・レジャーの名前は挙がってますね。
作品賞を予想したくともどれも観てないので言えるわけもないですが『スラムドッグ$ミリオネア』でしょうかねー。
『ミルク』がどんな作品になったのかが最も気になるのですが。

そしてやはり日本の『おくりびと』の受賞は期待されます。
タグ:受賞
posted by フェイユイ at 09:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いよいよアカデミー賞ノミネート発表!…その前に下馬評で予想!

いよいよアカデミー賞ノミネート発表!…その前に下馬評で予想!

つまりあくまでも予想であってノミネートではないですね。

なんだかだ言ってもやっぱり気になるアカデミー賞。勿論殆ど観てはいない作品ですが、しかし『ダークナイト』はDVD鑑賞の私ですら観たわけなのだなあ。
その『ダークナイト』は多くの評価に反して自分的にはアウトな作品でありますし、ここであげられた作品賞予想として最も気になるのは『ミルク』でしょうか。でももっと気になるのは『ダウト 〜あるカトリック学校で〜』の方だったりします。
後はミッキー・ローク 『ザ・レスラー』ですねえ。『スラムドッグ$ミリオネア』も気になりますが。

はてさてどんなノミネートと結果になるのでしょうか?
posted by フェイユイ at 00:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月22日

『恋人たち』ルイ・マル

Les Amants.gif
Les Amants

摩訶不思議フランス映画の見本の如き作品。しかもこの上なく美しい映像と若き美貌のジャンヌ・モロー。

パリに夢中の田舎町(ディジョン)の富裕な奥様ジャンヌ(ジャンヌ・モロー)は8年連れ添った堅物の夫が疎ましくパリのダンディな男性と恋愛に落ちている。パリに住む幼馴染マギーと約束しているとばかり言って出かけるジャンヌに夫は癇癪を起こし「それほど煩い友人ならこちらへ招きなさい」と言う事になり、田舎町にマギーとジャンヌの秘密の恋人ラウールを招待することになる。

というわけで果たしてジャンヌは夫とラウールとの愛のどちらを選ぶのか、というのが普通の物語である。
パリの友人たちを田舎に招いて、ジャンヌはやっぱり夫に苛立っているし、恋人ラウールも馬鹿に見えてきてしまう。
そしてひょんなことで知り合ったばかりの男を家に泊めることになり、その夜この男とジャンヌは突然恋をしてしまうのだ。

田舎町にも不満があり、パリに行っても夫にグチられ、今まで仲良かった幼馴染にも秘密の恋人にもうんざりしてしまうジャンヌ。そんな美しいが倦怠感に満ちた人妻をジャンヌ・モローが素晴らしく若々しい美しさで魅せてくれる。
いつも不満と不安が入り混じった顔をしたジャンヌが車のエンストで引き止めた2CVの考古学者の若い男性がベルナールだった。
最初はさほど気に入らなかったのが話しているうちに面白くなっていき、自宅まで送ってもらったのを夫が引きとめ家に泊めることになる。
先に家にたどり着いていたマギーとラウールを含めた晩餐はなんともちぐはぐで落ち着かないものだった。
その会話の中でジャンヌはますます夫への嫌悪感とラウールに失望していく。そして慕っていたマギーにも嫌気がさす。

手荒に髪を梳っていたジャンヌは階下のレコードの音が気になり降りていくとそこには誰の姿もない。
酒をグラスについだジャンヌが外へ出るとそこにベルナールがいた、話しかけてくる彼を疎ましがっていたジャンヌだったが、水車小屋までついてくるベルナールが持っているグラスと彼女のグラスが触れ合って共鳴した時、二人は恋に落ちるのだ。
まるでずっと愛し合っていたかのように見つめあい抱きしめあい口づけし、どこか遠い所へ行く決心をする。
ジャンヌは愛する小さな娘をあやした後、釣りに行く為早起きした夫や恋人、友人が見ている目の前を知り合ったばかりのベルナールと遠いどこかへと旅立っていく。
がすでにジャンヌの心には不安が芽生えている。だが彼女は後悔はしなかったのだ。

二人が突然共鳴し、愛し合う夜の闇の中の情景が美しい。
恵まれた家庭と愛する娘を残してもジャンヌが逃れたいと思ったのは何故だったのか。
田舎町に住む主婦なら皆その気持ちはわかるのではないだろうか。
だがもしベルナールのような男性とどこか遠くへ行ってしまうのだとしても後悔してはいけないのだ。
そのことが難しいことであるのはもう予感できるし、憧れはしても行動できはしないだろう。
だからこそ、絶えず不満顔で倦怠なジャンヌに共感し、その愛に憧れてこの美しい恋愛を見つめてしまう。
ジャンヌも小さな子供を見ては娘を思い出し、鏡を見ては自分がもうそれほど若くはないと思ったのだろう。

突拍子もない展開で、かといってよくある話でもあるこの物語を比類ない素晴らしく美しいラブ・ストーリーに作ってしまったルイ・マル。
ジャンヌ・モローの魅力にも見惚れながら堪能した。

監督:ルイ・マル 出演:ジャンヌ・モロー ジャン・マルク・ボリー アラン・キュニー ホセ・ルイ・ド・ビラロンガ ジュディット・マーグル
1958年フランス
posted by フェイユイ at 22:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絶世美女リン・チーリン、結婚棚上げで望む2作目映画!ジェイ・チョウの姉さん女房に

絶世美女リン・チーリン、結婚棚上げで望む2作目映画!ジェイ・チョウの姉さん女房に

ジェイの相手役候補として韓国女優とか周迅だとか噂されていたアレですね。
私は『レッドクリフ』未見ですが、なんとリン・チーリンとは!
なんだか嬉しいような怖いような?!(笑)
周迅だったらいいなあ、と思ってはいたのですがリン・チーリン共演というのも気になります。
いや凄いですね。
posted by フェイユイ at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

『ブラック・ムーン』ルイ・マル

ブラックムーン.jpgブラック・ムーン2.bmp
Black Moon 

子供の世界を独特に描くルイ・マル監督が大人の世界へ向かおうとする少女の心理を描き出しているのだろう。

どこかへと向かう少女が家の中でミルクを飲む場面でこれは『不思議の国のアリス』だったのかと気づく。
そういえば真直ぐの髪をしている。
アリスならばもう少し幼くなくてはいけない、などと幼女好きならいいそうだがこの作品はちょうど大人への扉を開けるほどの少女を表現しているのではないかと思われる。
台詞はごく少なく映像により少女が大人へと変化していく時期に少女の中で起きる怖れや不安や好奇心などが表現されていく。
ユニコーンが登場するのは彼女がまだ処女であるということなのだろう。ユニコーンは処女にだけ心を許すという動物なので。
出来事の一つ一つが何かを具象化しているのだろうが、とりあえず大まかなところでは「男女の戦争」というのが「仲良くすべき男女が大人になるほど諍いが多くなっていくように思えると言う不安」を表しているのだろう。特に男性の女性への暴力という怖れは少女の中で最も大きな不安になっていてその惨たらしさに叫び声を出してしまうほどである。
ベッドに横たわり鼠と話す老婆は人生の苦労に対しての恐怖と不安だろうか。口うるさく少女を苦しめ思うようにならない。やがては少女も乳飲み子を抱えることになり、次第に年をとっていく。
館に住む大人の男女。大人の女性は少女にとって憧れでありこうせねばならないという見本である。年上の女性がやったように少女も真似をして乳を与えようとするその女性が男性に暴力を受けることでまた恐怖と不安を抱く。この暴力とは性的なことを意味しているかもしれない。
蛇、少女に「知恵」を与えるがその代償もまた払わねばならない。少女の下半身に蛇が入り込んでいくのは性的行為の予感をさせる。

私自身『不思議の国のアリス』という物語が大好きなのだが、誰でも自分の中の『アリス』というものがあるはずだ。
子供であるがゆえに世界は混沌として不可解である。大人にしてみれば突拍子もない感じ方もする。
とはいえ元々の『不思議の国のアリス』もこれも男性が感じたアリスではある(テリー・ギリアム『ローズ・イン・タイドランド』も)女性ならばまた違ったアリスになるはずだが映像としてはどういうものになるのだろうか。近いところでルシール・アザリロヴィック『エコール』か。

この作品は狙いとして『不思議の国のアリス』をルイ・マル風に演出したものらしい。
ということになればむしろ同監督の『地下鉄のザジ』のほうがより『不思議の国のアリス』らしい作品だったようにも思えるのだが。
もう少し性の予感を出した『アリス』をやりたかったというのだろうか。
意味不明の言葉、不安を呼ぶ不協和音、残酷な暴力描写、意味不明の出来事などが少女の心の揺れを表していた。
ブラックムーンというのは新月のことなのか。輝きだす前の暗い時期を意味しているのだろうか。

監督:ルイ・マル 出演:キャスリン・ハリソン テレーズ・ギーゼ アレクサンドラ・スチュワルト ジョー・ダレッサンドロ
1975年ドイツ/フランス
posted by フェイユイ at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ジェヴォーダンの獣』クリストフ・ガンズ

PacteDesLoups.jpgPacte_des_Loups_2000_1.jpgLe pacte des loups3.jpg
Le pacte des loups

鑑賞は少なくとも3回目にはなる。3回目にしてやっと面白さが判ってきたというか、今回が一番面白く感じた(そのくらい飲み込みが悪いということ。やんなる)前回の記事など判ったフリをして何とも的外れのことばかり書いているので恥ずかしくなってしまった。

とにかく面白さが満載の娯楽作品で楽しいったらありゃしないのである。
「悪魔のような獣」が出現しては女子供を食う、というジェヴォーダンに現れる謎の二人の男のいでたちがまずかっこよいし、その一人がアメリカインディアンで何故かカンフーの達人というのも驚きなのだ。無論カンフーだといってるわけではないのだけどね。
彼らは王命によってジェヴォーダンの獣を調査し問題を解決する為に派遣された博物学者フロンサックと彼と義兄弟の契りを結んだアメリカインディアン(アメリカンネイティブというべきかもしれないが映画の言葉に従って)マニであった。
フロンサック自身ハンサムだし着任早々地元の貴族の少女と恋に落ちたり、村一番の娼館で遊んだり、マニは不思議な能力を持っていて研ぎ澄まされた美しい肉体にカンフーと見まごう武芸の達人であり村にいる暴漢どもをあっという間にやっつけたり、とラブありアクションありで飽きさせない。
前回観た時は知らなかったが二人を歓迎する村の貴族の若者トマをジェレミー・レニエが演じていたのも愉快だった。『ある子供』ではだらしない小心者を演じていた彼がここでは貴族のぼんぼんでありながらフロンサックたちと共に最後まで獣狩りに挑み、二人の理解者でこの物語の語り手であるという頼もしい男性なのであった。若者が経験した事を後に語っていく、という手法も大好きな演出だ。

フロンサックが恋する貴族の少女がふっくらとして可愛いし、娼館の美女もまた謎の女なのだがこれをモニカ・ベルッチが演じていてその美しい肢体を見せ付けてくれてこれまたうっとりなのである。

前回の記事で「ストーリーは大したことはないが」などと赤面ものの文章を書いていて穴があったら入りたいが、それは自分がよく判っていなかっただけでちゃんと観れば実に入念に練られた物語である。
獣の正体が宗教がらみの秘密結社によるものだということ、人間の手で作り上げられてしまった獣の憐れさ、悲しさもしみじみと伝わってくる。
妖しい魅力がたまらないヴァンサン・カッセルは妹を密かに愛しているというこれまた変質的な貴族男性を演じていて、片腕だと思っていたら実はもう一つの腕を縛って隠しており、その爪が長く茶色になっていて不気味なのだった。
カンフー使いのアメリカインディアン役のマーク・ダカスコスが何と言っても一番かっこいいわけだが、日本を含め複雑に人種のDNAが入り組んでいてエキゾチックである。18世紀のフランスの田舎でアメリカインディアンがいきなりカンフーをやってしまうわけだが、めちゃくちゃかっこいいんでもうどうでもいいや、なのである。

様々な面白さを凝縮して作り上げられたこの作品、今頃になって「すげえおもしれえ」と感心しきりの私なのだった。

監督:クリストフ・ガンズ
posted by フェイユイ at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

『雨月物語』溝口健二

雨月物語.jpg

続けて溝口を3作観た。今まで鑑賞したことがなかった自分である。
溝口、というとまず映像が並外れて美しく独創性に富んでいることが言われる。無論自分のように観る目がないものでもはっとするような衝撃を覚える場面がいくつもある。
だがそれ以上に驚いたのは美しいとだけ聞いていたのだがその美しさというのが虚飾的なものではなくリアリティの中で感じられるものだった、ということだった。
特に溝口というと『雨月物語』ということを聞いていたので多分幻想的な美に彩られたような作品を創作する人なのかと思い込んでいたのだが、本作を観てもそこにしっかりと描かれているのは『山椒大夫』でも観た貧しい人々の暮らしぶりである。
そしてどちらも貧しくても愛のある落ち着いた生活こそが最上の幸せなのだ物語っているのである。
つまりは非常にノーマルな考えから成り立った作品に仕上がっているのでとても受け入れやすいテーマなのではないだろうか。
だがこの作品で最も観ていて楽しいのは源十郎が妖しい美姫から求愛され桃源郷の日々をすごした後美姫が怨霊の如き風貌に変わり源十郎を逃がすまいとすると源十郎の体には阿闍梨が記した文言が覆っており魔性の美姫は近づくことができない。果たして源十郎が美姫と過ごした邸宅は焼け落ちた邸の幻影であった、という箇所と夢から醒めた源十郎が家に戻ると妻子が待っており妻は甲斐甲斐しく源十郎の労をねぎらう。安堵の思いで眠った源十郎が目を覚ますと妻はすでに盗賊から殺されていたことを知る、という二つの話である。
特に魔性の美姫を演じた京マチ子の妖しい美しさは類なきものでほんのわずかな化粧の違いだけで妖艶な美女が怖ろしい悪霊に変化してしまう箇所はぞっとするものがある。
そして故郷の家に戻った減十郎が家をあちこち探しても姿が見えないのにカメラがぐるりとまわるとそこにある囲炉裏で妻が食事の支度をしながら待っている姿が見える、という不思議な撮り方になっている。
源十郎が我が家で心からほっとすると愛する妻は実は幽霊だった(もしくは源十郎の幻想だった)ということになる。優しい妻は田中絹代が演じていて確かにほっとする情愛に満ちている。

とはいえ、この作品構成としては兄夫婦と弟夫婦の物語が絡んで語られていく。
弟夫婦の話は侍になって立身出世を望んだ夫がその間に愛する妻がそういった下っ端の侍たちに輪姦され娼婦になっていたのに驚き反省してもとの百姓に戻る、という話でさほど面白いものでもない。
弟夫婦の話はなくともいいのかもしれないが、兄が妻を亡くしてしまうために弟に妻が生き残っていた幸せを感じさせ対比しているのかもしれない。

自分が観た前2作は主演男優にやや不満を感じたが源十郎を演じた森雅之はとてもよかった。
妖しい美姫に惚れこまれ、妻子からも愛される真面目で優しい男性らしい魅力があったと思う。

監督:溝口健二 出演:京マチ子 森雅之 水戸光子 田中絹代 小沢栄 小沢栄太郎
1953年日本
posted by フェイユイ at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月18日

『近松物語』溝口健二

近松物語2.jpg近松物語.jpg

不義密通は引き回しの上磔という時代にその罰を受けても愛し合った二人の物語。

物語は現在の意識ですればとんでもない不条理を感じてしまうものだが、その不条理さがあるからこそ、不義の上での愛に真実を感じてしまうものなのだろうか。
映像がシンプルでありながら計算された極め付きの美しさであり、悲恋の儚さが際立って感じられる。
茂兵衛が崖を下っていくのをおさんが追いかける場面は先日観た『山椒大夫』で厨子王が逃げ延びるために崖を下る構図カメラワークとほぼ同じものでどちらも登場人物の心も表現しているような迫力のあるものになっている。
特に本作では追いかけるおさんと逃げようとする茂兵衛の気持ちが伝わってくるものだった。

一体この作品で一番悪いのは誰なのか、などというのは仕方のないことかもしれないが出来が悪く妹に何度も金の無心をしておきながら本人は脳天気な兄、大金を儲けていながら妻の苦悩を和らげてやることもしない吝嗇な夫、商人を利用しておきながら最後には権力で押しつぶしてしまう侍か。それら権力の上に立つものと、それらに従うしかない奉公人、女性など虐げられる存在の人間たち。
茂兵衛もおさんもどこかでどうにかなるのではないか、と上の者を信じて頼ってしまった甘さがあって観ている者は歯噛みするしかない。
茂兵衛もおさんも何の下心もなく不義を行ったわけでもないのにとんでもない邪推から負われる身の上となってしまい、「こんな辱めを受けるくらいなら」と泣くおさんの為に茂兵衛は心中を覚悟する。
ところが死を目の前にして茂兵衛はおさんにずっと慕い続けていたことを告白する。身分違いの立場ではあるものの。
それを聞いたおさんは「生きていたい」と思う。もとより年の離れた夫とは実家の為の愛なき結婚であり、おさん自身も茂兵衛に思いを寄せていたのだろう。
その茂兵衛から愛されていることを知り、おさんは初めて愛される喜びを感じたのではないだろうか。
死を決意した水の上の舟の中でおさんは茂兵衛にすがりつき、生きたい、と願うのだ。
支えあいながら山へ逃げる二人だがか弱い奥方のおさんには険しい山道は過酷である。
まして追っ手がいることを懸念して茂兵衛は一人崖を下ろうとする。それを追いかけるおさん。この場面が美しい。
足を痛めたおさんが倒れてしまったのを見かねて茂兵衛は飛び出し、おさんの白い脚の傷を口で吸う。
そしてもう離れないと誓うのだった。

二人の道に外れた愛はおさんの嫁ぎ先である富豪の商家・大経師を取り潰しにしてしまう。茂兵衛の父親も村人にも何らかの沙汰があったのかもしれない。番頭(とんでもなく悪党の番頭だったが)にも罰が下る、というとんでもない状況を引き起こしてしまい、二人はその罪の罰として「引き回し磔」となる。
だが町中を引き回されるという辱めを受けながら、二人の顔は喜びに輝いていた。

引き回しにされる時、二人は一頭の馬に背中合わせに乗り縊られているのだが、その手はしっかりと握り合わされている。
厳しい規則の中の道ならぬ恋というのは何よりも激しいものなのだ。
おさんを演じた香川京子の「お家様」と呼ばれるお内儀がしとやかな中にも色香があって美しい。
茂兵衛には長谷川一夫。私はずっと長谷川一夫さん、という方はとても美しい演技者だとイメージしていたのだが、この前観た『雪之丞変化』でもそうだったが、どうしても一人異質な感じがしてしまうのだ。
稀代の美形役者と認められていた男性にそういう感覚を持ってしまうのは時代が変わったからなのか。まして田舎出の奉公人という顔に思えなくて彼の存在だけはやや不思議に思えてしまう。
先日の『山椒大夫』でも主役男性のみが不満だったので一体どういうものか、と言う気もするがあの人と比べればさすがに長谷川一夫のほうが見せてくれる。

そうした主演男優がいまいち腑に落ちないものだとはいえ、溝口映画の素晴らしさは確かに納得できる。
お内儀のヘアスタイルや服装も現在よくある時代物に出てくるものとはまったく違ってかっこいい。お歯黒もしているのに美しく見えるのである。男性の髷も違うものだ。
そうしたファッションや家財道具などを見ているのも楽しいものでこういうものでさえ現代ではなかなか表現できないものになっているのだろうか。

監督:溝口健二 出演:長谷川一夫 香川京子 南田洋子 進藤英太郎 小沢栄太郎 菅井一郎 田中春男 浪花千栄子 十朱久雄
1954年日本
posted by フェイユイ at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

周杰倫、生日快楽!!!

ジェイ、30歳の誕生日おめでとうございます。

記事が多くなってしまいましたが、新MV発売、2008年度・北京流行音楽典礼で4賞受賞など30歳のバースディを飾る華々しさです。
ドラマ進出、映画も数々出演など活躍の場も広がっていくジェイ。
30代になってますます上昇していくばかりですねー。

ジェイが仕事でもプライベートでも充実してハッピーでありますように!!
とりあえずMVが届くのが待ち遠しくてたまりません!!

2008年度・北京流行音楽典礼で4賞受賞

ジェイ・チョウの新MV、30歳のバースデーに公開
posted by フェイユイ at 00:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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